食べ物

 

 

 

今月の第一金曜日(以下、この日と書きます。この日は、個人的に休みでした)、近場で、休日を過ごした時の物です。

 

この日、朝寝坊をし、食べた、遅い朝食兼昼食は、普段、働いている日に食べている朝食(パン、シリアル(cereal)、野菜サラダ(salad)、3種類程の果物、牛乳、ジュース(juice)、ヨーグルト(yoghurt))と、同じでした。

 

この日は、白金(shirokane)areaにある、自然教育園を訪れました。東京都心部の南西部(東京都心部でも中心的な地域の南西端部)に位置する、白金(shirokane)エリア(area)は、東京都心部の高級住宅地・商業地の一つで有り、洒落た店や商業ビル・オフィス(office)用ビルが点在し、東京のお洒落な地区の一つとして知られています。白金(shirokane)エリア(area)は、古くからの高級住宅地ですが、現在は、マンション(アパート)や、商業ビル・オフィス(office)用ビルも多く見られ、マンション(アパート)に暮らしている人々も多いです。土地価格や、マンション(アパート)の家賃が、とても高い為に、暮らしている人々の平均収入が高く、白金(shirokane)エリア(area)に暮らす事自体が、ちょっとしたステータス(status)となっている面が有ります。

 

 

 

 

白金(shirokane)areaの、銀杏並木の紅葉。

 

 

 

 

 

 

写真以下37枚。参考に、前に、kjでアップ(upload)した写真の再利用。白金(shirokane)エリア(area)に有る、東京都庭園美術館。東京都庭園美術館(旧(かつての)朝香宮(asakanomiya)家の邸宅)は、おそらく、元々、現在は、自然教育園となっている土地の一部でした(これについては、自然教育園に関する説明において、詳しく説明します)。

 

東京都庭園美術館は、地方自治体(東京都)が運営する、企画展(exhibition)を中心とした、公営の美術館です。東京都庭園美術館は、元々、宮家の一つで有った、朝香宮(asakanomiya)家の邸宅(東京の本邸(mainの邸宅))だったものです。宮家とは、天皇の親族の内、天皇家から独立した生計を営み、且つ、天皇から称号(宮号)を賜った家で、現在は、宮家は、4つしか存在しませんが(今年(2014年)、当主が独身であった宮家の当主が、亡くなられた為、それまで、5つであった宮家が、4つとなった)、第2次世界大戦が終った直後には、日本には、朝香宮(asakanomiya)家を含む、14の宮家が存在していました。

 

写真以下37枚。東京都庭園美術館(かつての朝香宮(asakanomiya)家の邸宅(東京の本邸(mainの邸宅))。前に、kjでアップ(upload)した写真の、再利用。かつての朝香宮(asakanomiya)家の邸宅(東京の本邸(mainの邸宅))を活用した、東京都庭園美術館は、約35,360平方m(約10,700坪)と、ゆったりとした敷地を有しています。

 

写真以下35枚。東京都庭園美術館の本館の建物。かつての、朝香宮(asakanomiya)家の邸宅(東京の本邸(mainの邸宅))のメイン(main)の建物で、朝香宮(asakanomiya)鳩彦(yasuhiko)王が、1933年に建てた物です。邸宅の敷地は、ゆったりとしている(約10,700坪)ものの、邸宅のメイン(main)の建物自体は、宮家の建物としてだけでなく、(貴族や資本家を含む)当時の、日本の、上流階級の邸宅のメイン(main)の建物として見ても、比較的小さな方だと思います(近代日本(19世紀末から第二次世界大戦時まで)においては、上流階級の邸宅は、メイン(main)の建物が、日本伝統式の建物と西洋式の建物によって構成されている場合も、多かったのですが、この、朝香宮(asakanomiya)家の新しい邸宅(東京の新しい本邸(mainの邸宅)。1933年以降の朝香宮(asakanomiya)家の、東京の本邸(mainの邸宅))(現在は、東京都庭園美術館となっている)は、メイン(main)の建物は、この、アールデコ(Art Deco)様式の建物一つだけとなっています)。しかしながら、日本的な要素も取り入れた、アールデコ(Art Deco)様式を基調とした内装は、とても、お洒落で洗練された物で有り、朝香宮(asakanomiya)鳩彦(yasuhiko)王及び、その妻、朝香宮(asakanomiya)允子(nobuko)妃のセンス(taste)の良さを伺い知る事が出来ます。こうした言い方は、失礼かもしれないけれども、流行に敏感で、お洒落で、粋な宮様(宮家)の邸宅と言った感じです。建物の外観は、現在の視点で見れば、平凡な現代建築と言った感じに見えると思いますが、宮家や貴族の邸宅の建物は、重厚な趣の西洋近代建築の建物及び日本伝統式の建物が常識で有った当時において、どちらかと言えば、軽快で現代的な雰囲気の外観を持つ、この邸宅の建物は、十分新しく、時代の先端を行く物で有った事でしょう。ちなみに、朝香宮(asakanomiya)家は、第二次世界大戦前、この東京の邸宅(本邸(mainの邸宅)。現在は、東京都庭園美術館となっている)の他に、私が知る限り、軽井沢(karuizawa。東京圏周辺を代表する、避暑別荘地・避暑保養地)と熱海(atami。東京に近い、規模の大きな温泉保養地。第二次世界大戦後は、東京から1泊2日で気軽に行ける大衆的な温泉保養地として、急速に開発されたが、昔(特に第二次世界大戦前)は、(中流階級から庶民の夫婦の)新婚旅行のメッカ(mecca)として、又、富裕層の別荘地として、有名であった)に、別荘を保有していました。かつての朝香宮(asakanomiya)家の軽井沢(karuizawa)の別荘(敷地面積約36,000平方m(約10,900坪))は、第二次世界大戦後、resortホテル(1964年からは、一般市民の利用を受け付けない、皇室(天皇家)専用のホテルとなった)となり、熱海(atami)の別荘は、第二次世界大戦後、宮家の地位と、東京の本邸(mainの邸宅)(現在の東京都庭園美術館)を失った、朝香宮(asakanomiya)家の本邸(mainの邸宅)となりました(第二次世界大戦後、朝香宮(asakanomiya)鳩彦(yasuhiko)王は、熱海(atami)で、趣味のゴルフ(golf)三昧の生活を送りました。wikiより)。

 

 

 

現在は、東京都庭園美術館の本館の建物となっている、かつての、朝香宮(asakanomiya)家の邸宅(東京の新しい本邸(mainの邸宅)。1933年以降の朝香宮(asakanomiya)家の、東京の本邸(mainの邸宅))の、メイン(main)の建物の、一階平面図。東京都庭園美術館のパンフレット(booklet)から。。。暖色系(オレンジ(orange)色系)に塗り分けられている部分は、現在、美術館として、公開されている部分、寒色系(青色系)に塗り分けられている部分は、公開されていない部分なのですが、東京都庭園美術館は、2011年の11月から、今年の11月まで、改修工事が行われた事から、改修後は、美術館として公開されている部分と、公開されていない部分に変化が生じたかもしれません(今回の改修後の、東京都庭園美術館は、まだ訪れていません)。

 

 

 

 

以下、「」内、この邸宅(1933年以降の朝香宮(asakanomiya)家の、東京の本邸(mainの邸宅))についての説明は、ガイド(guide)さんに受けた説明の記憶を頼りに書いた物なので、間違っていたら、済みません。

 

「朝香宮(asakanomiya)家の邸宅の、メイン(main)の建物は、世界有数の、アールデコ(Art Deco)様式の邸宅の建物であり、日本だけなく、世界的に見ても、貴重な文化財的価値を持っているそうです。特に、(下の方でも説明しますが)、正面玄関の、ルネ・ラリック(Rene Lalique)の手による、ガラス(glass)の装飾(relief)は、ルネ・ラリック(Rene Lalique)が、この邸宅の為に、特別に製作した物で、この様に、依頼者の為に、特別に制作され、建物に組み入れられた、ルネ・ラリック(Rene Lalique)の、ガラス(glass)の作品の中で、これ程規模が大きく、良い状態で保存されている物は、世界的に見ても、数少なく、朝香宮(asakanomiya)家の邸宅の、メイン(main)の建物の物を除けば、幾つかの教会に存在するのみだそうです」。

 

写真以下2枚。東京都庭園美術館の本館(かつての、朝香宮(asakanomiya)家の邸宅のメイン(main)の建物)の正面玄関側から見た外観。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

東京都庭園美術館の本館の建物(かつての邸宅のメイン(main)の建物)の正面玄関。

 

 

 

 

 

 

 

庭園側(正面玄関側を横側とすると縦側)から見た、同建物。東京都庭園美術館の本館の建物(かつての朝香宮(asakanomiya)家の東京の本邸(mainの邸宅)のメイン(main)の建物)は、空から見ると、比較的正方形に近い建物で、中庭を有しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下30枚、東京都庭園美術館の本館(かつての、朝香宮(asakanomiya)家の邸宅(東京の本邸(mainの邸宅))のメイン(main)の建物)の内装例。朝香宮(asakanomiya)家の邸宅のメイン(main)の建物の内装は、アールデコ(Art Deco)様式を基調としており、日本的な要素も取り入れられています。建物自体が、芸術品と言った感じです。内装は、主に、(当時、時代を代表する装飾美術家の一人で有ったフランス人装飾美術家)アンリ・ラパン(Henri Rapin)が手がけました(ルネ・ラリック(Rene Lalique)らも、これに参加しています)。アンリ・ラパン(Henri Rapin)は、この、朝香宮(asakanomiya)家の邸宅のメイン(main)の建物の内装に、ガラス(glass)工芸のルネ・ラリック(Rene Lalique)、マックス・アングラン(Max Ingrand)、鉄工芸のレイモン・シューブ(Raymond Subes)、彫刻家のレオン・ブランショ(Leon Blanchot)らの作品を巧みに組み込みました。


 

写真以下2枚。正面玄関のガラス(glass)のレリーフ(Relief)。ルネ・ラリック(Rene Lalique)が、この邸宅の為に、作成した物です。前述の通り、この様に、依頼者の為に、特別に制作され、建物に組み入れられた、ルネ・ラリック(Rene Lalique)の、ガラス(glass)の作品の中で、これ程規模が大きく、良い状態で保存されている物は、世界的に見ても、数少なく、朝香宮(asakanomiya)家の邸宅の、メイン(main)の建物の物を除けば、幾つかの教会に存在するのみだそうです。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

レオン・ブランショ(Leon Blanchot)の手による、大理石のレリーフ(Relief)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下8枚。広間。

 


 

 

この写真は、パンフレット(booklet)から。。

 

 

 

 

 

 

 

広間のシャンデリア(chandelier)。ラリック(Lalique)社製。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下3枚。アンリ・ラパン(Henri Rapin)のデザイン(design)による、噴水塔です。噴水塔の頭部は、薄明かりをともすことが出来、往時は、この噴水塔から香が漂い(後に、香水塔と呼ばれる様になりました)、頭部から溢れ出た水が、噴水塔の側面を静かに流れました。ちなみに、噴水塔の周りの、黒い柱は、漆塗りです。以下、アールデコ(Art Deco)と漆の関係に関する説明は、ガイド(guide)さんに受けた説明の記憶を頼りに。。。漆は、アールデコ(Art Deco)で、よく使われます。パリ(Paris)万国博覧会(Universal Exposition)の日本館の、漆のメンテナンス(maintenance)の為に、日本から、漆職人が派遣されたのですが、博覧会の後も、漆職人達は、フランスに残り、フランス人達に、漆の技術を教え、フランスでも、独自に、漆を取り入れた作品・製品が制作される様になりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下5枚。食堂(dining room)。

 

 

写真以下2枚。食堂(dining room)のシャンデリア(chandelier)。ラリック(Lalique)社製。広間のシャンデリア(chandelier)と食堂(dining room)のシャンデリア(chandelier)は、ルネ・ラリック(Rene Lalique)が、この邸宅の為に、特別に制作した物ではなく、ラリック(Lalique)社のカタログ(catalog)に載っていた物です。したがって、世界で、朝香宮(asakanomiya)家の邸宅以外の邸宅にも使われている可能性があります(もっとも、現存しているかどうかは、分かりませんが。。。)。ガイド(guide)さんに受けた説明より。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

レオン・ブランショ(Leon Blanchot)作の、レリーフ(Relief)。

 

 

 

 

 

 

 

マントルピース(mantelpiece)と壁画。アンリ・ラパン(Henri Rapin)作。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

パンフレット(booklet)から。。この辺りの内装は、宮内省内匠寮(天皇や皇族(天皇の親族)関係の宮殿・邸宅の建物や庭園等の設計等を、司っていた組織。当時の日本国内の一流の建築家や技師達が集まったエリート(elite)集団。1947年廃止)が手がけました。なお、朝香宮(asakanomiya)家の邸宅のメイン(main)の建物の設計は、宮内省内匠寮所属の建築家・技師で有る、権藤 要吉(gondo yokichi)によるものです。

 

 

 

 

 

パンフレット(booklet)から。。アンリ・ラパン(Henri Rapin)が内装を手がけた書斎(library)です。机と椅子も、アンリ・ラパン(Henri Rapin)がデザイン(design)した物です。現在において建てられる邸宅の書斎(library)のデザイン(design)としても、あまり違和感が無い感じです。

 

 

 

 

 

 

 

窓際にあるのは、朝香宮(asakanomiya)鳩彦(yasuhiko)王の、騎馬像。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下4枚。宮内省内匠寮が内装を手がけた部屋、ウインターガーデン(winter garden)。当時としては、時代の先端を行く内装だったのでしょう。

 

 

この写真は、パンフレット(booklet)から。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下2枚。朝香宮(asakanomiya)家の邸宅の敷地内には、日本庭園と日本伝統式の茶室(tea house)の建物も有り、東京都庭園美術館となった現在も、残され、保存されています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下55枚。この日、散歩した、自然教育園。この時、紅葉の完全な見頃までは、あと少し(あと、一週間程)と言った感じでした。

 

 

自然教育園は、白金(shirokane)エリア(area)にある、とても広い、公園と言うか、森です。この土地(現在は、自然教育園と東京都庭園美術館なっている土地)は、元々、14世紀から16世紀には、この辺り(おそらく、現在の、白金(shirokane)エリア(area)に該当する地域)を統治していた豪族の邸宅でした。この土地は、その後、江戸(edo)時代(17世紀から19世紀半ば)には、高松(takamatsu)松平(matsudaira)家(1642年から1871年に、現在の、香川(kaganwa)県(日本の西部の、四国(shikoku)地方に位置する県の一つ)の、東半分を統治していた地方領主の家。近代には、貴族(伯爵)となる)の、東京の別荘(別邸)の一つとなりました(豪族の邸宅であった時の、邸宅の建物、及び、高松(takamatsu)松平(matsudaira)家の、東京の別荘(別邸)の一つであった時の建物は、近代以前に、取り壊される等して?、現存していません)。その後、この土地は、近代になると、天皇家の土地となりましたが、その一部は、朝香宮(asakanomiya)家の邸宅(朝香宮(asakanomiya)家の、東京の新しい本邸(mainの邸宅)。現在の、東京都庭園美術館)の敷地(敷地面積、約35,360平方m(約10,700坪))となり、1933年に、朝香宮(asakanomiya)家の邸宅(朝香宮(asakanomiya)家の、東京の新しい本邸(mainの邸宅))が建てられました(この、朝香宮(asakanomiya)家の邸宅は、現在は、東京都庭園美術館となっています)。この土地の、大部分(朝香宮(asakanomiya)家の邸宅の敷地となった以外の部分)については、その後も、しばらく、天皇家の土地でしたが、第二次世界大戦後の、1949年に、天皇家の土地から、国(文部省(かつて存在した、日本の行政機関の1つ。教育、文化、学術等を担当していた。説明は、wikiから、借りて来ました))の所有となり、自然教育園と言う名前で、一般に公開されました(まあ、厳密に言えば、天皇家の土地も、国の所有の土地なのですが。。。)。

 

 

 

この、現在は、自然教育園となっている土地は、近代以降は、ほとんど開発がされませんでした(天皇家の土地となった事によって、東京においても、近代的な開発から免れたと言う面が、大きいと思います。ちなみに、おそらく、天皇家の土地となってから、庭園として整備される様な事もありませんでした)。また、1949年に、自然教育園として、一般に公開される際に、公園として整備された訳でもありません。したがって、自然教育園は、高松(takamatsu)松平(matsudaira)家の、東京の別荘(別邸)の一つであった時の名残が、幾分(少し)、感じられるものの(ちなみに、前述の通り、豪族の邸宅であった時の、邸宅の建物、及び、高松(takamatsu)松平(matsudaira)家の、東京の別荘(別邸)の一つであった時の建物は、近代以前に、取り壊される等して?、現存していません)、公園と言うよりも、東京の都心に残された、多様な木々、植物が、生息する、広い森と言った感じであり、近代より前の、現在の東京都心に該当する地域の自然の姿を、大規模に、現在に残す(現在に、伝える)、貴重な場所と言った感じとなっています(そう言う意味でも、「自然教育園」と言う名前が付けられたのだと思います)。

 

 

自然教育園は、私の、母方の祖父の、お気に入りの場所で、私の母方の祖父は、生前、自然教育園を、よく散歩していました(母方の祖父は、整備された公園を散歩するよりも、この様な場所(自然教育園の様な場所)を散歩する方が、好きだったのかもしれません)。また、私が、幼い頃から、子供の頃、私の母方の祖父は、自然教育園を散歩する際に、私を、よく連れて行きました。私の母方の祖父としては、私を連れて行ってあげたと言う感覚であったと思いますが、(幼い頃から、子供の頃であったので、記憶が曖昧ですが)、当時の(自然の景色を楽しむと言う感覚に乏しかった、幼い頃から子供の頃の)私としては、おそらく、私の方が、祖父の散歩に付き合ってあげたと言う感覚であったと思いますw(まあ、幼い頃から、子供の頃、優しい祖父と、出掛けるのは、楽しかったですが。。。)。ちなみに、我が家の近所の、私の実家(元々、私の、母方の祖父母の家。現在は、両親が引き継いで暮らしている)は、私が、子供の頃、私、私の弟(私には、弟が、一人います)、私の両親、私の母方の祖父母の6人暮らしでした(既に、母方の祖父母は、共に、亡くなり、現在は、私の実家は、私の両親の、二人暮らしとなっています)。渋谷(shibuya)区(東京中心部(東京23区)の西部に位置する区)の中北部の、我が家の近所の実家(及び、我が家)から、自然教育園は、近いと言えば、近く、実家、及び、我が家の、最寄りの、通勤電車・地下鉄駅から、目黒(meguro)駅(自然教育園の、最寄りの、通勤電車・地下鉄駅の一つ)までは、地下鉄・通勤電車(電車)で、20分位です(地下鉄・通勤電車(電車)の乗車時間自体は、合計10数分程度だが、途中、一度、乗り換える必要がある為、20分位)。

 

 

私の母方の祖父は、第二次世界大戦後、間も無く、兄弟達と事業を起こして、失敗した事、株をやっていた事(株では、結構、堅実に、中々、金を儲けていた様です)を除けば、リスク(危険)を取る事は、好まず、至って、保守的で、堅実、真面目で、生活は、つましく、派手な生活をする事は、好みませんでした。もっとも、無趣味と言った訳ではなく、墨絵(ink wash painting)、俳句(haiku)、短歌(tanka)、漢詩、魚釣り(かつて、私の実家の、庭の池には、鯉と金魚の他に、母方の祖父が、釣って来た、鮒や、草魚等がいました)を趣味として、風流人的な一面も持っていました。私の母は(ちなみに、私の母は、一人娘です)、子供の頃、休日に、よく、私の母方の祖父に連れられて、電車に乗って、東京の西部郊外の、多摩(tama)川に釣りに行ったそうです(私の母は、全く、退屈で、つまらなかったそうですw)。私の母方の祖父は、東洋的な(日本的な)、風流人であった一方、西洋贔屓(西洋の、食文化好き)の一面もあり、私の母方の祖父の好みに合せて、私の実家の朝食は、西洋式でしたし、私の母方の祖父は、どちらかと言えば、和食(日本料理)よりも、洋食(日本で、近代以降、日本に合う様に、(日本人の視点からすれば)改良された西洋料理)・西洋料理の方が、好きな位でした。また、私の母方の祖父は、毎晩、寝る前に、必ず、ウイスキー(whisky)を飲んでいました(母方の祖父は、つましかったので、大衆的な、ウイスキー(whisky)を飲んでいました)。

 

私の母方の祖父(同居していた事から、私の父方の祖父よりも、ずっと身近でした。ちなみに、私の祖父母は、父方の祖母以外は、既に、亡くなっています)、私の父、私を比較すると、私が、一番、趣味がない(無趣味)なような気がします。子供の頃から、受身の状態で、多様な、大量の情報に囲まれている、現代の、比較的若い中年層・若者の方が、それよりも前の世代の人々と比べて、むしろ、趣味は、少ないのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下2枚。板違い防止的な写真になってしまいますが、この日、我が家に帰って来て食べた、ケーキ(cake)。この日、自然教育園を散歩した後、中目黒(nakameguro)areaの、目黒(meguro)川沿いの、イルミネーション(光の飾り)を見たのですが(次回の投稿、参照)、そのついでに、中目黒(nakameguro)areaの(目黒(meguro)川に近い場所にある)、ケーキ(cake)・西洋菓子店で買ったケーキ(cake)。二つ共、二人で分けて食べました。この、ケーキ(cake)・西洋菓子店は、お気に入りと言える程、たくさん利用している訳ではありませんが、この、ケーキ(cake)・西洋菓子店の、ケーキ(cake)は、美味しいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

手前の、チョコレート系のケーキ(cake)は、皿に載せる前に、私が、うっかり、上に、ケーキ(cake)用の、小さなフォーク(fork)を落としてしまい、形を、ちょっと崩してしまいましたorz。

 

 

 

 

適当に、風景&食べ物2へ続く。。。

 

 

 

 

 

 

以下、おまけ。。。

 

 

 

私の街の商店街の、くじの抽選券。(全ての店ではありませんが)、私の街の商店街の店で買い物をすると貰えます。12月23日(今日)に抽選が行われ、当たると、ちょっとした物が貰えます。外れたら、10円の買い物券として使えます。

 

 

 

 

 

 

北海道(hokkaido)(日本の北端部の地方)の中央部寄りの東部に位置する中都市、帯広(obihiro。日本有数の農業・酪農地帯で有る十勝(tokachi)平野の中心都市)の、菓子会社、六花亭(rokkatei。1933年創業)の、西洋菓子の詰め合わせ。頂き物。六花亭(rokkatei)の、菓子は、美味しいです。

 

 

 

 

写真以下3枚。前にkjでアップ(upload)した写真の再利用。上の、詰め合わせにも入っていますが、六花亭(rokkatei)の、マルセイバターサンド。これ系の、お菓子は、他に、東京・鎌倉(kamakura)の小川軒(ogawaken。1905年創業)のレイズン・ウィッチ、横浜の、かをり(kawori。1947年創業)のレーズンサンド等が有ります。私は、これ系の、お菓子が好きです。

 

写真以下3枚。マルセイバターサンドの包装(package)デザイン(design)は、マルセイバターサンドを製造する六花亭(rokkatei)の地元、北海道(hokkaido)、帯広(obihiro)市の依田(yoda)牧場が発売していたバター(butter)の包装(package)のデザイン(design)(1905年頃のデザイン(design))を取り入れた物となっています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


적당하게, 풍경&음식 1

 

 

 

이번 달의 제일 금요일(이하, 이 날이라고 씁니다.이 날은, 개인적으로 휴일이었습니다), 근처에서, 휴일을 보냈을 때의 물건입니다.

 

이 날, 늦잠을 자, 먹은, 늦은 아침 식사겸점심 식사는, 평상시, 일하고 있는 날에 먹고 있는 아침 식사(빵, 시리얼(cereal), 야채 사라다(salad), 3 종류정도의 과일, 우유, 쥬스(juice), 요구르트(yoghurt))와 같았습니다.

 

이 날은, 백금(shirokane) area에 있는, 자연 교육원을 방문했습니다.도쿄도심부의 남서부(도쿄도심부에서도 중심적인 지역의 남서 단부)에 위치하는, 백금(shirokane) 에리어(area)는, 도쿄도심부의 고급 주택지·상업지의 하나로 있어, 멋부린 가게나 상업 빌딩·오피스(office) 용 빌딩이 점재해, 도쿄의 세련된 지구의 하나로서 알려져 있습니다.백금(shirokane) 에리어(area)는, 옛부터의 고급 주택지입니다만, 현재는, 맨션(아파트)이나, 상업 빌딩·오피스(office) 용 빌딩도 많이 볼 수 있고 맨션(아파트)에 살고 있는 사람들도 많습니다.토지 가격이나, 맨션(아파트)의 집세가, 매우 높기 때문에, 살고 있는 사람들의 평균 수입이 높고, 백금(shirokane) 에리어(area)에 사는 일자체가, 약간의 스테이터스(status)가 되고 있는 면이 있습니다.

 

 

 

 

백금(shirokane) area의, 은행 가로수의 단풍.

 

 

 

 

 

 

사진 이하 37매.참고에, 전에, kj로 업(upload) 한 사진의 재이용.백금(shirokane) 에리어(area)에 있는, 도쿄도 정원 미술관.도쿄도 정원 미술관( 구(한 때의) 아사카궁(asakanomiya) 가의 저택)은, 아마, 원래, 현재는, 자연 교육원이 되고 있는 토지의 일부였습니다(이것에 대해서는, 자연 교육원에 관한 설명에 대하고, 자세하게 설명합니다).

 

도쿄도 정원 미술관은, 지방 자치체(도쿄도)가 운영하는, 기획전(exhibition)을 중심으로 한, 공영의 미술관입니다.도쿄도 정원 미술관은, 원래, 황족의 집안의 하나로 있던, 아사카궁(asakanomiya) 가의 저택(도쿄의 본댁(main의 저택))이었던 물건입니다.황족의 집안이란, 천황의 친족중, 천황가로부터 독립한 생계를 경영하고 한편, 천황으로부터 칭호(궁호)를 받은 집에서, 현재는, 황족의 집안은, 4밖에 존재하지 않습니다만(금년(2014년), 당주가 독신인 황족의 집안의 당주가, 돌아가신 때문, 그것까지, 5인 황족의 집안이, 4가 된), 제2차 세계대전이 끝난 직후에는, 일본에는, 아사카궁(asakanomiya) 가를 포함한, 14의 황족의 집안이 존재하고 있었습니다.

 

사진 이하 37매.도쿄도 정원 미술관(한 때의 아사카궁(asakanomiya) 가의 저택(도쿄의 본댁(main의 저택)).전에, kj로 업(upload) 한 사진의, 재이용.한 때의 아사카궁(asakanomiya) 가의 저택(도쿄의 본댁(main의 저택))을 활용한, 도쿄도 정원 미술관은, 약 35,360평방 m( 약 10,700평)과 느긋한 부지를 가지고 있습니다.

 

사진 이하 35매.도쿄도 정원 미술관의 본관의 건물.한 때의, 아사카궁(asakanomiya) 가의 저택(도쿄의 본댁(main의 저택))의 메인(main)의 건물에서, 아사카궁(asakanomiya) 비둘기언(yasuhiko) 왕이, 1933년에 세운 것입니다.저택의 부지는, 느긋하고 있다( 약 10,700평) 것의, 저택의 메인(main)의 건물 자체는, 황족의 집안의 건물로서 뿐만이 아니고, (귀족이나 자본가를 포함한다) 당시의, 일본의, 상류계급의 저택의 메인(main)의 건물로서 봐도, 비교적 작은 분이라고 생각합니다(근대 일본(19 세기말로부터 제이차 세계대전시까지)에 있어서는, 상류계급의 저택은, 메인(main)의 건물이, 일본 전통식의 건물과 서양식의 건물에 의해서 구성되어 있는 경우도, 많았습니다만, 이, 아사카궁(asakanomiya) 가가 새로운 저택(도쿄가 새로운 본댁(main의 저택).1933년 이후의 아사카궁(asakanomiya) 가의, 도쿄의 본댁(main의 저택))(현재는, 도쿄도 정원 미술관이 되고 있다)는, 메인(main)의 건물은, 이, 장식예술(Art Deco) 양식의 건물 하나만되고 있습니다).그렇지만, 일본적인 요소도 도입한, 장식예술(ArtDeco) 양식을 기조로 한 내장은, 매우, 세련되고 세련된 물건으로 있어, 아사카궁(asakanomiya) 비둘기언(yasuhiko) 왕 및, 그 아내, 아사카궁(asakanomiya) 윤자(nobuko) 왕비의 센스(taste)의 좋은 점을 물어 알 수가 있습니다.이러한 말투는, 실례일지도 모르지만, 유행에 민감하고, 세련되고, 세련된 황족(황족의 집안)의 저택이라고 한 느낌입니다.건물의 외관은, 현재의 시점에서 보면, 평범한 현대 건축이라고 한 느낌으로 보인다고 생각합니다만, 황족의 집안이나 귀족의 저택의 건물은, 중후한 정취의 서양 근대 건축의 건물 및 일본 전통식의 건물이 상식으로 있던 당시에 있고, 어느 쪽일까하고 말하면, 경쾌하고 현대적인 분위기의 외관을 가지는, 이 저택의 건물은, 충분히 새롭고, 시대의 끝을 가는 것으로 있던 일이지요.덧붙여서, 아사카궁(asakanomiya) 가는, 제이차 세계대전전, 이 도쿄의 저택(본댁(main의 저택).현재는, 도쿄도 정원 미술관이 되고 있다) 외에, 내가 아는 한, 카루이자와(karuizawa.동경권 주변을 대표하는, 피서 별장지·피서 보양지)와 아타미(atami.도쿄에 가까운, 규모가 큰 온천 보양지.제이차 세계대전 후는, 도쿄로부터 1박 2일에 부담없이 갈 수 있는 대중적인 온천 보양지로서 급속히 개발되었지만, 옛날(특히 제이차 세계대전 전에)는, (중류 계급으로부터 서민의 부부의) 신혼 여행의 메카(mecca)로서 또, 부유층의 별장지로서 유명 것 )에, 별장을 보유하고 있었습니다.한 때의 아사카궁(asakanomiya) 가의 카루이자와(karuizawa)의 별장(부지면적 약 36,000평방 m( 약 10,900평))는, 제이차 세계대전 후, resort 호텔(1964년부터는, 일반 시민의 이용을 받아들이지 않는, 황실(천황가) 전용의 호텔이 되었다)이 되어, 아타미(atami)의 별장은, 제이차 세계대전 후, 황족의 집안의 지위와 도쿄의 본댁(main의 저택)(현재의 도쿄도 정원 미술관)를 잃은, 아사카궁(asakanomiya) 가의 본댁(main의 저택)이 되었던(제이차 세계대전 후, 아사카궁(asakanomiya) 비둘기언(yasuhiko) 왕은, 아타미(atami)에서, 취미의 골프(golf) 삼매의 생활을 보냈습니다.wiki보다).

 

 

 

현재는, 도쿄도 정원 미술관의 본관의 건물이 되고 있는, 한 때의, 아사카궁(asakanomiya) 가의 저택(도쿄가 새로운 본댁(main의 저택).1933년 이후의 아사카궁(asakanomiya) 가의, 도쿄의 본댁(main의 저택))의, 메인(main)의 건물의, 1층 평면도.도쿄도 정원 미술관의 팜플렛(booklet)으로부터...난색계(오렌지(orange) 색계)에 발라 나눌 수 있고 있는 부분은, 현재, 미술관으로서 공개되고 있는 부분, 한색계(청색계)에 발라 나눌 수 있고 있는 부분은, 공개되어 있지 않은 부분입니다만, 도쿄도 정원 미술관은, 2011년의 11월부터, 금년의 11월까지, 개수 공사를 한 일로부터, 개수 후는, 미술관으로서 공개되고 있는 부분과 공개되어 있지 않은 부분에 변화가 생겼을지도 모릅니다(이번 개수 후의, 도쿄도 정원 미술관은, 아직 방문하고 있지 않습니다).

 

 

 

 

이하, 「」 안, 이 저택(1933년 이후의 아사카궁(asakanomiya) 가의, 도쿄의 본댁(main의 저택))에 대한 설명은, 가이드(guide)에 받은 설명의 기억을 의지하여 쓴 것이므로, 잘못되어 있으면, 끝나지 않습니다.

 

「아사카궁(asakanomiya) 가의 저택의, 메인(main)의 건물은, 세계 유수한, 장식예술(Art Deco) 양식의 저택의 건물이며, 일본만 없고, 세계적으로 봐도, 귀중한 문화재적 가치를 가지고 있다고 합니다.특히, (아래쪽에서도 설명합니다만), 정면 현관의, 루네·라릭크(Rene Lalique)의 손에 의한, 유리(glass)의 장식(relief)은, 루네·라릭크(Rene Lalique)가, 이 저택을 위해, 특별히 제작한 것으로, 이와 같게, 의뢰자를 위해, 특별히 제작되고 건물에 집어 넣을 수 있던, 루네·라릭크(Rene Lalique)의, 유리(glass)의 작품 중(안)에서, 이것정도 규모가 크고, 좋은 상태로 보존되고 있는 것은, 세계적으로 봐도, 얼마 안되고, 아사카궁(asakanomiya) 가의 저택의, 메인(main)의 건물의 물건을 제외하면, 몇개의 교회에 존재할 뿐이라고 합니다」.

 

사진 이하 2매.도쿄도 정원 미술관의 본관(한 때의, 아사카궁(asakanomiya) 가의 저택의 메인(main)의 건물)의 정면 현관측이 본 외관.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

도쿄도 정원 미술관의 본관의 건물(한 때의 저택의 메인(main)의 건물)의 정면 현관.

 

 

 

 

 

 

 

정원측(정면 현관측을 횡측으로 하면 세로측)이 본, 동건물.도쿄도 정원 미술관의 본관의 건물(한 때의 아사카궁(asakanomiya) 가의 도쿄의 본댁(main의 저택)의 메인(main)의 건물)은, 하늘에서 보면, 비교적 정방형에 가까운 건물에서, 안뜰을 가지고 있습니다.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 30매, 도쿄도 정원 미술관의 본관(한 때의, 아사카궁(asakanomiya) 가의 저택(도쿄의 본댁(main의 저택))의 메인(main)의 건물)의 내장예.아사카궁(asakanomiya) 가의 저택의 메인(main)의 건물의 내장은, 장식예술(Art Deco) 양식을 기조로 하고 있어, 일본적인 요소도 받아들여지고 있습니다.건물 자체가, 예술품이라고 한 느낌입니다.내장은, 주로, (당시 , 시대를 대표하는 장식미술가의 한 사람으로 있던 프랑스인 장식미술가) 앙리·라판(Henri Rapin)이 다루었던(루네·라릭크(Rene Lalique) 등도, 이것에 참가하고 있습니다).앙리·라판(Henri Rapin)은, 이, 아사카궁(asakanomiya) 가의 저택의 메인(main)의 건물의 내장에, 유리(glass) 공예의 루네·라릭크(Rene Lalique), 막스·앙란(Max Ingrand), 철공예의 레이몬·슈브(Raymond Subes), 조각가 레옹·브란쇼(Leon Blanchot) 등의 작품을 교묘하게 짜넣었습니다.


 

사진 이하 2매.정면 현관의 유리(glass)의 릴리프(Relief).루네·라릭크(Rene Lalique)가, 이 저택을 위해, 작성한 것입니다.상술한 대로, 이와 같게, 의뢰자를 위해, 특별히 제작되고 건물에 집어 넣을 수 있던, 루네·라릭크(Rene Lalique)의, 유리(glass)의 작품 중(안)에서, 이것정도 규모가 크고, 좋은 상태로 보존되고 있는 것은, 세계적으로 봐도, 얼마 안되고, 아사카궁(asakanomiya) 가의 저택의, 메인(main)의 건물의 물건을 제외하면, 몇개의 교회에 존재할 뿐이라고 합니다.


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

레옹·브란쇼(Leon Blanchot)의 손에 의한, 대리석의 릴리프(Relief).

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 8매.객실.

 


 

 

이 사진은, 팜플렛(booklet)으로부터..

 

 

 

 

 

 

 

객실의 샹들리에(chandelier).라릭크(Lalique) 사제.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 3매.앙리·라판(Henri Rapin)의 디자인(design)에 의한, 분수탑입니다.분수탑의 머리 부분은, 희미한 빛을과도 일을 할 수 있어 지난 날은, 이 분수탑으로부터 향기가 감돌아( 후에, 향수탑으로 불리는 것처럼 되었습니다), 머리 부분으로부터 넘쳐 나온 물이, 분수탑의 측면을 조용하게 흘렀습니다.덧붙여서, 분수탑의 주위의, 검은 기둥은, 옻나무 칠입니다.이하, 장식예술(Art Deco)과 옻나무의 관계에 관한 설명은, 가이드(guide)에 받은 설명의 기억을 의지하여...옻나무는, 장식예술(Art Deco)로, 잘 사용됩니다.파리(Paris) 만국 박람회(Universal Exposition)의 일본관의, 옻나무의 멘테넌스(maintenance)를 위해, 일본으로부터, 옻나무 직공이 파견되었습니다만, 박람회의 뒤도, 옻나무 직공들은, 프랑스에 남아, 프랑스인들에게, 옻나무의 기술을 가르쳐 프랑스에서도, 독자적으로, 옻나무를 거두어 들인 작품·제품이 제작되는 것처럼 되었습니다.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 5매.식당(dining room).

 

 

사진 이하 2매.식당(dining room)의 샹들리에(chandelier).라릭크(Lalique) 사제.객실의 샹들리에(chandelier)와 식당(dining room)의 샹들리에(chandelier)는, 루네·라릭크(Rene Lalique)가, 이 저택을 위해, 특별히 제작한 것이 아니고, 라릭크(Lalique) 사의 카탈로그(catalog)에 실려 있던 것입니다.따라서, 세계에서, 아사카궁(asakanomiya) 가의 저택 이외의 저택에도 사용되고 있을 가능성이 있습니다(가장, 현존 하고 있을지 어떨지는, 모릅니다만...).가이드(guide)에 받은 설명보다..

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

레옹·브란쇼(Leon Blanchot) 작의, 릴리프(Relief).

 

 

 

 

 

 

 

mantelpiece(mantelpiece)와 벽화.앙리·라판(Henri Rapin) 작.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

팜플렛(booklet)으로부터..이 근처의 내장은, 궁내성 타쿠미 기숙사(천황이나 황족(천황의 친족) 관계의 궁전·저택의 건물이나 정원등의 설계등을, 맡고 있던 조직.당시의 일본내의 일류의 건축가나 기사들이 모인 엘리트(elite) 집단.1947년 폐지)가 다루었습니다.덧붙여 아사카궁(asakanomiya) 가의 저택의 메인(main)의 건물의 설계는, 궁내성 타쿠미 기숙사 소속의 건축가·기사로 있는, 곤도오 카나메길(gondo yokichi)에 의하는 것입니다.

 

 

 

 

 

팜플렛(booklet)으로부터..앙리·라판(Henri Rapin)이 내장을 다룬 서재(library)입니다.책상과 의자도, 앙리·라판(Henri Rapin)이 디자인(design)한 것입니다.현재에 있어 지어지는 저택의 서재(library)의 디자인(design)이라고 해도, 별로 위화감이 없는 느낌입니다.

 

 

 

 

 

 

 

창가에 있는 것은, 아사카궁(asakanomiya) 비둘기언(yasuhiko) 왕의, 기마상.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 4매.궁내성 타쿠미 기숙사가 내장을 다룬 방, 윈터 가든(winter garden).당시로서는, 시대의 끝을 가는 내장이었을까.

 

 

이 사진은, 팜플렛(booklet)으로부터..

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 2매.아사카궁(asakanomiya) 가의 저택의 부지내에는, 일본 정원과 일본 전통식의 다실(tea house)의 건물도 있어, 도쿄도 정원 미술관이 된 현재도, 남겨져 보존되고 있습니다.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 55매.이 날, 산책한, 자연 교육원.이 때, 단풍의 완전한 볼 만한 시기까지는, 앞으로 조금(앞으로 , 일주일간정도)이라고 한 느낌이었습니다.

 

 

자연 교육원은, 백금(shirokane) 에리어(area)에 있다, 매우 넓은, 공원이라고 말하는지, 숲입니다.이 토지(현재는, 자연 교육원과 도쿄도 정원 미술관 되어 있는 토지)는, 원래, 14 세기부터 16 세기에는, 이 근처(아마, 현재의, 백금(shirokane) 에리어(area)에 해당하는 지역)를 통치하고 있던 호족의 저택이었습니다.이 토지는, 그 후, 에도(edo) 시대(17 세기부터 19 세기 중반)에는, 타카마츠(takamatsu) 마츠다이라(matsudaira) 가(1642년부터 1871년에, 현재의, 카가와(kaganwa) 현(일본의 서부의, 시코쿠(shikoku) 지방에 위치하는 현의 하나)의, 동쪽 반을 통치하고 있던 지방 영주의 집.근대에는, 귀족(백작)이 된다)의, 도쿄의 별장(별저)의 하나가 되었던(호족의 저택에서 만났을 때의, 저택의 건물, 및, 타카마츠(takamatsu) 마츠다이라(matsudaira) 가의, 도쿄의 별장(별저)의 하나였을 때의 건물은, 근대 이전에, 해체되는 등 해?, 현존 하고 있지 않습니다).그 후, 이 토지는, 근대가 되면, 천황가의 토지가 되었습니다만, 그 일부는, 아사카궁(asakanomiya) 가의 저택(아사카궁(asakanomiya) 가의, 도쿄가 새로운 본댁(main의 저택).현재의, 도쿄도 정원 미술관)의 부지/`i부지면적, 약 35,360평방 m( 약 10,700평))되어, 1933년에, 아사카궁(asakanomiya) 가의 저택(아사카궁(asakanomiya) 가의, 도쿄의 새로운 본댁(main의 저택))이 지어졌던(이, 아사카궁(asakanomiya) 가의 저택은, 현재는, 도쿄도 정원 미술관이 되고 있습니다).이 토지의, 대부분(아사카궁(asakanomiya) 가의 저택의 부지가 된 이외의 부분)에 대해서는, 그 후도, 당분간, 천황가의 토지였지만, 제이차 세계대전 후의, 1949년에, 천황가의 토지로부터, 나라(문부성(일찌기 존재한, 일본의 행정 기관의 하나.교육, 문화, 학술등을 담당하고 있었다.설명은, wiki로부터, 빌려 왔습니다))의 소유가 되어, 자연 교육원이라는 이름 전으로, 일반적으로 공개되었습니다(뭐, 엄밀하게 말하면, 천황가의 토지도, 나라의 소유의 토지입니다만...).

 

 

 

이, 현재는, 자연 교육원이 되고 있는 토지는, 근대 이후는, 거의 개발이 되지 않았습니다(천황가의 토지가 된 일에 의해서, 도쿄에 있어도, 근대적인 개발로부터 면했다고 말하는 면이, 크다고 생각합니다.덧붙여서, 아마, 천황가의 토지가 되고 나서, 정원으로서 정비되는 것 같은 일도 없었습니다).또, 1949년에, 자연 교육원으로서 일반적으로 공개될 때에, 공원으로서 정비된 (뜻)이유이기도 하지 않습니다.따라서, 자연 교육원은, 타카마츠(takamatsu) 마츠다이라(matsudaira) 가의, 도쿄의 별장(별저)의 하나였을 때의 자취가, 약간(조금), 느껴지는 것의(덧붙여서, 상술한 대로, 호족의 저택에서 만났을 때의, 저택의 건물, 및, 타카마츠(takamatsu) 마츠다이라(matsudaira) 가의, 도쿄의 별장(별저)의 하나였을 때의 건물은, 근대 이전에, 해체되는 등 해?, 현존 하고 있지 않습니다), 공원이라고 말하는 것보다도, 도쿄의 도심에 남겨진, 다양한 나무들, 식물이, 생식 하는, 넓은 숲이라고 한 느낌이며, 근대보다 전의, 현재의 도쿄도심에 해당하는 지역의 자연의 모습을, 대규모로, 현재에 남기는(현재에, 전한다), 귀중한 장소라고 한 느낌이 되고 있습니다(그렇게 말하는 의미에서도, 「자연 교육원」이라고 하는 명전을 붙일 수 있었던 것이라고 생각합니다).

 

 

자연 교육원은, 나의, 외가의 조부의, 마음에 드는 장소에서, 나의 외가의 조부는, 생전, 자연 교육원을, 자주(잘) 산책하고 있었던(외가의 조부는, 정비된 공원을 산책하는 것보다도, 이와 같은 장소(자연 교육원과 같은 장소)를 산책하는 것이, 좋아했던가도 알려지지 않습니다).또, 내가, 어릴 적부터, 어릴 적, 나의 외가의 조부는, 자연 교육원을 산책할 때에, 나를, 잘 데리고 갔습니다.나의 외가의 조부로서는, 나를 데려서 가 주었다고 하는 감각이었다고 생각합니다만, (어릴 적부터, 어릴 적이었으므로, 기억이 애매합니다만), 당시의(자연의 경치를 즐긴다고 하는 감각이 부족했다, 어릴 적부터 어릴 적의) 나로서는, 아마, 제 쪽이, 조부의 산책에 교제해 주었다고 하는 감각이었다고 생각하는 w(뭐, 어릴 적부터, 어릴 적, 상냥한 조부와 나가는 것은, 즐거웠습니다만...).덧붙여서, 우리 집의 부근의, 나의 친가(원래, 나의, 외가의 조부모의 집.현재는, 부모님이 계승하며 살고 있다)는, 내가, 어릴 적, 나, 나의 남동생( 나에게는, 남동생이, 한 명 있습니다), 나의 부모님, 나의 외가의 조부모의 6명 생활이었습니다(이미, 외가의 조부모는, 모두, 죽어, 현재는, 나의 친가는, 찬`р후 부모님의, 두 명 생활이 되고 있습니다).시부야(shibuya) 구(도쿄 중심부(도쿄 23구)의 서부에 위치하는 구)안북부의, 우리 집의 부근의 친가(및, 우리 집)로부터, 자연 교육원은, 가깝다고 하면, 근처, 친가, 및, 우리 집의, 근처의, 통근 전철·지하철역으로부터, 메구로(meguro) 역(자연 교육원의, 근처의, 통근 전철·지하철역의 하나)까지는, 지하철·통근 전철(전철)로, 20분 정도입니다(지하철·통근 전철(전철)의 승차 시간 자체는, 합계 10몇분 정도이지만, 도중 , 한 번, 갈아 탈 필요가 있기 때문에(위해), 20분 정도).

 

 

나의 외가의 조부는, 제이차 세계대전 후, 이윽고, 형제들과 사업을 일으키고, 실패한 일, 주식을 하고 있던 일(주에서는, 상당히, 견실하게, 꽤, 돈을 돈을 벌고 있던 같습니다)을 제외하면, 리스크(위험)를 취하는 일은, 좋아하지 않고, 도달하고, 보수적이고, 견실, 성실하고, 생활은, 검소하고, 화려한 생활을 하는 일은, 좋아하지 않았습니다.무엇보다, 무취미라고 말한 것은 아니고, 묵화(ink washpainting), 하이쿠(haiku), 단가(tanka), 한시, 낚시질(일찌기, 나의 친가의, 뜰의 연못에는, 잉어와 금붕어 외에, 외가의 조부가, 낚시해 온, 부나, 초어등이 있었습니다)을 취미로서 풍류인적인 일면도 가지고 있었습니다.나의 어머니는(덧붙여서, 나의 어머니는, 외동딸입니다), 어릴 적, 휴일에, 자주(잘), 나의 외가의 조부 에 이끌리고, 전철을 타고, 도쿄의 서부 교외의, 타마(tama) 강에 낚시하러 갔다고 합니다( 나의 어머니는, 완전히, 지루하고, 시시했다고 합니다 w).나의 외가의 조부는, 동양적인(일본적인), 풍류인인 한편, 서양비희(서양의, 식생활 문화를 좋아하는 사람)의 일면도 있어, 나의 외가의 조부의 취향에 배합하고, 나의 친가의 아침 식사는, 서양식였고, 나의 외가의 조부는, 어느 쪽일까하고 말하면, 일식(일본 요리)보다, 양식(일본에서, 근대 이후, 일본에 맞는 것처럼, (일본인의 시점으로부터 하면) 개량된 서양 요리)·서양 요리가, 좋아하는 정도였습니다.또, 나의 외가의 조부는, 매일 저녁, 자기 전에, 반드시, 위스키(whisky)를 마시고 있었던(외가의 조부는, 검소했기 때문에, 대중적인, 위스키(whisky)를 마시고 있었습니다).

 

나의 외가의 조부(동거하고 있던 일로부터, 나의 아버지 쪽의 조부보다, 훨씬 친밀했습니다.덧붙여서, 나의 조부모는, 아버지 쪽의 조모 이외는, 이미, 죽습니다), 나의 아버지, 나를 비교하면, 내가, 제일, 취미가 없는(무취미)같은 생각이 듭니다.어릴 적부터, 수동 상태로, 다양한, 대량의 정보로 둘러싸여 있는, 현대의, 비교적 젊은 중년층·젊은이가, 그것보다 전의 세대의 사람들과 비교해서, 오히려, 취미는, 적은 것인지도 알려지지 않습니다.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 2매.판차이 방지적인 사진이 되어 버립니다만, 이 날, 우리 집에 돌아와 먹은, 케이크(cake).이 날, 자연 교육원을 산책한 후, 나카메구로(nakameguro) area의, 메구로(meguro) 강가의, 일루미네이션(빛의 장식)을 보았습니다만(다음 번의 투고, 참조), 그하는 김에, 나카메구로(nakameguro) area의(메구로(meguro) 강에 가까운 장소에 있다), 케이크(cake)·서양 과자점에서 산 케이크(cake).둘 모두, 둘이서 나누어 먹었습니다.이, 케이크(cake)·서양 과자점은, 마음에 드는 것이라고 말할 수 있는만큼, 많이 이용하고 있는 것이 아닙니다만, 이, 케이크(cake)·서양 과자점의, 케이크(cake)는, 맛있습니다.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

앞의, 초콜릿계의 케이크(cake)는, 사라에 싣기 전에, 내가, 무심코 , 위에, 케이크(cake) 용의, 작은 포크(fork)를 떨어뜨려 버려, 형태를, 조금 무너뜨려 버렸던 orz.

 

 

 

 

적당하게, 풍경&음식 2에 계속 된다...

 

 

 

 

 

 

이하, 덤...

 

 

 

나의 거리의 상가의, 복권의 추첨권.(모든 가게가 아닙니다만), 나의 거리의 상가의 가게에서 쇼핑을 하면 받을 수 있습니다.12월 23일(오늘)에 추첨을 해서 당첨되면, 약간의 물건을 받을 수 있습니다.빗나가면, 10엔의 쇼핑권으로서 사용할 수 있습니다.

 

 

 

 

 

 

홋카이도(hokkaido)(일본의 북단부의 지방)의 중앙부 가까이의 동부에 위치하는 중 도시, 오비히로(obihiro.일본 유수한 농업·낙농 지대에서 있는 토카치(tokachi) 평야의 중심 도시)의, 과자 회사, 육화정(rokkatei.1933년 창업)의, 서양 과자의 여러가지를 섞어 담은 포장.선물.육화정(rokkatei)의, 과자는, 맛있습니다.

 

 

 

 

사진 이하 3매.전에 kj로 업(upload) 한 사진의 재이용.위의, 여러가지를 섞어 담은 포장 에도 들어가 있습니다만, 육화정(rokkatei)의, 마르세이 버터 샌드.이것계의, 과자는, 그 밖에, 도쿄·카마쿠라(kamakura)의 오가와채(ogawaken.1905년 창업)의 레이즌·마녀, 요코하마의, (kawori.1947년 창업)의 건포도 샌드등이 있습니다.나는, 이것계의, 과자를 좋아합니다.

 

사진 이하 3매.마르세이 버터 샌드의 포장(package) 디자인(design)은, 마르세이 버터 샌드를 제조하는 육화정(rokkatei)의 현지, 홋카이도(hokkaido), 오비히로(obihiro) 시의 요다(yoda) 목장이 발매하고 있던 버터(butter)의 포장(package)의 디자인(design)(1905년경의 디자인(design))을 도입한 것이 되고 있습니다.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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番号 タイトル ライター 参照 推薦
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