うちの町内

 

 

 

 

去年の10月の後半、東京の我が家から自動車で2時間半程の、長野(nagano)県の中南部の高原地帯(避暑地)にある別荘(別荘とは言っても、比較的裕福な人々が保有する様な典型的な別荘ではなく、庶民的な中古の一戸建て住宅です)で、過ごして来た物です。

 


以下、「以下、秋の高原滞在&食べ物3からの続きです。。。」と言う文までは、前回の投稿の文と、重複する物なので、前回の投稿を、ご覧になった方は、飛ばして下さい。

 


この時の三日目(以下、この日と書きます)は、天気が悪かったのですが、天気が悪い時は、自然を楽しむ(自然の中を、散歩したり、ハイキング(hiking)したりする)事よりも、別の事を、と言う事で、別荘から(別荘がある、長野(nagano)県の中南部areaから)、割と近い、木曽(kiso)area(長野(nagano)県の南西部area)の北端部にある、奈良井(narai)まで、足を延ばし(遊びに行き)、歴史的な、宿場町(syukuba町)の雰囲気を楽しみながら散歩しました。木曽(kiso)areaは、山深い(山と森林が多い)地域で、古くから林業が盛んな地域です。

 

 

奈良井(narai)は、木曽(kiso)area(長野(nagano)県の南西部area)の北端部areaにある、宿場町(syukuba町)です。宿場町(syukuba町)とは、歴史的に、都市間等を結ぶ街道(旅人が通る道)沿いにあって、旅人達の宿泊地として、旅人達の為の、宿泊施設や飲食施設を中心に発展した、町(村))の事を言います。奈良井(narai)は、昔の街道(旅人が通る道)沿いに、約1kmに渡って、古い(おそらく、主として、江戸(edo)時代(17世紀から、19世紀半ば)に建てられた)、商人等の家(住宅)の建物(その、ある程度、多くは、現在も、実際に、人が暮らしている様です)、商店(店舗)の建物、宿屋(宿泊施設)の建物が、残り、現在は、建物群及び街並みが、よく保存されると共に、日本で、古い(江戸(edo)時代(17世紀から、19世紀半ば)の)、宿場町(syukuba町)(下の補足説明参照)の雰囲気を、最も、良く残す場所の一つとして、観光地となっています(日本では、この様な、古い(江戸(edo)時代(17世紀から、19世紀半ば)の雰囲気を残す、宿場町(syukuba町)の街並み(家並み)は、建物の建て替え等により、1920年代頃から1970年代頃にかけて(特に、(日本では)、新しい物、便利な物、経済成長に、最も重要な価値を置く事が主流であった、1950年代頃から1960年代頃にかけて)、非常に、多くが失われてしまいました。その様な中で、古い(江戸(edo)時代(17世紀から、19世紀半ば)の)、宿場町(syukuba町)の雰囲気が、よく残っていた、奈良井(narai)では、1960年代後期頃から、古い建物と、古い街並み(家並み)を保存し、後世に伝えて行く事が、強く意識される様になり、現在に至っています)。

宿場町(syukuba町):歴史的に、都市間等を結ぶ街道(旅人が通る道)沿いにあって、旅人達の宿泊地として、旅人達の為の、宿泊施設や飲食施設を中心に発展した、町(村)。

 

 

 

奈良井(narai)は、日本の政府により、重要伝統的建造物群保存地区(特に重要な、伝統的建造物群保存地区)に指定されている場所の一つとなっています(日本の、非常に多くの、古い街並み(家並み)が、失われた中で、日本全国では、日本の政府により、重要伝統的建造物群保存地区(特に重要な、伝統的建造物群保存地区)に指定されている場所は、奈良井(narai)を含み、109箇所あります(逆に、日本全国的に見ても、109箇所しかないとも言えますが。。。)。なお、1843年の記録によれば、奈良井(narai)の宿泊施設の数は、7軒となっており(wikiより)、宿場(syukuba)(昔の旅人達の宿泊地・休憩地(である集落・村・町))としての規模の割には、宿泊施設の数は少なく、奈良井(narai)は、宿場町(syukuba町)であるものの、街道(旅人が通る道)沿いも、宿泊施設の建物よりも、住宅・店舗等の建物が中心の街並み(家並み)となっていた様です。奈良井(narai)の人々は、店舗の内容(商売の内容)等を、時代(現代)に合せつつ、自分達の街(奈良井(narai))の歴史や、古い建物に、誇りを感じている様です。


 

 

以下、秋の高原滞在&食べ物3からの続きです。。。

 

 

 

以下、この時の三日目(以下、この日と書きます)の続きで、奈良井(narai)の散歩の続きです。

 

 

写真以下47枚。奈良井(narai)の、古い(おそらく、主として、江戸(edo)時代(17世紀から、19世紀半ば)に建てられた)建物が残る街並み。昔の街道(旅人が通る道)沿いに、約1kmに渡って、古い(おそらく、主として、江戸(edo)時代(17世紀から、19世紀半ば)に建てられた)、商人等の家(住宅)の建物、商店(店舗)の建物、宿屋(宿泊施設)の建物が、残り、日本で、古い(江戸(edo)時代(17世紀から、19世紀半ば)の)、宿場町(syukuba町)(歴史的に、都市間等を結ぶ街道(旅人が通る道)沿いにあって、旅人達の宿泊地として、旅人達の為の、宿泊施設や飲食施設を中心に発展した、町(村))の雰囲気を、最も、良く残す場所の一つとなっています。なお、昔の街道(旅人が通る道)(写真の道路)は、基本的に(配達等の自動車を除いて)、住人の自動車だけしか通り事が出来ません。したがって、観光客は、周囲の、公共駐車場に、自動車を止め、歩いて(散歩しながら)、観光する事になります。

 

 

 

昔の街道(旅人が通る道)の周囲の、路地の風景例。。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

住宅等の建物は、道路(主な道路。(昔の)街道(旅人が通る道)沿い)に面した部分は、小さく(狭く)(横に狭く)、奥行きが広い(縦に長い)造りとなっています。したがって、通り(主な道路。(昔の)街道(旅人が通る道)沿い)から見ると、小さく見える(狭く見える)建物も、中に入ると、意外と広いと言う事が分かります。上の写真の様に、主な道路((昔の)街道(旅人が通る道)沿い)ではなく、路地から眺めると、建物を、縦側から見る事が出来るのですが、意外と広いと言う事が分かると思います。この様に、道路に面した部分は、小さく(狭く)(横に狭く)、奥行きが広い(縦に長い)造りの建物は、現代の、日本の都市部の住宅の建物等でも、よく見られます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下38枚。1840年に建てられた、裕福な商人(1602年から1870年代初め頃にかけて、奈良井(narai)において、旅行者用の馬等を、管理・運用していた商人)の住宅の建物。現在は、人が暮らしておらず(たぶん、この住宅の家族は、現在は、別の場所に暮らしていると思います)、歴史的な資料(歴史的な文化財)として保存され、一般に公開されています。

 

 

 

写真以下2枚。この住宅の、道路(主な道路。(昔の)街道(旅人が通る道))から見た外観。道路から見ると、あまり大きく見えませんが(横幅は、大きくありませんが)、(この道路((昔の)街道(旅人が通る道))沿いの、他の住宅等の建物同様)、奥行きが広い(縦に長い)造りとなっている為、建物に入ると、意外と広いと言う事が分かります。この様に、道路に面した部分は、小さく(狭く)(横に狭く)、奥行きが広い(縦に長い)造りの建物は、現代の、日本の都市部の住宅の建物等でも、よく見られます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下36枚。この住宅の内部の例。前述の通り、一見(道路から見ただけでは)、あまり大きく見えませんが、奥行きが広い(縦に長い)造りの建物である為、中に入ると、意外と広い(意外と大きい)と言う事が分かります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下10枚。二階部分の内部の例。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この住宅の家族が使っていた古い調度品等が、展示されています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

別荘の風呂は、基本的に、シャワー(shower)で汗を流す時位にしか使わず、別荘滞在中は、基本的には、風呂は、別荘周辺等の温泉を利用しています(別荘周辺には、温泉が、たくさんあります)。

 

 

 

この日の温泉は、奈良井(narai)から、別荘方面に帰る途中、高速道路(motorway)を、少し、手前で下りて、岡谷(okaya)市にある、岡谷(okaya)市が運営する公営の温泉施設の温泉風呂に入りました。元々、この日は、この温泉施設(岡谷(okaya)市にある、岡谷(okaya)市が運営する公営の温泉施設)の温泉風呂に入るつもりはなかったのですが、工事渋滞(工事による車線規制による渋滞)により、それよりも先、高速道路(motorway)が、別荘方面は、渋滞しているようであった為、高速道路(motorway)を、少し手前で下りて、ついでに、この温泉施設の温泉風呂に入って行く事にしました。

 

 

長野(nagano)県の、私の別荘があるarea(長野(nagano)県の中南部area)は、大きく、諏訪(suwa)湖(長野(nagano)県の中南部に有る大きな湖)周辺の盆地areaと、避暑地・高原保養地となっている、高原areaに分かれます。諏訪(suwa)湖周辺の盆地areaは、諏訪(suwa)市、下諏訪(shimosuwa)町、岡谷(okaya)市から成り、私の別荘がある高原area(私の別荘周辺)は、茅野(chino)市、富士見(fujimi)町、原(hara)村から成ります。なお、諏訪(suwa)湖周辺の盆地areaと高原areaの間は、自動車で簡単に行き来出来、両者の経済的・文化的な繋がりは、強いです。

 

諏訪(suwa)湖周辺の盆地areaは、諏訪(suwa)市(人口5万人程の小都市ですが、諏訪(suwa)湖周辺の盆地areaだけでなく、(高原areaも含む)長野(nagano)県の中南部areaの中心都市。大規模な温泉保養地となっていて、温泉を、家の風呂に引いている一般家庭も有る程、温泉の湯量が豊富)、下諏訪(shimosuwa)町(人口約2万人。古くからの温泉保養地)、岡谷(okaya)市から、成ります。

 

岡谷(okaya)市は、人口は、約5万人で、温泉が乏しく(ただし、温泉がない訳ではない。この日、利用した温泉施設は、岡谷(okaya)市にある温泉施設です)、観光面においては弱いが(ただし、鰻料理が有名で、鰻料理食堂が多い(長野(nagano)県の中南部areaには、鰻料理食堂が多いが、特に、岡谷(okaya)に多い))、近代以降は、工業都市(第二次世界大戦前は、製糸業、第二次世界大戦後は、精密機械工業)として発展した都市です。

 

写真以下3枚。この日、利用した温泉施設。この温泉施設の、チラシ(leaflet)より。。。岡谷(okaya)市にある、岡谷(okaya)市が運営する公営の温泉施設です。(利用者の中心は、観光客・保養客よりも)圧倒的に地元の人達と言った感じの温泉施設です。岡谷(okaya)は、長野(nagano)県の中南部areaの中では、私の別荘から遠い場所にあるので(まあ、遠いと言っても、それ程、大した事ありませんが。。)、この温泉施設は、あまり利用しませんが、極、たまに、気分転換に利用しています。

 

 

 

この温泉施設の、温水プール(swimming pool)。プール(swimming pool)は、水着を着て利用するようになっています。

 

 

 

 

 

 

この温泉施設の温泉風呂は、男女別の共同温泉風呂となっていて、男用の共同温泉風呂、女用の共同温泉風呂、それぞれに、屋内(室内)温泉風呂、サウナ(sauna)等があります(温泉露天(野外)風呂は、ありません)。写真は、この温泉施設の、男用の共同温泉風呂の屋内(室内)温泉風呂、又は、女用の共同温泉風呂の屋内(室内)温泉風呂(男用の共同温泉風呂も、女用の共同温泉風呂も、全く、同じ感じだと思います)。

 

 

 

 

 

 

この温泉施設の、サウナ(sauna)の例。

 

 

 

 

 

 

写真以下5枚。この日の夕食は、温泉に入った後、諏訪(suwa)湖周辺の盆地area(諏訪(suwa)市)の店舗と、私の別荘周辺(長野(nagano)県の中南部の高原area)の店舗、合計二店舗、店舗を展開している、お気に入りのインド料理(北インド料理)レストランの、諏訪(suwa)湖周辺の盆地area(諏訪(suwa)市)の店舗の方で食べました。このレストランは、私の別荘の有るエリア(area)(長野(nagano)県の中南部area)のインド料理レストラン(私が知る限り)の中で、個人的に、突出して、一番美味しいと思います。この店は、私の別荘周辺の店舗の方が、(諏訪(suwa)湖周辺の盆地area(諏訪(suwa)市)の店舗よりも)、私の別荘に、ずっと近いのですが、主に、割りと富裕な別荘族等を相手にしている別荘周辺の店舗の方は、値段が高いので、(富裕層の別荘族とは、全く異なる私はw)、個人的に、普段使いで利用する時は(日常の食事として、このインド料理レストランの料理を食べる時は)、基本的に、諏訪(suwa)湖周辺の盆地area(諏訪(suwa)市)の店舗の方を利用しています(前述の通り、諏訪(suwa)湖周辺の盆地areaと高原areaの間は、自動車で簡単に行き来出来、諏訪(suwa)湖周辺の盆地areaの店舗は、別荘から、そう遠くはありません)。周りの環境は別として(諏訪(suwa)湖周辺の盆地areaの店舗は、街中、別荘周辺の店舗は、緑豊かな高原地帯に有る)、店の雰囲気自体は、諏訪(suwa)湖周辺の盆地areaの店舗も、ゆったりとしていて良いです。

 


 

 

写真以下5枚。このインド料理(北インド料理)レストランで食べた、この日の夕食。ちなみに、飲み物は、この時、二人共、食事中は、ラッシー(lassi)等、食後は、チャイ(masala chai)(この店のチャイ(masala chai)は、美味しいです)を飲みました(自動車の運転があるので、お酒(アルコール(alcoholic)飲料)は、飲みませんでした)。

 

写真以下4枚は、全て、二人で分けて食べました。

 

 

写真以下2枚。タンドリーチキン(tandoori chicken)。この店の、タンドリーチキン(tandoori chicken)は、美味しくて、お気に入りとなっています。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下2枚。カレー(curry)。ナン(naan)の大きさに比べて、カレー(curry)は、少ないように見えますが、このレストランのカレー(curry)は、とても濃厚なので、全く、そんな事はありません。

 

 

シェフ(chef)が、特別に調合した、秘密のスパイス(spice)で味付けした、茄子と、炭火焼チキン(chicken)の、カレー(curry)。

 

 

 

 

 

 

ホウレン草(spinach)と、(手作り)カッテージチーズ(cottage cheese)の、カレー(curry)。一束分のホウレン草(spinach)の葉(葉の部分のみ)を使っています。

 

 

 

 

 

 

ナン(naan)(写真手前)。一人一枚ずつ(写真は、一人分)。この店は、ナン(naan)も、中々美味しいです。

 

 

 

 

 

 

 

この日の夜、別荘で食べた、シャーベット(sorbet)。別荘周辺のマートで買った物。薔薇の風味のシャーベット(sorbet)を、薔薇のチョコレートで包んだ物。チープな(安い)製品です。

 

 

 

 

 

 

 

以下、この翌日(この時の四日目(この時の、最終日)。以下、この日と書きます)からです。。。

 

この日は、朝寝坊をし、遅目の朝食を、別荘で食べてから(朝食の内容は、普段、東京の我が家で食べている朝食(パン、シリアル(cereal)、野菜サラダ(salad)、3種類程の果物、牛乳、ジュース(juice)、ヨーグルト(yoghurt))と、基本的に同じでした)、別荘の、 庭仕事と片付け(掃除)をし、その後、別荘周辺の、イタリア料理の、カフェ(cafe)&レストランで、遅目の昼食を食べ、別荘周辺の農産物販売所等で買い物をしてから、東京に帰って来ました。

 

 

 

写真以下25枚。この日の昼食は、遅目に、別荘周辺の、イタリア料理の、カフェ(cafe)&レストランで食べました。この店は、19世紀後期に建てられた、日本伝統式の一戸建て住宅(おそらく農家(農民の家))を改装した、カジュアル(casual)な、イタリア料理の、カフェ(cafe)&レストランです。この、カフェ(cafe)&レストランは、地元の人々と、別荘族、両方の利用が多い感じの、カフェ(cafe)&レストランです。このレストランは、前は、お気に入りで、よく利用していましたが、今は、時々利用する程度です(とは、言っても、近年、また、利用する頻度は、上がっては、来ている)。


 

 

写真以下18枚。このカフェ(cafe)&レストランの、外観及び、内装例。19世紀後期に建てられた、日本伝統式の一戸建て住宅(おそらく農家(農民の家))を改装した、カフェ(cafe)&レストランです。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下7枚。この、カフェ(cafe)&レストランで食べた、この日の昼食。


 

 

 

付け合せ(side dish)の、サラダ(salad)。一人一皿ずつ。

 

 

 

 

写真以下4枚は、二人で分けて食べました。

 

写真以下2枚。サラミ(salami)と、ホウレン草(spinach)の、ピザ(pizza)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下2枚。パスタ(pasta)。ズワイ蟹(蟹)と、茸の、ペペロンチーノ(aglio, olio e peperoncino)。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下2枚。デザート(dessert)。ケーキ(cake)。この、カフェ(cafe)&レストラン自家製の物ではなく、この、カフェ(cafe)&レストランが、私の別荘周辺のケーキ(cake)・西洋菓子店の一つ(このカフェ(cafe)の、近くにある)から、仕入れている物です。

 

 

 

 

 

 

 

 

私が食べた、チョコレート系の、ケーキ(cake)。

 

 

 

 

 

 

 

写真以下4枚。別荘周辺の、道路の風景例。。。この日は、天気は、あまり良くなかったです。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

遅目の昼食を食べた後は、別荘周辺の農産物販売所等で買い物をしてから、東京に帰って来ました。

 

 

 


秋の高原滞在&食べ物、終わり。。。

 

 

 

 

 

 

 


가을의 고원 체재&음식 4

 

 

 

 

작년의 10월의 후반, 도쿄의 우리 집으로부터 자동차로 2 시간 반정도의, 나가노(nagano) 현의 중남부의 고원지대(피서지)에 있는 별장(별장이라고는 해도, 비교적 유복한 사람들이 보유하는 것 같은 전형적인 별장이 아니고, 서민적인 중고의 독립주택입니다)에서, 보내 온 것입니다.

 


이하, 「이하, 가을의 고원 체재&음식 3으로부터의 계속입니다...」라고 하는 문장까지는, 전회의 투고의 문장과 중복 하는 것이므로, 전회의 투고를, 보신 (분)편은, 날려 주세요.

 


이 때의 3일째(이하, 이 날이라고 씁니다)는, 날씨가 나빴습니다만, 날씨가 나쁠 때는, 자연을 즐기는(자연속을, 산책하거나 하이킹(hiking) 하거나 한다) 일보다, 다른 일을, 이라고 하는 것으로, 별장으로부터(별장이 있는, 나가노(nagano) 현의 중남부 area로부터), 생각보다는 가까운, 키소(kiso) area(나가노(nagano) 현의 남서부 area)의 북단부에 있는, 나라이(narai)까지, 발길을 뻗쳐(놀러 가), 역사적인, 여인숙마을(syukuba마을)의 분위기를 즐기면서 산책했습니다.키소(kiso) area는, 산 깊은(산과 삼림이 많다) 지역에서, 옛부터 임업이 번성한 지역입니다.

 

 

나라이(narai)는, 키소(kiso) area(나가노(nagano) 현의 남서부 area)의 북단부 area에 있는, 여인숙마을(syukuba마을)입니다.여인숙마을(syukuba마을)이란, 역사적으로, 도시간등을 묶는 가도(여행자가 통과하는 길) 가에 있고, 여행자들의 숙박지로서 여행자들을 위한, 숙박시설이나 음식 시설을 중심으로 발전한, 마을(마을))의 일을 말합니다.나라이(narai)는, 옛 가도(여행자가 통과하는 길) 가에, 약 1 km에 건너고, 낡은(아마, 주로, 에도(edo) 시대(17 세기부터, 19 세기 중반)에 지어진), 상인등의 집(주택)의 건물(그, 어느 정도, 많게는, 현재도, 실제로, 사람이 살고 있는 것 같습니다), 상점(점포)의 건물, 여인숙(숙박시설)의 건물이, 남아, 현재는, 건물군 및 거리풍경이, 자주(잘) 보존됨과 동시에, 일본에서, 낡은(에도(edo) 시대(17 세기부터, 19 세기 중반)의), 여인숙마을(syukuba마을)(아래의 보충 설명 참조)의 분위기를, 가장, 잘 남기는 장소의 하나로서, 관광지가 되고 있습니다(일본에서는, 이와 같은, 낡은(에도(edo) 시대(17 세기부터, 19 세기 중반)의 분위기를 남기는, 여인숙마을(syukuba마을)의 거리풍경(집이 늘어서 있는 것)은, 건물의 재건축등에 의해, 1920년대무렵부터 1970년대무렵에 걸치고(특히, (일본에서는), 새로운 것, 편리한 것, 경제성장에, 가장 중요한 가치를 두는 것이 주류인, 1950년대무렵부터 1960년대경에 걸치고), 매우, 대부분이 없어져 버렸습니다.그 같은 안으로, 낡은(에도(edo) 시대(17 세기부터, 19 세기 중반)의), 여인숙마을(syukuba마을)의 분위기가, 잘 남아 있던, 나라이(narai)에서는, 1960년대 후기무렵부터, 낡은 건물과 오래된 거리 같은 수준(집이 늘어서 있는 것)을 보존해, 후세에게 전해서 가는 것이, 강하게 의식되는 것처럼 되어, 현재에 이르고 있습니다).

여인숙마을(syukuba마을):역사적으로, 도시간등을 묶는 가도(여행자가 통과하는 길) 가에 있고, 여행자들의 숙박지로서 여행자들을 위한, 숙박시설이나 음식 시설을 중심으로 발전한, 마을(마을).

 

 

 

나라이(narai)는, 일본의 정부에 의해, 중요 전통적 건조물군보존 지구(특히 중요한, 전통적 건조물군보존 지구)로 지정되어 있는 장소의 하나가 되고 있습니다(일본의, 매우 많은, 오래된 거리 같은 수준(집이 늘어서 있는 것)이, 없어진 가운데, 일본 전국에서는, 일본의 정부에 의해, 중요 전통적 건조물군보존 지구(특히 중요한, 전통적 건조물군보존 지구)로 지정되어 있는 장소는, 나라이(narai)를 포함해, 109개소 있습니다(반대로, 일본 전국적으로 봐도, 109개소 밖에 없다고 말할 수 있습니다만...).덧붙여 1843년의 기록에 의하면, 나라이(narai)의 숙박시설의 수는, 7채가 되고 있어(wiki보다), 여인숙(syukuba)(옛 여행자들의 숙박지·휴식지(인 취락·촌·정))로서의 규모에 비해서는, 숙박시설의 수는 적고, 나라이(narai)는, 여인숙마을(syukuba마을)이지만, 가도(여행자가 통과하는 길) 가도, 숙박시설의 건물보다, 주택·점포등의 건물이 중심의 거리풍경(집이 늘어서 있는 것)이 되고 있던 같습니다.나라이(narai)의 사람들은, 점포의 내용(장사의 내용) 등을, 시대(현대)에 배합하면서, 자신들의 거리(나라이(narai))의 역사나, 낡은 건물에, 자부심을 느끼고 있는 것 같습니다.


 

 

이하, 가을의 고원 체재&음식 3으로부터의 계속입니다...

 

 

 

이하, 이 때의 3일째(이하, 이 날이라고 씁니다)의 계속으로, 나라이(narai)의 산책의 계속입니다.

 

 

사진 이하 47매.나라이(narai)의, 낡은(아마, 주로, 에도(edo) 시대(17 세기부터, 19 세기 중반)에 지어진) 건물이 남는 거리풍경.옛 가도(여행자가 통과하는 길) 가에, 약 1 km에 건너고, 낡은(아마, 주로, 에도(edo) 시대(17 세기부터, 19 세기 중반)에 지어진), 상인등의 집(주택)의 건물, 상점(점포)의 건물, 여인숙(숙박시설)의 건물이, 남아, 일본에서, 낡은(에도(edo) 시대(17 세기부터, 19 세기 중반)의), 여인숙마을(syukuba마을)(역사적으로, 도시간등을 묶는 가도(여행자가 통과하는 길) 가에 있고, 여행자들의 숙박지로서 여행자들을 위한, 숙박시설이나 음식 시설을 중심으로 발전한, 마을(마을))의 분위기를, 가장, 잘 남기는 장소의 하나가 되고 있습니다.덧붙여 옛 가도(여행자가 통과하는 길)(사진의 도로)는, 기본적으로(배달등의 자동차를 제외하고), 거주자의 자동차 밖에 대로일을 할 수 없습니다.따라서, 관광객은, 주위의, 공공 주차장에, 자동차를 세워 걷고(산책하면서), 관광하는 일이 됩니다.

 

 

 

옛 가도(여행자가 통과하는 길)의 주위의, 골목의 풍경예...

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

주택등의 건물은, 도로(주된 도로.(옛) 가도(여행자가 통과하는 길) 가)에 접한 부분은, 작고(좁고)(옆에 좁고), 깊이가 넓은(세로에 길다) 구조가 되고 있습니다.따라서, 대로(주된 도로.(옛) 가도(여행자가 통과하는 길) 가)에서 보면, 작게 보이는(좁게 보인다) 건물도, 안에 들어오면, 의외로 넓다고 하는 것이 압니다.위의 사진과 같이, 주된 도로((옛) 가도(여행자가 통과하는 길) 가)가 아니고, 골목으로부터 바라보면, 건물을, 세로측이 볼 수가 있습니다만, 의외로 넓다고 하는 것이 안다고 생각합니다.이와 같게, 도로에 접한 부분은, 작고(좁고)(옆에 좁고), 깊이가 넓은(세로에 길다) 구조의 건물은, 현대의, 일본의 도시지역의 주택의 건물등에서도, 잘 볼 수 있습니다.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 38매.1840년에 지어진, 유복한 상인(1602년부터 1870년대 초경에 걸치고, 나라이(narai)에 있고, 여행자용의 말등을, 관리·운용하고 있던 상인)의 주택의 건물.현재는, 사람이 살지 않고(아마, 이 주택의 가족은, 현재는, 다른 장소에 살고 있다고 생각합니다), 역사적인 자료(역사적인 문화재)로서 보존되어 일반적으로 공개되고 있습니다.

 

 

 

사진 이하 2매.이 주택의, 도로(주된 도로.(옛) 가도(여행자가 통과하는 길))에서 본 외관.도로에서 보면, 너무 크게 보이지 않습니다만(가로폭은, 크지는 않습니다가), (이 도로((옛) 가도(여행자가 통과하는 길)) 가의, 다른 주택등의 건물 같이), 깊이가 넓은(세로에 길다) 구조가 되고 있기 때문에(위해), 건물에 들어가면, 의외로 넓다고 하는 것이 압니다.이와 같게, 도로에 접한 부분은, 작고(좁고)(옆에 좁고), 깊이가 넓은(세로에 길다) 구조의 건물은, 현대의, 일본의 도시지역의 주택의 건물등에서도, 잘 볼 수 있습니다.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 36매.이 주택의 내부의 예.상술한 대로, 일견(도로에서 본 것 만으로는), 너무 크게 보이지 않습니다만, 깊이가 넓은(세로에 길다) 구조의 건물이기 때문에(위해), 안에 들어오면, 의외로 넓은(의외로 크다)라고 말하는 것이 압니다.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 10매.2층 부분의 내부의 예.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

이 주택의 가족이 사용하고 있던 낡은 일상 생활 용품등이, 전시되고 있습니다.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

별장의 목욕탕은, 기본적으로, 샤워(shower)로 땀을 흘릴 때 위밖에 사용하지 않고, 별장 체제중은, 기본적으로는, 목욕탕은, 별장 주변등의 온천을 이용하고 있습니다(별장 주변에는, 온천이, 많이 있습니다).

 

 

 

이 날의 온천은, 나라이(narai)로부터, 별장 방면으로 돌아가는 도중 , 고속도로(motorway)를, 조금, 앞에서 물러나고, 오카다니(okaya) 시에 있는, 오카다니(okaya) 시가 운영하는 공영의 온천 시설의 온천 목욕했습니다.원래, 이 날은, 이 온천 시설(오카다니(okaya) 시에 있는, 오카다니(okaya) 시가 운영하는 공영의 온천 시설)의 온천 목욕할 생각은 없었습니다만, 공사 정체(공사에 의한 차선 규제에 의한 정체)에 의해, 그것보다 앞, 고속도로(motorway)가, 별장 방면은, 정체하고 있는 것 같음 때문, 고속도로(motorway)를, 조금 앞에서 물러나고, 하는 김에, 이 온천 시설의 온천 목욕해서 가는 일로 했습니다.

 

 

나가노(nagano) 현의, 나의 별장이 있는 area(나가노(nagano) 현의 중남부 area)는, 크고, 스와(suwa) 호(나가노(nagano) 현의 중남부에 있는 큰 호수) 주변의 분지 area와 피서지·고원 보양지가 되고 있는, 고원 area로 나누어집니다.스와(suwa) 호수 주변의 분지 area는, 스와(suwa) 시, 시모스와(shimosuwa) 마치, 오카다니(okaya) 시로부터 완성되어, 나의 별장이 있는 고원 area( 나의 별장 주변)는, 카야노(chino) 시, 후지미(fujimi) 마을, 원(hara) 촌으로부터 완성됩니다.덧붙여 스와(suwa) 호수 주변의 분지 area와 고원 area의 사이는, 자동차로 간단하게 왕래 할 수 있어 양자의 경제적·문화적인 연결은, 강합니다.

 

스와(suwa) 호수 주변의 분지 area는, 스와(suwa) 시(인구 5만명정도의 소도시입니다만, 스와(suwa) 호수 주변의 분지 area 뿐만이 아니라, (고원 area도 포함한다) 나가노(nagano) 현의 중남부 area의 중심 도시.대규모 온천 보양지가 되고 있고, 온천을, 집의 목욕탕에 당기고 있는 일반 가정도 있는만큼, 온천의 탕수의 양이 토요토미), 시모스와(shimosuwa) 마을(인구 약 2만명.옛부터의 온천 보양지), 오카다니(okaya) 시로부터, 완성됩니다.

 

오카다니(okaya) 시는, 인구는, 약 5만명으로, 온천이 부족하고(다만, 온천이 없는 것은 아니다.이 날, 이용한 온천 시설은, 오카다니(okaya) 시에 있는 온천 시설입니다), 관광면에 있어 약하지만(다만, 뱀장어 요리가 유명하고, 뱀장어 요리 식당이 많은(나가노(nagano) 현의 중남부 area에는, 뱀장어 요리 식당이 많지만, 특히, 오카다니(okaya)에 많다)), 근대 이후는, 공업도시(제이차 세계대전전은, 제사업, 제이차 세계대전 후는, 정밀 기계공업)로서 발전한 도시입니다.

 

사진 이하 3매.이 날, 이용한 온천 시설.이 온천 시설의, 광고지(leaflet)보다...오카다니(okaya) 시에 있는, 오카다니(okaya) 시가 운영하는 공영의 온천 시설입니다.(이용자의 중심은, 관광객·보양객보다) 압도적으로 현지의 사람들이라고 한 느낌의 온천 시설입니다.오카다니(okaya)는, 나가노(nagano) 현의 중남부 area 중(안)에서는, 나의 별장으로부터 먼 장소에 있으므로(뭐, 멀다고 해도, 그렇게, 대단한 일 없습니다만..), 이 온천 시설은, 별로 이용하지 않습니다만, 극히, 이따금, 기분 전환에 이용하고 있습니다.

 

 

 

이 온천 시설의, 온수 풀(swimming pool).풀(swimming pool)은, 수영복을 입어 이용하게 되어 있습니다.

 

 

 

 

 

 

이 온천 시설의 온천 목욕탕은, 남녀별의 공동 온천 목욕탕이 되고 있고, 남용의 공동 온천 목욕탕, 녀용의 공동 온천 목욕탕, 각각, 옥내(실내) 온천 목욕탕, 사우나(sauna) 등이 있는(온천 노천(야외) 목욕탕은, 없습니다).사진은, 이 온천 시설의, 남용의 공동 온천 목욕탕의 옥내(실내) 온천 목욕탕, 또는, 녀용의 공동 온천 목욕탕의 옥내(실내) 온천 목욕탕(남용의 공동 온천 목욕탕도, 녀용의 공동 온천 목욕탕도, 완전히, 같은 느낌이라고 생각합니다).

 

 

 

 

 

 

이 온천 시설의, 사우나(sauna)의 예.

 

 

 

 

 

 

사진 이하 5매.이 날의 저녁 식사는, 온천에 들어간 후, 스와(suwa) 호수 주변의 분지 area(스와(suwa) 시)의 점포와 나의 별장 주변(나가노(nagano) 현의 중남부의 고원 area)의 점포, 합계2 점포, 점포를 전개하고 있는, 마음에 드는 인도 요리(북쪽 인도 요리) 레스토랑의, 스와(suwa) 호수 주변의 분지 area(스와(suwa) 시)의 점포쪽으로 먹었습니다.이 레스토랑은, 나의 별장이 있는 에리어(area)(나가노(nagano) 현의 중남부 area)의 인도 요리 레스토랑(내가 아는 한)안에서, 개인적으로, 내미고, 제일 맛있다고 생각합니다.이 가게는, 나의 별장 주변의 점포가, (스와(suwa) 호수 주변의 분지 area(스와(suwa) 시)의 점포보다), 나의 별장에, 훨씬 가깝습니다만, 주로, 나누기와 부유인 별장족등을 상대로 하고 있는 별장 주변의 점포는, 가격이 비싸기 때문에, (부유층의 별장족이란, 완전히 다른 나는 w), 개인적으로, 평상시 값어치 이용할 때는(일상의 식사로서 이 인도 요리 레스토랑의 요리를 먹을 때는), 기본적으로, 스와(suwa) 호수 주변의 분지 area(스와(suwa) 시)의 점포쪽을 이용하고 있는(상술한 대로, 스와(suwa) 호수 주변의 분지 area와 고원 area의 사이는, 자동차로 간단하게 왕래융`o 와, 스와(suwa) 호수 주변의 분지 area의 점포는, 별장으로부터, 그렇게 멀지는 않습니다).주위의 환경은 별도로(스와(suwa) 호수 주변의 분지 area의 점포는, 거리, 별장 주변의 점포는, 신록이 풍부한 고원지대에 있다), 가게의 분위기 자체는, 스와(suwa) 호수 주변의 분지 area의 점포도, 느긋하고 있어 좋습니다.

 


 

 

사진 이하 5매.이 인도 요리(북쪽 인도 요리) 레스토랑에서 먹은, 이 날의 저녁 식사.덧붙여서, 음료는, 이 때, 두 명모두, 식사중은, 랏시(lassi) 등 , 식후는, 체이(masala chai)(이 가게의 체이(masala chai)는, 맛있습니다)를 마셨던(자동차의 운전이 있으므로, 술(알코올(alcoholic) 음료)은, 마시지 않았습니다).

 

사진 이하 4매는, 모두, 둘이서 나누어 먹었습니다.

 

 

사진 이하 2매.탄 돌리 치킨(tandoori chicken).이 가게의, 탄 돌리 치킨(tandoori chicken)은, 맛있어서, 마음에 드는 것이 되고 있습니다.



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 2매.카레(curry).낭(naan)의 크기에 비해, 카레(curry)는, 적은 것처럼 보입니다만, 이 레스토랑의 카레(curry)는, 매우 농후해서, 완전히, 그런 일은 없습니다.

 

 

세프(chef)가, 특별히 조제한, 비밀의 스파이스(spice)로 맛내기한, 가지와 숯불소치킨(chicken)의, 카레(curry).

 

 

 

 

 

 

시금치(spinach)와(손수 만든 ) 코티지 치즈(cottage cheese)의, 카레(curry).한 다발 분의 시금치(spinach)의 잎(잎의 부분만)을 사용하고 있습니다.

 

 

 

 

 

 

낭(naan)(사진 앞).한 명 한 장씩(사진은, 일인분).이 가게는, 낭(naan)도, 꽤 맛있습니다.

 

 

 

 

 

 

 

이 날의 밤, 별장에서 먹은, 샤벳(sorbet).별장 주변의 마트에서 산 것.장미의 풍미의 샤벳(sorbet)을, 장미의 초콜릿으로 싼 것.저렴한(싸다) 제품입니다.

 

 

 

 

 

 

 

이하, 이 다음날(이 때의 4일째(이 때의, 마지막 날).이하, 이 날이라고 씁니다)로부터입니다...

 

이 날은, 늦잠을 자, 지목의 아침 식사를, 별장에서 먹고 나서(아침 식사의 내용은, 평상시, 도쿄의 우리 집에서 먹고 있는 아침 식사(빵, 시리얼(cereal), 야채 사라다(salad), 3 종류정도의 과일, 우유, 쥬스(juice), 요구르트(yoghurt))와 기본적으로 같았습니다), 별장의, 뜰일과 정리해(청소)를 해, 그 후, 별장 주변의, 이탈리아 요리의, 카페(cafe)&레스토랑에서, 지목의 점심 식사를 먹어 별장 주변의 농산물 판매소등에서 쇼핑을 하고 나서, 도쿄에 돌아왔습니다.

 

 

 

사진 이하 25매.이 날의 점심 식사는, 지목에, 별장 주변의, 이탈리아 요리의, 카페(cafe)&레스토랑에서 먹었습니다.이 가게는, 19 세기 후기에 지어진, 일본 전통식의 독립주택(아마 농가(농민의 집))를 개장한, 캐쥬얼(casual)인, 이탈리아 요리의, 카페(cafe)&레스토랑입니다.이, 카페(cafe)&레스토랑은, 현지의 사람들과 별장족, 양쪽 모두의 이용이 많은 느낌의, 카페(cafe)&레스토랑입니다.이 레스토랑은, 전은, 마음에 드는 것으로, 자주(잘) 이용하고 있었습니다만, 지금은, 가끔 이용하는 정도입니다(란, 말해도, 근년, 또, 이용하는 빈도는, 올라서는, 와있다).


 

 

사진 이하 18매.이 카페(cafe)&레스토랑의, 외관 및, 내장예.19 세기 후기에 지어진, 일본 전통식의 독립주택(아마 농가(농민의 집))를 개장한, 카페(cafe)&레스토랑입니다.


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 7매.이, 카페(cafe)&레스토랑에서 먹은, 이 날의 점심 식사.


 

 

 

곁들여(side dish)의, 사라다(salad).일인일명씩.

 

 

 

 

사진 이하 4매는, 둘이서 나누어 먹었습니다.

 

사진 이하 2매.살라미(salami)와 시금치(spinach)의, 피자(pizza).

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 2매.파스타(pasta).참게게(게)와 버섯의, 페페론치노(aglio, olio e peperoncino).


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 2매.디저트(dessert).케이크(cake).이, 카페(cafe)&레스토랑 자가제의 물건이 아니고, 이, 카페(cafe)&레스토랑이, 나의 별장 주변의 케이크(cake)·서양 과자점의 하나(이 카페(cafe)의, 근처에 있다)로부터, 구매하고 있는 것입니다.

 

 

 

 

 

 

 

 

내가 먹은, 초콜릿계의, 케이크(cake).

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 4매.별장 주변의, 도로의 풍경예...이 날은, 날씨는, 그다지 좋지 않았습니다.


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

지목의 점심 식사를 먹은 다음은, 별장 주변의 농산물 판매소등에서 쇼핑을 하고 나서, 도쿄에 돌아왔습니다.

 

 

 


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