食べ物

 

 

 




以下、おまけ。参考に、昨日の夜(昨日の夜と言っても、厳密には、日付が変わって今日になっていましたが)、寝る前に、「生活/文化」掲示板に行った、以下の投稿から抜粋して来た物です。

ついに、コロナウイルスの影響がじわりと→
/jp/board/exc_board_8/view/id/3056808?&sfl=membername&stx=nnemon2



Firefox以外で、この投稿の写真が見られない場合は、Firefoxで、ご覧下さい。



昨日は、コロナウイルスの影響で、一日、自宅(我が家)に持ち込んだ仕事をしていました。



昨日、我が家で食べた朝食は、普段の朝食(パン、シリアル(cereal)、野菜サラダ(salad)、3種類程の果物、牛乳、ジュース(juice)、ヨーグルト(yogurt))と同じでした。



昨日、我が家で食べた昼食は、我が家に買い置いているレトルト(袋のまま、熱湯で温めるか、電子レンジ(microwave)で温めれば完成する、保存食品))のカレー(curry)(レトルトのカレー(curry)とご飯(rice))と、野菜サラダ(salad)、果物にしました。


今、現在、我が家にある、レトルト(袋のまま、熱湯で温めるか、電子レンジ(microwave)で温めれば完成する、保存食品))のカレー(curry)。我が家には、主に、何かあった時の為用、及び、たまには気分転換の、朝食又は(休みの日の)遅い朝食兼昼食用(前述の通り、我が家の、普段の、朝食又は(休みの日の)遅い朝食兼昼食は、パン、シリアル(cereal)、野菜サラダ(salad)、3種類程の果物、牛乳、ジュース(juice)、ヨーグルト(yogurt)と言った内容です)として、レトルト(袋のまま、熱湯で温めるか、電子レンジ(microwave)で温めれば完成する、保存食品))のカレー(curry)を買い置いています。この、ご時世、レトルト(袋のまま、熱湯で温めるか、電子レンジ(microwave)で温めれば完成する、保存食品))のカレー(curry)に関して、もっと買い置いておいても、又、せっかくなので、もっと高価な物を、買い置いておいても、良いのかな。


左上、銀座(ginza)カリー(curry)と言う、明治(meiji)(日本の大規模食品会社の一つ)の、ビーフ(牛肉)カレー(curry)の、レトルトの、カレー(curry)製品(1930年代の、日本の、カレー(curry)の味を復刻した物)。右上、タイ(Thailand)料理の、グリーン(green curry )カレー(curry)の、レトルト。下側、中村屋(nakamuraya)(下の補足説明参照)の、カレー(curry)の、レトルト(左側、チキン(鶏肉)カレー(curry)、右側、野菜カレー(curry)。それぞれ、2袋入り)。

中村屋(nakamuraya):レストラン経営の他、パンや菓子等を、製造・販売する会社。1901年に、東京の都心部の、文京区(bunkyou)区に有る東京大学の正門前で、小さなパン店として創業(当時の、主な利用客は、東京大学の学生や教授、職員だったと思われます)。その後、1909年に、本店を、東京の都心部西部の新宿に移し、1927年には、新宿の本店に、cafeレストランをopen。現在の中村屋(nakamuraya)の新宿の本店の原型となる。中村屋(nakamuraya)のカレー(curry)は、日本風カレー(curry)では無く、本場インド風カレー(curry)なのですが、最大限、日本人の好みに合わせた、インド風カレー(curry)と言った感じで、(中村屋(nakamuraya)のレストランのカレー(curry)は)、私は好きです。ちなみに、新宿(東京最大級の繁華街の一つ。東京都心部の西部に位置する)は、東京の、大規模繁華街の中で、我が家に、最も近い繁華街の一つです。我が家(東京都心部の西部の静かで落ち着いた住宅地に位置します)の最寄りの、通勤電車・地下鉄駅から、新宿までは、電車(通勤電車)で5分程です。





我が家で一人で食べた、昨日の夕食は、私の街のレストランのテイクアウトの食事にしました。ちなみに、昨日の夜11時10分頃から、今日の、0時20分頃まで、(隣の区の彼女の一人暮らしのマンションの)彼女と、スカイプで、一時間強程、お話しました。






吉祥寺(kichijyoji)(東京の西部郊外最大の繁華街。東京中心部(東京23区)に近い、東京の西部郊外に位置する。吉祥寺(kichijyoji)は、仕事の用事で、よく訪れる場所の一つです)の、たまに利用している、芙葉亭(fuyotei)という、33年の歴史を有する、フランス料理レストランが、おそらくコロナウイルスの影響で、5月6日に閉店してしまうようです→
http://www.fuyotei.com/


不要不急だからと言った、シャレを言っている場合ではありません。じわりと影響が出て来ていますね。



以下、前にkjに行った投稿の中から、基本的に、2011年の12月に行った投稿から抜粋して来た物で、吉祥寺(kichijyoji)に仕事の用事で訪れた時に(以下、この日と書きます)、吉祥寺(kichijyoji)の取引先の、年下の女性(その女性と男女の関係は全くありませんw)と2人で、芙葉亭(fuyotei)で昼食を食べた事に関する物です(写真は、この時、私が食べた物)。ちなみに、この時もそうでしたが、こうした際の、飲食代は、全て、私が支払っています。



写真以下4枚。この日、吉祥寺(kichijoyji)(東京中心部(東京23区)に近い東京の西部郊外に位置する)に、仕事の用事で訪れたのですが、そのついでに、吉祥寺(kichijoyji)で、たまに利用する、フランス料理レストランで昼食を食べました。





 このフランス料理レストランの外観。吉祥寺(kichijoyji)の繁華街(東京の西部郊外最大の繁華街)の外れに位置し、落ち着いた雰囲気のレストランです。




写真以下3枚。このレストランで食べた、この日の昼食。これにパンが付きます。



前菜。アン肝(鮟鱇(monkfish)の肝臓)とクリームチーズ(cream cheese)、ヤーコン(yacon)の柚子風味。






メイン(main)料理。ヒラメ(平目)とホタテのポワレ(poele)。






デザート。





以下、おまけ。




この日、我が家で、一人で、食べた、夕食の、メイン(main)料理(ステーキ(beef steak))の、食材。国産の、黒毛和牛(日本原産の高級牛肉)の、ヒレ肉(fillet)の、ステーキ(beef steak)肉。この夕食時は、飲み物は、赤ワイン(赤wine)を飲みました。







写真以下2枚。帝国ホテルの、スープ(soup)の缶詰の詰め合わせ(ミネストローネ(minestrone)、コーンクリーム(corn)スープ、人参スープ、南瓜(pumpkin)スープ)。頂き物。

 

帝国ホテル(英語名は、Imperial Hotel。1890年開業)は、東京を代表する高級ホテルの一つで、上手く説明出来ませんが、東京を代表する高級ホテルの中でも代表的なホテルです(東京を代表する高級ホテルを、一つ挙げるとしたら、歴史と伝統を含めて、やはり、帝国ホテル(Imperial Hotel)でしょう)。帝国ホテルの、スープ(soup)の缶詰の詰め合わせは、少なくとも、北日本・東日本(概ね、北海道(hokkaido)・東北地方・東京圏に、中部地方の内、東京圏に隣接する県(新潟(niigata)県・長野(nagano)県・山梨(yamanashi)県・静岡(shizuoka)県)を加えた辺り)においては、(現代日本において)昔から、ホテルのスープ(soup)の缶詰の贈答品として、札幌グランドホテル(英語名は、Sapporo Grand Hotel。1934年開業。札幌(sapporo)(北海道(hokkaido)で最大の人口を有する都市であり、北海道(hokkaido)の中心都市)を代表する高級ホテル)のスープ(soup)の缶詰の詰め合わせ、ホテルオークラ(英語名は、Hotel Okura。東京を代表する高級ホテルの一つ。1962年開業)のスープ(soup)の缶詰の詰め合わせ、ホテルニューオータニ(英語名は、Hotel New Otani。東京を代表する高級ホテルの一つ。1964年開業)のスープ(soup)の缶詰の詰め合わせと共に、代表的な物であると言えるでしょう(おそらく。。。)。











以上、2011年の12月に行った投稿から抜粋して来た物でした。


以上、参考に、昨日の夜(昨日の夜と言っても、厳密には、日付が変わって今日になっていましたが)、寝る前に、「生活/文化」掲示板に行った、「ついに、コロナウイルスの影響がじわりと」と言う投稿から抜粋して来た物でした。



おそらく、コロナウイルスの影響だけに、芙葉亭(fuyotei)、しれっと、場所を変えて、再オープン(open)なんてなる事は、難しいだろうな。。。残念です。


ちなみに、以下で、「前述の通り、渋谷(shibuya)(渋谷(shibuya)駅周辺)の、東急(tokyu)プラザ(plaza)は、渋谷(shibuya)(渋谷(shibuya)駅周辺)の再開発に伴う、建て替えの為、もうすぐ(3月22日をもって)、閉館しますが、渋谷(shibuya)(渋谷(shibuya)駅周辺)の、東急(tokyu)プラザ(plaza)の閉館に伴い、渋谷(shibuya)(渋谷(shibuya)駅周辺)の、東急(tokyu)プラザ(plaza)の食堂街に入っている、ロゴスキー(Rogovski)も、もうすぐ(3月22日をもって)、(一時)、閉店します。ロゴスキー(Rogovski)の経営者は、レストランの移転先を探している様ですが、まだ、良い移転先が見つかっていない様で、このまま、ロゴスキー(Rogovski)が、完全に、閉店してしまう(無くなってしまう)可能性も、ある程度あると思います。」、「(前述の通り、私は、ロゴスキー(Rogovski)は、馴染みのあるレストランと言う訳では、全くないのですが)、この日は、ロゴスキー(Rogovski)の、(一時)、閉店が近いと言う事と、ロゴスキー(Rogovski)が、もうすぐ、消滅してしまうかもしれないと考える人々が少なくないと言う事で、予約席は、満席。ロゴスキー(Rogovski)を惜しむ人々、ロゴスキー(Rogovski)を、懐かしむ人々が、たくさん食事をしに来ている感じでした(古くから、ちょっと、特別な日の、家族での食事を、ロゴスキー(Rogovski)でと言う家族もいた事でしょう。この日は、ロゴスキー(Rogovski)の、(一時)、閉店を惜しむ、家族での食事客も、少なくない感じでした)。」とありますが、その後、程なく、ロゴスキー(Rogovski)は、いけ しゃあしゃあと(まあ、いけ しゃあしゃあは、ちょっと言い過ぎですがw)、銀座(ginza)で、再オープン(open)しました。



以下、「」内。参考に、私の前の投稿文より。。。

「ちなみに、私は、両親とも、酒に強くて酒飲みでw、遺伝により、酒は強いです。酒は、基本、どんなに飲んでも酒に飲まれる事はありませんw それは、ウイスキーをストレートでボトル1本を超えて、比較的短時間で飲めば、時間差で後から腰は抜けますが(学生の頃の話w)、どんなに飲んでも、性格は、普段よりも陽気で上機嫌になる位で、大きくは変わりません。

日本酒、ワイン、ウイスキー、ビール、焼酎なんでも行けますが、私は、お酒の飲み方は、本来的には、ウイスキーの様な、濃いお酒を、ロックで、チビリチビリと飲むのが好きです。

私の今の彼女は、私の事を、「酒癖の良い男」と呼んでいます。何故ならば、彼女と二人きりで飲んでいて、私は酒に酔えば酔う程、彼女を賛辞する言葉・彼女の対する甘い言葉が、臆面もなく、どんどん飛び出て来るからです(彼女は、それは、まんざらではないようですw)。私は彼女よりもずっと年上の大人ではあるのですが、そうです、二人共馬鹿なんですw

ちなみに、彼女は、お酒が弱いです。」



以下、基本的に、2015年3月に行った投稿から抜粋して来た物で、彼女(私の今の彼女)と、2015年3月に、渋谷(shibuya)のロゴスキー(Rogovski)で夕食を食べた時の物です。投稿文は、2015年3月の投稿を前提とした物です。


この日は、仕事を終えた後、彼女と待ち合わせて、汐留(shiodome)(200m級の超高層ビルが建ち並ぶ、東京都心部のビジネス(business)・商業地区。東京都心部でも中心的な地域の南東部に位置する)の、Panasonic、汐留(shiodome)museumで、現在、開催中の、パスキン(Jules Pascin)の展覧会(exhibition)を見ました。


写真以下。展覧会(exhibition)を見た後は、地下鉄で、渋谷(shibuya)(電車の渋谷(shibuya)駅周辺)に移動し、この日の夕食は、早目の時間に、渋谷(shibuya)(渋谷(shibuya)駅周辺)で食べました。
 

渋谷(shibuya)区の中央部に位置する、渋谷(shibuya)(渋谷(shibuya)駅周辺)は、私が暮らす、渋谷(shibuya)区(東京都心部の西部に位置する区)で、最大の繁華街、且つ、中心繁華街であると共に、銀座(ginza)・有楽町(yurakucho)、新宿、池袋(ikebukuro)(東京都心部の北西部に位置する。第2次世界大戦後に急成長した、新興の大繁華街)と並ぶ、東京最大級の繁華街となっています(銀座(ginza)・有楽町(yurakucho)、新宿、渋谷(shibuya)、池袋(ikebukuro)は、東京の、四大繁華街となっています)。


渋谷(shibuya)区の中部(中心部)に有る、渋谷(shibuya)(渋谷(shibuya)駅周辺)は、新宿(新宿駅周辺)(東京都心部の西部に位置する新宿区の最大の繁華街)と共に、1930年代頃には、東京の新興主要繁華街の一つとしての地位を確立しましたが(渋谷(shibuya)(渋谷(shibuya)駅周辺)は、1934年に、東横(toyoko)デパート(現在の、東急(tokyu)デパート、東横(toyoko)店)が開店しました)、1960年代、1970年代を通じて、銀座(ginza)・有楽町(yurakucho)(第二次世界大戦前と後を通じて、現在に至るまで、東京を代表する繁華街(東京のフラッグシップ(flagship)繁華街)且つ東京最大級の繁華街。東京中心部の中でも、中心的な地域に位置する)と肩を並べる、東京最大級の繁華街の一つへと発展して行きました。


渋谷(shibuya)(渋谷(shibuya)駅周辺)は、東京最大級の繁華街(東京の、四大繁華街(銀座(ginza)・有楽町(yurakucho)、新宿、渋谷(shibuya)、池袋(ikebukuro)))の中で、特に、若者に人気が高い繁華街で、渋谷(shibuya)(渋谷(shibuya)駅周辺)は、東京の、主要な、若者文化の流行の発信地の一つとなっています。渋谷(shibuya)(渋谷(shibuya)駅周辺)は、個人的に、高校生の頃、ディスコやクラブ(disco・club)で、よく、夜遊びしていましたが、(我が家及び、(我が家の近所の)実家からは、渋谷(shibuya)(渋谷(shibuya)駅周辺)も、新宿(新宿駅周辺)も、距離的には、同じ位であるものの)、我が家及び、(我が家の近所の)実家からは、交通の(電車の)便は、渋谷(shibuya)(渋谷(shibuya)駅周辺)よりも、新宿(新宿駅周辺)の方が便利である為、渋谷(shibuya)区で生まれ育ち、渋谷(shibuya)区で暮らしながらも、個人的に、昔から、新宿(新宿駅周辺)と渋谷(shibuya)(渋谷(shibuya)駅周辺)を、比較すると、新宿(新宿駅周辺)の方が、比較的、馴染みがあります。



渋谷(shibuya)(渋谷(shibuya)駅周辺)の、東急(tokyu)プラザ(plaza)(様々な店舗が入る商業ビル。実施的に、デパートの様な物)が、渋谷(shibuya)(渋谷(shibuya)駅周辺)の再開発に伴う、建て替えの為、3月22日をもって、閉館する事から、この日の夕食は、東急(toyoko)プラザ(plaza)の食堂街に入っている、歴史のある、ロシア(Russia)料理レストラン、ロゴスキー(rogovski)で食べる事にしました。




渋谷(shibuya)(渋谷(shibuya)駅周辺)の、東急(tokyu)プラザ(plaza)(様々な店舗が入る商業ビル。実施的に、デパートの様な物)の建物。改装が施されながら使われて来ていますが、今から、約50年前の、1965年に建てられた建物です。渋谷(shibuya)(渋谷(shibuya)駅周辺)の再開発に伴う、建て替えの為、もうすぐ(3月22日をもって)、閉館します。奥に見える、超高層ビルは、セルリアンタワー(Cerulean Tower)(高さ184m。2001年完成)。下層階は、オフィス(office)、上層階は、ホテルとなっています。渋谷(shibuya)駅周辺の、超高層ビルの中では、比較的、新しいビルです。渋谷(shibuya)駅周辺では、最も、背の高いビルであり、現在は、渋谷(shibuya)を象徴するビルとなっていると言っても、良いでしょう。

 


写真以下18枚。この日の夕食は、渋谷(shibuya)(渋谷(shibuya)駅周辺)の、東急(tokyu)プラザ(plaza)の食堂街(東急(tokyu)プラザ(plaza)の9階(最上階))に入っている、歴史のある、ロシア(Russia)料理レストラン、ロゴスキー(Rogovski)で食べました。

 

ロゴスキー(Rogovski)は、1951年に創業した、ロシア(Russia)料理レストラン(元々、渋谷(shibuya)駅周辺の別の場所に、1951年に開店した)で、1965年に、渋谷(shibuya)(渋谷(shibuya)駅周辺)の、東急(tokyu)プラザ(plaza)の開業に伴い、渋谷(shibuya)(渋谷(shibuya)駅周辺)の、東急(tokyu)プラザ(plaza)の9階(最上階)の食堂街に移転し、その場所で、現在まで、営業を続けて来ました。ロゴスキー(Rogovski)は、(東京に、他に、もっと、ずっと古い、ロシア(Russia)料理レストランがあったら、申し訳ありませんが)、おそらく、現在、営業している(現在も、営業を続けている)、ロシア(Russia)料理レストランとしては、東京で、最も古いレストランの一つであると思います。
 

前述の通り、渋谷(shibuya)(渋谷(shibuya)駅周辺)の、東急(tokyu)プラザ(plaza)は、渋谷(shibuya)(渋谷(shibuya)駅周辺)の再開発に伴う、建て替えの為、もうすぐ(3月22日をもって)、閉館しますが、渋谷(shibuya)(渋谷(shibuya)駅周辺)の、東急(tokyu)プラザ(plaza)の閉館に伴い、渋谷(shibuya)(渋谷(shibuya)駅周辺)の、東急(tokyu)プラザ(plaza)の食堂街に入っている、ロゴスキー(Rogovski)も、もうすぐ(3月22日をもって)、(一時)、閉店します。ロゴスキー(Rogovski)の経営者は、レストランの移転先を探している様ですが、まだ、良い移転先が見つかっていない様で、このまま、ロゴスキー(Rogovski)が、完全に、閉店してしまう(無くなってしまう)可能性も、ある程度あると思います。
 

私は、この時まで、ロゴスキー(Rogovski)では、数回(夜に、一回、昼に、2回。昼に、食事をしたのは、近年の事ですが、夜に食事をしたのは、とても前の事でした)食事をした事があっただけで、ロゴスキー(Rogovski)は、馴染みのあるレストランと言う訳では、全くないのですが、もしかしたら、東京の、歴史のある、ロシア(Russia)料理レストランの一つ(ロゴスキー(Rogovski))が、もうすぐ、消滅してしまうかもしれないと言う事で、この日は、夕食を、ロゴスキー(Rogovski)で食べる事にしました。ちなみに、私は、東京の、歴史の有る、ロシア(Russia)料理レストランでは、1956年創業の、新宿の(新宿駅周辺の)、ロシア(Russia)料理レストラン、スンガリー(Sungari)が、お気に入りとなっています(スンガリー(Sungari)は、新宿東口本店と新宿西口店、2店舗、レストランがあるが、新宿西口店の方が、より、お気に入り)。
 
(前述の通り、私は、ロゴスキー(Rogovski)は、馴染みのあるレストランと言う訳では、全くないのですが)、この日は、ロゴスキー(Rogovski)の、(一時)、閉店が近いと言う事と、ロゴスキー(Rogovski)が、もうすぐ、消滅してしまうかもしれないと考える人々が少なくないと言う事で、予約席は、満席。ロゴスキー(Rogovski)を惜しむ人々、ロゴスキー(Rogovski)を、懐かしむ人々が、たくさん食事をしに来ている感じでした(古くから、ちょっと、特別な日の、家族での食事を、ロゴスキー(Rogovski)でと言う家族もいた事でしょう。この日は、ロゴスキー(Rogovski)の、(一時)、閉店を惜しむ、家族での食事客も、少なくない感じでした)。



ロゴスキー(Rogovski)の、店内の窓から見える景色の例。写真左端に見える、超高層ビルは、渋谷(shibuya)駅周辺に有る超高層ビルの一つ、クロスタワー(Cross Tower)(高さ131m)。1975年に完成したオフィス(office)用の超高層ビルです。クロスタワー(Cross Tower)は、渋谷(shibuya)駅周辺で、最初に建てられた超高層ビルです。写真中央に見える、目立つ、超高層ビルは、六本木(roppongi)areaにある、住商複合地区、六本木ヒルズ(roppongi hills)の中心となっている超高層ビル、森(mori)towerです(2003年に完成)。高さは、約240mですが、その床面積は、Empire State BuildingやOne World Trade Center(去年完成した、アメリカで、一番、(Taipei 101を抜かし)、世界で、3番目に、背の高いビル)を、遥かに上回り、Taipei 101(世界で4番目に背の高いビル)、Shanghai World Financial Center(中国(香港を含む)で、最も背の高いビル。世界で5番目に背の高いビル)、上海タワー(Shanghai Tower)(今年中に完成予定。完成したら、Shanghai World Financial Centerを抜かし、中国(香港を含む)で、最も背の高いビルになると共に、One World Trade Center等を抜かし、Burj Khalifaに次いで、世界で2番目に高いビル、Burj Khalifa、東京sky treeに次いで、世界で3番目に高い建造物となる予定)と、ほぼ同規模です。ちなみに、渋谷(shibuya)(渋谷(shibuya)駅周辺)から、六本木(roppongi)area(東京都心部の中でも中心的な地域の南西部に位置する。長年、東京の、ナイトライフ(nightlife)の中心地としての地位を確立して来たが、ここ十数年の間、洗練された、ビジネス(business)・商業地区としても、注目を浴びる様になった)までは、だいたい、直線距離で3km弱から4km位(六本木(roppongi)areaにある、森(mori)towerは、あまりに巨大なビルなので、もっと近くに見えますがw)、大学生の頃は、よく、渋谷(shibuya)(渋谷(shibuya)駅周辺)のバー(bar)等で、友人や友人達と、待ち合わせ、(お酒(アルコール(alcoholic)飲料)を)飲んでから、バス(bus)で、六本木(roppongi)areaの、クラブ(club)等に、夜遊びに繰り出しました(大学生の頃は、六本木(roppongi)area及び、その周辺では、小規模なクラブ(club)等も、よく訪れていましたが、今は無き、Velfarre(1994年に、当時、最新の設備を備えた、世界最大級のディスコ・クラブ(disco・club)として、六本木(roppongi)に開業。2007年閉店。おそらく、私が大学生の頃(1990年代)が、Velfarreの絶頂期でした)も、よく訪れていました)。


 

写真以下17枚。ロゴスキー(Rogovski)(1951年に創業した、渋谷(shibuya)(渋谷(shibuya)駅周辺)のロシア(Russia)料理レストラン)で食べた、この日の夕食等。



私は、この夕食時は、飲み物は、主に、ウオッカ(vodka)を、ストレート(straight)で飲んだのですが、写真(写真左)は、この時、私が飲んだ、ウオッカ(vodka)の一つ。スタルカ(starka)(アルコール(alcohol)度数は、43%)。ウオッカ(vodka)に、林檎と梨の葉の浸し酒、ポートワイン(port wine)、ブランデー(brandy)等を混ぜて熟成させた、琥珀色の、ウオッカ(vodka)です。写真右側は、口直しの、紅茶。

 

写真以下16枚。ロゴスキー(Rogovski)で食べた、この日の夕食。これに、パンが付きます。全般的に、美味しかったです。

 

写真以下3枚。前菜。それぞれの皿に共通する前菜以外は、概ね、二人で分けて食べました。

 

写真以下2枚。彼女が食べた、前菜、盛り合わせ。








私が食べた、前菜、盛り合わせ。




彼女が食べた、ビーツ(beetroot)とポテト(potato)の、サラダ(salad)。



私が食べた、シベリア(Siberia)風、ペリメニ(pelmeni)(ロシア(Russia)式の、餃子(dumpling))。



彼女が飲んだ、ウクライナ(Ukraine)風の、ボルシチ(borscht)。



私が飲んだ、田舎の家庭風の、ボルシチ(borscht)。



彼女が食べた、メイン(main)料理。スラブ(Slavs)風、牛肉のヒレ肉(fillet)、鍋焼き。

 

 
写真以下2枚。私が食べた、メイン(main)料理。コーカサス(Caucasus)風の、羊肉の、串焼き。






 



写真以下4枚。壺焼きシチュー(stew)(クリーム(cream)煮)。パンの蓋が付いた、シチュー(stew)(クリーム(cream)煮)です。日本で、ロシア(Russia)料理として、古くから、人気がある、メニュー(menu)です。




 


彼女が食べた、シーフード(seafood)の、壺焼きシチュー(stew)(クリーム(cream)煮)。

 

写真以下2枚。私が食べた、茸と鶏肉の、壺焼きシチュー(stew)(クリーム(cream)煮)。









デザート(dessert)。ロシア(Russia)風、洋梨(西洋梨)のババロア(bavarois)。一人一皿ずつ。





デザート(dessert)と共に出される、ロシア(Russia)紅茶(ジャム(jam)入りの紅茶)。

 


写真以下。ロゴスキー(Rogovski)で、夕食を食べた後は、ロゴスキー(Rogovski)が入る、渋谷(shibuya)(電車の渋谷(shibuya)駅周辺)の、東急(tokyu)プラザ(plaza)(様々な店舗が入る商業ビル。実施的に、デパートの様な物。1965年に開業。渋谷(shibuya)(渋谷(shibuya)駅周辺)の再開発に伴う、建て替えの為、もうすぐ(3月22日をもって)、閉館する予定)で、現在、行われている、渋谷(shibuya)(電車の渋谷(shibuya)駅周辺)の、歴史に関する展示を見てから、我が家(東京都心部の西部の静かで落ち着いた住宅地に位置します)に帰りました。


以下、展示物の例。ちなみに、私は、子供の頃から、鉄道を含めた、乗り物に、広く浅く興味があります。


写真以下。今から、50年程前の、1964年頃の、渋谷(shibuya)駅の周囲の景色を再現した模型です。模型の、端のビルは、模型では、一部を残して切れてしまっていて、模型では、ビルの、極、一部しか、再現されていません。渋谷(shibuya)駅周辺の景色は、この頃(1964年頃。今から、50年程前)に比べて、今は、変わったと言えば、変わったとも言えると思うし、基本的に、あまり変わっていないと言えば、基本的に、あまり変わっていないとも言えるとも思います。もっとも、渋谷(shibuya)駅周辺の景色は、大規模な再開発計画により、今後、10数年の間に、大きく変わる事が予想されます。









模型では、建物の、極、一部しか、再現されていませんが、写真上部の、上に、ドーム(dome)がある建物(ビル)は、東急(tokyu)文化会館(bunka kaikan)。1956年に、渋谷(shibuya)駅周辺に建てられた、文化施設の建物です。東急(tokyu)文化会館(bunka kaikan)の建物の上部にあるドーム(dome)は、東急(tokyu)文化会館(bunka kaikan)の最上階にあった、五島(gotou)プラネタリウム(planetarium)と言う、プラネタリウム(planetarium)施設の、ドーム(dome)です。私は、小学校は、私の街の、渋谷(shibuya)区が運営する、公立の小学校に通っていたのですが、五島(gotou)プラネタリウム(planetarium)は、小学校の授業の一環でも、訪れました。東急(tokyu)文化会館(bunka kaikan)は、ビルの老朽化と、再開発計画により、2003年に閉館し、取り壊されました。現在、跡地には、商業施設(渋谷(shibuya)ヒカリエ(hikarie)。実質的には、デパートの様な物)、文化施設(劇場等)、オフィス(office)等が入る、超高層ビル(高さ約180m。2012年に完成)が、建っています。





写真の、屋上遊園地の(模型の)、右端の、電車型の、乗り物は、おそらく、日本国有鉄道(現在のJR)の、1958年に運行を開始した、東京と関西(kansai)(東京圏に次ぐ、日本第二の人口を有する、大都市圏。中心都市は、大阪)を結ぶ、特急(express)電車、「ビジネス(business)特急(express)こだま(kodama)」の車両をイメージした物です。「ビジネス(business)特急(express)こだま(kodama)」は、日本国有鉄道(現在のJR)初の、本格的な、高速の、電車の(動力分散方式の、電気を動力とした列車の)、長距離、特急(express)です。この模型が再現しているのは、1964年頃の、渋谷(shibuya)駅周辺の風景ですが、1964年には、日本国有鉄道(現在のJR)が、当時、世界最高の営業速度の、超高速鉄道として(現在の、世界の、超高速鉄道の先駆けとして)、東京と大阪を結ぶ、電車の(動力分散方式の、電気を動力とした列車の)、新幹線(shinkansen)を開業した事により、「ビジネス(business)特急(express)こだま(kodama)」は、廃止されました。


写真以下。東急(tokyu)東横(toyoko)線の、渋谷(shibuya)駅。東急(tokyu)東横(toyoko)線の、渋谷(shibuya)駅は、比較的最近(2013年の3月)まで、基本的に、この模型の姿(1960年代半ばの姿)と、あまり変わらない姿のまま、運用されていましたが(もちろん、電車の車両は、新しい物になっています)、2013年の3月に、(東急(tokyu)東横(toyoko)線の、東京都心を走る地下鉄路線の一つへの乗り入れの為)地下化された、新しい、東急(tokyu)東横(toyoko)線の渋谷(shibuya)駅へと切り替えられ、この地上の駅は、廃止されました。







写真の(模型の)、左端の通勤電車車両は、東急(tokyu)電鉄(dentetsu)旧7000系車両。1962年にデビュー(debut)した、東急(tokyu)電鉄(dentetsu)の通勤電車車両です。日本で最初の、オールステンレス車両(車体外板、構体、台枠を、ほぼ全てステンレス鋼(stainless steel)で製造した鉄道車両)の通勤電車・地下鉄車両です。



以上、2015年3月に行った投稿から抜粋して来た物でした。

以下の投稿も、合わせて、ご覧下さい。

ラ・ロシェル(La Rochelle)他→
/jp/board/exc_board_24/view/id/3056864?&sfl=membername&stx=nnemon2


 


시부야 로고스 키(rogovski) 외




이하, 덤.참고에, 어제 밤(어제 밤이라고 말해도, 엄밀하게는, 일자가 바뀌고 오늘이 되어 있었습니다만), 자기 전에, 「생활/문화」게시판에 간, 이하의 투고로부터 발췌해 온 것입니다.

마침내, 코로나 바이러스의 영향이 토지 분할과→
/jp/board/exc_board_8/view/id/3056808?&sfl=membername&stx=nnemon2



Firefox 이외로, 이 투고의 사진을 볼 수 없는 경우는, Firefox로, 봐 주세요.



어제는, 코로나 바이러스의 영향으로, 하루, 자택(우리 집)에 반입한 일을 하고 있었습니다.



어제, 우리 집에서 먹은 아침 식사는, 평상시의 아침 식사(빵, 시리얼(cereal), 야채 사라다(salad), 3 종류정도의 과일, 우유, 쥬스(juice), 요구르트(yogurt))와 같았습니다.



어제, 우리 집에서 먹은 점심 식사는, 우리 집에 사 두고 있는 레토르트(봉투인 채, 열탕에서 따뜻하게 하는지, 전자 렌지(microwave)로 따뜻하게 하면 완성하는, 보존식품))의 카레(curry)(레토르트의 카레(curry)와 밥(rice))과 야채 사라다(salad), 과일로 했습니다.


지금, 현재, 우리 집에 있는, 레토르트(봉투인 채, 열탕에서 따뜻하게 하는지, 전자 렌지(microwave)로 따뜻하게 하면 완성하는, 보존식품))의 카레(curry).우리 집에는, 주로, 무엇인가 있었을 때이기 때문에 용, 및, 가끔씩은 기분 전환의, 아침 식사 또는(휴일이) 늦은 아침 식사겸점심 식사용(상술한 대로, 우리 집의, 평상시의, 아침 식사 또는(휴일이) 늦은 아침 식사겸점심 식사는, 빵, 시리얼(cereal), 야채 사라다(salad), 3 종류정도의 과일, 우유, 쥬스(juice), 요구르트(yogurt)라고 한 내용입니다)로서 레토르트(봉투인 채, 열탕에서 따뜻하게 하는지, 전자 렌지(microwave)로 따뜻하게 하면 완성하는, 보존식품))의 카레(curry)를 사 두고 있습니다.이, 시대, 레토르트(봉투인 채, 열탕에서 따뜻하게 하는지, 전자 렌지(microwave)로 따뜻하게 하면 완성하는, 보존식품))의 카레(curry)에 관해서, 더 사 놓아두어도, 또, 모처럼이므로, 더 고가의 물건을, 사 놓아두어도, 좋은 것인지.


좌상, 긴자(ginza) 칼리-(curry)라고 말하는, 메이지(meiji)(일본의 대규모 식품 회사의 하나)의, 비프(쇠고기) 카레(curry)의, 레토르트의, 카레(curry) 제품(1930년대의, 일본의, 카 레이(curry)의 맛을 복각한 것).우상, 타이(Thailand) 요리의, 그린(green curry) 카레(curry)의, 레토르트.아래 쪽, 나카무라야(nakamuraya)(아래의 보충 설명 참조)의, 카레(curry)의, 레토르트(좌측, 치킨(닭고기) 카레(curry), 우측, 야채 카레(curry).각각, 2봉들이).

나카무라야(nakamuraya):레스토랑 경영의 외, 빵이나 과자등을, 제조·판매하는 회사.1901년에, 도쿄의 도심부의, 분쿄구(bunkyou) 구에 있는 도쿄대학의 정문 앞에서, 작은 빵점으로서 창업(당시의, 주된 이용객은, 도쿄대학의 학생이나 교수, 직원이었다고 생각됩니다).그 후, 1909년에, 본점을, 도쿄의 도심부 서부의 신쥬쿠로 옮겨, 1927년에는, 신쥬쿠의 본점에, cafe 레스토랑을 open.현재의 나카무라야(nakamuraya)의 신쥬쿠의 본점의 원형이 된다.나카무라야(nakamuraya)의 카레(curry)는, 일본풍 카레(curry)는 아니고, 본고장 인도풍카레(curry)입니다만, 최대한, 일본인의 기호에 맞춘, 인도풍카레(curry)라고 한 느낌으로, (나카무라야(nakamuraya)의 레스토랑의 카레(curry)는), 나는 좋아합니다.덧붙여서, 신쥬쿠(도쿄 최대급의 번화가의 하나.도쿄도심부의 서부에 위치한다)는, 도쿄의, 대규모 번화가안에서, 우리 집에, 가장 가까운 번화가의 하나 입니다.우리 집(도쿄도심부의 서부의 조용하고 침착한 주택지에 위치합니다)의 근처의, 통근 전철·지하철역으로부터, 신쥬쿠까지는, 전철(통근 전철)로 5분 정도입니다.





우리 집에서 혼자서 먹은, 어제의 저녁 식사는, 나의 거리의 레스토랑의 테이크 아웃의 식사를 했습니다.덧붙여서, 어제 밤 11시 10분 무렵부터, 오늘의, 0시 20분 무렵까지, (근처의 구의 그녀의 혼자 생활의 맨션의) 그녀와 스카이프로, 1시간 강정, 이야기했습니다.






키츠쇼지(kichijyoji)(도쿄의 서부 교외 최대의 번화가.도쿄 중심부(도쿄 23구)에 가까운, 도쿄의 서부 교외에 위치한다.키치죠우지(kichijyoji)는, 일의 용무로, 잘 방문하는 장소의 하나입니다)의, 이따금 이용하고 있는, 부엽정(fuyotei)이라고 하는, 33년의 역사를 가지는, 프랑스 요리 레스토랑이, 아마 코로나 바이러스의 영향으로, 5월 6일에 폐점해 버리는 것 같습니다→
http://www.fuyotei.com/


불요불급 그렇다고 해서, 장난을 말하는 경우가 아닙니다.토지 분할과 영향이 나와 있군요.



이하, 전에 kj에 간 투고중에서, 기본적으로, 2011년의 12월에 간 투고로부터 발췌해 온 것으로, 키치죠우지(kichijyoji)에 일의 용무로 방문했을 때에(이하, 이 날이라고 씁니다), 키치죠우지(kichijyoji)의 거래처의, 연하의 여성(그 여성과 남녀의 관계는 전혀 없습니다 w)과 2명으로, 부엽정(fuyotei)으로 점심 식사를 먹은 일에 관한 물건입니다(사진은, 이 때, 내가 먹은 것).덧붙여서, 이 때도 그랬습니다만, 이러한 때의, 음식비는, 모두, 내가 지불하고 있습니다.



사진 이하 4매.이 날, 키츠쇼지(kichijoyji)(도쿄 중심부(도쿄 23구)에 가까운 도쿄의 서부 교외에 위치한다)에, 일의 용무로 방문했습니다만, 그하는 김에, 키치죠우지(kichijoyji)에서, 이따금 이용하는, 프랑스 요리 레스토랑에서 점심 식사를 먹었습니다.





이 프랑스 요리 레스토랑의 외관.키치죠우지(kichijoyji)의 번화가(도쿄의 서부 교외 최대의 번화가)의 빗나가에 위치해, 침착한 분위기의 레스토랑입니다.




사진 이하 3매.이 레스토랑에서 먹은, 이 날의 점심 식사.이것에 팬이 뒤따릅니다.



전채.안간(아귀(monkfish)의 간장)와 크림 치즈(cream cheese), 야콘(yacon)의 유자나무 풍미.






메인(main) 요리.넙치(넙치)와 가리비의 포와레(poele).






디저트.





이하, 덤.




이 날, 우리 집에서, 혼자서, 먹은, 저녁 식사의, 메인(main) 요리(스테이크(beef steak))의, 식재.국산의, 검은 털 일본소(니혼바라산의 고급 쇠고기)의, 필레육(fillet)의, 스테이크(beef steak) 고기.이 저녁 식사시는, 음료는, 붉은 와인(빨강 wine)을 마셨습니다.







사진 이하 2매.테이코쿠 호텔의, 스프(soup)의 통조림의 여러가지를 섞어 담은 포장 (미네스트로네(minestrone), 콘 크림(corn) 스프, 인삼 스프, 호박(pumpkin) 스프).선물.



테이코쿠 호텔(영어명은, Imperial Hotel.1890년 개업)은, 도쿄를 대표하는 고급 호텔의 하나로, 능숙하게 설명 할 수 없습니다만, 도쿄를 대표하는 고급 호텔안에서도 대표적인 호텔입니다(도쿄를 대표하는 고급 호텔을, 하나 든다고 하면, 역사와 전통을 포함하고, 역시, 테이코쿠 호텔(Imperial Hotel)지요).테이코쿠 호텔의, 스프(soup)의 통조림의 여러가지를 섞어 담은 포장 은, 적어도, 기타니혼·동일본(대체로, 홋카이도(hokkaido)·동북지방·동경권에, 중부 지방중, 동경권에 인접하는 현(니가타(niigata) 현·나가노(nagano) 현·야마나시(yamanashi) 현·시즈오카(shizuoka) 현)를 더한 근처)에 대해서는, (현대 일본에 있어) 옛부터, 호텔의 스프(soup)의 통조림의 증답품으로서 삿포로 그랜드 호텔(영어명은, Sapporo Grand Hotel.1934년 개업.삿포로(sapporo)(홋카이도(hokkaido)에서 최대의 인구를 가지는 도시이며, 홋카이도(hokkaido)의 중심 도시)를 대표하는 고급 호텔)의 스프(soup)의 통조림의 여러가지를 섞어 담은 포장 , 호텔 오크라(영어명은, Hotel Okura.도쿄를 대표하는 고급 호텔의 하나.1962년 개업)의 스프(soup)의 통조림의 여러가지를 섞어 담은 포장 , 호텔 뉴오타니(영어명은, Hotel New Otani.도쿄를 대표하는 고급 호텔의 하나.1964년 개업)의 스프(soup)의 통조림의 여러가지를 섞어 담은 포장 과 함께, 대표적인 것이다고 말할 수 있겠지요(아마...).











이상, 2011년의 12월에 간 투고로부터 발췌해 온 것이었습니다.


이상, 참고에, 어제 밤(어제 밤이라고 말해도, 엄밀하게는, 일자가 바뀌고 오늘이 되어 있었습니다만), 자기 전에, 「생활/문화」게시판에 간, 「마침내, 코로나 바이러스의 영향이 토지 분할과」라고 하는 투고로부터 발췌해 온 것이었습니다.



아마, 코로나 바이러스의 영향인 만큼, 부엽정(fuyotei), 알려져 와 장소를 바꾸고, 재오픈(open)은 되는 일은, 어려울 것이다...유감입니다.


덧붙여서, 이하로, 「상술한 대로, 시부야(shibuya)(시부야(shibuya) 역 주변)의, 토큐(tokyu) 플라자(plaza)는, 시부야(shibuya)(시부야(shibuya) 역 주변)의 재개발에 수반하는, 재건축이기 때문에, 곧 있으면(3월 22일로서), 폐관합니다만, 시부야(shibuya)(시부야(shibuya) 역 주변)의, 토큐(tokyu) 플라자(plaza)의 폐관에 수반해, 시부야(shibuya)(시부야(shibuya) 역 주변)의, 토큐(tokyu) 플라자(plaza)의 식당거리에 들어가 있는, 로고스 키(Rogovski)도, 곧 있으면(3월 22일로서), (한때), 폐점합니다.타 `홍S스키(Rogovski)의 경영자는, 레스토랑의 이전처를 찾고 있는 님입니다만, 아직, 좋은 이전처가 발견되지 않은 님으로, 이대로, 로고스 키(Rogovski)가, 완전하게, 폐점해 버릴(않게 되어 버릴) 가능성도, 있다 정도 있다라고 생각합니다.」, 「(상술한 대로, 나는, 로고스 키(Rogovski)는, 익숙한 것이 있는 레스토랑이라고 말하는 것에서는, 전혀 없습니다만), 이 날은, 로고스 키(Rogovski)의, (한때), 폐점이 가깝다고 하는 일과 로고스 키(Rogovski)가, 곧 있으면, 소멸하게 될지도 모른다고 생각하는 사람들이 적지 않다고 하는 일로, 예약석은, 만석.로고스 키(Rogovski)를 아까워하는 사람들, 로고스 키(Rogovski)를, 그리워하는 사람들이, 많이 식사를 하러 와있는 느낌이었습니다(옛부터, 조금, 특별한 날의, 가족으로의 식사를, 로고스 키(Rogovski)로라고 하는 가족도 있던 일이지요.이 날은, 로고스 키(Rogovski)의, (한때), 폐점을 아까워하는, 가족으로의 식사객도, 적지 않은 느낌이었습니다).」라고 있어요가, 그 후, 정도 없고, 로고스 키(Rogovski)는, 연못 사아사 후(뭐, 가라 사아사아는, 조금 과언입니다만 w), 긴자(ginza)에서, 재오픈(open)했습니다.



이하, 「」 안.참고에, 나의 앞의 투고문보다...

「덧붙여서, 나는, 부모님 모두, 술에 강해서 술꾼으로 w, 유전에 의해, 술은 강합니다.술은, 기본, 아무리 마셔도 술에 먹히는 일은 없습니다 w그것은, 위스키를 스트레이트로 보틀 1개를 넘고, 비교적 단시간에 마시면, 시간차이로 나중에 허리는 빠집니다만(학생의 무렵의 이야기 w), 아무리 마셔도, 성격은, 평상시보다 밝고 매우 기분이 좋아 지는 정도로, 크지는 바뀌지 않습니다.

일본술, 와인, 위스키, 맥주, 소주 뭐든지 갈 수 있습니다만, 나는, 술의 마시는 방법은, 본래적으로는, 위스키와 같은, 진한 술을, 락으로, 치비리치비리와 마시는 것을 좋아합니다.

나의 지금의 그녀는, 나의 일을, 「술버릇의 좋은 남자」라고 부르고 있습니다.왜냐하면 , 그녀와 둘이서로 마시고 있고, 나는 술에 취하면 취할수록, 그녀를 찬사 하는 말·그녀가 대하는 단 말이, 염치없고, 자꾸자꾸 날아 나오기 때문입니다(그녀는, 그것은, 반드시는 아닌 것 같습니다 w).나는 그녀보다 훨씬 연상의 어른입니다만, 그렇습니다, 두 명모두 바보같습니다 w

덧붙여서, 그녀는, 술이 약합니다.」



이하, 기본적으로, 2015년 3월에 간 투고로부터 발췌해 온 것으로, 그녀( 나의 지금의 그녀)와 2015년 3월에, 시부야(shibuya)의 로고스 키(Rogovski)로 저녁 식사를 먹었을 때의 물건입니다.투고문은, 2015년 3월의 투고를 전제로 한 것입니다.


이 날은, 일을 끝낸 후, 그녀와 만나고, 시오도메(shiodome)(200 m급의 초고층 빌딩이 늘어서는, 도쿄도심부의 비즈니스(business)·상업지구.도쿄도심부에서도 중심적인 지역의 남동부에 위치한다)의, Panasonic, 시오도메(shiodome) museum로, 현재, 개최중의, 파스킨(Jules Pascin)의 전람회(exhibition)를 보았습니다.


사진 이하.전람회(exhibition)를 본 다음은, 지하철로, 시부야(shibuya)(전철의 시부야(shibuya) 역 주변)로 이동해, 이 날의 저녁 식사는, 조목의 시간에, 시부야(shibuya)(시부야(shibuya) 역 주변)에서 먹었습니다.


시부야(shibuya) 구의 중앙부에 위치하는, 시부야(shibuya)(시부야(shibuya) 역 주변)는, 내가 사는, 시부야(shibuya) 구(도쿄도심부의 서부에 위치하는 구)로, 최대의 번화가, 한편, 중심 번화가임과 동시에, 긴자(ginza)·유라쿠쵸(yurakucho), 신쥬쿠, 이케부쿠로(ikebukuro)(도쿄도심부의 북서부에 위치한다.제2차 세계대전 후에 급성장한, 신흥의 대번화가)와 대등한, 도쿄 최대급의 번화가가 되고 있습니다(긴자(ginza)·유라쿠쵸(yurakucho), 신쥬쿠, 시부야(shibuya), 이케부쿠로(ikebukuro)는, 도쿄의, 4대번화가가 되고 있습니다).


시부야(shibuya) 구의 중부(중심부)에 있는, 시부야(shibuya)(시부야(shibuya) 역 주변)는, 신쥬쿠(신쥬쿠역 주변)(도쿄도심부의 서부에 위치하는 신쥬쿠구의 최대의 번화가)와 함께, 1930년대무렵에는, 도쿄의 신흥 주요 번화가의 하나로서의 지위를 확립했습니다만(시부야(shibuya)(시부야(shibuya) 역 주변)는, 1934년에, 동횡(toyoko) 백화점(현재의, 토큐(tokyu) 백화점, 동횡(toyoko) 점)이 개점했습니다), 1960년대, 1970년대를 통해서, 긴자(ginza)·유라쿠쵸(yurakucho)(제이차 세계대전전과 후를 통해서, 현재에 찬`추효와로, 도쿄를 대표하는 번화가(도쿄의 플래그쉽(flagship) 번화가) 한편 도쿄 최대급의 번화가.도쿄 중심부안에서도, 중심적인 지역에 위치한다)와 어깨를 나란히 하는, 도쿄 최대급의 번화가의 하나로 발전해 갔습니다.


시부야(shibuya)(시부야(shibuya) 역 주변)는, 도쿄 최대급의 번화가(도쿄의, 4대번화가(긴자(ginza)·유라쿠쵸(yurakucho), 신쥬쿠, 시부야(shibuya), 이케부쿠로(ikebukuro)))안에서, 특히, 젊은이에게 인기가 높은 번화가에서, 시부야(shibuya)(시부야(shibuya) 역 주변)는, 도쿄의, 주요한, 젊은이 문화의 유행의 발신지의 하나가 되고 있습니다.시부야(shibuya)(시부야(shibuya) 역 주변)는, 개인적으로, 고교생의 무렵, 디스코나 클럽(disco·club)에서, 자주(잘), 밤놀이하고 있었습니다만, (우리 집 및, (우리 집의 부근의) 친가에서는, 시부야(shibuya)(시부야(shibuya) 역 주변)도, 신쥬쿠(신쥬쿠역 주변)도, 거리적으로는, 같은 정도이지만), 우리 집 및, (우리 집의 부근의) 친가에서는, 교통의(전철의) 변은, 시부야(shibuya)(시부야(shibuya) 역 주변)보다, 신쥬쿠(신쥬쿠역 주변)가 편리한 때문, 시부야(shibuya) 구로 태어나 자라, 시부야(shibuya) 구로 살아 (이)면서도, 개인적으로, 옛부터, 신쥬쿠(신쥬쿠역 주변)와 시부야(shibuya)(시부야(shibuya) 역 주변)를, 비교하면, 신쥬쿠(신쥬쿠역 주변)가, 비교적, 익숙한 것이 있어요.



시부야(shibuya)(시부야(shibuya) 역 주변)의, 토큐(tokyu) 플라자(plaza)(님 들인 점포가 들어가는 상업 빌딩.실시적으로, 백화점과 같은 물건)이, 시부야(shibuya)(시부야(shibuya) 역 주변)의 재개발에 수반하는, 재건축이기 때문에, 3월 22일로서, 폐관하는 일로부터, 이 날의 저녁 식사는, 토큐(toyoko) 플라자(plaza)의 식당거리에 들어가 있는, 역사가 있는, 러시아(Russia) 요리 레스토랑, 로고스 키(rogovski)로 먹는 일로 했습니다.




시부야(shibuya)(시부야(shibuya) 역 주변)의, 토큐(tokyu) 플라자(plaza)(님 들인 점포가 들어가는 상업 빌딩.실시적으로, 백화점과 같은 물건)의 건물.개장이 베풀어져서면서 사용되어 와있습니다만, 지금부터, 약 50년전의, 1965년에 지어진 건물입니다.시부야(shibuya)(시부야(shibuya) 역 주변)의 재개발에 수반하는, 재건축이기 때문에, 곧 있으면(3월 22일로서), 폐관합니다.안쪽으로 보이는, 초고층 빌딩은, 세르리안타워(Cerulean Tower)(높이 184m.2001년 완성).하층층은, 오피스(office), 상층층은, 호텔이 되고 있습니다.시부야(shibuya) 역 주변의, 초고층 빌딩 중(안)에서는, 비교적, 새로운 빌딩입니다.시부야(shibuya) 역 주변에서는, 가장, 키가 큰 빌딩이며, 현재는, 시부야(shibuya)를 상징하는 빌딩이 되고 있다고 해도, 좋을 것입니다.




사진 이하 18매.이 날의 저녁 식사는, 시부야(shibuya)(시부야(shibuya) 역 주변)의, 토큐(tokyu) 플라자(plaza)의 식당거리(토큐(tokyu) 플라자(plaza)의 9층(최상층))에 들어가 있는, 역사가 있는, 러시아(Russia) 요리 레스토랑, 로고스 키(Rogovski)로 먹었습니다.



로고스 키(Rogovski)는, 1951년에 창업한, 러시아(Russia) 요리 레스토랑(원래, 시부야(shibuya) 역 주변의 다른 장소에, 1951년에 개점했다)에서, 1965년에, 시부야(shibuya)(시부야(shibuya) 역 주변)의, 토큐(tokyu) 플라자(plaza)의 개업에 수반해, 시부야(shibuya)(시부야(shibuya) 역 주변)의, 토큐(tokyu) 플라자(plaza)의 9층(최상층)의 식당거리에 이전해, 그 자리소에서, 현재까지, 영업을 계속해 왔습니다.로고스 키(Rogovski)는, (도쿄에, 그 밖에, 더, 훨씬 낡은, 러시아(Russia) 요리 레스토랑이 있으면, 죄송합니다만), 아마, 현재, 영업하고 있는(현재도, 영업을 계속하고 있다), 러시아(Russia) 요리 레스토랑으로서는, 도쿄에서, 가장 낡은 레스토랑의 하나이다고 생각합니다.


상술한 대로, 시부야(shibuya)(시부야(shibuya) 역 주변)의, 토큐(tokyu) 플라자(plaza)는, 시부야(shibuya)(시부야(shibuya) 역 주변)의 재개발에 수반하는, 재건축이기 때문에, 곧 있으면(3월 22일로서), 폐관합니다만, 시부야(shibuya)(시부야(shibuya) 역 주변)의, 토큐(tokyu) 플라자(plaza)의 폐관에 수반해, 시부야(shibuya)(시부야(shibuya) 역 주변)의, 토큐(tokyu) 플라자(plaza)의 식당거리에 들어가 있는, 로고스 키(Rogovski)도, 곧 있으면(3월 22일로서), (한때), 폐점합니다.로고스 키(Rogovski)의 경영자는, 레스토랑의 이전처를 찾고 있는 님입니다만, 아직, 좋은 이전처가 발견되지 않은 님으로, 이대로, 로고스 키(Rogovski)가, 완전하게, 폐점해 버릴(않게 되어 버릴) 가능성도, 있다 정도 있다라고 생각합니다.


나는, 이 때까지, 로고스 키(Rogovski)에서는, 몇차례(밤에, 1회, 낮에, 2회.낮에, 식사를 한 것은, 근년의 일입니다만, 밤에 식사를 한 것은, 매우 전의 일이었습니다) 식사를 한 일이 있던 것만으로, 로고스 키(Rogovski)는, 익숙한 것이 있는 레스토랑이라고 말하는 것에서는, 전혀 없습니다만, 혹시, 도쿄의, 역사가 있는, 러시아(Russia) 요리 레스토랑의 하나(로고스 키(Rogovski))가, 곧 있으면, 소멸하게 될지도 모른다고 하는 일로, 이 날은, 저녁 식사를, 로고스 키(Rogovski)로 먹는 일로 했습니다.덧붙여서, 나는, 도쿄의, 역사가 있는, 러시아(Russia) 요리 레스토랑에서는, 1956년 창업의, 신쥬쿠의(신쥬쿠역 주변의), 러시아(Russia) 요리 레스토랑, 슨가리(Sungari)가, 마음에 드는 것이 되고 있습니다(슨가리(Sungari)는, 신쥬쿠 동쪽 출입구 본점과 신쥬쿠 서쪽 출구점, 2 점포, 레스토랑이 있다가, 신쥬쿠 서쪽 출구점이, 보다 , 마음에 드는 것).

(상술한 대로, 나는, 로고스 키(Rogovski)는, 익숙한 것이 있는 레스토랑이라고 말하는 것에서는, 전혀 없습니다만), 이 날은, 로고스 키(Rogovski)의, (한때), 폐점이 가깝다고 하는 일과 로고스 키(Rogovski)가, 곧 있으면, 소멸하게 될지도 모른다고 생각하는 사람들이 적지 않다고 하는 일로, 예약석은, 만석.로고스 키(Rogovski)를 아까워하는 사람들, 로고스 키(Rogovski)를, 그리워하는 사람들이, 많이 식사를 하러 와있는 느낌이었습니다(옛부터, 조금, 특별한 날의, 가족으로의 식사를, 로고스 키(Rogovski)로라고 하는 가족도 있던 일이지요.이 날은, 로고스 키(Rogovski)의, (한때), 폐점을 아까워하는, 가족으로의 식사객도, 적지 않은 느낌이었습니다).



로고스 키(Rogovski)의, 점내의 창으로부터 보이는 경치의 예.사진 좌단으로 보이는, 초고층 빌딩은, 시부야(shibuya) 역 주변에 있는 초고층 빌딩의 하나, 크로스 타워(Cross Tower)(높이 131 m).1975년에 완성한 오피스(office) 용의 초고층 빌딩입니다.크로스 타워(Cross Tower)는, 시부야(shibuya) 역 주변에서, 최초로 지어진 초고층 빌딩입니다.사진 중앙으로 보이는, 눈에 띄는, 초고층 빌딩은, 록뽄기(roppongi) area에 있는, 주상복합 지구, 록뽄기 힐즈(roppongi hills)의 중심이 되고 있는 초고층 빌딩, 숲(mori) tower입니다(2003년에 완성).높이는, 약 240 m입니다만, 그 바닥 면적은, Empire State Building나 One World Trade Center(작년 완성한, 미국에서, 제일, (Taipei 101을 빠뜨려), 세계에서, 3번째에, 키가 큰 빌딩)를, 훨씬 더 웃돌아, Taipei 101(세계에서 4번째로 키가 큰 빌딩), Shanghai World Financial Center(중국(홍콩을 포함한다)에서, 가장 키가 큰 빌딩.세계에서 5번째로 키가 큰 빌딩), 샹하이 타워(Shanghai Tower)(금년중에 완성 예정.완성하면, Shanghai World FinancialCenter를 빠뜨려, 중국(홍콩을 포함한다)에서, 가장 키가 큰 빌딩이 됨과 동시에, One World Trade Center등을 빠뜨려, Burj Khalifa에 이어, 세계에서 2번째로 비싼 빌딩, Burj Khalifa, 도쿄 skytree에 이어, 세계에서 3번째로 높은 건조물이 될 예정)과 거의 동규모입니다.덧붙여서, 시부야(shibuya)(시부야(shibuya) 역 주변)로부터, 록뽄기(roppongi) area(도쿄도심부안에서도 중심적인 지역의 남서부에 위치한다.오랜 세월 , 도쿄의, 나이트 라이프(nightlife)의 중심지로서의 지위를 확립해 왔지만, 최근 수십년간, 세련된, 비즈니스(business)·상업지구라고 해도, 주목을 받는 것처럼 되었다)까지는, 대체로, 직선 거리로 3 km 미만으로부터 4 km위(록뽄기(roppongi) area에 있는, 숲(mori) tower는, 너무나 거대한 빌딩이므로, 더 근처로 보입니다만 w), 대학생의 무렵은, 자주(잘), 시부야(shibuya)(시부야(shibuya) 역 주변)의 바(bar) 등으로, 친구나 친구들과 만나고(술(알코올(alcoholic) 음료)을) 마시고 나서, 버스(bus)로, 록뽄기(roppongi) area의, 클럽(club) 등에, 밤놀이에 계속 내보냈던(대학생의 무렵은, 록뽄기(roppongi) area 및, 그 주변에서는, 소규모의 클럽(club) 등도, 잘 방문하고 있었습니다만, 지금은 없는 것, Velfarre(1994년에, 당시 , 최신의 설비를 갖춘, 세계 최대급의 디스코·클럽(disco·club)으로서 록뽄기(roppongi)에 개구리 `J업.2007년 폐점.아마, 내가 대학생의 무렵(1990년대)이, Velfarre의 절정기였습니다)도, 잘 방문하고 있었습니다).




사진 이하 17매.로고스 키(Rogovski)(1951년에 창업한, 시부야(shibuya)(시부야(shibuya) 역 주변)의 러시아(Russia) 요리 레스토랑)에서 먹은, 이 날의 저녁 식사등.



나는, 이 저녁 식사시는, 음료는, 주로, vodka(vodka)를, 스트레이트(straight)로 마셨습니다만, 사진(사진왼쪽)은, 이 때, 내가 마신, vodka(vodka)의 하나.스튜디오 루카(starka)(알코올(alcohol) 도수는, 43%).vodka(vodka)에, 사과와 배의 잎의 담그어 술, port wine(port wine), 브랜디(brandy) 등을 혼합해 숙성시킨, 호박색의, vodka(vodka)입니다.사진 우측은, 입가심의, 홍차.



사진 이하 16매.로고스 키(Rogovski)로 먹은, 이 날의 저녁 식사.이것에, 팬이 뒤따릅니다.전반적으로, 맛있었습니다.



사진 이하 3매.전채.각각의 접시에 공통되는 전채 이외는, 대체로, 둘이서 나누어 먹었습니다.



사진 이하 2매.그녀가 먹은, 전채, 진열.








내가 먹은, 전채, 진열.




그녀가 먹은, 비트(beetroot)와 포테이토(potato)의, 사라다(salad).



내가 먹은, 시베리아(Siberia) 풍, 페리메니(pelmeni)(러시아(Russia) 식의, 교자(dumpling)).



그녀가 마신, 우크라이나(Ukraine) 풍의, 보르시치(borscht).



내가 마신, 시골의 가정풍의, 보르시치(borscht).



그녀가 먹은, 메인(main) 요리.슬라브(Slavs) 풍, 쇠고기의 필레육(fillet), 냄비 구이.




사진 이하 2매.내가 먹은, 메인(main) 요리.코카사스(Caucasus) 풍의, 양고기의, 꼬치구이.








사진 이하 4매.소라 구이 스튜(stew)(크림(cream) 익혀).빵의 뚜껑이 붙은, 스튜(stew)(크림(cream) 익혀)입니다.일본에서, 러시아(Russia) 요리로서 옛부터, 인기가 있다, 메뉴(menu)입니다.






그녀가 먹은, 씨푸드(seafood)의, 소라 구이 스튜(stew)(크림(cream) 익혀).



사진 이하 2매.내가 먹은, 버섯과 닭고기의, 소라 구이 스튜(stew)(크림(cream) 익혀).









디저트(dessert).러시아(Russia) 풍, 서양배(서양 배나무)의 바바 로아(bavarois).일인일명씩.





디저트(dessert)와 함께 나오는, 러시아(Russia) 홍차(잼(jam) 넣은의 홍차).



사진 이하.로고스 키(Rogovski)로, 저녁 식사를 먹은 다음은, 로고스 키(Rogovski)가 들어가는, 시부야(shibuya)(전철의 시부야(shibuya) 역 주변)의, 토큐(tokyu) 플라자(plaza)(님 들인 점포가 들어가는 상업 빌딩.실시적으로, 백화점과 같은 물건.1965년에 개업.시부야(shibuya)(시부야(shibuya) 역 주변)의 재개발에 수반하는, 재건축이기 때문에, 곧 있으면(3월 22일로서), 폐관할 예정)으로, 현재, 행해지고 있는, 시부야(shibuya)(전철의 시부야(shibuya) 역 주변)의, 역사에 관한 전시를 보고 나서, 우리 집(도쿄도심부의 서부의 조용하고 침착한 주택지에 위치합니다)에 돌아갔습니다.


이하, 전시물의 예.덧붙여서, 나는, 어릴 적부터, 철도를 포함한, 탈 것에, 넓고 얕게 흥미가 있어요.


사진 이하.지금부터, 50년 정도전의, 1964년경의, 시부야(shibuya) 역의 주위의 경치를 재현한 모형입니다.모형의, 구석의 빌딩은, 모형에서는, 일부를 다 남겨서 끊어져 버려 있고, 모형에서는, 빌딩의, 극히, 일부 밖에, 재현되고 있지 않습니다.시부야(shibuya) 역 주변의 경치는, 요즘(1964년경.지금부터, 50년 정도전)에 비해, 지금은, 바뀌었다고 하면, 변원?`치라고도 말할 수 있다고 생각하고, 기본적으로, 너무 변함없다고 하면, 기본적으로, 너무 변함없다고 말할 수 있다고도 생각합니다.무엇보다, 시부야(shibuya) 역 주변의 경치는, 대규모 재개발 계획에 의해, 향후, 10 수년동안에, 크게 바뀌는 것이 예상됩니다.









모형에서는, 건물의, 극히, 일부 밖에, 재현되고 있지 않습니다만, 사진 상부의, 위에, 돔(dome)이 있다 건물(빌딩)은, 토큐(tokyu) 문화 회관(bunka kaikan).1956년에, 시부야(shibuya) 역 주변에 지어진, 문화 시설의 건물입니다.토큐(tokyu) 문화 회관(bunka kaikan)의 건물의 상부에 있는 돔(dome)은, 토큐(tokyu) 문화 회관(bunka kaikan)의 최상층에 있던, 고토(gotou) 플라네타륨(planetarium)이라고 말하는, 플라네타륨(planetarium) 시설의, 돔(dome)입니다.나는, 초등학교는, 나의 거리의, 시부야(shibuya) 구가 운영하는, 공립의 초등학교에 다니고 있었습니다만, 고토(gotou) 플라네타륨(planetarium)은, 초등학교의 수업의 일환에서도, 방문했습니다.토큐(tokyu) 문화 회관(bunka kaikan)는, 빌딩의 노후화와 재개발 계획에 의해, 2003년에 폐관해, 해체되었습니다.현재, 철거지에는, 상업 시설(시부야(shibuya) 히카리에(hikarie).실질적으로는, 백화점과 같은 물건), 문화 시설(극장등 ), 오피스(office) 등이 들어가는, 초고층 빌딩(높이 약 180m.2012년에 완성)이, 세우고 있습니다.





사진의, 옥상 유원지의(모형의), 우단의, 전철형의, 탈 것은, 아마, 일본 국유철도(현재의 JR)의, 1958년에 운행을 개시한, 도쿄와 칸사이(kansai)(동경권에 뒤잇는, 일본 제2의 인구를 가지는, 대도시권.중심 도시는, 오사카)를 묶는, 특급(express) 전철, 「비즈니스(business) 특급(express) 메아리(kodama)」의 차량을 이미지 한 것입니다.「비즈니스(business) 특급(express) 메아리(kodama)」는, 일본 국유철도(현재의 JR) 처음의, 본격적인, 고속의, 전철의(동력 분산 방식의, 전기를 동력으로 한 열차의), 장거리, 특급(express)입니다.이 모형이 재현하고 있는 것은, 1964년경의, 시부야(shibuya) 역 주변의 풍경입니다만, 1964년에는, 일본 국유철도(현재의 JR)가, 당시 , 세계 최고의 영업 속도의, 초고속 철도로서(현재의, 세계의, 초고속 철도의 선구로서), 도쿄와 오사카를 연결하는, 전철의(동력 분산 방식의, 전기를 동력으로 한 열차의), 신간선(shinkansen)을 개업한 일에 의해, 「비즈니스(business) 특급(express) 메아리(kodama)」는, 폐지되었습니다.


사진 이하.토큐(tokyu) 동 횡(toyoko) 선의, 시부야(shibuya) 역.토큐/`itokyu) 동횡(toyoko) 선의, 시부야(shibuya) 역은, 비교적 최근(2013년의 3월)까지, 기본적으로, 이 모형의 모습(1960년대 중반의 모습)과 별로 변하지 않는 모습인 채, 운용되고 있었습니다만(물론, 전철의 차량은, 새로운 쓸모 있게 되고 있습니다), 2013년의 3월에, (토큐(tokyu) 동 횡(toyoko) 선의, 도쿄도심을 달리는 지하철 노선의 하나에의 노선연장 (위해)때문에) 지하화 된, 새로운, 토큐(tokyu) 동 횡(toyoko) 선의 시부야(shibuya) 역으로 교체되어 이 지상의 역은, 폐지되었습니다.







사진의(모형의), 좌단의 통근 전철 차량은, 토큐(tokyu) 전철(dentetsu) 구7000계 차량.1962년에 데뷔(debut)한, 토큐(tokyu) 전철(dentetsu)의 통근 전철 차량입니다.일본에서 최초의, 올 스텐레스 차량(차체외판, 구체, 대 범위를, 거의 모두 스텐레스강철(stainless steel)로 제조한 철도 차량)의 통근 전철·지하철 차량입니다.



이상, 2015년 3월에 간 투고로부터 발췌해 온 것이었습니다.

이하의 투고도, 맞추고, 봐 주세요.

라·로시르(La Rochelle) 외→
/jp/board/exc_board_24/view/id/3056864?&sfl=membername&stx=nnemon2




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