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7月の第4日曜日(以下、この日と書きます)に、前日に我が家に泊まった彼女と、この時、太田(oota)記念美術館(とても近場にある美術館です)で行われていた、ポール・ジャクレー(Paul Jacoulet)の作品の展覧会(exhibition)を見て来た時の物です。



彼女と泊りがけで、遊びに出掛けて来て、この前日(7月の第4土曜日)に、我が家に帰って来ました(前日の夕食は、遊びに出掛けて来た帰りの、新幹線(shinkansen)の中で、駅弁(ekiben)(鉄道旅行者の為の弁当(bento)(簡易な食事))で済ませました)。



この日は、前日に我が家に泊まった彼女と、夜更かしをし、朝寝坊をし、遅い朝食兼昼食を食べてから我が家を出ました。


ちなみに、この日の、遅い朝食兼昼食は、普段の朝食(パン、シリアル(cereal)、野菜サラダ(salad)、3種類程の果物、牛乳、ジュース(juice)、ヨーグルト(yoghurt))と同じ内容でした。




参考に、以下、「」内。私の前の投稿文より。。。

「私は休日を外で過ごす事は好きで、美味しい物を食べる事、自然の中を散歩する事、温泉に入浴する・温泉旅館等の温泉宿泊施設に宿泊する事、芸術や花を愛でる(鑑賞する)事等は、好きなのですが、本格的な登山やキャンプ等のアウトドアは好みません。

私は、交際する女性との趣味が合うか合わないかと言う事は、若い頃は気にしなかったのですが、成熟した大人になってからは、私と趣味が合う女性を好きになるプラス交際相手の女性が、私色に染まってw、私と趣味が合って来ると言う事を合わせて、私と趣味が合う女性と交際するようになりました。」



太田(oota)記念美術館は、原宿(harajyuku)・表参道(omotesando)areaにある、浮世絵(ukiyoe)(日本の伝統的な、大衆画・大衆版画)の専門の美術館です。


原宿(harajyuku)・表参道(omotesando)areaは、東京の大規模繁華街の中で、我が家(東京都心部の西部の静かで落ち着いた住宅地に位置します)に、最も近い繁華街の一つで、我が家の最寄り駅から、地下鉄で5分程の場所にあります(運賃178円)。

表参道(omotesando)は、原宿(harajyuku)area(東京都心部の主要な繁華街の一つ。渋谷(shibuya)区の中部の東端に位置する)と原宿(harajyuku)areaに隣接する青山(aoyama)area(東京の代表的な、高級商業地の一つ)を結ぶ、1.5km程の通りで(東京都心部の西部に位置する)、銀座(ginza)(東京都心部でも、中心的な地域に位置する)と共に、東京を代表する、shopping街(street)となっています(もっとも、銀座(ginza)には、歴史を格も、足元にも及びませんが。。。)。





写真以下4枚。表参道(omotesando)の風景例。































日本には、もちろん公営美術館も全国に、たくさんありますが、私営美術館も、全国たくさんあり、私営美術館の多くが、実業家等の金持ちが、個人の趣味で集めた美術品を、収蔵、公開する目的の物です。この様に、日本全国に、たくさんある私営美術館の多くが、実業家等の金持ちが、個人の趣味で集めた美術品を、収蔵、公開している物ですが、中には、中々、質の高い、美術品を、収蔵、公開している、私営美術館も、かなりあり、(入場料こそ取られるものの)、一般庶民もこうした収集品を見る事が出来て、公立の美術館・博物館以外でも、質の高い美術品に身近に接する機会が与えられていると言う点で、利益を受けています。太田(oota)記念美術館も、その様な、私営美術館の内の一つです。



太田(oota)記念美術館は、日本(及び、世界)有数の、浮世絵(ukiyoe)(日本の伝統的な、大衆(大衆向けの)版画・絵画)の、収集家(collector)であった、日本の生命保険会社の社長を務めていた、日本のビジネスマン(businessman)、太田 清蔵(oota seizou)(1893年生まれ。1977年に亡くなる)の、浮世絵(ukiyoe)の、コレクション(collection)を公開する為に、1980年に開館した、浮世絵(ukiyoe)専門の美術館です。




写真以下3枚。太田(oota)記念美術館の建物の一部。太田(oota)記念美術館は、小ぢんまりとした(小規模な)美術館ですが、土曜日・日曜日・祝日(国民の休日)でも、それ程混まずに(それ程、混雑せずに)、落ち着いて作品を鑑賞出来る、穴場と言った感じの美術館です。























前述の通り、この日は、この時、太田(oota)記念美術館で行われていた、ポール・ジャクレー(Paul Jacoulet)の作品の展覧会(exhibition)(以下、この展覧会(exhibition)と書きます)を見て来ました。

この展覧会(exhibition)は、私も彼女も、気になっていた展覧会(exhibition)です。

この展覧会(exhibition)、興味深く、良かったです(彼女も、良かったと言っていました)。


この時、この展覧会(exhibition)の会期の終了が迫っていましたが(私も、彼女も、出足が遅いw)、前述の通り、太田(oota)記念美術館は、穴場の美術館であるので、それ程混まずに(それ程、混雑せずに)、落ち着いて作品を鑑賞出来ました。




ポール・ジャクレー(Paul Jacoulet)は、3歳から(3歳の時に、父の仕事の関係で、日本を訪れた)、64歳で亡くなるまで、日本に暮らし、1934年頃から活躍した、フランス人の、新版画(shinhaga)の、版画家です。


参考に、Japonismeとは、19世紀中期から20世紀初頭にかけて(特に、19世紀の後半に)、フランスを中心とした、西洋の国々(ヨーロッパ及び北米)で、浮世絵(ukiyoe)(日本の伝統的な、大衆画・大衆版画)等の日本文化が流行すると共に、当時の(近代の)ヨーロッパを中心とした西洋の芸術・工芸に強い影響を与えた現象の事を言います。

以下、参考の投稿。

Japonisme他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_14/view/id/3593602/page/2?&sfl=membername&stx=nnemon2


新版画(shinhaga)とは、近代版の、浮世絵(ukiyoe)(日本の伝統的な、大衆画・大衆版画)である、版画です。

新版画(shinhaga)に関しては、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)を参照して下さい。

120年前の別荘跡他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3733506?&sfl=membername&stx=nnemon2




前述の通り、ポール・ジャクレー(Paul Jacoulet)(1896年生まれ。1960年に亡くなる)は、3歳から(3歳の時に、父の仕事の関係で、日本を訪れた)、64歳で亡くなるまで、日本に暮らし、1934年頃から活躍した、フランス人の、新版画(shinhaga)の、版画家です。



以下、「」内。ポール・ジャクレー(Paul Jacoulet)に関する説明は、基本的には(補足の説明を加えています)、wikiから抜粋して来た物です。

「1896年、パリ(Paris)に生まれる。1897年に、父親が、現在の一橋(hitotsubashi)大学(東京の国立大学の一つ。日本を代表する名門国立大学の一つ。1920年に大学となる。元々、東京都心にあったが、1927年に東京の西部郊外に移転)の前身の日本の国立の高等教育機関(1875年に創立。以下、一橋(hitotsubashi)大学と書きます)の、フランス語科講師として、日本に訪れ、日本で暮らすようになる。ポール・ジャクレー(Paul Jacoulet)は、その2年後の1899年、3歳の時に、母と共に日本に訪れ、両親と共に日本で暮らすようになる。日本文化を学び、日本語、書道(calligraphy)、音楽、ダンス(dance)等を習い、10代の前半から、一橋(hitotsubashi)大学で、父の同僚であり、一橋(hitotsubashi)大学で講師をしていた、黒田 清輝(kuroda seiki)(1866年生まれ。1924年に亡くなる。1890年代から活躍した、日本の有名な近代画家(西洋画家)。日本の初期の近代画(西洋画)を代表する画家の一人。美術教育者としても活躍)と久米 桂一郎(kume keiichirou)(日本の西洋画家。一橋(hitotsubashi)大学で教授をしていた)から、油絵(西洋画)を学ぶ。

1907年からは、浮世絵(ukiyoe)(日本の伝統的な、大衆画・大衆版画)の流れを汲む、池田 輝方(ikeda terukata)(1883年生まれ。1900年代から活躍した、日本の、浮世絵(ukiyoe)(日本の伝統的な、大衆画・大衆版画)画家・日本伝統画家。1921年に亡くなる。池田 蕉園(ikeda syouen)の夫)と池田 蕉園(ikeda syouen)(1886年生まれ。1900年代から活躍した、日本の、女性、浮世絵(ukiyoe)(日本の伝統的な、大衆画・大衆版画)画家・日本伝統画家。1917年に亡くなる)に、日本画(日本伝統画)を学ぶ(これが、ポール・ジャクレー(Paul Jacoulet)の、芸術家としての原点となる)。

油絵(西洋画)及び日本画(日本伝統画)を学んだ、ポール・ジャクレー(Paul Jacoulet)は、一時、フランスに帰国した後、再び、日本に戻り、浮世絵(ukiyoe)(日本の伝統的な、大衆画・大衆版画)に強く魅せられ、日本画(日本伝統画)に親しんだ。

1927年頃からは、水彩画を描くようになった。ポール・ジャクレー(Paul Jacoulet)は、1929年から1932年まで、毎年、療養目的で(ポール・ジャクレー(Paul Jacoulet)は、生まれつき病弱であった)、ミクロネシア(Micronesia)の島々等に滞在し、マリアナの島々(Mariana Islands)(サイパン島(Saipan)等。当時、日本の、委任統治領であった)、カロリン諸島(Caroline Islands)(当時、日本の、委任統治領であった)、スラウェシ島(Sulawesi) 、フィジー諸島(Fiji)等の、現地の人々を、水彩画として描いている(後に、版画化している)。

ポール・ジャクレー(Paul Jacoulet)の父が亡くなった後、ポール・ジャクレー(Paul Jacoulet)の母が、日本人の、医師(医者)と再婚し、韓国(当時は、日本の統治下にあった)のソウル(Seoul)に引っ越した事をきっかけに、ポール・ジャクレー(Paul Jacoulet)は、1930年頃から、5回、韓国を訪れて、滞在している。

ポール・ジャクレー(Paul Jacoulet)は、1931年より、木版画の制作を始め、1934年頃から、新版画(shinhaga)の、版画家として活躍するようになり、有名となる。

以降、ポール・ジャクレー(Paul Jacoulet)は、南方の島々(ミクロネシア(Micronesia)の島々等)だけでなく、韓国や中国にも、滞在し、韓国や中国の人々を描いた、新版画(shinhaga)も、多く制作する様になる。

ポール・ジャクレー(Paul Jacoulet)は、1942年に、技法上の贅を尽くした、5点連作の「中国宮殿風俗」を版行した後は、第二次世界大戦のために制作の中断を余儀なくされた。

1944年には、軽井沢(karuizawa)(下の補足説明を参照)に疎開(sokai)した。
軽井沢(karuizawa):長野(nagano)県(日本の中部地方に位置する県)の群馬(gunma)県(東京圏の北西端に位置する県)に接する辺りに位置する、避暑地・別荘地。東京圏周辺を代表する避暑地・別荘地の一つであると共に、日本を代表する避暑地・別荘地の一つ。
疎開(sokai):疎開(sokai)とは、戦争中、空襲の被害から逃れる為、空襲の被害を受け易い、大都市や中都市(中規模程度の人口の都市)の中心部を離れ、郊外や田舎に、一時的に滞在、若しくは、一時的に移り住む事で、第2次世界大戦中、空襲の被害が大きかった、日本とヨーロッパでは、盛んに、行われました。比較的裕福な層は、郊外や田舎に、家を購入して移り住んだり、(元々保有していた)郊外や田舎の別荘に滞在する事が可能でしたが、庶民は、(田舎から大都市に出て来ている場合等は)実家を頼るか、若しくは、親戚を頼るか、学校疎開(学校毎の疎開(sokai))に、子供を送るしかありませんでした  


ポール・ジャクレー(Paul Jacoulet)は、第二次世界大戦後も、軽井沢(karuizawa)に住み続けて、版画の制作を続けた。

第二次世界大戦後(日本の第二次世界大戦敗戦後)、日本駐留の、アメリカ軍関係者達が、ポール・ジャクレー(Paul Jacoulet)の作品を競って買い求めた。

ポール・ジャクレー(Paul Jacoulet)は、軽井沢(karuizawa)では、ジョージ6世(George VI )(イギリスの国王)とエリザベス2世(Elizabeth II)、ハリー・S・トルーマン(Harry S. Truman)、ダグラス・マッカーサー(Douglas MacArthur)、ウィンストン・チャーチル(Winston Churchill)等の為の新作を完成させるとともに、3万点にも及ぶ蝶のコレクション(collection)を所有していた。なお敬虔なクリスチャン(Christian・キリスト教徒)であったポール・ジャクレー(Paul Jacoulet)は、得た収入の多くを軽井沢(karuizawa)の教会や幼稚園に寄付していた。

1960年に軽井沢(karuizawa)で糖尿病により亡くなった。ポール・ジャクレー(Paul Jacoulet)の作品のコレクター(collector)には、ハリー・S・トルーマン(Harry S. Truman)、グレタ・ガルボ(Greta Garbo)、ピウス12世(Pope Pius XII)(第260代ローマ教皇)等もいた。」




前述の通り、ポール・ジャクレー(Paul Jacoulet)の父が亡くなった後、ポール・ジャクレー(Paul Jacoulet)の母が、日本人の、医師(医者)と再婚し、韓国(当時は、日本の統治下にあった)のソウル(Seoul)に引っ越した事をきっかけに、ポール・ジャクレー(Paul Jacoulet)は、1930年頃から、5回、韓国を訪れて、滞在しており、ポール・ジャクレー(Paul Jacoulet)は、1934年以降、韓国の人々を描いた、新版画(shinhaga)も、多く制作しています(前述の通り、ポール・ジャクレー(Paul Jacoulet)は、1931年より、木版画の制作を始め、1934年頃から、新版画(shinhaga)の、版画家として活躍するようになり、有名となりました)。

ちなみに、ポール・ジャクレー(Paul Jacoulet)が、1934年に、韓国から招いた、韓国人の助手は、以降、ポール・ジャクレー(Paul Jacoulet)が、1960年に、64歳で亡くなるまで、日本で、ポール・ジャクレー(Paul Jacoulet)の事を支え、ポール・ジャクレー(Paul Jacoulet)は、その韓国人の助手の長女を養女にしています(養女は、1970年に日本国籍を取得)。したがって、ポール・ジャクレー(Paul Jacoulet)は、韓国とも縁が深いです。ちなみに、ポール・ジャクレー(Paul Jacoulet)は、生涯独身で、実の子供はいませんでした。ポール・ジャクレー(Paul Jacoulet)の養女(横浜美術館に多くの、ポール・ジャクレー(Paul Jacoulet)の作品を寄贈した)は、2015年に、横浜美術館(下の補足説明を参照)の、元(かつて)主席学芸員であった、日本の女性(長年に渡る、ポール・ジャクレー(Paul Jacoulet)の研究と、日本とフランスの文化交流に貢献した実績が評価された)と共に、フランス政府から、芸術文化勲章(Ordre des Arts et des Lettres)、シュヴァリエ(Chevalier)を授与されています。
横浜美術館:横浜市(東京圏で、東京中心部(東京23区)に次いで、人口が多い都市。東京圏の南部に位置する)が運営する、美術関連施設の一つで、規模の大きな、公立の美術館です。





写真以下3枚。この展覧会(exhibition)の展示作品例。パンフレット(leaflet)及び、絵葉書より。。。全て、ポール・ジャクレー(Paul Jacoulet)の、新版画(shinhaga)の作品です。






「打ち明け話の相手」(1942年)。連作、「満州(Manchuria)宮廷の王女達」より。








左端。「貝を持つファララップ(ミクロネシア(Micronesia)にある島の一つ)の女」(1935年)。

上側。右から。。。「北風 韓国」(1953年)。「太平洋の神秘、南洋」(1951年)。「オロール島(カロリン諸島(Caroline Islands)にある島の一つ)の少年、東カロリン」(1940年)。

下側、右から。。。「オウム貝。ヤップ島(Yap)」(1958年)。「真珠 満州(Manchuria)」(1950年)。「清馨さん」(1935年)。






「花婿。ソウル(Seoul)」(1950年)。






写真以下6枚。おまけ。この時、太田(oota)記念美術館に置いてあった、パンフレット(leaflet)より。。。



写真以下4枚。8月1日から8月27日にかけて、太田(oota)記念美術館で行われていた、「歌川広重(utagawa hiroshige) 山と海を旅する」と言う、歌川広重(utagawa hiroshige)(下の補足説明を参照)の、山と海の、景勝地を描いた作品の展覧会(exhibition)のパンフレット(leaflet)。この展覧会(exhibition)は、見に行くつもりはなく、見に行きませんでした。
歌川広重(utagawa hiroshige):1797年生まれ。1858年に亡くなる。日本の、代表的な、浮世絵(ukiyoe)(日本の伝統的な、大衆(大衆向けの)版画・絵画)画家の一人。

































写真以下2枚。山種(yamatane)美術館(下の補足説明を参照)で、7月29日から9月24日まで行われていた、日本画(日本伝統画)の近代化及び「近代・現代の日本画(日本伝統画)の画家達は、如何に、伝統に向き合い、様々な、表現や技法を探求して来たのか」と言う事をテーマとした、近代・現代、日本画(日本伝統画)の、一流の画家達の作品の、総合的な、展覧会(exhibition)の、パンフレット(leaflet)。この展覧会(exhibition)は、見に行くつもりはなく、見に行きませんでした。

山種(yamatane)美術館:日本の、米の大手(大規模)卸売会社、山種(ヤマタネ。 yamatane)等の、オーナー(owner)で有った、日本の実業家、山崎 種二(yamazaki taneji)の個人コレクション(collection)を基礎にした、1966年に開館した、日本伝統画専門の私営美術館で、近代日本伝統画を中心とした、質の高い収蔵品(collection)を有しています。広尾(hiro)(渋谷(shibuya)区(東京都心部の西部に位置する区)の南部)に位置している。





1929年の作品。







右側の右、1934年の作品。右側の左、1907年の作品。

下、1915年の作品。

左側、上から、1987年の作品、1970年の作品、1944年の作品。





この日の夕食は、我が家に帰って来て、彼女と食べました。



ちなみに、この日の夕食時は、私は、飲み物は、お酒は、主に、赤ワイン(wine)を飲みました。

参考に、以下、「」内。私の前の投稿文より。。。

「私は、両親とも、酒に強くて酒飲みでw、遺伝により、酒は強いです(私は、酒が強く、酒をいくら飲んでも、顔色が、全く、変わらないタイプです)。酒は、基本、どんなに飲んでも酒に飲まれる事はありませんw  それは、ウイスキーをストレートでボトル1本を超えて、比較的短時間で飲めば、時間差で後から腰は抜けますが(学生の頃の話w)、どんなに飲んでも、性格は、普段よりも陽気で上機嫌になる位で、大きくは変わりません。

日本酒、ワイン、ウイスキー、ビール、焼酎なんでも行けますが、私は、お酒の飲み方は、本来的には、ウイスキーの様な、濃いお酒を、ロックで、チビリチビリと飲むのが好きです。

ちなみに、彼女は、お酒が弱いです。」




彼女と我が家で食べた、この日の夕食の、メイン(main)料理は、この日、帰りに、私の街のマートの一つで、我が家の最寄りの通勤電車・地下鉄駅に入っているマートで買って来た、ステーキ(beefsteak)肉を焼いて、ステーキ(beef steak)にしました(量よりも、質と言った感じで、山形(yamagata)牛(山形(yamagata)県(日本の東北地方の県の一つ。高品質な牛肉の、有名な産地の一つ)産の、高品質な牛肉(黒毛和牛(日本原産の高級牛肉))の、シンシン(shinshin)(内股の下にある、丸い形の肉の中心部分の肉)の、ステーキ(beefsteak)肉、1枚90g程を、2枚焼き、一人一枚ずつ食べました)。

ちなみに、この日の夕食時は、私も彼女も、ご飯(rice)・パンは、パンを食べました。





写真以下2枚。何れも、この日の夕食で、メイン(main)料理(ステーキ(beef steak))以外に食べた物の一つで、何れも、この日、帰りに、私の街のマートの一つで、我が家の最寄りの通勤電車・地下鉄駅に入っているマートで買って来た物です。





合鴨(鴨とアヒルの交配種の肉)のロース(loin)の、パストラミ(pastrami)。さっぱりと、そのまま食べるのと、温めて、こってりと柔らかく食べるのと、2種類の食べ方で食べました。何れも、食べ方も、美味しいです。







北海道(hokkaido)(日本の最北端の地方。乳製品を含む、良質な食材の、一大(主要な)産地となっている)の極、蟹クリームコロッケ。食べる際に、温め直してから食べました。






参考に、以下、「」内。私の前の投稿文より。。。ちなみに、この日の夕食時も、野菜サラダ(salad)(手作り)を食べました。

「我が家の、普段の、朝食又は(休みの日の)遅い朝食兼昼食は、パン、シリアル(cereal)、野菜サラダ(salad)、3種類程の果物、牛乳、ジュース(juice)、ヨーグルト(yogurt)と言った内容であり、又、我が家で、夕食を食べる時は、野菜サラダ(salad)を食べる事が、多い事から、我が家の、ドレッシング(dressing)の、需要は、大きいです。

我が家には、常時、概ね、3、4種類の(少なくとも3種類の)、ドレッシング(dressing)を買って使えるように用意しています(特に、どのドレッシング(dressing)とか決まっている訳ではありません)。」






参考に、以下、「」内。私の前の投稿文より。

「お茶は、我が家には、少なくとも、常時、紅茶、(少なくとも複数の種類の)ハーブティー(herbal tea)、緑茶を買い置いています。紅茶は、常時、少なくとも、数種類買い置いていますが、中でも、アールグレイ(Earl Grey tea)は、必ず、買い置いています(私も、彼女も、アールグレイ(Earl Grey tea)が、好きです)。」





これは、頂き物ですが、この日の夕食の、デザート(dessert)と共に飲んだ紅茶。TWG Tea(シンガポール(Singapore)の、高級、紅茶ブランド(brand))の、紅茶です。以下、「」内。この、紅茶製品の、説明。TWG Teaの、日本の公式siteより。。。

「まるで結婚を祝福するような華やかで甘い香りの紅茶です。パイナップルの甘くエキゾチックな香りに心が躍ります。

フルーツの甘い香りがお好きな方におすすめです。賑やかなティータイムにもぴったりのお茶です。原材料名:紅茶(スリランカ)、パイナップル、マリーゴールド。

100% コットン ティーバッグ:TWG Tea のお茶の味わいをしっかりとティーカップに表現できる、手縫いのコットンティーバッグ。」





写真以下。この日の夕食の、デザート(dessert)。彼女の、希望で、原宿(harajyuku)のケーキ(cake)店の一つ(以下、このケーキ(cake)店と書きます)で、この日、買って来た、カスタードプリン(crème caramel)とケーキ(cake)。何れも、彼女が、選んだ物で、何れも、2人で(彼女と)、分けて食べました。この店のケーキ(cake)等は、複雑な味のハーモニーを奏でると言った感じではなく、素直な味ですが、使っている素材は、何れも、質が高い感じで、普通に、美味しいです。


このケーキ(cake)店は、前から、彼女が、ちょっと気になっていた店で、5月の上旬に、前日に我が家に泊まった彼女と、その時、太田(oota)記念美術館で行われていた、猫の(猫を題材にした)浮世絵(ukiye)(日本の伝統的な、大衆(大衆向けの)版画・絵画)の、展覧会(exhibition)を見て来た帰りに、初めて利用しました(ケーキ(cake)を買って来ました)。

5月の上旬に、その時、太田(oota)記念美術館で行われていた、猫の(猫を題材にした)浮世絵(ukiye)(日本の伝統的な、大衆(大衆向けの)版画・絵画)の、展覧会(exhibition)を見て来た時の事と、その時、このケーキ(cake)店で買って来た、ケーキ(cake)に関しては、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)を参照して下さい。

太田記念美術館 猫の浮世絵展覧会他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3683862/page/4?&sfl=membername&stx=nnemon2



写真以下3枚。カスタードプリン(crème caramel)。熊は、チョコレート(chocolate)です。前述の通り、複雑な味のハーモニーを奏でると言った感じではなく、素直な味ですが、使っている素材は、何れも、質が高い感じで、普通に、美味しいです(彼女も、同様の感想です)。























写真以下。チョコレート(chocolate)ミント(mint)系の、ケーキ(cake)。熊は、チョコレート(chocolate)です。

チョコレート(chocolate)の熊の、目が吊り上がっていて、怒っているみたいで、彼女は、ちょっと残念がっていました。店員さんの責任ではありませんが(このケーキ(cake)店は、見本で置いてあるケーキ(cake)の中から、お客が選んだ種類のケーキ(cake)を、店員さんが、店の奥の冷蔵庫から出して来て、渡すと言う形式で、店員さんは、機械的に(何も考えずに・無意識に)、この種類のケーキ(cake)の内、店の冷蔵庫の一番手前にあった物を出して来ただけと思います)、ケーキ(cake)を作る時点で(ケーキ(cake)を作る人)が、もっと、しっかりとして欲しいです。ケーキ(cake)を、箱に入れる前に、店員さんは、このケーキ(cake)で宜しいでしょうか?(このケーキ(cake)でいいですか?)と、お客に確認しますが、他の人も、通常、そうだと思いますが、私も彼女も、選んだケーキ(cake)と違う種類のケーキ(cake)ではないかどうかと言う事を確認するだけで、ケーキ(cake)の、チョコレート(chocolate)の熊の、目が吊り上がっているかどうか等と言う細かい所までは、よく見て、確認していませんでした。彼女は、ちょっと残念と言う気持ちと、このハプニングを(チョコレート(chocolate)の熊の、目が吊り上がっていて、怒っているみたいだったと言う事をw)楽しむ気持ちと半々と言った感じのようでした。

もちろん、このケーキ(cake)店の、ケーキ(cake)等の、チョコレート(chocolate)の熊は、皆、この様に、目が吊り上がっていると言う訳では、全くなく、5月の上旬に、太田(oota)記念美術館で、展覧会(exhibition)を見て来た帰りに、このケーキ(cake)店で買って来た、ケーキ(cake)(彼女が選んだ物。上でもリンクを付けましたが、すぐ下でリンクを付けた投稿を参照して下さい)の、ケーキ(cake)のチョコレート(chocolate)の熊は、目が吊り上がっておらず、穏やかな顔をしていました。

太田記念美術館 猫の浮世絵展覧会他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3683862/page/4?&sfl=membername&stx=nnemon2



ちなみに、彼女は、この店の、ケーキ(cake)等について、味も含めて、納得と言った感じで、この店は、もう利用しなくてもいいかなと話していますw

















この日も、彼女は、我が家に泊まりました。





以下、比較的最近の投稿(我が家での食事の話を含む投稿を中心に)。

バターナッツ南瓜(butternut squash)の歴史他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3735874?&sfl=membername&stx=nnemon2
目黒の秋刀魚(落語(日本の伝統的な話芸))・鬼瓦焼き他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3735529?&sfl=membername&stx=nnemon2
Dalloyau(フランスの340年以上の歴史を有する菓子・食品会社)他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3735150?&sfl=membername&stx=nnemon2
100年近く前に建てられた銀行の建物他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3732616?&sfl=membername&stx=nnemon2   
ビリヤニ(南アジア・東南アジアの伝統料理)他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3732615?&sfl=membername&stx=nnemon2
倉敷の110年以上の歴史を有する食品会社他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_14/view/id/3730714/page/2?&sfl=membername&stx=nnemon2
生人形(日本の伝統的な人形)・松濤美術館他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3730709?&sfl=membername&stx=nnemon2
冨士三十六景 駿河三保之松原他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3724120/page/2?&sfl=membername&stx=nnemon2
油揚げ(日本の伝統的な食品)他色々→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3722446/page/3?&sfl=membername&stx=nnemon2
竜田揚げ(日本の伝統的な揚げ物料理)他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3721278/page/3?&sfl=membername&stx=nnemon2  
薩摩揚げ(鹿児島県の伝統料理)・黒玉(山梨県の伝統菓子)他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3718863/page/3?&sfl=membername&stx=nnemon2

 


오오타 기념 미술관 Paul Jacoulet전외






7월의 제4 일요일(이하, 이 날이라고 씁니다)에, 전날에 우리 집에 묵은 그녀와 이 때, 오오타(oota) 기념 미술관(매우 근처에 있는 미술관입니다)에서 행해지고 있던, 폴·쟈크레이(Paul Jacoulet)의 작품의 전람회(exhibition)를 보고 왔을 때의 물건입니다.



그녀와 숙박으로, 놀러 나와 걸어 오고, 일전에일(7월의 제4 토요일)에, 우리 집에 돌아왔던(전날의 저녁 식사는, 놀러 나와 걸어 온 귀가의, 신간선(shinkansen) 중(안)에서, 역에서 파는 도시락(ekiben)(철도 여행자를 위한 도시락(bento)(간단하고 쉬운 식사))로 끝마쳤습니다).



이 날은, 전날에 우리 집에 묵은 그녀와 밤샘을 해, 늦잠을 자, 늦은 아침 식사겸점심 식사를 먹고 나서 우리 집을 나왔습니다.


덧붙여서, 이 날의, 늦은 아침 식사겸점심 식사는, 평상시의 아침 식사(빵, 시리얼(cereal), 야채 사라다(salad), 3 종류정도의 과일, 우유, 쥬스(juice), 요구르트(yoghurt))와 같은 내용이었습니다.




참고에, 이하, 「」 안.나의 앞의 투고문보다...

「 나는 휴일을 밖에서 보내는 일은 좋아하고, 맛있는 것을 먹는 일, 자연속을 산책하는 일, 온천에 입욕하는·온천 여관등의 온천 숙박시설에 숙박하는 일, 예술이나 꽃을 사랑 나오는(감상한다) 일등은, 좋아합니다만, 본격적인 등산이나 캠프등의 아웃도어는 좋아하지 않습니다.

나는, 교제하는 여성과의 취미가 맞을까 맞는거야 있어일까하고 하는 일은, 젊은 무렵은 신경쓰지 않았습니다만, 성숙한 어른이 되고 나서는, 나와 취미가 맞는 여성을 좋아하게 되는 플러스 교제 상대의 여성이, 나색에 물들어 w, 나와 취미가 맞아 온다고 하는 일을 맞추고, 나와 취미가 맞는 여성과 교제하게 되었습니다.」



오오타(oota) 기념 미술관은, 하라쥬쿠(harajyuku)·오모테산도(omotesando) area에 있는, 강호시대의 풍속화(ukiyoe)(일본의 전통적인, 대중화·대중 판화)의 전문의 미술관입니다.


하라쥬쿠(harajyuku)·오모테산도(omotesando) area는, 도쿄의 대규모 번화가안에서, 우리 집(도쿄도심부의 서부의 조용하고 침착한 주택지에 위치합니다)에, 가장 가까운 번화가의 하나로, 우리 집의 근처역으로부터, 지하철로 5분 정도의 장소에 있습니다(운임 178엔).

오모테산도(omotesando)는, 하라쥬쿠(harajyuku) area(도쿄도심부의 주요한 번화가의 하나.시부야(shibuya) 구의 중부의 동단에 위치한다)와 하라쥬쿠(harajyuku) area에 인접하는 아오야마(aoyama) area(도쿄의 대표적인, 고급 상업지의 하나)를 묶는, 1.5 km 정도대로로(도쿄도심부의 서부에 위치한다), 긴자(ginza)(도쿄도심부에서도, 중심적인 지역에 위치한다)와 함께, 도쿄를 대표하는, shopping거리(street)가 되고 있습니다(가장, 긴자(ginza)에는, 역사를 격도, 발밑에도 미치지 않습니다만...).





사진 이하 4매.오모테산도(omotesando)의 풍경예.































일본에는, 물론 공영 미술관도 전국에, 많이 있어요가, 사영 미술관도, 전국 많이 있어, 사영 미술관의 대부분이, 실업가등의 부자가, 개인의 취미로 모은 미술품을, 수장, 공개하는 목적의 물건입니다.이와 같게, 일본 전국에, 많이 있다 사영 미술관의 대부분이, 실업가등의 부자가, 개인의 취미로 모은 미술품을, 수장, 공개하고 있는 것입니다만, 안에는, 꽤, 질 높은, 미술품을, 수장, 공개하고 있는, 사영 미술관도, 꽤 있어, (입장료야말로 놓치지만), 일반 서민도 이러한 수집품을 보는 것이 되어있어 공립의 미술관·박물관 이외에도, 질 높은 미술품에 가까이에 접할 기회가 주어지고 있다고 하는 점으로, 이익을 받고 있습니다.오오타(oota) 기념 미술관도, 그 님, 사영 미술관 중의 하나입니다.



오오타(oota) 기념 미술관은, 일본(및, 세계) 유수한, 강호시대의 풍속화(ukiyoe)(일본의 전통적인, 대중(대중용의) 판화·회화)의, 수집가(collector)인, 일본의 생명보험 회사의 사장을 맡고 있던, 일본의 비지니스맨(businessman), 오오타 세이조(oota seizou)(1893 년생.1977년에 죽는다)의, 강호시대의 풍속화(ukiyoe)의, 콜렉션(collection)을 공개하기 위해, 1980년에 개관한, 강호시대의 풍속화(ukiyoe) 전문의 미술관입니다.




사진 이하 3매.오오타(oota) 기념 미술관의 건물의 일부.오오타(oota) 기념 미술관은, 소로 한(소규모의) 미술관입니다만, 토요일·일요일·축일(국민의 휴일)이라도, 그렇게 혼잡하지 않고 (그렇게, 혼잡하지 않고 ), 침착해 작품을 감상 할 수 있는, 명당이라고 한 느낌의 미술관입니다.























상술한 대로, 이 날은, 이 때, 오오타(oota) 기념 미술관에서 행해지고 있던, 폴·쟈크레이(Paul Jacoulet)의 작품의 전람회(exhibition)(이하, 이 전람회(exhibition)와 씁니다)를 보고 왔습니다.

이 전람회(exhibition)는, 나나 그녀도, 신경이 쓰이고 있던 전람회(exhibition)입니다.

이 전람회(exhibition), 흥미롭고, 좋았습니다(그녀도, 좋았다고 말했습니다).


이 때, 이 전람회(exhibition)의 회기의 종료가 다가오고 있었습니다만( 나도, 그녀도, 출발이 늦은 w), 상술한 대로, 오오타(oota) 기념 미술관은, 명당의 미술관이므로, 그렇게 혼잡하지 않고 (그렇게, 혼잡하지 않고 ), 침착해 작품을 감상 할 수 있었습니다.




폴·쟈크레이(PaulJacoulet)는, 3세부터(3세 때에, 아버지의 일의 관계로, 일본을 방문한), 64세에 돌아가실 때까지, 일본에 살아, 1934년경부터 활약한, 프랑스인의, 신판화(shinhaga)의, 판화가입니다.


참고에, Japonisme란, 19 세기 중기부터 20 세기 초두에 걸치고(특히, 19 세기의 후반에), 프랑스를 중심으로 한, 서양의 나라들(유럽 및 북미)에서, 강호시대의 풍속화(ukiyoe)(일본의 전통적인, 대중화·대중 판화) 등의 일본 문화가 유행 함과 동시에, 당시의(근대의) 유럽을 중심으로 한 서양의 예술·공예에 강한 영향을 준 현상의 일을 말합니다.

이하, 참고의 투고.

Japonisme외→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_14/view/id/3593602/page/2?&sfl=membername&stx=nnemon2


신판화(shinhaga)란, 근대판의, 강호시대의 풍속화(ukiyoe)(일본의 전통적인, 대중화·대중 판화)인, 판화입니다.

신판화(shinhaga)에 관해서는, 이하의 투고(바로 아래에서 링크를 붙인 투고)를 참조해 주세요.

120년전의 별장적외→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3733506?&sfl=membername&stx=nnemon2




상술한 대로, 폴·쟈크레이(Paul Jacoulet)(1896 년생.1960년에 죽는다)는, 3세부터(3세 때에, 아버지의 일의 관계로, 일본을 방문한), 64세에 돌아가실 때까지, 일본에 살아, 1934년경부터 활약한, 프랑스인의, 신판화(shinhaga)의, 판화가입니다.



이하, 「」 안.폴·쟈크레이(Paul Jacoulet)에 관한 설명은, 기본적으로는(보충의 설명을 더하고 있습니다), wiki로부터 발췌해 온 것입니다.

「1896년, 파리(Paris)로 태어난다.1897년에, 부친이, 현재의 이치하시(hitotsubashi) 대학(도쿄의 국립대학의 하나.일본을 대표하는 명문 국립대학의 하나.1920년에 대학이 된다.원래, 도쿄도심에 있었지만, 1927년에 도쿄의 서부 교외에 이전)의 전신의 일본의 국립의 고등교육 기관(1875년에 창립.이하, 이치하시(hitotsubashi) 대학으로 씁니다)의, 프랑스어과강사로서 일본에 방문하고 일본에서 살게 된다.폴·쟈크레이(Paul Jacoulet)는, 그 2년 후의 1899년, 3세 때에, 어머니와 함께 일본에 방문해 부모님과 함께 일본에서 살게 된다.일본 문화를 배워, 일본어, 서도(calligraphy), 음악, 댄스(dance) 등을 배워, 10대의 전반부터, 이치하시(hitotsubashi) 대학에서, 아버지의 동료이며, 이치하시(hitotsubashi) 대학에서 강사를 하고 있던, 쿠로다 키요테루(kuroda seiki)(1866 년생.1924년에 죽는다.1890년대부터 활약한, 일본의 유명한 근대 화가(서양화가).일본의 초기의 근대화(서양화)를 대표하는 화가의 한 명.미술 교육자로서도 활약)과 쿠메 케이이치로우(kume keiichirou)(일본의 서양화가.이치하시(hitotsubashi) 대학에서 교수를 하고 있었다)로부터, 유화(서양화)를 배운다.

1907년부터는, 강호시대의 풍속화(ukiyoe)(일본의 전통적인, 대중화·대중 판화)가 유파를 이어받는, 이케다 휘방(ikeda terukata)(1883 년생.1900년대부터 활약한, 일본의, 강호시대의 풍속화(ukiyoe)(일본의 전통적인, 대중화·대중 판화) 화가·일본 전통 화가.1921년에 죽는다.이케다 초원(ikeda syouen)의 남편)과 이케다초원(ikeda syouen)(1886 년생.1900년대부터 활약한, 일본의, 여성, 강호시대의 풍속화(ukiyoe)(일본의 전통적인, 대중화·대중 판화) 화가·일본 전통 화가.1917년에 죽는다)에, 일본화(일본 전통화)를 배운다(이것이, 폴·쟈크레이(Paul Jacoulet)의, 예술가로서의 원점이 된다).

유화(서양화) 및 일본화(일본 전통화)를 배운, 폴·쟈크레이(Paul Jacoulet)는, 한때, 프랑스에 귀국한 후, 다시, 일본으로 돌아와, 강호시대의 풍속화(ukiyoe)(일본의 전통적인, 대중화·대중 판화)에 강하게 매료되고 일본화(일본 전통화)를 즐겼다.

1927년경부터는, 수채화를 그리게 되었다.폴·쟈크레이(Paul Jacoulet)는, 1929년부터 1932년까지, 매년, 요양 목적으로(폴·쟈크레이(Paul Jacoulet)는, 선천적으로 병약함 ), 미크로네시아(Micronesia)의 섬들등에 체재해, 마리아나의 섬들(Mariana Islands)(사이판섬(Saipan) 등.당시 , 일본의, 위임통치령인), 카롤린 제도(Caroline Islands)(당시 , 일본의, 위임통치령인), 스라웨시섬(Sulawesi) , 피지 제도(Fiji) 등의, 현지의 사람들을, 수채화로서 그리고 있다( 후에, 판화화하고 있다).

폴·쟈크레이(Paul Jacoulet)의 아버지가 돌아가신 후, 폴·쟈크레이(Paul Jacoulet)의 어머니가, 일본인의, 의사(의사)와 재혼해, 한국(당시는, 일본의 통치하에 있었다)의 서울(Seoul)로 이사한 일을 계기로, 폴·쟈크레이(Paul Jacoulet)는, 1930년경부터, 5회, 한국을 방문하고, 체재하고 있다.

폴·쟈크레이(Paul Jacoulet)는, 1931년부터, 목판화의 제작을 시작해 1934년경부터, 신판화(shinhaga)의, 판화가로서 활약하게 되어, 유명이 된다.

이후, 폴·쟈크레이(Paul Jacoulet)는, 남방의 섬들(미크로네시아(Micronesia)의 섬들등 ) 뿐만이 아니라, 한국이나 중국에도, 체재해, 한국이나 중국의 사람들을 그린, 신판화(shinhaga)도, 많이 제작하는 것처럼 된다.

폴·쟈크레이(PaulJacoulet)는, 1942년에, 기법상의 취를 다한, 5점 연작의 「중국 궁전 풍속」을 출판 한 다음은, 제이차 세계대전을 위해서 제작의 중단을 피할 수 없게 되었다.

1944년에는, 카루이자와(karuizawa)(아래의 보충 설명을 참조)에 피난(sokai) 했다.
카루이자와(karuizawa):나가노(nagano) 현(일본의 중부 지방에 위치하는 현)의 군마(gunma) 현(동경권의 북서단에 위치하는 현)에 접하는 근처에 위치하는, 피서지·별장지.동경권 주변을 대표하는 피서지·별장지의 하나임과 동시에, 일본을 대표하는 피서지·별장지의 하나.
피난(sokai):피난(sokai)이란, 전쟁중, 공습의 피해로부터 피하기 때문에(위해), 공습의 피해를 받아 쉬운, 대도시나 안도시(중 규모 정도의 인구의 도시)의 중심부를 떠나 교외나 시골에, 일시적으로 체재, 혹은, 일시적으로 이주하는 일로, 제2차 세계대전중, 공습의 피해가 컸다, 일본과 유럽에서는, 활발히, 행해졌습니다.비교적 유복한 층은, 교외나 시골에, 집을 구입해 이주하거나(원래 보유하고 있던) 교외나 시골의 별장에 체재하는 것이 가능했습니다만, 서민은, (시골에서 대도시로 나와 있는 경우등은) 친가를 의지하는지, 혹은, 친척을 의지하는지, 학교 피난(학교 마다의 피난(sokai) )에, 아이를 보낼 수 밖에 없었습니다  


폴·쟈크레이(Paul Jacoulet)는, 제이차 세계대전 후도, 카루이자와(karuizawa)에 계속 살고 , 판화의 제작을 계속했다.

제이차 세계대전 후(일본의 제이차 세계대전 패전 후), 일본 주둔의, 미군 관계자들이, 폴·쟈크레이(Paul Jacoulet)의 작품을 겨루어 입수했다.

폴·쟈크레이(Paul Jacoulet)는, 카루이자와(karuizawa)에서는, 죠지 6세(George VI )(영국의 국왕)와 엘리자베스 2세(Elizabeth II), 하리·S·트르만(Harry S. Truman), 더글라스·막카서(Douglas MacArthur), 윈스턴·처칠(Winston Churchill) 등을 위한 신작을 완성시키는 것과 동시에, 3만점에 달하는 나비의 콜렉션(collection)을 소유하고 있었다.더욱 경건한 크리스챤(Christian·크리스트교도)인 폴·쟈크레이(Paul Jacoulet)는, 얻은 수입의 대부분을 카루이자와(karuizawa)의 교회나 유치원에 기부하고 있었다.

1960년에 카루이자와(karuizawa)에서 당뇨병에 의해 죽었다.폴·쟈크레이(Paul Jacoulet)의 작품의 컬렉터(collector)에는, 하리·S·트르만(Harry S. Truman), 그레타·가르보(Greta Garbo), 피우스 12세(Pope Pius XII)( 제260대 로마 교황) 등도 있었다.」




상술한 대로, 폴·쟈크레이(Paul Jacoulet)의 아버지가 돌아가신 후, 폴·쟈크레이(Paul Jacoulet)의 어머니가, 일본인의, 의사(의사)와 재혼해, 한국(당시는, 일본의 통치하에 있었다)의 서울(Seoul)로 이사한 일을 계기로, 폴·쟈크레이(Paul Jacoulet)는, 1930년경부터, 5회, 한국을 방문하고, 체재하고 있어, 폴·쟈크레이(Paul Jacoulet)는, 1934년 이후, 한국의 사람들을 그린, 신판화(shinhaga)도, 많이 제작하고 있습니다(상술한 대로, 폴·쟈크레이(Paul Jacoulet)는, 1931년부터, 목판화의 제작을 시작해 1934년경부터, 신판화(shinhaga)의, 판화가로서 활약하게 되어, 유명이 되었습니다).

덧붙여서, 폴·쟈크레이(Paul Jacoulet)가, 1934년에, 한국에서 초대한, 한국인의 조수는, 이후, 폴·쟈크레이(Paul Jacoulet)가, 1960년에, 64세에 돌아가실 때까지, 일본에서, 폴·쟈크레이(Paul Jacoulet)의 일을 지지해 폴·쟈크레이(Paul Jacoulet)는, 그 한국인의 조수의 장녀를 양녀로 하고 있습니다(양녀는, 1970년에 일본국적을 취득).따라서, 폴·쟈크레이(Paul Jacoulet)는, 한국과도 가장자리가 깊습니다.덧붙여서, 폴·쟈크레이(Paul Jacoulet)는, 생애 독신으로, 진짜의 아이는 없었습니다.폴·쟈크레이(Paul Jacoulet)의 양녀(요코하마 미술관에 많은, 폴·쟈크레이(Paul Jacoulet)의 작품을 기증했다)는, 2015년에, 요코하마 미술관(아래의 보충 설명을 참조)의, 전 (일찌기) 주석 학예원인, 일본의 여성(오랜 세월에 걸치는, 폴·쟈크레이(Paul Jacoulet)의 연구와 일본과 프랑스의 문화 교류에 공헌한 실적이 평가되었다)와 함께, 프랑스 정부로부터, 예술 문화 훈장(Ordre des Arts et des Lettres), 슈바리에(Chevalier)가 수여되고 있습니다.
요코하마 미술관:요코하마시(동경권으로, 도쿄 중심부(도쿄 23구)에 이어, 인구가 많은 도시.동경권의 남부에 위치한다)가 운영하는, 미술 관련 시설의 하나로, 규모의 큰, 공립의 미술관입니다.





사진 이하 3매.이 전람회(exhibition)의 전시 작품예.팜플렛(leaflet) 및, 그림 엽서보다...모두, 폴·쟈크레이(Paul Jacoulet)의, 신판화(shinhaga)의 작품입니다.






「고백 이야기의 상대」(1942년).연작, 「만주(Manchuria) 궁정의 왕녀들」보다.








좌단.「조개를 가지는 파라랍(미크로네시아(Micronesia)에 있는 섬의 한 살)의 여자」(1935년).

위쪽.오른쪽에서...「북풍 한국」(1953년).「태평양의 신비, 남양」(1951년).「오로르섬(카롤린 제도(Caroline Islands)에 있는 섬의 한 살)의 소년, 동쪽 Caroline」(1940년).

아래 쪽, 오른쪽에서...「오움(진리교)조개.얍섬(Yap)」(1958년).「진주 만주(Manchuria)」(1950년).「청형씨」(1935년).






「신랑.서울(Seoul)」(1950년).






사진 이하 6매.덤.이 때, 오오타(oota) 기념 미술관에 놓여져 있던, 팜플렛(leaflet)보다...



사진 이하 4매.8월 1일부터 8월 27일에 걸치고, 오오타(oota) 기념 미술관에서 행해지고 있던, 「두타가와 히로시게(utagawa hiroshige) 산과 바다를 여행한다」라고 하는, 두타가와 히로시게(utagawa hiroshige)(아래의 보충 설명을 참조)의, 산과 바다의, 경승지를 그린 작품의 전람회(exhibition)의 팜플렛(leaflet).이 전람회(exhibition)는, 보러 갈 생각은 없고, 보러 가지 않았습니다.
두타가와 히로시게(utagawa hiroshige):1797 년생.1858년에 죽는다.일본의, 대표적인, 강호시대의 풍속화(ukiyoe)(일본의 전통적인, 대중(대중용의) 판화·회화) 화가의 한 명.

































사진 이하 2매.산종(yamatane) 미술관(아래의 보충 설명을 참조)에서, 7월 29일부터 9월 24일까지 행해지고 있던, 일본화(일본 전통화)의 근대화 및 「근대·현대의 일본화(일본 전통화)의 화가들은, 여하에, 전통에 마주봐, 님 들인, 표현이나 기법을 탐구해 왔는가」라고 하는 일을 테마로 한, 근대·현대, 일본화(일본 전통화)의, 일류의 화가들의 작품의, 종합적인, 전람회(exhibition)의, 팜플렛(leaflet).이 전람회(exhibition)는, 보러 갈 생각은 없고, 보러 가지 않았습니다.

산종(yamatane) 미술관:일본의, 미의 대기업(대규모) 도매 회사, 산종(야마타네. yamatane) 등의, 오너(owner)로 있던, 일본의 실업가, 야마자키 다네지(yamazaki taneji)의 개인 콜렉션(collection)을 기초로 한, 1966년에 개관한, 일본 전통화 전문의 사영 미술관에서, 근대 일본 전통화를 중심으로 한, 질 높은 수장품(collection)을 가지고 있습니다.히로오(hiro)(시부야(shibuya) 구(도쿄도심부의 서부에 위치하는 구)의 남부)에 위치하고 있다.





1929년의 작품.







우측의 오른쪽, 1934년의 작품.우측의 왼쪽, 1907년의 작품.

아래, 1915년의 작품.

좌측, 위로부터, 1987년의 작품, 1970년의 작품, 1944년의 작품.





이 날의 저녁 식사는, 우리 집에 돌아오고, 그녀와 먹었습니다.



덧붙여서, 이 날의 저녁 식사시는, 나는, 음료는, 술은, 주로, 붉은 와인(wine)을 마셨습니다.

참고에, 이하, 「」 안.나의 앞의 투고문보다...

「 나는, 부모님 모두, 술에 강해서 술꾼으로 w, 유전에 의해, 술은 강합니다( 나는, 술이 강하고, 술을 아무리 마셔도, 안색이, 완전히, 변하지 않는 타입입니다).술은, 기본, 아무리 마셔도 술에 먹히는 일은 없습니다 w 그것은, 위스키를 스트레이트로 보틀 1개를 넘고, 비교적 단시간에 마시면, 시간차이로 나중에 허리는 빠집니다만(학생의 무렵의 이야기 w), 아무리 마셔도, 성격은, 평상시보다 밝고 매우 기분이 좋아 지는 정도로, 크지는 바뀌지 않습니다.

일본술, 와인, 위스키, 맥주, 소주 뭐든지 갈 수 있습니다만, 나는, 술의 마시는 방법은, 본래적으로는, 위스키와 같은, 진한 술을, 락으로, 치비리치비리와 마시는 것을 좋아합니다.

덧붙여서, 그녀는, 술이 약합니다.」




그녀와 우리 집에서 먹은, 이 날의 저녁 식사의, 메인(main) 요리는, 이 날, 오는 길에 , 나의 거리의 마트의 하나로, 우리 집의 근처의 통근 전철·지하철역에 들어가 있는 마트에서 사 온, 스테이크(beefsteak) 육을 굽고, 스테이크(beef steak)로 했던(양보다, 질이라고 한 느낌으로, 야마가타(yamagata) 우(야마가타(yamagata) 현(일본의 동북지방의 현의 하나.고품질인 쇠고기의, 유명한 산지의 하나) 출산의, 고품질인 쇠고기(검은 털 일본소(니혼바라산의 고급 쇠고기))의, 신신(shinshin)(허벅다리아래에 있는, 둥근 형태의 고기의 중심부 분의육)의, 스테이크(beefsteak) 육, 1매 90 g정도를, 2매 구워, 한 명 한 장씩 먹었습니다).

덧붙여서, 이 날의 저녁 식사시는, 나나 그녀도, 밥(rice)·빵은, 빵을 먹었습니다.





사진 이하 2매.어느 쪽도, 이 날의 저녁 식사로, 메인(main) 요리(스테이크(beef steak)) 이외에 먹은 것의 하나로, 어느 쪽도, 이 날, 오는 길에 , 나의 거리의 마트의 하나로, 우리 집의 근처의 통근 전철·지하철역에 들어가 있는 마트에서 사 온 것입니다.





물오리와 집오리의 트기(오리와 집오리의 교배종의 고기)의 로스(loin)의, 파스트라미(pastrami).전혀, 그대로 먹는 것과 따뜻하게 하고, 몹시부드럽게 먹는 것과 2 종류의 먹는 방법으로 먹었습니다.어느 쪽도, 먹는 방법도, 맛있습니다.







홋카이도(hokkaido)(일본의 최북단의 지방.유제품을 포함한, 양질인 식재의, 일대(주요한) 산지가 되고 있다)의 극히, 게크림 고로케.먹을 때에, 다시 따뜻하게 하고 나서 먹었습니다.






참고에, 이하, 「」 안.나의 앞의 투고문보다...덧붙여서, 이 날의 저녁 식사시도, 야채 사라다(salad)(손수 만들기)를 먹었습니다.

「우리 집의, 평상시의, 아침 식사 또는(휴일이) 늦은 아침 식사겸점심 식사는, 빵, 시리얼(cereal), 야채 사라다(salad), 3 종류정도의 과일, 우유, 쥬스(juice), 요구르트(yogurt)라고 한 내용이며, 또, 우리 집에서, 저녁 식사를 먹을 때는, 야채 사라다(salad)를 먹는 것이, 많은 일로부터, 우리 집의, 드레싱(dressing)의, 수요는, 큽니다.

우리 집에는, 상시, 대체로, 3, 4 종류의(적어도 3 종류의), 드레싱(dressing)을 사서 쓸 수 있도록(듯이) 준비해 있습니다(특히, 어느 드레싱(dressing)이라든지 정해져 있는 것이 아닙니다).」






참고에, 이하, 「」 안.나의 앞의 투고문보다.

「차는, 우리 집에는, 적어도, 상찬`천A홍차, (적어도 복수의 종류의) 허브티(herbal tea), 녹차를 사 두고 있습니다.홍차는, 상시, 적어도, 여러종류 사 두고 있습니다만, 안에서도, 아르 그레이(Earl Grey tea)는, 반드시, 사 두고 있습니다( 나도, 그녀도, 아르 그레이(Earl Grey tea)가, 좋아합니다).」





이것은, 선물입니다만, 이 날의 저녁 식사의, 디저트(dessert)와 함께 마신 홍차.TWG Tea(싱가폴(Singapore)의, 고급, 홍차 브랜드(brand))의, 홍차입니다.이하, 「」 안.이, 홍차 제품의, 설명.TWG Tea의, 일본의 공식 site보다...

「마치 결혼을 축복하는 화려하고 달콤한 향기의 홍차입니다.파인애플의 달게 이그조틱인 향기에 마음이 뜁니다.

프루츠의 달콤한 향기를 좋아하는 분에게 추천입니다.떠들썩한 티타임에도 딱 맞는 차입니다.원재료명:홍차(스리랑카), 파인애플, 메리 골드.

100% 코튼 홍차잎을 넣은 봉지:TWG Tea 의 차의 맛을 제대로 티캅에 표현할 수 있는, 손바느질의 코튼 홍차잎을 넣은 봉지.」





사진 이하.이 날의 저녁 식사의, 디저트(dessert).그녀의, 희망으로, 하라쥬쿠(harajyuku)의 케이크(cake) 점의 하나(이하, 이 케이크(cake) 점이라고 씁니다)로, 이 날, 사 온, 카스타드 푸딩(crème caramel)와 케이크(cake).어느 쪽도, 그녀가, 선택한 것으로, 어느 쪽도, 2명으로(그녀와), 나누어 먹었습니다.이 가게의 케이크(cake) 등은, 복잡한 맛의 하모니를 연주한다고 말한 느낌이 아니고, 솔직한 맛입니다만, 사용하고 있는 소재는, 어느 쪽도, 질이 높은 느낌으로, 보통으로, 맛있습니다.


이 케이크(cake) 점은, 전부터, 그녀가, 조금 신경이 쓰이고 있던 가게에서, 5월의 초순에, 전날에 우리 집에 묵은 그녀와 그 때, 오오타(oota) 기념 미술관에서 행해지고 있던, 고양이의(고양이를 소재로 한) 강호시대의 풍속화(ukiye)(일본의 전통적인, 대중(대중용의) 판화·회화)의, 전람회(exhibition)를 보고 온 오는 길에 , 처음으로 이용했던(케이크(cake)를 사 왔습니다).

5월의 초순에, 그 때, 오오타(oota) 기념 미술관에서 행해지고 있던, 고양이의(고양이를 소재로 한) 강호시대의 풍속화(ukiye)(일본의 전통적인, 대중(대중용의) 판화·회화)의, 전람회(exhibition)를 보고 왔을 때의 일과 그 때, 이 케이크(cake) 점에서 사 온, 케이크(cake)에 관해서는, 이하의 투고(바로 아래에서 링크를 붙인 투고)를 참조해 주세요.

오오타 기념 미술관고양이의 강호시대의 풍속화 전람회외→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3683862/page/4?&sfl=membername&stx=nnemon2



사진 이하 3매.카스타드 푸딩(crème caramel).곰은, 초콜릿(chocolate)입니다.상술한 대로, 복잡한 맛의 하모니를 연주한다고 말한 느낌이 아니고, 솔직한 맛입니다만, 사용하고 있는 소재는, 어느 쪽도, 질이 높은 느낌으로, 보통으로, 맛있습니다(그녀도, 같은 감상입니다).























사진 이하.초콜릿(chocolate) 민트(mint) 계의, 케이크(cake).곰은, 초콜릿(chocolate)입니다.

초콜릿(chocolate)의 곰의, 눈이 매달고 있고, 화나 있는 것 같아, 그녀는, 조금 애석해 하고 있었습니다.점원의 책임이 아닙니다만(이 케이크(cake) 점은, 견본으로 놓여져 있는 케이크(cake)중에서, 손님이 선택한 종류의 케이크(cake)를, 점원가, 가게의 안쪽의 냉장고로부터 내 오고, 건네준다고 하는 형식에서, 점원는, 기계적으로(아무것도 생각하지 않고 ·무의식 중에), 이 종류의 케이크(cake)중, 가게의 냉장고의 일번수전에 있던 것을 내 왔을 뿐이라고 생각합니다), 케이크(cake)를 만드는 시점에서(케이크(cake)를 만드는 사람)가, 더, 제대로해 주었으면 합니다.케이크(cake)를, 하코에 들어갈 수 있기 전에, 점원는, 이 케이크(cake)로 좋을까요?(이 케이크(cake)로 좋습니까?)(와)과 손님에게 확인합니다만, 다른 사람도, 통상, 그렇다고 생각합니다만, 나나 그녀도, 선택한 케이크(cake)와 다른 종류의 케이크(cake)는 아닌지 어떤지라고 하는 것을 확인하는 것만으로, 케이크 (cake)의, 초콜릿(chocolate)의 곰의, 눈이 매달고 있는지 어떤지 등이라고 말하는 세세한 곳까지는, 잘 보고, 확인하고 있었었습니다.그녀는, 조금 유감이라고 하는 기분과 이 해프닝을(초콜릿(chocolate)의 곰의, 눈이 매달고 있고, 화나 있는 것 같았다고 말하는 일을 w) 즐기는 기분과 반반이라고 한 느낌같았습니다.

물론, 이 케이크(cake) 점의, 케이크(cake) 등의, 초콜릿(chocolate)의 곰은, 모두, 이와 같게, 눈이 매달고 있다고 하는 것에서는, 전혀 없고, 5월의 초순에, 오오타(oota) 기념 미술관에서, 전람회(exhibition)를 보고 온 오는 길에 , 이 케이크(cake) 점에서 사 온, 케이크(cake)(그녀가 선택한 것.위에서도 링크를 붙였습니다만, 바로 아래에서 링크를 붙인 투고를 참조해 주세요)의, 케이크(cake)의 초콜릿(chocolate)의 곰은, 눈이 매달지 않고 , 온화한 얼굴을 하고 있었습니다.

오오타 기념 미술관고양이의 강호시대의 풍속화 전람회외→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3683862/page/4?&sfl=membername&stx=nnemon2



덧붙여서, 그녀는, 이 가게의, 케이크(cake) 등에 대해서, 맛도 포함하고, 납득이라고 한 느낌으로, 이 가게는, 더이상 이용하지 않아도 괜찮을까라고 이야기하고 있습니다 w

















이 날도, 그녀는, 우리 집에 묵었습니다.





이하, 비교적 최근의 투고(우리 집에서의 식사의 이야기를 포함한 투고를 중심으로).

버터 너트 호박(butternut squash)의 역사외→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3735874?&sfl=membername&stx=nnemon2
만담의 제목(만담(일본의 전통적인 화예))·귀와 구이외→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3735529?&sfl=membername&stx=nnemon2
Dalloyau(프랑스의 340년 이상의 역사를 가지는 과자·식품 회사) 외→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3735150?&sfl=membername&stx=nnemon2
100년 가깝게 전에 지어진 은행의 건물외→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3732616?&sfl=membername&stx=nnemon2
비리야니(남부아시아·동남아시아의 전통 요리) 외→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3732615?&sfl=membername&stx=nnemon2
쿠라시키의 110년 이상의 역사를 가지는 식품 회사외→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_14/view/id/3730714/page/2?&sfl=membername&stx=nnemon2
생 닝교(일본의 전통적인 닝교)·쇼우토우 미술관외→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3730709?&sfl=membername&stx=nnemon2
후지 36경스루가 미호지마츠바라외→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3724120/page/2?&sfl=membername&stx=nnemon2
튀김(일본의 전통적인 식품) 외 여러가지→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3722446/page/3?&sfl=membername&stx=nnemon2
닷타 올려(일본의 전통적인 튀김 요리) 외→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3721278/page/3?&sfl=membername&stx=nnemon2
어육 야채 튀김(카고시마현의 전통 요리)·검은 자위(야마나시현의 전통 과자) 외→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3718863/page/3?&sfl=membername&stx=nnemon2



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