食べ物

 

 

写真以下13枚は、まず、前回の投稿、「温泉小旅行&食べ物後編」からの続きです。

 

箱根(hakone)の、星の王子様(The Little Prince・Le Petit Prince)ミュージアム(museum)を訪れた後は、前から、ちょっと気になっていて、一度利用して見たいと思っていた、小田原(odawara)の、日本料理食堂で、夕食を食べてから、帰りました。

 

小田原(odawara)は、神奈川(kanagawa)県(東京圏の南部を占める県)の南西部にある中都市で、城下町(歴史的に、地方領主の城(castle)を中心に発展した都市(町))であり、また、箱根(hakone)(東京近郊を代表するリゾート(resort)地・保養地・観光地・避暑地)の観光の拠点ともなっている中都市です。

 

この、小田原(odawara)の、日本料理食堂は、1893年創業の日本料理食堂で、現在の建物は、1926年に建てられた、2代目の建物です(立派な、近代、日本伝統建築の建物です)。

 

写真以下8枚。この食堂の建物。

 

写真以下2枚は、この食堂のパンフレット(leaflet)より。。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下4枚。この食堂の内装例。

 

 

 

この食堂のパンフレット(leaflet)より。。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この食堂で食べた、この日(この温泉旅行時の2日目)の夕食。天丼(天麩羅丼)。この店では、天麩羅を揚げる油には、胡麻油を100%使用しています。これに、味噌汁(miso soup)、漬物等が付きます。二人共、同じ物を食べました(写真は、一人分)。味は、まあ、普通と言った感じかな。。。(普通よりも、少し落ちるかも。。。)。

 

 

この日本料理食堂、従業員の、サービス(service)の感じも、それ程、良くなかったですし、まあ、趣のある、建てられてから90年弱程の建物のみが、唯一の魅力と言った感じでした。歴史と建物により、ある程度は、客が来ると思いますが、それだけに満足していないで、料理等、もう少し、魅力向上為の努力が必要ではないかと思いました。個人的には、一度利用すれば、納得(満足)と言った感じで、もう利用する事はないかなと思います。

 

 

温泉小旅行&食べ物、終わり。。。

 

以下、適当に食べ物。投稿の本文。

 

日々の食事の中から、適当に。。。

 

写真以下34枚。先週の土曜日の夕食に関する投稿。先週の水曜日から土曜日にかけて、愛媛(ehime)県(四国(shikoku)の、4つの県の内の一つ)を旅行して来たのですが(もっとも、初日は、東京の羽田(haneda)空港初、松山(matsuyama)空港行きの最終便(夜に、東京の羽田(haneda)空港初の便)で行ったので、現地では、ほとんど寝るだけ、最終日(先週の土曜日)は、早目の便(昼に、松山(matsuyama)空港出発の便)で帰って来たので、実質、ちゃんと観光したのは、中、二日のみです)、先週の土曜日の夕食は、ほとんど、この時の旅行時に、愛媛(ehime)県で買って来た物で済ませました。

 

四国(shikoku)は、日本列島の中で、本州(honsyu。朝鮮半島よりも若干広く、北アイルランドを除くイギリスと、ほぼ同じ位の広さ。)、北海道(hokkaido。スイス、オランダの1.9倍、デンマークの1.8倍、オーストリアの90%、韓国の80%位の広さ)、九州(kyusyu。ベルギーの1.2倍、台湾と、ほぼ同じ、スイス、オランダの90%位の広さ)に次ぐ、4番目に大きな島で、面積は、韓国の道(do)の中で、一番広い、慶尚北道(Gyeongsangbuk-do)と、2番目に広い、江原道(Gangwon-do)の間位の大きさです(江原道(Gangwon-do)よりも、若干大きく、慶尚北道(Gyeongsangbuk-do)よりも若干小さい)。日本の47の都道府県の内、4県(香川(kagawa)県、愛媛(ehime)県、高知(kouchi)県、徳島(tokushima)県)が、四国(shikoku)に位置しています。

 

今回、私達が旅行した、愛媛(ehime)県は、四国(shikoku)の西北部に位置する県です。四国(shikoku)本土を旅行したのは、今回で2回目でした。前回、四国(shikoku)を旅行した時は、(楽しかったですが)、限られた日数で、広い範囲を廻ろうとした為、何だか、自動車(レンタカー(rent-a-car))の運転ばかりしていたと言う、印象もあったので、今回は、旅行の範囲及び、訪れる観光場所を限定し、落ち着いた旅行にしようと思いました。なお、この旅行は、投稿するつもりはなく、投稿する事を頭に入れて(前提として)、写真を撮った訳ではないので、写真(特に、景色だけや、食べ物の写真は)、あまり撮りませんでした。四国(shikoku)は、いつか(老後にでも)、自動車(飛行機で行って、現地で、レンタカー(rent-a-car)を利用するのではなく、自家用車で、東京から、のんびり行っても良いかも。。。)で、2週間位かけて、ゆっくり廻る旅行をしたいなと思っています。

 

今回、東京との行き帰りは、日本航空(JAL。日本の2大航空会社の一つ)の飛行機を利用しました。今回、初日(1泊目)は、ほとんど、到着して寝るだけであったので、松山(matsuyama)駅の近くのホテルに宿泊し、2泊目と3泊目は、道後(dogo)温泉(下の補足説明参照)の、温泉旅館に宿泊しました。なお、2日目以降は、小型自動車のレンタカーを借りました(レンタカー会社(car rental company)から、小型自動車を借りました)。
道後(dogo)温泉:松山(matsuyama)(四国(shikoku)の北西部(愛媛(ehime)県の中部)に位置する中都市。愛媛(ehime)県で、最大の人口を有する都市であると共に、愛媛(ehime)県の中心都市。四国(shikoku)最大級の人口を有する都市であると共に、四国(shikoku)の中心都市の一つでもある)にある、温泉地。道後(dogo)温泉は、日本で最も古い歴史を有する温泉地の内の一つで、遺物等から、縄文(jomon)時代からの、およそ3000年もの歴史を有すると言われています(日本の神話にも登場しています)。

 

道後(dogo)温泉は、今回、初めて訪れました。今回、訪れた、主な、観光地は、道後(dogo)温泉本館(下の説明参照)(今回、2回利用しました)、松山(matsuyama)城(castle)跡、今治(imabari)城(castle)跡、宇和島(uwajima)城(castle)跡です。何れも、愛媛(ehime)県内に位置し、今回、初めて、訪れました。ちなみに、前回、四国(shikoku)を旅行した際は、城(castle)は、高知(kouchi)県の、高知(kouchi)城(castle)跡を訪れ、また、愛媛(ehime)県の観光地は、内子(uchiko)(四国(shikoku)で、古い街並が残されている町の一つで、四国(shikoku)の主要な観光場所の一つとなっている)等を、訪れました。

 

写真以下6枚。道後(dogo)温泉本館のパンフレット(leaflet)より。。。道後(dogo)温泉本館は、道後(dogo)温泉にある温泉施設(公衆温泉浴場)の一つです。その建物は、道後(dogo)温泉を象徴する建物となっています。

 

 

1635年に、伊予(iyo)松山(matsuyama)藩(現在の、松山(matsuyama)市を中心とする地域)の領主となった、地方領主、松平 定行(matsudaira sadayuki)は、その翌年、道後(dogo)温泉の施設充実に着手し、温泉の浴槽を、士族(侍(samurai)階級)と僧侶用、女性用、庶民の男用に分け、この他に、病気療養用(湯治用)の浴槽を含む、幾つかの浴槽を設け、その下に、馬湯(馬用の温泉)を設けました。

 

 

 

 

江戸(edo)時代後期(18世紀前半頃かな。。。)の、道後(dogo)温泉。

 

 

 

道後(dogo)温泉本館の建物。現在の道後(dogo)温泉本館の建物は、1894年に建てられた物で、老朽化した、道後(dogo)温泉の公衆温泉浴場の建物を建て替える際に、後世まで誇れる物を造ろうと建てられた、近代、日本伝統建築の建物となっています。

 

 

写真以下3枚。道後(dogo)温泉本館の、温泉風呂の例。道後(dogo)温泉本館の、温泉風呂は、男女別の共同風呂となっていて、男用の温泉風呂が3つ、女用の温泉風呂が、二つあります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下8枚。松山(matsuyama)城(castle)跡。以下、松山(matsuyama)城(castle)に関する説明は、wiki等を参考にしました。松山(matsuyama)城(castle)跡は、松山(matsuyama)市の中心部の山に位置する、封建制時代の城(castle)の跡で、松山(matsuyama)城(castle)の跡です。松山(matsuyama)城(castle)は、現在の、松山(matsuyama)市を中心とする地域を統治していた、地方領主の城(castle)で、その歴史は、1603年まで遡ります。敷地面積は、地図から推測すると、20万坪(約660,000平方m)程あったのではないかと思われます。

 

封建制時代には、日本全国には、たくさんの地方領主の城(castle)が有りました。しかしながら、明治(meiji)時代(1868年から1912年)に入ると、出来るだけ効率良く、迅速に、日本を近代的な国家にする事を目指す、新中央政府にとっては、(無駄に多い、維持費のかかる、前近代的な建物が、広大な敷地内に建っている)封建時代の象徴的な建物で有る、城(castle)は、必要の無い物(無用の長物)となります。これによって、19世紀末に、日本全国の、多くの城(castle)の、ほとんどの建物が取り壊され、かつての地方領主達の城(castle)の敷地は、他の用途の土地に転用されました(もっとも、地方領主としての地位を失うと供に、封建制時代の城(castle)等を失ったものの、多くの地方領主達は、貴族階級に組み入れられ、近代社会(19世紀末から第2次世界大戦後、間も無くまで)においても、日本の上流階級としての地位と富は、維持しました。

 

松山(matsuyama)城(castle)も例外ではなく、19世紀後期に、城(castle)が廃止となり、山の麓の、御殿(領主の邸宅の建物)等、領主の居住部分等の建物が取り壊されましたが、例外的に、山の上の、天守閣(tensyukaku)(城(castle)の建物の内、城(castle)の権威を象徴する建物)を中心とした建物群は、取り壊しを免れました。1935年には、天守閣(tensyukaku)等、当時、現存していた、松山(matsuyama)城(castle)の35の建造物が、国宝に指定されました。しかしながら、第二次世界大戦末期の空襲により、11の建造物が、焼失しました(それ等建物は、国宝指定作業における正確な図面等が残されていたことから、現在、木造により、本格的に、復元されています)。

 

 

絵葉書より。。。松山(matsuyama)城(castle)の、現存する、天守閣(tensyukaku)(城(castle)の建物の内、城(castle)の権威を象徴する建物)。現存する、松山(matsuyama)城(castle)の天守閣(tensyukaku)の建物は、先代の天守閣(tensyukaku)が、1784年に落雷で焼失した後、1854年に再建された物です(したがって、(日本の)近代よりも前に建てられた建物ですが、とても古いと言う程ではありません)。

 

 

写真以下7枚は、この旅行時に、私が撮影した写真。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下2枚。松山(matsuyama)城(castle)の天守閣(tensyukaku)から眺めた、松山(matsuyama)の中心部の風景。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下8枚。この旅行時に撮った写真の中から、幾つか。。。

 

写真以下3枚。今治(imabari)城(castle)跡。今治(imabari)城(castle)跡は、愛媛(ehime)県の今治(imabari)市(松山(matsuyama)市の北東部に隣接する中都市。今治(imabari)城(castle)の城下町(歴史的に、地方領主の城(castle)を中心に発展した都市(町)))にある、今治(imabari)城(castle)の跡です。今治(imabari)城(castle)は、今治(imabari)及び、その周辺の島々等を統治していた、地方領主の城(castle)で、17世紀初めに建設されました。今治(imabari)城(castle)の堀(moat)には、海水が引き入れられ(当時は、海から、今治(imabari)城(castle)の堀(moat)まで、船で、直接入る事が出来た様です)、現在も、今治(imabari)城(castle)跡の堀(moat)には、海水魚が泳いでいる様です。今治(imabari)城(castle)は、19世後期に城(castle)が廃止され、広大な敷地に、多くあった建物は、取り壊されました。現在は、かつての敷地の一部(及び、石垣(stone wall)と堀(moat)の一部)が残り、また、建物の、一部が復元されています。

 

 

 

 

 

 

写真以下2枚。今治(imabari)城(castle)跡から眺めた、今治(imabari)の市街地と海。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下3枚。宇和島(uwajima)城(castle)跡。宇和島(uwajima)城(castle)跡は、愛媛(ehime)県の宇和島(uwajima)(愛媛(ehime)県の西南部(四国(shikoku)の西端部)に位置する小都市)にある、宇和島(uwajima)城(castle)の跡です。宇和島(uwajima)城(castle)は、現在の宇和島(uwajima)市周辺を統治していた地方領主の城(castle)です。宇和島(uwajima)城(castle)は、その歴史(起源)は、941年まで遡りますが、現存するのは、1601年に改修され整えられた形の中心部分です。宇和島(uwajima)城(castle)は、1871年に、城(castle)が廃止され、天守閣(tensyukaku)(城(castle)の建物の内、城(castle)の権威を象徴する建物)を除き、多くあった城(castle)の建物の、ほとんど全てが、取り壊されてしまいました。宇和島(uwajima)城(castle)の敷地は、約280,000平方m(約84,700坪)ありましたが、現在は、中心部分の、約100,000平方m(約30,000坪)が残り、宇和島(uwajima)城(castle)跡として、国の史跡に指定されています。ちなみに、1614年から19世紀半ばまで、宇和島(uwajima)城(castle)の城主(城(castle)の所有者・居住者)であった(現在の宇和島(uwajima)市周辺を統治していた)、地方領主の家である、宇和島(uwajima)伊達(date)家の、江戸(edo)(現在の東京)の邸宅(別邸・別荘)の内、当主と、その妻子用の上屋敷は、現在の、国立新美術館付近にあり、敷地面積、約32,700坪(約108,000平方m)、隠居した先代の当主と、その妻用の下屋敷は、現在の、渋谷(shibuya)区の恵比寿(ebisu)(恵比寿(ebisu) garden place付近)にあり、敷地面積、約11,000坪(約36,000平方m)ありました。宇和島(uwajima)伊達(date)家は、近代日本において、貴族階級に組み入れられ、日本の上流階級としての、地位と富は、維持しました。

 

 

写真以下2枚。宇和島(uwajima)城(castle)跡に現存する、宇和島(uwajima)城(castle)の天守閣(tensyukaku)(城(castle)の建物の内、城(castle)の権威を象徴する建物)。現存する、宇和島(uwajima)城(castle)の天守閣(tensyukaku)の建物は、1666年頃に建て替えられた物です。天守閣(tensyukaku)としては、規模が小さな物です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

宇和島(uwajima)城(castle)跡からの眺め。

 

 

 

写真以下2枚。宇和島(uwajima)にて。。。

 

 

 

 

 

 

 

段々畑には、ジャガイモ(potato)が植えられています。段々畑の開拓は、300年以上前に始まったとも言われています。昔は、サツマイモ(sweet potato)が植えられていました。

 

 

 

写真以下12枚。先週の土曜日(以下、この日と書きます)の夕食(二人分)。全て、この時の旅行時に、愛媛(ehime)県で買って来た物です。前述の通り、先週の土曜日の夕食は、ほとんど、この時の旅行時に、愛媛(ehime)県で買って来た物で済ませました。この他、野菜サラダ(salad)等を食べました。

 

 

メイン(main)の、おかず。鯖の焼き物。帰りに、松山(matsuyama)空港(下の補足説明参照)で買った物です。美味しかったです。(夕食時に)食べ切れなかった分は、翌日の朝食の一部として食べました。
松山(matsuyama)空港:松山(matsuyama)のみならず、愛媛(ehime)県の空の玄関口(gateway)となっている空港。四国(shikoku)には、東京等との間の、直行便が発着する、主要な空港が、松山(matsuyama)空港を含み、4つありますが(各県に一つずつ)、その中で、最大の利用者数を誇る空港です。東京の羽田(haneda)空港との間の直行便(ちなみに、東京の羽田(haneda)空港と松山((matsuyama)空港の間の距離は、705km)は、一日12便程、出ています。国際線は、近隣の国との間のみで、韓国のソウルとの間で、週3便、中国の上海との間で、週4便出ています。

 

 

鯛めし(鯛(魚)の、ご飯(rice))。鯛めし(鯛(魚)の、ご飯(rice))は、愛媛(ehime)県の料理です。

 

 

 

 

 

牛肉、しぐれ煮。

 

 

 

 

 

肉じゃが(肉、ジャガイモ(potato))。肉じゃが(肉、ジャガイモ(potato))は、日本の家庭料理の一つです。

 

 

 

写真以下2枚。魚の練り物。写真の魚の練り物は、全部、この日の夕食で食べた訳ではなく、翌日の朝食の一部としても、食べました。

 

 

 

 

 

 

 

じゃこ天(jyakoten)。じゃこ天(jyakoten)は、魚の練り物食品の一種で、愛媛(ehime)県の郷土食品で、愛媛(ehime)県で、よく食べられています。

 

 

 

写真以下6枚。デザート(dessert)。

 

写真以下2枚の果物は、これ全部を、一度に(この日の夕食で)食べた訳ではありません。

 

愛媛(ehime)県産の、紅ほっぺ(紅(beni)hoppe)と言う品種の苺。

 

 

 

 

 

 

愛媛(ehime)県産の、様々な蜜柑。旅行中に食べようと思って、現地で、買った、(現地で、安く売られていた)蜜柑の余りです。愛媛(ehime)県は、日本最大級の蜜柑の産地となっています。今回、東京の我が家で食べる為の蜜柑を、買って来ようかなとも思ったのですが(写真の物は、前述の通り、旅行中に、現地で食べようと思って買った蜜柑の内の、現地で、食べ切れなかった余りです)、自動車での旅行ではなかったので(現地では、レンタカーを借りたが(レンタカー会社(car rental company)から、自動車を借りたが)、東京と現地の間の、行き帰りは、飛行機)、重たくて、かさばるので、やめました。ただし、愛媛(ehime)県産の檸檬(lemon)は、買って来ました。愛媛(ehime)県は、檸檬(lemon)の主要な産地の一つともなっています。

 

 

 

 

 

一個食べてしまっていましたが、饅頭。中に甘い餡(小豆餡)が入っています。日本では、饅頭は、中に甘い餡(小豆餡が、最も一般的)が入った、和菓子(日本伝統菓子)の一種の事を言います(日本では、饅頭(様々な種類があります)は、最も大衆的(一般的)で、最も、よく食べられている、和菓子(日本伝統菓子)の一つとなっています)。

 

 

写真以下3枚。栗入りのタルト(taruto)(これ全部を、一度に(この日の夕食で)食べた訳ではありません)。ここで言う、タルト(taruto)は、一般的な、西洋菓子のタルト(tart)ではなく、愛媛(ehime)県の、伝統菓子の一つの、タルト(taruto)です。愛媛(ehime)県の、伝統菓子の、タルト(taruto)は、カステラ(kasutera。16世紀半ばに、ポルトガル(Portugal)から、日本の、九州(kyusyu)の長崎(nagasaki)県に伝えられた西洋菓子を基に発展した、ケーキ(cake)の様な感じの和菓子(日本伝統菓子)。本場は、長崎(nagasaki)県だが、日本全国で食べられている)の様な生地と、餡を使った、ロールケーキ(swiss roll)の様な、お菓子です。松平 定行(matsudaira sadayuki)(日本の地方領主。1635年から、1658年に、72歳で、息子に家督を譲って隠居するまで、現在の、松山(matsuyama)市を中心とする地域を統治した)が、17世紀半ばに、長崎(nagasaki)で、西洋菓子に接し、その味に魅了され、西洋菓子の製法を、松山(matsuyama)に持ち帰り、地元の菓子職人に作らせ、改良を加えた事が基になって生まれた、お菓子です。以来、近代になるまで、主として、松山(matsuyama)の松平(matsudaira)家(現在の、松山(matsuyama)市を中心とする地域を統治していた地方領主の家)専用の、お菓子でしたが、近代に入ると、一般庶民にも広まりました。ちなみに、彼女は、愛媛(ehime)県の、タルト(taruto)は、何回か食べた事があったそうですが、私は、今回、初めて食べました。このタルト(taruto)は、柚の風味の小豆餡を使い(タルト(taruto)の餡は、柚の風味の小豆餡が、一般的な様です)、栗が入ったタルト(taruto)です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

断面は、こんな感じです(今回、買って来たのは、上の写真のタルト(taruto))。値段が、比較的高く、栗が、たくさん入った下の写真のタルト(taruto)と、どちらを買って来るか、少し迷ったのですが、持った所、下の写真のタルト(taruto)は、割と重たかったのでw、比較的安い、上の写真のタルト(taruto)を買いました(ちなみに、タルト(taruto)は、我が家用の、1本に加えて、我が家の近所の実家への土産を含む、ちょっとした、お土産(贈り物)用に、3本買いました)。

 

 

 

 

写真以下2枚。先々週の火曜日に、仕事の用事で、新宿(東京の主要なビジネス(business)地区の一つであると共に、東京最大級の繁華街の一つ。東京都心部の西部に位置する)を訪れた際に、新宿の、ELTORITO(アメリカの、Californiaに拠点を置く、メキシコ料理のレストランのチェーン(chain)。店舗数は、それ程多くないが、日本でも、チェーン(chain)展開している)の店舗で食べた、昼食。新宿の、ELTORITOの店舗は、前は、時々利用する程度でしたが、最近は、利用する頻度が上がり、(特に、新宿に仕事の用事で訪れる際に、昼食で)、割と、よく利用しています。ちなみに、私が通っていた、大学の近くに、かつて、ELTORITOの店舗が有って(今はない)、大学生時代、その店舗を、よく利用していました(大学内の、親しい友人同士の溜まり場の一つになっていた)。

 

 

付け合せ(side dish)のスープ(soup)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

先々週の木曜日(以下、この日と書きます)、我が家で、一人で食べた昼食。時々、利用している、私の街の、フランス料理を中心とした、小ぢんまりとした惣菜(おかず)店(delicatessen)で買って来た物。ベーコン(bacon)とゴルゴンゾーラ(Gorgonzola)のキッシュ(quiche)と、鶏の挽肉と根菜のキッシュ(quiche)。付け合せ(side dish)の、ガルビュールスープ(garbure)とサラダ(salad)。ちなみに、この惣菜(おかず)店の建物の上の階にある、この惣菜(おかず)店(delicatessen)と同系列の(同じ経営者が経営する)、バー(bar)と言った感じの、小ぢんまりとした、カジュアル(casual)な、フランス料理食堂は、よく利用しています。もう一つ、ちなみに、私の街の別の場所にあった(別の場所と言っても、この店の、すぐ近く)、やはり、この惣菜(おかず)店と同系列の(同じ経営者が経営する)、(カジュアル(casual)な雰囲気で、手頃な値段ですが)、バー(bar)と言った感じではなく、割とちゃんとした(店内も、割と、ゆったりとした)、フランス料理レストランは、お気に入りで、よく利用していたのですが、既に閉店し、現在は、別の経営者のイタリア料理レストランになっています(そのイタリア料理レストランは、一度利用しましたが、料理が、全般的に、今一つの内容と味と言った印象で、それ以来利用していません)。この日は、夕方まで、我が家で、自宅(我が家)に持ち込んだ仕事をしていて、夕方から、職場(事務所)に出ました。この日の夕食は、外食(日本料理食堂)で、取引先の方と食べました。

 

 

 

写真以下3枚。先週の火曜日、仕事から我が家に帰って来て、彼女と二人で食べた夕食の、おかずの、極一部。この日の夕食は、この他、刺身(メイン(main)の、おかず)、焼き魚(魚の焼き物)、舞茸(茸)ご飯(rice)(自家製)、冷たい豆腐、野菜サラダ(salad)等を食べると共に、葉山(hayama)・横須賀(yokosuka)areaの農産物販売所で買った、三浦(miura)半島産の野菜を、バーニャカウダ(bagna cauda)で食べました。

 

 

写真以下2枚。マートで、目に付いて買った、おきゅうと(okyuto)。おきゅうと(okyuto)なる物は、この時、初めて食べました。おきゅうと(okyuto)は、九州(kyusyu)の、福岡(fukuoka)県を中心に、古くから食べられている、海藻加工食品です(説明は、wikiを参考にしました)。

 

 

 

 

 

 

 

写真右は、おきゅうと(okyuto)に付けて食べる、酢味噌。そもそも、切り方は、これで良いのか?w 不味くはなかったけど(嫌いな味ではなかったけど)、かと言って、美味しいと言う程でも、ありませんでしたw

 

 

 

 

 

先々週末は、湘南(syonan)・三浦(miura)半島area(東京の南部近郊(神奈川(kanagawa)県)の、海沿いの保養地)に遊びに行って来たのですが、その際に、三浦(miura)半島の、葉山(hayama)・横須賀(yokosuka)areaの農産物販売所で買った、三浦(miura)半島産の野菜(三浦(miura)半島では、多くの野菜が栽培されています)の一つの、紫カリフラワー(cauliflower)を、茹でた物。マヨネーズ(mayonnaise)を付けて食べました。

 

 

 

写真以下3枚。昨日、仕事から我が家に帰って来て、一人で食べた夕食。この他、野菜サラダ(salad)を食べました。昨日は、昼食は、軽目だったので、夕食は、割と、がっつりと(しっかりと)食べました。

 

 

メイン(main)料理、ステーキ(beef steak)(国産(日本産)、ヒレ肉(fillet))。焼いている途中。

 

 

 

 

 

 

私の街の、手作りパン屋の一つのパン。ソーセージ(sausage)パン、ジャガイモ(potato)パン、サンドイッチ(sandwich)。ソーセージ(sausage)パンは、半分弱程、サンドイッチ(sandwich)は、70%程、写真を撮る前に(夕食の準備前&準備中に)、腹が減って、既に食べてしまっていました。このパン屋(1930年創業)は、凝ったパンを売る、昨今の、手作りパン屋と異なり、昔ながらの、素朴な、街の手作りパン屋と言った感じの店です。このパン屋は、たまに利用しています。

 

 

 

 

昨日は、自動車で、仕事に出ていて、最後、私の街の、北の隣街の、取引先から、直接我が家に帰って来たのですが、帰りに、私の街の、北の隣街の取引先の近くの、おかずの華(okazu no hana)の店舗で買った、サイド(side dish)の、おかず。左上、鯖(魚)の南蛮漬け、右上、鶏肉団子(鶏肉団子は、腹が減っていた勢いで、3つ買いましたが、少し、多過ぎた。。。1個、残し、今日の朝食の一部として食べました)、写真下、メンチカツ(洋食の一つであり、日本で、よく食べられている、庶民的な食べ物・おかずの内の一つ。とても単純に説明すれば、ハンバーグ(hamburger steak)の揚げ物)。おかずの華(okazu no hana)は、オリジン(origin)(チープな(安い)、惣菜(おかず)と弁当(bento)の販売店のチェーン(chain))の様な、惣菜(おかず)と弁当(bento。簡単な食事の一つで、基本的に、ご飯(rice)と、おかずが、箱型の容器に入っている)の販売店のチェーン(chain)(東京圏にチェーン(chain)展開している)ですが、オリジン(origin)よりも、少し、売っている物の値段が高く、少し、売っている物の質が高いです(まあ、それでも、安いけど。。。)。ちなみに、私の街には、オリジン(origin)の店舗はありますが、おかずの華(okazu no hana)の店舗はありません。

 

 

写真以下は、適当に、おまけ。。。

 

 

林檎ジャム(jam)を挟んだ、チープな(安い)、クッキー(cookie)。私は、個人的には、あまり馴染みがありませんでしたが、古くから販売されている製品の様です。

 

 

 

 

 

カバヤ(kabaya。日本の大規模菓子会社の一つ。本社は、岡山(okayama)県、岡山(okayama)市。1946年創業)の、苺風味の、チョコレート、クッキー(cookie)菓子。

 

 

 

写真左、「SKYY BLUE」。SKYY vodkaを使った、若者向けの、爽やかな味の、お酒(アルコール(alcoholic)飲料)です(アルコール(alcohol)度数は、4%と低い)。写真右、ローリングストーンズ(The Rolling Stones)パッケージ(包装)の、エナジードリンク(energy drink)とジン(gin)用いた、カクテル(cocktail)と言った感じの、お酒(アルコール(alcoholic)飲料)(アルコール(alcohol)度数は、5%)。若者及び、比較的、若い層向けと言った感じかな。。。

 

 

写真左、福岡(fukuoka)県(九州(kyusyu)にある県の一つ。中心都市は、福岡(fukuoka)(九州(kyusyu)最大の人口を有する都市))産の、あまおう(amaou)苺(高級な、苺の品種の一つ)風味の、乳製品drink。チープな(安っぽい)味ですが、これは、これで、中々、美味しいです。写真右、白い、苺牛乳。

 

 

 

写真以下。写真左、人工甘味料(artificial sweetener)と着色料を、不使用の、苺のソーダ(soda pop)。写真右、ディズニー(Disney)パッケージ(包装)の、「午後の紅茶」、茶葉2倍、ミルクティー(tea with milk)、クオリティシーズン(quality season)のウバ(Uva)を使用。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


적당하게 음식.

 

 

사진 이하 13매는, 우선, 전회의 투고, 「온천 짧은 여행&음식 후편」으로부터의 계속입니다.

 

하코네(hakone)의, 별의 왕자님(The Little Prince·Le Petit Prince) 박물관(museum)을 방문한 후는, 전부터, 조금 신경이 쓰이고 있고, 한 번 이용해 보고 싶음 , 오다와라(odawara)의, 일본 요리 식당에서, 저녁 식사를 먹고 나서, 돌아갔습니다.

 

오다와라(odawara)는, 카나가와(kanagawa) 현(동경권의 남부를 차지하는 현)의 남서부에 있는 중 도시에서, 성시(역사적으로, 지방 영주 성(castle)을 중심으로 발전한 도시(마을))이며, 또, 하코네(hakone)(도쿄 근교를 대표하는 리조트(resort) 지·보양지·관광지·피서지)의 관광의 거점이나 되고 있는 중 도시입니다.

 

이, 오다와라(odawara)의, 일본 요리 식당은, 1893년 창업의 일본 요리 식당에서, 현재의 건물은, 1926년에 지어진, 2대째의 건물입니다(훌륭한, 근대, 일본 전통 건축의 건물입니다).

 

사진 이하 8매.이 식당의 건물.

 

사진 이하 2매는, 이 식당의 팜플렛(leaflet)보다...

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 4매.이 식당의 내장예.

 

 

 

이 식당의 팜플렛(leaflet)보다...

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

이 식당에서 먹은, 이 날(이 온천 여행시의 2일째)의 저녁 식사.하늘사발(천부라 사발).이 가게에서는, 천부라를 올리는 기름에는, 참기름을 100%사용하고 있습니다.이것에, 된장국(miso soup), 채소 절임등이 붙습니다.두 명모두, 같은 물건을 먹었습니다(사진은, 일인분).맛은, 뭐, 보통이라고 한 느낌일까...(보통보다, 조금 떨어질지도...).

 

 

이 일본 요리 식당, 종업원의, 서비스(service)의 느낌도, 그렇게, 좋지 않았습니다 해, 뭐, 정취가 있는, 지어지고 나서 90 젊은이정도의 건물만이, 유일한 매력이라고 한 느낌이었습니다.역사와 건물에 의해, 어느 정도는, 손님이 온다고 생각합니다만, 그런 만큼 만족하지 않고, 요리등 , 좀 더, 매력 향상때문의 노력이 필요하지 않을까 생각했습니다.개인적으로는, 한 번 이용하면, 납득(만족)이라고 한 느낌으로, 더이상 이용하는 일은 없을까라고 생각합니다.

 

 

온천 짧은 여행&음식, 마지막...

 

이하, 적당하게 음식.투고의 본문.

 

나날의 식사중에서, 적당하게...

 

사진 이하 34매.지난 주의 토요일의 저녁 식사에 관한 투고.지난 주의 수요일부터 토요일에 걸치고, 에히메(ehime) 현(시코쿠(shikoku)의, 4개의 현 중의 하나)를 여행해 왔습니다만(가장, 첫날은, 도쿄의 하네다(haneda) 공항처음, 마츠야마(matsuyama) 공항행의 최종편(밤에, 도쿄의 하네다(haneda) 공항 첫 편)에서 실시했으므로, 현지에서는, 거의 잘 뿐(만큼), 마지막 날(지난 주의 토요일)은, 조목의 변(낮에, 마츠야마(matsuyama) 공항 출발의 변)로 돌아왔으므로, 실질, 분명하게 관광한 것은, 안, 이틀만입니다), 지난 주의 토요일의 저녁 식사는, 거의, 이 때의 여행시에, 에히메(ehime) 현에서 사 온 것으로 끝마쳤습니다.

 

시코쿠(shikoku)는, 일본 열도안에서, 혼슈(honsyu.한반도보다 약간 넓고, 북 아일랜드를 제외한 영국과 거의 같은 정도의 넓이.), 홋카이도(hokkaido.스위스, 네델란드의 1.9배, 덴마크의 1.8배, 오스트리아의 90%, 한국의 80%위의 넓이), 큐슈(kyusyu.벨기에의 1.2배, 대만과 거의 같을, 스위스, 네델란드의 90%위의 넓이)에 뒤잇는, 4번째로 큰 섬에서, 면적은, 한국의 길(do)안에서, 제일 넓은, 경상북도(Gyeongsangbuk-do)와 2번째로 넓은, 강원도(Gangwon-do)의 사이위의 크기입니다(강원도(Gangwon-do)보다, 약간 크고, 경상북도(Gyeongsangbuk-do)보다 약간 작다).일본의 47의 도도부현중, 4현(카가와(kagawa) 현, 에히메(ehime) 현, 코치(kouchi) 현, 토쿠시마(tokushima) 현)가, 시코쿠(shikoku)에 위치하고 있습니다.

 

이번, 저희들이 여행한, 에히메(ehime) 현은, 시코쿠(shikoku)의 서북부에 위치하는 현입니다.시코쿠(shikoku) 본토를 여행한 것은, 이번에 2번째였습니다.전회, 시코쿠(shikoku)를 여행했을 때는, (즐거웠습니다만), 한정된 날짜로, 넓은 범위를 돌려고 한 때문, 무엇인가, 자동차(렌트카(rent-a-car))의 운전만 하고 있었다고 하는, 인상도 있었으므로, 이번은, 여행의 범위 및, 방문하는 관광 장소를 한정해, 침착한 여행으로 하려고 했습니다.덧붙여 이 여행은, 투고할 생각은 없고, 투고하는 일을 이해하고(전제로서), 사진을 찍은 것은 아니기 때문에, 사진(특히, 경치만이나, 음식의 사진은), 별로 찍지 않았습니다.시코쿠(shikoku)는, 언젠가(노후에라도), 자동차(비행기로 가서, 현지에서, 렌트카(rent-a-car)를 이용하는 것이 아니라, 자가용차로, 도쿄로부터, 한가로이 가도 좋을지도...)(으)로, 2주간정도 걸치고, 느긋하게 도는 여행을 하고 싶다라고 생각합니다.

 

이번, 도쿄와의 왕복은, 일본 항공(JAL.일본의 2대항공 회사의 한 개)의 비행기를 이용했습니다.이번, 첫날(1박목)은, 거의, 도착해 자는 것만으로 있었으므로, 마츠야마(matsuyama) 역의 가까운 호텔에 숙박해, 2박목과 3박목은, 도 후(dogo) 온천(아래의 보충 설명 참조)의, 온천 여관에 숙박했습니다.덧붙여 2일째 이후는, 소형자동차의 렌트카를 빌렸던(렌트카 회사(car rental company)로부터, 소형자동차를 빌렸습니다).
도 후(dogo) 온천:마츠야마(matsuyama)(시코쿠(shikoku)의 북서부(에히메(ehime) 현의 중부)에 위치하는 중 도시.에히메(ehime) 현에서, 최대의 인구를 가지는 도시임과 동시에, 에히메(ehime) 현의 중심 도시.시코쿠(shikoku) 최대급의 인구를 가지는 도시임과 동시에, 시코쿠(shikoku)의 중심 도시의 하나이기도 하다)에 있는, 온천지.도 후(dogo) 온천은, 일본에서 가장 오래된 역사를 가지는 온천지 중의 하나로, 유물등으로부터, 죠몽(jomon) 시대부터의, 대략 3000년의 역사를 가진다고 말해지고 있습니다(일본의 신화에도 등장하고 있습니다).

 

도 후(dogo) 온천은, 이번, 처음으로 방문했습니다.이번, 방문한, 주된, 관광지는, 도 후(dogo) 온천 본관(아래의 설명 참조)(이번, 2회 이용했습니다), 마츠야마(matsuyama) 성(castle) 적, 이마지(imabari) 성(castle) 적, 우와지마(uwajima) 성(castle) 적입니다.어느 쪽도, 에히메(ehime) 현내에 위치해, 이번, 처음으로, 방문했습니다.덧붙여서, 전회, 시코쿠(shikoku)를 여행했을 때는, 성(castle)은, 코치(kouchi) 현의, 코치(kouchi) 성(castle) 적을 방문해 또, 에히메(ehime) 현의 관광지는, 내자(uchiko)(시코쿠(shikoku)에서, 오래된 거리수준이 남아 있는 마을의 하나로, 시코쿠(shikoku)의 주요한 관광 장소의 하나가 되고 있다) 등을, 방문했습니다.

 

사진 이하 6매.도 후(dogo) 온천 본관의 팜플렛(leaflet)보다...도 후(dogo) 온천 본관은, 도 후(dogo) 온천에 있는 온천 시설(공중 온천 목욕탕)의 하나입니다.그 건물은, 도 후(dogo) 온천을 상징하는 건물이 되고 있습니다.

 

 

1635년에, 이요(iyo) 마츠야마(matsuyama) 번(현재의, 마츠야마(matsuyama) 시를 중심으로 하는 지역)의 영주가 된, 지방 영주, 마츠다이라정행(matsudaira sadayuki)은, 그 다음 해, 도 후(dogo) 온천의 시설 충실하게 착수해, 온천의 욕조를, 사족(사무라이(samurai) 계급)와 승려용, 여성용, 서민의 남자용으로 나누어 이 그 밖에, 병요양용(탕치용)의 욕조를 포함한, 몇개의 욕조를 마련해 그 아래에, 마탕(마용의 온천)을 마련했습니다.

 

 

 

 

에도(edo) 시대 후기(18 세기 전반무렵일까...)의, 도 후(dogo) 온천.

 

 

 

도 후(dogo) 온천 본관의 건물.현재의 도 후(dogo) 온천 본관의 건물은, 1894년에 지어진 것으로, 노후화 한, 도 후(dogo) 온천의 공중 온천 목욕탕의 건물을 개축할 때에, 후세까지 자랑할 수 있는 것을 만들려고 지어진, 근대, 일본 전통 건축의 건물이 되고 있습니다.

 

 

사진 이하 3매.도 후(dogo) 온천 본관의, 온천 목욕탕의 예.도 후(dogo) 온천 본관의, 온천 목욕탕은, 남녀별의 공동 목욕탕이 되고 있고, 남용의 온천 목욕탕이 3개, 녀용의 온천 목욕탕이, 두 개 있습니다.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 8매.마츠야마(matsuyama) 성(castle) 적.이하, 마츠야마(matsuyama) 성(castle)에 관한 설명은, wiki등을 참고로 했습니다.마츠야마(matsuyama) 성(castle) 적은, 마츠야마(matsuyama) 시의 중심부의 산에 위치하는, 봉건제 시대의 성(castle)의 자취로, 마츠야마(matsuyama) 성(castle)의 자취입니다.마츠야마(matsuyama) 성(castle)은, 현재의, 마츠야마(matsuyama) 시를 중심으로 하는 지역을 통치하고 있던, 지방 영주 성(castle)에서, 그 역사는, 1603년까지 거슬러 올라갑니다.부지면적은, 지도로부터 추측하면, 20만평( 약 660,000평방 m) 정도 있던 것은 아닐까 생각됩니다.

 

봉건제 시대에는, 일본 전국에는, 많은 지방 영주 성(castle)이 있었습니다.그렇지만, 메이지(meiji) 시대(1868년부터 1912년)에 들어가면, 가능한 한 효율 좋게, 신속히, 일본을 근대적인 국가로 하는 일을 목표로 하는, 신중앙정부에 있어서는, (쓸데 없게 많은, 유지비가 걸리는, 전근대적인 건물이, 광대한 부지내에 세워지고 있다) 봉건 시대의 상징적인 건물에서 있는, 성(castle)은, 필요가 없는 것(쓸데없는 장물)이 됩니다.이것에 의해서, 19 세기말에, 일본 전국의, 많은 성(castle)의, 대부분의 건물이 해체되어 한 때의 지방 영주들 성(castle)의 부지는, 다른 용도의 토지에 전용되었던(가장, 지방 영주로서의 지위를 잃으면 보조자에, 봉건제 시대의 성(castle) 등을 잃었지만, 많은 지방 영주들은, 귀족계급에 집어 넣을 수 있어 근대사회(19 세기말로부터 제2차 세계대전 후, 이윽고까지)에 대해도, 일본의 상류계급으로서의 지위와 부는, 유지했습니다.

 

마츠야마(matsuyama) 성(castle)도 예외가 아니고, 19 세기 후기에, 성(castle)이 폐지가 되어, 산의 산기슭의, 저택(영주의 저택의 건물) 등 , 영주의 거주 부분등의 건물이 해체되었습니다만, 예외적으로, 산 위의, 아성의 망루(tensyukaku)(성(castle)의 건물중, 성(castle)의 권위를 상징하는 건물)을 중심으로 한 건물군은, 해체를 면했습니다.1935년에는, 아성의 망루(tensyukaku) 등 , 당시 , 현존 하고 있던, 마츠야마(matsuyama) 성(castle)의 35의 건조물이, 국보로 지정되었습니다.그렇지만, 제이차 세계대전 말기의 공습에 의해, 11의 건조물이, 소실했습니다(그것등 건물은, 국보 지정 작업에 있어서의 정확한 도면등이 남아 있던 것으로부터, 현재, 목조에 의해, 본격적으로, 복원되고 있습니다).

 

 

그림 엽서보다...마츠야마(matsuyama) 성(castle)의, 현존 하는, 아성의 망루(tensyukaku)(성(castle)의 건물중, 성(castle)의 권위를 상징하는 건물).현존 하는, 마츠야마(matsuyama) 성(castle)의 아성의 망루(tensyukaku)의 건물은, 선대의 아성의 망루(tensyukaku)가, 1784년에 낙뢰로 소실한 후, 1854년에 재건된 것입니다(따라서, (일본의) 근대보다 전에 지어진 건물입니다만, 매우 낡다고 할 정도가 아닙니다).

 

 

사진 이하 7매는, 이 여행시에, 내가 촬영한 사진.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 2매.마츠야마(matsuyama) 성(castle)의 아성의 망루(tensyukaku)로부터 바라본, 마츠야마(matsuyama)의 중심부의 풍경.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 8매.이 여행시에 찍은 사진중에서, 몇인가...

 

사진 이하 3매.이마지(imabari) 성(castle) 적.이마지(imabari) 성(castle) 적은, 에히메(ehime) 현의 이마바리(imabari) 시(마츠야마(matsuyama) 시의 북동부에 인접하는 중 도시.이마지(imabari) 성(castle)의 성시(역사적으로, 지방 영주 성(castle)을 중심으로 발전한 도시(마을)))에 있는, 이마지(imabari) 성(castle)의 자취입니다.이마지(imabari) 성(castle)은, 이마지(imabari) 및, 그 주변의 섬들등을 통치하고 있던, 지방 영주 성(castle)에서, 17 세기 처음에 건설되었습니다.이마지(imabari) 성(castle)의 굴(moat)에는, 해수를 끌어 들일 수 있는(당시는, 바다로부터, 이마지(imabari) 성(castle)의 굴(moat)까지, 배로, 직접 들어갈 수가 있던 같습니다), 현재도, 이마지(imabari) 성(castle) 적의 굴(moat)에는, 해수물고기가 헤엄치고 있는 것 같습니다.이마지(imabari) 성(castle)은, 19세후기에 성(castle)이 폐지되어 광대한 부지에, 많이 있던 건물은, 해체되었습니다.현재는, 한 때의 부지의 일부(및, 돌담(stone wall)과 굴(moat)의 일부)이 남아, 또, 건물의, 일부가 복원되고 있습니다.

 

 

 

 

 

 

사진 이하 2매.이마지(imabari) 성(castle) 적으로부터 바라본, 이마지(imabari)의 시가지와 바다.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 3매.우와지마(uwajima) 성(castle) 적.우와지마(uwajima) 성(castle) 적은, 에히메(ehime) 현의 우와지마(uwajima)(에히메(ehime) 현의 서남부(시코쿠(shikoku)의 니시하타부)에 위치하는 소도시)에 있는, 우와지마(uwajima) 성(castle)의 자취입니다.우와지마(uwajima) 성(castle)은, 현재의 우와지마(uwajima) 시 주변을 통치하고 있던 지방 영주 성(castle)입니다.우와지마(uwajima) 성(castle)은, 그 역사(기원)는, 941년까지 거슬러 올라갑니다만, 현존 하는 것은, 1601년에 개수되어 정돈된 형태의 중심부분입니다.우와지마(uwajima) 성(castle)은, 1871년에, 성(castle)이 폐지되어 아성의 망루(tensyukaku)(성(castle)의 건물중, 성(castle)의 권위를 상징하는 건물)을 제외해, 많이 있던 성(castle)의 건물의, 거의 모두가, 해체되어 버렸습니다.우와지마(uwajima) 성(castle)의 부지는, 약 280,000평방 m( 약 84,700평) 있었습니다만, 현재는, 중심부 분의, 약 100,000평방 m( 약 30000평)이 남아, 우와지마(uwajima) 성(castle) 적으로서 나라의 사적으로 지정되어 있습니다.덧붙여서, 1614년부터 19 세기 중반까지, 우와지마(uwajima) 성(castle)의 성주(성(castle)의 소유자·거주자)인(현재의 우와지마(uwajima) 시 주변을 통치하고 있던), 지방 영주의 집인, 우와지마(uwajima) 다테(date) 가의, 에도(edo)(현재의 도쿄)의 저택(별저·별장)중, 당주와 그 처자용의 무사가 사는 집은, 현재의, 국립 니이미술관부근에 있어, 부지면적, 약 32,700평( 약 108,000평방 m), 은거한 선대의 당주와 그 처용의 교외 별장은, 현재의, 시부야(shibuya) 구의 에비스(ebisu)(에비스(ebisu) garden place 부근)에 있어, 부지면적, 약 11,000평( 약 36,000평방 m) 있었습니다.우와지마(uwajima) 다테(date) 가는, 근대 일본에 있고, 귀족계급에 집어 넣을 수 있어 일본의 상류계급으로서의, 지위와 부는, 유지했습니다.

 

 

사진 이하 2매.우와지마(uwajima) 성(castle) 적에 현존 하는, 우와지마(uwajima) 성(castle)의 아성의 망루(tensyukaku)(성(castle)의 건물중, 성(castle)의 권위를 상징하는 건물).현존 하는, 우와지마(uwajima) 성(castle)의 아성의 망루(tensyukaku)의 건물은, 1666년경에 다시 세워진 것입니다.아성의 망루(tensyukaku)로서는, 규모가 작은 것입니다.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

우와지마(uwajima) 성(castle) 적으로부터의 경치.

 

 

 

사진 이하 2매.우와지마(uwajima)에서...

 

 

 

 

 

 

 

점점 밭에는, 감자(potato)가 심어져 있습니다.점점 밭의 개척은, 300년 이상전에 시작했다고도 말해지고 있습니다.옛날은, 고구마(sweet potato)가 심어져 있었습니다.

 

 

 

사진 이하 12매.지난 주의 토요일(이하, 이 날이라고 씁니다)의 저녁 식사(두 명분 ).모두, 이 때의 여행시에, 에히메(ehime) 현에서 사 온 것입니다.상술한 대로, 지난 주의 토요일의 저녁 식사는, 거의, 이 때의 여행시에, 에히메(ehime) 현에서 사 온 것으로 끝마쳤습니다.이 외, 야채 사라다(salad) 등을 먹었습니다.

 

 

메인(main)의, 반찬.고등어의 구이.오는 길에 , 마츠야마(matsuyama) 공항(아래의 보충 설명 참조)에서 산 것입니다.맛있었습니다.(저녁 식사시에) 다 먹을 수 없었던 분은, 다음날의 아침 식사의 일부로서 먹었습니다.
마츠야마(matsuyama) 공항:마츠야마(matsuyama) 뿐만 아니라, 에히메(ehime) 현의 하늘의 현관문(gateway)이 되고 있는 공항.시코쿠(shikoku)에는, 도쿄등과의 사이의, 직행편이 발착하는, 주요한 공항이, 마츠야마(matsuyama) 공항을 포함해, 4개 있습니다만(각 현에 한개씩), 그 중으로, 최대의 이용자수를 자랑하는 공항입니다.도쿄의 하네다(haneda) 공항과의 사이의 직행편(덧붙여서, 도쿄의 하네다(haneda) 공항과 마츠야마((matsuyama) 쿠코우의 사이의 거리는, 705 km)는, 하루 12편 정도, 나와 있습니다.국제선은, 근린의 나라와의 사이의 봐로, 한국의 서울과의 사이로, 주 3편, 중국의 샹하이와의 사이로, 주 4편 나와 있습니다.

 

 

도미째 해(도미(물고기)의, 밥(rice)).도미째 해(도미(물고기)의, 밥(rice))은, 에히메(ehime) 현의 요리입니다.

 

 

 

 

 

쇠고기, 늦가을비가 오락가락해 익혀.

 

 

 

 

 

고기는이(고기, 감자(potato)).고기는이(고기, 감자(potato))는, 일본의 가정 요리의 하나입니다.

 

 

 

사진 이하 2매.물고기의 반죽물.사진의 물고기의 반죽물은, 전부, 이 날의 저녁 식사로 먹은 것은 아니고, 다음날의 아침 식사의 일부라고 해도, 먹었습니다.

 

 

 

 

 

 

 

잡어하늘(jyakoten).잡어하늘(jyakoten)은, 물고기의 반죽물 식품의 일종으로, 에히메(ehime) 현의 향토 식품으로, 에히메(ehime) 현에서, 잘 먹을 수 있고 있습니다.

 

 

 

사진 이하 6매.디저트(dessert).

 

사진 이하 2매의 과일은, 이것 전부를, 한 번에(이 날의 저녁 식사로) 먹은 것은 아닙니다.

 

에히메(ehime) 현산의, 다홍색 볼(다홍색(beni) hoppe)이라고 하는 품종의 딸기.

 

 

 

 

 

 

에히메(ehime) 현산의, 여러가지 밀감.여행중에 먹으려고 하고, 현지에서, 산, (현지에서, 싸게 팔리고 있던) 밀감의 남짓합니다.에히메(ehime) 현은, 일본 최대급의 밀감의 산지가 되고 있습니다.이번, 도쿄의 우리 집에서 먹기 때문에(위해)의 밀감을, 사 올까 라고도 생각했습니다만(사진의 물건은, 상술한 대로, 여행중에, 현지에서 먹으려고 해 산 밀감 중의, 현지에서, 다 먹을 수 없었다 남짓합니다), 자동차로의 여행은 아니었기 때문에(현지에서는, 렌트카를 빌렸지만(렌트카 회사(car rental company)로부터, 자동차를 빌렸지만), 도쿄와 현지의 사이의, 왕복은, 비행기), 무거워서, 부피가 커지므로, 그만두었습니다.다만, 에히메(ehime) 현산의 영몽(lemon)은, 사 왔습니다.에히메(ehime) 현은, 영몽(lemon)의 주요한 산지의 하나나 되고 있습니다.

 

 

 

 

 

한 개 먹어 버리고 있었습니다만, 만두.안에 단 팥소(팥 팥소)가 들어가 있습니다.일본에서는, 만두는, 안에 단 팥소(팥 팥소가, 가장 일반적)가 들어간, 일본식 과자(일본 전통 과자)의 일종의 일을 말합니다(일본에서는, 만두(여러가지 종류가 있습니다)는, 가장 대중적(일반적)으로, 가장, 잘 먹을 수 있고 있는, 일본식 과자(일본 전통 과자)의 하나가 되고 있습니다).

 

 

사진 이하 3매.률들이의 과일 파이(taruto)(이것 전부를, 한 번에(이 날의 저녁 식사로) 먹은 것은 아닙니다).여기서 말하는, 과일 파이(taruto)는, 일반적인, 서양 과자의 과일 파이(tart)가 아니고, 에히메(ehime) 현의, 전통 과자의 하나의, 과일 파이(taruto)입니다.에히메(ehime) 현의, 전통 과자의, 과일 파이(taruto)는, 카스테라(kasutera.16 세기 중반에, 포르투갈(Portugal)로부터, 일본의, 큐슈(kyusyu)의 나가사키(nagasaki) 현에게 전할 수 있었던 서양 과자를 기본으로 발전한, 케이크(cake)의 같은 느낌의 일본식 과자(일본 전통 과자).본고장은, 나가사키(nagasaki) 현이지만, 일본 전국에서 먹을 수 있고 있다)의 같은 천과 팥소를 사용한, 롤 케이크(swiss roll)의 같은, 과자입니다.마츠다이라정행(matsudairasadayuki)(일본의 지방 영주.1635년부터, 1658년에, 72세에, 아들에게 상속자를 양보해 은거할 때까지, 현재의, 마츠야마(matsuyama) 시를 중심으로 하는 지역을 통치했다)가, 17 세기 중반에, 나가사키(nagasaki)에서, 서양 과자에 접해, 그 맛에 매료되어 서양 과자의 제법을, 마츠야마(matsuyama)에 가지고 돌아가, 현지의 과자 직공에게 만들게 하고 개량을 더한 일이 기본으로 되어 태어난, 과자입니다.이래, 근대가 될 때까지, 주로, 마츠야마(matsuyama)의 마츠다이라(matsudaira) 가(현재의, 마츠야마(matsuyama) 시를 중심으로 하는 지역을 통치하고 있던 지방 영주의 집) 전용의, 과자였지만, 근대에 들어가면, 일반 서민에게도 퍼졌습니다.덧붙여서, 그녀는, 에히메(ehime) 현의, 과일 파이(taruto)는, 몇회인가 먹은 일이 있었다고 합니다만, 나는, 이번, 처음으로 먹었습니다.이 과일 파이(taruto)는, 유자의 풍미의 팥 팥소를 사용해(과일 파이(taruto)의 팥소는, 유자의 풍미의 팥 팥소가, 일반적인 같습니다), 률이 들어간 과일 파이(taruto)입니다.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

단면은, 이런 느낌입니다(이번, 사 온 것은, 위의 사진의 과일 파이(taruto)).가격이, 비교적 높고, 률이, 많이 들어간 아래의 사진의 과일 파이(taruto)와 어느 쪽을 사 오는지, 조금 헤매었습니다만, 가진 곳, 아래의 사진의 과일 파이(taruto)는, 생각보다는 무거웠기 때문에 w, 비교적 싼, 위의 사진의 과일 파이(taruto)를 샀던(덧붙여서, 과일 파이(taruto)는, 우리 가용의, 1개에 가세하고, 우리 집의 부근의 친가에의 선물을 포함한, 약간의, 선물(선물)용으로, 3개 샀습니다).

 

 

 

 

사진 이하 2매.앞으로주의 화요일에, 일의 용무로, 신쥬쿠(도쿄의 주요한 비지니스(business) 지구의 하나임과 동시에, 도쿄 최대급의 번화가의 하나.도쿄도심부의 서부에 위치한다)를 방문했을 때에, 신쥬쿠의, ELTORITO(미국의, California에 거점을 두는, 멕시코 요리의 레스토랑의 체인(chain).점포수는, 그렇게 많지 않지만, 일본에서도, 체인(chain) 전개하고 있다)의 점포에서 먹은, 점심 식사.신쥬쿠의, ELTORITO의 점포는, 전은, 가끔 이용하는 정도였지만, 최근에는, 이용하는 빈도가 올라, (특히, 신쥬쿠에 일의 용무로 방문할 때에, 점심 식사로), 생각보다는, 자주(잘) 이용하고 있습니다.덧붙여서, 내가 다니고 있던, 대학의 근처에, 일찌기, ELTORITO의 점포가 있고(지금은 없다), 대학생 시대, 그 점포를, 자주(잘) 이용하고 있었습니다(대학내의, 친한 친구끼리의 집합소의 하나가 되어 있었다).

 

 

곁들여(side dish)의 스프(soup).

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

앞으로주의 목요일(이하, 이 날이라고 씁니다), 우리 집에서, 혼자서 먹은 점심 식사.가끔, 이용하고 있는, 나의 거리의, 프랑스 요리를 중심으로 한, 소로 한 총채(반찬) 점(delicatessen)에서 사 온 것.베이컨(bacon)과 골곤 조라(Gorgonzola)의 킷슈(quiche)와 닭의 (기계로)간 고기와 근채의 킷슈(quiche).곁들여(sidedish)의, 가르뷰르스프(garbure)와 사라다(salad).덧붙여서, 이 총채(반찬) 점의 건물 위의 층에 있는, 이 총채(반찬) 점(delicatessen)과 동계열의(같은 경영자가 경영한다), 바(bar)라고 한 느낌의, 소로 한, 캐쥬얼(casual)인, 프랑스 요리 식당은, 자주(잘) 이용하고 있습니다.하나 더, 덧붙여서, 나의 거리의 다른 장소에 있던(다른 장소라고 말해도, 이 가게의, 곧 근처), 역시, 이 총채(반찬) 점과 동계열의(같은 경영자가 경영한다), (캐쥬얼(casual)인 분위기로, 적당한 가격입니다만), 바(bar)라고 한 느낌이 아니고, 생각보다는 제대로 한(점내도, 생각보다는, 느긋한), 프랑스 요리 레스토랑은, 마음에 드는 것으로, 자주(잘) 이용하고 있었습니다만, 이미 폐점해, 현재는, 다른 경영자의 이탈리아 요리 레스토랑이 되어 있습니다(그 이탈리아 요리 레스토랑은, 한 번 이용했습니다만, 요리가, 전반적으로, 좀 더의 내용과 맛이라고 한 인상으로, 그 이후로 이용하고 있지 않습니다).이 날은, 저녁까지, 우리 집에서, 자택(우리 집)에 반입한 일을 하고 있고, 저녁부터, 직장(사무소)에 나왔습니다.이 날의 저녁 식사는, 외식(일본 요리 식당)으로, 거래처의 분과 먹었습니다.

 

 

 

사진 이하 3매.지난 주의 화요일, 일로부터 우리 집에 돌아오고, 그녀와 둘이서 먹은 저녁 식사의, 반찬의, 극히 일부.이 날의 저녁 식사는, 이 외, 생선회(메인(main)의, 반찬), 생선구이(물고기의 구이), 버섯(버섯) 밥(rice)(자가제), 차가운 두부, 야채 사라다(salad) 등을 먹음과 동시에, 하야마(hayama)·요코스카(yokosuka) area의 농산물 판매소에서 산, 미우라(miura) 반도산의 야채를, 바냐카우다(bagna cauda)로 먹었습니다.

 

 

사진 이하 2매.마트에서, 눈에 띄어 산, 옛 수도(okyuto).옛 수도(okyuto) 되는 것은, 이 때, 처음으로 먹었습니다.옛 수도(okyuto)는, 큐슈(kyusyu)의, 후쿠오카(fukuoka) 현을 중심으로, 옛부터 먹을 수 있고 있는, 해조 가공 식품입니다(설명은, wiki를 참고로 했습니다).

 

 

 

 

 

 

 

사진 오른쪽은, 옛 수도(okyuto)에 붙여 먹는, 초된장.원래, 자르는 방법은, 이것으로 좋은가?w 맛이 없지는 않았지만(싫은 맛은 아니었지만), 일까하고 말하고, 맛있다고 하는만큼에서도, 없었습니다 w

 

 

 

 

 

앞으로 주말은, 쇼우난(syonan)·미우라(miura) 반도 area(도쿄의 남부 근교(카나가와(kanagawa) 현)의, 해안의 보양지)에 놀러 갔다 왔습니다만, 그 때에, 미우라(miura) 반도의, 하야마(hayama)·요코스카(yokosuka) area의 농산물 판매소에서 산, 미우라(miura) 반도산의 야채(미우라(miura) 반도에서는, 많은 야채가 재배되고 있습니다)의 하나의, 보라색 콜리 플라워(cauliflower)를, 데친 것.마요네즈(mayonnaise)를 붙여 먹었습니다.

 

 

 

사진 이하 3매.어제, 일로부터 우리 집에 돌아오고, 혼자서 먹은 저녁 식사.이 외, 야채 사라다(salad)를 먹었습니다.어제는, 점심 식사는, 경목이었으므로, 저녁 식사는, 생각보다는, 이 낚시와(제대로) 먹었습니다.

 

 

메인(main) 요리, 스테이크(beef steak)(국산(일본산), 필레육(fillet)).굽고 있는 도중.

 

 

 

 

 

 

나의 거리의, 손수 만든 빵가게의 하나의 빵.소세지(sausage) 빵, 감자(potato) 빵, 샌드위치(sandwich).소세지(sausage) 빵은, 반약정, 샌드위치(sandwich)는, 70%정도, 사진을 찍기 전에(저녁 식사의 준비전&준비중에), 배가 고프고, 이미 먹어 버리고 있었습니다.이 빵가게(1930년 창업)는, 열중한 빵을 파는, 요즈음의, 손수 만든 빵가게와 달리, 옛날부터의, 소박한, 거리의 손수 만든 빵가게라고 한 느낌의 가게입니다.이 빵가게는, 이따금 이용하고 있습니다.

 

 

 

 

어제는, 자동차로, 일에 나와 있고, 최후, 나의 거리의, 북쪽의 린가의, 거래처로부터, 직접 우리 집에 돌아왔습니다만, 오는 길에 , 나의 거리의, 북쪽의 린가의 거래처의 가까이의, 반찬의 화(okazu no hana)의 점포에서 산, 사이드(side dish)의, 반찬.좌상, 고등어(물고기)의 생선 튀김 요리, 우상, 닭고기 경단(닭고기 경단은, 배가 고프고 있던 기세로, 3샀습니다만, 조금, 너무 많았다...1개, 남겨, 오늘의 아침 식사의 일부로서 먹었습니다), 사진하, 멘치카트(양식의 하나이며, 일본에서, 잘 먹을 수 있고 있는, 서민적인 음식·반찬 중의 하나.매우 단순하게 설명하면, 햄버거(hamburger steak)의 튀김).반찬의 화(okazu nohana)는, 오리진(origin)(저렴한(싸다), 총채(반찬)와 도시락(bento)의 판매점의 체인(chain))의 같은, 총채(반찬)와 도시락(bento.간단한 식사의 하나로, 기본적으로, 밥(rice)과 반찬이, 상형의 용기에 들어가 있다)의 판매점의 체인(chain)(동경권에 체인(chain) 전개하고 있다)입니다만, 오리진(origin)보다, 조금, 팔고 있는 것의 가격이 비싸고, 조금, 팔고 있는 것의 질이 높습니다(뭐, 그런데도, 싼데...).덧붙여서, 나의 거리에는, 오리진(origin)의 점포는 있습니다만, 반찬의 화(okazu no hana)의 점포는 없습니다.

 

 

사진 이하는, 적당하게, 덤...

 

 

사과 잼(jam)을 사이에 둔, 저렴한(싸다), 쿠키(cookie).나는, 개인적으로는, 너무 익숙한 것이 없었습니다만, 옛부터 판매되고 있는 제품의 같습니다.

 

 

 

 

 

카바야(kabaya.일본의 대규모 과자 회사의 하나.본사는, 오카야마(okayama) 현, 오카야마(okayama) 시.1946년 창업)의, 딸기 풍미의, 초콜릿, 쿠키(cookie) 과자.

 

 

 

사진왼쪽, 「SKYY BLUE」.SKYY vodka를 사용한, 젊은 층을 겨냥의, 상쾌한 맛의, 술(알코올(alcoholic) 음료)입니다(알코올(alcohol) 도수는, 4%로 낮다).사진 오른쪽, 롤링 스톤즈(The Rolling Stones) 패키지(포장)의, 에너지 드링크(energy drink)와 진(gin) 이용한, 칵테일(cocktail)이라고 한 느낌의, 술(알코올(alcoholic) 음료)(알코올(alcohol) 도수는, 5%).젊은이 및, 비교적, 젊은 층 전용이라고 한 느낌일까...

 

 

사진왼쪽, 후쿠오카(fukuoka) 현(큐슈(kyusyu)에 있는 현의 하나.중심 도시는, 후쿠오카(fukuoka)(큐슈(kyusyu) 최대의 인구를 가지는 도시)) 산의, 여승 왕(amaou) 딸기(고급, 딸기의 품종의 하나) 풍미의, 유제품 drink.저렴한(싸구려 같다) 맛입니다만, 이것은, 이것으로, 꽤, 맛있습니다.사진 오른쪽, 흰, 딸기 우유.

 

 

 

사진 이하.사진왼쪽, 인공 감미료(artificial sweetener)와 착색료를, 미사용의, 딸기의 소다(soda pop).사진 오른쪽, 디즈니(Disney) 패키지(포장)의, 「오후의 홍차」, 차잎 2배, 밀크티(tea with milk), 퀄리티 시즌(quality season)의 유모(Uva)를 사용.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



TOTAL: 943

番号 タイトル ライター 参照 推薦
483
No Image
 東京散歩&食べ物2。 jlemon 2013-03-24 4762 0
482
No Image
東京散歩&食べ物1。 jlemon 2013-03-22 3275 0
481
No Image
 適当に食べ物。 jlemon 2013-03-20 2201 0
480
No Image
晩秋の温泉小旅行&食べ物後編。 jlemon 2013-03-20 1828 0
479
No Image
晩秋の温泉小旅行&食べ物前編。 jlemon 2013-03-18 2140 0
478
No Image
12月上旬の東京散歩&食べ物3。 jlemon 2013-03-16 1493 0
477
No Image
12月上旬の東京散歩&食べ物2。 jlemon 2013-03-14 18030 0
476
No Image
12月上旬の東京散歩&食べ物1。 jlemon 2013-03-12 8407 0
475
No Image
秋の高原滞在&食べ物3。 jlemon 2013-03-09 6108 0
474
No Image
秋の高原滞在&食べ物2。 jlemon 2013-03-08 1303 0
473
No Image
秋の高原滞在&食べ物1。 jlemon 2013-03-04 1689 0
472
No Image
適当に食べ物。 jlemon 2013-02-23 1778 0
471
No Image
江ノ島(enoshima)散歩&食べ物。 jlemon 2013-02-11 15710 0
470
No Image
年末年始の食事。 jlemon 2013-02-11 12787 0
469
No Image
 適当に食べ物。 jlemon 2013-02-08 17440 0
468
No Image
神奈川(kanagawa)県散歩&食べ物後編....... jlemon 2013-02-04 13598 0
467
No Image
神奈川(kanagawa)県散歩&食べ物前編....... jlemon 2013-01-31 2158 0
466
No Image
適当に食べ物。 jlemon 2013-01-29 8759 0
465
No Image
温泉小旅行&食べ物後編。 jlemon 2013-01-27 2339 0
464
No Image
温泉小旅行&食べ物前編。 jlemon 2013-01-23 2105 0