食べ物

 

先週の月曜日(個人的に休みでした)に、横浜を散歩してきた時の物です。横浜は、東京areaの海の玄関口(gateway)となっている大きな港町です。私は、横浜は、(仕事の用事でも、結構行きますが)、横浜の港町の雰囲気等が好きで、よく遊びに行きます。この時は、規模の大きな、現代美術の、お祭りで有る、横浜triennaleを見て来ました。

 

写真以下2枚。横浜triennale2011のパンフレット(leaflet)。今回の横浜triennaleのテーマは、「OUR MAGIC HOUR」でした。

 

 

 

 

 

 

 

写真以下2枚。今回の横浜triennaleの会場の一つ、新港ピア(pier)のパンフレット(leaflet)。

 

新港ピア(pier)は、横浜の都心部の海沿いにある、新港埠頭area(約100年前に港として整備された地区ですが(ちなみに、現在は、使われていない、写真右側の、港用の、電動の大型クレーン(crane)は、1910年代前半に設置された物です)、現在は、港としての役割を、ほぼ終えている)の一角(一隅)に、前回の横浜triennale(横浜triennale2008)の会場の一つとして新設された施設で、前回の横浜triennale(横浜triennale2008)開催後は、様々な現代芸術活動の為の施設として使われている様です。

 

 

 

この時は、新港ピア(pier)では、横浜triennaleに合わせて、新・港村(shin minatomura)と言う、活動・展示が行われていました。以下、「」内、新・港村(shin minatomura)の活動・展示内容についての説明は、パンフレット(leaflet)の文を、ほぼ引用。「新・港村(shin minatomura)は、あらゆる国と種類のクリエイター(creator)が働く、蜃気楼のような、小さな未来都市です。村の家や劇場は、建築家やアーティスト(artist)によってデザイン(design)されますが、主に、廃材や粗大ゴミ等で構成されています。新しい材料を使用した場合は、再利用します。そして外部からは、ほとんど電気をいただきません。太陽光発電と充電システム、また、楽しみながらの人力発電で、なんとかやって行きます。新・港村(shin minatomura)は、東北地方(今年3月の大地震による津波で大きな被害を受けた)と横浜の間を人や物資や知恵や力を積んで、何度も往復する為のプラットフォーム(platform)です。毎週出るバスが、東北人と新・港村(shin minatomura)人をつなぎ、未来都市へと出航します」。

 

今回の横浜triennaleの会場(何れも、横浜都心部)は、横浜美術館、BankART Studio NYK、黄金町(koganecyo)、新港ピア(pier)となっていました。この日は、この内、横浜美術館と黄金町(koganecyo)の会場を見て来ました(時間の関係で、この日は、BankART Studio NYKの会場と、新港ピア(pier)の会場を見る事が出来ませんでした。BankART Studio NYKの会場と、新港ピア(pier)の会場については、後日、一人で見たのですが、これについては、前回の投稿を参照して下さい)。

 

写真以下7枚。この日は、まず、今回の横浜triennaleの会場の一つとなっていた、横浜美術館を訪れました。

 

 

この写真は、前に、kjにアップ(upload)した写真の再利用ですが、横浜美術館。横浜の都心部に有る横浜美術館は、横浜市が運営する、規模の大きな、公立の美術館です。横浜美術館は、19世紀後半から現代にかけての国内外の美術作品を幅広く所蔵しており、また写真コレクション(collection)も充実しています(横浜美術館のsiteより。。。)。横浜美術館が、横浜triennaleに、本格的に協力したのは、今回が、初めてで(おそらく。。。)、横浜美術館が、横浜triennaleに参加した事で、横浜triennaleの展示に、厚みが増したと思います。

 

写真以下6枚。横浜美術館における、今回の、横浜triennaleの展示作品例(たくさんあった展示の内の、極一部です)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この作品においては、電球の一つ一つが、横浜市内の住宅の、子供の部屋の明かりと連動していて、子供が部屋の明かりを点けると、それに連動して、作品の電球が点灯する(子供達は、その事を知らされていませんでした)様になっていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

個人的に、今回の横浜triennaleの展示作品の内、横浜美術館に展示されていた物の中では、金 理有(KIM RIYOO)→
http://www.neutron-kyoto.com/neutron_artists/KIM_RIYU/artist.html
と言う、日本人の父と韓国人の母を持つ、大阪生まれの、若手、現代美術artist(大阪を中心とした関西(kansai)areaを拠点に活動している)の、古代を思わせると同時に未来を思わせる作品が印象に残りました(今後、金 理有(KIM RIYOO)は、(その作品が)、好きなartistの一人となるかも。。。)。

 

写真以下14枚。横浜美術館で、横浜triennaleの展示を見た後、横浜triennaleの無料巡回バス(bus)で、黄金町(koganecyo)に移動し、現代美術の展示作品等を見ながら、黄金町(koganecyo)areaを散歩しました。黄金町(koganecyo)は、この時、初めて訪れました。

 

黄金町(koganecyo)は、横浜都心部の、庶民的な街の一つで、かつて、非合法の売春地域として有名だった街です。以下、黄金町(koganecyo)についての説明は、wiki等を参考にしました。黄金町(koganecyo)の非合法の売春地域としての歴史は、第二次世界大戦後に始まり、第二次世界大戦直後の混乱期から1950年代にかけては、黄金町(koganecyo)は、非合法の売春だけでなく、麻薬の密売等も、活発に行われ、とても治安の悪い街でした。黄金町(koganecyo)の売春婦は、1970年代初め頃までは、日本人が中心でしたが、1970年代半ば以降、外国人売春婦が増えて行き、日本人売春婦は、少数派となり、やがて、日本人売春婦は、ほとんどいなくなり、外国人売春婦が、ほとんどを占める様になりました。黄金町(koganecyo)は、住民の、外国人売春婦の増加による治安の悪化の懸念、街の浄化に対する要望の高まり等から、2005年に、警察による、集中的な摘発が行われ、売春婦達は、一掃され、売春の為の部屋を持ち売春業を行っていた旅館や飲食店(小規模な、食堂・居酒屋・bar等)は、全て閉店しました。これにより、黄金町(koganecyo)は、正常な庶民的な街となりました(正常な街へと戻りました)。近年、黄金町(koganecyo)の、廃業した、売春業を行っていた旅館や飲食店(小規模な、食堂・居酒屋・bar等)の建物等は、若手の現代美術artist達の、住居や、作品の制作場所、作品の展示場所等として活用される様になり、黄金町(koganecyo)は、(若者達が集まり、様々な活動を行う)現代美術の街として、街の、新しいイメージ作りを図っている様です。そうした活動の中核となっているのが、黄金町(koganecyo)バザール(bazaar)です。以下、黄金町(koganecyo)バザール(bazzar)についての説明は、wiki等を参考にしました。黄金町(koganecyo)バザール(bazzar)は、近年、(通常)毎年9月から10月にかけて、黄金町(koganecyo)areaで行われている、現代美術を中心とした、artの、お祭りです。黄金町(koganecyo)バザール(bazzar)の期間中、多くの、artist、デザイナー(designer)、写真家、建築家等が参加し、黄金町(koganecyo)の、廃業した、売春業を行っていた旅館や飲食店(小規模な、食堂・居酒屋・bar等)の建物等を活用し、展示や活動を行っています。今年の、黄金町(koganecyo)バザール(bazaar)(黄金町(koganecyo)バザール(bazaar)2011)は、横浜triennaleと連動し、横浜triennaleと会期を同じくし、横浜triennaleに組み入れられていました(横浜triennaleの一部となっていました)。

 

写真以下3枚。黄金町(koganecyo)areaの風景例。

 

 

 

黄金町(koganecyo)では、2005年に、警察による、集中的な摘発が行われ、売春婦達は、一掃され、売春業を行っていた旅館や飲食店(小規模な、食堂・居酒屋・bar等)は、全て閉店しました。現在、黄金町(koganecyo)areaに古くからある店舗の内、営業を行っている店舗は、前から、(売春とは関係なく)健全な営業を行っていた、通常の店舗のみとなっています。また、近年、黄金町(koganecyo)areaでは、閉店した、売春業を行っていた旅館や飲食店(小規模な、食堂・居酒屋・bar等)の建物を活用した(改装し、利用した)、若者向けの店が開店する様になりました。


 

写真以下2枚。古い一戸建て住宅と猫。黄金町(koganecyo)は、住民の、街の浄化に対する要望の高まり等から、2005年に、警察による、集中的な摘発が行われ、正常な街へと戻り、他の、日本の大都市の都心部の古い庶民的な街と変わらなくなりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

現代美術の展示場所となっていた、1950年代頃に建てられたと思われる、古い、木造の建物の天井。

 

 

写真以下4枚。横浜triennaleの、黄金町(koganecyo)(黄金町(koganecyo)バザール(bazaar)2011)の展示作品例。たくさんあった展示の内の極一部です。

 


写真以下3枚は、同じ作家の作品で、同じ建物に展示されていた物です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

黄金町(koganecyo)バザール(bazaar)2011に参加していた、若手、現代美術artistの一人の、黄金町(koganecyo)バザール(bazaar)2011の、制作・展示のチラシ(leaflet)。この現代美術artistは、黄金町(koganecyo)バザール(bazaar)2011において、一般人から集められた、不要な(いらなくなった)おもちゃを材料とした、現代artの作品を、制作・展示していました。

 

 

 

「視聴室その2」と言う、黄金町(koganecyo)に集う若者達の拠点の一つとなっている?施設。cafeやコンサート(concert)場所となっています。

 

この時、「視聴室その2」では、今井 杏(imai anne)(日本の若手女性イラストレーター(illustrator))の作品の展示会が行われていました。今井 杏(imai anne)は、私の彼女が好きなartistの一人です。

 

 

写真以下3枚。今井 杏(imai anne)の作品例。絵葉書から。。。
 

 

「なわとび(縄跳び)」

 

 

 

「雨がやんだ(雨が止んだ)」

 

 

 

「ジョン(John)の背中に鳥が・・・」

 

 

 

 

「視聴室その2」に置いてあった、横浜、国際屋外アートフェア(art fair)の広告絵葉書。

 

 

黄金町(koganecyo)バザール(bazaar)2011(横浜triennale)の展示作品を見る等しながら、黄金町(koganecyo)areaを散歩した後、横浜triennaleの無料巡回バス(bus)で、BankART Studio NYKへ行ったのですが、BankART Studio NYK会場の閉館時間を勘違いしていて、時間の関係から、残念ながら、この日は、BankART Studio NYKに展示されていた、横浜triennaleの作品は、見る事が出来ませんでした。新港ピア(pier)は、時間的に、まだ見る事が可能でしたが、面倒臭くなってしまって、結局、この日は、新港ピア(pier)の、新・港村(shin minatomura)も見ませんでした(BankART Studio NYKと新港ピア(pier)の展示については、前回の投稿を参照して下さい)。

 

写真以下6枚。この日の夕食は、world porters(横浜の都心部の海沿いにあるshopping mallの一つ)に入っている、インド料理レストランで食べました。

 

 

world portersの屋上から。。。写真右の大きな観覧車は、Cosmo Clock。かつて、世界最大の観覧車であった、大きな観覧車です。写真左の背の高い超高層ビルは、横浜land mark tower。1993年に完成。高さ約296m、70階建て。もう、完成してから20年近く経ちますが、依然として、日本で、最も背の高いビルで、横浜を象徴する建物の一つとなっています。world portersの屋上から眺める、Cosmo Clock等の夜景は、中々、きれいです。

 

 

前にアップ(uplaod)した写真の再利用ですが、写真右側は、world portersの入り口です。

 

 

写真以下4枚。この日、world portersに入っている、インド料理レストランで食べた夕食。このレストランは、この時までに、何回か利用した事がありました。このレストランは、インド料理レストランと言っても、おそらく、かなり日本人に合わせており、又、(インド料理が中心であるものの)、インド料理ではないと思われる料理も提供している事から、厳密には、インド料理レストランと言うよりかは、インド料理系のレストランと言った感じです(若者や、比較的若い層向けのレストランと言った感じ。。。)。この時は、写真以下4枚の食事に、あと、ナン(nann)を一枚頼み(したがって、ナン(nann)は、二人で、合計2枚。一人一枚ずつ食べた)、全て、二人で分けて食べました。

 

 

生ハム(ham)と生春巻き(summer roll)のサラダ(salad)。

 

 

 

 

スペアリブ(spare ribs)。

 

 

 

 

 

インド窯(tandoor)焼き物盛り合わせ。鱸(魚)、タンドリーチキン(tandoori chicken)、シシカバブ(kebab)、海老、トマト。

 

 

 

 

三種類のカレー(curry)とナン(nann)。

 

 

 

横浜散歩&食べ物、終わり。

 

 

以下、適当に、おまけ。。。


 

Masala chai。

 

 

 

写真右、私の街の西洋菓子屋さんの、南瓜マドレーヌ(madeleine)。この袋の中に、南瓜マドレーヌ(madeleine)が入っています。写真左は、コリンキーと言う、生でも食べられる品種の南瓜です。

 

 

 

私の街の西洋菓子屋さんの、南瓜マドレーヌ(madeleine)。

 

 

 

 

Royce’(北海道(hokkaido)の札幌(sapporo)のチョコレート会社)の、ラムレーズン(rum raisin)チョコレート。Royce’のラムレーズン(rum raisin)チョコレートは、初めて食べたのですが、美味しかったです。

 

 

薔薇印の砂糖で知られる、大日本明治(meiji)製糖株式会社(日本の大規模製糖(砂糖)会社の一つ。1890年創業)の、家庭用の、薔薇印の三温糖(茶色系の砂糖)。大日本明治(meiji)製糖株式会社の、薔薇印の砂糖は、安価な(安い値段の)大衆砂糖です。大日本明治(meiji)製糖株式会社の、薔薇印の家庭用砂糖(特に上白糖)は、おそらく、古くから、日本の家庭用砂糖の中で、最も売れている(最も多く使われている)砂糖の一つだと思います。日本では、上白糖と言う、白色の砂糖が、最も多く使われていますが(日本で、普通に砂糖と言えば、上白糖の事を指します)、私は、家では、茶色系の砂糖を好んで使っています。我が家では、通常、大日本明治(meiji)製糖株式会社の、薔薇印の家庭用砂糖よりかは、もう少し高い砂糖を使っているのですが、この砂糖は、ちょっと気まぐれで買って見ました(この砂糖は、我が家の、備蓄用の砂糖にするつもりです)。

 

 

写真以下2枚。ライオン菓子株式会社(日本の大規模菓子会社の一つ。1905年創業。主力商品は、candy)の、Lioness coffee candy。古くからある、チープで(値段が安く)、単純な、コーヒー(coffee)味の、candyです(色も、コーヒー(coffee)の色)。単純なcandyですが、私は、結構好きです。

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下2枚。横浜美術館の次回の展覧会(exhibition)、松井 冬子(matsui fuyuko。1974年生まれ。現在活躍中の、有名な、若手、女性、現代日本伝統画家)の展覧会(exhibition)のパンフレット(leaflet)。この展覧会(exhibition)は、少し興味があります。


 

 

 

 

 

写真以下3枚。トキ(下の補足説明参照)の卵をイメージした、アーモンド(almond)を使った、新潟(niigata)県の佐渡島(sadoga島)の、お菓子。現代日本菓子と言った感じでしょうか。。。
トキ(Crested Ibis):「Nipponia nippon」と言う、日本に因んだ、学名を持つ鳥。以下、トキ(Crested Ibis)に関する説明は、wikiを参考にしました。トキ(Crested Ibis)は、19世紀までは、ロシア(Russia)極東、東アジアに広く分布しており、珍しくない鳥であったが、20世紀前半には激減した。2010年12月上旬の時点で、中国・日本・韓国を合わせた個体数は1,814羽。何れの国でも、乱獲や開発によって19世紀から20世紀にかけて激減し、朝鮮半島では1978年の板門店、ロシア(Russia)では1981年のウスリー川を最後に観察されておらず、日本でも、2003年に、最後の日本産トキ(Crested Ibis)が死亡したことにより、生き残っているのは中国産の子孫のみとなった。野生では中国に997羽(2010年12月現在) が生息しているほか、日本の新潟(niigata)県の佐渡(sadoga)島において、2008年秋から2011年春までに人工繁殖のトキ(Crested Ibis)、60羽が放鳥されている。飼育下では中国に620羽(2010年12月現在)、日本に140羽(2011年3月14日現在)、韓国に6羽(2011年3月現在)がおり、人工繁殖が進められている。

 

 

この、お菓子は、頂き物で、初めて食べたのですが、美味しかったです。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


요코하마 산책&음식

 

지난 주의 월요일(개인적으로 휴일이었습니다)에, 요코하마를 산책해 왔을 때의 물건입니다.요코하마는, 도쿄 area의 바다의 현관문(gateway)이 되고 있는 큰 항구도시입니다.나는, 요코하마는, (일의 용무에서도, 상당히 갑니다만), 요코하마의 항구도시의 분위기등을 좋아하고, 잘 놀러 갑니다.이 때는, 규모의 큰, 현대 미술의, 축제로 있는, 요코하마 triennale를 보고 왔습니다.

 

사진 이하 2매.요코하마 triennale2011의 팜플렛(leaflet).이번 요코하마 triennale의 테마는, 「OUR MAGIC HOUR」였습니다.

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 2매.이번 요코하마 triennale의 회장의 하나, 심미나토 피어(pier)의 팜플렛(leaflet).

 

심미나토 피어(pier)는, 요코하마의 도심부의 해안에 있는, 심미나토 부두 area( 약 100년전에 항구로서 정비된 지구입니다만(덧붙여서, 현재는, 사용되지 않은, 사진 우측의, 항용의, 전동의 대형 크레인(crane)은, 1910년대 전반에 설치된 것입니다), 현재는, 항구로서의 역할을, 거의 끝내고 있다)의 일각(한 구석)에, 전회의 요코하마 triennale(요코하마 triennale2008)의 회장의 하나로서 신설된 시설에서, 전회의 요코하마 triennale(요코하마 triennale2008) 개최 후는, 여러가지 현대 예술 활동을 위한 시설로서 사용되고 있는 것 같습니다.

 

 

 

이 때는, 심미나토 피어(pier)에서는, 요코하마 triennale에 맞추고, 아라이·미나토마을(shin minatomura)이라고 말하는, 활동·전시를 하고 있었습니다.이하, 「」 안, 아라이·미나토마을(shin minatomura)의 활동·전시 내용에 대한 설명은, 팜플렛(leaflet)의 문장을, 거의 인용.「아라이·미나토마을(shin minatomura)은, 모든 나라와 종류의 크리에이터(creator)가 일하는, 신기루와 같은, 작은 미래 도시입니다.마을의 집이나 극장은, 건축가나 아티스트(artist)에 의해서 디자인(design)됩니다만, 주로, 폐재나 대형 쓰레기등으로 구성되어 있습니다.새로운 재료를 사용했을 경우는, 재이용합니다.그리고 외부에서는, 거의 전기를 받지 않습니다.태양광 발전과 충전 시스템, 또, 즐기면서의 인력 발전으로, 어떻게든 해 나갑니다.아라이·미나토마을(shin minatomura)은, 동북지방(금년 3월의 대지진에 의한 해일로 큰 피해를 받았다)과 요코하마의 사이를 사람이나 물자나 지혜나 힘을 쌓고, 몇번이나 왕복하기 때문에(위해)의 플랫폼(platform)입니다.매주 나오는 버스가, 토호쿠인과 아라이·미나토촌(shin minatomura) 인을 이어, 미래 도시로 출항합니다」.

 

이번 요코하마 triennale의 회장(어느 쪽도, 요코하마 도심부)은, 요코하마 미술관, BankART Studio NYK, 코가네쵸(koganecyo), 심미나토 피어(pier)가 되고 있었습니다.이 날은, 이 안, 요코하마 미술관과 코가네쵸(koganecyo)의 회장을 보고 왔던(시간의 관계로, 이 날은, BankART Studio NYK의 회장과 심미나토 피어(pier)의 회장을 볼 수가 없었습니다.BankART Studio NYK의 회장과 심미나토 피어(pier)의 회장에 대해서는, 후일, 혼자서 보았습니다만, 이것에 대해서는, 전회의 투고를 참조해 주세요).

 

사진 이하 7매.이 날은, 우선, 이번 요코하마 triennale의 회장의 하나가 되고 있던, 요코하마 미술관을 방문했습니다.

 

 

이 사진은, 전에, kj에 업(upload) 한 사진의 재이용입니다만, 요코하마 미술관.요코하마의 도심부에 있는 요코하마 미술관은, 요코하마시가 운영하는, 규모의 큰, 공립의 미술관입니다.요코하마 미술관은, 19 세기 후반부터 현대에 걸친 국내외의 미술 작품을 폭넓게 소장하고 있어, 또 사진 콜렉션(collection)도 충실합니다(요코하마 미술관의 site보다...).요코하마 미술관이, 요코하마 triennale에, 본격적으로 협력한 것은, 이번이, 처음에(아마...), 요코하마 미술관이, 요코하마 triennale에 참가한 일로, 요코하마 triennale의 전시에, 두께가 더했다고 생각합니다.

 

사진 이하 6매.요코하마 미술관에 있어서의, 이번, 요코하마 triennale의 전시 작품예(많이 있던 전시 중의, 극히 일부입니다).

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

이 작품에 대해서는, 전구의 하나하나가, 요코하마시내의 주택의, 아이의 방의 빛과 연동하고 있고, 아이가 방의 빛을 켜면, 거기에 연동하고, 작품의 전구가 점등하는(아이들은, 그 일을 알려져 있지 않았습니다)님이 되어 있었습니다.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

개인적으로, 이번 요코하마 triennale의 전시 작품중, 요코하마 미술관에 전시되고 있던 것 중(안)에서는, 김 사토시유(KIM RIYOO)→
http://www.neutron-kyoto.com/neutron_artists/KIM_RIYU/artist.html
이렇게 말하는, 일본인의 아버지와 한국인의 어머니를 가지는, 오사카 태생의, 젊은이, 현대 미술 artist(오사카를 중심으로 한 칸사이(kansai) area를 거점으로 활동하고 있다)의, 고대를 생각하게 하는 것과 동시에 미래를 생각하게 하는 작품이 인상에 남았던(향후, 김 사토시유(KIM RIYOO)는, (그 작품이), 좋아하는 artist의 한 명이 될지도...).

 

사진 이하 14매.요코하마 미술관에서, 요코하마 triennale의 전시를 본 후, 요코하마 triennale의 무료 순회 버스(bus)로, 코가네쵸(koganecyo)로 이동해, 현대 미술의 전시 작품등을 보면서, 코가네쵸(koganecyo) area를 산책했습니다.코가네쵸(koganecyo)는, 이 때, 처음으로 방문했습니다.

 

코가네쵸(koganecyo)는, 요코하마 도심부의, 서민적인 거리의 하나로, 일찌기, 비합법의 매춘 지역으로서 유명했던 거리입니다.이하, 코가네쵸(koganecyo)에 대한 설명은, wiki등을 참고로 했습니다.코가네쵸(koganecyo)의 비합법의 매춘 지역으로서의 역사는, 제이차 세계대전 후에 시작해, 제이차 세계대전 직후의 혼란기부터 1950년대에 걸쳐서는, 코가네쵸(koganecyo)는, 비합법의 매춘 뿐만이 아니라, 마약의 밀매등도, 활발하게 행해져 매우 치안의 나쁜 거리였습니다.코가네쵸(koganecyo)의 매춘부는, 1970년대 초 무렵까지는, 일본인이 중심이었지만, 1970년대 중반 이후, 외국인 매춘부가 증가해 가, 일본인 매춘부는, 소수파가 되어, 이윽고, 일본인 매춘부는, 거의 없어져, 외국인 매춘부가, 대부분을 차지하는 것처럼 되었습니다.코가네쵸(koganecyo)는, 주민의, 외국인 매춘부의 증가에 의한 치안의 악화의 염려, 거리의 정화에 대한 요망의 고조등으로부터, 2005년에, 경찰에 의한, 집중적인 적발을 해 매춘부들은, 일소 되어 매춘을 위한 방을 가져 매춘업을 실시하고 있던 여관이나 음식점(소규모의, 식당·선술집·bar등 )은, 모두 폐점했습니다.이것에 의해, 코가네쵸(koganecyo)는, 정상적인 서민적인 거리?`니 되었습니다(정상적인 거리로 돌아왔습니다).근년, 코가네쵸(koganecyo)의, 폐업한, 매춘업을 실시하고 있던 여관이나 음식점(소규모의, 식당·선술집·bar등 )의 건물등은, 젊은이의 현대 미술 artist들의, 주거나, 작품의 제작 장소, 작품의 전시장 곳 등으로서 활용되는 것처럼 되어, 코가네쵸(koganecyo)는, (젊은이들이 모여, 여러가지 활동을 실시한다) 현대 미술의 거리로서 거리의, 새로운 이미지 만들기를 도모하고 있는 것 같습니다.그러한 활동의 핵심이 되고 있는 것이, 코가네쵸(koganecyo) 바자(bazaar)입니다.이하, 코가네쵸(koganecyo) 바자(bazzar)에 대한 설명은, wiki등을 참고로 했습니다.코가네쵸(koganecyo) 바자(bazzar)는, 근년, (통상) 매년 9월부터 10월에 걸쳐, 코가네쵸(koganecyo) area로 행해지고 있는, 현대 미술을 중심으로 한, art의, 축제입니다.코가네쵸(koganecyo) 바자(bazzar)의 기간중, 많은, artist, 디자이너(designer), 사진가, 건축가등이 참가해, 코가네쵸(koganecyo)의, 폐업한, 매춘업을 실시하고 있던 여관이나 음식점(소규모의, 식당·선술집·bar등 )의 건물등을 활용해, 전시나 활동을 실시하고 있습니다.금년의, 코가네쵸(koganecyo) 바자(bazaar)(황금탐`(koganecyo) 바자(bazaar) 2011)는, 요코하마 triennale와 연동해, 요코하마 triennale와 회기를 같이 해, 요코하마 triennale에 집어 넣어져 있었습니다(요코하마 triennale의 일부가 되고 있었습니다).

 

사진 이하 3매.코가네쵸(koganecyo) area의 풍경예.

 

 

 

코가네쵸(koganecyo)에서는, 2005년에, 경찰에 의한, 집중적인 적발을 해 매춘부들은, 일소 되어 매춘업을 실시하고 있던 여관이나 음식점(소규모의, 식당·선술집·bar등 )은, 모두 폐점했습니다.현재, 코가네쵸(koganecyo) area에 옛부터 있는 점포중, 영업을 실시하고 있는 점포는, 전부터, (매춘과는 관계없이) 건전한 영업을 실시하고 있던, 통상의 점포만되고 있습니다.또, 근년, 코가네쵸(koganecyo) area에서는, 폐점한, 매춘업을 실시하고 있던 여관이나 음식점(소규모의, 식당·선술집·bar등 )의 건물을 활용한(개장해, 이용한), 젊은 층을 겨냥의 가게가 개점하는 것처럼 되었습니다.


 

사진 이하 2매.낡은 독립주택과 고양이.코가네쵸(koganecyo)는, 주민의, 거리의 정화에 대한 요망의 고조등으로부터, 2005년에, 경찰에 의한, 집중적인 적발을 해 정상적인 거리로 돌아와, 다른, 일본의 대도시의 도심부의 낡은 서민적인 거리와 변함없게 되었습니다.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

현대 미술의 전시장소가 되고 있던, 1950년대무렵에 지어졌다고 생각되는, 낡은, 목조의 건물의 천정.

 

 

사진 이하 4매.요코하마 triennale의, 코가네쵸(koganecyo)(코가네쵸(koganecyo) 바자(bazaar) 2011)의 전시 작품예.많이 있던 전시 중의 극히 일부입니다.

 


사진 이하 3매는, 같은 작가의 작품으로, 같은 건물에 전시되고 있던 것입니다.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

코가네쵸(koganecyo) 바자(bazaar) 2011에 참가하고 있던, 젊은이, 현대 미술 artist의 한 명의, 코가네쵸(koganecyo) 바자(bazaar) 2011의, 제작·전시의 광고지(leaflet).이 현대 미술 artist는, 코가네쵸(koganecyo) 바자(bazaar) 2011에 대하고, 일반인으로부터 모아진, 불필요한(필요 없게 된) 장난감을 재료로 한, 현대 art의 작품을, 제작·전시하고 있었습니다.

 

 

 

「시청실 그 2」(이)라고 하는, 코가네쵸(koganecyo)에 모이는 젊은이들의 거점의 하나가 되고 있다?시설.cafe나 콘서트(concert) 장소가 되고 있습니다.

 

이 때, 「시청실 그 2」에서는, 이마이 앙즈(imai anne)(일본의 젊은이 여성 일러스트레이터(illustrator))의 작품의 전시회가 거행되고 있었습니다.이마이 앙즈(imai anne)는, 나의 그녀를 좋아하는 artist의 한 사람입니다.

 

 

사진 이하 3매.이마이 앙즈(imai anne)의 작품예.그림 엽서로부터...
 

 

「줄넘기(줄넘기)」

 

 

 

「비가 그쳤다(비가 그쳤다)」

 

 

 

「존(John)의 등에 새가···」

 

 

 

 

「시청실 그 2」에 놓여져 있던, 요코하마, 국제 옥외 아트 페어(art fair)의 광고 그림 엽서.

 

 

코가네쵸(koganecyo) 바자(bazaar) 2011(요코하마 triennale)의 전시 작품을 보는 등 하면서, 코가네쵸(koganecyo) area를 산책한 후, 요코하마 triennale의 무료 순회 버스(bus)로, BankART Studio NYK에 갔습니다만, BankART Studio NYK 회장의 폐관 시간을 착각 하고 있고, 시간의 관계로부터, 유감스럽지만, 이 날은, BankART Studio NYK에 전시되고 있던, 요코하마 triennale의 작품은, 볼 수가 없었습니다.심미나토 피어(pier)는, 시간적으로, 아직 보는 것이 가능했습니다만, 귀찮아져 버리고, 결국, 이 날은, 심미나토 피어(pier)의, 아라이·미나토마을(shin minatomura)도 보지 않았습니다(BankART Studio NYK와 심미나토 피어(pier)의 전시에 대해서는, 전회의 투고를 참조해 주세요).

 

사진 이하 6매.이 날의 저녁 식사는, world porters(요코하마의 도심부의 해안에 있는 shopping mall의 한 살)에 들어가 있는, 인도 요리 레스토랑에서 먹었습니다.

 

 

world porters의 옥상으로부터...사진 오른쪽의 큰 관람차는, Cosmo Clock.일찌기, 세계 최대의 관람차인, 큰 관람차입니다.사진왼쪽의 키가 큰 초고층 빌딩은, 요코하마 land mark tower.1993년에 완성.높이 약 296 m, 70층건물.이제(벌써), 완성하고 나서 20년 가깝게 지납니다만, 여전히, 일본에서, 가장 키가 큰 빌딩에서, 요코하마를 상징하는 건물의 하나가 되고 있습니다.world porters의 옥상으로부터 바라보는, Cosmo Clock등의 야경은, 꽤, 예쁩니다.

 

 

전에 업(uplaod) 한 사진의 재이용입니다만, 사진 우측은, world porters의 입구입니다.

 

 

사진 이하 4매.이 날, world porters에 들어가 있는, 인도 요리 레스토랑에서 먹은 저녁 식사.이 레스토랑은, 이 때까지, 몇회나 이용한 일이 있었습니다.이 레스토랑은, 인도 요리 레스토랑이라고 말해도, 아마, 꽤 일본인에 맞추고 있어 또, (인도 요리가 중심이지만), 인도 요리는 아니라고 생각되는 요리도 제공하고 있는 일로부터, 엄밀하게는, 인도 요리 레스토랑이라고 말하는 것보다인가는, 인도 요리계의 레스토랑이라고 한 느낌입니다(젊은이나, 비교적 젊은 층 전용의 레스토랑이라고 한 느낌...).이 때는, 사진 이하 4매의 식사에, 그리고, 낭(nann)을 한 장 부탁(따라서, 낭(nann)은, 둘이서, 합계 2매.한 명 한 장씩 먹은), 모두, 둘이서 나누어 먹었습니다.

 

 

날 햄(ham)과 생 춘권(summer roll)의 사라다(salad).

 

 

 

 

돼지갈비(spare ribs).

 

 

 

 

 

인도가마(tandoor) 구이 진열.노(물고기), 탄 돌리 치킨(tandoori chicken), 시시키뱁(kebab), 새우, 토마토.

 

 

 

 

3종류의 카레(curry)와 낭(nann).

 

 

 

요코하마 산책&음식, 마지막.

 

 

이하, 적당하게, 덤...


 

Masala chai.

 

 

 

사진 오른쪽, 나의 거리의 서양 과자 가게씨의, 호박 마드레이누(madeleine).이 봉투안에, 호박 마드레이누(madeleine)가 들어가 있습니다.사진왼쪽은, 코린 키라고 말하는, 생에서도 먹을 수 있는 품종의 호박입니다.

 

 

 

나의 거리의 서양 과자 가게씨의, 호박 마드레이누(madeleine).

 

 

 

 

Royce’(홋카이도(hokkaido)의 삿포로(sapporo)의 초콜릿 회사)의, 램 건포도(rum raisin) 초콜릿.Royce’의 램 건포도(rum raisin) 초콜릿은, 처음으로 먹었습니다만, 맛있었습니다.

 

 

장미표의 설탕으로 알려진, 대일본 메이지(meiji) 제당 주식회사(일본의 대규모 제당(설탕) 회사의 하나.1890년 창업)의, 가정용의, 장미표의 3온당(갈색계의 설탕).대일본 메이지(meiji) 제당 주식회사의, 장미표의 설탕은, 염가의(싼 가격의) 대중 설탕입니다.대일본 메이지(meiji) 제당 주식회사의, 장미표의 가정용 설탕(특히 상등 백미당)은, 아마, 옛부터, 일본의 가정용 설탕 중(안)에서, 가장 팔리고 있는(가장 많이 사용되고 있다) 설탕의 하나라고 생각합니다.일본에서는, 상등 백미당이라고 말하는, 백색의 설탕이, 가장 많이 사용되고 있습니다만(일본에서, 보통으로 설탕이라고 말하면, 상등 백미당의 일을 가리킵니다), 나는, 집에서는, 갈색계의 설탕을 기꺼이 사용하고 있습니다.우리 집에서는, 통상, 대일본 메이지(meiji) 제당 주식회사의, 장미표의 가정용 설탕보다인가는, 좀 더 비싼 설탕을 사용하고 있습니다만, 이 설탕은, 조금 변덕으로 사 보았습니다(이 설탕은, 우리 집의, 비축용의 설탕으로 할 생각입니다).

 

 

사진 이하 2매.라이온 과자 주식회사(일본의 대규모 과자 회사의 하나.1905년 창업.주력 상품은, candy)의, Lioness coffee candy.옛부터 있는, 저렴하고(가격이 싸고), 단순한, 커피(coffee) 미의, candy입니다(색도, 커피(coffee)의 색).단순한 candy입니다만, 나는, 상당히 좋아합니다.

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 2매.요코하마 미술관의 다음 번의 전람회(exhibition), 마츠이동자(matsui fuyuko.1974 년생.현재 활약중의, 유명한, 젊은이, 여성, 현대 일본 전통 화가)의 전람회(exhibition)의 팜플렛(leaflet).이 전람회(exhibition)는, 조금 흥미가 있습니다.


 

 

 

 

 

사진 이하 3매.따오기(아래의 보충 설명 참조)의 알을 이미지 한, 아몬드(almond)를 사용한, 니가타(niigata) 현의 사도섬(sadoga섬)의, 과자.현대 일본 과자라고 말한 느끼셨습니까...
따오기(Crested Ibis):「Nipponia nippon」라고 하는, 일본에 연관된, 학명을 가지는 새.이하, 따오기(Crested Ibis)에 관한 설명은, wiki를 참고로 했습니다.따오기(Crested Ibis)는, 19 세기까지는, 러시아(Russia) 극동, 동아시아에 넓게 분포하고 있어, 드물지 않은 새였지만, 20 세기 전반에는 격감했다.2010년 12월 초순의 시점에서, 중국·일본·한국을 맞춘 개체수는 1,814마리.어느 쪽의 나라에서도, 난획이나 개발에 의해서 19 세기부터 20 세기에 걸쳐 격감해, 한반도에서는 1978년의 판문점, 러시아(Russia)에서는 1981년의 우스리-강을 마지막으로 관찰되지 않고, 일본에서도, 2003년에, 마지막 일본산 따오기(Crested Ibis)가 사망한 것에 의해, 살아 남고 있는 것은 중국산의 자손만되었다.야생에서는 중국에 997마리(2010년 12월 현재)가 생식 하고 있는 것 외에 일본의 니가타(niigata) 현의 사도(sadoga) 섬에 있고, 2008년 가을부터 2011년 봄까지 인공 번식의 따오기(CrestedIbis), 60 마리가 방조 되고 있다.사육하에서는 중국에 620마리(2010년 12월 현재), 일본에 140마리(2011년 3월 14일 현재), 한국에 6마리(2011년 3월 현재)가 내려 인공 번식이 진행되고 있다.

 

 

이, 과자는, 선물로, 처음으로 먹었습니다만, 맛있었습니다.


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



TOTAL: 933

番号 タイトル ライター 参照 推薦
313
No Image
8月の初めの高原滞在&食べ物4 jlemon 2011-12-22 2110 0
312
No Image
8月の初めの高原滞在&食べ物3 jlemon 2011-12-21 4895 0
311
No Image
8月の初めの高原滞在&食べ物2 jlemon 2011-12-20 4474 0
310
No Image
8月の初めの高原滞在&食べ物1 jlemon 2011-12-14 1520 0
309
No Image
一昨日の昼食 jlemon 2011-12-11 2037 0
308
No Image
白金(shirokane)散歩&食べ物3 jlemon 2011-12-10 2622 0
307
No Image
ホットック(今日のおやつ) jlemon 2011-12-10 7781 0
306
No Image
白金(shirokane)散歩&食べ物2 jlemon 2011-12-07 8712 0
305
No Image
先々週の水曜日の夕食 jlemon 2011-12-06 2656 0
304
No Image
昨日の夕食等 jlemon 2011-12-06 2295 0
303
No Image
白金(shirokane)散歩&食べ物1 jlemon 2011-12-05 1642 0
302
No Image
適当に休日の食事後編 jlemon 2011-12-04 2007 0
301
No Image
適当に休日の食事前編 jlemon 2011-12-03 3570 0
300
No Image
適当に食べ物 jlemon 2011-12-01 6100 0
299
No Image
先週の火曜日の昼食 jlemon 2011-11-14 4101 0
298
No Image
横浜散歩&食べ物 jlemon 2011-11-10 2473 0
297
No Image
先週の水曜日の昼食 jlemon 2011-11-09 3083 0
296
No Image
トッポキ jlemon 2011-10-26 8880 0
295
No Image
お台場(odaiba)散歩&食べ物後編 jlemon 2011-10-15 67960 0
294
No Image
お台場(odaiba)散歩&食べ物前編 jlemon 2011-10-15 68730 0