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基本的に(参考の投稿を新しい投稿に入れ替える等しています)、去年の12月に行った投稿の再掲です。



以下、以下の投稿から抜粋して来た物です。

徳永英明-「太陽がいっぱい」他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3612333?&sfl=membername&stx=nnemon2



以下、前に、行った投稿から抜粋して来た物です。



私の父は、子供の教育に関しては面倒くさいので何も考えないと言った感じの、ある意味、子育てに関して自己中心的な面があった男性でしたが、父の、私と弟(私には、兄弟姉妹は、2歳年下の弟が一人います)が、幼い頃・子供の頃の、子供(私と弟)に関する教育方針の中で、個人的に、例外的に、評価出来ると思う事の一つにw、以下の事があります。

それは、私と私の2歳年下の弟が、幼い頃・子供の頃、父の主導により、私の両親は、子供に、多くの絵本(子供向けの絵の多い、お話の本)を買い与えると共に、多くの絵本(子供向けの絵の多い、お話の本)を読み聞かせる主義であった事です。

父は(又は父の主導により)、私が幼い頃、私は、父(又は両親)に、多くの絵本(子供向けの絵の多い、お話の本)を買い与えられました。それ等の、絵本(子供向けの絵の多い、お話の本)は、私に買い与えられた物ですが、父(又は両親)は、当然、それ等の、絵本(子供向けの絵の多い、お話の本)が、私の、お古として、弟が、読み聞かせられる・読む事も想定していました。

少し、大袈裟に言えば、私が幼い頃の当時、日本国内外の、名作と呼ばれていた、絵本(子供向けの絵の多い、お話の本)の、ほとんどは、家(実家)にあったと思います。また、アメリカ・ヨーロッパの(たぶん。。。具体的に、どの国の物であったのか、憶えていないと言うか、幼かったので意識していませんでした)、飛び出す絵本等も、家(実家)に、たくさんありました。

絵本(子供向けの絵の多い、お話の本)を、私に読み聞かせていたのは、母、及び、父で、弟に読み聞かせていたのは、母、父、弟よりも先に絵本(子供向けの絵の多い、お話の本)の字が読めるようになってからの子供の頃の私です。私は、子供の頃、弟の為に、自分の絵本(子供向けの絵の多い、お話の本)等の読み聞かせの音をカセットテープに録音したりもしていました。


絵本(子供向けの絵の多い、お話の本)とは別に、父は、私が幼い頃、私に、古本屋(古本店)で、古本の、世界の童話・民話、シリーズ・全集等の、子供向けの、世界の童話・民話等の、シリーズ・全集ものを、まとめ買いし、何セットか、買って来ました。それ等の、シリーズ・全集ものも、私に買い与えられた物ですが、父は、当然、それ等の、シリーズ・全集ものが、私の、お古として、弟が、読み聞かせられる・読む事も想定していました。

その様な、シリーズ・全集ものの、全ての、お話を、親が子供に読み聞かせるのは、時間的に無理であった事から、私は、自分で字が読めるようになってからは、その様な、シリーズ・全集ものは、自分で、読みました(まあ、ほとんどの話は、忘れてしまっているのですがw)。

その様な、幼い頃、親に読み聞かされていた、世界の童話・民話、シリーズ・全集等に収められていた、お話の中で、最も印象に残っている、お話の一つとして、「幸福な王子」があります。「幸福な王子」は、私が、そうした、世界の童話・民話、シリーズ・全集等の字を、弟よりも先に読めるようになってからは、私の2歳年下の弟に、何回も読み聞かせてもいました。


子供の頃、何回も読んだ、「幸福な王子」の、お話は、私と弟の人生の価値観に大きな影響を与えました(今でも、私と(おそらく)弟の人生の価値観に大きな影響を与え続けています)。



動画は、借り物。「幸福な王子」の、お話です。


以上、前に行った、「徳永英明-「太陽がいっぱい」他」と言う投稿から抜粋して来た物でした。



私の弟に関して、以下の(すぐ下でリンクを付けた)5つの投稿と、合わせて、ご覧下さい。

鏡餅(日本の伝統的な正月の飾り)他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3635189/page/3?&sfl=membername&stx=nnemon2
東京六大学チアリーダー・東京六大学応援歌メドレー他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3617910?&sfl=membername&stx=nnemon2
YOASOBI他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_5/view/id/3644739/page/10?&sfl=membername&stx=nnemon2
90’s ~Japanese City Pop他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3608174/page/2?&sfl=membername&stx=nnemon2
自宅録音ミュージシャン他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_5/view/id/3610017/page/2?&sfl=membername&stx=nnemon2


以下、「」内。前の他の方の投稿の私のレスより。。。

「こんばんは^^ 私は子供の頃から中学生の頃、テレビゲームでよく遊んでいましたが、シミュレーションゲームは嵌るとド嵌りしそうでw、物凄い時間を取られそうなので避けていましたw 私の2歳年下の弟は、シミュレーションゲームは、私が中学生の頃、スーパー大戦略のメガドライブ版(1989年発売)を夢中でやっていた記憶があります。

弟は、信長の野望は、メガドライブかスーファミかプレステ(何れのゲーム機も私が学生の頃、近所の実家にありました)でやっていたのかな(記憶が曖昧です)。三国志は、弟もやっていなかったと思います。前述の通り、テレビゲームと言う点に関して、私も子供の頃から中学生の頃、よく遊んでいましたが、弟の方が相対的によく遊んでいましたし、弟は大学生の頃までテレビゲームをよくやっていました。」


以下、参考の投稿。

トルコpop他色々→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3595198/page/3?&sfl=membername&stx=nnemon2
すぎやまこういちさん(ゲーム音楽等の作曲家)他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3595197/page/3?&sfl=membername&stx=nnemon2
子供の頃によく遊んだゲーム他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3595196/page/4?&sfl=membername&stx=nnemon2



以下、基本的に(若干、内容を追加したり、参考の投稿を、新しい投稿に入れ替える等しています)、2018年に行った投稿の再掲です。



以下、「」内。私の前の投稿文より。。。

「東京都心部の西部の静かで落ち着いた住宅地にある、我が家の近所の、私の実家は、元々、私の母方の祖父母の家で(ちなみに母は、一人っ子です)、現在は、両親が引き継いで暮らしています。既に、母方の祖父母共に、亡くなっています。

我が家の近所の私の実家の、私の父は、会社員で(父は、既に、半分定年退職状態になってから久しいですが)、私の母は、父と結婚してから、アルバイトを含めて、仕事を、一切した事がない専業主婦です。

私には、兄弟姉妹は、2歳年下の弟が一人います。私の弟は、外資系の会社員で、既に、結婚をし、(まだ、二人共、幼いですが)子供が2人いて(男の子(上)が1人と、女の子(下)が1人)、弟の家族(妻・子供)と共に、東京の西部郊外の、静かで落ち着いた住宅地に買った、一戸建て住宅に、暮らしています。


弟の、奥さん(妻)(ちなみに、弟の、奥さん(妻)は、弟よりもかなり年下です)は、結婚する前は、四年制の大学を卒業した後、服(ファッション)関係の、会社で、会社員として働いていましたが、結婚してからは、主婦となりました。

私は、会社員と比べて、相対的に、安定的ではなく、相対的に、ビジネスにおいて危険性が高いが、相対的に、自分で自分の時間を自由に管理する事が出来、又、自分の才能・仕事の能力・仕事の効率性・努力が、自分の収入に直結する(直接繋がる)、個人事業の道を選びました。」


ちなみに、上で、「会社員と比べて、相対的に、安定的ではなく、相対的に、ビジネスにおいて危険性が高いが」と書いていますが、私の収入と資産は、安定しています。



私は、会社員の父の仕事の関係で、小学校低学年の時の約2年間(当時、日本のアニメ等は祖母が私の為にマメにビデオに録画してくれましたw)、中学1年と2年の間の約1年間、アメリカに暮らしていて(小学生の頃はL.A.、中学の頃は、サンフランシスコ)、休みの日に、現地で親に色々遊びに連れて行って貰ったり、良い(楽しい)思い出として残っています。




動画は、借り物。私は、サッカー・サッカー観戦と言うかスポーツ観戦自体興味ないのですが、彼女や友人達とこれはやるのは好きです(我が家にある訳ではありませんが、行った場所に置いてあるとついやってしまうw)。 単純ですが、面白い。ちなみに、この動画は、私は小学校低学年の頃、父の仕事の関係でアメリカに暮らしていたのですが、プールやビーチに遊びに行くと、よく、現地の、10代から20代初め位の白人のビキニのお姉さん達(この動画の女の子達はアジア系のようですが)にcuteとか言われて可愛がられて、遊んで貰った記憶がありますが、その頃の事を何となく思い出しますw

以下、参考の投稿。

アニメ音楽や色々な音楽(温故知新)他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3595203/page/3?&sfl=membername&stx=nnemon2
懐かしの漫画本→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3580674/page/5?&sfl=membername&stx=nnemon2
子供の頃のアニメのテーマ曲他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3595200/page/3?&sfl=membername&stx=nnemon2



私の母は、昔から(本人が若い頃から・私が子供の頃から)、何も考えておらず(少なくとも一見何も考えていないような感じで)何も考えないで欲望のままに突っ走ってしまうような面がある女性です。

私の母は、私と私の2歳年下の弟が、幼稚園・小学校の頃、天気が良くて、気分が乗ったりしたら、突然、幼稚園・学校を、ずる休みさせて、動物園・遊園地等に、子供達(子供)を、遊びに連れて行く事がありましたw

私の母は、思いついたまま自由奔放に発言し発言が支離滅裂になって、本当に言いたい事が話し相手に伝わらない事があったり、地名や店名等の固有名詞を勝手な思い込みの勘違いをしたまま堂々と言ってしまうタイプの女性なのですがw、私と弟は、昔から(子供の頃から)、母の言いたい事を翻訳出来たのでw、私と弟は、家(実家)に訪れた、お客さんや、家族旅行先で又は母とお出掛けした際に、知り合った人等と、母が、会話する際に、母の言いたい事を整理したり、母が本当に言いたい固有名詞を翻訳して、母の話し相手に伝える通訳の役割をしていましたw


私も、私の2歳年下の弟も、幼い頃・子供の頃から高校生位の頃、親に、物質的には、好き放題甘やかされていた為、自分が欲しい物の為に、駄々をこねる(我儘を言う)必要がなかったと言う事もありますが、(例外的に、赤ちゃんの頃の私は、行ってはいけないような場所に、どんどん這って行ってしまうような冒険家の赤ちゃんであったようですがw)、私も私の弟も、親の前では、大人しい良い子供で、父親にも、母親にも、一度も、大きな声で、叱られたような事はありません。その点に関しては、自分で言うのも、何なんですが、私も弟も、頭の良い子供だったのだと思いますw

私は、弟とは、昔から(幼い頃から)、お互いに、過干渉しない、適度な距離感の、個人主義と言った感じで、仲が良いです(弟と激しい喧嘩なんて、生まれてから、一度もした事がありません)。

弟は、まだ、二人共、幼いですが、子供が二人いる(男の子一人(兄)と女の子一人(妹)。女の子の方は、一昨年、生まれたばかり)のですが、どのような子育てをしているのか詳細は分かりませんが、弟は、子供達に深い愛情を持って、辛抱強く、紳士的に子育てを行っている雰囲気は伝わって来ます。



私と私の2歳年下の弟は、幼い頃から、二人ともおじさん(中年)となった現在まで、ずっと、お互いに、○○(○○は下の名前の最初の2文字)君と呼んでいますw 私は、生まれてから、一度も、弟に、お兄ちゃんとか兄貴とか呼ばれた事がありませんw

 
私の母は、昔から(私が子供の頃から)、「母親である前に女」であるような女性ですw

私の母は、私の父の事を、少なくとも私が物心ついた時から(私が記憶が遡れる限りから)、ずっと、「お父さん」とは呼ばすに、父の下の名前に、さんを付けて呼んでいます。また、母は、夫から(私の父)から、「お母さん」と呼ばれる事が嫌いで、父は、母に教育されてw、少なくとも私が物心ついた時から(私が記憶が遡れる限りから)、基本的に、ずっと、母の事を、「お母さん」とは呼ばすに、君(きみ)と呼んでいます。父は、たまに、うっかりと、母の事を、「お母さん」と呼んでしまう事があったのですが、母は、その都度、「私は、あなたの、お母さんではない」と言い、父の事を叱って来ましたw


ちなみに、私の家族の肌の色は、父(白)、母(白)、私の弟(白)、私だけ、(おそらく私の母方の祖父の隔世遺伝で)どちらかと言えば黒です。例えがイケメン俳優さんで申し訳ありませんがw、私の肌の色は、丁度、竹野内 豊さんと同じ位の感じです(ちなみに、どうでも良い事ですがw、私よりも竹野内豊さんの方がまあまあ年上です)。ちなみに、私の今の彼女、色白、弟の、奧さん(妻)、色白です。


私の父も私も、(意識して出来るような物でもないのかもしれませんが)、話し声は、低音で、ゆっくりと話す方なんですが、そうした話し方は、女性に好かれるようですw(自分で言うのも何なんですがw ちなみに、私の今の彼女も、私の声と話し方も好きだと言ってくれてますw)。私の弟の、話し声の高さは、高くもなく低くもなく普通と言った感じです。



私の弟は色白で、私は色黒の縄文系寄りの濃い顔です。私と弟は、背は、概ね同じ位ですが(ちなみに、体型は弟も痩せ型の体型です)、私の弟の方が、私よりも、若干背が高いですが(弟の身長は178cmから179cm位)、スタイルは、私の方が、弟よりも、顔が小さく、足が長くて、良いです(ただし、弟も、決してスタイルは悪いという訳ではなく、標準よりも良いと思います)。顔は、昔から、我が家の近所の実家の私の母は、大っぴらには言いませんが、私の方が弟よりもイケメンであると評価していますw 

私は、顔は、母よりも、父に似ており、私の弟は、父と母、両方に似ているとも言えるし、父と母、どちらにも似ていないとも言える顔です。


私と、私の母との関係は、私の母にとって、私は、昔から、自分の好みのタイプのルックス(外貌)の(私は、顔は、母よりも父に似ているのですが、私の父と母は、父の顔を見て、一目惚れした私の母が、父に対して、猛烈にアプローチ(誘惑)しての、バリバリの恋愛結婚ですw)、何でも、気楽に話せる、気の合う男友達と言った感じで、私の母は、昔から、自分の恋愛話でも何でも、自分の事は、何でも、バンバン私に話して来ていますw これに対して、私の母は、私の弟に対しては、昔から、態度を使い分けて来ていると言った感じで、弟に対しては、自分の話を、何でもすると言う訳ではなく(弟に対しては、自分の、女性である面を見せようとせず)、昔から、相対的に、母親の顔をしようとして来ている感じです。

私は個人的に少なからぬ女性経験はありますがw(済みません。私は昔は(若い頃は)、ワルでした)、前述の通り、母自身、何も考えていないと言うか、母自体がチャラチャラしている面があり、男の子は、ある程度、遊んだ方が良い・やんちゃした方が良い位に、思っていた節があり、又、変な話かもしれませんが、私の母は、私に関して、自分が惚れた男性との間に産んだ自分の息子(私)の女性関係・女性遍歴に関して、昔から、まんざらでもないと思って来た・誇りに思って来たような面もある感じもしますw


私の父は、私が子供の頃・若い頃は、典型的な、仕事人間・会社人間と言った感じで、土・日・祝日や休暇時期に、子供(私及び弟)を積極的に遊びに連れていったり・子供(私及び弟)と積極的に遊んだりして、子供(私及び弟)の思い出作りには、出来るだけ協力するが、子供(私及び弟)の教育に関しては、妻である私の母に全て任せて、自分は(私の父は)、子供(私及び弟)の教育に関して、一切、関与する事はなく、(父は、私及び私の弟が子供の頃は、子供(私及び弟)の事は好きで、一緒に遊ぶのは楽しいが)、子供の教育に関しては面倒くさいので何も考えないと言った感じの、ある意味、子育てに関して自己中心的な面があった男性でした。

父は、私が幼い頃・子供の頃、私と、よく遊んでくれましたが、父は、私の弟に関しては、長男である私と遊ぶので、子供と遊ぶのは飽きてしまったと言った感じもありましたw(前述の通り、私の父は、ある意味、子育てに関して自己中心的な面があった男性です)。これに対して、弟は、幼い頃・子供の頃は、甘えん坊で(今でも、私の弟は、性格に甘えん坊な面がある様な気がします)、私の母に、べったりと言った感じで、(弟が、幼い頃・子供の頃は)、私の母に、よく甘えており、母も、弟が、幼い頃・子供の頃、弟に対して、よく甘えさせて、相対的に、しっかりと母親をしていた感じですw


幼い頃・子供の頃の、私と私の弟は、私の母にとって、マスコット・自慢のペット(愛玩動物)のような物でしたw ぶっちゃけて言うと、私も弟も、幼い頃・子供の頃、大人達からの、可愛い・ハンサム・可愛くてハンサムと言った感じの、お世辞は言われ慣れていましたw 

私も私の弟も、子供時代、ズル賢い子供で、母の前で、お行儀が良いペット(愛玩動物)を演じている限り、母に愛されて、母に甘やかされて、結果として、自分達の得になる(自分達が幸せになる)と言う事を、幼い頃から、本能的に分かっていると言う感じの子供でしたw

また、それに関連して、私も私の弟も、こうすれば、大人達に、可愛がられると言う事を、幼い頃から、本能的に分かっていると言った感じの子供で、(まるで、女性が小悪魔テクを無意識的・意識的に使うようにw)、そうした事を、無意識的・意識的に行っていました。

前述の通り、幼い頃・子供の頃の、私と私の弟は、私の母にとって、マスコット・自慢のペット(愛玩動物)のような物でw、お客さんが家に来た際は、多くの場合、母に、一回は、挨拶に出されました。

私も私の弟も、幼い頃・子供の頃、お客さんに挨拶する時、無意識的・意識的に、はにかんだりしていましたが、私も私の弟も、はにかんだ方が、大人に可愛いと思われ、可愛がられると言うのを、幼い頃から本能的に分かっていた為であると思いますw

お客さんに、一通り、顔見せを済ませた後は、私の母は、それぞれの部屋に戻って遊んでなさいと言った感じの事を言ったり、そのような流れに持って行ったりしたのですが、私も私の弟も、長時間、お客さんに愛想を使い続けるのも疲れるのでw、母が、そのような感じの事を言ったり、そのような流れに持って行った時は、私も私の弟も、喜んで、再び、自分たちの部屋に戻り、おもちゃやゲームで遊んでいました。

私は、幼い頃・子供の頃から、電車・自動車その他、乗り物全般に、広く浅く興味がありますが、弟は、幼い頃・子供の頃から、そのような事はありません(まあ、弟は、テレビゲームのレーシングゲームに関しては、子供の頃から大学生の頃、私よりも、遥かに夢中でやっていましたがw)。一方、弟は、幼い頃・子供の頃は、私よりも戦隊もの・ヒーローものに夢中でした。

私は、子供の頃、博物館が好きで、東京国立科学博物館や、交通博物館、科学技術館に、よく行きました(幼い時は、親に連れて行ってもらいましたが、小学校4年生頃からは、同じ興味を持つ友達(達)と、小学生だけで、行く様になりました。中学生になってからは、ほとんど行かなくなりましたが。。。)。私は、幼い頃、恐竜に、とても興味があったので、取り分け、国立科学博物館の、恐竜に関する展示は、印象に残っています(ちなみに、かつては、本館(現在の日本館)の1階の、かつての玄関を入って右側が、恐竜に関する展示室となっていました)。

父は野球観戦が好きなのですが、私は野球は、昔から(子供の頃から)興味はなく、まだ、弟の方が少しは興味があります。また、私は、子供の頃、当時、父が、テレビでプロレスを見るのが、とても好きであった関係で、よくテレビでプロレスを見ていたのですが(ちなみに、中学生になる頃には、プロレスに対する興味は、ほとんど失っていました)、弟は、プロレスには、ほとんど興味を示しませんでした。一方、弟は、プロレスの人気が衰退した後の格闘技ブームの格闘技やボクシングは(私は、それ等に、ほとんど興味を示しませんでしたが)、テレビで夢中になって見ていました(ちなみに、父は、昔から、プロレスの人気が衰退した後の格闘技ブームの格闘技やボクシングも、テレビで見るのが好きです)。





 


使い勝手の良い写真なので、私の多くの投稿で使い回してしまっていますがw、私が子供の頃(小学生の頃)の写真です(前に、我が家の近所の実家を訪れた際に、出て来た、古い写真の中から、私が写っている物の一部を貰って来て、我が家に保管してある物の中から、一枚)。夏の休暇時期の写真で、とても日焼けしていますw 左側の帽子は、私の2歳年下の弟の帽子(私は兄弟姉妹は2歳年下の弟が一人います)、右側の帽子は、私の父の帽子で、写真は、私の母が撮影した写真です。服は、夏の休暇時期なので、とてもカジュアルな服装になっています(普段、小学校に通う時は、もう少し、お洒落をして行きましたw)。子供の頃(小学生の頃)は、夏の休暇時期は、この様な服で、飛び回っていました。 ちなみに、私の家族の肌の色は、父(白)、母(白)、私の弟(白)、私だけ、(おそらく私の母方の祖父の隔世遺伝で)どちらかと言えば黒です(ちなみに、どうでも良い事ですが、家族全員、酒飲みで、酒には強いですw)。例えがイケメン俳優さんで申し訳ありませんがw、私の肌の色は、丁度、竹野内 豊さんと同じ位の感じです(ちなみに、どうでも良い事ですがw、私よりも竹野内豊さんの方がまあまあ年上です)。


上の写真で見て分かる通り、私は、子供の頃(小学生の頃)は、少し、丸々としていました(少し、太っていました)(腹は、筋肉があり締まっていたのですが(上半身は、締まっていたのですが)、太腿とか)。ただし、実は、(たぶん、小学生の頃の、女の子は、相対的に、それ程、深く考えないで、男の子に、バレンタインデー(Valentine‘s Day)の、チョコレート(chocolate)を渡してしまう年頃と言うのもあって)、私が、人生の内で、バレンタインデーの、チョコレート(義理チョコレートではなく、私の為の(私向けの)、個別のチョコレート)を、一番、たくさん貰っていたのは、小学校中学年から小学校高学年の頃でw、バレンタインデー(Valentine‘s Day)の時期には、親に、冗談で、よく、チョコレート(chocolate)屋さん(チョコレート(chocolate)店)を開いた方が良いとか、チョコレート(chocolate)会社を経営出来るのではないか等と、からかわれていましたw

私は、チョコレートを含めた、お菓子全般は、好きなのですが、小学生の頃の、バレンタインデー時期は、チョコレートを貰い過ぎて、チョコレートを食べるのに飽きてしまい(チョコレートを食べ切れなくて)、チョコレートをくれた女の子達には、大変、申し訳なかったのですが、少しずつ味見をして、家族や男の友人達等に、(貰った)チョコレートをあげたりしていました。

私の母は痩せの大食い(大食いと言っても標準よりも少し多く食べる程度ですが)の体質(比較的たくさん食べても痩せている体質)で(近所の実家の母は、年を取っても、よく食べるのに相変わらず痩せています)、私も私の母からの遺伝で、痩せの大食い(やはり大食いと言っても標準よりも少し多く食べる程度ですが)の体質(比較的たくさん食べても痩せている体質)なのですが、それに加えて、私の母は、痩せてはいるが筋肉質の体質で(まあ、母は、よく父と共通の趣味のゴルフに(父と)二人で行っているようですし、フィットネスクラブにも通っていて、割とよく運動はしているようなのですが、それでも、年齢の割に食べる量を考えたら、痩せの大食い体質と言わざるを得ませんw)、私も、母の痩せているが、筋肉質の体質と言うか、(運動をしなくても)筋肉がつき易い体質(ちなみに、私は、普段、運動は、ほとんどしていませんw)を、受け継いでいて、(まあ、私の場合、肉を、たくさん食べていると言うのもあるのかもしれませんがw)、私は、細マッチョ系の体型です(フィットネスやジムで体を鍛えているという訳では全くないので(と言うか、普段、運動不足気味)、細マッチョの体型ではなく、あくまで、細マッチョ系の体型ですがw)。

ただし、私は、体を動かす事(運動)は、基本的には、それ程、好きではなく、子供の頃から、現在まで続けているスポーツは、スキー位しかありません。ちなみに、両親がスキーが好きと言う事もあり(その影響で私はスキーは子供の頃からやっており得意です)、北海道は、子供の頃、親にニセコにスキーに連れて行って貰ったりして、地元(東京)から離れた場所の割には、子供の頃から割と馴染みのある土地なのですが(ニセコ・富良野は馴染みがある)、最近は、訪れていません。

もっとも、子供の頃(小学生の頃)までは、弟よりも、私の方が、運動と言った面に関して、活発で、やんちゃでしたw

私は、自分の事を、不器用で(ただし、エッチの時は、指は器用に動きますw)、運動神経はないと思っているのですが、瞬発力や、キック力、パンチ力と言った基礎的な運動能力はある様で、私は、子供の頃(小学生の頃)までは、体育の授業や運動会で、大活躍していましたw

私は高校の頃は学校で自分の身の回りにイジメはありませんでしたが、小学校・中学校の頃は、クラスでいじめられている子を、まあ時には暴力に訴えてしまう事もありましたが、いじめっ子から助ける(解放してあげる)事は、得意でしたし、自分の身の回りに、イジメを受けている子がいたら見逃せずにそうして来ました。

また、私は、若い頃、それなりに危ない事はしましたが、幸いな事に路上等で、人に攻撃されそうになった事はなく、私は喧嘩に関する、武勇伝等は全くありませんがw、小学校・中学・高校の頃は、クラスに、クラスの男どもをしめようとする、いけ好かない男がいた場合は、私が、殴ったり、張り手をかましたりしたら、以後、私には干渉しなくなったものですw

運動に関しては、私は、前述の通り、瞬発力や、キック力、パンチ力と言った基礎的な運動能力はある様で、私は、子供の頃(小学生の頃)までは、体育の授業や運動会で、大活躍していましたが、私は、前述の通り、体を動かす事(運動)は、基本的には、それ程、好きではなく、私は、中学・高校と帰宅部であったので、中学・高校の頃は、体育の授業や、運動会・体育祭で、普段バリバリに筋トレをしている体育会系の部活に所属する男子達には、敵わなくなりました。

まあ、私の弟の場合、実際にそうであった(大人しく優しい良い子であった)と言う面もあるのですが、私も、私の弟も、親の前、学校の先生の前を含む、大人の前では、大人しい良い子を演じるのが、とても、ズル賢く上手でした。

私も、私の弟も、基本、小学校・中学校・高校を通じて、老若男女を問わず、全ての、学校の先生から、エコ贔屓されていましたw(私の弟については、推測が入ってしまうのですが、私の弟も、おそらく、私と同じであったと思います)。

前述の通り、私も、私の弟も、親の前、学校の先生の前を含む、大人の前では、大人しい良い子を演じるのが、とても、ズル賢く上手でしたが、私も、私の弟も、小学生から中学生の頃、基本、マセたガキであった事は確かで、特定の大人に対しては、生意気に牙を向く事もありました(私も、私の弟も、高校から大学にかけて、だんだんと穏やかになって行きましたが。。。)。

私の弟は、中学生の時、担任であった、男の先生に、制服の着方が、だらしないと注意されて、弟は、その着方が、格好良いと思い、故意にその様な制服の着方をしていたのですが、それに対して、弟は、キレて、先生に対して、「誰にも、迷惑をかけていないじゃないですか!」と強い口調で反発をし、その制服の着方を、直さなかったそうです。まあ、私も弟も、先生の家庭訪問の時は、いつも、お宅のお子さんは何の問題もありませんよと言った感じの、先生と母の、短い談笑で終わっていた感じなのですが、その時の事も、その様な家庭訪問の際に、その弟の担任の先生と母との談笑の中での、「お宅のお子さんは、はっきりと物を言う時は言いますね」と言った感じの話題の取り上げられ方だけで終わったようですがw

私の父方の祖母は、もう100歳近い年齢ですが(私は性格に大雑把な面があり、父方の祖母の正確な今の年齢を把握していませんw)、元気に長生きしていますが、昔から頭の回転が速く、ユーモアがあり話がとても面白いです。私の父方の伯母も昔から頭の回転が速く私が子供の頃から、とてもユーモアがあり話がとても面白いです(ちなみに私の父はそうでもありません)。私も、実際に話が面白いかどうかは置いておいて、実生活において面白い話をして人を笑わせるのが好きなのですが、私の性格のそのような面は私の父方の祖母の性格を受け継いでいると思います。

実は、私が、人生の内で、人を笑わせる才能が、最もあったのは、私が小学生の頃で、当時、私が、実際、どの様な事を言って、クラスの女子達を笑わせていたのか忘れましたが、子供相手の子供のギャグなのですが、私は小学生の頃、クラスの女子達を、本当によく笑わせていて、当時、クラスの女子達は、皆、休み時間等に、私を取り囲んで、こぞって、私と話したがりましたw

私は、中学生以降になるとクールを気取りたい年頃になって、クラスの女子達を全員相手する(笑わせようとする)ような事はしなくなりましたが、自分の友人達や自分の交際している女の子・自分の親密な女の子を、引き続き、面白い事を言って笑わせていました(面白い事を言って笑わせるのが好きでした)。

私は話し(会話)が、決して上手な方ではないと思いますが、私は、昔から実際に話が面白いかどうかは置いておいて、実生活において、面白い話をして、人を笑わせるのが好きで、(これは、相手が男女関係ない事ですが)、私は、笑いの波長の合う相手だと、相手を笑わすのが楽しいので饒舌になりますw

ちなみに、私は、小学生の頃、本能的に?、クラス等の特定の女の子と親しくすると、人間関係がギクシャクするかもしれないと分かっていた感じで、基本、全ての女の子に、出来るだけ平等に接するようにしていたのですが、そんな中でも、特に親しい子は、いた事はいて、その様な女の子は(特に親しくする女の子は)、本能的に(自然に)、親しくしても、他の女子達との人間関係がギクシャクしないような女の子を選んでいました。

小学生の頃、特に親しかった同級生の少しマセた女の子の友達が、教室で、本田美奈子の歌と踊りの真似をして「マリリン~♪」なんてやっていた頃に(ちなみに、その女の子は(その女の子は、美人さんでした)、地元の同じ公立の中学に進学したのですが、中学では、校内女子トップクラスの不良になりましたw)、私は、ボン・ジョヴィのCDをかけながら、鏡に自分を映して、ジョン・ボン・ジョヴィの歌真似をする、一人ボン・ジョヴィごっこを編み出し、家でやっていました(さすがに、学校では恥ずかしいのでやらなかったw)。ボン・ジョヴィごっこは中2くらいまで続けていました(今となっては、赤面の思い出ですw)。

私は、小学校高学年の頃、クラス等のマセた(こう言うのは厳密にはマセたと言うのかどうか分かりませんがw)女子達が、自ら、自分達のスカートをめくって自分達のパンツを見せて、それを見て赤面した私の顔を見て楽しむと言う、羞恥プレイ的な?w、いじめだか何だかを受けていましたw 私は、当時、まだ性欲にも目覚めていなくて、べつに嫌でもなかったけど、嬉しくもなんともありませんでした。ちなみに、その羞恥プレイ的な?w、いじめだかの首謀者の女の子は、前述した、教室で、本田美奈子の歌と踊りの真似をして「マリリン~♪」なんてやっていた、特に親しかった同級生の少しマセた女の子です。

ちなみに、私は、小学校の頃は、同じ小学校に通う、同じclassの女の子・同学年の女の子のような、同年代の、子供の女の子達には興味は示さず、当時、小学生の頃の私から見たら、十分に、大人に見える、女性、芸能人であった、中山 美穂(nakayama miho)と言う、女性、アイドル(idol)歌手が、好きでしたw 高校生になると、身近な(自分の周囲の)女性達に夢中になり、女性、芸能人自体に、それ程、興味を持たなくなり、好みの女性のタイプも変化したので、だんだんと、中山 美穂(nakayama miho)のファン(fan)でなくなって行きましたが。。。


以下、参考の投稿。

私が中学生の頃のJ-popのヒット曲・中学生の頃の話他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_5/view/id/3587782/page/5?&sfl=membername&stx=nnemon2
どん兵衛ホームページの青春シチュエーションがw&曲(すぐ上でリンクを付けた投稿の関連投稿)→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_5/view/id/3586964/page/5?&sfl=membername&stx=nnemon2





動画は、借り物。中山 美穂(nakayama miho)-「WAKU WAKUさせて」(1986年)。当時、私は、まだ、小学生でした。



私の母は、子供(私、及び、私の弟)が、子供の頃から高校生の頃、子供(私、及び、私の弟)の事を、物質的には、好き放題、甘やかせ、又、子供(私、及び、私の弟)の勉強に関しては、全くと言って良い程、関心がなかったのですが、母は、二人の息子を育て上げるにあたって、これだけはと言う教育方針がありました(もっとも、母にとっては、もしかしたら、それも意図的な教育方針と言うものではなく、母は、それについても、何も考えずに、無意識的・本能的に、そうしていたのかもしれません)。

私も、私の2歳年下の弟も、少し、大袈裟な言い方をすれば、保守的な考えに基づき、女性を、尊敬・尊重し、女性を大切にすると言う事に関しては、母に徹底的に教育されました。

私の母は、ミーハーで、面食いの(ハンサムな男性が好きな)、女性でした。また、私の母は、親バカでしたw 私の母は、自分の息子(私と、私の弟。特に私w)の事を、ハンサムと評価していました。

私の母が、私が思春期の頃に、私に、よく言っていた言葉(また、私の弟にも、私の弟が、思春期の頃に、時々、言っていた言葉)で、印象に残っている言葉で、たぶん内面や心掛け等に関して言っていたんだと思いますが、「美男子(又は、ハンサム。どちらか忘れた。まあ、両方言っていたと思います)は、女性(又は、女性達。たぶん両方言っていたと思います)の美男子に対する期待に応える義務がある」と言う言葉がありますw

また、私の母は、私と、私の弟が、思春期の頃に、私と私の弟に対して、「美男子(又は、ハンサム)に生まれたのは、たまたま運が良かっただけで、図に乗ってはいけない」だとか、「運が良く美男子(又は、ハンサム)に生まれたからには、相応の社会的な責任を負わなければならない」と言った感じの言葉も言っていましたw 笑ってしまうような言葉ですがw、母は、割と真面目な気持ちで息子達に言い聞かせているような感じでした。

母の教育方針は、一見、甘く見えて、実は厳しい物であったのかもしれませんw 私と弟に、「美男子(又は、ハンサム。どちらか忘れた。まあ、両方言っていたと思います)は、女性(又は、女性達。たぶん両方言っていたと思います)の美男子に対する期待に応える義務がある」と言って置きながら、どの様にしたら、女性(女性達)の期待に応える事が出来るのかは、自分達で考えて実行しなさいと言った感じであったからです。女性の期待に応えると言うのは、もちろん、ある程度、勉強が出来るとか、女性の期待に応えるだけの、ある程度の、お金を、仕事で稼げるようにならなければならないと言う事も含んでいると思います。



私の母は、大学は英米文学科を出ているのですが、それはあまり関係がなく、洋画がとても好きだったと言うのがあるのか、英語がとても好きで、留学経験はなくても、独学で、英語は、昔から発音も良く流暢に話せましたし(今でも大丈夫でしょう(それ程英語は忘れていないでしょう))、父も、留学経験はないですが、仕事で使う関係で、昔から英語は話せます(発音は、あまり上手くありませんがw)。


ちなみに、私の家族が出た学校に関し、私の父(大学から田舎から東京に出て来ました)は、大学までずっと公立(大学は国立)、私の母、私、私の弟(私の2歳年下。外資系の会社に勤める会社員。既に結婚をし、まだ2人共幼いですが、子供が2人いて、妻・子供達と共に東京の西部郊外の静かて落ち着いた住宅地に買った一戸建て住宅に暮らしている)は、高校までずっと公立です。

私の母方の祖母(既に亡くなっています)は、田舎の裕福な地主の家(戦後は、おそらく農地改革により没落した)の娘で、地元の私立のミッション系の女学校を卒業した後、東京のA学院大学に進学しました。母方の祖母は、女子大生時代、祖母の実家(祖母の父)の、麻布の東京の別宅に暮らし、身の回りの世話は、お抱えの女中さん達にやって貰っていたようです。

私の母方の祖母は、女学校ではカナダ人の女性(だったかな?)の先生に親しんでいて、大学でも、外国人(おそらく北米)の先生に接する機会があったのでしょう。古い人の割には、少し英語は話せました(発音も良かったw)。

また、さすがに今は、そういう事はないかもしれませんが、ここだけの話(ここだけの話とは言いながら、今までkjで書いて来てしまっていますがw)、私の母も、私も、私の弟も、A学院大学だけを受験する事を条件とすれば、受験の点数いかんにかかわらず、母方の祖母のコネでA学院大学に行く事が可能であったと言う、ズルい現実もありましたw

ちなみに、母は、K大学に行きたかったので、コネは使わなかったのですが、K大学を落っこちて、コネを使わずに普通に受験して受かったA学院大学の英米文学科に進学しました。私は、当時のA学院大学の通学環境で別の大学の方が良かったので、コネを使わないで、A学院大学も受かったのですが、概ね学力が同じ位の第一志望であった別の私立大学に行きました。弟は、やはりコネを使わずに受験して、A学院大学も受かったのですが、第一志望であったA学院大学よりも学力が高い別の私立大学に行きました。

以上の事から実家では、(私が子供の頃、それを読んでいた訳ではありませんが)、英語の雑誌を定期購読していたり、英字新聞をとっていたり、母がよくFENの音楽番組等を聴いたりしていて、幼い頃から、英語自体には、慣れる環境にあり、また、帰国子女と言える程の期間ではなく、また、住むよりも滞在していたと言った表現の方が、ふさわしいと言った短い期間ではあるのですが、会社員の父の仕事の関係で、小学校低学年の時の約2年間(当時、日本のアニメ等は祖母が私の為にマメにビデオに録画してくれましたw)、中学1年と2年の間の約1年間、アメリカに暮らしていて(小学生の頃はL.A.、中学の頃は、サンフランシスコ。休みの日に、現地で親に色々遊びに連れて行って貰ったり、良い(楽しい)思い出として残っています)、又、大学生の時、アメリカの大学に1年間留学する等していました(ちなみに、弟も、大学生の時、アメリカの大学に1年間留学したのですが、弟は、その事に関して、私の影響を受けました(私の真似をしました))。したがって、私の話す英語は、発音も含めて、アメリカ英語ですw

ちなみに、私は、中学・高校の英語の授業は好きでしたし、勉強も、全く苦になりませんでした。私は高校時代(高校1年の時か2年の時かどちらか忘れた)に一回の受験で英検準1級を取ったのですが、英検準1級ともなると基本的な日常会話程度では使わないような単語も憶えなければならないのですが、単語を憶えるのも全く苦ではなかったですし、又、当時、まだ青くて、授業の時間、当てられて教科書を朗読する時、発音が良くて、かっこいいアピールが出来る事も快感に思っていましたw ちなみに、過去に付き合っていた女の子に、(その子は付き合う前から、私が外国人と英語で話したりするのを見て(聞いて)いたのですが)、付き合った後、「○○くんて、前から、漢字が読めない人なのかなと言う印象を勝手に持っていた」と言われた事がありますw


ちなみに、私の今の彼女は、私が、英語を話すのを聞くのが好きで、又、よく、英語由来の外来語(地名・社名等を含む)を、英語の発音で発音して欲しいと私にねだるのですが、私は、面倒なので、ほぼほぼ、いつも、彼女のそのお願いは、断っていてw(スルーしていてw)、日本語をしゃべる時は、英語由来の外来語(地名・社名等を含む)も、普通に日本語の発音で話しています。


弟の話後編(すぐ下でリンクを付けた投稿)に続く。。。

弟の話後編→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3742373?&sfl=membername&stx=nnemon2

 


남동생의 이야기 전편




기본적으로(참고의 투고를 새로운 투고로 바꾸어 넣는 등 하고 있습니다), 작년의 12월에 간 투고의 재게입니다.



이하, 이하의 투고로부터 발췌해 온 것입니다.

토쿠나가 히데아키- 「태양이 가득」외→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3612333?&sfl=membername&stx=nnemon2



이하, 전에, 간 투고로부터 발췌해 온 것입니다.



나의 아버지는, 아이의 교육에 관해서는 귀찮기 때문에 아무것도 생각하지 않는다고 한 느낌의, 있다 의미, 육아에 관해서 자기중심적인 면이 있던 남성이었지만, 아버지의, 나와 남동생( 나에게는, 형제 자매는, 2세 연하의 남동생이 한 명 있습니다)이, 어릴 적·어릴 적의, 아이( 나와 남동생)에 관한 교육 방침 중(안)에서, 개인적으로, 예외적으로, 평가 할 수 있다고 생각하는 일의 하나에 w, 이하의 일이 있어요.

그것은, 나와 나의 2세 연하의 남동생이, 어릴 적·어릴 적, 아버지의 주도에 의해, 나의 부모님은, 아이에게, 많은 그림책(어린이용의 그림이 많은, 이야기의 책)을 사 줌과 동시에, 많은 그림책(어린이용의 그림이 많은, 이야기의 책)을 읽어 들려주는 주의인 일입니다.

아버지는(또는 아버지의 주도에 의해), 내가 어릴 적, 나는, 아버지(또는 부모님)에게, 많은 그림책(어린이용의 그림이 많은, 이야기의 책)을 사 주어졌습니다.그것등의, 그림책(어린이용의 그림이 많은, 이야기의 책)은, 나에게 사 주어진 것입니다만, 아버지(또는 부모님)는, 당연, 그것등의, 그림책(어린이용의 그림이 많은, 이야기의 책)이, 나의, 형 `테로서 남동생이, 읽어 들려줄 수 있는·읽는 일도 상정하고 있었습니다.

조금, 과장하여 말하면, 내가 어릴 적의 당시 , 일본 내외의, 명작으로 불리고 있던, 그림책(어린이용의 그림이 많은, 이야기의 책)의, 대부분은, 집(친가)에 있었다고 생각합니다.또, 미국·유럽의(아마...구체적으로, 어느 나라의 물건이었는지, 기억하지 않다고 하는지, 어렸기 때문에 의식하고 있었었습니다), 뛰쳐나오는 그림책등도, 집(친가)에, 많이 있었습니다.

그림책(어린이용의 그림이 많은, 이야기의 책)을, 나에게 읽어 들려주고 있던 것은, 어머니, 및, 아버지로, 남동생에게 읽어 들려주고 있던 것은, 모, 부, 제보다 먼저 그림책(어린이용의 그림이 많은, 이야기의 책)의 글자를 읽을 수 있게 되고 나서의 어릴 적의 나입니다.나는, 어릴 적, 남동생을 위해, 자신 그림책(어린이용의 그림이 많은, 이야기의 본)등이 읽어 들려주어의 소리를 카셋트 데이프에 녹음하기도 하고 있었습니다.


그림책(어린이용의 그림이 많은, 이야기의 책)과는 별도로, 아버지는, 내가 어릴 적, 나에게, 헌책방(헌책점)에서, 헌책의, 세계의 동화·민화, 시리즈·전집등의, 어린이용의, 세계의 동화·민화등의, 시리즈·전집의 것을, 정리해 사 , 무슨 세트인가, 사 와?`와 했다.그것등의, 시리즈·전집의 것도, 나에게 사 주어진 것입니다만, 아버지는, 당연, 그것등의, 시리즈·전집의 것이, 나의, 고물로서 남동생이, 읽어 들려줄 수 있는·읽는 일도 상정하고 있었습니다.

그 님, 시리즈·전집의 것의, 모든, 이야기를, 부모가 아이에게 읽어 들려주는 것은, 시간적으로 무리임 일로부터, 나는, 스스로 글자를 읽을 수 있게 되고 나서는, 그 님, 시리즈·전집의 것은, 스스로, 읽었습니다(뭐, 대부분의 이야기는, 잊어 버리고 있습니다만 w).

그 님, 어릴 적, 부모에게 읽어 듣고 있던, 세계의 동화·민화, 시리즈·전집등에 거둘 수 있고 있던, 이야기속에서, 가장 인상에 남아 있다, 이야기의 하나로서, 「행복한 왕자」가 있어요.「행복한 왕자」는, 내가, 그러한, 세계의 동화·민화, 시리즈·전집등의 글자를, 남동생보다 먼저 읽을 수 있게 되고 나서는, 나의 2세 연하의 남동생에게, 몇번이나 읽어 들려주어도 있었습니다.


어릴 적, 몇번이나 읽은, 「행복한 왕자」의, 이야기는, 나와 남동생의 인생의 가치관에 큰 영향을 주었던(지금도, 나와(아마) 남동생의 인생의 가치관에 큰 영향을 계속 주고 있습니다).


<iframe width="560"height="315" src="https://www.youtube-nocookie.com/embed/Q-0LlLmKaXI" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture" allowfullscreen></iframe>
동영상은, 차용물.「행복한 왕자」의, 이야기입니다.


이상, 앞에 간, 「토쿠나가 히데아키- 「태양이 가득」외」라고 하는 투고로부터 발췌해 온 것이었습니다.



나의 남동생에 관해서, 이하의(바로 아래에서 링크를 붙인) 5개의 투고와 맞추고, 봐 주세요.

거울떡(일본의 전통적인 정월의 장식) 외→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3635189/page/3?&sfl=membername&stx=nnemon2
도쿄 육대학 치어리더·도쿄 육대학 응원가 메들리외→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3617910?&sfl=membername&stx=nnemon2
YOASOBI외→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_5/view/id/3644739/page/10?&sfl=membername&stx=nnemon2
90’s Japanese City Pop외→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3608174/page/2?&sfl=membername&stx=nnemon2
자택 녹음 뮤지션외→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_5/view/id/3610017/page/2?&sfl=membername&stx=nnemon2


이하, 「」 안.전의 다른 분의 투고의 나의 레스보다...

「안녕하세요^^ 나는 어릴 적부터 중학생의 무렵, 텔레비젼 게임에서 잘 놀고 있었습니다만, 시뮬레이션 게임은 감와 드감할 것 같고 w, 무서운 시간이 걸려질 것 같아서 피하고 있었던 w 나의 2세 연하의 남동생은, 시뮬레이션 게임은, 내가 중학생의 무렵, 슈퍼 대전략의 메가 드라이브판(1989년 발매)을 열중해서 하고 있던 기억이 있어요.

남동생은, 노부나가의 야망은, 메가 드라이브인가 스파미나 플레이스테이션(어느 쪽의 게임기도 내가 학생의 무렵, 근처의 친가에 있었습니다)으로 하고 있었던가(기억이 애매합니다).삼국지는, 남동생도 하지 않았다고 생각합니다.상술한 대로, 텔레비젼 게임이라고 하는 점에 관해서, 나도 어릴 적부터 중학생의 무렵, 잘 놀고 있었습니다만, 남동생이 상대적으로 잘 놀고 있었고, 남동생은 대학생의 무렵까지 텔레비젼 게임을 잘 하고 있었습니다.」


이하, 참고의 투고.

터키 pop외 여러가지→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3595198/page/3?&sfl=membername&stx=nnemon2
스기야마 고이찌씨(게임 음악등의 작곡가) 외→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3595197/page/3?&sfl=membername&stx=nnemon2
어릴 적에 잘 논 게임외→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3595196/page/4?&sfl=membername&stx=nnemon2



이하, 기본적으로(약간, 내용을 추가하거나 참고의 투고를, 새로운 투고로 바꾸어 넣는 등 하고 있습니다), 2018년에 간 투고의 재게입니다.



이하, 「」 안.나의 앞의 투고문보다...

「도쿄도심부의 서부의 조용하고 침착한 주택지에 있는, 우리 집의 부근의, 나의 친가는, 원래, 나의 외가의 조부모의 집에서(덧붙여서 어머니는, 독자입니다), 현재는, 부모님이 계승하며 살고 있습니다.이미, 외가의 조부모 모두, 죽습니다.

우리 집의 부근의 나의 친가의, 나의 아버지는, 회사원으로(아버지는, 이미, 반정년퇴직 상태가 되고 나서 오래 됩니다만), 나의 어머니는, 아버지와 결혼하고 나서, 아르바이트를 포함하고, 일을, 일절 한 일이 없는 전업 주부입니다.

나에게는, 형제 자매는, 2세 연하의 남동생이 한 명 있습니다.나의 남동생은, 외자계의 회사원으로, 이미, 결혼을 해, ( 아직, 두 명모두, 어립니다만) 아이가 2명 있어(사내 아이(위)가 1명으로 여자 아이(아래)가 1명), 남동생의 가족(아내·아이)과 함께, 도쿄의 서부 교외의, 조용하고 침착한 주택지에 산, 독립주택에, 살고 있습니다.


남동생의, 부인(아내)(덧붙여서, 남동생의, 부인(아내)은, 남동생보다 꽤 연하입니다)은, 결혼하기 전은, 4년제의 대학을 졸업한 후, 옷(패션) 관계의, 회사에서, 회사원으로서 일하고 있었습니다만, 결혼하고 나서는, 주부가 되었습니다.

나는, 회사원과 비교해서, 상대적으로, 안정적이 아니고, 상대적으로, 비즈니스에 대해 위험성이 높지만, 상대적으로, 스스로 자신의 시간을 자유롭게 관리할 수가 있어 또, 자신의 재능·일의 능력·일의 효율성·노력이, 자신의 수입에 직결하는(직접 연결된다), 개인 사업의 길을 선택했습니다.」


덧붙여서, 위에서, 「회사원과 비교해서, 상대적으로, 안정적이 아니고, 상대적으로, 비즈니스에 대해 위험성이 높지만」이라고 쓰고 있습니다만, 나의 수입과 자산은, 안정되어 있습니다.



나는, 회사원의 아버지의 일의 관계로, 초등학교 저학년때의 약 2년간(당시 , 일본의 애니메이션등은 조모가 나를 위해 콩(물집)에 비디오에 녹화해 주었던 w), 중학 1년과 2년간의 약 1년간, 미국에 살고 있어(초등 학생의 무렵은 L.A., 중학의 무렵은, 샌프란시스코), 휴일에, 현지에서 부모에게 여러가지 놀이에 데려서 가서 받거나 좋은(즐겁다) 추억으로서 남아 있습니다.



<iframe width="560" height="315" src="https://www.youtube-nocookie.com/embed/GrxBzRDHL7s" title="YouTube video player" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; clipboard-write; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture" allowfullscreen></iframe>
동영상은, 차용물.나는, 축구·축구 관전이라고 할까 스포츠 관전 자체 흥미없습니다만, 그녀나 친구들과 이것은 하는 것은 좋아합니다(우리 집에 있는 것이 아닙니다만, 간 장소에 놓여져 있으면 무심코 해 버리는 w). 단순합니다만, 재미있다.덧붙여서, 이 동영상은, 나는 초등학교 저학년의 무렵, 아버지의 일의 관계로 미국에 살고 있었습니다만, 풀이나 비치에 놀러 가면, 자주(잘), 현지의, 10대에서 20대 처음위의 백인의 비키니의 언니(누나)들(이 동영상의 여자 아이들은 아시아계같습니다만)에게 cute라든지 말해져 귀여워해지고, 놀아 받은 기억이 있어요가, 그 무렵의 일을 웬지 모르게 생각해 내는 w

이하, 참고의 투고.

애니메이션 음악이나 다양한 음악(온고지신) 외→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3595203/page/3?&sfl=membername&stx=nnemon2
그리운 만화책→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3580674/page/5?&sfl=membername&stx=nnemon2
어릴 적의 애니메이션의 테마곡외→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3595200/page/3?&sfl=membername&stx=nnemon2



나의 어머니는, 옛부터(본인이 젊은 무렵부터·내가 어릴 적부터), 아무것도 생각하지 않고(적어도 일견 아무것도 생각하지 않은 듯한 느낌으로) 아무것도 생각하지 말고 욕망대로 힘차게 달려 버리는 면이 있다 여성입니다.

나의 어머니는, 나와 나의 2세 연하의 남동생이, 유치원·초등학교의 무렵, 날씨가 좋아서, 기분이 타거나 하면, 돌연, 유치원·학교를, 질질 끄는 휴일 시키고, 동물원·유원지등에, 아이들(아이)을, 놀이에 데리고 가는 것이 있었던 w

나의 어머니는, 생각난 채로 자유분방하게 발언해 발언이 지리멸렬이 되고, 정말로 말하고 싶은 일이 대화 상대에 전해지지 않는 것이 있거나 지명이나 점명등의 고유 명사를 제멋대로인 믿음의 착각을 한 채로 당당히 말해 버리는 타입의 여성입니다만 w, 나와 남동생은, 옛부터(어릴 적부터), 어머니의 말하고 싶은 일을 번역 할 수 있었으므로 w, 나와 남동생은, 집(친가)에 방문한, 손님이나, 가족 여행지로 또는 어머니와 나갔을 때에 , 알게 된 사람등과 어머니가, 회화할 때에, 어머니의 말하고 싶은 일을 정리하거나 어머니가 정말로 말하고 싶은 고유 명사를 번역하고, 어머니의 대화 상대에게 전하는 통역의 역할을 해 지금 해 w


나도, 나의 2세 연하의 남동생도, 어릴 적·어릴 적부터 고교생위의 무렵, 부모에게, 물질적이게는, 자기 마음대로 응석부리며 있던 때문, 자신을 갖고 싶은 것을 위해, 타들을 반죽할(아진을 말할) 필요가 없었다고 말하는 일도 있습니다만, (예외적으로, 아기의 무렵의 나는, 가 안 된다 같은 장소에, 자꾸자꾸 겨서 가 버리는 모험가의 아기인 것 같습니다만 w), 나도 나의 남동생도, 부모의 앞에서는, 얌전한 좋은 아이로, 부친에게도, 모친에게도, 한번도, 큰 소리로, 꾸중들은 것 같은 일은 없습니다.그 점에 관해서는, 스스로 말하는 것도, 무엇입니다만, 나나 남동생도, 머리의 좋은 아이였던 것이라고 생각하는 w

나는, 남동생이란, 옛부터(어릴 적부터), 서로, 과간섭하지 않는, 적당한 거리감의, 개인주의라고 한 느낌으로, 사이가 좋습니다(남동생과 격렬한 싸움은, 태어나고 나서, 한번도 한 일이 없습니다).

남동생은, 아직, 두 명모두, 어립니다만, 아이가 두 명 있는(사내 아이 한 명(형(오빠))과 여자 아이 한 명(여동생).여자 아이는, 재작년, 태어났던 바로 직후)의입니다만, 어떠한 육아를 하고 있는지 자세한 것은 모릅니다만, 남동생은, 아이들에게 깊은 애정을 가지고, 참을성이 많고, 신사적으로 육아를 실시하고 있는 분위기 (은)는 전해져 옵니다.



나와 나의 2세 연하의 남동생은, 어릴 적부터, 두 사람 모두 아저씨(중년)가 된 현재까지, 쭉, 서로, 00(00은 아래의 이름의 최초의 2 문자) 군과 부르고 있습니다 w 나는, 태어나고 나서, 한번도, 남동생에게, 형이라든지 형이라든지 불린 일이 없습니다 w

 
나의 어머니는, 옛부터(내가 어릴 적부터), 「모친이기 전에 여자」인 여성입니다 w

나의 어머니는, 나의 아버지의 일을, 적어도 내가 물심 붙었을 때부터(내가 기억을 거슬러 올라갈 수 있는 한으로부터), 쭉, 「아버지」란호에, 아버지아래의 이름에, 씨를 붙여 부르고 있습니다.또, 어머니는, 남편으로부터( 나의 아버지)로부터, 「엄마」라고 불리는 것이 싫고, 아버지는, 어머니에게 교육되어 w, 적어도 내가 물심 붙었을 때부터(내가 기억을 거슬러 올라갈 수 있는 한으로부터), 기본적으로, 쭉, 어머니의 일을, 「엄마」란호에, 너(너)라고 부르고 있습니다.아버지는, 이따금, 무심코 와 어머니의 일을, 「엄마」라고 불러 버리는 것이 있었습니다만, 어머니는, 그때마다, 「 나는, 당신의, 엄마는 아니다」라고 해, 아버지의 일을 꾸짖어 왔던 w


덧붙여서, 나의 가족의 피부의 색은, 부(백), 모(흰색), 나의 남동생(흰색), 나만, (아마 나의 외가의 조부의 격세 유전으로) 어느 쪽일까하고 말하면 흑입니다.비유가 이케멘 배우씨로 죄송합니다만 w, 나의 피부의 색은, 꼭, 타케노우치 유타카씨와 같은 정도의 느낌입니다(덧붙여서, 꼭 좋은 일입니다만 w, 나보다 타케노우치 유타카 씨가 그저 연상입니다).덧붙여서, 나의 지금의 그녀, 살갗이 흼, 남동생의, 오씨(아내), 살갗이 흼입니다.


나의 아버지나 나도, (의식해 할 수 있는 것도 아닌 것인지도 알려지지 않습니다만), 이야기 소리는, 저음으로, 천천히 이야기하는 분입니다만, 그러한 말투는, 여성에게 사랑받는 것 같습니다 w(스스로 말하는 것도 무엇입니다만 w 덧붙여서, 나의 지금의 그녀도, 나의 소리와 말투도 좋아한다고 말해 주고 있습니다 w).나의 남동생의, 이야기 소리의 높이는, 높지도 않고 낮지도 않게 보통이라고 한 느낌입니다.



나의 남동생은 살갗이 흼으로, 나는 색흑의 죠몽계 집합의 진한 얼굴입니다.나와 남동생은, 키는, 대체로 같은 정도입니다만(덧붙여서, 체형은 남동생도 마름형의 체형입니다), 나의 남동생이, 나보다, 약간 키가 큽니다만(남동생의 신장은 178 cm에서 179 cm위), 스타일은, 제 쪽이, 남동생보다, 얼굴이 작고, 다리가 길고, 좋습니다(다만, 남동생도, 결코 스타일은 나쁘다고 하는 것이 아니고, 표준보다 좋다고 생각합니다).얼굴은, 옛부터, 우리 집의 부근의 친가의 나의 어머니는, 공공연하게는 말하지 않습니다만, 제 쪽이 남동생보다 이케멘이다고 평가하고 있는 w 

나는, 개구리 `노헤, 어머니보다, 아버지를 닮아 있어 나의 남동생은, 아버지와 어머니, 양쪽 모두를 닮아 있다고도 말할 수 있고, 아버지와 어머니, 어느 쪽에도 닮지 않다고 말할 수 있는 얼굴입니다.


나와 나의 어머니와의 관계는, 나의 어머니에게 있어서, 나는, 옛부터, 자신의 좋아하는 타입의 룩스(외모)가( 나는, 얼굴은, 어머니보다 아버지를 닮아 있습니다만, 나의 아버지와 어머니는, 아버지의 얼굴을 보고, 한 눈 반한 나의 어머니가, 아버지에 대해서, 맹렬하게 어프로치(유혹) 한, 열심인 연애 결혼입니다 w), 뭐든지, 마음 편하게 이야기할 수 있는, 기분이 맞는 남자 친구라고 한 느낌으로, 나의 어머니는, 옛부터, 자신의 연애이야기라도 뭐든지, 자신의 일은, 뭐든지, 모두 나에게 이야기해 와있는 w 이것에 대해서, 나의 어머니는, 나의 남동생에 대해서는, 옛부터, 태도를 구사해 와있다고 한 느낌으로, 남동생에 대해서는, 자신의 이야기를, 뭐든지 한다고 말하는 것이 아니고(남동생에 대해서는, 자신의, 여성인 면을 보이려고 하지 않고), 옛부터, 상대적으로, 모친의 얼굴을 하려고 해 와있는 느낌입니다.

나는 개인적으로 적지않은 여성 경험은 있어요가 w(끝나지 않습니다.나는 옛날은(젊은 무렵은), 왈이었습니다), 상술한 대로, 어머니 자신, 아무것도 생각하지 않다고 하는지, 어머니 자체가 체라체라 하고 있는 면이 있어, 사내 아이는, 있다 정도, 여`V응이다 분이 좋은·응석 하는 것이 좋은 정도에, 생각한 마디가 있어, 또, 이상한 이야기일지도 모릅니다만, 나의 어머니는, 나에 관해서, 자신이 반한 남성과의 사이에 낳은 자신의 아들( 나)의 여성 관계·여성 편력에 관해서, 옛부터, 반드시 싫지만은 않다고 생각해 온·자랑으로 생각해 온 것 같은 면도 있는 느끼기도 하는 w


나의 아버지는, 내가 어릴 적·젊은 무렵은, 전형적인, 사업인 사이·회사 인간이라고 한 느낌으로, 토, 일·축일이나 휴가 시기에, 아이( 나 및 남동생)를 적극적으로 놀아에 데려가거나·아이( 나 및 남동생)와 적극적으로 놀거나 하고, 아이( 나 및 남동생)의 추억 만들기에는, 가능한 한 협력하지만, 아이( 나 및 남동생)의 교육에 관해서는, 아내인 나의 어머니에게 모두 맡기고, 자신은( 나의 아버지는), 아이( 나 및 남동생)의 교육에 관해서, 모두, 관여하는 일은 없고, (아버지는, 나 및 나의 남동생이 어릴 적은, 아이( 나 및 남동생)의 일은 좋아하고, 함께 노는 것은 즐겁지만), 아이의 교육에 관해서는 귀찮기 때문에 아무것도 생각하지 않는다고 한 느낌의, 있다 의미, 육아에 관해서 자기중심적인 면이 있던 남성이었습니다.

아버지는, 내가 어릴 적·어릴 적, 나와 잘 놀아 주었습니다만, 아버지는, 나의 남동생에 관해서는, 장남인 나와 놀므로, 아이와 유?`야의 것은 질려 버렸다고 한 느낌도 있었던 w(상술한 대로, 나의 아버지는, 있다 의미, 육아에 관해서 자기중심적인 면이 있던 남성입니다).이것에 대해서, 남동생은, 어릴 적·어릴 적은, 응석꾸러기로(지금도, 나의 남동생은, 성격에 응석꾸러기인 면이 있다 님생각이 듭니다), 나의 어머니에게, 찰싹 말한 느낌으로, (남동생이, 어릴 적·어릴 적은), 나의 어머니에게, 잘 응석부리고 있어 어머니도, 남동생이, 어릴 적·어릴 적, 남동생에 대해서, 잘 응석부리게 하고, 상대적으로, 제대로 모친을 하고 있던 느낌입니다 w


어릴 적·어릴 적의, 나와 나의 남동생은, 나의 어머니에게 있어서, 마스코트·자랑의 애완동물(애완동물)과 같은 물건이었습니다 w 라고 말하면, 나나 남동생도, 어릴 적·어릴 적, 어른들로부터의, 귀여운·핸섬·귀여워서 핸섬이라고 한 느낌의, 아첨은 말해져 익숙해져 있었던 w 

나도 나의 남동생도, 아이 시대, 즐 영리한 아이로, 어머니의 앞에서, 예의범절이 좋은 애완동물(애완동물)을 연기하고 있는 한, 어머니에게 사랑받고, 어머니에게 응석부리고, 결과적으로, 자신들의 이득이 되는(자신들이 행복해진다)라고 하는 것을, 어릴 적부터, 본능적으로 알고 있다고 하는 느낌의 아이였습니다 w

또, 거기에 관련하고, 나도 나의 남동생도, 이렇게 스쳐?`호, 어른들에게, 귀여워해진다고 말하는 일을, 어릴 적부터, 본능적으로 알고 있다고 한 느낌의 아이로, (마치, 여성이 소악마 테크닉을 무의식적·의식적으로 사용하도록(듯이) w), 그러한 일을, 무의식적·의식적으로 실시하고 있었습니다.

상술한 대로, 어릴 적·어릴 적의, 나와 나의 남동생은, 나의 어머니에게 있어서, 마스코트·자랑의 애완동물(애완동물)과 같은 물건으로 w, 손님이 집에 왔을 때는, 많은 경우, 어머니에게, 1회는, 인사에 나왔습니다.

나도 나의 남동생도, 어릴 적·어릴 적, 손님에게 인사할 때, 무의식적·의식적으로, 수줍어하거나 하고 있었습니다만, 나도 나의 남동생도, 수줍어하는 것이, 어른에게 귀엽다고 생각되어 귀여워해진다고 말하는 것을, 어릴 적부터 본능적으로 알고 있던 때문이다고 생각하는 w

손님에게, 대충, 얼굴 좀 보여주어를 끝마친 다음은, 나의 어머니는, 각각의 방으로 돌아와 놀아 주세요라고 한 느낌의 일을 말하거나 그러한 흐름에 가지고 가거나 했습니다만, 나도 나의 남동생도, 장시간, 손님에게 붙임성을 계속 사용하는 것도 지치므로 w, 어머니가, 그러한 느낌의 일을 말하거나 그러한 흐름에 가지고 갔을 때는, 나도 나의 남동생도, 기뻐하고, 다시, 스스로의 방으로 돌아와, 장난감이나 게임에서 유응그리고 있었습니다.

나는, 어릴 적·어릴 적부터, 전철·자동차 그 외, 탈 것 전반에, 넓고 얕게 흥미가 있어요가, 남동생은, 어릴 적·어릴 적부터, 그러한 일은 없습니다(뭐, 남동생은, 텔레비젼 게임의 레이싱 게임에 관해서는, 어릴 적부터 대학생의 무렵, 나보다, 훨씬 더 열중해서 하고 있었습니다만 w).한편, 남동생은, 어릴 적·어릴 적은, 나보다 전대의·히어로의 것에 열중했습니다.

나는, 어릴 적, 박물관을 좋아하고, 도쿄 국립 과학박물관이나, 교통 박물관, 과학기술관에, 자주 갔던(어릴 때는, 부모에게 데려서 가 주었습니다만, 초등학교 4 학년무렵부터는, 같은 흥미를 가지는 친구(들)와 초등 학생만으로, 가는 것처럼 되었습니다.중학생이 되고 나서는, 거의 가지 않게 되었습니다만...).나는, 어릴 적, 공룡에, 매우 흥미가 있었으므로, 몫, 국립 과학박물관의, 공룡에 관한 전시는, 인상에 남아 있습니다(덧붙여서, 이전에는, 본관(현재의 일본관)의 1층의, 한 때의 현관을 들어가 우측이, 공룡에 관한 전시실이 되고 있었습니다).

아버지는 야구 관전을 좋아합니다만, 나는 야구는, 옛부터(어릴 적부터) 흥미는 없고, 아직, 남동생이 조금은 흥미가 있어요.또, 나는, 어릴 적, 당시 , 아버지가, 텔레비전으로 프로레슬링을 보는 것이, 매우 좋아함 관계로, 자주(잘) 텔레비전으로 프로레슬링을 보고 있었습니다만(덧붙여서, 중학생이 되는 무렵에는, 프로레슬링에 대한 흥미는, 거의 잃고 있었습니다), 남동생은, 프로레슬링에는, 거의 흥미를 나타내지 않았습니다.한편, 남동생은, 프로레슬링의 인기가 쇠퇴한 후의 격투기 붐의 격투기나 복싱은( 나는, 그것등에, 거의 흥미를 나타내지 않았습니다만), 텔레비전으로 열중해서 보고 있었습니다(덧붙여서, 아버지는, 옛부터, 프로레슬링의 인기가 쇠퇴한 후의 격투기 붐의 격투기나 복싱도, 텔레비전으로 보는 것을 좋아합니다).






사용하기 편리한 사진이므로, 나가 많은 투고로 사용해 돌려 버리고 있습니다만 w, 내가 어릴 적(초등 학생의 무렵)의 사진입니다(전에, 우리 집의 부근의 친가를 방문했을 때에, 나온, 낡은 사진중에서, 내가 비치고 있는 것의 일부를 받아 오고, 우리 집에 보관되어 있는 것중에서, 한 장).여름의 휴가 시기의 사진으로, 매우 햇볕에 그을리고 있습니다 w 좌측의 모자는, 나의 2세 연하의 남동생의 모자( 나는 형제 자매는 2세 연하의 남동생이 한 명 있습니다), 우측의 모자는, 나의 아버지의 모자로, 사진은, 나의 어머니가 촬영한 사진입니다.옷은, 여름의 휴가 시기이므로, 매우 캐쥬얼인 복장이 되어 있습니다(평상시, 초등학교에 다닐 때는, 좀 더, 멋을 부려서 갔던 w).어릴 적(초등 학생의 무렵)은, 여름의 휴가 시기는, 이와 같은 옷으로, 날아다니고 있었습니다. 덧붙여서, 나의 가족의 피부의 색은, 부(백), 모(흰색), 나의 남동생(흰색), 나만, (아마 나의 외가의 조부의 격세 유전으로) 어느 쪽일까하고 말하면 흑입니다(덧붙여서, 꼭 좋은 일입니다만, 가족 전원, 술꾼으로, 술에는 강합니다 w).비유가 이케멘 배우씨로 죄송합니다만 w, 나의 피부의 색은, 꼭, 타케노우치 유타카씨와 같은 정도의 느낌입니다(덧붙여서, 꼭 좋은 일입니다만 w, 나보다 타케노우치 유타카 씨가 그저 연상입니다).


위의 사진으로 보고 아는 대로, 나는, 어릴 적(초등 학생의 무렵)은, 조금, 환들로 하고 있었던(조금, 살쪄 있었습니다)(배는, 근육이 있어 꼭 죄이고 있었습니다만(상반신은, 꼭 죄이고 있었습니다만), 태퇴라든지).다만, 실은, (아마, 초등 학생의 무렵의, 여자 아이는, 상대적으로, 그렇게, 깊게 생각하지 말고, 사내 아이에게, 발렌타인데이(Valentine‘s Day)의, 초콜릿(chocolate)을 건네주어 버리는 년경이라고 말하는 것도 있고), 내가, 인생중에서, 발렌타인데이의, 초콜릿(의리 초콜릿이 아니고, 나를 위한( 나 전용의), 개별의 초콜릿)을, 제일, 많이 받고 있던 것은, 초등학교 중학년부터 초등학교 고학년의 무렵에 w, 발렌타인데이(Valentine‘sDay)의 시기에는, 부모에게, 농담으로, 자주(잘), 초콜릿(chocolate) 가게(초콜릿(chocolate) 점)을 여는 것이 좋다든가, 초콜릿(chocolate) 회사를 경영 할 수 있는 것은 아닌가 등과 조롱당하고 있었던 w

나는, 초콜릿을 포함한, 과자 전반은, 좋아합니다만, 초등 학생의 무렵의, 발렌타인데이 시기는, 초콜릿을 너무 받아서 , 초콜릿을 먹는데 질려 버려(초콜릿을 다 먹을 수 없어서), 초콜릿을 준 여자 아이들에게는, 큰 일 , 미안했습니다만, 조금씩 맛보기를 하고, 가족이나 남자의 친구들등에, (받은) 초콜릿을 주거나 하고 있었습니다.

나의 어머니는 마름의 대식(대식이라고 해도 표준보다 조금 많이 먹는 정도입니다만)의 체질(비교적 많이 먹어도 야위고 있는 체질)로(근처의 친가의 어머니는, 나이를 먹어도, 잘 먹는데 변함 없이 야위고 있습니다), 나도 나의 어머니로부터의 유전으로, 마름의 대식(역시 대식이라고 해도 표준보다 조금 많이 먹는 정도입니다만)의 체질(비교적 많이 먹어도 야위고 있는 체질)입니다만, 거기에 더하고, 나의 어머니는, 야위고는 있지만 근육질의 체질로(뭐, 어머니는, 자주(잘) 아버지와 공통의 취미의 고타 `울음 t에(아버지와) 둘이서 가고 있는 것 같고, 피트니스 클럽에도 다니고 있고, 생각보다는 자주(잘) 운동은 하고 있는 것입니다만, 그런데도, 연령에 비해 먹는 양을 생각하면, 마름의 대식 체질이라고 말하지 않을 수 없습니다 w), 나도, 어머니가 야위고 있지만, 근육질의 체질이라고 말하는지, (운동을 하지 않아도) 근육이 다해 쉬운 체질(덧붙여서, 나는, 평상시, 운동은, 거의 하고 있지 않습니다 w)을, 계승하고 있고, (뭐, 나의 경우, 고기를, 많이 먹고 있다고 하는 것도 있다 의 것인지도 알려지지 않습니다만 w), 나는, 세사내다움계의 체형입니다(피트니스나 짐에서 몸을 단련하고 있다고 하는 것에서는 전혀 없기 때문에(라고 말하는지, 평상시, 운동부족 기색), 세사내다움의 체형이 아니고, 어디까지나, 세사내다움계의 체형입니다만 w).

다만, 나는, 몸을 움직이는 일(운동)은, 기본적으로는, 그렇게, 좋아하지 않고, 어릴 적부터, 현재까지 계속하고 있는 스포츠는, 스키위 밖에 없습니다.덧붙여서, 부모님이 스키가 좋아라고 하는 것도 있어(그 영향으로 나는 스키는 어릴 적부터 하고 있어 자신있습니다), 홋카이도는, 어릴 적, 부모에게 니세코에 스키에 데려서 가서 받거나 하고, 현지(도쿄)로부터 멀어진 장소에 비해서는, 어릴 적부터 생각보다는 익숙한 것의 ?`수y지입니다만(니세코·후라노는 익숙한 것이 있다), 최근에는, 방문하고 있지 않습니다.

무엇보다, 어릴 적(초등 학생의 무렵)까지는, 남동생보다, 제 쪽이, 운동이라고 한 면에 관해서, 활발하고, 응석이었습니다 w

나는, 자신의 일을, 서투르고(다만, 에이치때는, 손가락은 손재주가 있게 움직이는 w), 운동신경은 없다고 생각합니다만, 순발력이나, 킥력, 펀치력이라고 말한 기초적인 운동 능력은 있다 님으로, 나는, 어릴 적(초등 학생의 무렵)까지는, 체육의 수업이나 운동회에서, 대활약하고 있었던 w

나는 고등학교의 무렵은 학교에서 자신의 신변에 이지메는 없었습니다만, 초등학교·중학교의 무렵은, 클래스에서 괴롭힘을 당하고 있는 아이를, 뭐시에는 폭력에 호소해 버리는 일도 있었습니다만, 집단 괴롭힘자로부터 돕는(해방 해 준다) 일은, 자신있었고, 자신의 신변에, 이지메를 받고 있는 아이가 있으면 놓치지 못하고에 따르고라고 왔습니다.

또, 나는, 젊은 무렵, 그 나름대로 위험한 것은 했습니다만, 다행스럽게 노상등에서, 사람에게 공격받을 것 같게 된 일은 없고, 나는 싸움에 관한, 무용전등은 전혀 없습니다만 w, 초등학교·중학·고등학교의 무렵은, 클래스에, 클래스의 남자들을 닫으려고 하는, 불쾌한 남자가 있던 경우는, 내가, 때리거나 의욕손을 물리거나 하면, 이후, 나에게는 간섭하지 않게 된 것입니다 w

운동에 관해서는, 나는, 상술한 대로, 순발력이나, 킥력, 펀치력이라고 말한 기초적인 운동 능력은 있다 님으로, 나는, 어릴 적(초등 학생의 무렵)까지는, 체육의 수업이나 운동회에서, 대활약하고 있었습니다만, 나는, 상술한 대로, 몸을 움직이는 일(운동)은, 기본적으로는, 그렇게, 좋아하지 않고, 나는, 중학·고등학교와 귀가부에서 만났으므로, 중학·고등학교의 무렵은, 체육의 수업이나, 운동회·체육제로, 평상시 열심히에 근련 트레이닝을 하고 있는 체육회계의 동아리에 소속하는 남자들에게는, 이길 수 없게 되었습니다.

뭐, 나의 남동생의 경우, 실제로 그랬다 (얌전하고 상냥한 좋은 아이였다)라고 하는 면도 있습니다만, 나도, 나의 남동생도, 부모의 앞, 학교의 선생님의 앞을 포함한, 어른의 앞에서는, 얌전한 좋은 아이를 연기하는 것이, 매우, 즐 영리하고 능숙했습니다.

나도, 나의 남동생도, 기본, 초등학교·중학교·고등학교를 통해서, 남녀노소를 불문하고, 모든, 학교의 선생님으로부터, 에코비희 되고 있었던 w( 나의 남동생에 대해서는, 추측이 들어가 버립니다만, 나의 남동생도, 아마, 나와 같았다고 생각합니다).

상술한 대로, 나도, 나의 남동생도 , 부모의 앞, 학교의 선생님의 앞을 포함한, 어른의 앞에서는, 얌전한 좋은 아이를 연기하는 것이, 매우, 즐 영리하고 능숙했습니다만, 나도, 나의 남동생도, 초등 학생으로부터 중학생의 무렵, 기본, 마세녀석인 일은 확실하고, 특정의 어른에 대해서는, 건방지게 송곳니를 향하는 일도 있었습니다( 나도, 나의 남동생도, 고등학교에서 대학으로 걸치고, 점점 온화하게 되어서 갔습니다만...).

나의 남동생은, 중학생때, 담임인, 남자의 선생님에게, 제복의 입는 방법이, 야무지지 못하면 주의받고, 남동생은, 그 입는 방법이, 근사하다고 생각해, 고의로 그 님제복의 입는 방법을 하고 있었습니다만, 그에 대하고, 남동생은, 이성을 잃고, 선생님에 대해서, 「누구에게도, 폐를 끼치지 않지 않습니까!」라고 강한 어조로 반발을 해, 그 제복의 입는 방법을, 고치지 않았다고 합니다.뭐, 나나 남동생도, 선생님의 가정 방문때는, 언제나, 댁의 자녀분은 무슨 문제도 없어요라고 한 느낌의, 선생님과 어머니의, 짧은 담소로 끝나 있던 느낌입니다만, 그 때의 일도, 그 님가정 방문 시에, 그 남동생의 담임의 선생님과 어머니와의 담소 중(안)에서의, 「댁의 자녀분은, 분명히 말을 할 때는 말하는군요」라고 한 느낌의 화제의 다루어지는 방법만으로 끝난 것 같습니다만 w

나의 아버지 쪽의 선조 어머니는, 이제(벌써) 100세 가까운 연령입니다만( 나는 성격에 대략적인 면이 있어, 아버지 쪽의 조모의 정확한 지금의 연령을 파악하고 있지 않습니다 w), 건강하게 장수 하고 있습니다만, 옛부터 머리의 회전이 빠르고, 유머가 있어 이야기가 매우 재미있습니다.나의 아버지 쪽의 백모도 옛부터 머리의 회전이 빠르게 내가 어릴 적부터, 매우 유머가 있어 이야기가 매우 재미있습니다(덧붙여서 나의 아버지는 그렇지도 않습니다).나도, 실제로 이야기가 재미있는지 어떤지는 놓아두고, 실생활에 대해 재미있는 이야기를 하고 사람을 웃기는 것을 좋아합니다만, 나의 성격의 그러한 면은 나의 아버지 쪽의 조모의 성격을 계승하고 있다고 생각합니다.

실은, 내가, 인생중에서, 사람을 웃기는 재능이, 가장 있던 것은, 내가 초등 학생의 무렵으로, 당시 , 내가, 실제, 어떤 일을 말하고, 클래스의 여자들을 웃기고 있었는지 잊었습니다만, 아이 상대의 아이의 개그입니다만, 나는 초등 학생의 무렵, 클래스의 여자들을, 정말로 잘 웃기고 있고, 당시 , 클래스의 여자들은, 모두, 쉬는 시간등에, 나를 둘러싸고, 빠짐없이, 나라고 이야기 하고 싶어했던 w

나는, 중학생 이후가 되면 쿨을 뽐내고 싶은 년경이 되고, 클래스의 여자들을 전원 상대 하는 것(웃기려고 하는 것) 일은 하지 않게 되었습니다만, 자분의 친구들이나 자신의 교제하고 있는 여자 아이·자신의 친밀한 여자 아이를, 계속해, 재미있는 일을 말해 웃기고 있었습니다(재미있는 일을 말해 웃기는 것을 좋아했습니다).

나는 이야기해(회화)가, 결코 능숙한 분은 아니라고 생각합니다만, 나는, 옛부터 실제로 이야기가 재미있는지 어떤지는 놓아두고, 실생활에 대하고, 재미있는 이야기를 하고, 사람을 웃기는 것을 좋아하고, (이것은, 상대가 남녀를 불문한 것입니다만), 나는, 웃음의 파장이 맞는 상대라고, 상대를 웃기는 것이 즐겁기 때문에 요설이 됩니다 w

덧붙여서, 나는, 초등 학생의 무렵, 본능적으로?, 클래스등의 특정의 여자 아이와 친하게 지내면, 인간 관계가 삐걱거릴지도 모른다고 알고 있던 느낌으로, 기본, 모든 여자 아이에게, 가능한 한 평등하게 접하도록(듯이) 하고 있었습니다만, 그런 중에도, 특히 친한 아이는, 있던 일은 있고, 그 님여자 아이는(특별히 친하게 지내는 여자 아이는), 본능적으로(자연스럽게), 친하게 지내도, 다른 여자들과의 인간 관계가 삐걱거리지 않는 듯한 여자 아이를 선택하고 있었습니다.

초등 학생의 무렵, 특히 친했던 동급생의 조금 마세여자 아이의 친구가, 교실에서, 혼다 미나코의 노래와 춤의 흉내를 내 「마릴린♪」은 하고 있었을 무렵에(덧붙여서, 그 여자 아이?`헤(그 여자 아이는, 미인씨였습니다), 현지의 같은 공립의 중학에 진학했습니다만, 중학에서는, 교내 여자 톱 클래스의 불량이 되었던 w), 나는, 본·죠비의 CD를 걸치면서, 거울에 자신을 비추고, 존·본·죠비의 노래 흉내를 내는, 한 명 본·죠비 놀이를 짜내, 집에서 하고 있었습니다(과연, 학교에서는 부끄럽기 때문에 하지 않았던 w).본·죠비 놀이는 중 2 정도까지 계속하고 있었습니다(이제 와서는, 빨간 얼굴의 추억입니다 w).

나는, 초등학교 고학년의 무렵, 클래스등의 마세(이렇게 말하는 것은 엄밀하게는 마세라고 말하는지 어떤지 모릅니다만 w) 여자들이, 스스로, 자신들의 스커트를 넘겨 자신들의 팬츠를 보이고, 그것을 보고 빨간 얼굴 한 나의 얼굴을 보고 즐긴다고 하는, 수치 플레이적인?w, 집단 괴롭힘일까 무엇인가를 받고 있었던 w 나는, 당시 , 아직 성욕에도 눈을 뜨지 않아서, 특별히 싫지도 않았지만, 기쁘지도 정말 없었습니다.덧붙여서, 그 수치 플레이적인?w, 집단 괴롭힘일까의 주모자의 여자 아이는, 전술한, 교실에서, 혼다 미나코의 노래와 춤의 흉내를 내 「마릴린♪」은 하고 있던, 특히 친했던 동급생의 조금 마세여자 아이입니다.

덧붙여서/`A 나는, 초등학교의 무렵은, 같은 초등학교에 다닌다, 같은 class의 여자 아이· 동학년의 여자 아이와 같은, 동년대의, 아이의 여자 아이들에게는 흥미는 보이지 않고, 당시 , 초등 학생의 무렵의 내가 보면, 충분히, 어른으로 보이는, 여성, 연예인인, 나카야마 미호(nakayama miho)라고 말하는, 여성, 아이돌(idol) 가수가, 좋아했습니다 w 고교생이 되면, 친밀한(자신의 주위의) 여성들에 열중해, 여성, 연예인 자체에, 그렇게, 흥미를 가지지 않게 되어, 기호의 여성의 타입도 변화했으므로, 점점, 나카야마 미호(nakayama miho)의 팬(fan)이 아니게 되어서 갔습니다만...


이하, 참고의 투고.

내가 중학생의 무렵의 J-pop의 히트곡·중학생의 무렵의 화외→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_5/view/id/3587782/page/5?&sfl=membername&stx=nnemon2
응무관 홈 페이지의 청춘 시추에이션이 w&곡(바로 위에서 링크를 붙인 투고의 관련 투고)→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_5/view/id/3586964/page/5?&sfl=membername&stx=nnemon2




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동영상은, 차용물.나카야마 미호(nakayama miho)-「WAKUWAKU 시켜」(1986년).당시 , 나는, 아직, 초등 학생이었습니다.



나의 어머니는, 아이( 나, 및, 나의 남동생)가, 어릴 적부터 고교생의 무렵, 아이( 나, 및, 나의 남동생)의 일을, 물질적이게는, 자기 마음대로, 감 태우게 해 또, 아이( 나, 및, 나의 남동생)의 공부에 관해서는, 완전히라고 말해 좋을 만큼, 관심이 없었습니다만, 어머니는, 두 명의 아들을 길러내기에 즈음하고, 이것만은이라고 하는 교육 방침이 있었습니다(가장, 어머니에게 있어서는, 혹시, 그것도 의도적인 교육 방침이라고 하는 것이 아니고, 어머니는, 거기에 붙어도, 아무것도 생각하지 않고 , 무의식적·본능적으로, 그렇게 해서 있었을지도 모릅니다).

나도, 나의 2세 연하의 남동생도, 조금, 과장인 말투를 하면, 보수적인 생각에 근거해, 여성을, 존경·존중해, 여성을 소중히 한다고 말하는 일에 관해서는, 어머니에게 철저하게 교육되었습니다.

나의 어머니는, 미하-로, 미인만 탐하는 사람의(핸섬한 남성을 좋아하는), 여성이었습니다.또, 나의 어머니는, 사랑에 눈먼 부모였습니다 w 나의 어머니는, 자신의 아들( 나와 나의 남동생.특히 나w)의 일을, 핸섬이라고 평가하고 있었습니다.

나의 어머니가, 내가 사춘기의 무렵에, 나에게, 잘 말한 말(또, 나의 남동생에게도, 나의 남동생이, 사춘기의 무렵에, 가끔, 말한 말)로, 인상에 남아 있는 말로, 아마 내면이나 마음가짐등에 관해서 말하고 있었다라고 생각합니다만, 「미남자(또는, 핸섬.어느 쪽인지 잊었다.뭐, 양쪽 모두 말했다고 생각합니다)는, 여성(또는, 여성들.아마 양쪽 모두 말했다고 생각합니다)의 미남자에 대한 기대에 응할 의무가 있다」라고 하는 말이 있어요 w

또, 나의 어머니는, 나와 나의 남동생이, 사춘기의 무렵에, 나와 나의 남동생에 대해서, 「미남자(또는, 핸섬)로 태어난 것은, 우연히 운이 좋았던 것 뿐으로, 뜻대로 되어 우쭐대어 안 된다」라고, 「운이 자주(잘) 미남자(또는, 핸섬)로 태어난 이상, 상응하는 사회적인 책임을 지지 않으면 안 된다」라고 한 느낌의 말도 말했던 w 웃어 버리는 말입니다만 w, 어머니는, 생각보다는 성실한 기분으로 아들들에게 타이르고 있는 느낌이었습니다.

어머니의 교육 방침은, 일견, 얕잡아 봐 라고, 실은 어려운 것이었을지도 모릅니다 w 나와 남동생에게, 「미남자(또는, 핸섬.어느 쪽인지 잊었다.뭐, 양쪽 모두 말했다고 생각합니다)는, 여성(또는, 여성들.아마 양쪽 모두 말했다고 생각합니다)의 미남자에 대한 기대에 응할 의무가 있다」라고 해 두면서, 어느 님?`노 하면, 여성(여성들)의 기대에 응할 수가 있는지는, 자신들로 생각해 실행해 주세요라고 한 느낌이었기 때문에입니다.여성의 기대에 응한다고 말하는 것은, 물론, 있다 정도, 공부를 할 수 있다든가, 여성의 기대에 응할 만한, 있다 정도의, 돈을, 일로 벌 수 있도록(듯이) 안 되면 안 된다고 하는 일도 포함하고 있다고 생각합니다.



나의 어머니는, 대학은 영미 문학과를 나와 있습니다만, 그것은 별로 관계가 없고, 양화를 아주 좋아했다고 말하는 것이 있다 의 것인지, 영어를 아주 좋아하고, 유학 경험은 없어도, 독학으로, 영어는, 옛부터 발음도 잘 유창하게 이야기할 수 있었고(지금도 괜찮겠지요(그렇게 영어는 잊지 않을 것입니다)), 아버지도, 유학 경험은 없습니다만, 일로 사용하는 관계로, 옛부터 영어는 할 수 있습니다(발음은, 별로 능숙하지는 않습니다가 w).


덧붙여서, 나의 가족이 나온 학교에 관해, 나의 아버지(대학에서 시골에서 도쿄로 나왔습니다)는, 대학까지 쭉 공립(대학은 국립), 나의 모, 나, 나의 남동생( 나의 2세 연하.외자계의 회사에 근무하는 회사원.이미 결혼을 해, 아직 2명 모두 어립니다만, 아이가 2명 있고, 아내·아이들과 함께 도쿄의 서부 교외의 정인가라고 침착한 주택지에 산 독립주택에 살고 있다)는, 고등학교까지 쭉 공립입니다.

나의 외가의 조모(이미 죽습니다)는, 시골의 유복한 지주의 집(전후는, 아마 농지 개혁에 의해 몰락했다)의 딸(아가씨)로, 현지의 사립의 미션계의 여학교를 졸업한 후, 도쿄의 A학원 대학에 진학했습니다.외가의 조모는, 여대생 시대, 조모의 친가(조모의 아버지)의, 삼베의 도쿄의 별택에 살아, 신변의 도움은, 고용의 가정부들에게 해 받고 있던 것 같습니다.

나의 외가의 조모는, 여학교에서는 캐나다인의 여성(였는지?)의 선생님에게 친하게 지내고 있고, 대학에서도, 외국인(아마 북미)의 선생님에게 접할 기회가 있었겠지요.낡은 사람에 비해서는, 조금 영어는 할 수 있었습니다(발음도 좋았던 w).

또, 과연 지금은, 그러한 일은 없을지도 모릅니다만, 여기만의 이야기(여기만의 이야기라고는 말하면서, 지금까지 kj로 써 와 버리고 있습니다만 w), 나의 어머니도, 나도, 나의 남동생도, A학원 대학만을 수험하는 일을 조건이라고 하면, 수험의 점수 안돼에 관계없이, 외가의 조모의 커넥션으로 A학원 대학에 가는 것이 가능했다고 하는, 즐 있어 현실도 있었던 w

덧붙여서, 어머니는, K대학에 가고 싶었기 때문에, 커넥션은 사용하지 않았습니다만, K초`부w를 떨어지고, 커넥션을 사용하지 않고 보통으로 수험해 합격한 A학원 대학의 영미 문학과에 진학했습니다.나는, 당시의 A학원 대학의 통학 환경에서 다른 대학이 좋았기 때문에, 커넥션을 사용하지 말고, A학원 대학도 합격했습니다만, 대체로 학력이 같은 정도의 제일 지망인 다른 사립 대학에 갔습니다.남동생은, 역시 커넥션을 사용하지 않고 수험하고, A학원 대학도 합격했습니다만, 제일 지망인 A학원 대학보다 학력이 높은 다른 사립 대학에 갔습니다.

이상의 일로부터 친가에서는, (내가 어릴 적, 그것을 읽고 있던 것은 아닙니다만), 영어의 잡지를 정기 구독하고 있거나 영문자 신문을 구독해 있거나, 어머니가 자주(잘) FEN의 음악 프로그램등을 듣거나 하고 있고, 어릴 적부터, 영어 자체에는, 익숙해지는 환경에 있어, 또, 귀국자녀라고 말할 수 있을수록의 기간이 아니고, 또, 사는 것보다도 체재하고 있었다고 한 표현이, 적격이다고 한 짧은 기간입니다만, 회사원의 아버지의 일의 관계로, 초등학교 저학년때의 약 2년간(당시 , 일본의 애니메이션등은 조모가 나를 위해 콩(물집)에 비디오에 녹화해 주었던 w), 중학 1년과 2년간의 약 1년간, 미국에 살고 있어(초등 학생의 무렵은 L.A., 중학의 무렵은, 샌프란시스코.휴일에, 현지에서 부모에게 여러가지 놀이에 데려서 가서 받거나 좋은(즐겁다) 추억으로서 남아 있습니다), 또, 대학생때, 미국의 대학에 1년간 유학하는 등 하고 있었습니다(덧붙여서, 남동생도, 대학생때, 미국의 대학에 1년간 유학했습니다만, 남동생은, 그 일에 관해서, 나의 영향을 받았습니다( 나의 흉내를 냈습니다)).따라서, 내가 이야기하는 영어는, 발음도 포함하고, 미국 영어입니다 w

덧붙여서, 나는, 중학·고등학교의 영어의 수업은 좋아했고, 공부도, 전혀 고통 스럽지 않았습니다.나는 고교시절(고교 1년때나 2년때인가 어느 쪽인지 잊는 것)에 1회의 수험으로 영검 준 1급을 취했습니다만, 영검 준 1급 이나 되면 기본적인 일상 회화 정도에서는 사용하지 않는 듯한 단어도 기억하지 않으면 안 됩니다만, 단어를 기억하는 것도 전혀 근심은 아니었습니다 해, 또, 당시 , 아직 푸르러서, 수업의 시간, 맞힐 수 있어 교과서를 낭독할 때, 발음이 좋아서, 근사한 어필을 할 수 있는 일도 쾌감으로 생각했던 w 덧붙여서, 과거에 교제하고 있던 여자 아이에게, (그 아이는 교제하기 전부터, 내가 외국인과 영어로 하거나 하는 것을 보고((듣)묻고) 있었습니다만), 교제한 후, 「00훈?`트, 전부터, 한자를 읽을 수 없는 사람인가라고 하는 인상을 마음대로 가지고 있었다」라고 말해진 일이 있어요 w


덧붙여서, 나의 지금의 그녀는, 내가, 영어를 하는 것을 듣는 것을 좋아하고, 또, 자주(잘), 영어 유래의 외래어(지명·회사명등을 포함한다)를, 영어의 발음으로 발음했으면 좋겠다고 나에게 조릅니다만, 나는, 귀찮아서, 거의 거의, 언제나, 그녀의 그 부탁은, 끊고 있어 w(스르 하고 있어 w), 일본어를 말할 때는, 영어 유래의 외래어(지명·회사명등을 포함한다)도, 보통으로 일본어의 발음으로 이야기하고 있습니다.


남동생의 이야기 후편(바로 아래에서 링크를 붙인 투고)에 계속 된다...

남동생의 이야기 후편→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3742373?&sfl=membername&stx=nnemon2



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