食べ物

 

 

この前の日曜日(今週の日曜日)の夕食等です。この前の日曜日(今週の日曜日)は、新宿(東京最大級の繁華街の一つで有ると供に、東京の主要なビジネス(business)街の一つ。東京都心部の西部に位置する)に有る損保ジャパン(sompo japan)美術館に展覧会(exhibition)を見に行って来ました。新宿は、我が家の最寄り駅から、通勤電車(韓国式に言えば地下鉄)で5分位なので、個人的に、最も身近な繁華街の一つとなっています。

 

その前に、写真以下14枚。おまけ。私の前のenjoyの投稿文の再利用です。この、おまけの写真と文(小さな文字の文)は、興味のある方だけ、ご覧下さい。

 

写真以下16枚。新宿副都心。新宿副都心は、(主として)1970年代に開発された、200m級の超高層ビルが建ち並ぶ、ビジネス(business)地区です。新宿副都心は、1970年代に開発された日本で最初の200m級超高層ビル群です。1970年代は、第2次世界大戦後の復興と高度経済成長が、一段落し(落ち着き)、(東京夏季オリンピック(Olympics)が開催され、1961年に設立されたOECDに、日本が加盟した、1964年は、「もはや戦後では無い=第2次世界大戦による荒廃からの復興は終った。」と言われました)、日本が成熟した先進工業国としての道を歩き始めた年代です。それまでの、経済発展最重視の政策から、公害や環境に対する取り組みが本格的に行われるようになり(これにより、1970年代を通じて、日本の環境は、ずいぶん改善されました)、1975年に設立した、サミット(summit)には、日本は、アメリカ、イギリス、西ドイツ、フランス、イタリアと供に、G6として、設立当初のメンバー(member)として参加しました。1960年代までの、東京のビジネス(business)の中心地区と言えば、やはり圧倒的に東京駅を最寄駅とする丸の内(marunouchi)でした(東京都心部の中でも、中心的な地域に位置するmarunouchiは、今でも東京のbusinessの中心地区です)。丸の内(marunouchi)は、日本における産業革命から第2次世界大戦直前までの19世紀末から1930年代にかけて、西洋先進国の大都市中心部のビジネス(business)街と比べても見劣りしないビジネス(business)街を東京に造ろうと、当時のロンドン(London)のビジネス(business)街を模範として街単位で本気で開発がなされてきた地区です。このような、丸の内(marunouchi)に対して、第2次世界大戦後の経済復興を終えて、成熟した先進工業国としての道を歩き始めた日本の首都東京の、新しい顔を造ろうと、1970年代に、本気で開発された、新ビジネス(business)地区が、新宿副都心です。1960年代において、日本は、日本の様な地震地帯の大地震でも、大丈夫な超高層ビルを設計・建築する技術が成熟するに至り、1968年に、日本初の超高層ビル、霞ヶ関(kasumigaseki)ビル(日本初且つアジア初の超高層ビルであり、完成当時、アジアで最も高かったビル)が東京の霞ヶ関(kasumigaseki)に完成しました。こうした流れを受けて、新宿副都心は、日本初の200m級、超高層ビル街として1970年代に開発されました。1970年代に入ると、日本では、超高層ビルの建設が、本格化し、東京を中心として、次々と超高層ビルが、建てられる様になりました。これは、日本と同じく地震地帯にある、Los Angelsや、San Francisco等のアメリカ西海岸の大都市で、本格的に超高層ビルが建てられる様になった時期と一致しています。逆に、1970年代に入るまでは、アメリカの地震地帯では無い地域を除けば、世界に超高層ビルは、ほとんど存在しませんでした。1970年代に建てられた、新宿副都心の超高層ビルの設計者は、全て日本人建築家又は、日本の建築設計会社の手によるものです。新宿副都心の超高層ビル群は、1970年代当時の、日本の超高層ビルの設計技術力及びデザイン(design)力を試す場でもあった事でしょう。新宿副都心の超高層ビル郡は、先進国日本の首都東京の新しい顔として、本気で開発がなされた地区なので、主として1970年代に超高層ビルが建てられたエリア(area)は、超高層ビルとビルとの間の間隔、ビルのデザイン(design)や色の個性と調和等、ビル郡全体としての調和が、かなりよく考えられており、世界的に見ても、第一級の都市景観となっていると思います。もっとも、近年出来た、新しい超高層ビルによって、新宿の超高層ビル郡全体の景観の調和は、現在、やや崩れつつあります。日本以外のアジアで、超高層ビルを最も最初に建て始めたのは、香港とシンガポール(Singapore)です。香港と、シンガポール(Singapore)は、日本やアメリカ西海岸と違って、特に地震地帯ではありませんが、まだ、経済的に、発展途上であった為、日本と比べて超高層ビルが建てられ始める様になった時期が、若干遅れました(それでも、ほぼ同時期)。1970年代には、アジアにおける、超高層ビル建設をリード(lead)した日本ですが、日本に引き続き、1980年代に入ると、香港とシンガポール(Singapore)で、本格的な超高層ビル建設ラッシュ(rush)が始まります。また、1985年に、韓国のソウルに完成した、63ビル(高さ249m)は、当時アジアで、最も、高いビルであった、日本のSunshine60ビルを追い抜き、完成当時アジアで最も高いビルでした。この様に、1980年代に入ると、日本に続いて、香港、シンガポール(Singapore)、韓国が、まず、アジアにおける、超高層ビル建設をリード(lead)する様になりました。さらに、1990年代半ばに入ると、超高層ビル建設の波は、当時東南アジアで、最も勢い良く発展していた発展途上国、Thai,Malaysia,Indonesiaまで、広がり、最早、超高層ビルは、先進国、準先進国・地域(香港、Singapore、韓国)(当時。現在は、これ等の国・地域は、既に、先進国・地域に十分含まれるていると思います)、中進国(中南米、南アフリカ)だけの物では、無くなりました。さらに、90年代末以降は、中国が、超高層ビルの建設において、急速に台頭する様になり、近年では、超高層ビルの建設は、他の発展途上国にまで広がると供に、中東では、ドバイ(dubai)を中心とした、過熱とも言える超高層ビル建築ブーム(boom)が起りました。

 

写真以下10枚(写真は、借り物)、1970年代に建てられた、新宿副都心の超高層ビル。設計は、全て日本人建築家又は、日本の建築設計会社の手によるものです。新宿副都心の超高層ビル群は、1970年代当時の、日本の超高層ビルの設計技術力及びデザイン(design)力を試す場でもあった事でしょう。 

 

写真以下2枚。keio plazaホテル。1971年完成。高さは、178m。当時、アジアで最も高いビルであった、同じく日本の世界貿易センタービル(world trade center building)を追い抜き、完成当時アジアで最も高いビルでした。日本で、最初、また、アジアでも最初の超高層ホテルです。設計は、日本の建築設計事務所、日本設計。


 

 

 

 

写真以下2枚。新宿住友ビル。高さ210mの超高層office用ビルです。1974年3月完成。日本のみならず、アジアでも最初の高さ200m以上のビルです。完成当時アジアで最も高いビルでした。設計は、日本の世界最大級の建築設計事務所、日建設計です。断面が3角の個性的なデザイン(design)の超高層ビルである事から、3角ビルと呼ばれています。この新宿住友ビルの高さ210m及び、すぐ下で紹介する、新宿三井ビルの高さは225mは、前年の1973年に完成した、フランスで最初の超高層ビルであり、且つ、完成当時ヨーロッパで最も高いビルであった、Montparnasse towerの高さ、210mを意識した物なのかも、知れません。

 

 

 

 

 

写真以下2枚。新宿三井ビル。1974年9月に完成した、超高層office用ビルです。高さは、225m。同じく日本の新宿住友ビルを追い抜き、完成当時、アジアで最も高いビルでした。設計は、日本の不動産会社である三井不動産の建築設計部門と、日本の建築設計事務所である日本設計及び日本の構造力学(structural mechanics)研究所である武藤構造力学(structural mechanics)研究所です。

 

 

 

 

 

KDDIビル。高さ164.7m。1974年完成。設計者は、日本総合建築事務所。丸の内建築事務所。

 

 

損保(Sompo Japan)本社ビル(手前のビル)。高さ200m。1976年完成。設計者は、内田祥三、星村昌一等、7人の建築家。

 

 

新宿野村(nomura)ビル。高さ209.9。1978年完成。設計者は、安井建築設計事務所。

 

 

 

新宿centerビル。高さ216m。1979年完成。設計者は、大成建設。

 

 

写真以下4枚(写真は、借り物)、新宿副都心風景。新宿副都心の超高層ビル郡は、先進国日本の首都東京の新しい顔として、本気で開発がなされた地区なので、高層ビルとビルとの間の間隔、ビルのデザイン(design)や色の個性と調和等、ビル郡全体としての調和が、かなりよく考えられており、世界的に見ても、第一級の都市景観となっていると思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これは、前(調度、去年の同じ時期位)に、私が撮影しkjにアップ(upload)した写真。真ん中、奥に見える超高層ビルは、東京都庁ビル。1991年完成。高さは、243.4m。設計は、丹下健三(Tange Kenzo)(下の補足説明参照)です。新宿副都心の超高層ビルの中では、比較的、新しい方のビルですが、現在は、新宿副都心を代表する超高層ビルとなっています。

丹下 健三(Tange Kenzo):日本の世界的に有名な建築家。1950年代から、亡くなる近くまで活躍。日本人建築家の中で、初めて世界に名が知られた建築家であると供に、1960年代に、日本の現代建築設計の水準を、世界一流classに、引き上げた人物として知られています。1913年に生れ、90歳以上生きて、2005年に、亡くなりました。丹下健三(Tange Kenzo)の弟子には、磯崎 新(Isozaki Arata)、黒川 紀章(kurokawa kisyo)、槇 文彦(maki fumihiko)等と言った、世界的に有名な、日本人建築家達が、名を連ねています。黒川 紀章(kurokawa kisyo)は、既に亡くなりましたし、他の弟子達も、既に、70歳代後半、80歳代の高齢です。

 

 

これは、今回、私が撮影した写真。写真右端の超高層ビルは、新宿副都心にある損保ジャパン(sompo japan)本社ビル。1976年完成した、高さ200mのビルです。損保ジャパン(sompo japan)美術館は、このビルの、ほぼ最上階(43階建ての当ビルの42階)を占める美術館です。損保ジャパン(sompo japan)は、安田火災海上保険(前身で有る、東京火災保険は、1888年創業)と日産火災海上保険(1911年設立)と言う二つの損害保険会社が、合弁して2002年に発足した、損害保険会社で、損保ジャパン(sompo japan)発足前は、損保ジャパン(sompo japan)本社ビルは、安田火災海上保険本社ビル、損保ジャパン(sompo japan)美術館は、安田火災美術館(又は、東郷 青児(togo seiji)美術館)でした。損保ジャパン(sompo japan)は、安田火災海上保険時代から、日本有数の損害保険会社です(日本で、3本の指に入る損害保険会社)。損保ジャパン(sompo japan)美術館は、安田火災海上保険が、社会貢献の一環として、安田火災海上保険の新本社ビル(現在の損保ジャパン(sompo japan)本社ビル)が完成した1976年に、同ビルに開館(open)した、私営の美術館です。今回、損保ジャパン(sompo japan)美術館で、この時行われていた、ユトリロ(Maurice Utrillo)の展覧会(exhibition)を見て来ました。

 

この日、(この)展覧会(exhibition)の最終日&日曜日であった事から、損保ジャパン(sompo japan)美術館に上がるエレベーター(elevator)が、混雑していました(上に上ってしまえば(美術館内は)、それ程、混んでいませんでしたが。。。何しろ、42階の美術館に上がる、美術館観覧者用のエレベーター(elevator)が、1、2個しかないので、一度に、ある程度の人数が集中して美術館に入館しようとすると、必然的に、エレベーター(elevator)前が、混雑します。。。)。

 

写真以下3枚。混雑を避ける為(エレベーター(elevator)を待つ人々の行列が空くまで)、近くの(隣りの超高層ビルに入っている)ポール・バセット(Paul Basset)(Paul Bassetと言う、有名な(有名らしい?w)バリスタ(barista)がproduceしたスターバックス(starbucks)の様な感じの、手頃な値段のコーヒーショップ(coffee shop))で、しばらく、まったり(のんびり)していました。おかげで、あまり待たずに美術館へのエレベーター(elevator)に乗る事が出来ました。

 

 

 

私が食べた、バナナ(banana)系のケーキ(cake)。

 

彼女が食べた、緑茶(green tea)系のケーキ(cake)。

 

 

写真以下2枚。美術館のある42階から眺めた風景。向こうに見えるのは、高層ビルが建ち並ぶ、東京都心部の中でも中心部の風景。この日も、そうでしたが、今の時期(梅雨の時期(雨の多い時期)。東京の場合、だいたい6月から7月にかけての40日間強位)、東京は、陰鬱な天気の日が多いです。。。

 

向こうに見える背の高いタワー(tower)は、東京tower。高さは約333mで、1958年に完成した当時は、パリのEiffel tower(約324m)を抜かし、世界一高い塔でした。

 

 

写真右端の、すぐ近くの超高層ビル(写真では、頭の部分の一部が写っている)は、Mode学園Cocoon Tower(高さ約204m。2008年完成)。新宿副都心の超高層ビルの中では、最も新しい物の一つです。ファッションデザイナー(fashion designer)等を養成する専門学校、Mode学園(1966年創立。本部は、名古屋(nagoya)。東京校は、1980年開校)の、東京校の校舎ビルとなっています。

 

損保ジャパン(sompo japan)美術館の収蔵品(collection)の中心は、美術館の設立趣旨に共鳴した、安田火災海上保険と縁の有る(下の補足説明参照)、東郷 青児(togo seiji。1897年生まれ。1978年に亡くなる。日本の有名な、近代・現代画家)が、安田火災海上保険に寄贈した作品が中心となっています(損保ジャパン(sompo japan)美術館の、正式名称は、損保ジャパン(sompo japan)東郷 青児(togo seiji)美術館となっています)。
補足説明:損保ジャパン(sompo japan)美術館のhpを参考にしました(ほぼ引用)。歴代の安田火災海上保険(及び、安田火災海上保険の前身の東京火災保険)の社長のお気に入りの画家であった、東郷 青児(togo seiji)は、1920年代後半、(安田火災海上保険の前身の)東京火災保険の営業案内や記念品等のデザイン(design)を次々に手がけ、特に1935年頃からの、東郷 青児(togo seiji)作の同社のカレンダー(calendar)は、現在も根強いファン(fan)を持っている。

 

損保ジャパン(sompo japan)美術館は、おそらく、世界最大級の、東郷 青児(togo seiji)の作品のコレクション(collection)を有しています。もっとも、今回の様な企画展(exhibition)開催期間中は、損保ジャパン(sompo japan)美術館の収蔵品(collection)の展示場所は、限られてしまうので、東郷 青児(togo seiji)の作品を中心とした、損保ジャパン(sompo japan)美術館の収蔵品(collection)を多く見たい方は、所蔵作品(collection)の展覧会、若しくは、東郷 青児(togo seiji)に関連した展覧会の開催時に、この美術館を訪れると良いでしょう。

 

写真以下6枚。絵葉書の写真で、(しかも一部、ブレてしまって)申し訳有りませんが、損保ジャパン(sompo japan)美術館収蔵の、東郷 青児(togo seiji)の作品例です。東郷 青児(togo seiji)は、私のお気に入りの、芸術家の内の一人です。

 

1914年の作品。「自画像」です。

 

 

1923年の作品です。

 

 

1926年の作品です。

 

 

1929年の作品です。

 

 

1958年の作品です。

 

 

1959年の作品です。

 

 

損保ジャパン(sompo japan)美術館の収蔵品(collection)の中心は、東郷 青児(togo seiji)の作品となっていますが、損保ジャパン(sompo japan)美術館は、東郷 青児(togo seiji)以外の、(西洋及び日本の)有名な、近代・現代画家の作品も所蔵しています。絵葉書の写真で、(しかも一部、ブレてしまって)申し訳有りませんが、写真以下3枚は、その例(代表的な物)です。

 

ゴッホ(Vincent van Gogh)の、ひまわり(1888年又は1889年)。損保ジャパン(sompo japan)美術館の、(東郷 青児(togo seiji)の作品以外の)収蔵品(collection)の中で、代表的な物です。ゴッホ(Vincent van Gogh)は、7点の、花瓶に挿された、ひまわり(sunflowers)の作品を制作した事が、広く認められていますが(wikiより)、その7点の作品の内、現存する6点の内の一つです(残りの1点は、第2次世界大戦前に、日本の個人の金持ち(芦屋(ashiya。大阪、京都、神戸を中心とする関西areaを代表する高級住宅地)に居住していた、大阪の実業家)が所有していましたが、第2次世界大戦中の、アメリカ軍の空襲により焼失してしまいました)。

 

ポール・ゴーギャン(Paul Gauguin) 「アリスカンの並木路 アルル」(1888年)

 

ポール・セザンヌ(Paul Cezanne) 「りんごとナプキン」(1879年から1880年)。

 

写真以下2枚。今回、損保ジャパン(sompo japan)美術館で、この時行われていた、ユトリロ(Maurice Utrillo)(1883年生まれ。1955年に亡くなる。フランスの有名な画家)の展覧会(exhibition)を見て来ました。この展覧会(exhibition)の出品作品は、全て、ある、ヨーロッパのユトリロ(Maurice Utrillo)作品の個人コレクター(collector)の物で、(全て)、今回、日本で初めて公開された作品だった様です。

 

 

 

 

 

 

損保ジャパン(sompo japan)美術館で、現在(今日から)開催中の展覧会(exhibition)、トリック・アート(騙し絵)の世界展のパンフレット(leaflet)。夏休み期間中の展覧会(exhibition)なので、ちょっと、子供や、中学生、高校生等が、見て楽しめる様な展覧会(exhibition)を意識して企画された物かな。。。表紙になっているのは、佐藤 正明(satou masaaki。1940年生まれの、日本人現代artist。1970年代からは、ニョ―ヨーク(New York)を、主な活動拠点としている)の作品、「Subway No23」(1977年)。

 

 

損保ジャパン(sompo japan)美術館で、次回開催予定の展覧会(exhibition)、フィレンツェ(Florence)のウフィツィ美術館(Uffizi Gallery)の自画像コレクション(collection)展のパンフレット(leaflet)。

 

写真以下8枚。この日の夕食は、何度か利用した事のあった(夜利用したのは、今回が初めてでした)、新宿にある、レバノン(Lebanon)料理レストランで食べました。(別に、日本人向けの味付けにしていないそうですが。。。)、全般的に、さっぱりした日本人好みの味で、美味しいと思います(もっとも、私は、レバノン(Lebanon)を訪れた事が無いので、本場の味が、本当にどうなのかについては、分かりませんが。。。)。

 

レバノン(Lebanon)のビール(beer)。

 

写真以下7枚。この日(今週の日曜日)の夕食。全て二人で食べた物です。

 

写真上から時計廻りに、ひよこ豆のペースト、茄子のペースト、生野菜。

 

 

1枚取ってしまってから、撮影しましたが、ピタパン。

 

 

鶏肉と白身魚。

 

 

カバブ(ラム(lamb)、鶏肉)

 

牛肉(挽肉)ご飯(rice)。

 

マッシュポテト(mashed potato)。下の方は、ラザニア(lasagne)のソース(sauce)(ragu)の様になっています(ラザニア(lasagne)の、パスタ(pasta)(lasagne)がマッシュポテト(mashed potato)になった様な感じの料理)。

 

デザート(dessert)。ナツメヤシ(date)のケーキ(cake)。

 

 

おまけ。昨日の昼食。昨日は、仕事の用事で、横浜に出ていたのですが、その際、横浜の豚カツ食堂で食べた昼食です。揚げ物盛り合わせを食べました(ヒレ肉(fillet)の豚カツ、鯵、海老、蟹、帆立)。これに、ご飯(rice)と、シジミ(貝)の味噌汁(miso soup)を食べ(飲み)ました。ご飯(rice)とキャベツ(cabbage)は、お代り自由(食べ放題)でした(お代りしなかったけど。。。)。この豚カツ食堂は、前から、ちょっと気になっていたのですが、今回、初めて利用しました。味は、まあ、普通と言った感じかな。。。2回目は、いいって言った感じでした。


일요일의 저녁 식사.

 

 

지난 번의 일요일(이번 주의 일요일)의 저녁 식사등입니다.지난 번의 일요일(이번 주의 일요일)은, 신쥬쿠(도쿄 최대급의 번화가의 하나로 있으면 보조자에, 도쿄의 주요한 비지니스(business) 거리의 하나.도쿄도심부의 서부에 위치한다)에 있는 손해보험 재팬(sompo japan) 미술관에 전람회(exhibition)를 보러 갔다 왔습니다.신쥬쿠는, 우리 집의 근처역으로부터, 통근 전철(한국식에 말하면 지하철)로 5분 정도이므로, 개인적으로, 가장 친밀한 번화가의 하나가 되고 있습니다.

 

그 전에, 사진 이하 14매.덤.나의 앞의 enjoy의 투고문의 재이용입니다.이, 덤의 사진과 문장(작은 문자의 문장)은, 흥미가 있는 분만, 봐 주세요.

 

사진 이하 16매.신쥬쿠 부도심.신쥬쿠 부도심은, (주로) 1970년대에 개발된, 200 m급의 초고층 빌딩이 늘어서는, 비지니스(business) 지구입니다.신쥬쿠 부도심은, 1970년대에 개발된 일본에서 최초의 200 m급 초고층 빌딩군입니다.1970년대는, 제2차 세계대전 후의 부흥과 고도 경제성장이, 일단락해(침착성), (도쿄 하계 올림픽(Olympics)이 개최되어 1961년에 설립된 OECD에, 일본이 가맹한, 1964년은, 「이미 전후는 아니다= 제2차 세계대전에 의한 황폐로부터의 부흥은 끝났다.」라고 해졌습니다), 일본이 성숙한 선진 공업국으로서의 길을 걷기 시작한 연대입니다.지금까지의, 경제발전최중시의 정책으로부터, 공해나 환경에 대한 대처가 본격적으로 행해지게 되어(이것에 의해, 1970년대를 통해서, 일본의 환경은, 대단히 개선되었습니다), 1975년에 설립한, 서미트(summit)에는, 일본은, 미국, 영국, 서독, 프랑스, 이탈리아와 보조자에, G6로서 설립 당초의 멤버(member)로서 참가했습니다.1960년대까지의, 도쿄의 비지니스(business)의 중심지구라고 말하면, 역시 압도적으로 도쿄역을 제일 가까운 역으로 하는 마루노우치(marunouchi)였습니다(도쿄도심부안에서도, 중심적인 지역에 위치하는 marunouchi는, 지금도 도쿄의 business의 중심지구입니다).마루노우치(marunouchi)는, 일본에 있어서의 산업혁명으로부터 제2차 세계대전 직전까지의 19 세기말로부터 1930년대에 걸치고, 서양 선진국의 대도시 중심부의 비지니스(business) 거리와 비교해도 열등하지 않는 비지니스(business) 거리를 도쿄에 만들려고, 당시의 런던(London)의 비지니스(business) 거리를 모범으로서 거리 단위로 진심으로 개발이 이루어져 온 지구입니다.이러한, 마루노우치(marunouchi)에 대해서, 제2차 세계대전 후의 경제 부흥을 끝내고, 성숙한 선진 공업국으로서의 길을 걷기 시작한 일본의 수도 도쿄의, 새로운 얼굴을 만들려고, 1970년대에, 진심으로 개발된, 신비지니스(business) 지구가, 신쥬쿠 부도심입니다.1960년대에 있고, 일본은, 일본의 같은 지진 지대의 대지진에서도, 괜찮은 초고층 빌딩을 설계·건축하는 기술이 성숙하기에 이르러, 1968년에, 일본 최초의 초고층 빌딩, 가스미가세키(kasumigaseki) 빌딩(일본 최초 한편 아시아 첫 초고층 빌딩이며, 완성 당시 , 아시아에서 가장 비쌌던 빌딩)이 도쿄의 가스미가세키(kasumigaseki)에 완성했습니다.이러한 흐름을 받고, 신쥬쿠 부도심은/`A일본 최초의 200 m급, 초고층 빌딩거리로서 1970년대에 개발되었습니다.1970년대에 들어오면, 일본에서는, 초고층 빌딩의 건설이, 본격화해, 도쿄를 중심으로서 차례차례로 초고층 빌딩이, 지어지는 것처럼 되었습니다.이것은, 일본과 같이 지진 지대에 있는, Los Angels나, SanFrancisco등의 미국 서해안의 대도시에서, 본격적으로 초고층 빌딩이 지어지는 것처럼 되었던 시기와 일치하고 있습니다.반대로, 1970년대에 들어올 때까지는, 미국의 지진 지대는 아닌 지역을 제외하면, 세계에 초고층 빌딩은, 거의 존재하지 않았습니다.1970년대에 지어진, 신쥬쿠 부도심의 초고층 빌딩의 설계자는, 모두 일본인 건축가 또는, 일본의 건축 설계 회사의 손에 의하는 것입니다.신쥬쿠 부도심의 초고층 빌딩군은, 1970년대 당시의, 일본의 초고층 빌딩의 설계 기술력 및 디자인(design) 력을 시험하는 장소이기도 한 일이지요.신쥬쿠 부도심의 초고층 빌딩군은, 선진국 일본의 수도 도쿄의 새로운 얼굴로서 진심으로 개발이 이루어진 지구이므로, 주로 1970년대에 초고층 빌딩이 지어진 에리어(area)는, 초고층 빌딩과 빌딩과의 사이의 간격, 빌딩의 디자인(design)이나 색의 개성과 조화등 , 빌딩군 전체적으로의 조화가, 꽤 잘 생각되고 있어 세계적으로 봐도, 제일급의 도시 경관이 되고 있다고 생각합니다.무엇보다, 근년 할 수 있던, 새로운 초고층 빌딩에 의해서, 신쥬쿠의 초고층 빌딩군 전체의 경관의 조화는, 현재, 약간 무너지고 있습니다.일본 이외의 아시아에서, 초고층 빌딩을 가장 최초로 세우기 시작한 것은, 홍콩과 신가포/`[르(Singapore)입니다.홍콩과 싱가폴(Singapore)은, 일본이나 미국 서해안과 달리, 특히 지진 지대가 아닙니다만, 아직, 경제적으로, 발전도상인 때문, 일본과 비교해서 초고층 빌딩이 지어지기 시작하는 것처럼 되었던 시기가, 약간 늦었습니다(그런데도, 거의 동시기).1970년대에는, 아시아에 있어서의, 초고층 빌딩 건설을 리드(lead)한 일본입니다만, 일본에 계속해, 1980년대에 들어오면, 홍콩과 싱가폴(Singapore)에서, 본격적인 초고층 빌딩 건설 러쉬(rush)가 시작됩니다.또, 1985년에, 한국의 서울에 완성한, 63 빌딩(높이 249 m)은, 당시 아시아에서, 가장, 비싼 빌딩인, 일본의 Sunshine60 빌딩을 앞질러, 완성 당시 아시아에서 가장 비싼 빌딩이었습니다.이와 같게, 1980년대에 들어오면, 일본에 잇고, 홍콩, 싱가폴(Singapore), 한국이, 우선, 아시아에 있어서의, 초고층 빌딩 건설을 리드(lead)하는 것처럼 되었습니다.게다가 1990년대 중반에 들어가면, 초고층 빌딩 건설의 물결은, 당시 동남아시아로, 가장 기세 좋게 발전하고 있던 개발 도상국, Thai,MalaysiaIndonesia까지, 퍼져, 최조, 초고층 빌딩은, 선진국, 준선진국·지역(홍콩, Singapore, 한국)(당시.현재는, 이것등의 나라·지역은, 이미, 선진국·지역에 충분히 포함되는이라고 있다고 생각합니다), 중진국(중남미, 남아프리카)만의 물건에서는, 않게 되었습니다.게다가 90년대말 이후는, 중국이, 초고층 빌딩의 건설에 대하고, 급속히 대두하는 것처럼 되어, 근래에는, 초고층 빌딩의 건설은, 다른 개발 도상국에까지 퍼지면 보조자에, 중동에서는, 도바이(dubai)를 중심으로 한, 과열이라고도 말할 수 있는 초고층 빌딩 건축 붐(boom)이 일어났습니다.

 

사진 이하 10매(사진은, 차용물), 1970년대에 지어진, 신쥬쿠 부도심의 초고층 빌딩.설계는, 모두 일본인 건축가 또는, 일본의 건축 설계 회사의 손에 의하는 것입니다.신쥬쿠 부도심의 초고층 빌딩군은, 1970년대 당시의, 일본의 초고층 빌딩의 설계 기술력 및 디자인(design) 력을 시험하는 장소이기도 한 일이지요. 

 

사진 이하 2매.keio plaza 호텔.1971년 완성.높이는, 178 m.당시 , 아시아에서 가장 비싼 빌딩인, 같은 일본의 세계 무역센터빌딩(world trade center building)을 앞질러, 완성 당시 아시아에서 가장 비싼 빌딩이었습니다.일본에서, 최초, 또, 아시아에서도 최초의 초고층 호텔입니다.설계는, 일본의 건축설계사무소, 일본 설계.


 

 

 

 

사진 이하 2매.신쥬쿠 스미토모 빌.높이 210 m의 초고층 office용 빌딩입니다.1974년 3월 완성.일본 뿐만 아니라, 아시아에서도 최초의 높이 200 m이상의 빌딩입니다.완성 당시 아시아에서 가장 비싼 빌딩이었습니다.설계는, 일본의 세계 최대급의 건축설계사무소, 닛켄 설계입니다.단면이 3각의 개성적인 디자인(design)의 초고층 빌딩인 일로부터, 3각 빌딩으로 불리고 있습니다.이 신쥬쿠 스미토모 빌의 높이 210 m 및, 바로 아래에서 소개하는, 신쥬쿠 미츠이 빌의 높이는 225 m는, 전년의 1973년에 완성한, 프랑스에서 최초의 초고층 빌딩이며, 한편, 완성 당시 유럽에서 가장 비싼 빌딩인, Montparnasse tower의 높이, 210 m를 의식한 것인지도, 알려지지 않습니다.

 

 

 

 

 

사진 이하 2매.신쥬쿠 미츠이 빌.1974년 9월에 완성한, 초고층 office용 빌딩입니다.높이는, 225 m.같은 일본의 신쥬쿠 스미토모 빌을 앞질러, 완성 당시 , 아시아에서 가장 비싼 빌딩이었습니다.설계는, 일본의 부동산 회사인 미츠이 부동산의 건축 설계부문과 일본의 건축설계사무소인 일본 설계 및 일본의 구조 역학(structural mechanics) 연구소인 무토 구조 역학(structural mechanics) 연구소입니다.

 

 

 

 

 

KDDI 빌딩.높이 164.7m.1974년 완성.설계자는, 일본 종합 건축 사무소.마루노우치 건축 사무소.

 

 

손해보험(Sompo Japan) 본사 빌딩(앞의 빌딩).높이 200 m.1976년 완성.설계자는, 우치다 쇼조, 호시무라 쇼우이치등 , 7명의 건축가.

 

 

신쥬쿠 노무라(nomura) 빌.높이 209.9.1978년 완성.설계자는, 야스이 건축설계사무소.

 

 

 

신쥬쿠 center 빌딩.높이 216 m.1979년 완성.설계자는, 타이세이 건설.

 

 

사진 이하 4매(사진은, 차용물), 신쥬쿠 부도심 풍경.신쥬쿠 부도심의 초고층 빌딩군은, 선진국 일본의 수도 도쿄의 새로운 얼굴로서 진심으로 개발이 이루어진 지구이므로, 고층빌딩과 빌딩과의 사이의 간격, 빌딩의 디자인(design)이나 색의 개성과 조화등 , 빌딩군 전체적으로의 조화가, 꽤 잘 생각되고 있어 세계적으로 봐도, 제일급의 도시 경관이 되고 있다고 생각합니다.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

이것은, 전(세간, 작년의 같은 시기위)에, 내가 촬영해 kj에 업(upload) 한 사진.한가운데, 안쪽으로 보이는 초고층 빌딩은, 도쿄도청빌딩.1991년 완성.높이는, 243.4m.설계는, 단게 겐조(Tange Kenzo)(아래의 보충 설명 참조)입니다.신쥬쿠 부도심의 초고층 빌딩 중(안)에서는, 비교적, 새로운 분 빌딩입니다만, 현재는, 신쥬쿠 부도심을 대표하는 초고층 빌딩이 되고 있습니다.

단게 겐조(Tange Kenzo):일본의 세계적으로 유명한 건축가.1950년대부터, 죽는 근처까지 활약.일본인 건축가중에서, 처음으로 세계에 이름이 알려진 건축가이라고 보조자에, 1960년대에, 일본의 현대 건축 설계의 수준을, 세계 제일류class에, 끌어올린 인물로서 알려져 있습니다.1913년에 태어나 90세 이상 살고, 2005년에, 돌아가셨습니다.단게 겐조(Tange Kenzo)의 제자에게는, 이소자키 아라타(Isozaki Arata), 구로카와 기쇼(kurokawa kisyo), 마키 후미히코(maki fumihiko) 등이라고 말한, 세계적으로 유명한, 일본인 건축가들이, 일원이 되고 있습니다.구로카와 기쇼(kurokawa kisyo)는, 이미 돌아가셨고, 다른 제자들도, 이미, 70대 후반, 80대의 고령입니다.

 

 

이것은, 이번, 내가 촬영한 사진.사진 우단의 초고층 빌딩은, 신쥬쿠 부도심에 있는 손해보험 재팬(sompo japan) 본사 빌딩.1976년 완성한, 높이 200 m의 빌딩입니다.손해보험 재팬(sompo japan) 미술관은, 이 빌딩의, 거의 최상층(43층건물의 당빌딩의 42층)을 차지하는 미술관입니다.손해보험 재팬(sompo japan)은, 야스다 화재해상보험(전신으로 있는, 도쿄 화재보험은, 1888년 창업)과 닛산 화재해상보험(1911년 설립)이라고 하는 두 개의 손해보험 회사가, 합작 해 2002년에 발족한, 손해보험 회사에서, 손해보험 재팬(sompo japan) 발족전은, 손해보험 재팬(sompo japan) 본사 빌딩은, 야스다 화재해상보험 본사 빌딩, 손해보험 재팬(sompo japan) 미술관은, 야스다화재 미술관(또는, 도고 세이지(togo seiji) 미술관)였습니다.손해보험 재팬(sompo japan)은, 야스다 화재해상보험 시대부터, 일본 유수한 손해보험 회사입니다(일본에서, 3개의 손가락에 들어오는 손해보험 회사).손해보험 재팬(sompo japan) 미술관은, 야스다 화재해상보험이, 사회공헌의 일환으로서 야스다 화재해상보험의 새책사 빌딩(현재의 손해보험 재팬(sompojapan) 본사 빌딩) 이 완성된 1976년에, 동빌딩에 개관(open)한, 사영의 미술관입니다.이번, 손해보험 재팬(sompo japan) 미술관에서, 이 때 행해지고 있던, 유트리로(Maurice Utrillo)의 전람회(exhibition)를 보고 왔습니다.

 

이 날, (이) 전람회(exhibition)의 마지막 날&일요일인 일로부터, 손해보험 재팬(sompo japan) 미술관에 오르는 엘리베이터(elevator)가, 혼잡하고 있었습니다(위에 올라 버리면(미술관내는), 그렇게, 혼잡하지 않았습니다만...어쨌든, 42층의 미술관에 오르는, 미술관 관람자용의 엘리베이터(elevator)가, 1, 2개 밖에 없기 때문에, 한 번에, 어느 정도의 인원수가 집중해 미술관에 입관하려고 하면, 필연적으로, 엘리베이터(elevator) 전이, 혼잡합니다...).

 

사진 이하 3매.혼잡을 피하기 때문에(위해)(엘리베이터(elevator)를 기다리는 사람들의 행렬이 빌 때까지), 가까이의(이웃의 초고층 빌딩에 들어가 있다) 폴·바셋트(Paul Basset)(Paul Basset라고 말하는, 유명한(유명한 것 같다?w) 배리스터(barista)가 produce 한 스타벅스(starbucks)의 같은 느낌의, 적당한 가격의 커피 숍(coffee shop))에서, 당분간, 기다리거나(한가로이) 하고 있었습니다.덕분에, 별로 기다리지 않고 미술관에의 엘리베이터(elevator)를 탈 수가 있었습니다.

 

 

 

내가 먹은, 바나나(banana) 계의 케이크(cake).

 

그녀가 먹은, 녹차(green tea) 계의 케이크(cake).

 

 

사진 이하 2매.미술관이 있는 42층으로부터 바라본 풍경.저 편으로 보이는 것은, 고층빌딩이 늘어서는, 도쿄도심부안에서도 중심부의 풍경.이 날도, 그랬습니다만, 지금의 시기(장마의 시기(비가 많은 시기).도쿄의 경우, 대체로 6월부터 7월에 걸쳐의 40일간강위), 도쿄는, 울적한 날씨의 날이 많습니다...

 

저 편으로 보이는 키가 큰 타워(tower)는, 도쿄 tower.높이는 약 333 m로, 1958년에 완성한 당시는, 파리의 Eiffel tower( 약 324 m)를 빠뜨려, 세계 제일 높은 탑이었습니다.

 

 

사진 우단의, 곧 가까이의 초고층 빌딩(사진에서는, 머리의 부분의 일부가 비치고 있다)은, Mode 학원 Cocoon Tower(높이 약 204 m.2008년 완성).신쥬쿠 부도심의 초고층 빌딩 중(안)에서는, 가장 새로운 것의 하나입니다.패션 디자이너(fashion designer) 등을 양성하는 전문학교, Mode 학원(1966년 창립.본부는, 나고야(nagoya).도쿄교는, 1980년 개교)의, 도쿄교의 교사 빌딩이 되고 있습니다.

 

손해보험 재팬(sompo japan) 미술관의 수장품(collection)의 중심은, 미술관의 설립 취지에 공명한, 야스다 화재해상보험과 인연이 있는(아래의 보충 설명 참조), 도고 세이지(togo seiji.1897 년생.1978년에 죽는다.일본의 유명한, 근대·현대 화가)가, 야스다 화재해상보험에 기증한 작품이 중심이 되고 있습니다(손해보험 재팬(sompo japan) 미술관의, 정식명칭은, 손해보험 재팬(sompo japan) 도고 세이지(togo seiji) 미술관이 되고 있습니다).
보충 설명:손해보험 재팬(sompo japan) 미술관의 hp를 참고로 했습니다(거의 인용).역대의 야스다 화재해상보험(및, 야스다 화재해상보험의 전신의 도쿄 화재보험)의 사장의 마음에 드는 화가인, 도고 세이지(togo seiji)는, 1920년대 후반, (야스다 화재해상보험의 전신의) 도쿄 화재보험의 영업 안내나 기념품등의 디자인(design)을 차례차례로 다루어 특히 1935년경부터의, 도고 세이지(togo seiji) 작의 동사의 캘린더(calendar)는, 현재도 뿌리 깊은 팬(fan)을 가지고 있다.

 

손해보험 재팬(sompo japan) 미술관은, 아마, 세계 최대급의, 도고 세이지(togo seiji)의 작품의 콜렉션(collection)을 가지고 있습니다.무엇보다, 이번 같은 기획전(exhibition) 개최 기간중은, 손해보험 재팬(sompo japan) 미술관의 수장품(collection)의 전시장소는, 한정되어 버리므로, 도고 세이지(togo seiji)의 작품을 중심으로 한, 손해보험 재팬(sompo japan) 미술관의 수장품(collection)을 많이 보고 싶은 분은, 소장 작품(collection)의 전람회, 혹은, 도고 세이지(togo seiji)에게 관련한 전람회의 개최시에, 이 미술관을 방문하면 좋을 것입니다.

 

사진 이하 6매.그림 엽서의 사진으로, (게다가 일부, 흔들려 한쪽으로 기울어) 죄송합니다만, 손해보험 재팬(sompo japan) 미술관 수장의, 도고 세이지(togo seiji)의 작품예입니다.도고 세이지(togo seiji)는, 나의 마음에 드는, 예술가 중의 한 사람입니다.

 

1914년의 작품.「자화상」입니다.

 

 

1923년의 작품입니다.

 

 

1926년의 작품입니다.

 

 

1929년의 작품입니다.

 

 

1958년의 작품입니다.

 

 

1959년의 작품입니다.

 

 

손해보험 재팬(sompo japan) 미술관의 수장품(collection)의 중심은, 도고 세이지(togo seiji)의 작품이 되고 있습니다만, 손해보험 재팬(sompo japan) 미술관은, 도고 세이지(togo seiji) 이외의, (서양 및 일본의) 유명한, 근대·현대 화가의 작품도 소장하고 있습니다.그림 엽서의 사진으로, (게다가 일부, 흔들려 한쪽으로 기울어) 죄송합니다만, 사진 이하 3매는, 그 예(대표적인 것)입니다.

 

고호(Vincent van Gogh)의, 해바라기(1888년 또는 1889년).손해보험 재팬(sompo japan) 미술관의, (도고 세이지(togo seiji)의 작품 이외의) 수장품(collection) 중(안)에서, 대표적인 것입니다.고호(Vincent van Gogh)는, 7점의, 화병에 꽂아진, 해바라기(sunflowers)의 작품을 제작한 일이, 넓게 인정되고 있습니다만(wiki보다), 그 7점의 작품중, 현존 하는 6점 중의 하나입니다(나머지의 1점은, 제2차 세계대전전에, 일본의 개인의 부자(아시야(ashiya.오사카, 쿄토, 코베를 중심으로 하는 칸사이 area를 대표하는 고급 주택지)에 거주하고 있던, 오사카의 실업가)가 소유하고 있었습니다만, 제2차 세계대전중의, 미군의 공습에 의해 소실해 버렸습니다).

 

폴·고갱(Paul Gauguin) 「앨리스 캔의 가로수로아룰」(1888년)

 

폴·폴 세잔느(Paul Cezanne) 「사과와 냅킨」(1879년부터 1880년).

 

사진 이하 2매.이번, 손해보험 재팬(sompo japan) 미술관에서, 이 때 행해지고 있던, 유트리로(Maurice Utrillo)(1883 년생.1955년에 죽는다.프랑스의 유명한 화가)의 전람회(exhibition)를 보고 왔습니다.이 전람회(exhibition)의 출품작품은, 모두, 있는, 유럽의 유트리로(Maurice Utrillo) 작품의 개인 컬렉터(collector)의 물건으로, (모두), 이번, 일본에서 처음으로 공개된 작품이었다 같습니다.

 

 

 

 

 

 

손해보험 재팬(sompo japan) 미술관에서, 현재(오늘부터) 개최중의 전람회(exhibition), 트릭·아트(사기그림)의 세계전의 팜플렛(leaflet).여름 방학(휴가) 기간중의 전람회(exhibition)이므로, 조금, 아이나, 중학생, 고교생등이, 보고 즐길 수 있는 것 같은 전람회(exhibition)를 의식해 기획된 것일까...표지가 되어 있는 것은, 사토 마사아키(satou masaaki.1940 년생의, 일본인 현대 artist.1970년대부터는, 뇨요크(New York)를, 주된 활동 거점으로 하고 있다)의 작품, 「Subway No23」(1977년).

 

 

손해보험 재팬(sompo japan) 미술관에서, 다음 번 개최 예정의 전람회(exhibition), 피렌체(Florence)의 우피트 미술관(Uffizi Gallery)의 자화상 콜렉션(collection) 전의 팜플렛(leaflet).

 

사진 이하 8매.이 날의 저녁 식사는, 몇 번이나 이용한 일이 있던(밤이용한 것은, 이번이 처음이었습니다), 신쥬쿠에 있는, 레바논(Lebanon) 요리 레스토랑에서 먹었습니다.(별로, 일본인 전용의 맛내기로 하고 있지 않다고 합니다만...), 전반적으로, 산뜻한 일본인 기호의 맛으로, 맛있다고 생각합니다(가장, 나는, 레바논(Lebanon)을 방문한 일이 없기 때문에, 본고장의 맛이, 정말로 어떤가에 대해서는, 모릅니다만...).

 

레바논(Lebanon)의 맥주(beer).

 

사진 이하 7매.이 날(이번 주의 일요일)의 저녁 식사.모두 둘이서 먹은 것입니다.

 

사진상으로부터 시계 회전에, 병아리콩의 페이스트, 가지의 페이스트, 생야채.

 

 

1매 취해 버리고 나서, 촬영했습니다만, 피타판.

 

 

닭고기와 흰자위어.

 

 

카바브(램(lamb), 닭고기)

 

쇠고기((기계로)간 고기) 밥(rice).

 

매시드 포테이트(mashed potato).아래쪽은, 라자니아(lasagne)의 소스(sauce)(ragu)와 같이 되어 있습니다(라자니아(lasagne)의, 파스타(pasta)(lasagne)가 매시드 포테이트(mashed potato)가 된 같은 느낌의 요리).

 

디저트(dessert).대추 야자(date)의 케이크(cake).

 

 

덤.어제 점심 식사.어제는, 일의 용무로, 요코하마에 나와 있었습니다만, 그 때, 요코하마의 돈까스 식당에서 먹은 점심 식사입니다.튀김 진열을 먹었던(필레육(fillet)의 돈까스, 소, 새우, 게, 범립).이것에, 밥(rice)과 가막조개(조개)의 된장국(miso soup)을 먹어(마시는 것) 했다.밥(rice)과 양배추(cabbage)는, 더 주세요 자유(마음껏 먹기)였습니다(더 주세요 하지 않았지만...).이 돈까스 식당은, 전부터, 조금 신경이 쓰이고 있었습니다만, 이번, 처음으로 이용했습니다.맛은, 뭐, 보통이라고 한 느낌일까...2번째는, 좋다고 말한 느낌이었습니다.



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