うちの町内

 

 





基本的に(参考の投稿を入れ替える等しています)、2020年の5月の上旬に行った投稿の再掲です。



以下、参考の投稿。

小津 安二郎映画「晩春」他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_2/view/id/3580708/page/3?&sfl=membername&stx=nnemon2




以下の投稿の続きです。

1878年からの歴史を有するリゾートホテル1→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/3758985?&sfl=membername&stx=nnemon2
1878年からの歴史を有するリゾートホテル2→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/3758984?&sfl=membername&stx=nnemon2



ちなみに、以下の投稿文で、「ちなみに、私よりも、両親の方が、遥かに(ずっと)、お金に、ゆとりがあります(お金を、たくさん、持っていますw)」とありますが、それは、謙遜表現である事を汲んで下さい。それに関しては、以下の2つの投稿を参照して下さい。まあ、両親は、両親で、しっかりとした安定した資産を築いている事は、確かですが。


以下、参考の投稿。

幸せに生きる方法→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3657538/page/20?&sfl=membername&stx=nnemon2
母方の祖母の話→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3658687/page/19?&sfl=membername&stx=nnemon2



以下、「」内。上でリンクを付けた2つの投稿と合わせて参考に、基本的に、2020年の5月の初めの私の投稿の他の方のレスに対する、私のレスから抜粋して来た物です。


「以下、私の前の投稿から抜粋して来た物です。

私は、小さな個人事業を営んでいるのですが、会社も個人も、借金は、一切ありません。

ちなみに、以下、「」内。私の前の投稿文より。。。。

「個人的に、飲む打つ買うの内、打つ買うはやらない男で、私はキャバクラ(kyabakura)(下の補足説明参照)・風俗に行ったり、ギャンブル(パチンコや競馬)をするタイプの男ではありません(個人的に(あくまでの個人的に)、その様な事に、お金を使う事は、無駄金を使う事だと思い、故に、その様な事に、お金を使わない主義です)。
キャバクラ(kyabakura):私は、昔から(若い頃から)、キャバクラ(kyabakura)には、全く、興味がなく、キャバクラ(kyabakura)は、仕事の取引先の方と、東京都心の繁華街の、キャバクラ(kyabakura)に、何度か、訪れた事があるだけです(私生活において、キャバクラ(kyabakura)を訪れる気には、全くなりません)。」

幸いな事に、私の両親は、両親で、しっかりとした安定した資産を築いており(我が家の近所の私の実家は、普通の中流の家庭で、私の両親は、少なくとも表面的な生活は中流そのもので、金持ちセレブのような生活をしている訳では全くありませんが)、両親は、今まで通りの、夫婦2人で、しょっちゅう(頻繁に)遊びに出掛ける生活を、これから先も、元気である限り、ずっと続けても、(両親には、ずっと元気で長生きして欲しいですが)、仮に、両親が、将来、介護が必要となり、介護付きの老人ホームに入居するような事になっても、その分の資金は、私の両親は、自分達の資産だけで、十分に賄う事が出来ると思います。その点においても、私は、恵まれていると思います。

ちなみに、我が家の近所の実家の私の両親(ちなみに、私の両親は、お互いに同年代です)が、夫婦2人で、しょっちゅう(頻繁に)遊びに出掛けているという事に関して、以下、「」内。私の前の投稿文より。。。

「我が家の近所の私の実家の両親は、二人共、高齢者になった、今でも、夫婦、とても仲が良く、頻繁に、二人で遊びに出掛けています。私の父は、会社員ですが、現在、半分、定年退職状態で、私の両親は、年齢的には高齢者の中で若い年齢ではありますが、夫婦で、よく二人共通の趣味のゴルフに行きますし(両親は、未だに、夫婦で、スキーにも行きます)、夫婦で、海外を含めた、長期旅行も、よくしており、私の父は、仕事と遊びを、とても、元気に楽しみ続けています。私は、両親の(まあ、私の母は、私の父と結婚してから、ずっと主婦ですが。。。)、元気と、パワーが(力が)、羨ましい位ですw」

(東京都心部の西部の静かで落ち着いた住宅地に位置する)我が家の近所の、私の実家は、敷地面積100坪程(約330平方m)の、庭がある、一戸建て住宅です。私の実家は、元々、私の母方の祖父母の家で、現在は、両親が、その家を引き継いでいます(ちなみに、私の母は、一人っ子です)。元々は、私の母方の祖母の父(田舎の、裕福な地主であった)が、東京に保有していた不動産の一つであった物で(私の母方の祖母の父が、私の母方の祖母が結婚した際に、私の母方の祖父母に与えた物。当時の中流階級の一戸建て住宅として、小さな方であったと思います)、元々の家の建物は、1920年代頃?に建てられた、日本伝統式の住宅の建物だった様ですが、現在の家の建物は、1960年代初め頃に、建替えられた物です(現在は、耐震補強もなされており、時代に合わせて内装等も改装されて来ています)。ちなみに、私の母方の祖父も、私の母方の祖母も、既に、亡くなっています。

ちなみに、我が家は、狭い土地に3階建ての(1階部分の半分くらいが駐車場の)、居住床面積30坪(約100平方m)程の庭がない、地価が高い、東京中心部(東京23区)の、典型的な、比較的、新しい、庶民向けの、一戸建て住宅です。

前述の通り、私には、兄弟姉妹は、2歳年下の弟が一人います。私の弟は、外資系の会社員で、既に、結婚をし、(まだ、二人共、幼いですが)子供が2人いて(男の子(上)が1人と、女の子(下)が1人)、弟の家族(妻・子供)と共に、東京の西部郊外の、静かで落ち着いた住宅地に買った、一戸建て住宅に、暮らしています。

(両親には、ずっと元気で長生きして欲しいですし、両親とも実際に元気なので、まだ、ずっと先の事だと思いますが)、将来、両親が亡くなったら、我が家の近所の実家は、既に子供が2人いて安定した家庭を築いている(保守的なw)私の弟(私の弟の家族)に譲ろうと思っています(実際に、私の弟の性格は、昔から(幼い頃から)、慎重で保守的ですw)。私と弟は、昔から(幼い頃から)、お互いに、過干渉しない、適度な距離感の、個人主義なのですが、その際に、もし、弟が、両親を引き継いで、我が家の近所の私達の(私と弟の)実家に暮らしたいというのならば、税金面等、私の経済的な援助を弟が必要とするならばしたいと思っています(ちなみに、私の資産に関して、その分の、ゆとりも見込んでいます)。

ぶっちゃけて言えば、私の収入と資産から言って、私は、今よりも、もう少し、(外食・旅行にお金を使ったり・物を買ったりする)物質的な生活水準を上げても、余裕なのですが、私は、今よりも、(外食・旅行にお金を使ったり・物を買ったりする)物質的な生活水準を上げても、別に、これ以上、幸福になると思えないので、故意に(意図的に)、物質的な生活水準を上げないままでいます。その事に関連して、以下、「」内、前のkjの他の方の投稿の私のレスより。。。

「ぶっちゃけて言えば、私の場合、(まあ私基準の金額なので大した物では全くありませんが)、気付いたら(気付かない内に)、こんなにお金が貯まっていたのか・お金が自然とどこからか湧き出て来たのではないかと言った事が、よくありますw」


以上、前に行った投稿から抜粋して来た物でした。」


私の弟に関しては、以下の投稿を参照して下さい。

弟の話前編→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3658265/page/19?&sfl=membername&stx=nnemon2
弟の話後編→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3658264/page/19?&sfl=membername&stx=nnemon2




以下、基本的には(参考の投稿を加える等しています)、2016年の12月に行った投稿の再掲で、2016年の2月の終わりに、両親を連れて、箱根(hakone)の、富士屋(fujiya)ホテルに宿泊して来た時の物です。投稿文は、2016年12月の投稿を前提としています。ちなみに、その時の、両親の、富士屋(fujiya)ホテルの印象が良かったらしく、両親は、その時から今まで、2回、夫婦で、富士屋(fujiya)ホテルに宿泊している様です。


ある程度、前の事ですが、2月の終わりに、両親を連れて、箱根(hakone)の、富士屋(fujiya)ホテルに宿泊して来た時の物です。

私の2歳年下の弟(東京の西部郊外に暮らしています)は、既に、結婚して、子供がいて、今は、子育てに忙しいので、今の所、こう言う役割は、私と言う事で。。。


実は、去年の12月の初めに、両親を連れて、箱根(hakone)の、萬翠楼福住(bansuiro fukuzumi)と言う、温泉旅館に宿泊して来た時に(その時、両親と旅行したのは、とても久しぶりでした。その時の事は、kjで、アップ(uplaod)しています)、勢いで、両親に、今度、富士屋(fujiya)ホテルに連れて行くと言ってしまった事が、この時の、両親を連れた、富士屋(fujiya)ホテルの宿泊に、繋がりましたw(これから、やや、しばらくの間は、両親を連れて旅行に行くかどうかは、ちょっと分かりませんw)。


ちなみに、去年の12月の初めの、私の、両親を連れた、萬翠楼 福住(bansuiro fukuzumi)に宿泊した旅行、及び、この時の、富士屋(fujiya)ホテルに宿泊した旅行の、宿泊費、食事代等は、両親の分を含めて、全て、私が支払っています。


去年の12月の初めに、萬翠楼 福住(bansuiro fukuzumi)に宿泊して来た時の事は、以下の投稿を、参照して下さい。

400年近い歴史を有する温泉旅館他1→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_14/view/id/3746972/page/4?&sfl=membername&stx=nnemon2
400年近い歴史を有する温泉旅館他2→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_14/view/id/3746971/page/4?&sfl=membername&stx=nnemon2
400年近い歴史を有する温泉旅館他3→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_14/view/id/3746970/page/4?&sfl=membername&stx=nnemon2
400年近い歴史を有する温泉旅館他4→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_14/view/id/3746969/page/4?&sfl=membername&stx=nnemon2
400年近い歴史を有する温泉旅館他5→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_14/view/id/3746967/page/4?&sfl=membername&stx=nnemon2



(この時、私達が宿泊した)富士屋(fujiya)ホテルがある、箱根(hakone)(東京圏(東京圏の南部を占める県である、神奈川
(kanagawa)県)の、南西端部に位置します)は、日光(nikko)(栃木(tochigi)県(東京圏の北端に位置する県)に位置する)と並ぶ、東京近郊を代表するリゾート(resort)地・保養地・観光地・避暑地です。ちなみに、箱根(hakone)は、東京近郊を代表するリゾート(resort)地・保養地・観光地・避暑地であり、私の両親は、よく、箱根(hakone)に訪れていますし、私も、今まで、たくさん、箱根(hakone)に訪れています。


ちなみに、東京圏、及び、その周辺で、第二次世界大戦前に建てられた、古い建物のままで、現在も、営業を行っている、歴史のある、高級リゾート(resort)ホテルは、富士屋(fujiya)ホテルの他に、日光(nikko。箱根(hakone)と共に、東京近郊を代表する観光地・保養地・避暑地)の、金谷(kanaya)ホテル(日光(nikko)を代表する、歴史のある高級リゾート(resort)ホテル。1873年開業)、軽井沢(karuizawa。東京圏周辺を代表する、避暑別荘地・避暑保養地)の、万平(manpei)ホテル(軽井沢(karuizawa)を代表する高級リゾート(resort)ホテルの一つ。1894年開業)、伊豆(izu)半島(東京に近い、温暖で、風光明媚な(景色の美しい)リゾート(resort)地)の、川奈(kawana)ホテル(1936年開業)があります。


金谷(kanaya)ホテル(日光(nikko)を代表する、歴史のある高級リゾート(resort)ホテル。1873年開業)は、私は、子供の頃、私の母方の祖父に連れられて、(私の母方の祖父母、両親、弟と共に)、3回、大人になってから1回(女性と2人での、coupleでの宿泊)の
、合計4回、宿泊した事があります。私の両親は、金谷(kanaya)ホテルは、私が、子供の頃に、私の母方の祖父(私の母方の祖父母)に連れられて、子供と共に(私と、私の弟と共に)、3回、宿泊した事があります。


私の母方の祖父は、田舎に生まれ、東京の、大学(まあ、当時は、その前身の高等教育機関でしたが)を卒業した後、第二次世界大戦までは、技師(技術者)、第二次世界大戦後は、会社員をしていました。私の母方の祖父の実家は、裕福であったと言う話は聞かず、また、かと言って、貧しかったとか、苦学したとか(金銭面で、苦労して、東京の、大学を卒業した)と言う話も聞かなかったので、まあ、中流の農家(中流の農民の家)、若しくは、会社員・公務員等の、家庭であったのではないでしょうか。。。


私の母方の祖父は、保守的で、堅実、真面目で、生活は、つましく、派手な生活をする事は、好みませんでしたが、無趣味と言った訳ではなく、墨絵(ink wash painting)、俳句(haiku)(日本の、伝統的な詩)、短歌(tanka)(日本の、伝統的な詩)、漢詩(中国の、伝統的な詩)、魚釣りを趣味として、風流人的な、一面も持っていました。現在は、昔と違って、我が家の近所の、私の実家(元々、私の母方の祖父母の家。現在は、両親が、引き継いで暮らしている)の、庭の池には、錦鯉(nishikigoi)(下の補足説明参照)しか泳いでいませんが、かつて、私の実家の庭の池には、鯉、金魚の他に、私に母方の祖父が釣って来た、鮒や草魚(grass carp)等がいました。私の母は、子供の頃は、休日に、私の母方の祖父に連れられて、電車に乗って、よく、東京郊外の、多摩(tama)川に釣りに行ったそうです(私の母は、全く、退屈で、つまらなかったそうですw)。ちなみに、私の実家は、(元々、私の母方の祖母の実家が、田舎の裕福な地主の家(第二次世界大戦後は、没落した)であったのですが)、私の母方の祖母が、見合いで、私の母方の祖父と結婚した際に(ちなみに、私の母方の祖母は、大学(まあ、当時は、その前身の高等教育機関でしたが)から東京に出て来ていました。私の母方の祖母は、私の母方の祖父と結婚してから、ずっと主婦をしていました)、私の母方の祖母の父(私の母方の曽祖父)が、当時、東京に保有していた不動産の一つ(敷地面積100坪程(約330平方m)の、庭がある、一戸建て住宅。当時の中流階級の、一戸建て住宅として、小さな方であったと思います)を、私の、母方の祖父母に与えた物です(現在の家の建物は、1960年代初め頃に(私の母が高校生の頃に)、建替えられた物です。現在は、時代に合わせて内装等が改装されて来ており、耐震補強もなされています)。
錦鯉(nishikigoi):観賞用に、養殖・品種改良された、日本の鯉の、総称。日本では、色鮮やかな、錦鯉(nishikigoi)は、庭園の池等で、多く見られる。錦鯉(nishikigoi)は、日本、及び、日本の美意識を象徴する魚として、日本の、国魚(国の魚)となっている。


私の母方の祖父は、東洋的な(日本的な)、風流人である一方で、西洋文化が好きな一面もあり、私の母方の祖父の好みに合わせて、私の実家の朝食は、西洋式でしたし、私の、母方の祖父は、食事は、どちらかと言えば、和食(日本料理)よりも、洋食(yoshoku)(日本で、近代以降、日本人の口に合う様に、(日本人の視点からすれば)改良された、西洋料理)・西洋料理の方が、好きな位でした。また、私の母方の祖父は、ウイスキー(whisky)が、好きで、毎晩、寝る前に、必ず、ウイスキー(whisky)を飲んでいました(前述の通り、私の母方の祖父は、つましかったので、いつも飲んでいたのは、Suntory(nikkaと共に、日本の、2大、ウイスキー(whisky)会社)の、「SUNTORY OLD」と言う、安い、大衆的な、ウイスキー(whisky)でしたが。。。)。


私が、子供の頃、私の母方の祖父は、家族(私の母方の祖母、私の両親、私、私の2歳年下の弟)を連れて、日光(nikko)(栃木(tochigi)県(東京圏の北端に位置する県)に位置する。箱根(hakone)(東京圏(東京圏の南部を占める県である、神奈川(kanagawa)県)の、南西端部に位置する)と並ぶ、東京近郊を代表するリゾート(resort)地・保養地・観光地・避暑地)の、金谷(kanaya)ホテル(日光(nikko)を代表する、歴史のある高級リゾート(resort)ホテル。1873年開業)に宿泊しに行く事もあったのですが、その際には、私の母は、私と私の弟に、フォーマルな服を着せました。

ちなみに、今は、時代の流れとして、昔程、服の使い分けがなされていない事と、リゾート(resort)と言う事もあり、高級リゾート(resort)ホテルに宿泊、又は、高級リゾート(resort)ホテルを利用する際にも、カジュアルな服で(普段着で)と言う場合も、少なくありません。


前述の通り、私の母方の祖父は、普段の生活は、つましかったですが、何故か、家族を(私の母方の祖父にとっては、妻、娘夫婦、孫)を、金谷(kanaya)ホテルに連れて行く事に関しては、気前が良かったです。ちなみに、日光(nikko)は、私の母方の祖父の、お気に入りの場所でした。

私の母方の祖父に関しては、以下の2つの投稿を参照して下さい。

芸者(geisha)・祖父の話他(私の父方の祖父の話も含みます)→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3658686/page/19?&sfl=membername&stx=nnemon2
旧朝香宮(asakanomiya)邸他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3658681/page/19?&sfl=membername&stx=nnemon2
小津 安二郎映画「晩春」他(参考の投稿・関連投稿)→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_2/view/id/3580708/page/3?&sfl=membername&stx=nnemon2



軽井沢(karuizawa)の万平(manpei)ホテルは、私の両親は、軽井沢(karuizawa)で、ゴルフ(golf)をするついでに、何度か宿泊した事がありますが(ちなみに、私の両親は、ゴルフ(golf)を趣味としていますが、私は、ゴルフ(golf)はしません)、私は、宿泊した事がありません(万平(manpei)ホテルは、別に、今でなくても良いけど(老人になってからでも良いので)、いつか、宿泊したいと思っています)。


伊豆(izu)半島(東京に近い、温暖で、風光明媚な(景色の美しい)リゾート(resort)地)の川奈(kawana)ホテルは、私の父は、一度、宿泊して、ゴルフ(golf)をした事がありますが、私は、宿泊した事がありません(川奈(kawana)ホテルも、いつか、宿泊したいと思っています)。



(この時、私達が宿泊した)富士屋(fujiya)ホテルは、私は、この時を、含めて6回、宿泊しています(この時、(我が家の近所の私の実家の)両親を連れて、箱根(hakone)の、富士屋(fujiya)ホテルに宿泊して来た時の、1回を除き、(残りの5回は)、全て、couple(女性と2人)で宿泊しています)。富士屋(fujiya)ホテルは、花御殿(hanagoten)、西洋館、本館に宿泊した事があります。また、菊華荘(kikkaso)(宿泊も可能)は、宿泊はした事がありませんが、食事はした事があります(その時は、富士屋(fujiya)ホテルに宿泊しないで、食事だけした)。


(亡くなった)私の母方の祖父母は、富士屋(fujiya)ホテルに宿泊した事がありましたが(母方の祖父母は夫婦で宿泊した事があり、母方の祖母に関しては、結婚前(子供の頃を含む)、母方の祖母の家族でも宿泊した事あり)、私の母は、その時まで、富士屋(fujiya)ホテルに宿泊した事がありませんでした。また、私の父は、その時まで、富士屋(fujiya)ホテルは、会社の研修で、一度、宿泊した事がありましたが、個人的な旅行で宿泊した訳ではないので、富士屋(fujiya)ホテルの雰囲気を、ゆっくりと味わう事は、全く、出来なかったそうです。その様な事から、去年の12月の初めに、両親を連れて、箱根(hakone)の、萬翠楼 福住(bansuiro fukuzumi)と言う、温泉旅館に宿泊して来た時に(その時、両親と旅行したのは、とても久しぶりでした)、弾みで(勢いで)、両親に、今度、富士屋(fujiya)ホテルに連れて行くと言ってしまった事が、この時の、両親を連れた、富士屋(fujiya)ホテルの宿泊に繋がりましたw 


ちなみに、前述の通り、上記の、私の、両親を連れた、萬翠楼 福住(bansuiro fukuzumi)に宿泊した旅行、及び、この時の、富士屋(fujiya)ホテルに宿泊した旅行の、宿泊費、食事代等は、両親の分を含めて、全て、私が支払っています。


富士屋(fujiya)ホテルは、箱根(hakone)を代表する、高級resortホテルの一つです。富士屋(fujiya)ホテルは、前身の温泉旅館時代も含めると(16世紀後半には、韓国では悪名が高い(悪い意味で有名な)、豊臣 秀吉(toyotomi hideyoshi)も宿泊しました)、14世紀末からの(600年以上もの)歴史を有する(近代的なリゾート(resort)ホテルに変わってからの歴史は、1878年から)、箱根(hakone)を代表する高級リゾート(resort)ホテルです(富士屋(fujiya)ホテルは、箱根(hakone)の仙石原(sengokuhara)地区に、箱根(hakone)で、最も古い歴史を有する(詳しくないのですが、少なくとも、現在営業されている箱根(hakone)のゴルフ場(golf course)の中では、最も古い)、ゴルフ場(golf course)(1917年開業)も有しています)。富士屋(fujiya)ホテルは、第2次世界大戦前には、日本国内のみならず、(日本以外の)東・東南アジア在住の欧米人富裕層の間でも、東洋有数のリゾート(resort)ホテルとして知られていました。富士屋(fujiya)ホテルには、今まで、孫文(Sun Yat-sen)(日本に2度、亡命し、亡命中は、日本の、実業家等から支援を受けて、裕福な暮らしをしていた)、チャーリー・チャップリン(Charlie Chaplin)、フランク・ロイド・ライト(Frank Lloyd Wright)、ヘレン・ケラー(Helen
Keller)、ジョン・レノン(John Lennon)・小野 洋子(ono yoko)夫妻等、世界的な著名人も訪れています。



以下、この時の初日(以下、この日と書きます)の続きで、「1878年からの歴史を有するリゾートホテル2」からの続きです。



写真以下7枚(前に、kjで、アップ(uplaod)した写真の、再利用)。富士屋(fujiya)ホテルのパンフレット(leaflet)から。。。



富士屋(fujiya)ホテルの敷地の地図。地図の左上の大きな建物は、フォレストロッジ(fo・restlodge)。地図の下側の建物は、左から順に(地図で色が濃く塗られている建物のみ)、花御殿(hanagoten)、西洋館、本館、主食堂(main dining room)の建物、道路を挟んで、菊華荘(kikkaso)です。菊華荘(kikkaso)は、1895年に建てられた物で、元々は、皇室(天皇の一族)の箱根(hakone)の別荘でしたが、1946年に、富士屋(fujiya)ホテルが敷地と共に譲り受け、富士屋(fujiya)ホテルの一部となりました。主に、富士屋(fujiya)ホテルの日本料理レストランとして使われています。この他、富士屋(fujiya)ホテルの広い敷地内にある、主な建物として、アイリーと言う建物(1884年に建てられた物で、現存する富士屋(fujiya)ホテルの建物の中では、最も古い物です。昔は、客室として使われていたみたいですが、現在は、文化財として、建物が保存されているだけ?の様です)とカスケードルーム(cascade room)の建物(1920年に建てられた建物で、宴会場のカスケードルーム(cascade room)(元は、ballroomとしても、使われていた)が入っています)があります。前述の通り、私は、今まで、富士屋(fujiya)ホテルは、この時を、含めて、6回宿泊していますが、富士屋(fujiya)ホテルの建物の内、本館、西洋館、花御殿(hanagoten)に宿泊した事があります(フォレストロッジ(fo・rest lodge)は、宿泊した事がありません)。また、菊華荘(kikkaso)(宿泊も可能)は、宿泊はした事がありませんが、食事はした事があります(その時は、富士屋(fujiya)ホテルに宿泊しないで、食事だけした)。





写真上。温泉の熱を利用した温室。昔、富士屋(fujiya)ホテルの庭の温室では、ワニ(鰐)を飼っていた事があるそうです。写真右上。富士屋(fujiya)ホテルの本館の、客室例等。富士屋(fujiya)ホテルの本館は、1891年に建てられた建物で、現在、宿泊可能な富士屋(fujiya)ホテル建物の中では、最も古い建物です。




富士屋(fujiya)ホテルのバー(bar)。





写真左下は、富士屋(fujiya)ホテルの室内温水プール(indoor swimming pool)。花御殿(hanagoten)の地下にある、富士屋(fujiya)ホテルの、(源泉かけ流しの温泉が使われている)モダン(modern)な室内温水プール(indoor swimming pool)は、日本で、第2次世界大戦前に作られ、現存し、実際に、まだ使われている、リゾート(resort)ホテルの、室内温水プール(indoor swimming pool)として、貴重な物となっています。この室内温水プール(indoor swimming  pool)は、富士屋(fujiya)ホテルの庭園内にある、屋外プール(outdoor swimming
pool)(夏のみ営業)と同様、富士屋(fujiya)ホテルの宿泊者は、無料で利用する事が出来ます。













写真左は、フォレストロッジ(fo・rest lodge)の客室例。フォレストロッジ(fo・rest lodge)は、1960年に建てられた建物です。富士屋(fujiya)ホテルの広い敷地内に建つ、主な建物の中で、最も新しい建物です。フォレストロッジ(fo・rest lodge)は、富士屋(fujiya)ホテルの建物の中では、最も、宿泊費が、安い建物となっています(おそらく。。。)。写真上は、西洋館の客室例。西洋館は、1906年に建てられた建物です。写真右下の、茶色い現代建築の建物は、フォレストロッジ(fo・rest lodge)です。1887年に建てられた、先代のフォレストロッジ(fo・rest lodge)の建物が取り壊された後、1960年に建てられた建物です。1964年の東京夏季Olympicsによる、箱根(hakone)への、外国人観光客の増加を見込んで(箱根(hakone)は、日光(nikko)と並ぶ、東京近郊を代表する観光地)、現代的(より時代に合い)且つ機能的な建物に建て替えられた建物と言う面もあるかもしれません。富士屋(fujiya)ホテルの広い敷地内に建つ、8つの主な建物の中で、最大級、且つ、最も新しい建物で、主に客室として使われています。他の富士屋(fujiya)ホテルの主な建物は、第2次世界大戦前に建てられた、(日本の伝統的な要素も多く取り入れられた)趣の有る近代建築の建物ですが(ただし、菊華荘(kikkaso)を除く。菊華荘(kikkaso)は、日本伝統式の建物)、戦後に建てられたフォレストロッジ(fo・rest lodge)の建物は、どちらかと言えば無機質な(つまらない)、現代建築の建物です。私は、まだ、フォレストロッジ(fo・rest lodge)の客室には、宿泊した事はありません。フォレストロッジ(fo・rest lodge)の客室は、全般的に、富士屋(fujiya)ホテルの他の建物の客室よりも、安く宿泊出来、且つ、享受するサービス(service)は、他の建物の客室に宿泊した場合と全く変わらないでしょうし、部屋の質も、他の建物の客室と比べて、遜色が無く、むしろ快適性においては、上回っている面もありそうな事から、比較的、気軽な気分で、富士屋(fujiya)ホテルの雰囲気を味わいたい場合に、宿泊するのに良さそうです。




富士屋(fujiya)ホテルの本館(1891年に建てられた建物で、主に、ロビー(Lobby)と客室として使われている。富士屋(fujiya)ホテルの玄関の役割を果たしている建物であると共に、現在、宿泊可能な富士屋(fujiya)ホテル建物の中では、最も古い建物)については、前回の投稿(上でリンクを付けた投稿、「1878年からの歴史を有するリゾートホテル2」)を、参照して下さい。



この時、私達は、富士屋(fujiya)ホテルの西洋館に宿泊しました。この時、富士屋(fujiya)ホテルの西洋館と、花御殿(hanagoten)、どちらに宿泊しようかと迷ったのですが、この時、富士屋(fujiya)ホテルに宿泊し、両親が、富士屋(fujiya)ホテルが良いと思ったら、両親だけで、ゆっくりと、富士屋(fujiya)ホテルの、花御殿(hanagoten)に宿泊しに行けば良いかなと思い、この時は、西洋館に宿泊する事にしました。ちなみに、西洋館は、私が初めて、富士屋(fujiya)ホテルに宿泊した時に、宿泊した建物です。富士屋(fujiya)ホテルの、花御殿(hanagoten)に関しては、次回の投稿(「1878年からの歴史を有するリゾートホテル4」 この投稿一番下でリンクを付けています)を、参照して下さい。




写真以下。この時、私達が宿泊した、富士屋(fujiya)ホテルの西洋館の建物。富士屋(fujiya)ホテルの、西洋館は、Comfy Lodge、Restful
Cottageと言う、二つの建物からなります。1906年に建てられた建物で、客室として使われています。西洋館とは言うものの、建物の外観には、日本の伝統的な要素が、多く取り入れられています。現存する宿泊可能な富士屋(fujiya)ホテル建物の中では、本館(1891年完成)、菊華荘(kikkaso)(1895年完成)に次いで、古い建物です。ちなみに、前々の投稿(上でリンクを付けた投稿、「1878年からの歴史を有するリゾートホテル1」)でも書きましたが、皇后美智子(Empress Michiko)(1934年生まれ。現在の、日本の、皇后(天皇の妻)。日本の、大規模食品会社の、創業者の一族(家族)の、家に生まれる。前々回の投稿を参照)は、独身時代、子供の頃から、家族で(両親と共に)、富士屋(fujiya)ホテルに、保養の為、よく宿泊しており、独身時代は、富士屋(fujiya)ホテルに、40回以上も、宿泊されていた様ですが、その際に、家族の、お気に入りで、よく宿泊していたのが、この、富士屋(fujiya)ホテルの西洋館の建物であった様です。ちなみに、上流階級の人達は、単純に、宿泊と言っても、私達の様な、庶民・中流層の、この様な、高級リゾート(resort)ホテルに、一泊して、ああ良かったと言うのではなく、おそらく、夏の避暑の為等に滞在する時は、一般的に、この様な、高級リゾート(resort)ホテルに、長期に渡って、滞在すると思います。










































写真以下。この時、私達が宿泊した、富士屋(fujiya)ホテルの、西洋館の客室。富士屋(fujiya)ホテルの、西洋館の客室で、最も、安いclassの客室に宿泊しました。富士屋(fujiya)ホテルの、客室、全般で見ても、宿泊費が、安いclassの客室です。この時、3人で(私、父、母)で、一つの客室に宿泊しました。私は、補助ベッド(bed)で寝ました(前述の通り、この時の、富士屋(fujiya)ホテルに宿泊した旅行の、宿泊費、食事代等は、両親の分を含めて、全て、私が支払っていますが、この時の旅行時の、両親は、私にとってのゲストと言う事でw)。まあ、2部屋、取れば、ゆったりと宿泊が出来ますが、そもそも、この時の、富士屋(fujiya)ホテルの宿泊は、両親を、箱根(hakone)の、萬翠楼 福住(bansuiro fukuzumi)に連れて行った事の、おまけと言った感じであったので、倹約をしました。まあ、この時、富士屋(fujiya)ホテルに宿泊し、両親が、富士屋(fujiya)ホテルが良いと思ったら、両親だけで、ゆっくりと、富士屋(fujiya)ホテルに宿泊しに行けば、良いかなと思ったので。。。(ちなみに、私よりも、両親の方が、遥かに(ずっと)、お金に、ゆとりがあります(お金を、たくさん、持っていますw))。ちなみに、皇后美智子(Empress Michiko)が、独身時代、家族で(両親と共に)、保養で、富士屋(fujiya)ホテルの、西洋館に宿泊する時は、当然、コネクティングルーム(2以上の、客室を繋げた客室)に宿泊するか、複数の客室を取って、宿泊していた様です。





客室の鍵。



















昔の建物なので、天井が高いです。










































写真以下。バスルーム(bathroom)。風呂の湯は、源泉かけ流しの温泉となっています。ちなみに、富士屋(fujiya)ホテルは、前身の温泉旅館(16世紀後半には、豊臣 秀吉(toyotomi hideyoshi)も宿泊)時代も含めると、14世紀末からの(600年以上もの)古い歴史を有する(近代的なリゾート(resort)ホテルに変わってからの歴史は、1878年から)、宿泊施設となっています。富士屋(fujiya)ホテルは、現在も、温泉の湯量が豊富な宿泊施設で、全ての客室の風呂には、源泉かけ流しの温泉が引かれています。















1878年からの歴史を有するリゾートホテル4へ続く。。。

1878年からの歴史を有するリゾートホテル4は、以下です。

1878年からの歴史を有するリゾートホテル4→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/3758981?&sfl=membername&stx=nnemon2

 


1878년부터의 역사를 가지는 리조트 호텔 3





기본적으로(참고의 투고를 바꿔 넣는 등 하고 있습니다), 2020년의 5월의 초순에 간 투고의 재게입니다.



이하, 참고의 투고.

오즈 야스지로 영화 「만춘」외→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_2/view/id/3580708/page/3?&sfl=membername&stx=nnemon2




이하의 투고의 계속입니다.

1878년부터의 역사를 가지는 리조트 호텔 1→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/3758985?&sfl=membername&stx=nnemon2
1878년부터의 역사를 가지는 리조트 호텔 2→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/3758984?&sfl=membername&stx=nnemon2



덧붙여서, 이하의 투고문으로, 「덧붙여서, 나보다, 부모님이, 훨씬 더(쭉), 돈에, 여유가 있어요(돈을, 많이, 가지고 있는 w)」라고 있어요가, 그것은, 겸손 표현인 일을 참작해 주세요.거기에 관계해서는, 이하의 2개의 투고를 참조해 주세요.뭐, 부모님은, 부모님으로, 제대로 한 안정된 자산을 쌓아 올리고 있는 일은, 확실합니다만.


이하, 참고의 투고.

행복하게 사는 방법→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3657538/page/20?&sfl=membername&stx=nnemon2
외가의 조모의 이야기→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3658687/page/19?&sfl=membername&stx=nnemon2



이하, 「」 안.위에서 링크를 붙인 2개의 투고와 합해 참고에, 기본적으로, 2020년의 5 월초의 나의 투고의 다른 분의 레스에 대한, 나의 레스로부터 발췌해 온 것입니다.


「이하, 나의 앞의 투고로부터 발췌해 온 것입니다.

나는, 작은 개인 사업을 영위하고 있습니다만, 회사도 개인도, 빚은, 일절 없습니다.

덧붙여서, 이하, 「」 안.나의 앞의 투고문보다....

「개인적으로, 마시는 치는 사는 것 동안, 치는 사고는 하지 않는 남자로, 나는 카바레식 클럽(kyabakura)(아래의 보충 설명 참조)·풍속에 가거나 갬블(파칭코나 경마)을 하는 타입의 남자가 아닙니다(개인적으로(어디까지나의 개인적으로), 그 님일에, 돈을 사용하는 일은, 보람 없는 돈을 사용하는 일이라고 생각해, 고로, 그 님일에, 돈을 사용하지 않는 주의입니다).
카바레식 클럽(kyabakura):나는, 옛부터(젊은 무렵부터), 카바레식 클럽(kyabakura)에는, 완전히, 흥미가 없고, 카바레식 클럽(kyabakura)은, 일의 거래처쪽과 도쿄도심의 번화가의, 카바레식 클럽(kyabakura)에, 몇 번인가, 방문한 일이 있다 뿐입니다(사생활에 대하고, 카바레식 클럽(kyabakura)을 방문할 생각에는, 전혀 되지 않습니다).」

다행스럽게, 나의 부모님은, 부모님으로, 제대로 한 안정된 자산을 쌓아 올리고 있어(우리 집의 부근의 나의 친가는, 보통 중류의 가정에서, 나의 부모님은, 적어도 표면적인 생활은 중류 그 자체로, 부자 세레부와 같은 생활을 하고 있는 것이 전혀 없습니다만), 부모님은, 지금까지 대로의, 부부 2명으로, 언제나(빈번히) 놀러 나와 거는 생활을, 지금부터 앞도, 건강하다 한정해, 쭉 계속해도, ( 부모님에게는, 훨씬 건강하고 장수해 주었으면 합니다만), 만일, 부모님이, 장래, 개호가 필요해, 개호 첨부의 양로원에 입주하는 일이 되어도, 그 만큼의 자금은, 나의 부모님은, 자신들의 자산만으로, 충분히 조달할 수가 있다고 생각합니다.그 점에 있어도, 나는, 풍족하다고 생각합니다.

덧붙여서, 우리 집의 부근의 친가의 나의 부모님(덧붙여서, 나의 부모님은, 서로 동년대입니다)이, 부부 2명으로, 언제나(빈번히) 놀러 나와 걸고 있다고 하는 일에 관해서, 이하, 「」 안.나의 앞의 투고문보다...

「우리 집의 부근의 나의 친가의 부모님은, 두 명모두, 고령자가 된, 지금도, 부부, 매우 사이가 좋고, 빈번히, 둘이서 놀러 나와 걸고 있습니다.나의 아버지는, 회사원입니다만, 현재, 반, 정년퇴직 상태로, 나의 부모님은, 연령적으로는 고령자중에서 젊은 연령입니다만, 부부로, 자주(잘) 두 명 공통의 취미의 골프하러 가고( 부모님은, 아직도, 부부로, 스키에도 갑니다), 부부로, 해외를 포함한, 장기 여행도, 잘 있어, 나의 아버지는, 일과 놀이를, 매우, 건강하게 계속 즐기고 있습니다.나는, 부모님의(뭐, 나의 어머니는, 나의 아버지와 결혼하고 나서, 쭉 주부입니다만...), 건강과 파워가(힘이), 부러운 정도입니다 w」

(도쿄도심부의 서부의 조용하고 침착한 주택지에 위치한다) 우리 집의 부근의, 나의 친가는, 부지면적 100평 정도( 약 330평방 m)의, 뜰이 있다, 독립주택입니다.나의 친가는, 원래, 나의 외가의 조부모의 집에서, 현재는, 부모님이, 그 집을 계승하고 있습니다(덧붙여서, 나의 어머니는, 독자입니다).원래는, 나의 외가의 조모의 아버지(시골의, 유복한 지주였다)가, 도쿄에 보유하고 있던 부동산의 하나인 것으로( 나의 외가의 조모의 아버지가, 나의 외가의 조모가 결혼했을 때에, 나의 외가의 조부모에게 준 것.당시의 중류 계급의 독립주택으로서 작은 분이었다고 생각합니다), 원래의 집의 건물은, 1920년대무렵?에 지어진, 일본 전통식의 주택의 건물이었다 님입니다만, 현재의 집의 건물은, 1960년대 초 무렵에, 개축물입니다(현재는, 내진 보강도 이루어지고 있어 시대에 맞추어 내장등도 개장되어 와있습니다).덧붙여서, 나의 외가의 조부도, 나의 외가의 조모도, 이미, 죽습니다.

덧붙여서, 우리 집은, 좁은 토지에 3층건물의(1층 부분의 반 정도가 주차장의), 거주 바닥 면적 30평( 약 100평방 m) 정도의 뜰이 없는, 지가가 비싼, 도쿄 중심부(도쿄 23구)의, 전형적인, 비교적, 새로운, 서민 전용의, 독립주택입니다.

상술한 대로, 나에게는, 형제 자매는, 2세 연하의 남동생이 한 명 있습니다.나의 남동생은, 외자계의 회사원으로, 이미, 결혼을 해, ( 아직, 두 명모두, 어립니다만) 아이가 2명 있어(사내 아이(위)가 1명으로 여자 아이(아래)가 1명), 남동생의 가족(아내·아이)과 함께, 도쿄의 서부 교외의, 조용하고 침착한 주택지에 산, 독립주택에, 살고 있습니다.

( 부모님에게는, 훨씬 건강하고 장수해 주었으면 하며, 부모님 모두 실제로 건강해서, 아직, 쭉 앞의 일이라고 생각합니다만), 장래, 부모님이 죽으면, 우리 집의 부근의 친가는, 이미 아이가 2명 있어서 안정된 가정을 쌓아 올리고 있는(보수적인 w) 나의 남동생( 나의 남동생의 가족)에게 양보하려고 생각합니다(실제로, 나의 남동생의 성격은, 옛부터(어릴 적부터), 신중하고 보수적입니다 w).나와 남동생은, 옛부터(어릴 적부터), 서로, 과간섭하지 않는, 적당한 거리감의, 개인주의입니다만, 그 때에, 만약, 남동생이, 부모님을 계승하고, 우리 집의 부근의 저희들의( 나와 남동생의) 친가에 살고 싶다고 한다면, 세금면등 , 나의 경제적인 원조를 남동생이 필요로 한다면 하고 싶습니다 (덧붙여서, 나의 자산에 관해서, 그 만큼의, 여유도 전망하고 있습니다).

라고 말하면, 나의 수입과 자산으로부터 말하고, 나는, 지금보다, 좀 더, (외식·여행에 돈을 사용하거나·물건을 사거나 한다) 물질적인 생활수준을 올려도, 여유입니다만, 나는, 지금보다, (외식·여행에 돈을 사용하거나·물건을 사거나 한다) 물질적인 생활수준을 올려도, 별로, 더 이상, 행복하게 된다고 생각되지 않기 때문에, 고의로(의도적으로), 물질적인 생활수준을 올리지 않은 채로 있습니다.그 일에 관련하고, 이하, 「」 안, 전의 kj의 다른 분의 투고의 나의 레스보다...

「라고 말하면, 나의 경우, (뭐 나기준의 금액이므로 대단한 물건이 전혀 아닙니다만), 정신차리고 보니(깨닫지 못한 동안에), 이렇게 돈이 모여 있었는지·돈이 자연과 어디에선가 솟아 나온 것은 아닐까 말한 일이, 자주(잘) 있어요 w」


이상, 앞에 간 투고로부터 발췌해 온 것이었습니다.」


나의 남동생에 관해서는, 이하의 투고를 참조해 주세요.

남동생의 이야기 전편→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3658265/page/19?&sfl=membername&stx=nnemon2
남동생의 이야기 후편→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3658264/page/19?&sfl=membername&stx=nnemon2




이하, 기본적으로는(참고의 투고를 더하는 등 하고 있습니다), 2016년의 12월에 간 투고의 재게로, 2016년의 2월의 마지막에, 부모님을 동반하고, 하코네(hakone)의, 후지야(fujiya) 호텔에 숙박해 왔을 때의 물건입니다.투고문은, 2016년 12월의 투고를 전제로 하고 있습니다.덧붙여서, 그 때의, 부모님의, 후지야(fujiya) 호텔의 인상이 좋았던 것 같아서, 부모님은, 그 때부터 지금까지, 2회, 부부로, 후지야(fujiya) 호텔에 숙박하고 있는 님입니다.


있다 정도, 전의 일입니다만, 2월의 마지막에, 부모님을 동반하고, 하코네(hakone)의, 후지야(fujiya) 호텔에 숙박해 왔을 때의 물건입니다.

나의 2세 연하의 남동생(도쿄의 서부 교외에 살고 있습니다)은, 이미, 결혼하고, 아이가 있고, 지금은, 육아에 바쁘기 때문에, 지금 단계, 이렇게 말하는 역할은, 나라고 하는 것으로...


실은, 작년의 12 월초에, 부모님을 동반하고, 하코네(hakone)의, 만취루후쿠스미(bansuiro fukuzumi)라고 말하는, 온천 여관에 숙박해 왔을 때에(그 때, 부모님과 여행한 것은, 매우 오래간만이었습니다.그 때의 일은, kj로, 업(uplaod) 하고 있습니다), 기세로, 부모님에게, 이번, 후지야(fujiya) 호텔에 데리고 간다고 해 버린 일이, 이 때의, 부모님을 동반한, 후지야(fujiya) 호텔의 숙박에, 연결되었던 w(지금부터, 약간, 당분간의 사이는, 부모님을 동반하고 여행하러 갈지 어떨지는, 잘 모릅니다 w).


덧붙여서, 작년의 12 월초의, 나의, 부모님을 동반한, 만취루후쿠스미(bansuiro fukuzumi)에 숙박한 여행, 및, 이 때의, 후지야(fujiya) 호텔에 숙박한 여행의, 숙박비, 식사비등은, 부모님의 몫을 포함하고, 모두, 내가 지불하고 있습니다.


작년의 12 월초에, 만취루후쿠스미(bansuiro fukuzumi)에 숙박해 왔을 때의 일은, 이하의 투고를, 참조해 주세요.

400년 가까운 역사를 가지는 온천 여관외 1→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_14/view/id/3746972/page/4?&sfl=membername&stx=nnemon2
400년 가까운 역사를 가지는 온천 여관외 2→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_14/view/id/3746971/page/4?&sfl=membername&stx=nnemon2
400년 가까운 역사를 가지는 온천 여관외 3→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_14/view/id/3746970/page/4?&sfl=membername&stx=nnemon2
400년 가까운 역사를 가지는 온천 여관외 4→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_14/view/id/3746969/page/4?&sfl=membername&stx=nnemon2
400년 가까운 역사를 가지는 온천 여관외 5→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_14/view/id/3746967/page/4?&sfl=membername&stx=nnemon2



(이 때, 저희들이 숙박한) 후지야(fujiya) 호텔이 있다, 하코네(hakone)(동경권(동경권의 남부를 차지하는 현인, 카나가와
(kanagawa) 현)의, 남서 단부에 위치합니다)(은)는, 닛코(nikko)(토치기(tochigi) 현(동경권의 북단에 위치하는 현)에 위치한다)과 대등한, 도쿄 근교를 대표하는 리조트(resort) 지·보양지·관광지·피서지입니다.덧붙여서, 하코네(hakone)는, 도쿄 근교를 대표하는 리조트(resort) 지·보양지·관광지·피서지이며, 나의 부모님은, 자주(잘), 하코네(hakone)에 방문하고 있고, 나도, 지금까지, 많이, 하코네(hakone)에 방문하고 있습니다.


덧붙여서, 동경권, 및, 그 주변에서, 제이차 세계대전전에 지어진, 낡은 건물인 채로, 현재도, 영업을 실시하고 있는, 역사가 있는, 고급 리조트(resort) 호텔은, 후지야(fujiya) 호텔 외에, 닛코(nikko.하코네(hakone)와 함께, 도쿄 근교를 대표하는 관광지·보양지·피서지)의, 카나야(kanaya) 호텔(닛코(nikko)를 대표하는, 역사가 있는 고급 리조트(resort) 호텔.1873년 개업), 카루이자와(karuizawa.동경권 주변을 대표하는, 피서 별장지·피서 보양지)의, 만평(manpei) 호텔(카루이자와(karuizawa)를 대표하는 고급 리조트(resort) 호텔의 하나.1894년 개업), 이즈(izu) 반도(도쿄에 가까운, 온난하고, 풍경 경치가 맑고 아름다움인(경치가 아름답다) 리조트(resort) 지)의, 카와나(kawana) 호텔(1936년 개업)이 있어요.


카나야(kanaya) 호텔(닛코(nikko)를 대표하는, 역사가 있는 고급 리조트(resort) 호텔.1873년 개업)은, 나는, 어릴 적, 나의 외가의 조부 에 이끌리고, ( 나의 외가의 조부모, 부모님, 남동생과 함께), 3회, 어른이 되고 나서 1회(여성과 2명으로의, couple로의 숙박)의
, 합계 4회, 숙박한 일이 있어요.나의 부모님은, 카나야(kanaya) 호텔은, 내가, 어릴 적에, 나의 외가의 조부( 나의 외가의 조부모) 에 이끌리고, 아이와 함께( 나와 나의 남동생과 함께), 3회, 숙박한 일이 있어요.


나의 외가의 조부는, 시골에서 태어나 도쿄의, 대학(뭐, 당시는, 그 전신의 고등교육 기관이었지만)을 졸업한 후, 제이차 세계대전까지는, 기사(기술자), 제이차 세계대전 후는, 회사원을 하고 있었습니다.나의 외가의 조부의 친가는, 유복하고 아라고 하는 이야기는 듣지 않고, 또, 일까하고 말하고, 궁핍했다고, 고학했다든가(금전면에서, 고생하고, 도쿄의, 대학을 졸업했다)라고 하는 이야기도 듣지 않았기 때문에, 뭐, 중류의 농가(중류의 농민의 집), 혹은, 회사원·공무원등의, 가정에서 만난 것은 아닐까요...


나의 외가의 조부는, 보수적이고, 견실, 성실하고, 생활은, 검소하고, 화려한 생활을 하는 일은, 좋아하지 않았습니다만, 무취미라고 말한 것은 아니고, 묵화(ink wash painting), 하이쿠(haiku)(일본의, 전통적인 시), 단가(tanka)(일본의, 전통적인 시), 한시(중국의, 전통적인 시), 낚시질을 취미로서 풍류인적인, 일면도 가지고 있었습니다.현재는, 옛날과 달리, 우리 집의 부근의, 나의 친가(원래, 나의 외가의 조부모의 집.현재는, 부모님이, 계승하며 살고 있다)의, 뜰의 연못에는, 비단잉어(nishikigoi)(아래의 보충 설명 참조) 밖에 헤엄치고 있지 않습니다만, 일찌기, 나의 친가의 뜰의 연못에는, 잉어, 금붕어 외에, 나에게 외가의 조부가 낚시해 온, 부나 초어(grass carp) 등이 있었습니다.나의 어머니는, 어릴 적은, 휴일에, 나의 외가의 조부 에 이끌리고, 전철을 타고, 자주(잘), 도쿄 교외의, 타마(tama) 강에 낚시하러 갔다고 합니다( 나의 어머니는, 완전히, 지루하고, 시시했다고 합니다 w).덧붙여서, 나의 친가는, (원래, 나의 외가의 조모의 친가가, 시골의 유복한 지주의 집(제이차 세계대전 후는, 몰락한)에서 만났습니다만), 나의 외가의 조모가, 맞선으로, 나의 외가의 조부와 결혼했을 때에(덧붙여서, 나의 외가의 조모는, 대학(뭐, 당시는, 그 전신의 고등교육 기관이었지만)에서 도쿄로 나와 있었습니다.나의 외가의 조모는, 나의 외가의 조부와 결혼하고 나서, 쭉 주부를 하고 있었습니다), 나의 외가의 조모의 아버지( 나의 외가의 증조부)가, 당시 , 도쿄에 보유하고 있던 부동산의 하나(부지면적 100평 정도( 약 330평방 m)의, 뜰이 있다, 독립주택.당시의 중류 계급의, 독립주택으로서 작은 분이었다고 생각합니다)를, 나의, 외가의 조부모에게 준 것입니다(현재의 집의 건물은, 1960년대 초 무렵에( 나의 어머니가 고교생의 무렵에), 개축물입니다.현재는, 시대에 맞추어 내장등이 개장되어 오고 있어 내진 보강도 이루어지고 있습니다).
비단잉어(nishikigoi):개구리 `마상용으로, 양식·품종 개량 된, 일본의 잉어의, 총칭.일본에서는, 선명한, 비단잉어(nishikigoi)는, 정원의 연못등에서, 많이 볼 수 있다.비단잉어(nishikigoi)는, 일본, 및, 일본의 미의식을 상징하는 물고기로서 일본의, 국어(나라의 물고기)가 되고 있다.


나의 외가의 조부는, 동양적인(일본적인), 풍류인인 한편으로, 서양 문화를 좋아하는 일면도 있어, 나의 외가의 조부의 취향에 맞추고, 나의 친가의 아침 식사는, 서양식였고, 나의, 외가의 조부는, 식사는, 어느 쪽일까하고 말하면, 일식(일본 요리)보다, 양식(yoshoku)(일본에서, 근대 이후, 일본인이 입맛에 맞는 것처럼, (일본인의 시점으로부터 하면) 개량된, 서양 요리)·서양 요리가, 좋아하는 정도였습니다.또, 나의 외가의 조부는, 위스키(whisky)가, 좋아하고, 매일 저녁, 자기 전에, 반드시, 위스키(whisky)를 마시고 있었던(상술한 대로, 나의 외가의 조부는, 검소했기 때문에, 언제나 마시고 있던 것은, Suntory(nikka와 함께, 일본의, 2대, 위스키(whisky) 회사)의, 「SUNTORY OLD」라고 하는, 싼, 대중적인, 위스키(whisky)였지만...).


내가, 어릴 적, 나의 외가의 조부는, 가족( 나의 외가의 조모, 나의 부모님, 나, 나의 2세 연하의 남동생)을 동반하고, 닛코(nikko)(토치기(tochigi) 현(동경권의 북단에 위치하는 현)에 위치한다.하코네(hakone)(동경권(동경권의 남부를 차지하는 현인, 카나가와(kanagawa) 현)의, 남서 단부에 위치한다)와 대등한, 도쿄 근교를 대표하는 리조트(resort) 지·보양지·관광지·피서지)의, 카나야(kanaya) 호텔(닛코(nikko)를 대표하는, 역사가 있는 고급 리조트(resort) 호텔.1873년 개업)에 숙박하러 가는 일도 있었습니다만, 그 때에는, 나의 어머니는, 나와 나의 남동생에게, 포멀한 옷을 입혔습니다.

덧붙여서, 지금은, 시대의 흐름으로서 석정, 옷의 사용구분이 이루어지지 않은 것과 리조트(resort)라고 하는 것도 있어, 고급 리조트(resort) 호텔에 숙박, 또는, 고급 리조트(resort) 호텔을 이용할 때에도, 캐쥬얼인 옷으로(평상복으로)라고 하는 경우도, 적지는 않습니다.


상술한 대로, 나의 외가의 조부는, 평상시의 생활은, 검소했습니다만, 왜일까, 가족을( 나의 외가의 조부에게 라고는, 아내, 딸(아가씨) 부부, 손자)를, 카나야(kanaya) 호텔에 데리고 가는 일에 관해서는, 기질이 좋았습니다.덧붙여서, 닛코(nikko)는, 나의 외가의 조부의, 마음에 드는 장소였습니다.

나의 외가의 조부에 관해서는, 이하의 2개의 투고를 참조해 주세요.

기생(geisha)·조부의 화외( 나의 아버지 쪽의 조부의 이야기도 포함합니다)→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3658686/page/19?&sfl=membername&stx=nnemon2
구아사카궁(asakanomiya) 저외→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3658681/page/19?&sfl=membername&stx=nnemon2
오즈 야스지로 영화 「만춘」외(참고의 투고·관련 투고)→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_2/view/id/3580708/page/3?&sfl=membername&stx=nnemon2



카루이자와(karuizawa)의 만평(manpei) 호텔은, 나의 부모님은, 카루이자와(karuizawa)에서, 골프(golf)를 하는 김에, 몇 번이나 숙박한 일이 있어요가(덧붙여서, 나의 부모님은, 골프(golf)를 취미로 하고 있습니다만, 나는, 골프(golf)는 하지 않습니다), 나는, 숙박한 일이 없습니다(만평(manpei) 호텔은, 별로, 지금이 아니어도 좋지만(노인이 되고 나서에서도 좋기 때문에), 언젠가, 숙박하고 싶습니다).


이즈(izu) 반도(도쿄에 가까운, 온난하고, 풍경 경치가 맑고 아름다움인(경치가 아름답다) 리조트(resort) 지)의 카와나(kawana) 호텔은, 나의 아버지는, 한 번, 숙박하고, 골프(golf)를 한 일이 있어요가, 나는, 숙박한 일이 없습니다(카와나(kawana) 호텔도, 언젠가, 숙박하고 싶습니다).



(이 때, 저희들이 숙박한) 후지야(fujiya) 호텔은, 나는, 이 때를, 포함해 6회, 숙박하고 있는(이 때, (우리 집의 부근의 나의 친가의) 부모님을 동반하고, 하코네(hakone)의, 후지야(fujiya) 호텔에 숙박해 왔을 때의, 1회를 제외해, (나머지의 5회는), 모두, couple(여성과 2명)로 숙박하고 있습니다).후지야(fujiya) 호텔은, 꽃저택(hanagoten), 서양관, 본관에 숙박한 일이 있어요.또, 국화장(kikkaso)(숙박도 가능)는, 숙박은 한 일이 없습니다만, 식사는 한 일이 있어요(그 때는, 후지야(fujiya) 호텔에 숙박하지 않고, 식사만 했다).


(죽은) 나의 외가의 조부모는, 후지야(fujiya) 호텔에 숙박한 일이 있었습니다만(외가의 조부모는 부부로 숙박한 일이 있어, 외가의 조모에 관해서는, 결혼전(어릴 적을 포함한다), 외가의 조모의 가족이라도 숙박한 일 있어), 나의 어머니는, 그 때까지, 후지야(fujiya) 호텔에 숙박한 일이 없었습니다.또, 나의 아버지는, 그 때까지, 후지야(fujiya) 호텔은, 회사의 연수로, 한 번, 숙박한 일이 있었습니다만, 개인적인 여행으로 숙박한 것은 아니기 때문에, 후지야(fujiya) 호텔의 분위기를, 천천히 맛보는 일은, 완전히, 할 수 없었다고 합니다.그 님일로부터, 작년의 12 월초에, 부모님을 동반하고, 하코네(hakone)의, 만취루 후쿠스미(bansuiro fukuzumi)라고 말하는, 온천 여관에 숙박해 왔을 때에(그 때, 부모님과 여행한 것은, 매우 오래간만이었습니다), 탄력으로(기세로), 부모님에게, 이번, 후지야(fujiya) 호텔에 데리고 간다고 해 버린 일이, 이 때의, 부모님을 동반한, 후지야(fujiya) 호텔의 숙박에 연결되었던 w 


덧붙여서, 상술한 대로, 상기의, 나의, 부모님을 동반한, 만취루후쿠스미(bansuiro fukuzumi)에 숙박한 여행, 및, 이 때의, 후지야(fujiya) 호텔에 숙박한 여행의, 숙박비, 식사비등은, 부모님의 몫을 포함하고, 모두, 내가 지불하고 있습니다.


후지야(fujiya) 호텔은, 하코네(hakone)를 대표하는, 고급 resort 호텔의 하나입니다.후지야(fujiya) 호텔은, 전신의 온천 여관 시대도 포함하면(16 세기 후반에는, 한국에서는 악명이 높은(나쁜 의미로 유명한), 도요토미 히데요시(toyotomi hideyoshi)도 숙박했습니다), 14 세기말로부터의(600년 이상의) 역사를 가지는(근대적인 리조트(resort) 호텔로 바뀌고 나서의 역사는, 1878년부터), 하코네(hakone)를 대표하는 고급 리조트(resort) 호텔입니다(후지야(fujiya) 호텔은, 하코네(hakone)의 센고쿠바라(sengokuhara) 지구에, 하코네(hakone)에서, 가장 오래된 역사를 가지는(자세하지 않습니다만, 적어도, 현재 영업되고 있는 하코네(hakone)의 골프장(golf course) 중(안)에서는, 가장 낡다), 골프장(golf course)(1917년 개업)도 가지고 있습니다).후지야(fujiya) 호텔은, 제2차 세계대전전에는, 일본내 뿐만 아니라, (일본 이외의) 동쪽·동남아시아 거주의 구미인 부유층의 사이에서도, 동양 유수한 리조트(resort) 호텔로서 알려져 있었습니다.후지야(fujiya) 호텔에는, 지금까지, 손문(Sun Yat-sen)(일본에 2도, 망명해, 망명중은, 일본의, 실업가등으로부터 지원을 받고, 유복한 생활을 하고 있던), 찰리·채플린(Charlie Chaplin), 프랭크·로이드·라이트(Frank Lloyd Wright), 헬렌·켈러(Helen
Keller), 존·레넌(John Lennon)·오노 요코(ono yoko) 부부등 , 세계적인 저명인도 방문하고 있습니다.



이하, 이 때의 첫날(이하, 이 날이라고 씁니다)의 계속으로, 「1878년부터의 역사를 가지는 리조트 호텔 2」로부터의 계속입니다.



사진 이하 7매(전에, kj로, 업(uplaod) 한 사진의, 재이용).후지야(fujiya) 호텔의 팜플렛(leaflet)으로부터...



후지야(fujiya) 호텔의 부지의 지도.지도의 좌상의 큰 건물은, 포레스트 로지(fo·restlodge).지도의 아래 쪽의 건물은, 왼쪽에서 순서에(지도에서 색이 진하게 칠해지고 있는 건물만), 꽃저택(hanagoten), 서양관, 본관, 주식당(main dining room)의 건물, 도로를 사이에 두고, 국화장(kikkaso)입니다.국화장(kikkaso)은, 1895년에 지어진 것으로, 원래는, 황실(천황의 일족)의 하코네(hakone)의 별장이었지만, 1946년에, 후지야(fujiya) 호텔이 부지와 함께 양도해 후지야(fujiya) 호텔의 일부가 되었습니다.주로, 후지야(fujiya) 호텔의 일본 요리 레스토랑으로서 사용되고 있습니다.이 외, 후지야(fujiya) 호텔의 넓은 부지내에 있다, 주된 건물로서 아이리라고 하는 건물(1884년에 지어진 것으로, 현존 하는 후지야(fujiya) 호텔의 건물 중(안)에서는, 가장 낡은 것입니다.옛날은, 객실로서 사용되어서 손상되고 싶습니다만, 현재는, 문화재로서 건물이 보존되고 있을 뿐?의 님입니다)와 캐스케이드 룸(cascade room)의 건물(1920년에 지어진 건물에서, 연회장의 캐스케이드 룸(cascade room)(원래는, ballroom라고 해도, 사용되고 있었다)가 들어가 있습니다)가 있어요.상술한 대로, 나는, 지금까지, 후지야(fujiya) 호텔은, 이 때를, 포함하고, 6회 숙박하고 있습니다만, 후지야(fujiya) 호텔의 건물중, 본관, 서양관, 꽃저택(hanagoten)에 숙박한 일이 있어요(포레스트 로지(fo·rest lodge)는, 숙박한 일이 없습니다).또, 국화장(kikkaso)(숙박도 가능)는, 숙박은 한 일이 없습니다만, 식사는 한 일이 있어요(그 때는, 후지야(fujiya) 호텔에 숙박하지 않고, 식사만 했다).





사진상.온천의 열을 이용한 온실.옛날, 후지야(fujiya) 호텔의 뜰의 온실에서는, 악어(악)를 기르고 있던 일이 있다 그렇습니다.사진 우상.후지야(fujiya) 호텔의 본관의, 객실예등.후지야(fujiya) 호텔의 본관은, 1891년에 지어진 건물에서, 현재, 숙박 가능한 후지야(fujiya) 호텔 건물 중(안)에서는, 가장 낡은 건물입니다.




후지야(fujiya) 호텔의 바(bar).





사진 좌하는, 후지야(fujiya) 호텔의 실내 온수 풀(indoor swimming pool).꽃저택(hanagoten)의 지하에 있는, 후지야(fujiya) 호텔의, (원천 내기 흘려 보내기의 온천이 사용되고 있다) 모던(modern)인 실내 온수 풀(indoor swimming pool)는, 일본에서, 제2차 세계대전전에 만들어져 현존 해, 실제로, 아직 사용되고 있는, 리조트(resort) 호텔의, 실내 온수 풀(indoor swimming pool)로서 귀중한 것이 되고 있습니다.이 실내 온수 풀(indoor swimming pool)는, 후지야(fujiya) 호텔의 정원내에 있는, 옥외 풀(outdoor swimming
pool)(여름만 영업)와 같이, 후지야(fujiya) 호텔의 숙박자는, 무료로 이용할 수가 있습니다.













사진왼쪽은, 포레스트 로지(fo·rest lodge)의 객실예.포레스트 로지(fo·rest lodge)는, 1960년에 지어진 건물입니다.후지야(fujiya) 호텔의 넓은 부지내에 세운다, 주된 건물 중(안)에서, 가장 새로운 건물입니다.포레스트 로지(fo·rest lodge)는, 후지야(fujiya) 호텔의 건물 중(안)에서는, 가장, 숙박비가, 싼 건물이 되고 있습니다(아마...).사진상은, 서양관의 객실예.서양관은, 1906년에 지어진 건물입니다.사진 우하의, 갈색 현대 건축의 건물은, 포레스트 로지(fo·rest lodge)입니다.1887년에 지어진, 선대의 포레스트 로지(fo·restlodge)의 건물이 해체된 후, 1960년에 지어진 건물입니다.1964년의 도쿄 하계 Olympics에 의한, 하코네(hakone)에의, 외국인 관광객의 증가를 전망해(하코네(hakone)는, 닛코(nikko)와 대등한, 도쿄 근교를 대표하는 관광지), 현대적(보다 시대에 맞아) 한편 기능적인 건물에 다시 세워진 건물이라고 하는 면도 있을지도 모릅니다.후지야(fujiya) 호텔의 넓은 부지내에 세우는, 8의 주된 건물 중(안)에서, 최대급, 한편, 가장 새로운 건물에서, 주로 객실로서 사용되고 있습니다.다른 후지야(fujiya) 호텔의 주된 건물은, 제2차 세계대전전에 지어진, (일본의 전통적인 요소도 많이 받아들여진) 정취가 있는 근대 건축의 건물입니다만(다만, 국화장(kikkaso)을 제외한다.국화장(kikkaso)은, 일본 전통식의 건물), 전후에 지어진 포레스트 로지(fo·rest lodge)의 건물은, 어느 쪽일까하고 말하면 무기질인(시시하다), 현대 건축의 건물입니다.나는, 아직, 포레스트 로지(fo·restlodge)의 객실에는, 숙박한 일은 없습니다.포레스트 로지(fo·rest lodge)의 객실은, 전반적으로, 후지야(fujiya) 호텔의 다른 건물의 객실보다, 싸게 숙박 할 수 있어 한편, 향수하는 서비스(service)는, 다른 건물의 객실에 숙박했을 경우와 전혀 다르지 않을 것입니다 해, 방의 질도, 다른 건물의 객실과 비교해서, 손색이 없고, 오히려 쾌적성에 대해서는, 웃돌고 있는 면도 있을 것 같은 일로부터, 비교적, 가벼운 기분으로, 후지야(fujiya) 호텔의 분위기를 맛보고 싶은 경우에, 숙박하는데 좋을 것 같습니다.




후지야(fujiya) 호텔의 본관(1891년에 지어진 건물에서, 주로, 로비(Lobby)와 객실로서 사용되고 있다.후지야(fujiya) 호텔의 현관의 역할을 이루어 있는 건물임과 동시에, 현재, 숙박 가능한 후지야(fujiya) 호텔 건물 중(안)에서는, 가장 낡은 건물)에 대해서는, 전회의 투고(위에서 링크를 붙인 투고, 「1878년부터의 역사를 가지는 리조트 호텔 2」)를, 참조해 주세요.



이 때, 저희들은, 후지야(fujiya) 호텔의 서양관에 숙박했습니다.이 때, 후지야(fujiya) 호텔의 서양관과 꽃저택(hanagoten), 어느 쪽으로 숙박할까하고 헤매었습니다만, 이 때, 후지야(fujiya) 호텔에 숙박해, 부모님이, 후지야(fujiya) 호텔이 좋다고 했더니, 부모님만으로, 천천히, 후지야(fujiya) 호텔의, 꽃저택(hanagoten)에 숙박하러 가면 좋을까라고 생각해, 이 때는, 서양관에 숙박하는 일로 했습니다.덧붙여서, 서양관은, 내가 처음으로, 후지야(fujiya) 호텔에 숙박했을 때에, 숙박한 건물입니다.후지야(fujiya) 호텔의, 꽃저택(hanagoten)에 관해서는, 다음 번의 투고( 「1878년부터의 역사를 가지는 리조트 호텔 4」이 투고 맨 밑에서 링크를 붙이고 있습니다)를, 참조해 주세요.




사진 이하.이 때, 저희들이 숙박한, 후지야(fujiya) 호텔의 서양관의 건물.후지야(fujiya) 호텔의, 서양관은, ComfyLodge, Restful
Cottage라고 말하는, 두 개의 건물로부터 됩니다.1906년에 지어진 건물에서, 객실로서 사용되고 있습니다.서양관이라고는 말하지만, 건물의 외관에는, 일본의 전통적인 요소가, 많이 받아들여지고 있습니다.현존 하는 숙박 가능한 후지야(fujiya) 호텔 건물 중(안)에서는, 본관(1891년 완성), 국화장(kikkaso)(1895년 완성)에 이어, 낡은 건물입니다.덧붙여서, 전전의 투고(위에서 링크를 붙인 투고, 「1878년부터의 역사를 가지는 리조트 호텔 1」)에서도 썼습니다만, 황후 미치코(Empress Michiko)(1934 년생.현재의, 일본의, 황후(천황의 아내).일본의, 대규모 식품 회사의, 창업자의 일족(가족)의, 집에서 태어난다.전전번의 투고를 참조)는, 독신 시대, 어릴 적부터, 가족으로( 부모님과 함께), 후지야(fujiya) 호텔에, 보양 (위해)때문에, 자주(잘) 숙박하고 있어, 독신 시대는, 후지야(fujiya) 호텔에, 40회 이상이나, 숙박되고 있던 님입니다만, 그 때에, 가족의, 마음에 드는 것으로, 자주(잘) 숙박하고 있던 것이, 이, 후지야(fujiya) 호텔의 서양관의 건물인 님입니다.덧붙여서, 상류계급의 사람들은, 단순하게, 숙박이라고 말해도, 저희들과 같은, 서민·중류층의, 이와 같은, 고급 리조트(resort) 호텔에, 일박하고, 아 좋았다고 말하는 것이 아니라, 아마, 여름의 피서이기 때문에 등에 체재할 때는, 일반적으로, 이와 같은, 고급 리조트(resort) 호텔에, 장기에 걸치고, 체재한다고 생각합니다.










































사진 이하.이 때, 저희들이 숙박한, 후지야(fujiya) 호텔의, 서양관의 객실.후지야(fujiya) 호텔의, 서양관의 객실에서, 가장, 싼 class의 객실에 숙박했습니다.후지야(fujiya) 호텔의, 객실, 전반으로 봐도, 숙박비가, 싼 class의 객실입니다.이 때, 3명이서(사, 아버지, 어머니)로, 하나의 객실에 숙박했습니다.나는, 보조 침대(bed)에서 잤던(상술한 대로, 이 때의, 후지야(fujiya) 호텔에 숙박한 여행의, 숙박비, 식사비등은, 부모님의 몫을 포함하고, 모두, 내가 지불하고 있습니다만, 이 때의 여행시의, 부모님은, 나에게 있어서의 게스트라고 하는 것으로 w).뭐, 2 방, 취하면, 느긋하게 숙박을 할 수 있습니다만, 원래, 이 때의, 후지야(fujiya) 호텔의 숙박은, 부모님을, 하코네(hakone)의, 만취루 후쿠스미(bansuiro fukuzumi)에 데려서 간 일의, 덤이라고 한 느낌이었으므로, 검약을 했습니다.뭐, 이 때, 후지야(fujiya) 호텔에 숙박해, 부모님이, 후지야(fujiya) 호텔이 좋다고 했더니, 부모님만으로, 천천히, 후지야(fujiya) 호텔에 숙박하러 가면, 좋을까라고 생각했으므로...(덧붙여서, 나보다, 부모님이, 훨씬 더(쭉), 돈에, 여유가 있어요(돈을, 많이, 가지고 있는 w)).덧붙여서, 황후 미치코(Empress Michiko)가, 독신 시대, 가족으로( 부모님과 함께), 보양으로, 후지야(fujiya) 호텔의, 서양관에 숙박할 때는, 당연, 커넥팅 룸(2이상의, 객실을 연결한 객실)에 숙박하는지, 복수의 객실을 잡고, 숙박하고 있던 님입니다.





객실의 열쇠.



















옛 건물이므로, 천정이 높습니다.










































사진 이하.욕실(bathroom).목욕탕의 뜨거운 물은, 원천 내기 흘려 보내기의 온천이 되고 있습니다.덧붙여서, 후지야(fujiya) 호텔은, 전신의 온천 여관(16 세기 후반에는, 도요토미 히데요시(toyotomi hideyoshi)도 숙박) 시대도 포함하면, 14 세기말로부터의(600년 이상의) 오래된 역사를 가지는(근대적인 리조트(resort) 호텔로 바뀌고 나서의 역사는, 1878년부터), 숙박시설이 되고 있습니다.후지야(fujiya) 호텔은, 현재도, 온천의 탕수의 양이 풍부한 숙박시설로, 모든 객실의 목욕탕에는, 원천 내기 흘려 보내기의 온천이 끌리고 있습니다.















1878년부터의 역사를 가지는 리조트 호텔 4에 계속 된다...

1878년부터의 역사를 가지는 리조트 호텔 4는, 이하입니다.

1878년부터의 역사를 가지는 리조트 호텔 4→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/3758981?&sfl=membername&stx=nnemon2



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