うちの町内

 

 

 

 

1月の下旬、個人的に休みであった日(以下、この日と書きます)に、横浜を散歩して来た物です。

 

 

この日、我が家で食べた昼食は、普段、働いている日に食べている朝食(パン、シリアル(cereal)、野菜サラダ(salad)、3種類程の果物、牛乳、ジュース(juice)、ヨーグルト(yoghurt))と同じでした。

 

 

写真以下11枚は、おまけと言った感じの物で、横浜とは関係ありません。

 

 

写真以下10枚。この日、電車(地下鉄・通勤電車)で、横浜に向かう途中、表参道(omotesando)・青山(aoyama)areaに寄って、撮影した、「子供の城(castle)」の建物の写真等。

 

 

 

写真右側の建物は、「子供の城(castle)」の隣にある、国際連合大学(United Nations University)の本部の建物。設計は、丹下 健三(tange kenzo)。国際連合(United Nations)の機関の一つの、本部の建物ですが、(何か、重要な事をしていたら、申し訳ありませんが)、まあ、日本の税金の、無駄遣いの様な、イメージの建物ですw

 

 

 

 

 

写真以下8枚。「子供の城(castle)」の建物。「子供の城(castle)」は、青山(aoyama)area(東京の代表的な、高級商業地の一つ)にある、1985年に開館した(建物も、1985年に建てられた物です)、日本の、国立(国営)の、子供の為の、遊戯・その他の施設です。建物・施設の老朽化、(少子化に伴い、又、東京disney resort等の、私営の遊戯施設に押されて)利用者が減少した事、国の予算削減等を理由として、国は、2月1日に、「子供の城(castle)」を閉館しました。跡地の利用は、まだ決まっていない様ですが、何れにしても、(元)「子供の城(castle)」の建物は取り壊されてしまう可能性は、ある程度、高いと思います。子供の頃、訪れていた施設・建物がなくなってしまうのは、少し寂しいですね。

 

 

 

 

写真以下8枚。「子供の城(castle)」の建物。1985年完成。設計は、山下(yamashi・ta)設計(日本の、建築設計会社(建築設計事務所))。「子供の城(castle)」の閉館に伴い、近い将来、取り壊されて、別の建物が建つ可能性は、ある程度、高いです(まあ、改装されて、別の用途の建物をして利用される可能性も、少しはあると思いますが。。。)。

 

 

 

写真左側。「子供の城(castle)」の建物。

 

 

 

 

 

写真以下7枚。「子供の城(castle)」の建物。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下4枚。「子供の城(castle)」の建物の前にある彫刻。岡本 太郎(okamoto taro)(下の補足説明参照)の、現代美術作品、「こどもの樹(子供の樹)」(1985年)。
岡本 太郎(okamoto taro):1911年生まれ。1996年に亡くなる。1930年代から1990年代半ば(主として1950年代から1980年代)に活躍した、日本の有名な現代美術artist。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真右側。「子供の城(castle)」の隣にある、国際連合大学(United Nations University)の本部の建物。

 

 

 

 

 

ちなみに、「子供の城(castle)」の建物と、国際連合大学(United Nations University)の本部の向かいには、東京の、比較的、有名な、私立大学の一つ、青山学院(aoyama gakuin)大学(19世紀後期に創立)があります。「子供の城(castle)」も、青山学院(aoyama gakuin)大学も、青山(aoyama)areaにありますが、私が暮らす、渋谷(shibuya)区(東京都心部の、西部に位置する区)に位置しています(青山(aoyama)areaは、基本的に、港(minato)区(東京都心部でも、中心的な地域の南部に位置する区。渋谷(shibuya)区の中部から南部の東部に隣接している)の北西部(渋谷(shibuya)区の中部の東部に隣接している)に位置していますが、渋谷(shibuya)区の中部の東部(港(minato)区の青山(aoyama)areaに隣接する地域)の一部も、青山(aoyama)areaに含まれます)。私の実家(元々、私の母方の祖父母の家。現在は、両親が、引き継いで暮らしている)は、我が家の近所にあるのですが、私の母方の祖母と、私の母は、青山学院(aoyama gakuin)大学を卒業しています。もう一つ、ちなみに、この辺りには、(現在は、建物が建替えられて、前と、雰囲気が、変わってしまいましたが)、紀ノ国屋(kinokuniya)(1910年創業。東京圏に店舗を展開する、日本の、高級マート)の本店があります。私の、実家は、裕福な家庭では、全くなく、普通の、中流の家庭なので、紀ノ国屋(kinokuniya)の本店は、極、日常的には、利用していませんでしたが(と言うか、極、日常的には、利用出来ませんでしたが)、私の母は、ちょっと、質の良い物を、食べたい時・買いたい時には、紀ノ国屋(kinokuniya)の本店に、買い物に行っていました(今は、私の母は、紀ノ国屋(kinokuniya)の本店は、前程は、利用していないんじゃないかな。。。(前程は、利用していないのではないのかな。。。)。よく分からないけど。。。)。

 

 

 

 

これは、参考に、借り物写真ですが、東京都心部でも、中心的な地域の、南西部に位置する、赤坂(akasaka)areaにある、赤坂(akasaka)prince hotelの、先代の、新館の建物(1982年完成)。設計は、丹下 健三(tange kenzo)(下の補足説明、参照)。この、赤坂(akasaka)prince hotelの、先代の、新館の建物は、建物の老朽化による、競争力の低下を理由として(ビルの建物に、欠陥があった訳では、全くなく(全く、正常な、超高層ビルの建物であった)、単純に、ホテルを経営する会社が、赤坂(akasaka)prince hotelの建物を、補修・改装しながら使い続けるよりも、建て替えてしまった方が、儲かると考えた為)、2011年3月31日に閉館し、その後、取り壊されてしまいました(現在、赤坂(akasaka)prince hotelは、建物の建て替え工事中です。建て替え後の、イメージ図を見る限り、個人的には、新しい建物よりも、この、既に取り壊されてしまった、丹下 健三(tange kenzo)が設計した、赤坂(akasaka)prince hotelの、先代の、新館の建物のデザイン(design)の方が、個性的で良いと思いますし、好きです)。完成してから、わずか、30年程で、取り壊されてしまった、赤坂(akasaka)prince hotelの、先代の、新館の建物、同様、「子供の城(castle)」の建物も、完成してから、わずか30年程で、取り壊されて、別の建物が建つ可能性は、ある程度、高いです。まあ、資金力がある場合や、(大きな、お金が動く)東京都心の一等地の場合等は、経済(利益)を考えれば、老朽化した建物を、補修・改装しながら使い続けるよりも、より、効率の良い、利益を生み出す、最新の建物に建て替えてしまった方が、効率が良い(より、利益を生み出す)のかもしれませんが、地球規模での資源を考えた場合、何だか、無駄なような気がします。
丹下 健三(tange kenzo):日本の世界最高水準の建築家の一人。1950年代から、亡くなる近くまで活躍。日本人建築家の中で、初めて世界に名が知られた建築家であると供に、1960年代に、日本を、現代建築設計の分野において、世界最高水準の国の一つに、引き上げた人物として知られています。1913年に生れ、90歳以上生きて、2005年に、亡くなりました。

 

 

 

 

以上で、おまけは、終わり。。。以下、投稿の本文(「横浜散歩&食べ物」)に入ります。

 

 

 

 

横浜は、東京areaの海の玄関口(gateway)となっている大きな港町です。私は、横浜は、仕事の用事でも、よく訪れますが、横浜の港町の雰囲気が好きで、休日にも、よく遊びに行きます。

 

 

この日の昼食は、KIHACHI(東京圏を拠点に店舗を展開する、熊谷 喜八(kumagai kihachi)(1946年生まれ。日本の有名なシェフ(chef)の一人)のレストラン・西洋菓子店)の、横浜の、みなとみらい(minatomirai)地区の、レストランで食べました。

 

写真以下4枚。横浜の、みなとみらい(minatomirai)地区の風景例。。。前に、kjで、アップ(upload)した写真の、再利用。みなとみらい(minatomirai)地区は、横浜の都心部の海沿いの地区の一つで、横浜の都心部で、最も、新しく開発された(1980年代から開発された(本格的な開発は、1980年代後半から))、横浜の都心部の新しい住商複合地区です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真の建物は、横浜の、みなとみらい(minatomirai)地区にある、横浜美術館。横浜美術館(1989年開館)は、横浜市が運営する、美術関連施設の一つで、規模の大きな、公立の美術館です。

 

 

 

 

 

 

写真以下3枚は、参考に。。。横浜美術館で、現在開催中の、ジェームズ・アボット・マクニール・ホイッスラー(James Abbott McNeill Whistler)(下の補足説明参照)の、展覧会(exhibition)の、チラシ(leaflet)。この展覧会(exhibition)は、去年の9月から11月にかけて、京都(日本の西部にある大都市で、794年から19世紀半ばまで、長らく日本の首都で有った大都市。日本の伝統文化の中心都市であると共に、日本の、芸術・文化・教育の中心都市の一つ)の、京都国立近代美術館(京都にある、日本の国立の、博物館・美術館の一つで、近代美術を中心とした美術館)で行われていた、ジェームズ・アボット・マクニール・ホイッスラー(James Abbott McNeill Whistler)の展覧会(exhibition)が、横浜美術館に巡回して来た物です。この、京都国立近代美術館と横浜美術館の、ジェームズ・アボット・マクニール・ホイッスラー(James Abbott McNeill Whistler)の展覧会(exhibition)は、日本では、27年ぶりの、世界では、20年ぶりの、ジェームズ・アボット・マクニール・ホイッスラー(James Abbott McNeill Whistler)の展覧会(exhibition)である様です。

ジェームズ・アボット・マクニール・ホイッスラー(James Abbott McNeill Whistler):
ジェームズ・アボット・マクニール・ホイッスラー(James Abbott McNeill Whistler)(1834年生まれ。1903年に亡くなる)は、イギリスの、ロンドンと、フランスの、パリ(Paris)を拠点に、19世紀後半に活躍した、アメリカ出身の有名な画家です。歴史的に、世界的に有名な画家ですが、ピカソ(Pablo Picasso)、ゴッホ(Vincent van Gogh)、ルノワール(Renoir)、セザンヌ(Paul Cezanne)、マネ(Edouard Manet)、モネ(Claude Monet)と言った画家達よりかは、有名ではありません。ちなみに、ジェームズ・アボット・マクニール・ホイッスラー(James Abbott McNeill Whistler)は、他の、同時代の、多くの、西洋の、有名な画家達と同様、日本の、浮世絵(ukiyoe)(日本の17世紀から19世紀の、大衆向けの版画・大衆向けの絵)に影響を受けており、浮世絵(ukiyoe)は、ジェームズ・アボット・マクニール・ホイッスラー(James Abbott McNeill Whistler)の画風に、強い影響を与えた物の一つとなっています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この展覧会(exhibition)は、この週の、前の週に、(個人的に休みであった日に)、横浜に、遊びに訪れて、見ました。

 

 

 

 

この日の昼食は、前述の通り、KIHACHI(東京圏を拠点に店舗を展開する、熊谷 喜八(kumagai kihachi)(1946年生まれ。日本の有名なシェフ(chef)の一人)のレストラン・西洋菓子店)の、横浜の、みなとみらい(minatomirai)地区の、レストランで食べました。ちなみに、熊谷 喜八(kumagai kihachi)は、元々、湘南(syonan)(東京都心部方面から見て、横浜の向こう側(反対側)に隣接するareaであり、東京areaに暮らす人々にとって、最も身近な、東京近郊のビーチリゾート(beach resort)地)の、葉山(hayama)の、フランス料理・西洋料理レストランで、料理長を、務めていた方です。

 

KIHACHIの、横浜の、みなとみらい(minatomirai)地区の、レストランは、Queen’s Square(みなとみらい(minatomirai)地区にある、shopping mallの一つ)に入っています。

 

 

写真以下4枚。Queen’s Square(みなとみらい(minatomirai)地区にある、shopping mallの一つ)の、風景例。ちなみに、横浜の、みなとみらい(minatomirai)地区には、私が、知る限り、Queen’s Squareを含み、5つのショッピングモール(shopping mall)があります。

 

 

写真以下2枚。地下鉄駅付近。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下2枚は、前に、kjでアップ(upload)した写真の、再利用。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下6枚。KIHACHI(東京圏を拠点に店舗を展開する、熊谷 喜八(kumagai kihachi)(1946年生まれ。日本の有名なシェフ(chef)の一人)のレストラン・西洋菓子店)の、横浜の、みなとみらい(minatomirai)地区の、レストランで食べた、この日の昼食。横浜美術館で、現在開催中の、ジェームズ・アボット・マクニール・ホイッスラー(James Abbott McNeill Whistler)の、展覧会(exhibition)に因んだ、ジェームズ・アボット・マクニール・ホイッスラー(James Abbott McNeill Whistler)の、白いドレス(dress)を着た女性を描いた絵画作品をイメージした、昼食メニュー(menu)を食べました。全て、一人一皿ずつです(写真は、一人分)。これに、レストラン自家製の、フォカッチャ(focaccia)が付きます。

 

 

写真以下2枚。前菜。鶏のササミ肉(鶏肉の、胸肉に近接した、脂肪が少ない部位)の、フリット(揚げ物)。トマト(tomato)味噌ソース(sauce)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下2枚。パスタ(pasta)。蟹(タラバ蟹)と、マッシュルーム(mushroom)と、カリフラワー(cauliflower)の、ペペロンチーノ(aglio, olio e peperoncino)。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下2枚。デザート(dessert)。黒豆のティラミス(tiramisu)、ミルク(milk)ジェラート(gelato)添え。抹茶(緑茶・green tea)の、香り。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この日は、元々、まだ訪れた事がなく、前から、ほんの少し気になっている、三菱(mitsubishi)みなとみらい(minatomirai)技術館(下の補足説明参照)を訪れようと思っていたのですが、昼食を食べている間に、気が変わり、横浜の、中華街(chinatown)に移動し、中華街(chinatown)の、茶館(中国式の、cafe・喫茶店)で、のんびりと、中国茶を飲む事にしました。
三菱(mitsubishi)みなとみらい(minatomirai)技術館:横浜の、みなとみらい(minatomirai)地区にある、三菱(mitsubishi)重工業(日本の、大規模、重工業会社の一つで、旧(かつての)三菱(mitsubishi)財閥系の会社の一つ)が運営している、科学技術をテーマとした、展示館・博物館。

 

 

 

写真以下9枚。横浜の中華街(chinatown)の、風景例。前に、kjで、アップ(upload)した写真の再利用。横浜の中華街(chinatown)(横浜の都心部に位置する)は、19世紀中期頃からの歴史を有し、600以上の店舗を有する、世界最大級の中華街(chinatown)となっています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

横浜の中華街(chinatown)の、一風景。この日、撮影した写真(この日は、昼頃までは、天気が良かったのですが(晴れていたのですが)、昼食を食べている時から、どんどん、曇りとなって行き、天気は、今一つ(曇り)となってしまいました)。横浜の中華街(chinatown)には、多くの、中国系の人々が暮らしています(おそらく。。。)。

 

 

 

 

 

写真以下9枚。横浜の中華街(chinatown)の、茶館(中国式の、cafe・喫茶店)の一つで、のんびりと、中国茶を飲みました。この、茶館(中国式の、cafe・喫茶店)を利用したのは、この時で、2回目でした。中々、良い感じの店です。前回、この店を利用した時は、彼女が、店内を見渡せる側の席に座ったので、この時は、彼女は、私を、店内を見渡せる側の席に座らせてくれました。

 

 

写真以下2枚。この、茶館(中国式の、cafe・喫茶店)の、店内の、内装例。。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下2枚。この、茶館(中国式の、cafe・喫茶店)で、この時、飲んだ中国茶。何れも、お湯を注ぎ足して、何杯も(まあ、何杯もと言っても、限度がありますが、結構)、飲む事が出来ます。

 

 

私が飲んだ、花茶(工芸茶)。

 

 

 

 

 

 

彼女が飲んだ、白芽奇蘭(White bud chelan tea)と言う、お茶。高級な烏龍茶(oolong tea)の一種です(おそらく。。。)。

 

 

 

 

 

写真以下3枚。この時、この、茶館(中国式の、cafe・喫茶店)で食べた、お茶菓子等。何れも、二人で分けて食べました。

 

 

 

おまけの(無料の)、お茶菓子(二人分)。

 

 

 

 

 

 

 

仙草ゼリー(grass jelly)等が入った、中国風、パフェ(parfait)。

 

 

 

 

 

 

 

ドライフルーツ(dried fruit)、盛り合わせ。

 

 

 

 

 

 

 

写真以下2枚は、おまけ。。。前に、kjでアップ(upload)した写真の、再利用。横浜の中華街(chinatown)の、別の、茶館(中国式の、cafe・喫茶店)の、中国茶と、お茶菓子等。。。

 

 

 

花茶と、お茶菓子。

 

 

 

 

 

 

 

デザート(おやつ)。団子の中には、ピーナッツ(peanut)の餡が入っています。

 

 

 

 

 

横浜の中華街(chinatown)の、茶館(中国式の、cafe・喫茶店)で、中国茶を飲みながら、のんびりとした後は、横浜マリンタワー(marine tower)を訪れ、横浜マリンタワー(marine tower)の、展望台に上りました。

 

 

 

写真以下25枚。横浜マリンタワー(marine tower)。横浜マリンタワー(marine tower)は、横浜の都心部の海沿いに建つ、1961年に完成した、高さ106mの塔です。横浜を象徴する建物の一つとなっています。神戸(kobe)のポートタワー(port tower)と供に、1950年代から1960年代初めにかけての、日本の大都市における、高層タワー(tower)建設ブーム(boom)の末期に建てられたタワー(tower)です。かつては、灯台としての機能を持っていて、ギネスブック(Guiness book)に、世界一の高さの灯台として記載されていました。

 

 

写真以下2枚(前に、kjで、アップ(upload)した写真の、再利用)。昼間に見た、横浜マリンタワー(marine tower)の外観。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下4枚。夜の、横浜マリンタワー(marine tower)の外観。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下2枚。横浜マリンタワー(marine tower)の、レストラン。パンフレット(leaflet)より。。。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下6枚は、おまけ。。。前に、kjに、アップ(upload)した写真の、再利用。横浜マリンタワー(marine tower)の、レストランの食事例。写真以下4枚は、全て、一人一皿ずつです。これに、パンが付きます。

 

 

 

一皿目の前菜。兎肉。

 

 

 

 

 

二皿目の前菜。秋刀魚を使った前菜。金美(kinbi)人参(日本の沖縄(okinawa)原産の人参の一つ)と葡萄のサラダ(salad)と共に。。。

 

 

 

 

 

 

スープ(soup)。茸とブイヨン(bouillon)のスープ(soup)。

 

 

 

 

 

 

 

メイン(main)料理。ローストビーフ(roast beef)(小さなサイズ(size)の物)。

 

 

 

 

 

 

 

写真以下2枚。デザート(dessert)。


 

 

 

サツマイモ(sweet potato)のアイスクリーム(ice cream)等。

 

 

 

 

 

 

 

ガレット(galette)を使ったデザート(dessert)。

 

 

 

 

 

写真以下3枚。横浜マリンタワー(marine tower)の、バー(bar)。パンフレット(leaflet)より。。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下8枚。横浜マリンタワー(marine tower)の展望台から眺めた、横浜の港の夜景等。この時、横浜マリンタワー(marine tower)の展望台に上ったのですが、横浜マリンタワー(marine tower)の展望台に上ったのは、非常に、久しぶりでした。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

向こうの橋は、横浜bay bridge。横浜bay bridgeは、1989年に完成した、大きな斜張橋(cable-stayed bridge)です。

 

 

 

 

 


写真以下2枚。写真左側の船は、氷川丸(hikawamaru)です。氷川丸(hikawamaru)は、1930年代に、日本と、北米を結ぶ太平洋航路で活躍した、約11,600トン(GT)の豪華客船(1930年完成and使用開始)です。現在は使用されておらず、横浜の港に永久保存され、文化財に指定されると供に、一般公開されています。第2次世界大戦前、日本は、世界第3位の海運(marine transportation)国でしたが、氷川丸(hikawamaru)を保有、運行していた日本郵船株式会社は、日本の三大海運(marine transportation)会社の内の一つでした(今でも、日本郵船株式会社は、日本の三大海運(marine transportation)会社の内の一つです)。1930年代当時、アメリカとカナダの会社も、北米と日本の間に、豪華客船を走らせていましたが、日本郵船株式会社も、当時、太平洋航路では、氷川丸(hikawamaru)を含め6隻の豪華客船を保有し、日本の横浜と北米を結んでいました。氷川丸(hikawamaru)を含む日本とシアトル(seattle)、バンクーバー(Vancouver)を結ぶ、比較的、小さな豪華客船3隻と、日本と、サンフランシスコ(San Francisco)を結ぶ、比較的、大きな豪華客船3隻です。この6隻の中で、代表的な、1929年に完成し、営業を開始した、横浜とホノルル(Honolulu)、サンフランシスコ(San Francisco)を結ぶ浅間丸(asamamaru)は、現存していませんが、他の同社の日本とサンフランシスコ(San Francisco)を結ぶ豪華客船同様に、氷川丸(hikawamaru)よりも、一回り大きく、約17,000トンあり、また、船内の豪華さにおいては、氷川丸(hikawamaru)を、はるかに上回るものであり(食堂の内装には、ふんだんにイタリア産大理石が使われ、客室内には当時最先端の設備が使われていた。wikiより)、「太平洋の女王」と呼ばれました。横浜の港に、保存されている、氷川丸(hikawamaru)は、日本郵船株式会社の、他の日本とシアトル(seattle)、バンクーバー(Vancouver)を結ぶ豪華客船2隻と同じで、同社の日本とサンフランシスコ(San Francisco)を結ぶ豪華客船3隻よりも小さく、また、豪華さにおいても、劣っていましたが、喜劇俳優チャーリー・チャップリン(Charlie Chaplin)が、1932年に来日した際、アメリカに帰る際に、使用しました(Chaplinは、1932年に1回、1936年に2回と、第二次世界大戦前に、3回、来日しています)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

参考に。。。前に、enjoyでアップ(upload)した写真の再利用。氷川丸(hikawamaru)の、内装例で、氷川丸(hikawamaru)の、一等(first class)喫煙室(smoking room)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下8枚。この日の夕食は、横浜マリンタワー(marine tower)の、割と近くにある、1963年に、開店した、まあまあの歴史のある、イタリア料理・洋食(日本で、近代以降、日本に合う様に、(日本人の視点からすれば)改良された西洋料理)レストランで食べました。このレストランは、長年、地元(横浜)の人々に、愛されている感じのレストランです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下7枚。この、イタリア料理・洋食(日本で、近代以降、日本に合う様に、(日本人の視点からすれば)改良された西洋料理)レストランで食べた、この日の夕食。ちなみに、この夕食時は、私は、飲み物は、(この日の昼食時と同様)、主に、白ワイン(wine)を飲みました。

 


 

 

前菜。和牛(日本原産の高級牛肉)の、たたき(軽く火を通した)、カルパッチョ(carpaccio)。一人、一皿ずつ(写真は、一人分)。

 

 

 

 

 

付け合せ(side dish)の、サラダ(salad)。一人、一皿ずつ(写真は、一人分)。

 

 

 

 

 

 

 

 

メイン(main)料理の、地中海(Mediterranean Sea)をイメージした鍋物料理に、浸して食べる、クルトン(crouton)(二人分)。

 

 

 

 

 

写真以下3枚。メイン(main)料理。地中海(Mediterranean Sea)をイメージした鍋物料理。一人、一皿ずつ(写真は、一人分)。このレストランの、自慢のメニュー(menu)です。鍋の、スープ(soup)の中に、(写真で見えるよりも)、たくさんの(ふんだんな)魚介類(seafood)の具と、パスタ(pasta)が入っています。このレストランの、地中海(Mediterranean Sea)をイメージした鍋物料理は、中々、美味しいと思います(寒い時期に食べると、体が、暖まります)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

デザート(dessert)。アイスクリーム(ice cream)。一人、一皿ずつ(写真は、一人分)。

 

 

 

 

 

 

 

おまけ。この日、横浜から、我が家に帰って来た後、我が家で、軽く、一杯(まあ、厳密には、軽く、一杯ではなく、軽く、一本ですが)、飲んだビール。この日、横浜で買った物で、サンクトガーレン(SanktGallen)(下の補足説明参照)の、チョコレート(chocolate)風味のビールの一つ。アルコール(alcohol)度数は、6.5%と、通常のビールよりも、若干高目。。。
サンクトガーレン(SanktGallen):神奈川(kanagawa)県(東京圏の南部を占める県。中心都市は、横浜)の中部(東京の南西部近郊)に位置する、中都市、厚木(atsugi)市の、ビール会社。

 

 

 

 

 

 

 

 

以下、雑多な、おまけ。。。投稿の本文(「横浜散歩&食べ物」)とは、全く、関係がありません。


 

 

 

写真以下3枚。一昨日、仕事から我が家に帰って来て、一人で食べた、一昨日の夕食(一昨日は、土曜日でしたが、個人的に仕事でした。また、夜は、一人でした)。全て、マートの物です(マートで買った物です)。結構、腹が一杯になりました。


 

 

寿司。普段働いている日の、一人で食べる夕食は、私の街の、お気に入りの居酒屋等で、(お酒(アルコール(alcoholic)飲料)を)飲みながら、食べる事も、多いですが、我が家で、マートの寿司等で、簡単に済ませてしまう事も多いです。

 

 

 

 

 

 

鍋物。スープ(soup)と共に、温めて食べます。マートや、コンビニの、この様な、一人用の鍋物は、チープで(安くて)、中々、美味しく、体が暖まり、良いと思います。

 

 

 

 

 

 

 

ヒレ肉(fillet)の豚カツ(tonkatsu)。

 

 

 

 

 

 

 

写真以下2枚。仕事の、出先の、吉野家(yoshinoya)の店舗で食べた、昨日の昼食(昨日は、日曜日でしたが、個人的に、仕事でした)。吉野家(yoshinoya)は、日本の、三大牛丼(牛肉丼)食堂のチェーン店(chain)の一つとなっています(日本では、おそらく、吉野家(yoshinoya)、すき家(sukiya)、松屋(matsuya)が、三大、牛丼(牛肉丼)食堂のチェーン店(chain)となっています)。

 

 

日本の三大牛丼(牛肉丼)食堂のチェーン店(chain)(吉野家(yoshinoya)、すき家(sukiya)、松屋(matsuya))も、そうですが、日本において、牛丼(牛肉丼)食堂のチェーン店(chain)は、通常、チープな(安い)、ファーストフード(fast food)の牛丼(牛肉丼)のチェーン(chain)となっています。その事から、日本人にとっての、牛丼(牛肉丼)食堂のチェーン店(chain)の牛丼(牛肉丼)等の存在は、例えて言うならば、アメリカ人にとっての、マクドナルド(Macdonald’s)等の、チープな(安い)、ハンバーガー(hamburger)に近い存在と言えます(もっとも、日本には、マクドナルド(Macdonald’s)等の、ファーストフード(fast food)のハンバーガー(hamburger)の、チェーン(chain)も、たくさんありますが。。。)。

 

私は、牛丼(牛肉丼)食堂のチェーン店(chain)は、大学生から20代の半ば位までの間に、よく利用していました(子供の頃、親に連れて行ってもらった記憶も無いし、高校生の時は、何となく、格好悪いと思っていたのかw、それ程利用しませんでした)。現在は、牛丼(牛肉丼)食堂のチェーン店(chain)は、総合的に見れば、たまに利用していると言った感じです(利用しない時は、結構長い間、全く利用しない一方、利用する時は、結構、続けて利用する時もある)。

 

 

写真以下2枚。仕事の、出先の、吉野家(yoshinoya)の店舗で食べた、昨日の昼食。すき焼き(sukiyaki)。すき焼き(sukiyaki)は、日本の牛肉料理です。吉野家(yoshinoya)の、すき焼き(sukiyaki)は、チープな値段の割に(安い値段の割に)、中々、頑張っていると思います(中々、美味しいと思います)。吉野家(yoshinoya)のメニュー(menu)の中では、個人的に、牛丼(牛肉丼)よりも好きです(もちろん、牛丼(牛肉丼)も、悪くはないですが。。。)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

世田谷(setagaya)区(東京中心部(東京23区)の西端部に位置する区。(私が暮らす)渋谷(shibuya)区(東京中心部(東京23区)の西部に位置する区)の西部等に隣接)の、中東部の、自然・健康志向の、手作りパン店&カフェ(cafe)のパン。一部は、朝食として食べ、残りは、冷凍し、保存します(保存食用にします)。

 

 

 

 

 

 

Glico(日本の大規模菓子会社の一つ。1922年創業)の、Pocky。Pockyは、1966年に販売が開始された、お菓子で、長い間、日本で、人気の、お菓子となっています。これは、抹茶(緑茶・green tea)チョコレート(chocolate)の、Pocky(大人向けの、Pockyと言った感じです)。

 

 

 

 

 

 

「茸の山」。「茸の山」は、日本で、結構、古くから販売されている、明治(meiji.。日本の大規模食品会社の一つ。菓子部門(旧明治製菓)は、1916年創業)の、茸の形をした、チョコレート(chocolate)菓子(茸の傘の部分が、チョコレート(chocolate)、柄の部分が、クラッカー(cracker)となっている)です。これは、苺とチョコレート(chocolate)味の、「茸の山」です。

 

 

 

 

 

 

 

 


요코하마 산책&음식

 

 

 

 

1월의 하순, 개인적으로 휴일인 날(이하, 이 날이라고 씁니다)에, 요코하마를 산책해 온 것입니다.

 

 

이 날, 우리 집에서 먹은 점심 식사는, 평상시, 일하고 있는 날에 먹고 있는 아침 식사(빵, 시리얼(cereal), 야채 사라다(salad), 3 종류정도의 과일, 우유, 쥬스(juice), 요구르트(yoghurt))와 같았습니다.

 

 

사진 이하 11매는, 덤이라고 한 느낌의 물건으로, 요코하마와는 관계 없습니다.

 

 

사진 이하 10매.이 날, 전철(지하철·통근 전철)로, 요코하마로 향하는 도중 , 오모테산도(omotesando)·아오야마(aoyama) area에 들르고, 촬영한, 「아이 성(castle)」의 건물의 사진등.

 

 

 

사진 우측의 건물은, 「아이 성(castle)」의 근처에 있는, 국제연합 대학(United Nations University)의 본부의 건물.설계는, 단게 겐조(tange kenzo).국제연합(United Nations)의 기관의 하나의, 본부의 건물입니다만, (무엇인가, 중요한 일을 하고 있으면, 죄송합니다만), 뭐, 일본의 세금의, 낭비와 같은, 이미지의 건물입니다 w

 

 

 

 

 

사진 이하 8매.「아이 성(castle)」의 건물.「아이 성(castle)」는, 아오야마(aoyama) area(도쿄의 대표적인, 고급 상업지의 하나)에 있는, 1985년에 개관한(건물도, 1985년에 지어진 것입니다), 일본의, 국립(국영)의, 아이를 위한, 유희·그 외의 시설입니다.건물·시설의 노후화, (소자녀화에 수반해, 또, 도쿄 disney resort등의, 사영의 유희 시설에 밀려) 이용자가 감소한 일, 나라의 예산 삭감등을 이유로서 나라는, 2월 1일에, 「아이 성(castle)」를 폐관했습니다.철거지의 이용은, 아직 정해져 있지 않은 같습니다만, 어느 쪽으로 해도, (원) 「아이 성(castle)」의 건물은 해체되어 버릴 가능성은, 어느 정도, 높다고 생각합니다.어릴 적, 방문하고 있던 시설·건물이 없어져 버리는 것은, 조금 외롭네요.

 

 

 

 

사진 이하 8매.「아이 성(castle)」의 건물.1985년 완성.설계는, 야마시타(yamashi·ta) 설계(일본의, 건축 설계 회사(건축설계사무소)).「아이 성(castle)」의 폐관에 수반해, 가까운 장래, 해체되고, 다른 건물이 세울 가능성은, 어느 정도, 높습니다(뭐, 개장되고, 다른 용도의 건물을 해 이용될 가능성도, 조금은 있다고 생각합니다만...).

 

 

 

사진 좌측.「아이 성(castle)」의 건물.

 

 

 

 

 

사진 이하 7매.「아이 성(castle)」의 건물.


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 4매.「아이 성(castle)」의 건물의 전에 있는 조각.오카모토 다로(okamoto taro)(아래의 보충 설명 참조)의, 현대 미술 작품, 「어린이 수(아이 수)」(1985년).
오카모토 다로(okamoto taro):1911 년생.1996년에 죽는다.1930년대부터 1990년대 중반(주로 1950년대부터 1980년대)에 활약한, 일본의 유명한 현대 미술 artist.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 우측.「아이 성(castle)」의 근처에 있는, 국제연합 대학(United Nations University)의 본부의 건물.

 

 

 

 

 

덧붙여서, 「아이 성(castle)」의 건물과 국제연합 대학(United Nations University)의 본부의 맞은 편에는, 도쿄의, 비교적, 유명한, 사립 대학의 하나, 아오야마학원(aoyama gakuin) 대학(19 세기 후기에 창립)이 있습니다.「아이 성(castle)」도, 아오야마학원(aoyama gakuin) 대학도, 아오야마(aoyama) area에 있습니다만, 내가 사는, 시부야(shibuya) 구(도쿄도심부의, 서부에 위치하는 구)에 위치하고 있는(아오야마(aoyama) area는, 기본적으로, 미나토(minato) 구(도쿄도심부에서도, 중심적인 지역의 남부에 위치하는 구.시부야(shibuya) 구의 중부에서 남부의 동부로 인접하고 있다)의 북서부(시부야(shibuya) 구의 중부의 동부로 인접하고 있다)에 위치하고 있습니다만, 시부야(shibuya) 구의 중부의 토부(미나토(minato) 구의 아오야마(aoyama) area에 인접하는 지역)의 일부도, 아오야마(aoyama) area에 포함됩니다).나의 친가(원래, 나의 외가의 조부모의 집.현재는, 부모님이, 계승하며 살고 있다)는, 우리 집의 부근에 있습니다만, 나의 외가의 조모와 나의 어머니는, 아오야마학원(aoyamagakuin) 대학을 졸업하고 있습니다.하나 더, 덧붙여서, 이 근처에는, (현재는, 건물이 개축라고, 전과 분위기가, 바뀌어버렸습니다만), 키노쿠니야(kinokuniya)(1910년 창업.동경권에 점포를 전개하는, 일본의, 고급 마트)의 본점이 있습니다.나의, 친가는, 유복한 가정에서는, 전혀 없고, 보통, 중류의 가정이므로, 키노쿠니야(kinokuniya)의 본점은, 극히, 일상적으로는, 이용하고 있지 않았습니다만(라고 말하는지, 극히, 일상적으로는, 이용 할 수 없지 않았습니다만), 나의 어머니는, 조금, 질의 좋은 것을, 먹고 싶을 때·사고 싶을 때에는, 키노쿠니야(kinokuniya)의 본점에, 쇼핑하러 가고 있었던(지금은, 나의 어머니는, 키노쿠니야(kinokuniya)의 본점은, 행방은, 이용하고 있지 않지 않을까...(행방은, 이용하고 있지 않는 것이 아닌 것인지...).잘 모르는데...).

 

 

 

 

이것은, 참고에, 차용물 사진입니다만, 도쿄도심부에서도, 중심적인 지역의, 남서부에 위치하는, 아카사카(akasaka) area에 있는, 아카사카(akasaka) prince hotel의, 선대의, 니이다테의 건물(1982년 완성).설계는, 단게 겐조(tange kenzo)(아래의 보충 설명, 참조).이, 아카사카(akasaka) prince hotel의, 선대의, 니이다테의 건물은, 건물의 노후화에 의한, 경쟁력의 저하를 이유로서(빌딩의 건물에, 결함이 있던 것은, 전혀 없고(완전히, 정상적인, 초고층 빌딩의 건물인), 단순하게, 호텔을 경영하는 회사가, 아카사카(akasaka) prince hotel의 건물을, 보수·개장하면서 계속 사용하는 것보다 도, 개축해 버리는 것이, 득을 본다고 생각한 때문), 2011년 3월 31일에 폐관해, 그 후, 해체되어 버렸던(현재, 아카사카(akasaka) prince hotel는, 건물의 재건축 공사중입니다.재건축 후의, 이미지도를 보는 한, 개인적으로는, 새로운 건물보다, 이, 이미 해체되어 버린, 단게 겐조(tange kenzo)가 설계한, 아카사카(akasaka) princehotel의, 선대의, 니이다테의 건물의 디자인(design)이, 개성적으로 좋다고 생각하고, 좋아합니다).완성하고 나서, 불과, 30년 정도로, 해체되어 버린, 아카사카(akasaka) prince hotel의, 선대의, 니이다테의 건물, 같이, 「아이 성(castle)」의 건물도, 완성하고 나서, 불과 30년 정도로, 해체되고, 다른 건물이 세울 가능성은, 어느 정도, 높습니다.뭐, 자금력이 있는 경우나, (큰, 돈이 움직인다) 도쿄도심의 일등지의 경우등은, 경제(이익)를 생각하면, 노후화 한 건물을, 보수·개장하면서 계속 사용하는 것보다 도, 보다 , 효율의 좋은, 이익을 낳는, 최신의 건물에 개축해 버리는 것이, 효율이 좋은(보다 , 이익을 낳는다) 의 것인지도 알려지지 않습니다만, 지구 규모로의 자원을 생각했을 경우, 무엇인가, 쓸데 없는 것 같은 생각이 듭니다.
단게 겐조(tangekenzo):일본의 세계 최고 수준의 건축가의 한 명.1950년대부터, 죽는 근처까지 활약.일본인 건축가중에서, 처음으로 세계에 이름이 알려진 건축가이라고 보조자에, 1960년대에, 일본을, 현대 건축 설계의 분야에 있고, 세계 최고 수준의 나라의 하나에, 끌어올린 인물로서 알려져 있습니다.1913년에 태어나 90세 이상 살고, 2005년에, 돌아가셨습니다.

 

 

 

 

이상으로, 덤은, 마지막...이하, 투고의 본문( 「요코하마 산책&음식」)에 들어갑니다.

 

 

 

 

요코하마는, 도쿄 area의 바다의 현관문(gateway)이 되고 있는 큰 항구도시입니다.나는, 요코하마는, 일의 용무에서도, 잘 방문합니다만, 요코하마의 항구도시의 분위기를 좋아하고, 휴일에도, 잘 놀러 갑니다.

 

 

이 날의 점심 식사는, KIHACHI(동경권을 거점으로 점포를 전개하는, 쿠마가이희8(kumagai kihachi)(1946 년생.일본의 유명한 세프(chef)의 한 명)의 레스토랑·서양 과자점)의, 요코하마의, 미나토미라이(minatomirai) 지구의, 레스토랑에서 먹었습니다.

 

사진 이하 4매.요코하마의, 미나토미라이(minatomirai) 지구의 풍경예...전에, kj로, 업(upload) 한 사진의, 재이용.미나토미라이(minatomirai) 지구는, 요코하마의 도심부의 해안의 지구의 하나로, 요코하마의 도심부에서, 가장, 새롭게 개발된(1980년대부터 개발된(본격적인 개발은, 1980년대 후반부터)), 요코하마의 도심부가 새로운 주상복합 지구입니다.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진의 건물은, 요코하마의, 미나토미라이(minatomirai) 지구에 있는, 요코하마 미술관.요코하마 미술관(1989년 개관)은, 요코하마시가 운영하는, 미술 관련 시설의 하나로, 규모의 큰, 공립의 미술관입니다.

 

 

 

 

 

 

사진 이하 3매는, 참고에...요코하마 미술관에서, 현재 개최중의, 제임스·Abbott·마크니르·호잇스라(James Abbott McNeill Whistler)(아래의 보충 설명 참조)의, 전람회(exhibition)의, 광고지(leaflet).이 전람회(exhibition)는, 작년의 9월부터 11월에 걸쳐, 쿄토(일본의 서부에 있는 대도시에서, 794년부터 19 세기 중반까지, 오랫동안 일본의 수도에서 있던 대도시.일본의 전통 문화의 중심 도시임과 동시에, 일본의, 예술·문화·교육의 중심 도시의 하나)의, 쿄토 국립 근대미술관(쿄토에 있는, 일본의 국립의, 박물관·미술관의 하나로, 근대미술을 중심으로 한 미술관)에서 행해지고 있던, 제임스·Abbott·마크니르·호잇스라(James Abbott McNeill Whistler)의 전람회(exhibition)가, 요코하마 미술관에 순회해 온 것입니다.이, 쿄토 국립 근대미술관과 요코하마 미술관의, 제임스·Abbott·마크니르·호잇스라(James Abbott McNeill Whistler)의 전람회(exhibition)는, 일본에서는, 27년만의, 세계에서는, 20년만의, 제임스·Abbott·마크니르·호잇스라(James Abbott McNeillWhistler)의 전람회(exhibition)인 것 같습니다.

제임스·Abbott·마크니르·호잇스라(James Abbott McNeill Whistler):
제임스·Abbott·마크니르·호잇스라(James Abbott McNeill Whistler)(1834 년생.1903년에 죽는다)는, 영국의, 런던과 프랑스의, 파리(Paris)를 거점으로, 19 세기 후반에 활약한, 미국 출신의 유명한 화가입니다.역사적으로, 세계적으로 유명한 화가입니다만, 피카소(Pablo Picasso), 고호(Vincent van Gogh), 르노워르(Renoir), 폴 세잔느(Paul Cezanne), 흉내내(Edouard Manet), 모네(Claude Monet)라고 한 화가들보다인가는, 유명하지는 않습니다.덧붙여서, 제임스·Abbott·마크니르·호잇스라(James Abbott McNeill Whistler)는, 다른, 동시대의, 많은, 서양의, 유명한 화가들과 같이, 일본의, 강호시대의 풍속화(ukiyoe)(일본의 17 세기부터 19 세기의, 대중용의 판화·대중용의 그림)에 영향을 받고 있어 강호시대의 풍속화(ukiyoe)는, 제임스·Abbott·마크니르·호잇스라(James Abbott McNeill Whistler)의 화풍에, 강한 영향을 준 것의 하나가 되고 있습니다.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

이 전람회(exhibition)는, 이 주의, 전의 주에, (개인적으로 휴일인 날에), 요코하마에, 놀이에 방문하고, 보았습니다.

 

 

 

 

이 날의 점심 식사는, 상술한 대로, KIHACHI(동경권을 거점으로 점포를 전개하는, 쿠마가이희8(kumagai kihachi)(1946 년생.일본의 유명한 세프(chef)의 한 명)의 레스토랑·서양 과자점)의, 요코하마의, 미나토미라이(minatomirai) 지구의, 레스토랑에서 먹었습니다.덧붙여서, 쿠마가이희8(kumagai kihachi)은, 원래, 쇼난(syonan)(도쿄도심부 방면에서 보고, 요코하마의 저쪽 편(반대측)으로 인접하는 area이며, 도쿄 area에 사는 사람들에게 있어서, 가장 친밀한, 도쿄 근교의 비치 리조트(beach resort) 지)의, 하야마(hayama)의, 프랑스 요리·서양 요리 레스토랑에서, 요리장을, 맡고 있던 (분)편입니다.

 

KIHACHI의, 요코하마의, 미나토미라이(minatomirai) 지구의, 레스토랑은, Queen’s Square(미나토미라이(minatomirai) 지구에 있는, shopping mall의 한 살)에 들어가 있습니다.

 

 

사진 이하 4매.Queen’s Square(미나토미라이(minatomirai) 지구에 있는, shopping mall의 하나)의, 풍경예.덧붙여서, 요코하마의, 미나토미라이(minatomirai) 지구에는, 내가, 아는 한, Queen’s Square를 포함해, 5개의 쇼핑 몰(shopping mall)이 있습니다.

 

 

사진 이하 2매.지하철역 부근.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 2매는, 전에, kj로 업(upload) 한 사진의, 재이용.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 6매.KIHACHI(동경권을 거점으로 점포를 전개하는, 쿠마가이희8(kumagai kihachi)(1946 년생.일본의 유명한 세프(chef)의 한 명)의 레스토랑·서양 과자점)의, 요코하마의, 미나토미라이(minatomirai) 지구의, 레스토랑에서 먹은, 이 날의 점심 식사.요코하마 미술관에서, 현재 개최중의, 제임스·Abbott·마크니르·호잇스라(James Abbott McNeill Whistler)의, 전람회(exhibition)에 연관된, 제임스·Abbott·마크니르·호잇스라(James Abbott McNeill Whistler)의, 흰 드레스(dress)를 입은 여성을 그린 회화 작품을 이미지 한, 점심 식사 메뉴(menu)를 먹었습니다.모두, 일인일명씩입니다(사진은, 일인분).이것에, 레스토랑 자가제의, 포캇체(focaccia)가 붙습니다.

 

 

사진 이하 2매.전채.닭의 사사미육(닭고기의, 흉육에 근접한, 지방이 적은 부위)의, 플리트(튀김).토마토(tomato) 된장 소스(sauce).

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 2매.파스타(pasta).게(왕게게)와 머시룸(mushroom)과 콜리 플라워(cauliflower)의, 페페론치노(aglio, olio e peperoncino).


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 2매.디저트(dessert).검은콩의 치즈 생크림 케익(tiramisu), 밀크(milk) 제라토(gelato) 더해져라.가루차(녹차·green tea)의, 향기.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

이 날은, 원래, 아직 방문한 일이 없고, 전부터, 아주 조금 신경이 쓰이고 있는, 미츠비시(mitsubishi) 미나토미라이(minatomirai) 기술관(아래의 보충 설명 참조)을 방문하려고 생각했습니다만, 점심 식사를 먹고 있는 동안에, 기분이 바뀌어, 요코하마의, 중화가(chinatown)로 이동해, 중화가(chinatown)의, 다관(중국식의, cafe·찻집)에서, 한가롭게, 중국차를 마시는 일로 했습니다.
미츠비시(mitsubishi) 미나토미라이(minatomirai) 기술관:요코하마의, 미나토미라이(minatomirai) 지구에 있는, 미츠비시(mitsubishi) 중공업(일본의, 대규모, 중공업 회사의 하나로, 구(한 때의) 미츠비시(mitsubishi) 재벌계의 회사의 하나)가 운영하고 있는, 과학기술을 테마로 한, 전시관·박물관.

 

 

 

사진 이하 9매.요코하마의 중화가(chinatown)의, 풍경예.전에, kj로, 업(upload) 한 사진의 재이용.요코하마의 중화가(chinatown)(요코하마의 도심부에 위치한다)는, 19 세기 중기무렵부터의 역사를 가져, 600이상의 점포를 가지는, 세계 최대급의 중화가(chinatown)가 되고 있습니다.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

요코하마의 중화가(chinatown)의, 풍격경.이 날, 촬영한 사진(이 날은, 오후까지는, 날씨가 좋았습니다만(개여 있었습니다만), 점심 식사를 먹고 있을 때부터, 자꾸자꾸, 흐림이 되어서 가, 날씨는, 좀 더(흐림)가 되어 버렸습니다).요코하마의 중화가(chinatown)에는, 많은, 중국계의 사람들이 살고 있습니다(아마...).

 

 

 

 

 

사진 이하 9매.요코하마의 중화가(chinatown)의, 다관(중국식의, cafe·찻집)의 하나로, 한가롭게, 중국차를 마셨습니다.이, 다관(중국식의, cafe·찻집)을 이용한 것은, 이 때로, 2번째였습니다.꽤, 좋은 느낌의 가게입니다.전회, 이 가게를 이용했을 때는, 그녀가, 점내를 바라볼 수 있는 측의 자리에 앉았으므로, 이 때는, 그녀는, 나를, 점내를 바라볼 수 있는 측의 자리에 앉게 해 주었습니다.

 

 

사진 이하 2매.이, 다관(중국식의, cafe·찻집)의, 점내의, 내장예...

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 2매.이, 다관(중국식의, cafe·찻집)에서, 이 때, 마신 중국차.어느 쪽도, 더운 물을 따라 더하고, 무슨배도(뭐, 무슨배도라고 말해도, 한도가 있습니다만, 상당히), 마실 수가 있습니다.

 

 

내가 마신, 화다(공예차).

 

 

 

 

 

 

그녀가 마신, 백아기란(White bud chelan tea)이라고 말하는, 차.고급 우롱차(oolong tea)의 일종입니다(아마...).

 

 

 

 

 

사진 이하 3매.이 때, 이, 다관(중국식의, cafe·찻집)에서 먹은, 차과자등.어느 쪽도, 둘이서 나누어 먹었습니다.

 

 

 

덤의(무료의), 차과자(두 명분 ).

 

 

 

 

 

 

 

선초젤리(grass jelly) 등이 들어간, 중국풍, 파르페(parfait).

 

 

 

 

 

 

 

드라이 프루츠(dried fruit), 진열.

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 2매는, 덤...전에, kj로 업(upload) 한 사진의, 재이용.요코하마의 중화가(chinatown)의, 다른, 다관(중국식의, cafe·찻집)의, 중국차와 차과자등...

 

 

 

화다와 차과자.

 

 

 

 

 

 

 

디저트(간식).경단안에는, 피너츠(peanut)의 팥소가 들어가 있습니다.

 

 

 

 

 

요코하마의 중화가(chinatown)의, 다관(중국식의, cafe·찻집)에서, 중국차를 마시면서, 한가롭게 한 다음은, 요코하마 마린 타워(marine tower)를 방문해 요코하마 마린 타워(marine tower)의, 전망대에 올랐습니다.

 

 

 

사진 이하 25매.요코하마 마린 타워(marine tower).요코하마 마린 타워(marine tower)는, 요코하마의 도심부의 해안에 세우는, 1961년에 완성한, 높이 106 m의 탑입니다.요코하마를 상징하는 건물의 하나가 되고 있습니다.코베(kobe)의 포토 타워(port tower)와 보조자에, 1950년대부터 1960년대 초에 걸친, 일본의 대도시에 있어서의, 고층 타워(tower) 건설 붐(boom)의 말기에 지어진 타워(tower)입니다. 이전에는, 등대로서의 기능을 가지고 있고, 기네스 북(Guiness book)에, 세계 제일의 높이의 등대로서 기재되어 있었습니다.

 

 

사진 이하 2매(전에, kj로, 업(upload) 한 사진의, 재이용).낮에 본, 요코하마 마린 타워(marine tower)의 외관.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 4매.밤의, 요코하마 마린 타워(marine tower)의 외관.


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 2매.요코하마 마린 타워(marine tower)의, 레스토랑.팜플렛(leaflet)보다...


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 6매는, 덤...전에, kj에, 업(upload) 한 사진의, 재이용.요코하마 마린 타워(marine tower)의, 레스토랑의 식사예.사진 이하 4매는, 모두, 일인일명씩입니다.이것에, 팬이 뒤따릅니다.

 

 

 

일명눈앞나물.토육.

 

 

 

 

 

2접시 눈앞나물.꽁치를 사용한 전채.금미(kinbi) 인삼(일본의 오키나와(okinawa) 원산의 인삼의 하나)와 포도의 사라다(salad)와 함께...

 

 

 

 

 

 

스프(soup).버섯과 부이 욘(bouillon)의 스프(soup).

 

 

 

 

 

 

 

메인(main) 요리.로스트 비프(roast beef)(작은 사이즈(size)의 물건).

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 2매.디저트(dessert).


 

 

 

고구마(sweet potato)의 아이스크림(ice cream) 등.

 

 

 

 

 

 

 

가렛트(galette)를 사용한 디저트(dessert).

 

 

 

 

 

사진 이하 3매.요코하마 마린 타워(marine tower)의, 바(bar).팜플렛(leaflet)보다...

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 8매.요코하마 마린 타워(marine tower)의 전망대로부터 바라본, 요코하마의 항구의 야경등.이 때, 요코하마 마린 타워(marine tower)의 전망대에 올랐습니다만, 요코하마 마린 타워(marine tower)의 전망대에 오른 것은, 매우, 오래간만이었습니다.


 

 

 

 

 

 

 

 

 

저 편의 다리는, 요코하마 bay bridge.요코하마 bay bridge는, 1989년에 완성한, 큰 사장교(cable-stayed bridge)입니다.

 

 

 

 

 


사진 이하 2매.사진 좌측의 배는, 히카와환(hikawamaru)입니다.히카와환(hikawamaru)은, 1930년대에, 일본과 북미를 연결하는 태평양 항로에서 활약한, 약 11,600톤(GT)의 호화 여객선(1930년 완성 and 사용 개시)입니다.현재는 사용되지 않고, 요코하마의 항구에 영구 보존 되어 문화재로 지정되면 보조자에, 일반 공개되고 있습니다.제2차 세계대전전, 일본은, 세계 제 3위의 해운(marine transportation) 국이었지만, 히카와환(hikawamaru)을 보유, 운행하고 있던 일본우선 주식회사는, 일본의 3 대해운(marine transportation) 회사 중의 하나였습니다(지금도, 일본우선 주식회사는, 일본의 3 대해운(marine transportation) 회사 중의 하나입니다).1930년대 당시 , 미국과 캐나다의 회사도, 북미와 일본의 사이에, 호화 여객선을 달리게 하고 있었습니다만, 일본우선 주식회사도, 당시 , 태평양 항로에서는, 히카와환(hikawamaru)을 포함 6척의 호화 여객선을 보유해, 일본의 요코하마와 북미를 연결하고 있었습니다.히카와환(hikawamaru)을 포함한 일본과 시애틀(seattle), 밴쿠버(Vancouver)를 묶는, 비교적, 작은 호화 여객선 3척으로 일본과 샌프란시스코(SanFrancisco)를 묶는, 비교적, 큰 호화 여객선 3척입니다.이 6척 중(안)에서, 대표적인, 1929년에 완성해, 영업을 개시한, 요코하마와 호놀루루(Honolulu), 샌프란시스코(San Francisco)를 연결하는 아사마환(asamamaru)은, 현존 하고 있지 않습니다만, 다른 동사의 일본과 샌프란시스코(San Francisco)를 연결하는 호화 여객선 같이 히카와환(hikawamaru)보다, 한층 크고, 약 17,000톤 있어, 또, 선내의 호화로움냄새나서는, 히카와환(hikawamaru)을, 훨씬 웃도는 것이어(식당의 내장에는, 충분하게 이탈리아산 대리석이 사용되어 객실내에는 당시 최첨단의 설비가 사용되고 있었다.wiki보다), 「태평양의 여왕」이라고 불렸습니다.요코하마의 항구에, 보존되고 있는, 히카와환(hikawamaru)은, 일본우선 주식회사의, 다른 일본과 시애틀(seattle), 밴쿠버(Vancouver)를 묶는 호화 여객선 2척과 같고, 동사의 일본과 샌프란시스코(San Francisco)를 연결하는 호화 여객선 3척보다 작고, 또, 호화로움냄새나도, 뒤떨어지고 있었습니다만, 희극 배우 찰리·채플린(CharlieChaplin)가, 1932년에 일본 방문했을 때, 미국에 돌아갈 때에, 사용했습니다(Chaplin는, 1932년에 1회, 1936년에 2회로 제이차 세계대전전에, 3회, 일본 방문하고 있습니다).

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

참고에...전에, enjoy로 업(upload) 한 사진의 재이용.히카와환(hikawamaru)의, 내장예로, 히카와환(hikawamaru)의, 일등(first class) 흡연실(smoking room).

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 8매.이 날의 저녁 식사는, 요코하마 마린 타워(marine tower)의, 생각보다는 근처에 있는, 1963년에, 개점한, 그저 그런 역사가 있는, 이탈리아 요리·양식(일본에서, 근대 이후, 일본에 맞는 것처럼, (일본인의 시점으로부터 하면) 개량된 서양 요리) 레스토랑에서 먹었습니다.이 레스토랑은, 오랜 세월 , 현지(요코하마)의 사람들에게, 사랑받고 있는 느낌의 레스토랑입니다.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 7매.이, 이탈리아 요리·양식(일본에서, 근대 이후, 일본에 맞는 것처럼, (일본인의 시점으로부터 하면) 개량된 서양 요리) 레스토랑에서 먹은, 이 날의 저녁 식사.덧붙여서, 이 저녁 식사시는, 나는, 음료는, (이 날의 점심 식사시와 같이), 주로, 흰색 와인(wine)을 마셨습니다.

 


 

 

전채.일본소(니혼바라산의 고급 쇠고기)의, 두드리기(가볍게 불을 통한), 카파치오(carpaccio).한 명, 일명씩(사진은, 일인분).

 

 

 

 

 

곁들여(side dish)의, 사라다(salad).한 명, 일명씩(사진은, 일인분).

 

 

 

 

 

 

 

 

메인(main) 요리의, 지중해(Mediterranean Sea)를 이미지 한 냄비 요리 요리에, 담그어 먹는, 크루톤(crouton)(두 명분 ).

 

 

 

 

 

사진 이하 3매.메인(main) 요리.지중해(Mediterranean Sea)를 이미지 한 냄비 요리 요리.한 명, 일명씩(사진은, 일인분).이 레스토랑의, 자랑의 메뉴(menu)입니다.냄비의, 스프(soup)안에, (사진으로 보이는 것보다도), 많은(충분한) 어패류(seafood)의 도구와 파스타(pasta)가 들어가 있습니다.이 레스토랑의, 지중해(Mediterranean Sea)를 이미지 한 냄비 요리 요리는, 꽤, 맛있다고 생각합니다(추운 시기에 먹으면, 몸이, 따뜻해집니다).

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

디저트(dessert).아이스크림(ice cream).한 명, 일명씩(사진은, 일인분).

 

 

 

 

 

 

 

덤.이 날, 요코하마로부터, 우리 집에 돌아온 후, 우리 집에서, 가볍고, 한 잔(뭐, 엄밀하게는, 가볍고, 가득하지 않고, 가볍고, 한 개입니다만), 마신 맥주.이 날, 요코하마에서 산 것으로, 산크트가렌(SanktGallen)(아래의 보충 설명 참조)의, 초콜릿(chocolate) 풍미의 맥주의 하나.알코올(alcohol) 도수는, 6.5%로 통상의 맥주보다, 약간고눈...
산크트가렌(SanktGallen):카나가와(kanagawa) 현(동경권의 남부를 차지하는 현.중심 도시는, 요코하마)의 중부(도쿄의 남서부 근교)에 위치하는, 안도시, 아츠기(atsugi) 시의, 맥주 회사.

 

 

 

 

 

 

 

 

이하, 잡다한, 덤...투고의 본문( 「요코하마 산책&음식」)이란, 완전히, 관계가 없습니다.


 

 

 

사진 이하 3매.그저께, 일로부터 우리 집에 돌아오고, 혼자서 먹은, 그저께의 저녁 식사(그저께는, 토요일이었지만, 개인적으로 일이었습니다.또, 밤은, 혼자서 했다).모두, 마트의 물건입니다(마트에서 산 것입니다).상당히, 배가 가득하게 되었습니다.


 

 

스시.평상시 일하고 있는 날의, 혼자서 먹는 저녁 식사는, 나의 거리의, 마음에 드는 선술집등에서, (술(알코올(alcoholic) 음료)을) 마시면서, 먹는 일도, 많습니다만, 우리 집에서, 마트의 스시등으로, 간단하게 끝마쳐 버리는 일도 많습니다.

 

 

 

 

 

 

냄비 요리.스프(soup)와 함께, 데워 먹습니다.마트나, 편의점의, 이와 같은, 일인용의 냄비 요리는, 저렴하고(싸서), 꽤, 맛있고, 몸이 따뜻해져, 좋다고 생각합니다.

 

 

 

 

 

 

 

필레육(fillet)의 돈까스(tonkatsu).

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 2매.일의, 행선지의, 요시노야(yoshinoya)의 점포에서 먹은, 어제 점심 식사(어제는, 일요일이었지만, 개인적으로, 일이었습니다).요시노야(yoshinoya)는, 일본의, 3 오우시사발(쇠고기사발) 식당의 체인점(chain)의 하나가 되고 있습니다(일본에서는, 아마, 요시노야(yoshinoya), 스키야(sukiya), 마츠야(matsuya)가, 3대, 소고기 덮밥(쇠고기사발) 식당의 체인점(chain)이 되고 있습니다).

 

 

일본의 3 오우시사발(쇠고기사발) 식당의 체인점(chain)(요시노야(yoshinoya), 스키야(sukiya), 마츠야(matsuya))도, 그렇습니다만, 일본에 있고, 소고기 덮밥(쇠고기사발) 식당의 체인점(chain)은, 통상, 저렴한(싸다), 패스트 푸드(fast food)의 소고기 덮밥(쇠고기사발)의 체인(chain)이 되고 있습니다.그 일로부터, 일본인에 있어서의, 소고기 덮밥(쇠고기사발) 식당의 체인점(chain)의 소고기 덮밥(쇠고기사발) 등의 존재는, 비유해 말한다면, 미국인에 있어서의, 맥도날드(Macdonald’ s) 등의, 저렴한(싸다), 햄버거(hamburger)에 가까운 존재라고 할 수 있는(가장, 일본에는, 맥도날드(Macdonald’ s) 등의, 패스트 푸드(fast food)의 햄버거(hamburger)의, 체인(chain)도, 많이 있습니다만...).

 

나는, 소고기 덮밥(쇠고기사발) 식당의 체인점(chain)은, 대학생으로부터 20대의 반위까지의 사이에, 자주(잘) 이용하고 있었습니다(어릴 적, 부모에게 데려서 가 준 기억도 없고, 고교생때는, 웬지 모르게, 추하다고 생각했는지 w, 그렇게 이용하지 않았습니다).현재는, 소고기 덮밥(쇠고기사발) 식당의 체인점(chain)은, 종합적으로 보면, 이따금 이용하고 있다고 한 느낌입니다(이용하지 않을 때는, 상당히 오랫동안, 전혀 이용하지 않는 한편, 이용할 때는, 상당히, 계속해 이용할 때도 있다).

 

 

사진 이하 2매.일의, 행선지의, 요시노야(yoshinoya)의 점포에서 먹은, 어제 점심 식사.스키야키(sukiyaki).스키야키(sukiyaki)는, 일본의 쇠고기 요리입니다.요시노야(yoshinoya)의, 스키야키(sukiyaki)는, 저렴한 가격에 비해(싼 가격에 비해), 꽤, 노력하고 있다고 생각합니다(꽤, 맛있다고 생각합니다).요시노야(yoshinoya)의 메뉴(menu) 중(안)에서는, 개인적으로, 소고기 덮밥(쇠고기사발)보다 좋아합니다(물론, 소고기 덮밥(쇠고기사발)도, 나쁘지는 않습니다만...).

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

세타가야(setagaya) 구(도쿄 중심부(도쿄 23구)의 니시하타부에 위치하는 구.(내가 산다) 시부야(shibuya) 구(도쿄 중심부(도쿄 23구)의 서부에 위치하는 구)의 서부등에 인접)의, 중동부의, 자연·건강지향의, 손수 만든 빵점&카페(cafe)의 빵.일부는, 아침 식사로서 먹어 나머지는, 냉동해, 보존합니다(보존식용으로 합니다).

 

 

 

 

 

 

Glico(일본의 대규모 과자 회사의 하나.1922년 창업)의, Pocky.Pocky는, 1966년에 판매가 개시된, 과자로, 오랫동안, 일본에서, 인기의, 과자가 되고 있습니다.이것은, 가루차(녹차·green tea) 초콜릿(chocolate)의, Pocky(어른용의, Pocky라고 한 느낌입니다).

 

 

 

 

 

 

「버섯의 산」.「버섯의 산」은, 일본에서, 상당히, 옛부터 판매되고 있는, 메이지(meiji..일본의 대규모 식품 회사의 하나.과자 부문( 구메이지 제과)은, 1916년 창업)의, 버섯의 형태를 한, 초콜릿(chocolate) 과자(버섯의 우산의 부분이, 초콜릿(chocolate), 모양의 부분이, 크래커(cracker)가 되고 있다)입니다.이것은, 딸기와 초콜릿(chocolate) 미의, 「버섯의 산」입니다.

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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