食べ物

 

 

11月の第2週の金曜日及び土曜日(個人的に両日共休みでした)等についての投稿です。

 

写真以下、この投稿(「適当に休日の食事前編」)は、11月の第2週の金曜日についての投稿です。

 

この日は、近場で、ブラブラして来ました。

 

写真以下12枚。この日、少し遅目の朝食を食べた後、翌日の、おやつとして食べる為に、大きなサイズ(size)のプッチンプリンを作りました。プッチンプリンは、結構古くから販売されている、グリコ(glico)乳業(日本の大規模乳製品会社の一つ)の、とてもチープな(とても安い)、子供向けのプリン(cream caramel)です。この時、作ったプッチンプリンは、家庭で作る為の商品である事(普通のプッチンプリンは、出来た状態で売られている)、サイズ(size)が、とても大きい事が特徴となっています。

 

写真以下5枚。容器(この容器を使用して作る)の中に材料が入っていていますが、自分で、牛乳1Lは用意しなければなりません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

牛乳1Lを加えて作ります。

 

 

写真以下4枚。作っている途中の様子。作り方は簡単です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下3枚。これで、ほぼ完成。

 

 

 

 

 

写真以下2枚。このまま冷蔵庫で、長時間(8時間以上だったかな。。。)冷やせば完成です。このプッチンプリンは、翌日に食べました。

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下33枚。この日は、まず、原宿(harajyuku)area、表参道(omotesando)、青山(aoyama)areaを、ぶらぶらと散歩しました。原宿(harajyuku)・表参道(omotesando)areaは、渋谷(shibuya)駅周辺(東京都心部の西部に位置する。東京最大級の繁華街の一つ)に次いで、私が暮らす、渋谷(shibuya)区で、第二の繁華街となっています(東京中心部全体で見ても、主要な繁華街の内の一つ)。原宿(harajyu)areaは、東京の主要な若者文化の発信地の一つとなっています。表参道(omotesando)は、原宿(harajyuku)areaと原宿(harajyuku)areaに隣接する青山(aoyama)areaを結ぶ、1.5km程の通りで、銀座(ginza)と供に、東京を代表する、shopping街(street)となっています(もっとも、銀座(ginza)には、歴史を格も、足元にも及びませんが。。。)。原宿(harajyu)・表参道(omotesando)area等に隣接する、青山(aoyama)area(かなり広範囲に及ぶ)は、東京の代表的な、高級商業地の一つとなっています。

 

写真以下5枚。まずは、原宿(harajyuku)areaにあるパンケーキ(pancake)屋さん、「Days」で昼食を食べました(内容的には、おやつみたいな物だけど。。。w)。ちなみに、原宿(harajyuku)areaは、我が家の最寄り駅から、地下鉄で2駅、私の職場(事務所)の最寄り駅からも地下鉄で2駅です。「Days」は、東京圏に二店舗(原宿(harajyuku)と吉祥寺(kichijoyji))、名古屋(nagoya)に一店舗(名古屋(nagoya)の店舗は、最近オープン(open)した様です)店舗があります。「Days」は、この時を含めて、何回か利用していますが、可愛いパンケーキ(pancake)を出す店です。

 

写真以下2枚。お店(「Days」)のカード(card)。

 

 

 

 

 

 

 

写真以下3枚。「Days」で食べた、この日の昼食。

 

写真以下2枚。私が食べた、キャラメリゼ(茶色の焼き色を付けた)チョコレート(chocolate)バナナ(banana)パンケーキ(pancake)。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

彼女が食べた、ベリー(berry)チーズ(cheese)パンケーキ(pancake)。

 

 

 

 

これは、別の日に、仕事の用事で、表参道(omotesando)を訪れた時に、撮影した写真。表参道(omotesando)は、原宿(harajyuku)areaと原宿(harajyuku)areaに隣接する青山(aoyama)areaを結ぶ、1.5km程の通りで、東京を代表する、shopping街(street)の一つとなっています。

 

 

写真以下7枚。表参道(omotesando)hills(表参道(omotesando)にある高級shopping mall)にて。。。今年の表参道(omotesando)hillsのクリスマス飾りのテーマは、ディズニー(disney)となっています。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下20枚。この日、青山areaにある、岡本 太郎(okamoto taro)記念館を訪れました。岡本 太郎(okamoto taro)記念館は、岡本 太郎(okamoto taro)が、1954年から、1996年に亡くなるまで暮らした家を改装した、岡本 太郎(okamoto taro)の作品を展示する小さな美術館です。岡本 太郎(okamoto taro)記念館を訪れたのは、この時で三回目でした。

 

岡本 太郎(okamoto taro。1911年生まれ。1996年に亡くなる)は、1930年代から1990年代半ば(主として1950年代から1980年代)に活躍した、日本の有名な現代美術artistです。

 

写真以下7枚。岡本 太郎(okamoto taro)の作品例。

 

写真以下5枚(写真は借り物)。大阪郊外、万博記念公園に残されている太陽の塔。1970年に開催された大阪万国博覧会(Expo “70)の会場に、岡本 太郎(okamoto tarou)が制作した芸術作品であり建造物です(wikiより)。高さは、65m有ります。太陽の塔は、未来的なデザイン(design)のExpo Tower(菊竹 清訓(kikutake kiyonori。日本の有名な建築家)が設計。高さ127m)と供に、大阪万国博覧会(Expo “70)を象徴する建物でした。私は、太陽の塔を、近くで、じっくりと見た事は無いのですが、いつかは、近くで、じっくり見たいと思っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちなみに写真に見える、モノレール(monorail)の軌条(rail)は、世界最長の営業距離(路線距離21.2km)を持つモノレール(monorail)である大阪モノレール(monorail)の軌条です。

 

 

 

 

 

 

これは、別の日に、仕事の用事で、渋谷(shibuya)を訪れた際に、渋谷(shibuya)駅にて撮影した写真。「明日の神話」。1969年。元々、岡本 太郎(okamoto tarou)が、メキシコの実業家から、Mexico City中心部に新築する高層ホテル(開業すれば、メキシコを代表するホテルの一つになっていたはずの様です)のロビー(lobby)を飾る為の壁画を描いて欲しいと以来され、制作した作品です。依頼主の経済状況の悪化により、ホテルは未完成のまま放置される事になり、「明日の神話」も取り外され、長らく所在が不明となっていましたが、2003年に、メキシコ国内の倉庫で、発見されました。2005年に、日本に移送され、修復が施された後、2006年に、報道陣に公開されました。その後、東京都現代美術館で展示される等した後、渋谷(shibuya)駅に飾られました。

 

 

絵葉書の写真で申し訳ありませんが、「犬の植木鉢」。

 

 

 

写真以下13枚。岡本 太郎(okamoto taro)記念館。岡本 太郎(okamoto taro)記念館は、岡本 太郎(okamoto taro)が、1954年から、1996年に亡くなるまで暮らした家を改装した、岡本 太郎(okamoto taro)の作品を展示する小さな美術館です。


 

岡本 太郎(okamoto taro)が、1954年から、1996年に亡くなるまで暮らした家の建物(写真)は、坂倉 準三(sakakura jyunzo)(下の補足説明参照)の設計により、1953年に建てられた物です。岡本 太郎(okamoto taro)の、(元)家は、東京の一等地にありますが、知名度の割には、大きくありません。家の建物は、岡本 太郎(okamoto taro)が、後の時代程、有名ではなかった時に建てられた物ですが、岡本 太郎(okamoto taro)の友人である、坂倉 準三(sakakura jyunzo)が設計した、この建物を、岡本 太郎(okamoto taro)は、気に入っていたのかもしれませんし、元々、この土地は、岡本 太郎(okamoto taro)の実家の土地であった為、岡本 太郎(okamoto taro)は、この地に、愛着を持っていたのでしょう。。。また、岡本 太郎(okamoto taro)は、自分の作品が好きなあまり、あまり、人に作品を売ろうとはせず、知名度程、お金を儲けていなかったと言う話も聞いた事があります。

坂倉 準三(sakakura jyunzo):1901年生まれ。1969年に亡くなる。1930年代後半から亡くなるまで活躍した、日本の有名な現代建築家。他の、日本の第二次世界大戦後の復興期(1950年代から1960年代初期)の、現代建築界をリード(lead)した、日本の有名な建築家達と供に、日本の現代建築設計の水準を、世界最高水準に引き上げる為の基礎を、1950年代に、固めた建築家の一人。代表作は、1937年のパリ(Paris)万国博覧会(The Exposition Internationale des Arts et Techniques dans la Vie Moderne)の日本館、鎌倉(kamakura)の神奈川(kanagawa)県立近代美術館(1951年)等。

 

 

 

 

 

岡本 太郎(okamoto taro)の作品。「縄文(jomon)人」。岡本 太郎(okamoto taro)は、ピカソ(Picasso)から強い影響を受けていますが、日本の、縄文(jomon)時代(約16,000年前から2,300年前)の、土器(縄文(jomon)式土器)や土偶(土製の人形)のデザイン(design)、文化等からも、強い影響を受けています。

 

 

写真以下10枚。この時、岡本 太郎(okamoto taro)記念館では、ヤノベケンジ(yanobe kenji)(下の補足説明参照)の作品と、岡本 太郎(okamoto taro)の作品を一緒に展示する、展覧会(exhibition)が開かれていました。
ヤノベケンジ(yanobe kenji):1965年、大阪生まれ。現在活躍中の、日本の有名な現代美術artist。大阪を拠点に活動を行っている。


 

岡本 太郎(okamoto taro)の作品とヤノベケンジ(yanobe kenji)の作品を合わせた展示。

 

 

写真以下2枚。岡本 太郎(okamoto taro)の、(元)家(現在は、岡本 太郎(okamoto taro)記念館となっている)にある、岡本 太郎(okamoto taro)の、(元)アトリエ(作品制作作業部屋)。


 

 

 

 

 

 

 

写真手前、ヤノベケンジ(yanobe kenji)の作品。写真奥、太陽の塔。

 

 

写真以下6枚。ヤノベケンジ(yanobe kenji)の作品。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

岡本 太郎(okamoto taro)記念館を訪れた後、少し、青山(aoyama)areaを散歩した後、新宿(東京最大級の繁華街の一つ。東京の西部郊外に位置する)に移動し、新宿にある損保ジャパン(sompo japan)美術館で、この時行われていた、モーリス・ドニ(Maurice Denis)の展覧会(exhibition)を見て来ました。

 

損保ジャパン(sompo japan)美術館のパンフレット(leaflet)。写真(パンフレット(leaflet))左下の超高層ビルは、新宿副都心(1970年代に開発された日本で最初の200m級超高層ビル群)にある損保ジャパン(sompo japan)本社ビル。1976年完成した、高さ200mのビルです。損保ジャパン(sompo japan)美術館は、このビルの、ほぼ最上階を占める美術館です。損保ジャパン(sompo japan)は、安田火災海上保険(前身で有る、東京火災保険は、1888年創業)と日産火災海上保険(1911年設立)と言う二つの損害保険会社が、合弁して2002年に発足した、損害保険会社で、損保ジャパン(sompo japan)発足前は、損保ジャパン(sompo japan)本社ビルは、安田火災海上保険本社ビル、損保ジャパン(sompo japan)美術館は、安田火災美術館(又は、東郷 青児(togo seiji)美術館)でした。損保ジャパン(sompo japan)は、安田火災海上保険時代から、日本有数の損害保険会社です(日本で、3本の指に入る損害保険会社)。損保ジャパン(sompo japan)美術館は、安田火災海上保険が、社会貢献の一環として、安田火災海上保険の新本社ビル(現在の損保ジャパン(sompo japan)本社ビル)が完成した1976年に、同ビルに開館(open)した、私営の美術館です。損保ジャパン(sompo japan)美術館の収蔵品(collection)の中心は、美術館の設立趣旨に共鳴した、安田火災海上保険と縁の有る(下の補足説明参照)、東郷  青児(togo seiji。1897年生まれ。1978年に亡くなる。日本の有名な、近代・現代画家)が、安田火災海上保険に寄贈した作品となっています。
補足説明:損保ジャパン(sompo japan)美術館のhpを参考にしました(ほぼ引用)。歴代の安田火災海上保険(及び、安田火災海上保険の前身の東京火災保険)の社長のお気に入りの画家であった、東郷 青児(togo seiji)は、1920年代後半、(安田火災海上保険の前身の)東京火災保険の営業案内や記念品等のデザイン(design)を次々に手がけ、特に1935年頃からの、東郷 青児(togo seiji)作の同社のカレンダー(calendar)は、現在も根強いファン(fan)を持っている。
損保ジャパン(sompo japan)美術館は、おそらく、世界最大級の、東郷 青児(togo seiji)の作品のコレクション(collection)を有しています。損保ジャパン(sompo japan)美術館の収蔵品(collection)の中心は、東郷 青児(togo seiji)の作品となっていますが、損保ジャパン(sompo japan)美術館は、東郷 青児(togo seiji)以外の、(西洋及び日本の)有名な、近代・現代画家の作品も所蔵しています。上の写真(美術館のパンフレット(leaflet))のゴッホ(Vincent van Gogh)の、ひまわり(1888年又は1889年)は、その代表的な物の一つです。ゴッホ(Vincent van Gogh)は、7点の、花瓶に挿された、ひまわり(sunflowers)の作品を制作した事が、広く認められていますが(wikiより)、その7点の作品の内、現存する6点の内の一つです(残りの1点は、第2次世界大戦前に、日本の個人の金持ち(芦屋(ashiya。大阪、京都、神戸を中心とする関西areaを代表する高級住宅地)に居住していた、大阪の実業家)が所有していましたが、第2次世界大戦中の、アメリカ軍の空襲により焼失してしまいました)。

以下、ゴッホ(Vincent van Gogh)の、7点の、花瓶に挿された、ひまわり(sunflowers)の作品のList(現存する物は、この内、6点)。wikiを参考にしました。
12本の向日葵(1888年。Neue Pinakothek(ドイツの美術館)が所有)、15本の向日葵(1888年。National Gallery(イギリス、ロンドン)が所有)、3本の向日葵(1888年。個人所有(アメリカ))、5本の向日葵(1888年。個人所有(日本)。前述の通り、第二次世界大戦中の空襲で消失)、15本の向日葵(1889年。ゴッホ(Gogh)美術館(オランダ)が所有)、15本の向日葵(1889年。損保ジャパン(sompo japan)美術館(日本)が所有)、12本の向日葵(1889年。フィラデルフィア(Philadelphia)美術館(アメリカ)が所有)。

 

この日は、損保ジャパン(sompo japan)美術館で、この時行われていた、モーリス・ドニ(Maurice Denis)の展覧会(exhibition)を見ました。

 

写真以下2枚、展覧会(exhibition)のパンフレット(leaflet)。この展覧会(exhibition)は、モーリス・ドニ(Maurice Denis)の、「子供」や「家族」を主題とした作品をテーマとした展覧会(exhibition)でした。展示作品は、フランス内外の美術館(日本国内の美術館を含む)所有の作品、個人コレクター(collector)所有の作品等から成り、ドニ(Denis)の子孫が大切に所蔵してきた作品など、世界初公開作品を多く含んでいました。

 

 

 

 

 

写真以下6枚。この日の夕食は、新宿のLumine(商業ビル。実質的にはデパートの様な物)の食堂街に入っている、つばめグリル(tsubame grill)で食べました。つばめグリル(tsubame grill)は、1930年に創業した、洋食(近代以降、日本人の趣向に合う様に、日本で、(日本人の視点から見れば)改良された、西洋料理)レストランです。本店は、銀座(ginza)にありますが、東京中心部(東京23区)及び神奈川(kanagawa)県(東京の南部の郊外・近郊)に、多くの支店を出しています。私は、普段働いている日にも、出先で、つばめグリル(tsubame grill)があれば、結構よく利用しています。私は、この時は、食べませんでしたが)、つばめグリル(tsubame grill)の定番(おそらく一番人気が高い)menuである、つばめ(tsubame)風ハンバーグ(hamburger steak)が、お気に入りとなっています。

 

写真以下6枚。つばめグリル(tsubame grill)で食べた、この日の夕食。

 

 

トマト(tomato)の前菜(トマトの詰め物サラダ)。一人一皿ずつ。

 

 

 

前菜4種盛り合わせ。一人一皿ずつ。写真左下から時計回りに、スモークサーモン(smoked salmon)、田舎風パテ(pate)、蛸の酢漬け、鰊の酢漬け。

 

 

写真以下2枚。ドイツ鍋。つばめグリル(tsubame grill)のドイツ鍋は、格別美味しいと言う程ではありませんが、寒い時期に食べると体が暖まります(ポトフ(pot-au-feu)に近い料理です)。ドイツに、これと全く同じ様な料理がある訳ではなく、日本人と言うか、つばめグリル(tsubame grill)が考える、ドイツ風の鍋料理です。まあ、単純に言ってしまえば、これも、洋食の一つと言った感じかな。。。


 

 

アイスバイン(Eisbein)、ロールキャベツ(cabbage roll)、ソーセージ(sausage)、野菜等が入っています。アイスバイン(Eisbein)に立っている、ドイツの旗には、アイスバイン(Eisbein)の豚のシリアルナンバー(serial number)が記されています。ドイツ鍋は、最後に、余った汁に、お米(rice)を入れて、雑炊(粥)にしてくれます。

 

ドイツ鍋の付け合せ(side dish)のザワークラウト(sauerkraut)。別にザワークラウト(sauerkraut)には、ドイツの旗が立っている訳ではなく、彼女が、遊びで(ふざけて)、アイスバイン(Eisbein)に立っていた旗を、ザワークラウト(sauerkraut)に立てた物ですw。

 

 

写真以下2枚。デザート。


 

 

私が食べた、焼き林檎、アイスクリーム添え。

 

 

 

彼女が食べた、西洋梨のコンポート(compote)、アイスクリーム添え。

 

 

 

適当に休日の食事後編へ続く。。。

 

 

 


 


적당하게 휴일의 식사 전편

 

 

11월의 제2주의 금요일 및 토요일(개인적으로 양일공휴일이었습니다) 등에 대한 투고입니다.

 

사진 이하, 이 투고( 「적당하게 휴일의 식사 전편」)는, 11월의 제2주의 금요일에 대한 투고입니다.

 

이 날은, 근처에서, 흔들흔들 하고 왔습니다.

 

사진 이하 12매.이 날, 조금 지목의 아침 식사를 먹은 후, 다음날의, 간식으로서 먹기 위해, 큰 사이즈(size)의 풋틴프린을 만들었습니다.풋틴프린은, 상당히 옛부터 판매되고 있는, 글리코(glico) 유업(일본의 대규모 유제품 회사의 하나)의, 매우 저렴한(매우 싸다), 어린이용의 푸딩(cream caramel)입니다.이 때, 만든 풋틴프린은, 가정에서 만들기 때문에(위해)의 상품인 일(보통 풋틴프린은, 할 수 있던 상태로 팔리고 있다), 사이즈(size)가, 매우 큰 일이 특징이 되고 있습니다.

 

사진 이하 5매.용기(이 용기를 사용해 만든다)안에 재료가 들어가 있고 있습니다만, 스스로, 우유 1 L는 준비하지 않으면 안됩니다.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

우유 1 L를 더해 만듭니다.

 

 

사진 이하 4매.만들고 있는 도중의 모습.만드는 방법은 간단합니다.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 3매.이것으로, 거의 완성.

 

 

 

 

 

사진 이하 2매.이대로 냉장고로, 장시간(8시간 이상이었는지...) 차게 하면 완성입니다.이 풋틴프린은, 다음날에 먹었습니다.

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 33매.이 날은, 우선, 하라쥬쿠(harajyuku) area, 오모테산도(omotesando), 아오야마(aoyama) area를, 어슬렁어슬렁산책했습니다.하라쥬쿠(harajyuku)·오모테산도(omotesando) area는, 시부야(shibuya) 역 주변(도쿄도심부의 서부에 위치한다.도쿄 최대급의 번화가의 하나)에 이어, 내가 사는, 시부야(shibuya) 구로, 제2의 번화가가 되고 있습니다(도쿄 중심부 전체로 봐도, 주요한 번화가 중의 하나).하라쥬쿠(harajyu) area는, 도쿄의 주요한 젊은이 문화의 발신지의 하나가 되고 있습니다.오모테산도(omotesando)는, 하라쥬쿠(harajyuku) area와 하라쥬쿠(harajyuku) area에 인접하는 아오야마(aoyama) area를 묶는, 1.5 km 정도대로로, 긴자(ginza)와 보조자에, 도쿄를 대표하는, shopping거리(street)가 되고 있습니다(가장, 긴자(ginza)에는, 역사를 격도, 발밑에도 미치지 않습니다만...).하라쥬쿠(harajyu)·오모테산도(omotesando) area등에 인접하는, 아오야마(aoyama) area( 꽤 광범위하게 미친다)는, 도쿄의 대표적인, 고급 상업지의 하나가 되고 있습니다.

 

사진 이하 5매.우선은, 하라쥬쿠(harajyuku) area에 있는 팬케이크(pancake) 가게, 「Days」로 점심 식사를 먹었습니다(내용적으로는, 간식같은 것이지만...w).덧붙여서, 하라쥬쿠(harajyuku) area는, 우리 집의 근처역으로부터, 지하철로 2역, 나의 직장(사무소)의 근처역으로부터도 지하철로 2역입니다.「Days」는, 동경권에 2 점포(하라쥬쿠(harajyuku)와 키츠쇼지(kichijoyji)), 나고야(nagoya)에 한점포(나고야(nagoya)의 점포는, 최근 오픈(open)한 같습니다) 점포가 있습니다.「Days」는, 이 때를 포함하고, 몇회나 이용하고 있습니다만, 사랑스러운 팬케이크(pancake)를 내는 가게입니다.

 

사진 이하 2매.가게( 「Days」)의 카드(card).

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 3매.「Days」로 먹은, 이 날의 점심 식사.

 

사진 이하 2매.내가 먹은, 캐라메리제(갈색의 구워 첨가한) 초콜릿(chocolate) 바나나(banana) 팬케이크(pancake).


 

 

 

 

 

 

 

 

 

그녀가 먹은, 베리(berry) 치즈(cheese) 팬케이크(pancake).

 

 

 

 

이것은, 다른 날에, 일의 용무로, 오모테산도(omotesando)를 방문했을 때에, 촬영한 사진.오모테산도(omotesando)는, 하라쥬쿠(harajyuku) area와 하라쥬쿠(harajyuku) area에 인접하는 아오야마(aoyama) area를 묶는, 1.5 km 정도대로로, 도쿄를 대표하는, shopping거리(street)의 하나가 되고 있습니다.

 

 

사진 이하 7매.오모테산도(omotesando) hills(오모테산도(omotesando)에 있는 고급 shopping mall)에서...금년의 오모테산도(omotesando) hills의 크리스마스 장식의 테마는, 디즈니(disney)가 되고 있습니다.


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 20매.이 날, 아오야마 area에 있는, 오카모토 다로(okamoto taro) 기념관을 방문했습니다.오카모토 다로(okamoto taro) 기념관은, 오카모토 다로(okamoto taro)가, 1954년부터, 1996년에 돌아가실 때까지 산 집을 개장한, 오카모토 다로(okamoto taro)의 작품을 전시하는 작은 미술관입니다.오카모토 다로(okamoto taro) 기념관을 방문한 것은, 이 때에 3회째였습니다.

 

오카모토 다로(okamoto taro.1911 년생.1996년에 죽는다)는, 1930년대부터 1990년대 중반(주로 1950년대부터 1980년대)에 활약한, 일본의 유명한 현대 미술 artist입니다.

 

사진 이하 7매.오카모토 다로(okamoto taro)의 작품예.

 

사진 이하 5매(사진은 차용물).오사카 교외, 만박 기념 공원에 남아 있는 태양의 탑.1970년에 개최된 오사카 만국 박람회(Expo "70)의 회장에, 오카모토 다로(okamoto tarou)가 제작한 예술 작품이며 건조물입니다(wiki보다).높이는, 65 m 있습니다.태양의 탑은, 미래적인 디자인(design)의 Expo Tower(국화 타케키요훈(kikutake kiyonori.일본의 유명한 건축가)가 설계.높이 127 m)와 보조자에, 오사카 만국 박람회(Expo "70)를 상징하는 건물이었습니다.나는, 태양의 탑을, 근처에서, 차분히 본 일은 없습니다만, 언젠가는, 근처에서, 차분히 보고 싶습니다.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

덧붙여서 사진으로 보이는, 모노레일(monorail)의 궤도(rail)는, 세계 최장의 영업 거리(노선 거리 21.2 km)를 가지는 모노레일(monorail)인 오사카 모노레일(monorail)의 궤도입니다.

 

 

 

 

 

 

이것은, 다른 날에, 일의 용무로, 시부야(shibuya)를 방문했을 때에, 시부야(shibuya) 역에서 촬영한 사진.「내일의 신화」.1969년.원래, 오카모토 다로(okamoto tarou)가, 멕시코의 실업가로부터, Mexico City 중심부에 신축하는 고층 호텔(개업하면, 멕시코를 대표하는 호텔의 하나가 되어 있었음이 분명한 같습니다)의 로비(lobby)를 장식하기 때문에(위해)의 벽화를 그렸으면 좋겠다고 이래 되어 제작한 작품입니다.의뢰주의 경제 상황의 악화에 의해, 호텔은 미완성인 채 방치되는 일이 되어, 「내일의 신화」도 떼어내져 오랫동안 소재가 불명이 되고 있었습니다만, 2003년에, 멕시코 국내의 창고에서, 발견되었습니다.2005년에, 일본에 이송되고 수복이 베풀어진 후, 2006년에, 보도진에 공개되었습니다.그 후, 도쿄도 현대 미술관에서 전시되는 등 한 후, 시부야(shibuya) 역에 장식되었습니다.

 

 

그림 엽서의 사진으로 죄송합니다만, 「개의 화분」.

 

 

 

사진 이하 13매.오카모토 다로(okamoto taro) 기념관.오카모토 다로(okamoto taro) 기념관은, 오카모토 다로(okamoto taro)가, 1954년부터, 1996년에 돌아가실 때까지 산 집을 개장한, 오카모토 다로(okamoto taro)의 작품을 전시하는 작은 미술관입니다.


 

오카모토 다로(okamoto taro)가, 1954년부터, 1996년에 돌아가실 때까지 산 집의 건물(사진)은, 사카쿠라 히토시3(sakakura jyunzo)(아래의 보충 설명 참조)의 설계에 의해, 1953년에 지어진 것입니다.오카모토 다로(okamoto taro)의, (원) 집은, 도쿄의 일등지에 있습니다만, 지명도에 비해서는, 크지는 않습니다.집의 건물은, 오카모토 다로(okamoto taro)가, 후의 시대정도, 유명하지 않았던 때에 지어진 것입니다만, 오카모토 다로(okamoto taro)의 친구인, 사카쿠라 히토시3(sakakura jyunzo)이 설계한, 이 건물을, 오카모토 다로(okamoto taro)는, 마음에 들었을지도 모르고, 원래, 이 토지는, 오카모토 다로(okamoto taro)의 친가의 토지에서 만난 때문, 오카모토 다로(okamoto taro)는, 이 땅에, 애착을 가지고 있었겠지요...또, 오카모토 다로(okamoto taro)는, 자신의 작품을 좋아하는 너무, 너무, 사람에게 작품을 팔려고는 하지 않고, 지명도정도, 돈을 벌지 않았다고 말하는 이야기도 들은 일이 있습니다.

사카쿠라 히토시3(sakakura jyunzo):1901 년생.1969년에 죽는다.1930년대 후반부터 돌아가실 때까지 활약한, 일본의 유명한 현대 건축가.다른, 일본의 제이차 세계대전 후의 부흥기(1950년대부터 1960년대 초기)의, 현대 건축계를 리드(lead)한, 일본의 유명한 건축가들과 보조자에, 일본의 현대 건축 설계의 수준을, 세계 최고 수준으로 끌어올리기 때문에(위해)의 기초를, 1950년대에, 굳힌 건축가의 한 명.대표작은, 1937년의 파리(Paris) 만국 박람회(The Exposition Internationale des Arts et Techniques dans la Vie Moderne)의 일본 타테, 카마쿠라(kamakura)의 카나가와(kanagawa) 현립 근대미술관(1951년) 등.

 

 

 

 

 

오카모토 다로(okamoto taro)의 작품.「죠몽(jomon) 인」.오카모토 다로(okamoto taro)는, 피카소(Picasso)로부터 강한 영향을 받고 있습니다만, 일본의, 죠몽(jomon) 시대( 약 16,000년 전부터 2,300년전)의, 토기(죠몽(jomon) 식 토기)이나 토우(토제의 인형)의 디자인(design), 문화등으로부터도, 강한 영향을 받고 있습니다.

 

 

사진 이하 10매.이 때, 오카모토 다로(okamoto taro) 기념관에서는, 야노베켄지(yanobe kenji)(아래의 보충 설명 참조)의 작품과 오카모토 다로(okamoto taro)의 작품을 함께 전시하는, 전람회(exhibition)가 열리고 있었습니다.
야노베켄지(yanobe kenji):1965년, 오사카 태생.현재 활약중의, 일본의 유명한 현대 미술 artist.오사카를 거점으로 활동을 실시하고 있다.


 

오카모토 다로(okamoto taro)의 작품과 야노베켄지(yanobe kenji)의 작품을 맞춘 전시.

 

 

사진 이하 2매.오카모토 다로(okamoto taro)의, (원) 집(현재는, 오카모토 다로(okamoto taro) 기념관이 되고 있다)에게 있는, 오카모토 다로(okamoto taro)의, (원) 아틀리에(작품 제작 작업 방).


 

 

 

 

 

 

 

사진 앞, 야노베켄지(yanobe kenji)의 작품.사진안쪽, 태양의 탑.

 

 

사진 이하 6매.야노베켄지(yanobe kenji)의 작품.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

오카모토 다로(okamoto taro) 기념관을 방문한 후, 조금, 아오야마(aoyama) area를 산책한 후, 신쥬쿠(도쿄 최대급의 번화가의 하나.도쿄의 서부 교외에 위치한다)로 이동해, 신쥬쿠에 있는 손해보험 재팬(sompo japan) 미술관에서, 이 때 행해지고 있던, 모리스·도니(Maurice Denis)의 전람회(exhibition)를 보고 왔습니다.

 

손해보험 재팬(sompo japan) 미술관의 팜플렛(leaflet).사진(팜플렛(leaflet)) 좌하의 초고층 빌딩은, 신쥬쿠 부도심(1970년대에 개발된 일본에서 최초의 200 m급 초고층 빌딩군)에 있는 손해보험 재팬(sompo japan) 본사 빌딩.1976년 완성한, 높이 200 m의 빌딩입니다.손해보험 재팬(sompo japan) 미술관은, 이 빌딩의, 거의 최상층을 차지하는 미술관입니다.손해보험 재팬(sompo japan)은, 야스다 화재해상보험(전신으로 있는, 도쿄 화재보험은, 1888년 창업)과 닛산 화재해상보험(1911년 설립)이라고 하는 두 개의 손해보험 회사가, 합작 해 2002년에 발족한, 손해보험 회사에서, 손해보험 재팬(sompo japan) 발족전은, 손해보험 재팬(sompo japan) 본사 빌딩은, 야스다 화재해상보험 본사 빌딩, 손해보험 재팬(sompo japan) 미술관은, 야스다화재 미술관(또는, 도고 세이지(togo seiji) 미술관)였습니다.손해보험 재팬(sompo japan)은, 야스다 화재해상보험 시대부터, 일본 유수한 손해보험 회사입니다(일본에서, 3개의 손가락에 들어오는 손해보험 회사).손해보험 재팬(sompojapan) 미술관은, 야스다 화재해상보험이, 사회공헌의 일환으로서 야스다 화재해상보험의 새책사 빌딩(현재의 손해보험 재팬(sompo japan) 본사 빌딩) 이 완성된 1976년에, 동빌딩에 개관(open)한, 사영의 미술관입니다.손해보험 재팬(sompo japan) 미술관의 수장품(collection)의 중심은, 미술관의 설립 취지에 공명한, 야스다 화재해상보험과 인연이 있는(아래의 보충 설명 참조), 토고   청아(togo seiji.1897 년생.1978년에 죽는다.일본의 유명한, 근대·현대 화가)가, 야스다 화재해상보험에 기증한 작품이 되고 있습니다.
보충 설명:손해보험 재팬(sompo japan) 미술관의 hp를 참고로 했습니다(거의 인용).역대의 야스다 화재해상보험(및, 야스다 화재해상보험의 전신의 도쿄 화재보험)의 사장의 마음에 드는 화가인, 도고 세이지(togo seiji)는, 1920년대 후반, (야스다 화재해상보험의 전신의) 도쿄 화재보험의 영업 안내나 기념품등의 디자인(design)을 차례차례로 다루어 특히 1935년경부터의, 도고 세이지(togo seiji) 작의 동사의 캘린더(calendar)는, 현재도 뿌리 깊은 팬(fan)을 가지고 있다.
손해보험 재팬(sompojapan) 미술관은, 아마, 세계 최대급의, 도고 세이지(togo seiji)의 작품의 콜렉션(collection)을 가지고 있습니다.손해보험 재팬(sompo japan) 미술관의 수장품(collection)의 중심은, 도고 세이지(togo seiji)의 작품이 되고 있습니다만, 손해보험 재팬(sompo japan) 미술관은, 도고 세이지(togo seiji) 이외의, (서양 및 일본의) 유명한, 근대·현대 화가의 작품도 소장하고 있습니다.위의 사진(미술관의 팜플렛(leaflet))의 고호(Vincent van Gogh)의, 해바라기(1888년 또는 1889년)는, 그 대표적인 것의 하나입니다.고호(Vincent van Gogh)는, 7점의, 화병에 꽂아진, 해바라기(sunflowers)의 작품을 제작한 일이, 넓게 인정되고 있습니다만(wiki보다), 그 7점의 작품중, 현존 하는 6점 중의 하나입니다(나머지의 1점은, 제2차 세계대전전에, 일본의 개인의 부자(아시야(ashiya.오사카, 쿄토, 코베를 중심으로 하는 칸사이 area를 대표하는 고급 주택지)에 거주하고 있던, 오사카의 실업가)가 소유하고 있었습니다만, 제2차 세계대전중의, 미군의 공습에 의해 소실해 버렸습니다).

이하, 고호(Vincent van Gogh)의, 7점의, 화병에 꽂아진, 해바라기(sunflowers)의 작품의 List(현존 하는 것은, 이 안, 6점).wiki를 참고로 했습니다.
12개의 해바라기(1888년.Neue Pinakothek(독일의 미술관)가 소유), 15개의 해바라기(1888년.National Gallery(영국, 런던)가 소유), 3개의 해바라기(1888년.개인 소유(미국)), 5개의 해바라기(1888년.개인 소유(일본).상술한 대로, 제이차 세계대전중의 공습으로 소실), 15개의 해바라기(1889년.고호(Gogh) 미술관(네델란드)이 소유), 15개의 해바라기(1889년.손해보험 재팬(sompo japan) 미술관(일본)이 소유), 12개의 해바라기(1889년.필라델피아(Philadelphia) 미술관(미국)이 소유).

 

이 날은, 손해보험 재팬(sompo japan) 미술관에서, 이 때 행해지고 있던, 모리스·도니(Maurice Denis)의 전람회(exhibition)를 보았습니다.

 

사진 이하 2매, 전람회(exhibition)의 팜플렛(leaflet).이 전람회(exhibition)는, 모리스·도니(Maurice Denis)의, 「아이」나 「가족」을 주제로 한 작품을 테마로 한 전람회(exhibition)였습니다.전시 작품은, 프랑스 내외의 미술관(일본내의 미술관을 포함한다) 소유의 작품, 개인 컬렉터(collector) 소유의 작품등으로부터 완성되어, 도니(Denis)의 자손이 소중히 소장해 온 작품 등, 세계 최초 공개 작품을 많이 포함하고 있었습니다.

 

 

 

 

 

사진 이하 6매.이 날의 저녁 식사는, 신쥬쿠의 Lumine(상업 빌딩.실질적으로는 백화점의 같은 것)의 식당거리에 들어가 있는, 제비 그릴(tsubame grill)로 먹었습니다.제비 그릴(tsubame grill)은, 1930년에 창업한, 양식(근대 이후, 일본인의 취향에 맞는 것처럼, 일본에서, (일본인의 시점으로부터 보면) 개량된, 서양 요리) 레스토랑입니다.본점은, 긴자(ginza)에 있습니다만, 도쿄 중심부(도쿄 23구) 및 카나가와(kanagawa) 현(도쿄의 남부의 교외·근교)에, 많은 지점을 내고 있습니다.나는, 평상시 일하고 있는 날에도, 행선지로, 제비 그릴(tsubame grill)이 있으면, 상당히 자주(잘) 이용하고 있습니다.나는, 이 때는, 먹지 않았습니다만), 제비 그릴(tsubame grill)의 정평(아마 제일 인기가 높다) menu인, 제비(tsubame) 풍햄버거(hamburger steak)가, 마음에 드는 것이 되고 있습니다.

 

사진 이하 6매.제비 그릴(tsubame grill)로 먹은, 이 날의 저녁 식사.

 

 

토마토(tomato)의 전채(토마토의 충전물 사라다).일인일명씩.

 

 

 

전채 4종 진열.일인일명씩.사진 좌하로부터 시계회전에, 훈제 연어(smoked salmon), 시골풍접착제(pate), 낙지의 식초 절임, 청어의 식초 절임.

 

 

사진 이하 2매.독일냄비.제비 그릴(tsubame grill)의 독일냄비는, 각별 맛있다고 할 정도가 아닙니다만, 추운 시기에 먹으면 몸이 따뜻해집니다(포트후(pot-au-feu)에 가까운 요리입니다).독일에, 이것과 완전히 같은 요리가 있는 것이 아니고, 일본인이라고 말하는지, 제비 그릴(tsubame grill)이 생각하는, 독일풍의 냄비 요리입니다.뭐, 단순하게 말해 버리면, 이것도, 양식의 하나라고 한 느낌일까...


 

 

아이스바인(Eisbein), roll cabbage(cabbage roll), 소세지(sausage), 야채등이 들어가 있습니다.아이스바인(Eisbein)에 서있는, 독일의 기에는, 아이스바인(Eisbein)의 돼지의 일련 번호(serial number)가 기록되고 있습니다.독일냄비는, 마지막으로, 남은 국물에, 쌀(rice)을 넣고, 잡탕죽(죽)으로 해 줍니다.

 

독일냄비가 곁들여(side dish)의 자워크라우트(sauerkraut).별로 자워크라우트(sauerkraut)에는, 독일의 기가 서있는 것이 아니고, 그녀가, 놀이로(장난치고), 아이스바인(Eisbein)에 서있던 기를, 자워크라우트(sauerkraut)에 세운 것입니다 w.

 

 

사진 이하 2매.디저트.


 

 

내가 먹은, 구이 사과, 아이스크림 더해져라.

 

 

 

그녀가 먹은, 서양 배나무의 콤포트(compote), 아이스크림 더해져라.

 

 

 

적당하게 휴일의 식사 후편에 계속 된다...

 

 

 


 

 



TOTAL: 943

番号 タイトル ライター 参照 推薦
303
No Image
適当に休日の食事前編 jlemon 2011-12-03 3556 0
302
No Image
適当に食べ物 jlemon 2011-12-01 6091 0
301
No Image
先週の火曜日の昼食 jlemon 2011-11-14 4090 0
300
No Image
横浜散歩&食べ物 jlemon 2011-11-10 2463 0
299
No Image
先週の水曜日の昼食 jlemon 2011-11-09 3072 0
298
No Image
トッポキ jlemon 2011-10-26 8865 0
297
No Image
お台場(odaiba)散歩&食べ物後編 jlemon 2011-10-15 67941 0
296
No Image
お台場(odaiba)散歩&食べ物前編 jlemon 2011-10-15 68712 0
295
No Image
適当に休日の食事 jlemon 2011-10-14 67950 0
294
No Image
先週の火曜日の夕食 jlemon 2011-10-11 68120 0
293
No Image
上野(ueno)散歩&食べ物3 jlemon 2011-10-06 6562 0
292
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上野(ueno)散歩&食べ物2 jlemon 2011-10-05 5814 0
291
No Image
上野(ueno)散歩&食べ物1 jlemon 2011-10-04 3466 0
290
No Image
新緑の高原滞在&食事3 jlemon 2011-09-27 1865 0
289
No Image
新緑の高原滞在&食事2 jlemon 2011-09-24 7283 0
288
No Image
新緑の高原滞在&食事1 jlemon 2011-09-23 1899 0
287
No Image
適当に日々の食事 jlemon 2011-09-20 5501 0
286
No Image
先々週の金曜日の夕食 jlemon 2011-09-20 2417 0
285
No Image
東京港散歩&食事 jlemon 2011-09-17 5561 0
284
No Image
杏子の里(杏子の村)を散歩&食べ....... jlemon 2011-09-10 2018 0