食べ物

 

6月の初旬の週末に、東京の我が家から自動車で2時間半程の、長野(nagano)県の高原地帯(避暑地)にある別荘(別荘とは言っても、比較的裕福な人々が保有する様な典型的な別荘ではなく、庶民的な中古の一戸建て住宅です)に行って来た時の物です。この時は、土曜の午後に、東京の我が家を出て、翌週の月曜日に、早目に、帰って来ました。

 

以下、新緑の高原滞在&食事1からの続き。。。

 

写真以下86枚。私の別荘周辺のリゾート(resort)ホテルの一つ(このリゾート(resort)ホテルの温泉風呂については、前回の投稿、「新緑の高原滞在&食事1」参照)と、そのリゾート(resort)ホテル付属の美術館。

 

このリゾート(resort)ホテルは、マリー・ローランサン(Marie Laurencin。1910年代から1950年代に活躍した、有名な、フランスの女性、近・現代画家)美術館と、野外彫刻美術館を併設した、中級classのリゾート(resort)ホテルです。現在のホテルの建物(現代建築の、コンクリート(concrete)作りの建物)は、調べたら、1967年に建てられた物なので、おそらく1967年開業です(それ以上に、歴史が古いホテルとは、思われない為。。。)。もっとも、現在の経営会社(東京のタクシー(taxi)会社))の所有(経営)となったのは、もう少し後の事で、1977年の事です。

 

このリゾート(resort)ホテルの敷地内に併設された、マリー・ローランサン(Marie Laurencin)美術館は、世界で唯一のマリー・ローランサン(Marie Laurencin)専門の美術館で、個人(実業家。このリゾート(resort)ホテルも経営する、1952年創業の東京のタクシー(taxi)会社の創業者で有り、会長)が趣味で収集したマリー・ローランサン(Marie Laurencin)の作品(個人コレクション(collection))を基に、500点余りのマリー・ローランサン(Marie Laurencin)の作品を収蔵しています(おそらく、世界最大且つ世界で最も質の高い、マリー・ローランサン(Marie Laurencin)のコレクション(collection))。

 

このリゾート(resort)ホテルは、(おそらく、長引く、不況(経済停滞)の影響等で)、今月(9月)いっぱいで、閉館(営業を終了する)予定だったのですが(閉館する(営業を終了する)事は、大分、内部では、話し合われていたと思いますが、発表されたのは、割と突然の事でした。。。)、つい最近、新しい、経営会社(owner)が決まった様で、ホテルは、継続する事が決まった様です。もっとも、一度、営業を終了した後、また、いつ営業を再開するかは、未定の様です(今の所、10月中には、営業を再開する予定の様。。。)。また、ホテルは、継続する事が決まったものの、今の所、ホテル併設の美術館(マリー・ローランサン(Marie Laurencin)美術館&野外彫刻美術館)の内、マリー・ローランサン(Marie Laurencin)美術館は、当初の予定通り、9月いっぱいで、閉館する予定の様です。私は、この、リゾート(resort)ホテル併設の美術館は、この時を含めて4回程訪れていますし(中々良い美術館です)、このリゾート(resort)ホテル温泉風呂は、別荘周辺で、お気に入りの温泉の一つとなっていたのですが、このホテルは、宿泊した事がありません。このホテルは、微妙ではあるものの、一度位は、宿泊してみてもいいかなと思っていたのですが(別荘滞在中、時々、気分転換に、別荘の有る長野(nagano)県や隣接する山梨(yamanashi)県の、旅館やリゾート(resort)ホテル、ペンション等に一泊程度宿泊しています)、結局、少なくとも、現在の経営会社の下における、このホテルは、宿泊しないまま、終わりそうです。

 

写真以下5枚。このリゾート(resort)ホテルのパンフレット(leaflet)から。。。このリゾート(resort)ホテルは、現在は、中級classのリゾート(resort)ホテルですが、新しい経営会社の下では、どうなるか分かりません(ホテルの名前は、変わらない様ですが、もしかしたら、宿泊費と質を、現在よりも、下げて、大衆classのリゾート(resort)ホテルになるかもしれません)。

 

 

写真左、このホテルで、宿泊費が、高いclassの部屋。

 

 

 

写真右は、このホテルの標準的な部屋の内、日本伝統式(畳部屋)の要素も取り入れた部屋。

 

 

 

このホテルの、標準的な部屋(このホテルで、一番多い部屋)。

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下81枚。前述の通り、このホテル及び、ホテル併設の美術館(マリー・ローランサン(Marie Laurencin)美術館&野外彫刻美術館)は、9月いっぱいで、閉館する予定だったので(つい最近、このリゾート(resort)ホテルは、新しい経営会社の下、営業を継続する事が決まり、ホテルと野外彫刻美術館については、継続する事が決まりましたが、マリー・ローランサン(Marie Laurencin)美術館は、当初の予定通り、9月いっぱいで、閉館する予定の様。。。)、ゆとりを持って、このホテル併設の美術館を見納めておこうと、翌日(この時の二日目。日曜日)、このホテル併設の美術館を訪れました(このホテル併設の美術館を訪れたのは、4回目でした)。

 

写真以下17枚。このホテル併設の、二つの美術館の内の一つ、マリー・ローランサン(Marie Laurencin)美術館。前述の通り、世界で唯一のマリー・ローランサン(Marie Laurencin)専門の美術館で、おそらく、世界最大且つ世界で最も質の高い、マリー・ローランサン(Marie Laurencin)のコレクション(collection)を有する美術館です。この美術館の閉館に伴い、この美術館のコレクション(collection)が、日本国外に、渡ってしまったら(売却されてしまったら)、今後、この美術館のコレクション(collection)作品を見られる機会が、大幅に減ってしまうので、惜しいなと思っていたのですが、どうやら、美術館が閉館しても、コレクション(collection)は、維持され、今後も、他の美術館等の展覧会(exhibition)に、コレクション(collection)を貸し出すつもりがある様なので、その点は、ちょっと安心しました。。。

 

 

この美術館の入り口。美術館のパンフレット(leaflet)から。。。

 

 

 

この美術館のパンフレット(leaflet)。

 

 

 

 

 
この美術館の内部の様子。美術館のパンフレット(leaflet)から。。。

 

 

写真以下7枚。この美術館(マリー・ローランサン(Marie Laurencin)美術館)の収蔵作品(collection)例。パンフレット(leaflet)から。。。全て、マリー・ローランサン(Marie Laurencin)の作品です。ちなみに、個人的には、マリー・ローランサン(Marie Laurencin)の作品は、まあまあ好き(普通(好きでも嫌いでもない)よりかは、好きだが、とても好き(お気に入り)と言う程ではない)です。


 

「アンドレ・グルー夫人ニコル」 1913年頃。

 

 

「棕櫚のそばの乙女」 1915年頃。

 

 

 

「マリー・ド・メディシス」 1926年。

 

 

 

「接吻」 1927年頃。

 

 

「ばらの女」 1930年。

 

 

 

「三人の乙女」 1938年。

 

 

「扇をもつ若い女」 1950年頃。

 

 

写真以下7枚。この時、調度、マリー・ローランサン(Marie Laurencin)美術館では、日本で活躍する、フランス人、芸術家、写真家、書道家(calligrapher)、歌手、ピエール・ジル(Pierre Gilles)(1956年生まれ。Pierre et Gillesと言う、似た名前の、世界的に有名な、フランス人の、ゲイ(gay)のカップル(couple)の、アーティスト(artists)がいますが、それとは、全くの、別人です)の、写真と書(calligraphy)、コラージュ(collage)作品の、展覧会(exhibition)が行われていました。ピエール・ジル(Pierre Gilles)は、有名な、多才なアーティスト(artist)ですが、上手く説明出来ませんが、おそらく、有名な芸術家(artist)の中では、無名な方の芸術家(artist)だと思います(専門家の間では、有名だが、一般的には、それ程は、知られていない)。私も、この展覧会(exhibition)を見るまで、ピエール・ジル(Pierre Gilles)の存在は、知りませんでした(この時は、この展覧会(exhibition)を見る為に、マリー・ローランサン(Marie Laurencin)美術館を訪れた訳ではなく、閉館前に、マリー・ローランサン(Marie Laurencin)美術館を見納める為に、マリー・ローランサン(Marie Laurencin)美術館を訪れた)。ピエール・ジル(Pierre Gilles)の作品は、個人的に、コラージュ(collage)は、魅力を感じませんでしたが、書(calligraphy)は、とても良く、変な表現かもしれませんが、何か、卓越した、フランス人のフランス料理シェフ(chef)の、エスプリ(esprit)の効いた、料理の盛り付けを見る様な感じで、興味深く、気に入ってしまいました。写真も中々良かったです。

 

展覧会(exhibition)のパンフレット(leaflet)。写真右上は、この展覧会(exhibition)の展示作品の一つで、ピエール・ジル(Pierre Gilles)の書(calligraphy)の作品で、平仮名で、「何時も」と書いてあります。

 

 

写真以下6枚。この展覧会(exhibition)の展示作品例。展覧会(exhibition)のパンフレット(leaflet)等から。。。全て、ピエール・ジル(Pierre Gilles)の作品です。

 

写真以下3枚。ピエール・ジル(Pierre Gilles)の写真作品から。。。ピエール・ジル(Pierre Gilles)は、写真家(photographer)として、芸術・文化の分野で活躍する、日本の、数々の有名人の写真を撮影して来ました。


 

中村 紘子(nakamura hiroko)(下の補足説明参照)の写真。
中村 紘子(nakamura hiroko):説明は、wikiを参考にしました。1944年生まれ。日本の有名なpianist。1965年、第7回ショパン国際ピアノコンクール(International Chopin Piano Competition)で、4位入賞と最年少者賞を併せて受賞(この時の1位はマルタ・アルゲリッチ(Martha Argerich)だった)。チャイコフスキー国際コンクール(International Tchaikovsky Competition)、ショパン国際ピアノコンクール(International Chopin Piano Competition)を始めとする様々な国際コンクール(competition)の審査員を務める。また、長年、浜松(hamamatsu)国際ピアノコンクール(International Piano Competition)の審査委員長を務めている。

 


 

武満 徹(takemitsu toru)(1930年生まれ。1996年に亡くなる。日本の有名な作曲家)の写真。

 

 

 

写真中央、勅使河原 宏(teshigahara hiroshi)(下の補足説明参照)の写真。ちなみに、写真左上は、ピエール・ジル(Pierre Gilles)の書(calligraphy)の作品で、漢字と平仮名で、「一緒に」と書いてあります。

勅使河原 宏(teshigahara hiroshi):説明は、wikiを参考にしました。1927年生まれ。2001年に亡くなる。華道(ikebana(日本のflower arrangement芸術))の有力な流派の一つである、草月(sogetsu)流の三代目家元(代表)。日本の有名な映画監督。1927年に、生け花(ikebana)の草月(sogetsu)流の創始者である、勅使河原 蒼風(teshigahara sofu)の長男として生まれる。1950年代から、映画監督として活動を始め、1960年代から1970年代初めまで、映画監督として活躍した後、一時期、映画界を離れるが、1980年代半ばから1990年代初めまで、再び、映画監督として活躍。安部 公房(abe kobo)の小説を原作とした、監督映画作品、「砂の女(Woman in the Dunes)」(1964年)で、カンヌ国際映画祭(Cannes International Film Festival)審査員特別賞(Special Jury Prize)等を受賞。他に、勅使河原 宏(teshigahara hiroshi)の、監督映画作品では、同じく安部 公房(abe kobo)の小説を原作とした、「他人の顔(The Face of Another)」(1966年)等が、国際的に評価が高い。「利休(rikyu)」(1989年の監督作品)で、モントリオール世界映画祭(Montreal World Film Festival)最優秀芸術貢献賞受賞。

 

 

写真以下3枚。ピエール・ジル(Pierre Gilles)の書(calligraphy)の作品から。。。

 

平仮名で、「夢」と書いてあります。

 

 

平仮名で、「いつ」と書いてあります。

 

 

写真下。漢字で、「大丈夫」と書いてあります。

 

 

 

写真以下4枚。このリゾート(resort)ホテルの周囲や庭の一部。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下60枚。このリゾート(resort)ホテルの敷地内に併設された、野外彫刻美術館。この野外彫刻美術館は、当初、このリゾート(resort)ホテルが、9月いっぱいで、閉館する(営業を終了する)のに伴って、(同じく、このホテルに併設された)マリー・ローランサン(Marie Laurencin)美術館と共に、閉館する予定でしたが、つい最近、このホテルの新しい、経営会社(owner)が決まった事に伴い、ホテルと共に、この野外彫刻美術館も、存続する事が決まった様です(もっとも、9月末を以って、一度、営業を終了した後、また、いつ営業を再開するかは、未定の様です)。また、継続する事が決まったと言っても、今後、一部の彫刻作品が見られなくなる様です。ちなみに、マリー・ローランサン(Marie Laurencin)美術館は、前述の通り、当初の予定通りに、今月(9月)末を以って、閉館する予定の様です。この野外彫刻美術館(敷地内の遊歩道(作品を見て廻る道)は、全長2kmにもなります)に展示されている作品の中心は、北村 西望(kitamura seibo)の作品となっています。個人的には、北村 西望(kitamura seibo)の作品は、マリー・ローランサン(Marie Laurencin)の作品と同じく、まあまあ好き(普通(好きでも嫌いでもない)よりかは、好きだが、とても好き(お気に入り)と言う程ではない)です(個人的に、北村 西望(kitamura seibo)の作品は、第二次世界大戦後の作品よりか、第二次世界大戦前の作品の方が好きです)。

北村 西望(kitamura seibo):1884年生まれ、1987年に亡くなる。1910年代半ばから活躍した、日本の有名な彫刻家。代表作の中では、長崎(nagasaki)の平和公園にある、平和祈念像(1955年。像の高さ9.7m、台座の高さ3.9m。神の愛と仏の慈悲を象徴し、垂直に高く掲げた右手は原子爆弾の脅威を、水平に伸ばした左手は平和を、横にした足は原子爆弾投下直後の長崎(nagasaki)市の静けさを、立てた足は原子爆弾の恐怖を表し、軽く閉じた目は原子爆弾の犠牲者の冥福を祈っている。wikiより。。)が、特に有名。

 

私達は、この時、野外彫刻美術館は、割と、ゆっくり見たのですが、私達が、野外彫刻美術館を見ている間、他の野外彫刻美術館の見学者は、この広い敷地の中で、5組(10人)位しか見ませんでした。マリー・ローランサン(Marie Laurencin)美術館と合わせても、10組(二十人)か、それよりも少ない位(下は大学生位から、上は60代位と、年齢層は様々でしたが、全て、couple又は夫婦でした。。)。見る側(客)としては、人が少ない、静かな落ち着いた環境の中で、ゆっくりと、芸術作品を見たり、散歩したり出来て、良いのですが、観光客が少ない時期(閑散期)で、避暑時期でもないとは言え、日曜日で、これ位なので、経営が厳しいのは、分かる気がします(まあ、私達が、この時、このリゾート(resort)ホテル併設の美術館(マリー・ローランサン(Marie Laurencin)美術館&野外彫刻美術館)を見学したのは、午前中から昼にかけてだったので、午後からは、もうちょっと人が入ってくると思われますが。。。それにしても。。。)。この野外彫刻美術館(このリゾート(resort)ホテル)の近くに、イギリス式庭園(English garden)があるのですが、そちらの方は、賑わっていて(人が多くて)、庭園内の飲食店や売店も儲かっている感じなのですが、この野外彫刻美術館は、魅力は、そのイギリス式庭園(English garden)に比べて決して劣らない(まあ、好みに依ると思いますが、実際に訪れて見たら、この野外彫刻美術館の方が、そのイギリス式庭園(English garden)よりも、良いと思う人も、結構いると思います。。。)と思うのに、惜しい気がします。

 

 

写真以下60枚。このリゾート(resort)ホテルの敷地内に併設された、野外彫刻美術館。この時、調度、新緑が綺麗でした。前述の通り、敷地内の遊歩道(作品を見て廻る道)は、全長2kmにもなります(北村 西望(kitamura seibo)の作品を中心に、約70組の、彫刻作品が展示されています)。途中、この野外彫刻美術館の展示作品の一部を、この野外彫刻美術館の展示作品例として紹介していますが、全て、北村 西望(kitamura seibo)(1884年生まれ、1987年に亡くなる。1910年代半ばから活躍した、日本の有名な近 代・現代彫刻家)の作品です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「創造の人」1927年。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「光に打たれる悪魔」1917年。

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「将軍の孫」 1918年。当時、北村 西望(kitamura seibo)は、日露戦争(Russo-Japanese War)で、戦死した、陸軍軍人(中佐)、橘 周太(tachibana syuta)の銅像を製作するため、遺品を預かっていたのですが、その時、たまたま、北村 西望(kitamura seibo)のアトリエ(studio)に遊びに来ていた、3歳になる、北村 西望(kitamura seibo)の長男が、預かっていた遺品の一つの軍靴を履き、敬礼した所を、モデル(model)にした作品です。

 

 

「猫―防衛」1926年。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「母子像」1925年。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「若き日の母親」1925年。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下2枚。「孔子像」1933年。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下2枚。「自由の女神」1959年。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「平和の女神」1968年。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「花吹雪」1965年。

 

 

 

 

 

 

ここにきて、長引く、不況(経済停滞)の影響は、私の別荘周辺でも、じわりと(少しずつ)、表面に現れて来ている感じです。私の別荘周辺では、このリゾート(resort)ホテル以外でも、1923年創業の、温泉旅館とリゾート(resort)ホテル両方の要素を持つ宿泊施設を経営する会社が、倒産しましたし(現在、この宿泊施設は、他の会社の所有となり、営業を継続中)、また、1951年開業の温泉旅館(この温泉旅館の温泉風呂は、別荘周辺で、お気に入りの温泉の一つでした。前に、kjでアップ(upload)した事あり)が、経営が苦しかったのか、2009年の11月から、休業中です(営業が再開される可能性は、少ない様。。。)。 ただ、その一方において、私の別荘周辺では、割と最近、新しく開店したレストラン等も、結構あり(私が知る限り、つい最近(この夏の初め位かな)も、洋食レストランが、1軒オープン(open)しました)、決して、一方的に寂しくなっていっている訳ではありません。

 

 

新緑の高原滞在&食事3へ続く。。。

 

 

この投稿では、「新緑の高原滞在&食事」関連の食べ物の写真がなくて済みません(元々、「新緑の高原滞在&食事1」と「新緑の高原滞在&食事2」は、一つの投稿にする予定だったのですが、写真が、多かったので、二分割しました)。

 

 

写真以下6枚。板違い防止の為。。。

 

写真以下4枚。一昨日、仕事から我が家に帰って来て食べた夕食の、おかず。二人分です。昨日の夕食は、これと、あと、ご飯(rice)を食べました。

牛肉と茸の、バター(butter)醤油、炒め物。牛肉は、黒毛和牛肉(高級な肉とされる)を使いましたが、黒毛和牛肉の中では、最も安いclassの物です。

 

 

 

刺身。鰹と帆立。

 

 

 

枝豆。 

 

 

 

太刀魚の塩焼き(焼き物)。

 

 

写真以下2枚。ハロウィーン(Halloween)パッケージ(package)の、お菓子。


 

ディズニー(disney)ハロウィーン(Halloween)パッケージ(package)の南瓜風味のマシュマロ(marshmallow)。

 

 

ハロウィーン(Halloween)パッケージ(package)のパイ(pie)の実。パイ(pie)の実は、チョコレートをパイ(pie)の生地で包んだ、お菓子で、結構古くからあります。Lotteの製品なので、韓国にもあるかな。。。

 

 

 

 

 


신록의 타카하라 체재&식사 2

 

6월의 초순의 주말에, 도쿄의 우리 집으로부터 자동차로 2 시간 반정도의, 나가노(nagano) 현의 타카하라 지대(피서지)에 있는 별장(별장이라고는 해도, 비교적 유복한 사람들이 보유하는 것 같은 전형적인 별장이 아니고, 서민적인 중고의 독립주택입니다)에 갔다 왔을 때의 물건입니다.이 때는, 토요일의 오후에, 도쿄의 우리 집을 나오고, 다음주의 월요일에, 빨리, 돌아왔습니다.

 

이하, 신록의 타카하라 체재&식사 1으로부터의 계속...

 

사진 이하 86매.나의 별장 주변의 리조트(resort) 호텔의 하나(이 리조트(resort) 호텔의 온천 목욕탕에 대해서는, 전회의 투고, 「신록의 타카하라 체재&식사 1」참조)와 그 리조트(resort) 호텔 부속의 미술관.

 

이 리조트(resort) 호텔은, 메리·로란산(Marie Laurencin.1910년대부터 1950년대에 활약한, 유명한, 프랑스의 여성, 근·현대 화가) 미술관과 야외 조각 미술관을 병설한, 중급 class의 리조트(resort) 호텔입니다.현재의 호텔의 건물(현대 건축의, 콘크리트(concrete) 만들기의 건물)는, 조사하면, 1967년에 지어진 것이므로, 아마 1967년 개업입니다(그 이상으로, 역사가 낡은 호텔이란, 생각되지 않기 때문에...).무엇보다, 현재의 경영 회사(도쿄의 택시(taxi) 회사))의 소유(경영)가 된 것은, 좀 더 후의 일로, 1977년의 일입니다.

 

이 리조트(resort) 호텔의 부지내에 병설된, 메리·로란산(Marie Laurencin) 미술관은, 세계에서 유일한 메리·로란산(Marie Laurencin) 전문의 미술관에서, 개인(실업가.이 리조트(resort) 호텔도 경영하는, 1952년 창업의 도쿄의 택시(taxi) 회사의 창업자로 있어, 회장)가 취미로 수집한 메리·로란산(Marie Laurencin)의 작품(개인 콜렉션(collection))을 기본으로, 500점 남짓의 메리·로란산(Marie Laurencin)의 작품을 수장 하고 있습니다(아마, 세계 최대 한편 세계에서 가장 질 높은, 메리·로란산(Marie Laurencin)의 콜렉션(collection)).

 

이 리조트(resort) 호텔은, (아마, 오래 끄는, 불황(경제 정체)의 영향등으로), 이번 달(9월) 까지, 폐관(영업을 종료할) 예정이었습니다만(폐관하는(영업을 종료한다) 일은, 상당히, 내부에서는, 서로 이야기 하게 되고 있었다고 생각합니다만, 발표된 것은, 생각보다는 갑작스런일이었습니다...), 바로 최근, 새로운, 경영 회사(owner)가 정해진 같고, 호텔은, 계속하는 것이 정해진 같습니다.무엇보다, 한 번, 영업을 종료한 후, 또, 언제 영업을 재개할까는, 미정의 같습니다(지금 단계, 10월중에는, 영업을 재개할 예정의 님...).또, 호텔은, 계속하는 것이 정해졌지만, 지금 단계, 호텔 병설의 미술관(메리·로란산(Marie Laurencin) 미술관&야외 조각 미술관)중, 메리·로란산(MarieLaurencin) 미술관은, 당초의 예정 대로, 9월 까지, 폐관할 예정의 같습니다.나는, 이, 리조트(resort) 호텔 병설의 미술관은, 이 때를 포함해 4회 정도 방문하고 있고(꽤 좋은 미술관입니다), 이 리조트(resort) 호텔 온천 목욕탕은, 별장 주변에서, 마음에 드는 온천의 하나가 되고 있었습니다만, 이 호텔은, 숙박한 일이 없습니다.이 호텔은, 미묘하기는 하지만, 한 번 정도는, 숙박해 봐도 괜찮을까라고 생각했습니다만(별장 체제중, 가끔, 기분 전환에, 별장이 있는 나가노(nagano) 현이나 인접하는 야마나시(yamanashi) 현의, 여관이나 리조트(resort) 호텔, 펜션등에 일박 정도 숙박하고 있습니다), 결국, 적어도, 현재의 경영 회사아래에 있어서의, 이 호텔은, 숙박하지 않는 채, 끝날 것 같습니다.

 

사진 이하 5매.이 리조트(resort) 호텔의 팜플렛(leaflet)으로부터...이 리조트(resort) 호텔은, 현재는, 중급 class의 리조트(resort) 호텔입니다만, 새로운 경영 회사아래에서는, 어떻게 될까 모릅니다(호텔의 이름은, 변함없는 같습니다만, 혹시, 숙박비와 질을, 현재보다, 내리고, 대중 class의 리조트(resort) 호텔이 될지도 모릅니다).

 

 

사진왼쪽, 이 호텔에서, 숙박비가, 높은 class의 방.

 

 

 

사진 오른쪽은, 이 호텔의 표준적인 방중, 일본 전통식(다다미 방)의 요소도 도입한 방.

 

 

 

이 호텔의, 표준적인 방(이 호텔에서, 제일 많은 방).

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 81매.상술한 대로, 이 호텔 및, 호텔 병설의 미술관(메리·로란산(Marie Laurencin) 미술관&야외 조각 미술관)은, 9월 까지, 폐관할 예정이었으므로(바로 최근, 이 리조트(resort) 호텔은, 새로운 경영 회사아래, 영업을 계속하는 것이 정해져, 호텔과 야외 조각 미술관에 대해서는, 계속하는 것이 정해졌습니다만, 메리·로란산(Marie Laurencin) 미술관은, 당초의 예정 대로, 9월 까지, 폐관할 예정의 님...), 여유를 가지고, 이 호텔 병설의 미술관을 마지막으로 봄이라고 두려고, 다음날(이 때의 이틀눈.일요일), 이 호텔 병설의 미술관을 방문했습니다(이 호텔 병설의 미술관을 방문한 것은, 4번째였습니다).

 

사진 이하 17매.이 호텔 병설의, 두 개의 미술관 중의 하나, 메리·로란산(Marie Laurencin) 미술관.상술한 대로, 세계에서 유일한 메리·로란산(Marie Laurencin) 전문의 미술관에서, 아마, 세계 최대 한편 세계에서 가장 질 높은, 메리·로란산(Marie Laurencin)의 콜렉션(collection)을 가지는 미술관입니다.이 미술관의 폐관에 수반해, 이 미술관의 콜렉션(collection)이, 일본외에, 건너 버리면(매각되어 버리면), 향후, 이 미술관의 콜렉션(collection) 작품을 볼 수 있을 기회가, 큰폭으로 줄어 들어 버리므로, 아깝다라고 생각했습니다만, 아무래도, 미술관이 폐관해도, 콜렉션(collection)은, 유지되어 향후도, 다른 미술관등의 전람회(exhibition)에, 콜렉션(collection)을 대출할 생각이 있는 것 같아서, 그 점은, 조금 안심했습니다...

 

 

이 미술관의 입구.미술관의 팜플렛(leaflet)으로부터...

 

 

 

이 미술관의 팜플렛(leaflet).

 

 

 

 

 
이 미술관의 내부의 모습.미술관의 팜플렛(leaflet)으로부터...

 

 

사진 이하 7매.이 미술관(메리·로란산(Marie Laurencin) 미술관)의 수장 작품(collection) 예.팜플렛(leaflet)으로부터...모두, 메리·로란산(Marie Laurencin)의 작품입니다.덧붙여서, 개인적으로는, 메리·로란산(Marie Laurencin)의 작품은, 그저 좋아해(보통(좋아하지도 싫지도 않다)보다인가는, 좋아하지만, 매우 좋아해(마음에 드는 것)라고 말할 정도는 아니다)입니다.


 

「안드레·아교 부인 니콜」 1913년경.

 

 

「종려나무의 곁의 아가씨」 1915년경.

 

 

 

「메리·드·메디시스」 1926년.

 

 

 

「입 맞춤」 1927년경.

 

 

「장미의 여자」 1930년.

 

 

 

「세 명의 아가씨」 1938년.

 

 

「부채를 가지는 젊은 여자」 1950년경.

 

 

사진 이하 7매.이 때, 세간, 메리·로란산(Marie Laurencin) 미술관에서는, 일본에서 활약하는, 프랑스인, 예술가, 사진가, 서도가(calligrapher), 가수, 피에르·질(Pierre Gilles)(1956 년생.Pierre et Gilles라고 말하는, 닮은 이름의, 세계적으로 유명한, 프랑스인의, 동성애자(gay)의 커플(couple)의, 아티스트(artists)가 있습니다만, 그것이란, 완전한, 딴사람입니다)의, 사진과 책(calligraphy), 콜라쥐(collage) 작품의, 전람회(exhibition)가 거행되고 있었습니다.피에르·질(Pierre Gilles)은, 유명한, 다재인 아티스트(artist)입니다만, 능숙하게 설명 할 수 없습니다만, 아마, 유명한 예술가(artist)중에서는, 무명인 분의 예술가(artist)라고 생각합니다(전문가의 사이에서는, 유명하지만, 일반적으로는, 그렇게는, 알려지지 않았다).나도, 이 전람회(exhibition)를 볼 때까지, 피에르·질(Pierre Gilles)의 존재는, 몰랐습니다(이 때는, 이 전람회(exhibition)를 보기 위해, 메리·로란산(Marie Laurencin) 미술관을 방문한 것은 아니고, 폐관전에, 메리·로란산(MarieLaurencin) 미술관을 마지막으로 봄때문에, 메리·로란산(Marie Laurencin) 미술관을 방문했다).피에르·질(Pierre Gilles)의 작품은, 개인적으로, 콜라쥐(collage)는, 매력을 느끼지 않았습니다만, 책(calligraphy)은, 매우 자주(잘), 이상한 표현일지도 모릅니다만, 무엇인가, 탁월한, 프랑스인의 프랑스 요리 세프(chef)의, 에스프리(esprit)가 효과가 있던, 요리의 담음을 보는 것 같은 느낌으로, 흥미롭고, 마음에 들어 버렸습니다.사진도 꽤 좋았습니다.

 

전람회(exhibition)의 팜플렛(leaflet).사진 우상은, 이 전람회(exhibition)의 전시 작품의 하나로, 피에르·질(Pierre Gilles)의 책(calligraphy)의 작품으로, 히라가나로, 「몇시라도」라고 써 있습니다.

 

 

사진 이하 6매.이 전람회(exhibition)의 전시 작품예.전람회(exhibition)의 팜플렛(leaflet) 등으로부터...모두, 피에르·질(Pierre Gilles)의 작품입니다.

 

사진 이하 3매.피에르·질(Pierre Gilles)의 사진 작품으로부터...피에르·질(Pierre Gilles)은, 사진가(photographer)로서 예술·문화의 분야에서 활약하는, 일본의, 수많은 유명인의 사진을 촬영해 왔습니다.


 

나카무라 히로코(nakamura hiroko)(아래의 보충 설명 참조)의 사진.
나카무라 히로코(nakamura hiroko):설명은, wiki를 참고로 했습니다.1944 년생.일본의 유명한 pianist.1965년, 제7회 쇼팽 국제 피아노 콩쿨(International Chopin Piano Competition)에서, 4위 입상과 최연소자상을 아울러 수상(이 때의 1위는 몰타·아르게릿치(Martha Argerich)였다).차이코프스키 국제 콩쿨(International Tchaikovsky Competition), 쇼팽 국제 피아노 콩쿨(International Chopin Piano Competition)을 시작으로 하는 여러가지 국제 콩쿨(competition)의 심사원을 맡는다.또, 오랜 세월 , 하마마츠(hamamatsu) 국제 피아노 콩쿨(International Piano Competition)의 심사 위원장을 맡고 있다.

 


 

다케미쓰 도오루(takemitsu toru)(1930 년생.1996년에 죽는다.일본의 유명한 작곡가)의 사진.

 

 

 

사진 츄우오, 테시가와라굉(teshigahara hiroshi)(아래의 보충 설명 참조)의 사진.덧붙여서, 사진 좌상은, 피에르·질(Pierre Gilles)의 책(calligraphy)의 작품으로, 한자와 히라가나로, 「함께」라고 써 있습니다.

테시가와라굉(teshigahara hiroshi):설명은, wiki를 참고로 했습니다.1927 년생.2001년에 죽는다.화도(ikebana(일본의 flower arrangement 예술))의 유력한 유파의 하나인, 초월(sogetsu) 류의 삼대눈당주(대표).일본의 유명한 영화 감독.1927년에, 꽃꽂이(ikebana)의 초월(sogetsu) 류의 창시자인, 테시가와라창풍(teshigahara sofu)의 장남으로서 태어난다.1950년대부터, 영화 감독으로서 활동을 시작해 1960년대부터 1970년대 초까지, 영화 감독으로서 활약한 후, 한시기, 영화계를 떠나지만, 1980년대 중반부터 1990년대 초까지, 다시, 영화 감독으로서 활약.아베 코우보(abe kobo)의 소설을 원작으로 한, 감독 영화 작품, 「모래 소녀(Woman in the Dunes)」(1964년)로, 칸느 국제영화제(Cannes International Film Festival) 심사원 특별상(Special Jury Prize) 등을 수상.그 밖에, 테시가와라굉(teshigahara hiroshi)의, 감독 영화 작품에서는, 같은 아베 코우보(abe kobo)의 소설을 원작으로 한, 「타인의 얼굴(The Face ofAnother)」(1966년) 등이, 국제적으로 평가가 높다.「토시야스(rikyu)」(1989년의 감독 작품)로, 몬트리올 세계 영화제(Montreal World Film Festival) 최우수 예술 공헌상 수상.

 

 

사진 이하 3매.피에르·질(Pierre Gilles)의 책(calligraphy)의 작품으로부터...

 

히라가나로, 「꿈」이라고 써 있습니다.

 

 

히라가나로, 「언제」라고 써 있습니다.

 

 

사진하.한자로, 「괜찮아」라고 써 있습니다.

 

 

 

사진 이하 4매.이 리조트(resort) 호텔의 주위나 뜰의 일부.


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 60매.이 리조트(resort) 호텔의 부지내에 병설된, 야외 조각 미술관.이 야외 조각 미술관은, 당초, 이 리조트(resort) 호텔이, 9월 까지, 폐관하는(영업을 종료한다) 것에 수반하고, (같이, 이 호텔에 병설된) 메리·로란산(Marie Laurencin) 미술관과 함께, 폐관할 예정이었지만, 바로 최근, 이 호텔의 새로운, 경영 회사(owner)가 정해진 일에 수반해, 호텔과 함께, 이 야외 조각 미술관도, 존속하는 것이 정해진 같습니다(가장, 9월말로, 한 번, 영업을 종료한 후, 또, 언제 영업을 재개할까는, 미정의 같습니다).또, 계속하는 것이 정해졌다고 해도, 향후, 일부의 조각 작품을 볼 수 없게 되는 것 같습니다.덧붙여서, 메리·로란산(Marie Laurencin) 미술관은, 상술한 대로, 당초의 예정 대로에, 이번 달(9월) 말로, 폐관할 예정의 같습니다.이 야외 조각 미술관(부지내의 산책길(작품을 보고 도는 길)은, 전체 길이 2 km로도 됩니다)에 전시되고 있는 작품의 중심은, 기타무라 세이보(kitamura seibo)의 작품이 되고 있습니다.개인적으로는, 기타무라 세이보(kitamuraseibo)의 작품은, 메리·로란산(Marie Laurencin)의 작품과 같이, 그저 좋아해(보통(좋아하지도 싫지도 않다)보다인가는, 좋아하지만, 매우 좋아해(마음에 드는 것)라고 말할 정도는 아니다)입니다(개인적으로, 기타무라 세이보(kitamura seibo)의 작품은, 제이차 세계대전 후의 작품보다인가, 제이차 세계대전전의 작품을 좋아합니다).

기타무라 세이보(kitamura seibo):1884 년생, 1987년에 죽는다.1910년대 중반부터 활약한, 일본의 유명한 조각가.대표작 중(안)에서는, 나가사키(nagasaki)의 헤이와코우엔에 있는, 평화 기원상(1955년.상의 높이 9.7 m, 대좌의 높이 3.9m.신의 사랑과 프랑스의 자비를 상징해, 수직에 높게 내건 오른손은 원자 폭탄의 위협을, 수평에 편 왼손은 평화를, 옆으로 한 다리는 원자 폭탄 투하 직후의 나가사키(nagasaki) 시의 고요함을, 세운 다리는 원자 폭탄의 공포를 나타내, 가볍게 닫은 눈은 원자 폭탄의 희생자의 명복을 빌고 있다.wiki보다..)(이)가, 특히 유명.

 

저희들은, 이 때, 야외 조각 미술관은, 생각보다는, 느긋하게 보았습니다만, 저희들이, 야외 조각 미술관을 보고 있는 동안, 다른 야외 조각 미술관의 견학자는, 이 넓은 부지안에서, 5조(10명) 정도 밖에 보지 않았습니다.메리·로란산(Marie Laurencin) 미술관과 합해도, 10조(20명)인가, 그것보다 적은 정도(아래는 대학생위로부터, 위는 60 대위로 연령층은 여러가지였습니다만, 모두, couple 또는 부부였습니다..).보는 측(손님)으로서는, 사람이 적은, 조용한 침착한 환경속에서, 천천히, 예술 작품을 보거나 산책하거나 되어있어 좋습니다만, 관광객이 적은 시기(한산기)로, 피서 시기도 아니다고는 말할 수 있어 일요일로, 이 정도이므로, 경영이 어려운 것은, 알 것 같은(뭐, 저희들이, 이 때, 이 리조트(resort) 호텔 병설의 미술관(메리·로란산(Marie Laurencin) 미술관&야외 조각 미술관)을 견학한 것은, 오전중부터 낮에 걸쳐였으므로, 오후부터는, 좀 더 사람이 들어 온다고 생각됩니다만...그렇다 치더라도...).이 야외 조각 미술관(이 리조트(resort) 호텔)의 근처에, 영국식 정원(Englishgarden)가 있습니다만, 그 쪽은, 활기차 있고(사람이 많아서), 정원내의 음식점이나 매점도 득을 보고 있는 느낌입니다만, 이 야외 조각 미술관은, 매력은, 그 영국식 정원(English garden)에 비해 결코 뒤떨어지지 않는(뭐, 기호에 의라고 생각합니다만, 실제로 방문해 보면, 이 야외 조각 미술관이, 그 영국식 정원(English garden)보다, 좋다고 생각하는 사람도, 상당히 있다고 생각합니다...)(이)라고 생각하는데, 아까운 생각이 듭니다.

 

 

사진 이하 60매.이 리조트(resort) 호텔의 부지내에 병설된, 야외 조각 미술관.이 때, 세간, 신록이 깨끗했습니다.상술한 대로, 부지내의 산책길(작품을 보고 도는 길)은, 전체 길이 2 km로도 됩니다(기타무라 세이보(kitamura seibo)의 작품을 중심으로, 약 70조의, 조각 작품이 전시되고 있습니다).도중 , 이 야외 조각 미술관의 전시 작품의 일부를, 이 야외 조각 미술관의 전시 작품예로서 소개하고 있습니다만, 모두, 기타무라 세이보(kitamura seibo)(1884 년생, 1987년에 죽는다.1910년대 중반부터 활약한, 일본의 유명한 근대·현대 조각가)의 작품입니다.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「창조의 사람」1927년.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「빛에 맞는 악마」1917년.

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「장군의 손자」 1918년.당시 , 기타무라 세이보(kitamura seibo)는, 러일 전쟁(Russo-Japanese War)으로, 전사한, 육군 군인(중령), 다치바나 슈우타(tachibana syuta)의 동상을 제작하기 위해(때문에), 유품을 맡고 있었습니다만, 그 때, 우연히, 기타무라 세이보(kitamura seibo)의 아틀리에(studio)에 놀러 와있던, 3세가 되는, 기타무라 세이보(kitamura seibo)의 장남이, 맡고 있던 유품의 하나의 군화를 신어, 경례한 곳을, 모델(model)로 한 작품입니다.

 

 

「고양이-방위」1926년.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「모자상」1925년.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「젊은 날의 모친」1925년.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 2매.「공자상」1933년.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 2매.「자유의 여신」1959년.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「평화의 여신」1968년.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「꽃보라」1965년.

 

 

 

 

 

 

지금에 와서, 오래 끄는, 불황(경제 정체)의 영향은, 나의 별장 주변에서도, 토지 분할과(조금씩), 표면에 나타나 와있는 느낌입니다.나의 별장 주변에서는, 이 리조트(resort) 호텔 이외에도, 1923년 창업의, 온천 여관과 리조트(resort) 호텔 양쪽 모두의 요소를 가지는 숙박시설을 경영하는 회사가, 도산했고(현재, 이 숙박시설은, 다른 회사의 소유가 되어, 영업을 계속중), 또, 1951년 개업의 온천 여관(이 온천 여관의 온천 목욕탕은, 별장 주변에서, 마음에 드는 온천의 하나였습니다.전에, kj로 업(upload) 한 일 있어)이, 경영이 괴로웠던 것일까, 2009년의 11월부터, 휴업중입니다(영업이 재개될 가능성은, 적은 님...). 단지, 그 한편에 있고, 나의 별장 주변에서는, 생각보다는 최근, 새롭게 개점한 레스토랑등도, 상당히 있어(내가 아는 한, 바로 최근(이번 여름의 처음위일까)도, 양식 레스토랑이, 1채 오픈(open)했습니다), 결코, 일방적으로 외로워져 가고 있는 것이 아닙니다.

 

 

신록의 타카하라 체재&식사 3에 계속 된다...

 

 

이 투고에서는, 「신록의 타카하라 체재&식사」관련의 음식의 사진이 없어도 되지 않습니다(원래, 「신록의 타카하라 체재&식사 1」(와)과「신록의 타카하라 체재&식사 2」는, 하나의 투고로 할 예정이었습니다만, 사진이, 많았기 때문에, 2분비율 했습니다).

 

 

사진 이하 6매.판차이 방지 (위해)때문에...

 

사진 이하 4매.그저께, 일로부터 우리 집에 돌아와 먹은 저녁 식사의, 반찬.두 명분입니다.어제의 저녁 식사는, 이것과 그리고, 밥(rice)을 먹었습니다.

쇠고기와 버섯의, 버터(butter) 간장, 볶아 것.쇠고기는, 검은 털 일본소육(고급육으로 여겨진다)을 사용했습니다만, 검은 털 일본소육 중(안)에서는, 가장 싼 class의 물건입니다.

 

 

 

생선회.가다랭이와 범립.

 

 

 

완두콩. 

 

 

 

갈치의 소금구이(구이).

 

 

사진 이하 2매.할로윈(Halloween) 패키지(package)의, 과자.


 

디즈니(disney) 할로윈(Halloween) 패키지(package)의 호박 풍미의 마시마로(marshmallow).

 

 

할로윈(Halloween) 패키지(package)의 파이(pie)의 열매.파이(pie)의 열매는, 초콜릿을 파이(pie)의 천으로 싼, 과자로, 상당히 옛부터 있습니다.Lotte의 제품이므로, 한국에도 걷는거야...

 

 

 

 

 

 



TOTAL: 943

番号 タイトル ライター 参照 推薦
303
No Image
適当に休日の食事前編 jlemon 2011-12-03 3557 0
302
No Image
適当に食べ物 jlemon 2011-12-01 6092 0
301
No Image
先週の火曜日の昼食 jlemon 2011-11-14 4092 0
300
No Image
横浜散歩&食べ物 jlemon 2011-11-10 2464 0
299
No Image
先週の水曜日の昼食 jlemon 2011-11-09 3073 0
298
No Image
トッポキ jlemon 2011-10-26 8866 0
297
No Image
お台場(odaiba)散歩&食べ物後編 jlemon 2011-10-15 67942 0
296
No Image
お台場(odaiba)散歩&食べ物前編 jlemon 2011-10-15 68714 0
295
No Image
適当に休日の食事 jlemon 2011-10-14 67951 0
294
No Image
先週の火曜日の夕食 jlemon 2011-10-11 68120 0
293
No Image
上野(ueno)散歩&食べ物3 jlemon 2011-10-06 6563 0
292
No Image
上野(ueno)散歩&食べ物2 jlemon 2011-10-05 5815 0
291
No Image
上野(ueno)散歩&食べ物1 jlemon 2011-10-04 3467 0
290
No Image
新緑の高原滞在&食事3 jlemon 2011-09-27 1865 0
289
No Image
新緑の高原滞在&食事2 jlemon 2011-09-24 7284 0
288
No Image
新緑の高原滞在&食事1 jlemon 2011-09-23 1900 0
287
No Image
適当に日々の食事 jlemon 2011-09-20 5503 0
286
No Image
先々週の金曜日の夕食 jlemon 2011-09-20 2418 0
285
No Image
東京港散歩&食事 jlemon 2011-09-17 5562 0
284
No Image
杏子の里(杏子の村)を散歩&食べ....... jlemon 2011-09-10 2020 0