うちの町内

 

 

 

投稿しようと写真を撮ったものの、投稿する機会を失っていた、風景と食べ物の写真を、アップ(upload)します。

 

以下の風景写真は、基本的に、2008年の9月の下旬(かなり、前ですが。。。w)、去年(2013年)の3月の中旬、去年(2013年)の12月の初旬に、それぞれ、運動を兼ねて、私の街を散歩した際に撮影した物です。現在の風景は、これ等の写真を撮影した時と変わった部分もありますが、基本的には、これ等の写真を撮影した時と、ほとんど、変わっていません。

 

写真以下85枚。私の街(東京中心部(東京23区)の西部に位置する渋谷(shibuya)区の中北部)の風景例。。。

 

私の街は、基本的に、静かで、落ち着いた住宅地となっています。私は、現在一人暮らしですが(まあ、一人暮しと言っても、一週間に、1日から3日位は、二人なの(彼女が我が家に泊まっているの)ですが。。。)、実家(元々、私の母方の祖父母の家。現在は、両親が、引き継いで暮らしている)が近所で、この街で、生まれ育ちました。私の街は、お金持ちから、中上流・中流層、そして、私の様な庶民層まで、様々な人々暮らしていますが、個人の家の庭の緑等も、結構多い(ただし、少しずつ、減っては、来ている)、静かで落ち着いた、住宅地となっています(もっとも、郊外の住宅地に比べれば、限度が有りますが(郊外の住宅地には、敵いませんが。。。))。私の街は、元々、1920年代から1930年代頃に、(当時は)東京の西の郊外(まあ、郊外とは言っても、東京の都心部に比較的近い郊外でしたが)に開発された、中流層や新興金持ち向けの新興住宅地です。新興住宅地として開発される前は、まだ農村の雰囲気が色濃く残る、のどかな地域だった様で、また、新興住宅地として開発された後も、かなり、しばらくの間は、まだ、のどかな雰囲気が残っていた様です(私の母が、まだ幼かった頃(私の母が、幼稚園児の頃から小学校低学年生の頃。1950年代初め頃)は、実家の庭では、当たり前の様に、蛍が見られたそうです)。

 

 

 

 

私の街の、不特定多数の、たくさんの自動車が走るための道路の、風景例(去年(2013年)の3月の中旬に散歩した際に撮影)。この様な道路に対し、住宅地の中の道路は、狭いですが、基本的に、住民しか利用しないので(配達の自動車や、植木屋さん(一戸建て住宅や邸宅等の、庭等の、木々や植物を整える仕事をする人)の自動車等を除けば、基本的に、住民の自動車しか通らないので)、静かです。

 

 

 


私の街もそうですが、第2次世界大戦後の、(貧富の格差を無くす為の)不動産等を相続する際に支払う税金の税率の大幅な引き上げ等により、1960年代頃から、現在に至るまで、東京areaや関西(kansai)大都市圏の、高級住宅街や静かで落ち着いた住宅地の、ゆったりとした敷地を持つ邸宅は、低層の高級アパート、企業や公務員の社宅、老人ホーム(高齢者が入居する施設。公営の物と私営の物が有る)等の公共・福祉施設等へと、次々と建て替えられて来ました(所有者が、相続税を払い切れずに、(日本では、第2次世界大戦後、貧富の格差を縮小させる為に、相続税率が、大幅に上がった)、邸宅を土地と供に売り払い、邸宅の建物が取り壊された後、低層の高級アパート(マンション)が建つ場合が多いです)。

 

私の街に関しても、私の子供の頃から比べても、明かに、ゆったりとした敷地を持つ邸宅は減りましたし(減り続けて来ましたし)、ゆったりとした敷地を持つ邸宅の、低層の高級アパート(マンション)等への建て替えは、現在進行形で、徐々に、進んでいます(これは、ずっと実感し続けて来ましたし、今でも実感しています)。ただし、この様な現象の進む速度については、街によって差がある様です。例えば、東京中心部(東京23区)の閑静な(静かで落ち着いた)住宅地の中でも、比較的、外れに(都心から離れた場所)に位置する住宅地は、地価(土地の価格)が、相対的に低い為か、この様な現象の進む速度は、遅く、昔ながらの、ゆったりとした敷地を持つ邸宅や一戸建て住宅の、低層の高級アパート等への建替えが、それ程進んでいない感じです。一方、私の街は、この様な現象の進む速度が、かなり早い方に属する感じです(かなり早いとは言っても、何も、一夜にして、街の景色が変わると言う訳ではなく、割と、長い期間をかけて、この様な現象が、徐々に進んで来たのではありますが。。。)。この様な現象において、草木が生い茂る邸宅の庭が潰され、かつての邸宅の敷地、ほとんど目一杯に、共同住宅等が建てられて来た事は、東京areaや関西(kansai)大都市圏の、高級住宅街や、静かで落ち着いた住宅地の緑の減少と景観破壊に繋がって来ましたが、一方において、この様な現象は、第2次世界大戦後、日本で、貧富の格差が解消して来た事の証の一つとも言えるでしょう。


写真以下9枚。私の街の、お金持ちの、邸宅の例。。。この様な、広い敷地を持つ、邸宅らしい邸宅は(広い敷地や、邸宅の敷地を囲む木々等により、邸宅の外(道路)からは、邸宅の建物が、あまり見えない邸宅も、多いです)、まだ、(私の街にも)、ある程度ありますが、(前述した、相続税の問題等により)、毎年、一つ、二つと、低層の高級アパート(マンション)等へ建て替えられる事によって、消え続けています。

 

 

写真以下7枚は、去年(2013年)の12月の初旬に、散歩した際に撮影。

 

 

写真以下4枚は、同じ邸宅。

 

 

写真以下2枚。写真右側が、邸宅の敷地。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下2枚。写真左側が、邸宅の敷地。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下3枚は、同じ邸宅。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下2枚は、2008年の9月の下旬に散歩した際に撮影。。。


 

 

写真右側が、邸宅の敷地。

 

 

 

 

 

 

 

 

写真両側、それぞれ、邸宅の敷地。前述の通り、住宅地の中の道路は、狭いですが、この道路は、その中でも、特に、狭い道路です。。。

 

 

 

 

 

 

 

去年(2013年)の12月の初旬に、散歩した際に撮影。写真左側は、私の街の、公営の老人ホーム(高齢者が入居する施設。公営の物と私営の物が有る)の一つ。敷地面積は、1,500坪(tsubo)から2,000坪(tsubo)(5,000平方メートルから6,600平方メートル)位かな。。。この公営の老人ホームある場所(敷地)は、私が、幼い頃は、立派な門に猛犬注意と言うサイン(標示)の有る、(おそらく、1920年代から1930年代に建てられたと思われる、立派な西洋式の邸宅の建物を有する)、西洋式の個人の邸宅でした。

 

 

 

 

 

写真以下5枚。去年(2013年)の12月の初旬に、散歩した際に撮影。私の街の、低層の高級アパート(マンション)等の、風景例。。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下2枚は、ある程度、古い(たぶん、1970年代前半頃に建てられた)、低層の高級アパート(マンション)です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真(去年(2013年)の12月の初旬に、散歩した際に撮影)の、一戸建て住宅が、複数、建っている場所は、かつては、木々や植物の多かった、広い敷地を持つ、一つの、一戸建て住宅の敷地だったのですが、その、(今はない一つの)住宅の(かつての)敷地を分割して、複数の、一戸建て住宅が建てられた物です。広い敷地を持つ、古い邸宅の跡地は、低層の高級アパート(マンション)になる場合が多いですが、ゆったりとした敷地を持つ、古い一戸建て住宅の敷地の跡地は、分割されて、複数の、比較的、小さな一戸建て住宅が建てられる場合が多いです(何れにしても、かつての敷地、ほとんど目一杯に建物が建てられる場合が、ほとんどで、かつての庭の植物等は、失われてしまいます)。

 

 

 

 

 

 

 

写真(去年(2013年)の3月の中旬に散歩した際に撮影)の、現在は、低層の高級アパート(マンション)が建っている場所(敷地)は、私が、幼い頃は、東京の、カナダ大使館(Embassy of Canada in Tokyo)関連の施設として使われていた、西洋式の住宅(住宅の建物は、おそらく、1920年代から1930年代頃建てられた物だと思います)がありました(初めから、カナダ大使館関連の施設として建てられた住宅の建物なのか、それとも、カナダ大使館が、その西洋式の住宅を、後から購入して、一時の、カナダ大使館関連の施設として使用していたのか、よく分かりません)。ちなみに、東京の、カナダ大使館(Embassy of Canada in Tokyo)は、フランスのパリ(Paris)の、カナダ大使館(Embassy of Canada in Paris)、アメリカのWashington D.C.の、カナダ大使館(Embassy of Canada in Washington D.C.)に次いで、世界で、3番目に古い、カナダの、在外国、公使館(legation)の様です。

 

 

 

 

 

 

写真は、去年(2013年)の12月の初旬に、散歩した際に撮影。私の街は、お金持ちから、中上流・中流層、そして、私の様な庶民層まで、様々な人々暮らしていますが、地価が高い、東京中心部(東京23区)(私の街も、含まれる)においては、比較的、新しい、庶民の一戸建て住宅は、(写真右側の、一戸建て住宅の様に)、狭い土地に3階建てにし、1階部分を駐車場にして、居住床面積を稼ぐ様な住宅が多いです。我が家も、この様な、典型的な、比較的、新しい、東京中心部(東京23区)の、庶民向け、一戸建て住宅と言った感じで、庭はなく、3階建てで、1階部分は駐車場、居住床面積30坪(約100平方m)程度の、住宅です。

 

 

 

 

 

 

 

写真は、去年(2013年)の12月の初旬に、散歩した際に撮影。私の街の、比較的、新しい中流層(金持ちと庶民の間の層)の住宅の一例。地価が高い、東京中心部(東京23区)(私の街も、含まれる)においては、昔からの中流層は、比較的、ゆとりのある土地に暮していますが、比較的、新しい中流層の住宅は、土地に、比較的、ゆとりがない為、この様に、ほとんど、敷地目一杯に建てられている場合も多いです

 

 

 

 

 

 

ちなみに、我が家の近所の、私の実家は、敷地面積100坪程(約330平方m)の、庭がある、一戸建て住宅です。私の実家は、私の母方の祖父母の家で、現在は、両親が、その家を引き継いでいます(ちなみに、私の母は、一人娘です)。元々は、私の母方の祖母の父(山梨(yamanashi)県(東京圏の西部に隣接する県)の、裕福な地主であった)が、東京に保有していた不動産の一つであった物で(私の母方の祖母の父が、私の母方の祖母が結婚した際に、私の母方の祖父母に与えた物。当時の中流階級の一戸建て住宅として、小さな方であったと思います)、元々の家の建物は、1920年代頃?に建てられた、日本伝統式の住宅の建物だった様ですが、現在の家の建物は、1960年代初め頃に、建替えられた物です(現在は、耐震補強もなされています)。東京中心部(東京23区内)の場合、1920年代から1930年代頃に、中流階級向けの新興住宅地として開発され初め、1960年代半ば以前には、既に結構たくさんの人々が暮らしていた様な、静かで落ち着いた住宅地は、親の家を引き継いで暮らしている人々も、結構多く(大部分は、土地だけ引き継いで、時代に合わせて、家の建物は建替えている)、こうした場合は、土地を購入する負担が無い事から、庶民や普通の中産層(私の父は、普通の会社員)でも、東京中心部(東京23区内)で、ある程度の広さの一戸建て住宅に暮らす事が可能です(ただ、敷地が、東京中心部(東京23区内)の住宅の敷地としては、かなり広い場合には、相続税の関係で無理でしょう)。ちなみに、私は、弟と二人兄弟なのですが(弟は、私よりも2歳年下で、会社員です)、弟は、近年、結婚し、既に、子供も生まれました。弟は、東京の西部郊外の、国立(kunitachi)に、一戸建て住宅を購入し、暮らしていますが、まだ、大分、先の話になると思いますが(両親は、長生きして欲しいです)、もし両親が、亡くなったら、我が家の近所の実家は、私が、このまま家庭を持たない限り、(放蕩息子の私と違ってw)真面目で安定した、弟に譲ろうと思っています。(まだ、大分、先の話なので、どうなるか分かりませんが)、もし、弟が、実家を継ぐ事になったら、税金等は、出来る限り補助するつもりでいます(弟が、私に補助される必要性を感じなければ、若しくは、私に補助される必要性が、全くなければ、しませんが)。

 

 

 

写真以下28枚。私の街の、1920年代から1930年代頃に建てられたと思われる、古い、一戸建て住宅の例。。。私の街においても、この様な古い住宅の建物は、年々、失われ続けています。私は、(古い一戸建て住宅の建物を含む)古い建物を眺めるのが好きなのですが、日本では、(日本の建物は、歴史上、長らく、石造りでは無く、木造が基本で有ったと言う事が関係していると思いますが)、古い建物を長く使い続けると言う発想が、乏しく、文化財にでも指定されていない限り、寺や神社(shrine)の建物でさえ、老朽化したと言って、結構、あっさりと建て替えてしまいます(もっとも、現存している、江戸(edo)時代(19世紀半ば)以前に建てられた、寺や神社(shrine)の建物に関しては、普通は、文化財に指定されていると思いますが)。したがって、古い住宅の建物となると、尚更、安易に建て替えられてしまう傾向が有ります(我が家の近所の実家の建物も、前述の通り、(元は、第2次世界大戦前に建てられた建物であったそうですが)、私が、生まれる前に、現在の建物に建て替えられてしまっています)。文化財に指定されている様な、古い建物は、とりあえず安心なので、個人的に、差し迫って、写真を撮影する必要は有りませんが、私は、やがて消え行く運命に有る(それは、もしかして、すぐ明日にでも、訪れるかもしれない)、無名の古い住宅の建物を、せめて、私の街の分だけでも(出来たら、私の街以外の物も)、まだ存在している内に、出来るだけ多く、写真の中に収めて置こうと思っています。が、しかし、面倒臭さが勝って、中々作業が、進んでいません。。。

 

 

写真以下11枚(写真以下11枚は、同じ、一戸建て住宅です)。1920年代から1930年代頃建てられたと思われる、西洋式の、一戸建て住宅。去年(2013年)の12月の初旬に、散歩した際に撮影。1920年代から1930年代頃の典型的な中流階級向け、西洋式の田園住宅と言った感じです(私の街は、1920年代から1930年代頃は、まだ、のどかな風景が広がる、当時の中流階級や新興金持ち向けの新興住宅地でした)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下3枚。1920年代から1930年代頃建てられたと思われる、西洋式と、日本伝統式、両方の要素を持つ、一戸建て住宅。

 

 

去年(2013年)の3月の中旬に散歩した際に撮影。

 

 

 

 

 

写真以下2枚は、同じ、一戸建て住宅です。2008年の9月の下旬に散歩した際に撮影。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下14枚。1920年代から1930年代頃建てられたと思われる、日本伝統式の、一戸建て住宅。

 

写真以下3枚。2008年の9月の下旬に散歩した際に撮影。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下2枚は、同じ、一戸建て住宅。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下6枚は、去年(2013年)の3月の中旬に散歩した際に撮影。

 

写真以下2枚は、同じ、一戸建て住宅。この一戸建て住宅は、写真を撮影した時、既に、人は、住んでおらず、建物と土地が、売られていました。現在、この土地の買い手が付いたのか分かりませんが、この住宅の建物は、取り壊されてしまいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下2枚は、同じ、一戸建て住宅。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下2枚は、同じ、一戸建て住宅。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下5枚は、同じ、一戸建て住宅。去年(2013年)の12月の初旬に、散歩した際に撮影。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下4枚。去年(2013年)の3月の中旬に散歩した際に撮影。この土地には、第二次世界大戦前(1920年代から1930年代頃)に建てられた程、古い、住宅の建物ではありませんが、ある程度、古い、かなり立派な、日本伝統式の、一戸建て住宅の建物が建っていたのですが、建て替えの為、取り壊されてしまいました。現在は、既に、新しい建物が建っています。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

前述の通り、私が、まだ幼かった頃には、まだ、私の街には、第2次世界大戦前(1920年代から1930年代頃)に建てられたと思われる一戸建て住宅の建物が、かなり残っていましたが、その様な、一戸建て住宅の建物は、ずっと減り続けてきましたし(それは、ずっと実感して来ました)、現在進行形で減り続けています。その一方で、私が幼い頃に比べて、現代的な一戸建て住宅は、かなり増えました。

 

 

 

 

写真以下3枚。現代的な、西洋式の、一戸建て住宅の例。。。2008年の9月の下旬に散歩した際に撮影。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真右側の、一戸建て住宅。

 

 

 

 

 

写真以下3枚。現代的なデザイン(design)の、一戸建て住宅の例。。。私が幼い頃に比べて、特に、この様な、現代的なデザイン(design)の、一戸建て住宅は、かなり増えました。

 

 

 

 

 

 

2008年の9月の下旬に散歩した際に撮影。

 

 

 

 

 

写真以下2枚。去年(2013年)の12月の初旬に、散歩した際に撮影。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下27枚。適当に、私の街の住宅地の風景例。。。前述の通り、私の街は、基本的に、静かで、落ち着いた住宅地となっています。また、前述の通り、住宅地の中の道路は、狭いですが、基本的に、住民しか利用しないので(配達の自動車や、植木屋さん(一戸建て住宅や邸宅等の、庭等の、木々や植物を整える仕事をする人)の自動車等を除けば、基本的に、住民の自動車しか通らないので)、静かです。電柱は、景観(美観)上、良くないですが、私が知る限り、日本では、住宅地においては、静かで落ち着いた住宅地であっても、あまり、電線の、地中化は、されていません。

 

 

 

2008年の9月の下旬に散歩した際に撮影。

 

 

 

 

 

写真以下10枚。去年(2013年)の3月の中旬に散歩した際に撮影。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下16枚。去年(2013年)の12月の初旬に、散歩した際に撮影。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下5枚。今年の1月13日(以下、この日と書きます)の、昼食。この日は、日本では、国民の祝日(国民の休日)でしたが、個人的に、夕方から、仕事に出て、また、それ以外は、基本的に、我が家で、自宅(我が家)に、持ち込んだ仕事をしていました(それでも、この昼食時に、ちょっと、ワイン(wine)を飲んでしまいましたがw)。この日の昼食は、比較的、最近(去年の10月に)、私の街に、オープン(open)した、カジュアル(casual)な雰囲気の、シーフード(seafood)料理を中心とした、西洋料理レストラン(以下、このレストランと書きます)で食べました。このレストランは、白金(shirokane)area(東京都心の南西に位置する)にある、素材を大切にした、カジュアル(casual)な雰囲気の、西洋料理レストラン(私は、そのレストランは、利用した事がありません)の、2号店として、私の街に、オープン(open)したレストランです。このレストランは、この時までに、既に、何回か利用していました。(このレストランは)、値段に比べた、総合的な、満足度と言う点において、お気に入りの店としたい程の魅力はありませんが(店員さんの、サービス(service)の感じは、良いのですが、席(テーブル(tabele))と席(テーブル(tabele))の間が、狭く、狭苦しいのが難点。。。)、時々、利用しています。

 

写真以下5枚。このレストランで食べた、この日の昼食。全て、二人で分けて食べました。この他、本日の(today’s)の野菜のスープ(soup)(この日は、バターナッツ南瓜(butternut squash)のスープ(soup)でした)とパンを食べました。

 

 

本日の(today’s)の鮮魚(新鮮な魚)(この日は、ホウボウでした)の、カルパッチョ(carpaccio)、蜜柑とハラペーニョ(jalapeno)の風味。

 

 

 

 

 

 

鮪の、ハチノミ(頭の肉)の、ステーキ(steak)。

 

 

 

 

 

写真以下2枚。本日の(today’s)の鮮魚(新鮮な魚)(この日は、ホウボウでした)の、ビスク(bisque)の、ブイヤベース(bouillabaisse)。魚を、1匹使っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鰤(魚)と牛蒡の、トマト(tomato)ソース(sauce)パスタ(pasta)。

 

 

 

 

 

写真以下4枚。2月の第二日曜日(以下、この日と書きます)の夕食等。この日は、選挙(都知事選)の投票をしに行った&昼食に出た(この日の昼食は、彼女と、私の街の、お気に入りの、フランス料理レストランの一つで食べました)以外は、(夕食を食べるまでは)、基本的に、自宅(我が家)に持ち込んだ、仕事をしていました(まあ、昼食時に、ちょっと、ワイン(wine)を飲んでしまいましたがw)。

 

写真以下4枚。この日、我が家で、一人で食べた夕食等。この日は、夜は、彼女は、(彼女の)友人達と会う予定があって、私は、一人でした。

 

写真以下3枚。この日、我が家で、一人で食べた夕食。この日の夕食は、持ち帰り(takeout)の、ハンバーガー(hamburger)にしました。この他、野菜サラダ(salad)を食べました。

 

 

写真左、私の街の、ハンバーグ(hamburger steak)・ハンバーガー(hamburger)レストランの、持ち帰り(takeout)の、トリュフ(truffle)のソース(sauce)の、フォアグラ(foie gras)ハンバーガー(hamburger)(patty、玉子等と共に、フォアグラ(foie gras)の焼き物が、挟まっているハンバーガー(hamburger))。だいぶ(かなり)形が、崩れてしまいましたが(私の責任ではありません。もう少し、形の崩れない様な包装方法で、包んで渡してくれると良いのですが。。。)、味は、美味しいです。この、ハンバーグ(hamburger steak)・ハンバーガー(hamburger)レストランは、比較的、最近(去年の11月に)、オープン(open)した店です(ちなみに、この店の、オープン(open)以来、この時までに、既に、何度か、この店の、フォアグラ(foie gras)ハンバーガー(hamburger)を、持ち帰り(takeout)していました)。この店の、フォアグラ(foie gras)ハンバーガー(hamburger)は、お気に入りとする程の味ではないのですが、たまに、食べています。写真右、Burger Kingの、私の街の店舗で、持ち帰り(takeout)した、林檎(apple)ハンバーガー(hamburger)。この日は、昼食は、私の街の、フランス料理レストランで、かなり、しっかりと食べたので、夕食は、軽く、フォアグラ(foie gras)ハンバーガー(hamburger)と、野菜サラダ(salad)だけで済まそうかなと思ったのですが、結局、Burger Kingの、林檎(apple)ハンバーガー(hamburger)も、買ってしまいましたw

 

 

 

 

 

私の街の、ハンバーグ(hamburger steak)・ハンバーガー(hamburger)レストランの、持ち帰り(takeout)の、トリュフ(truffle)のソース(sauce)の、フォアグラ(foie gras)ハンバーガー(hamburger)(patty、玉子等と共に、フォアグラ(foie gras)の焼き物が、挟まっているハンバーガー(hamburger))。形は、崩れてしまいましたが、味は、美味しいです。黒ビールが、良く合います。

 

 

 

 

 

Burger Kingの、オランデーズソース(Hollandaise sauce)の、林檎(apple)ハンバーガー(hamburger)。

 

 

 

 

 

 

 

 

この夕食時に、飲んだ飲み物。この夕食時は、ビールを飲みました。左から、エビス(yebisu)ビール(サッポロ(sapporo)ビール(日本の大規模ビール会社の一つ。1876年創業)のビールbrandの一つ(1890年発売開始)の、シルク(silk)エビス(yebisu)と言うビール。エビス(yebisu)ビールは、我が家の、定番ビール(ほとんどの場合、我が家に置いてあって、我が家で、一番、よく飲むビール)となっています。アサヒ(asahi)ビール(日本の大規模ビール会社の一つ。1889年創業)の、「super dry」(「super dry」は、アサヒ(asahi)ビールの主力ビール商品で、日本で、最も売れているビールの一つです)。キリン(kirin)ビール(日本の大規模ビール会社の一つ。起源は、1869年に遡る)の、STOUT(黒ビール)。

 

 

 

 

私の街&食べ物2へ続く。。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


나의 거리&음식 1

 

 

 

투고하려고 사진을 찍었지만, 투고할 기회를 잃고 있던, 풍경과 음식의 사진을, 업(upload) 합니다.

 

이하의 풍경 사진은, 기본적으로, 2008년의 9월의 하순( 꽤, 전입니다만...w), 작년(2013년)의 3월의 중순, 작년(2013년)의 12월의 초순에, 각각, 운동을 겸하고, 나의 거리를 산책했을 때에 촬영한 것입니다.현재의 풍경은, 이것등의 사진을 촬영했을 때와 다른 부분도 있습니다만, 기본적으로는, 이것등의 사진을 촬영했을 때와 거의, 변하지 않습니다.

 

사진 이하 85매.나의 거리(도쿄 중심부(도쿄 23구)의 서부에 위치하는 시부야(shibuya) 구안북부)의 풍경예...

 

나의 거리는, 기본적으로, 조용하고, 침착한 주택지가 되고 있습니다.나는, 현재 독신 생활입니다만(뭐, 독신 생활이라고 말해도, 일주일간에, 1일부터 3일 정도는, 두 명인 것(그녀가 우리 집에 묵고 있어)입니다만...), 친가(원래, 나의 외가의 조부모의 집.현재는, 부모님이, 계승하며 살고 있다)가 근처에서, 이 거리에서, 태어나 자랐습니다.나의 거리는, 부자로부터, 나카가미류·중류층, 그리고, 나와 같은 서민층까지, 여러가지 사람들 살고 있습니다만, 개인의 집의 뜰의 초록등도, 상당히 많은(다만, 조금씩, 줄어 들어서는, 와있다), 조용하고 침착한, 주택지가 되고 있습니다(가장, 교외의 주택지에 비하면, 한도가 있습니다만(교외의 주택지에는, 당해 내지 않습니다만...)).나의 거리는, 원래, 1920년대부터 1930년대무렵에, (당시는) 도쿄의 서쪽의 교외(뭐, 교외라고는 해도, 도쿄의 도심부에 비교적 가까운 교외였지만)에 개발된, 중류층이나 신흥 부자 전용의 신흥 주택지입니다.신흥 주택지로서 개발되기 전은, 아직 농촌의 분위기가 현저하게 남는, 한가로운 지역이었다 같고, 또, 신흥 주택지로서 개발된 후도, 꽤, 당분간의 사이는, 아직, 한가로운 분위기가 남아 있던 같습니다( 나의 어머니가, 아직 어렸던 무렵( 나의 어머니가, 유치원아의 무렵부터 초등학교 저학년생의 무렵.1950년대 초 무렵)은, 친가의 뜰에서는, 당연한님이, 반디를 볼 수 있었다고 합니다).

 

 

 

 

나의 거리의, 불특정 다수의, 많은 자동차가 달리기 위한 도로의, 풍경예(작년(2013년)의 3월의 중순에 산책했을 때에 촬영).이와 같은 도로에 대해, 주택지안의 도로는, 좁습니다만, 기본적으로, 주민 밖에 이용하지 않기 때문에(배달의 자동차나, 정원사씨(독립주택이나 저택등의, 뜰등의, 나무들이나 식물을 정돈하는 일을 하는 사람)의 자동차등을 제외하면, 기본적으로, 주민의 자동차 밖에 통하지 않기 때문에), 조용합니다.

 

 

 


나의 거리도 그렇습니다만, 제2차 세계대전 후의, (빈부의 격차를 잃기 때문에(위해)의) 부동산등을 상속할 때에 지불하는 세금의 세율의 대폭적인 인상등에 의해, 1960년대무렵부터, 현재에 이르기까지, 도쿄 area나 칸사이(kansai) 대도시권의, 고급 주택가나 조용하고 침착한 주택지의, 느긋한 부지를 가지는 저택은, 저층의 고급 아파트, 기업이나 공무원의 사택, 양로원(고령자가 입주하는 시설.공영의 물건과 사영의 물건이 있다) 등의 공공·복지 시설등으로, 차례차례로 다시 세워져 왔습니다(소유자가, 상속세를 다 지불할 수 있지 않고 , (일본에서는, 제2차 세계대전 후, 빈부의 격차를 축소시키기 위해, 상속세율이, 큰폭으로 오른), 저택을 토지와 보조자에 매도해, 저택의 건물이 해체된 후, 저층의 고급 아파트(맨션)가 세우는 경우가 많습니다).

 

나의 거리에 관해서도, 나의 어릴 적부터 비교해도, 명확하게, 느긋한 부지를 가지는 저택은 줄어 들었고(계속 줄어 들어 왔고), 느긋한 부지를 가지는 저택의, 저층의 고급 아파트(맨션) 등에의 재건축은, 현재 진행형으로, 서서히, 진행되고 있습니다(이것은, 계속 쭉 실감해 왔고, 지금도 실감하고 있습니다).다만, 이와 같은 현상이 진행되는 속도에 대해서는, 거리에 의해서 차이가 있는 것 같습니다.예를 들면, 도쿄 중심부(도쿄 23구)의 한적한(조용하고 침착한) 주택지안에서도, 비교적, 변두리에(도심으로부터 멀어진 장소)에 위치하는 주택지는, 지가(토지의 가격)가, 상대적으로 낮기 때문에인가, 이와 같은 현상이 진행되는 속도는, 늦고, 옛날부터의, 느긋한 부지를 가지는 저택이나 독립주택의, 저층의 고급 아파트등에의 개축이, 그렇게 진행되지 않은 느낌입니다.한편, 나의 거리는, 이와 같은 현상이 진행되는 속도가, 꽤 빠른 분에 속하는 느낌입니다( 꽤 빠르다고는 말해도, 아무것도, 하룻밤으로 하고, 거리의 경치가 바뀐다고 하는 것이 아니고, 생각보다는, 긴 기간을 걸치고, 이와 같은 현상이, 서서히 진행되어 온 것은 있습니다만...).이와 같은 현상에 대하고, 초목이 무성한 저택의 뜰이 망쳐져 한 때의 저택의 부지, 거의 힘껏에, 공동 주택등이 지어져 온 일은, 도쿄 area나 칸사이(kansai) 대도시권의, 고급 주택가나, 조용하고 침착한 주택지의 초록의 감소와 경관 파괴에 연결되어 왔습니다만, 한편에 있고, 이와 같은 현상은, 제2차 세계대전 후, 일본에서, 빈부의 격차가 해소해 온 일의 증거의 하나라고도 말할 수 있겠지요.


사진 이하 9매.나의 거리의, 부자의, 저택의 예...이와 같은, 넓은 부지를 가지는, 저택인것 같은 저택은(넓은 부지나, 저택의 부지를 둘러싸는 나무들등에 의해, 저택의 밖(도로)에서는, 저택의 건물이, 별로 안보이는 저택도, 많습니다), 아직, ( 나의 거리에도), 어느 정도 있습니다만, (전술한, 상속세의 문제등에 의해), 매년, 하나, 둘과 저층의 고급 아파트(맨션) 등에 다시 세워지는 일에 의해서, 계속 사라지고 있습니다.

 

 

사진 이하 7매는, 작년(2013년)의 12월의 초순에, 산책했을 때에 촬영.

 

 

사진 이하 4매는, 같은 저택.

 

 

사진 이하 2매.사진 우측이, 저택의 부지.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 2매.사진 좌측이, 저택의 부지.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 3매는, 같은 저택.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 2매는, 2008년의 9월의 하순에 산책했을 때에 촬영...


 

 

사진 우측이, 저택의 부지.

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 양측, 각각, 저택의 부지.상술한 대로, 주택지안의 도로는, 좁습니다만, 이 도로는, 그 중에서도, 특히, 좁은 도로입니다...

 

 

 

 

 

 

 

작년(2013년)의 12월의 초순에, 산책했을 때에 촬영.사진 좌측은, 나의 거리의, 공영의 양로원(고령자가 입주하는 시설.공영의 물건과 사영의 물건이 있다)의 하나.부지면적은, 1,500평(tsubo)으로부터 2,000평(tsubo)(5,000평방 미터로부터 6,600평방 미터) 정도일까...이 공영의 양로원 있는 장소(부지)는, 내가, 어릴 적은, 훌륭한 문에 맹견 주의라고 하는 싸인(표시)이 있는, (아마, 1920년대부터 1930년대에 지어졌다고 생각되는, 훌륭한 서양식의 저택의 건물을 가진다), 서양식의 개인의 저택이었습니다.

 

 

 

 

 

사진 이하 5매.작년(2013년)의 12월의 초순에, 산책했을 때에 촬영.나의 거리의, 저층의 고급 아파트(맨션) 등의, 풍경예...

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 2매는, 어느 정도, 낡은(아마, 1970년대 전반무렵에 지어진), 저층의 고급 아파트(맨션)입니다.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진(작년(2013년)의 12월의 초순에, 산책했을 때에 촬영)의, 독립주택이, 복수, 세우고 있는 장소는, 이전에는, 나무들이나 식물이 많았다, 넓은 부지를 가지는, 하나의, 독립주택의 부지였습니다만, 그, (지금은 없는 하나의) 주택의(한 때의) 부지를 분할하고, 복수의, 독립주택이 지어진 것입니다.넓은 부지를 가지는, 낡은 저택의 철거지는, 저층의 고급 아파트(맨션)가 되는 경우가 많습니다만, 느긋한 부지를 가지는, 낡은 독립주택의 부지의 철거지는, 분할되고, 복수의, 비교적, 작은 독립주택이 지어지는 경우가 많습니다(어느 쪽으로 해도, 한 때의 부지, 거의 힘껏에 건물이 지어지는 경우가, 대부분으로, 한 때의 뜰의 식물등은, 잃게 되어 버립니다).

 

 

 

 

 

 

 

사진(작년(2013년)의 3월의 중순에 산책했을 때에 촬영)의, 현재는, 저층의 고급 아파트(맨션)가 세우고 있는 장소(부지)는, 내가, 어릴 적은, 도쿄의, 캐나다 대사관(Embassy of Canada in Tokyo) 관련의 시설로서 사용되고 있던, 서양식의 주택(주택의 건물은, 아마, 1920년대부터 1930년대무렵 지어진 것이라고 생각합니다)이 있었습니다(처음부터, 캐나다 대사관 관련의 시설로서 지어진 주택의 건물인가, 그렇지 않으면, 캐나다 대사관이, 그 서양식의 주택을, 나중에 구입하고, 한때의, 캐나다 대사관 관련의 시설로서 사용하고 있었는지, 잘 모릅니다).덧붙여서, 도쿄의, 캐나다 대사관(Embassy of Canada in Tokyo)은, 프랑스의 파리(Paris)의, 캐나다 대사관(Embassy of Canada in Paris), 미국의 Washington D.C.의, 캐나다 대사관(Embassy of Canada in Washington D.C.)에 이어, 세계에서, 3번째로 낡은, 캐나다의, 재외국, 공사관(legation)의 같습니다.

 

 

 

 

 

 

사진은, 작년(2013년)의 12월의 초순에, 산책했을 때에 촬영.나의 거리는, 부자로부터, 나카가미류·중류층, 그리고, 나와 같은 서민층까지, 여러가지 사람들 살고 있습니다만, 지가가 비싼, 도쿄 중심부(도쿄 23구)( 나의 거리도, 포함된다)냄새나서는, 비교적, 새로운, 서민의 독립주택은, (사진 우측의, 독립주택과 같이), 좁은 토지에 3층건물로 해, 1층 부분을 주차장으로 하고, 거주 바닥 면적을 버는 것 같은 주택이 많습니다.우리 집도, 이와 같은, 전형적인, 비교적, 새로운, 도쿄 중심부(도쿄 23구)의, 서민 전용, 독립주택이라고 한 느낌으로, 뜰은 없고, 3층건물에서, 1층 부분은 주차장, 거주 바닥 면적 30평( 약 100평방 m) 정도의, 주택입니다.

 

 

 

 

 

 

 

사진은, 작년(2013년)의 12월의 초순에, 산책했을 때에 촬영.나의 거리의, 비교적, 새로운 중류층(부자와 서민의 사이의 층)의 주택의 일례.지가가 비싼, 도쿄 중심부(도쿄 23구)( 나의 거리도, 포함된다)냄새나서는, 옛부터의 중류층은, 비교적, 여유가 있는 토지에 살고 있습니다만, 비교적, 새로운 중류층의 주택은, 토지에, 비교적, 여유가 없기 때문에, 이와 같게, 거의, 부지 힘껏에 지어지고 있는 경우도 많습니다

 

 

 

 

 

 

덧붙여서, 우리 집의 부근의, 나의 친가는, 부지면적 100평 정도( 약 330평방 m)의, 뜰이 있는, 독립주택입니다.나의 친가는, 나의 외가의 조부모의 집에서, 현재는, 부모님이, 그 집을 계승하고 있습니다(덧붙여서, 나의 어머니는, 외동딸입니다).원래는, 나의 외가의 조모의 부(야마나시(yamanashi) 현(동경권의 서부에 인접하는 현)의, 유복한 지주였다)이, 도쿄에 보유하고 있던 부동산의 하나인 것으로( 나의 외가의 조모의 아버지가, 나의 외가의 조모가 결혼했을 때에, 나의 외가의 조부모에게 준 것.당시의 중류 계급의 독립주택으로서 작은 분이었다고 생각합니다), 원래의 집의 건물은, 1920년대무렵?에 지어진, 일본 전통식의 주택의 건물이었다 같습니다만, 현재의 집의 건물은, 1960년대 초 무렵에, 개축물입니다(현재는, 내진 보강도 이루어지고 있습니다).도쿄 중심부(도쿄 23 구내)의 경우, 1920년대부터 1930년대무렵에, 중류 계급 전용의 신흥 주택지로서 개발되어 처음, 1960년대 중반 이전에는, 이미 상당히 많은 사람들이 살고 있던 같은, 조용하고 침착한 주택지는, 부모의 집을 계승하며 살고 있는 사람들도, 상당히 많이(대부분은, 토지만 계승하고, 시대에 맞추고, 집의 건물건은 개축이라고 있다), 이러한 경우는, 토지를 구입하는 부담이 없는 일로부터, 서민이나 보통 중산층( 나의 아버지는, 보통 회사원)에서도, 도쿄 중심부(도쿄 23 구내)에서, 어느 정도의 넓이의 독립주택에 사는 것이 가능합니다(단지, 부지가, 도쿄 중심부(도쿄 23 구내)의 주택의 부지로서는, 꽤 넓은 경우에는, 상속세의 관계로 무리이겠지요).덧붙여서, 나는, 남동생과 두 명 형제입니다만(남동생은, 나보다 2세 연하로, 회사원입니다), 남동생은, 근년, 결혼해, 이미, 아이도 태어났습니다.남동생은, 도쿄의 서부 교외의, 국립(kunitachi)에, 독립주택을 구입해, 살고 있습니다만, 아직, 상당히, 앞의 이야기가 된다고 생각합니다만( 부모님은, 장수해 주었으면 합니다), 만약 부모님이, 죽으면, 우리 집의 부근의 친가는, 내가, 이대로 가정을 가지지 않는 이상(방탕 아들인 나와 달리 w) 성실하고 안정된, 남동생에게 양보하려고 생각합니다.( 아직, 상당히, 앞의 이야기이므로, 어떻게 될까 모릅니다만), 만약, 남동생이, 친가를 잇는 일이 되면, 세금등은, 가능한 한 보조할 생각으로 있습니다(남동생이, 나에게 보조되는 필요성을 느끼지 않으면, 혹은, 나에게 보조되는 필요성이, 전혀 없으면, 하지 않습니다만).

 

 

 

사진 이하 28매.나의 거리의, 1920년대부터 1930년대무렵에 지어졌다고 생각되는, 낡은, 독립주택의 예...나의 거리에 있어도, 이와 같은 낡은 주택의 건물은, 해마다, 계속 없어지고 있습니다.나는, (낡은 독립주택의 건물을 포함한다) 낡은 건물을 바라보는 것을 좋아합니다만, 일본에서는, (일본의 건물은, 역사상, 오랫동안, 석조는 아니고, 목조가 기본으로 있었다고 하는 것이 관계하고 있다고 생각합니다만), 낡은 건물을 계속 길게 사용한다고 말하는 발상이, 부족하고, 문화재라도 지정되어 있지 않은 한, 절이나 신사(shrine)의 건물조차, 노후화 했다고 말하고, 상당히, 시원스럽게 개축해 버리는(가장, 현존 하고 있는, 에도(edo) 시대(19 세기 중반) 이전에 지어진, 절이나 신사(shrine)의 건물에 관해서는, 보통은, 문화재로 지정되어 있다고 생각합니다만).따라서, 낡은 주택의 건물이 되면, 더욱 더, 안이하게 다시 세워져 버리는 경향이 있습니다(우리 집의 부근의 친가의 건물도, 상술한 대로, (원래는, 제2차 세계대전전에 지어진 건물이었다고 합니다만), 내가, 태어나기 전에, 현재의 건물에 다시 세워져 버리고 있습니다).문화재로 지정되어 있는 것 같은, 낡은 건물은 우선 안심?`네의 것으로, 개인적으로, 박두하고, 사진을 촬영할 필요는 없습니다만, 나는, 이윽고 사라져 가는 운명에 있는(그것은, 혹시, 바로 내일에라도, 방문할지도 모른다), 무명의 낡은 주택의 건물을, 적어도, 나의 거리의 분에만(할 수 있으면, 나의 거리 이외의 물건도), 아직 존재하고 있는 동안에, 가능한 한 많아, 사진나카에 거두려고 생각합니다.하지만, 그러나, 귀찮음이 이기고, 꽤 작업이, 진행되고 있지 않습니다...

 

 

사진 이하 11매(사진 이하 11매는, 같을, 독립주택입니다).1920년대부터 1930년대무렵 지어졌다고 생각되는, 서양식의, 독립주택.작년(2013년)의 12월의 초순에, 산책했을 때에 촬영.1920년대부터 1930년대무렵의 전형적인 중류 계급 전용, 서양식의 전원 주택이라고 한 느낌입니다( 나의 거리는, 1920년대부터 1930년대무렵은, 아직, 한가로운 풍경이 퍼지는, 당시의 중류 계급이나 신흥 부자 전용의 신흥 주택지였습니다).

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 3매.1920년대부터 1930년대무렵 지어졌다고 생각되는, 서양식과 일본 전통식, 양쪽 모두의 요소를 가지는, 독립주택.

 

 

작년(2013년)의 3월의 중순에 산책했을 때에 촬영.

 

 

 

 

 

사진 이하 2매는, 같을, 독립주택입니다.2008년의 9월의 하순에 산책했을 때에 촬영.


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 14매.1920년대부터 1930년대무렵 지어졌다고 생각되는, 일본 전통식의, 독립주택.

 

사진 이하 3매.2008년의 9월의 하순에 산책했을 때에 촬영.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 2매는, 같을, 독립주택.


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 6매는, 작년(2013년)의 3월의 중순에 산책했을 때에 촬영.

 

사진 이하 2매는, 같을, 독립주택.이 독립주택은, 사진을 촬영했을 때, 이미, 사람은, 살지 않고, 건물과 토지가, 팔리고 있었습니다.현재, 이 토지의 구매자가 뒤따랐는지 모릅니다만, 이 주택의 건물은, 해체되어 버렸습니다.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 2매는, 같을, 독립주택.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 2매는, 같을, 독립주택.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 5매는, 같을, 독립주택.작년(2013년)의 12월의 초순에, 산책했을 때에 촬영.


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 4매.작년(2013년)의 3월의 중순에 산책했을 때에 촬영.이 토지에는, 제이차 세계대전전(1920년대부터 1930년대무렵)에 지어졌을 정도, 낡은, 주택의 건물이 아닙니다만, 어느 정도, 낡은, 꽤 훌륭한, 일본 전통식의, 독립주택의 건물이 세우고 있었습니다만, 재건축이기 때문에, 해체되어 버렸습니다.현재는, 이미, 새로운 건물이 세우고 있습니다.


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

상술한 대로, 내가, 아직 어렸던 무렵에는, 아직, 나의 거리에는, 제2차 세계대전전(1920년대부터 1930년대무렵)에 지어졌다고 생각되는 독립주택의 건물이, 꽤 남아 있었습니다만, 그 같은, 독립주택의 건물은, 계속 쭉 줄어 들어 왔고(그것은, 쭉 실감해 왔습니다), 현재 진행형으로 계속 줄어 들고 있습니다.그 한편, 내가 어릴 적에 비해, 현대적인 독립주택은, 많이 증가했습니다.

 

 

 

 

사진 이하 3매.현대적인, 서양식의, 독립주택의 예...2008년의 9월의 하순에 산책했을 때에 촬영.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 우측의, 독립주택.

 

 

 

 

 

사진 이하 3매.현대적인 디자인(design)의, 독립주택의 예...내가 어릴 적에 비해, 특히, 이와 같은, 현대적인 디자인(design)의, 독립주택은, 많이 증가했습니다.

 

 

 

 

 

 

2008년의 9월의 하순에 산책했을 때에 촬영.

 

 

 

 

 

사진 이하 2매.작년(2013년)의 12월의 초순에, 산책했을 때에 촬영.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 27매.적당하게, 나의 거리의 주택지의 풍경예...상술한 대로, 나의 거리는, 기본적으로, 조용하고, 침착한 주택지가 되고 있습니다.또, 상술한 대로, 주택지안의 도로는, 좁습니다만, 기본적으로, 주민 밖에 이용하지 않기 때문에(배달의 자동차나, 정원사씨(독립주택이나 저택등의, 뜰등의, 나무들이나 식물을 정돈하는 일을 하는 사람)의 자동차등을 제외하면, 기본적으로, 주민의 자동차 밖에 통하지 않기 때문에), 조용합니다.전주는, 경관(미관) 상, 좋지 않습니다만, 내가 아는 한, 일본에서는, 주택지에 있어서는, 조용하고 침착한 주택지에서 만나도, 너무, 전선의, 지중화는, 되고 있지 않습니다.

 

 

 

2008년의 9월의 하순에 산책했을 때에 촬영.

 

 

 

 

 

사진 이하 10매.작년(2013년)의 3월의 중순에 산책했을 때에 촬영.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 16매.작년(2013년)의 12월의 초순에, 산책했을 때에 촬영.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 5매.금년의 1월 13일(이하, 이 날이라고 씁니다)의, 점심 식사.이 날은, 일본에서는, 국민의 축일(국민의 휴일)이었지만, 개인적으로, 저녁부터, 일하러 나오고, 또, 그 이외는, 기본적으로, 우리 집에서, 자택(우리 집)에, 반입한 일을 하고 있었던(그런데도, 이 점심 식사시에, 조금, 와인(wine)을 마셔버렸습니다만 w).이 날의 점심 식사는, 비교적, 최근(작년의 10월에), 나의 거리에, 오픈(open)한, 캐쥬얼(casual)인 분위기의, 씨푸드(seafood) 요리를 중심으로 한, 서양 요리 레스토랑(이하, 이 레스토랑이라고 씁니다)에서 먹었습니다.이 레스토랑은, 백금(shirokane) area(도쿄도심의 남서에 위치한다)에 있는, 소재를 소중히 한, 캐쥬얼(casual)인 분위기의, 서양 요리 레스토랑( 나는, 그 레스토랑은, 이용한 일이 없습니다)의, 2호점으로서 나의 거리에, 오픈(open)한 레스토랑입니다.이 레스토랑은, 이 때까지, 이미, 몇회나 이용하고 있었습니다.(이 레스토랑은), 가격에 비한, 종합적인, 만족도라고 하는 점에 대하고, 마음에 드는 가게로 하고 싶을 수록의 매력은 없습니다만(점원의, 서비스(service) 의 느낌은, 좋습니다만, 석(테이블(tabele))과 자리(테이블(tabele))의 사이가, 좁고, 비좁아서 답답한 것이 난점...), 가끔, 이용하고 있습니다.

 

사진 이하 5매.이 레스토랑에서 먹은, 이 날의 점심 식사.모두, 둘이서 나누어 먹었습니다.이 외, 오늘의 것(today’ s)한 야채의 스프(soup)(이 날은, 버터 너트 호박(butternut squash)의 스프(soup)였습니다)와 빵을 먹었습니다.

 

 

오늘의 것(today’ s)한 선어(신선한 물고기)(이 날은, 성대였습니다)의, 카파치오(carpaccio), 밀감과 하라페이뇨(jalapeno)의 풍미.

 

 

 

 

 

 

다랑어의, 벌 끌(머리의 고기)의, 스테이크(steak).

 

 

 

 

 

사진 이하 2매.오늘의 것(today’ s)한 선어(신선한 물고기)(이 날은, 성대였습니다)의, 비스크(bisque)의, bouillabaisse(bouillabaisse).물고기를, 1마리 사용하고 있습니다.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사(물고기)와 우엉의, 토마토(tomato) 소스(sauce) 파스타(pasta).

 

 

 

 

 

사진 이하 4매.2월의 제2 일요일(이하, 이 날이라고 씁니다)의 저녁 식사등.이 날은, 선거(토쿄지사선)의 투표를 하러 간&점심 식사에 나온(이 날의 점심 식사는, 그녀와 나의 거리의, 마음에 드는, 프랑스 요리 레스토랑의 하나로 먹었습니다) 이외는, (저녁 식사를 먹을 때까지는), 기본적으로, 자택(우리 집)에 반입한, 일을 하고 있었던(뭐, 점심 식사시에, 조금, 와인(wine)을 마셔버렸습니다만 w).

 

사진 이하 4매.이 날, 우리 집에서, 혼자서 먹은 저녁 식사등.이 날은, 밤은, 그녀는, (그녀의) 친구들과 만날 예정이 있고, 나는, 혼자서 했다.

 

사진 이하 3매.이 날, 우리 집에서, 혼자서 먹은 저녁 식사.이 날의 저녁 식사는, 포장판매(takeout)의, 햄버거(hamburger)로 했습니다.이 외, 야채 사라다(salad)를 먹었습니다.

 

 

사진왼쪽, 나의 거리의, 햄버거(hamburger steak)·햄버거(hamburger) 레스토랑의, 포장판매(takeout)의, 트뤼프(truffle)의 소스(sauce)의, 포아그라(foie gras) 햄버거(hamburger)(patty, 계란등과 함께, 포아그라(foie gras)의 구이가, 협 기다리고 있는 햄버거(hamburger)).많이( 꽤) 형태가, 무너져버렸습니다만( 나의 책임이 아닙니다.좀 더, 형태의 붕괴 없는 같은 포장 방법으로, 싸 건네주면 좋습니다만...), 맛은, 맛있습니다.이, 햄버거(hamburger steak)·햄버거(hamburger) 레스토랑은, 비교적, 최근(작년의 11월에), 오픈(open)한 가게입니다(덧붙여서, 이 가게의, 오픈(open) 이래, 이 때까지, 이미, 몇 번인가, 이 가게의, 포아그라(foie gras) 햄버거(hamburger)를, 포장판매(takeout) 하고 있었습니다).이 가게의, 포아그라(foie gras) 햄버거(hamburger)는, 마음에 드는 것으로 할 정도의 맛은 아닙니다만, 이따금, 먹고 있습니다.사진 오른쪽, BurgerKing의, 나의 거리의 점포에서, 포장판매(takeout) 한, 사과(apple) 햄버거(hamburger).이 날은, 점심 식사는, 나의 거리의, 프랑스 요리 레스토랑에서, 꽤, 제대로 먹었으므로, 저녁 식사는, 가볍고, 포아그라(foie gras) 햄버거(hamburger)와 야채 사라다(salad)만으로 끝낼까라고 생각했습니다만, 결국, Burger King의, 사과(apple) 햄버거(hamburger)도, 사 버렸던 w

 

 

 

 

 

나의 거리의, 햄버거(hamburger steak)·햄버거(hamburger) 레스토랑의, 포장판매(takeout)의, 트뤼프(truffle)의 소스(sauce)의, 포아그라(foie gras) 햄버거(hamburger)(patty, 계란등과 함께, 포아그라(foie gras)의 구이가, 협 기다리고 있는 햄버거(hamburger)).형태는, 무너져버렸습니다만, 맛은, 맛있습니다.흑맥주가, 잘 맞읍니다.

 

 

 

 

 

Burger King의, 오란데이즈소스(Hollandaise sauce)의, 사과(apple) 햄버거(hamburger).

 

 

 

 

 

 

 

 

이 저녁 식사시에, 마신 음료.이 저녁 식사시는, 맥주를 마셨습니다.왼쪽에서, 에비스(yebisu) 맥주(삿포로(sapporo) 맥주(일본의 대규모 맥주 회사의 하나.1876년 창업)의 맥주 brand의 하나(1890년 발매 개시)의, 실크(silk) 에비스(yebisu)라고 하는 맥주.에비스(yebisu) 맥주는, 우리 집의, 정평 맥주(대부분의 경우, 우리 집에 놓여져 있고, 우리 집에서, 제일, 잘 마시는 맥주)가 되고 있습니다.아사히(asahi) 맥주(일본의 대규모 맥주 회사의 하나.1889년 창업)의, 「super dry」( 「super dry」는, 아사히(asahi) 맥주의 주력 맥주 상품으로, 일본에서, 가장 팔리고 있는 맥주의 하나입니다).기린(kirin) 맥주(일본의 대규모 맥주 회사의 하나.기원은, 1869년에 거슬러 올라간다)의, STOUT(흑맥주).

 

 

 

 

나의 거리&음식 2에 계속 된다...

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



TOTAL: 4285

番号 タイトル ライター 参照 推薦
2525
No Image
最近ロッテワールドタワー 프리스탈 2014-09-14 2073 0
2524
No Image
箱根(hakone)小旅行3 jlemon 2014-09-13 1733 0
2523
No Image
箱根(hakone)小旅行2 jlemon 2014-09-13 2758 0
2522
No Image
箱根(hakone)小旅行1 jlemon 2014-09-13 1864 0
2521
No Image
SkyscraperCityのサイトから東京 carbon 2014-09-14 2218 0
2520
No Image
1992年の、東京の、日常風景。 jlemon 2014-09-11 3907 0
2519
No Image
三星ライオンズ大邱野球場 nakani 2014-09-09 6482 0
2518
No Image
韓国人は観光時にご注意を。 ボン太くん 2014-09-08 5176 0
2517
No Image
湘南(syonan)滞在&食べ物後編 jlemon 2014-09-06 2230 0
2516
No Image
湘南(syonan)滞在&食べ物前編 jlemon 2014-09-04 2252 0
2515
No Image
安倍信者、目を覚ませ! bono1 2014-08-30 1584 0
2514
No Image
横浜散歩&食べ物後編 jlemon 2014-08-27 2178 0
2513
No Image
横浜散歩&食べ物前編 jlemon 2014-08-25 3596 0
2512
No Image
安倍信者はこのハイアットが成敗す....... bono1 2014-08-20 1809 0
2511
No Image
私の街&食べ物3 jlemon 2014-08-20 3501 0
2510
No Image
私の街&食べ物2 jlemon 2014-08-19 3640 0
2509
No Image
私の街&食べ物1 jlemon 2014-08-20 3704 0
2508
No Image
適当に、風景&食べ物。 jlemon 2014-08-09 4118 0
2507
No Image
コメントに共感 carbon 2014-08-08 3233 0
2506
No Image
東京・日本橋にある三井タワー周辺 carbon 2014-08-10 2103 0