うちの町内



kjのバグ(不具合)により、IEで、投稿の写真が見られない現象が生ずる様です。IEで、写真が見られない場合は、Firefoxで、ご覧下さい。


以下、「以下、私の街と周辺1からの続きです。。。」と言う文までは、前回の投稿と、基本的に、重複します。


この投稿は、前に、kjで、行った投稿を、再編集した物です。


私の街と周辺は、以下の5つの投稿から成り立っています(kjの投稿の容量制限の関係で、分割せざる得なくなった)。以下の5つの投稿を、纏めて、ご覧下さい。


私の街と周辺1→

/kr/board/exc_board_16/view/id/2446033?&sfl=membername&stx=jlemon


私の街と周辺2(当該投稿)→

/kr/board/exc_board_16/view/id/2446032?&sfl=membername&stx=jlemon


私の街と周辺3→

/kr/board/exc_board_16/view/id/2446031?&sfl=membername&stx=jlemon


私の街と周辺4→

/kr/board/exc_board_16/view/id/2446030?&sfl=membername&stx=jlemon


私の街と周辺5→

/kr/board/exc_board_16/view/id/2446029?&sfl=membername&stx=jlemon


これは、おまけで、参考投稿で、私の街以外の、東京都心部の、静かで、落ち着いた住宅地の例を、紹介している投稿です(「蕗谷  虹児(fukiya koji)2」    )→

/kr/board/exc_board_14/view/id/2396739/page/1?&sfl=membername&stx=jlemon


私の街と周辺1から私の街と周辺3の、私の街の風景写真は、基本的に、2008年の9月の下旬(かなり、前ですが。。。w)、2013年の3月の中旬、2013年の12月の初旬に、それぞれ、運動を兼ねて、私の街を散歩した際に撮影した物です。現在の風景は、これ等の写真を撮影した時と変わった部分もありますが、基本的には、これ等の写真を撮影した時と、ほとんど、変わっていません。


私の街は、基本的に、静かで、落ち着いた住宅地となっています。私は、現在一人暮らしですが(まあ、一人暮しと言っても、一週間に、1日から3日位は、二人なの(彼女が我が家に泊まっているの)ですが。。。)、実家(元々、私の母方の祖父母の家。現在は、両親が、引き継いで暮らしている)が近所で、この街で、生まれ育ちました。私の街は、お金持ちから、中上流(upper-middle class)・中流層、そして、私の様な庶民層まで、様々な人々暮らしていますが、個人の家の庭の緑等も、結構多い(ただし、少しずつ、減って、来ている)、静かで落ち着いた、住宅地となっています(もっとも、郊外の住宅地に比べれば、限度が有りますが(郊外の住宅地には、敵いませんが。。。))。私の街は、元々、1920年代から1930年代頃に、(当時は)東京の西の郊外(まあ、郊外とは言っても、東京の都心部に比較的近い郊外でしたが)に開発された、中流層や新興金持ち向けの新興住宅地です。新興住宅地として開発される前は、まだ農村の雰囲気が色濃く残る、のどかな地域だった様で、また、新興住宅地として開発された後も、かなり、しばらくの間は、まだ、のどかな雰囲気が残っていた様です(私の母が、まだ幼かった頃(私の母が、幼稚園児の頃から小学校低学年生の頃。1950年代初め頃)は、実家の庭では、当たり前の様に、蛍が見られたそうです)。


以下、私の街と周辺1からの続きです。。。


写真以下。私の街(東京中心部(東京23区)の西部に位置する渋谷(shibuya)区の中北部)の風景例の続き。。。


 

 

写真は、2013年の12月の初旬に、散歩した際に撮影。私の街は、お金持ちから、中上流(upper-middle class)・中流層、そして、私の様な庶民層まで、様々な人々暮らしていますが、地価が高い、東京中心部(東京23区)(私の街も、含まれる)においては、比較的、新しい、庶民の一戸建て住宅は、(写真右側の、一戸建て住宅の様に)、狭い土地に3階建てにし、1階部分を駐車場にして、居住床面積を稼ぐ様な住宅が多いです。我が家も、この様な、典型的な、比較的、新しい、東京中心部(東京23区)の、庶民向け、一戸建て住宅と言った感じで、庭はなく、3階建てで、1階部分は駐車場、居住床面積30坪(約100平方m)程度の、住宅です。

 

 




 

 

 

写真は、2013年の12月の初旬に、散歩した際に撮影。私の街の、比較的、新しい中流層(金持ちと庶民の間の層)の住宅の一例。地価が高い、東京中心部(東京23区)(私の街も、含まれる)においては、昔からの中流層は、比較的、ゆとりのある土地に暮していますが、比較的、新しい中流層の住宅は、土地に、比較的、ゆとりがない為、この様に、ほとんど、敷地目一杯に建てられている場合も多いです

 

 

 

 

 

ちなみに、我が家の近所の、私の実家は、敷地面積100坪程(約330平方m)の、庭がある、一戸建て住宅です。私の実家は、元々、私の母方の祖父母の家で、現在は、両親が、その家を引き継いでいます(ちなみに、私の母は、一人娘です)。元々は、私の母方の祖母の父(山梨(yamanashi)県(東京圏の西部に隣接する県)の、裕福な地主であった)が、東京に保有していた不動産の一つであった物で(私の母方の祖母の父が、私の母方の祖母が結婚した際に、私の母方の祖父母に与えた物。当時の中流階級の一戸建て住宅として、小さな方であったと思います)、元々の家の建物は、1920年代頃?に建てられた、日本伝統式の住宅の建物だった様ですが、現在の家の建物は、1960年代初め頃に、建替えられた物です(現在は、耐震補強もなされています)。東京中心部(東京23区内)の場合、1920年代から1930年代頃に、中流階級向けの新興住宅地として開発され初め、1960年代半ば以前には、既に結構たくさんの人々が暮らしていた様な、静かで落ち着いた住宅地は、親の家を引き継いで暮らしている人々も、結構多く(大部分は、土地だけ引き継いで、時代に合わせて、家の建物は建替えている)、こうした場合は、土地を購入する負担が無い事から、庶民や普通の中産層(私の父は、普通の会社員。私の母は、私の父と結婚してから、ずっと主婦です)でも、東京中心部(東京23区内)で、ある程度の広さの一戸建て住宅に暮らす事が可能です(ただ、敷地が、東京中心部(東京23区内)の住宅の敷地としては、かなり広い場合には、相続税の関係で無理でしょう)。



私の母方の祖父も、私の母方の祖母も、既に、亡くなっています。




私の母方の祖母は、地元の、山梨(yamanashi)県の、女学校(第二次世界大戦以前の日本における、女子(女性)向けの中等教育機関。ほぼ、現在の小学校と大学の間、即ち、中学校と高校に当たる。第二次世界大戦以前の階級社会の日本において、主として、比較的裕福な、中流階級以上の家庭の娘(中流階級・中上流階級(upper-middle class)・上流階級の、家庭の娘)が通った)を、卒業した後、東京の私立の大学(まあ、当時は、その前身の高等教育機関でしたが)に入学し、大学から東京に出て来ていました。私の母方の祖母は、見合い(私の母方の祖母の父(私の母方の曽祖父)の知り合いの紹介)により、私の母方の祖父と知り合い、結婚しました。私の母方の祖母は、私の母方の祖父と結婚してから、ずっと主婦をしていました。もっとも、私の母方の祖母は、第二次世界大戦が終わるまでは、東京での、学生時代・独身時代を含めて、ずっと、メイド(maid)がいる(メイド(maid)に身の回りの世話をして貰う)生活であったので、主婦とは言っても、私の母方の祖母が、生まれて初めて、本格的に家事をする様になったのは、第二次世界大戦後からであった様です。私の母方の祖母は、東京での、学生時代と独身時代は、私の母方の祖母の父が、麻布(azabu)(東京都心部の高級住宅地の一つ)に保有していた、一戸建て住宅(私の母方の祖母の実家の、東京の別宅。我が家の近所の、私の実家よりも、遥かに(ずっと)、大きくて、立派であったそうですが、第二次世界大戦後、私の母方の祖母の実家(山梨(yamanashi)県(東京圏の西部に隣接する県)の、裕福な地主の家であった)の没落と共に、他人の手に渡ってしまったそうです)に、暮らしていました。また、私の母方の祖父母は、結婚して間もなく、私の母方の祖父の仕事の関係で、中国の、上海(Shanghai )に渡った為、私の母方の祖父母が、我が家の近所の私の実家(私の母方の祖母の父が、私の母方の祖母が結婚した際に、私の母方の祖父母に与えた、一戸建て住宅)に、本格的に暮らし始めたのは、第二次世界大戦後の事です。ちなみに、私の母方の祖父母の、上海(Shanghai )の、日本租界(日本人用の外国人居留地)での、生活は、立派な家に暮らし、夫婦二人だけの生活に、二人の、中国人の、メイド(maid)がいる生活であったそうです(私の母方の祖父は、当時、日本軍の将校や、日本政府の外交官等の上級官僚等、日本軍や、日本政府の、比較的、上層部の人々が乗る、飛行機等の、無線、技師(技術者)として働いていた為、収入や生活面等、比較的、優遇されていた様です。また、第二次世界大戦末期になると、日本本土では、人々は、食糧難(食料不足)に苦しみましたが、上海(Shanghai )の、日本租界(日本人用の外国人居留地)では、その様な事もなかったそうです)。ちなみに、私の母は、一人娘(私の母方の祖父母の、一人だけの子供)なのですが、私の母方の祖父母が、上海(Shanghai )から東京に戻って来た後に(第二次世界大戦後に)、生まれました(私の母方の祖母は、当時としては、高齢出産の方であったと思います)。


参考に、私の、母方の祖母が、少女の頃から(おそらく。。。)、とても、好んでいた、イラストレーター(illustrator)、蕗谷 虹児(fukiya koji)について、以下の投稿を、参照して下さい。私の、母方の祖母は、少女の時代、女学校(第二次世界大戦以前の日本における、女子(女性)向けの中等教育機関。ほぼ、現在の小学校と大学の間、即ち、中学校と高校に当たる。第二次世界大戦以前の階級社会の日本において、主として、比較的裕福な、中流階級以上の家庭の娘(中流階級・中上流階級(upper-middle class)・上流階級の、家庭の娘)が通った)の時代、大学生の時代、若い独身時代と、おそらく、当時、私の母方の祖母が購読していた、少女・若い女性向けの雑誌等を通じて、ずっと、蕗谷 虹児(fukiya koji)のファン(fan)であったと思いますし、その後も、亡くなるまで、ずっと、蕗谷 虹児(fukiya koji)の絵とイラスト(illustration)を、とても好んでいた様です。私の母方の祖母は、絵を描くのが好きでしたが、晩年になっても、蕗谷 虹児(fukiya koji)の様な絵を、たくさん描いていました(絵と言っても、スケッチ(sketch)みたいな物ですが。。。)。


蕗谷 虹児(fukiya koji)1→

/kr/board/exc_board_14/view/id/2396738/page/1?&sfl=membername&stx=jlemon



ちなみに、私の、母方の祖母は、大人しくて、上品な性格であったのですが、私の母は、活発な性格で、若い頃、私の父に、一目惚れし(外貌を、一目見ただけで(見た瞬間に)、好きになり)、私の母から、私の父を誘惑し、交際をし、結婚する事になった様ですw (私の母の活発な性格は、私の母方の祖母の姉(既に亡くなっている。近所に(私の母方の祖母と同様、結婚した際に、私の母方の祖母の父に与えられていた家)に暮らしていた。私の母は、子供の頃から、よく、私の母方の祖母の姉の家に、遊びに行っていた)に似た様です)。



私の母方の祖父は、静岡(shizuoka)県(日本の中部地方に位置する県の一つ)に生まれ、東京の、大学(まあ、当時は、その前身の高等教育機関でしたが)を卒業した後、第二次世界大戦までは、技師(技術者)、第二次世界大戦後は、会社員をしていました。私の母方の祖父の実家は、裕福であったと言う話は聞かず、また、かと言って、貧しかったとか、苦学したとか(金銭面で、苦労して、東京の、大学を卒業した)と言う話も聞かなかったので、まあ、中流の農家(中流の農民の家)、若しくは、会社員・公務員等の、家庭であったのではないでしょうか。。。



私の母方の祖父は、保守的で、堅実、真面目で、生活は、つましく、派手な生活をする事は、好みませんでしたが、無趣味と言った訳ではなく、墨絵(ink
wash painting)、俳句(haiku)(日本の、伝統的な詩)、短歌(tanka)(日本の、伝統的な詩)、漢詩(中国の、伝統的な詩)、魚釣りを趣味として、風流人的な、一面も持っていました。現在は、昔と違って、我が家の近所の、私の実家(元々、私の母方の祖父母の家。現在は、両親が、引き継いで暮らしている)の、庭の池には、錦鯉(nishikigoi)(下の補足説明参照)しか泳いでいませんが、かつて、私の実家の庭の池には、鯉、金魚の他に、私に母方の祖父が釣って来た、鮒や草魚(grass carp)等がいました。私の母は、子供の頃は、休日に、私の母方の祖父に連れられて、電車に乗って、よく、東京の西部郊外の、多摩(tama)川に釣りに行ったそうです(私の母は、全く、退屈で、つまらなかったそうですw)。ちなみに、前述の通り、私の実家は、(元々、私の母方の祖母の実家が、山梨(yamanashi)県(東京圏の西部に隣接する県)の裕福な地主の家(第二次世界大戦後は、没落した)であったのですが)、私の母方の祖母が、私の母方の祖父と結婚した際に、私の母方の祖母の父(私の母方の曽祖父)が、当時、東京に保有していた不動産の一つ(敷地面積100坪程(約330平方m)の、庭がある、一戸建て住宅。当時の中流階級の、一戸建て住宅として、小さな方であったと思います)を、私の、母方の祖父母に与えた物です(現在の家の建物は、1960年代初め頃に(私の母が高校生の頃に)、建替えられた物です。現在は、耐震補強もなされています)。
錦鯉(nishikigoi):観賞用に、養殖・品種改良された、日本の鯉の、総称。日本では、色鮮やかな、錦鯉(nishikigoi)は、庭園の池等で、多く見られる。錦鯉(nishikigoi)は、日本、及び、日本の美意識を象徴する魚として、日本の、国魚(国の魚)となっている。



私の母方の祖父は、東洋的な(日本的な)、風流人である一方で、西洋文化が好きな一面もあり、私の母方の祖父の好みに合わせて、私の実家の朝食は、西洋式でしたし、私の、母方の祖父は、食事は、どちらかと言えば、和食(日本料理)よりも、洋食(yoshoku)(日本で、近代以降、日本人の口に合う様に、(日本人の視点からすれば)改良された、西洋料理)・西洋料理の方が、好きな位でした。また、私の母方の祖父は、ウイスキー(whisky)が、好きで、毎晩、寝る前に、必ず、ウイスキー(whisky)を飲んでいました(前述の通り、私の母方の祖父は、つましかったので、いつも飲んでいたのは、Suntory(nikkaと共に、日本の、2大、ウイスキー(whisky)会社)の、「SUNTORY OLD」と言う、安い、大衆的な、ウイスキー(whisky)でしたが。。。)。


以下、参考に、我が家の近所の実家(元々、私の母方の祖父母の家。現在は、両親が、引き継いで暮らしている)で見つけた、「日本スキー(skiing)発達史」と言う本を基にした投稿です。

日本スキー(skiing)発展歴史1→

/kr/board/exc_board_14/view/id/2445614?&sfl=membername&stx=jlemon



私は、兄弟姉妹は、2歳、年下の、会社員の弟が、一人います。弟は、現在は、結婚し、妻、子供と共に、東京の、西部郊外の、静かで、落ち着いた住宅地(国立(kunitachi)市と言う場所です)に買った、一戸建て住宅に暮らしています。弟の、奥さん(妻)は、結婚する前は、服関係の、会社で、会社員として働いていましたが、結婚してからは、主婦となりました。私の甥(弟の子供(息子))は、まだ、幼いですが、とても可愛いです。また、去年、姪(弟の娘)が、生まれました。

 

まだ、大分、先の話になると思いますが(両親は、長生きして欲しいです)、もし両親が、亡くなったら、我が家の近所の実家は、私が、このまま家庭を持たない限り、(放蕩息子の私と違ってw)真面目で安定した、弟に譲ろうと思っています。(まだ、大分、先の話なので、どうなるか分かりませんが)、もし、弟が、実家を継ぐ事になったら、税金等は、出来る限り補助するつもりでいます(弟が、私に補助される必要性を感じなければ、若しくは、私に補助される必要性が、全くなければ、しませんが。。)。




写真以下12枚。私の街の、1920年代から1930年代頃に建てられたと思われる、古い、一戸建て住宅の例。。。私の街においても、この様な古い住宅の建物は、年々、失われ続けています。私は、(古い一戸建て住宅の建物を含む)古い建物を眺めるのが好きなのですが、日本では、(日本の建物は、歴史上、長らく、石造りでは無く、木造が基本で有ったと言う事が関係していると思いますが)、古い建物を長く使い続けると言う発想が、乏しく、文化財にでも指定されていない限り、寺や神社(shrine)の建物でさえ、老朽化したと言って、結構、あっさりと建て替えてしまいます(もっとも、現存している、江戸(edo)時代(19世紀半ば)以前に建てられた、寺や神社(shrine)の建物に関しては、普通は、文化財に指定されていると思いますが)。したがって、古い住宅の建物となると、尚更、安易に建て替えられてしまう傾向が有ります(我が家の近所の実家の建物も、前述の通り、(元は、第2次世界大戦前に建てられた建物であったそうですが)、私が、生まれる前に、現在の建物に建て替えられてしまっています)。文化財に指定されている様な、古い建物は、とりあえず安心なので、個人的に、差し迫って、写真を撮影する必要は有りませんが、私は、やがて消え行く運命に有る(それは、もしかして、すぐ明日にでも、訪れるかもしれない)、無名の古い住宅の建物を、せめて、私の街の分だけでも(出来たら、私の街以外の物も)、まだ存在している内に、出来るだけ多く、写真の中に収めて置こうと思っています。が、しかし、面倒臭さが勝って、中々作業が、進んでいません。。。

 

 

写真以下4枚(写真以下4枚は、同じ、一戸建て住宅です)。1920年代から1930年代頃建てられたと思われる、西洋式の、一戸建て住宅。2013年の12月の初旬に、散歩した際に撮影。1920年代から1930年代頃の典型的な中流階級向け、西洋式の田園住宅と言った感じです(私の街は、1920年代から1930年代頃は、まだ、のどかな風景が広がる、当時の中流階級や新興金持ち向けの新興住宅地でした)。



 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 


 



 


 

 









 

 

 

 


 



 

 

写真以下2枚。1920年代から1930年代頃建てられたと思われる、西洋式と、日本伝統式、両方の要素を持つ、一戸建て住宅。


 

 

2013年の3月の中旬に散歩した際に撮影。

 

 

 

 

 



 

 

 

 2008年の9月の下旬に散歩した際に撮影。

 

 

 

 



 

写真以下6枚。1920年代から1930年代頃建てられたと思われる、日本伝統式の、一戸建て住宅。

 


 

 

写真以下2枚は、同じ、一戸建て住宅。2008年の9月の下旬に散歩した際に撮影。


 

 

 

 

 


 

 

 


 

 

 

 

 

 

 


 

 


写真以下2枚は、同じ、一戸建て住宅。2013年の3月の中旬に散歩した際に撮影。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 





 

 


 

写真以下2枚は、同じ、一戸建て住宅。2013年の12月の初旬に、散歩した際に撮影。


 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

写真以下4枚。2013年の3月の中旬に散歩した際に撮影。この土地には、第二次世界大戦前(1920年代から1930年代頃)に建てられた程、古い、住宅の建物ではありませんが、ある程度、古い、かなり立派な、日本伝統式の、一戸建て住宅の建物が建っていたのですが、建て替えの為、取り壊されてしまいました。現在は、既に、新しい建物が建っています。


 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




私の街と周辺3へ続く。。。


나의 거리와 주변 2



kj의 버그(불편)에 의해, IE로, 투고의 사진을 볼 수 없는 현상이 발생하는 님입니다.IE로, 사진을 볼 수 없는 경우는, Firefox로, 봐 주세요.


이하, 「이하, 나의 거리와 주변 1으로부터의 계속입니다...」라고 하는 문장까지는, 전회의 투고와 기본적으로, 중복 합니다.


이 투고는, 전에, kj로, 간 투고를, 재편집한 것입니다.


나의 거리와 주변은, 이하의 5개의 투고로부터 성립되고 있습니다(kj의 투고의 용량 제한의 관계로, 분할키바구니 얻지 않게 되었다).이하의 5개의 투고를, 모으고, 봐 주세요.


나의 거리와 주변 1→

/kr/board/exc_board_16/view/id/2446033?&sfl=membername&stx=jlemon


나의 거리와 주변 2(해당 투고)→

/kr/board/exc_board_16/view/id/2446032?&sfl=membername&stx=jlemon


나의 거리와 주변 3→

/kr/board/exc_board_16/view/id/2446031?&sfl=membername&stx=jlemon


나의 거리와 주변 4→

/kr/board/exc_board_16/view/id/2446030?&sfl=membername&stx=jlemon


나의 거리와 주변 5→

/kr/board/exc_board_16/view/id/2446029?&sfl=membername&stx=jlemon


이것은, 덤으로, 참고 투고로, 나의 거리 이외의, 도쿄도심부의, 조용하고, 침착한 주택지의 예를, 소개하고 있는 투고입니다( 「후키곡홍아(fukiya koji) 2」 )→

/kr/board/exc_board_14/view/id/2396739/page/1?&sfl=membername&stx=jlemon


나의 거리와 주변 1으로부터 나의 거리와 주변 3의, 나의 거리의 풍경 사진은, 기본적으로, 2008년의 9월의 하순( 꽤, 전입니다만...w), 2013년의 3월의 중순, 2013년의 12월의 초순에, 각각, 운동을 겸하고, 나의 거리를 산책했을 때에 촬영한 것입니다.현재의 풍경은, 이것등의 사진을 촬영했을 때와 다른 부분도 있습니다만, 기본적으로는, 이것등의 사진을 촬영했을 때와 거의, 변하지 않습니다.


나의 거리는, 기본적으로, 조용하고, 침착한 주택지가 되고 있습니다.나는, 현재 혼자 생활입니다만(뭐, 독신 생활이라고 말해도, 일주일간에, 1일부터 3일 정도는, 두 명인 것(그녀가 우리 집에 묵고 있어)입니다만...), 친가(원래, 나의 외가의 조부모의 집.현재는, 부모님이, 계승하며 살고 있다)가 근처에서, 이 거리에서, 태어나 자랐습니다.나의 거리는, 부자로부터, 나카가미류(upper-middle class)·중류층, 그리고, 나와 같은 서민층까지, 님 들인 사람들 살고 있습니다만, 개인의 집의 뜰의 초록등도, 상당히 많은(다만, 조금씩, 줄어 들고, 와있다), 조용하고 침착한, 주택지가 되고 있습니다(가장, 교외의 주택지에 비하면, 한도가 있습니다만(교외의 주택지에는, 당해 내지 않습니다만...)).나의 거리는, 원래, 1920년대부터 1930년대무렵에, (당시는) 도쿄의 서쪽의 교외(뭐, 교외라고는 해도, 도쿄의 도심부에 비교적 가까운 교외였지만)에 개발된, 중류층이나 신흥 부자 전용의 신흥 주택지입니다.신흥 주택지로서 개발되기 전은, 아직 농촌의 분위기가 현저하게 남는, 한가로운 지역이었다 님으로, 또, 신흥 주택지로서 개발된 후도, 꽤, 당분간의 사이는, 아직, 한가로운 분위기가 남아 있던 님입니다( 나의 어머니가, 아직 어렸던 무렵( 나의 어머니가, 유치원아의 무렵부터 초등학교 저학년생의 무렵.1950년대 초 무렵)은, 친가의 뜰에서는, 당연한 님에, 반디를 볼 수 있었다고 합니다).


이하, 나의 거리와 주변 1으로부터의 계속입니다...


사진 이하.나의 거리(도쿄 중심부(도쿄 23구)의 서부에 위치하는 시부야(shibuya) 구안북부)의 풍경 예의 계속...


사진은, 2013년의 12월의 초순에, 산책했을 때에 촬영.나의 거리는, 부자로부터, 나카가미류(upper-middle class)·중류층, 그리고, 나와 같은 서민층까지, 님 들인 사람들 살고 있습니다만, 지가가 비싼, 도쿄 중심부(도쿄 23구)( 나의 거리도, 포함된다)냄새나서는, 비교적, 새로운, 서민의 독립주택은, (사진 우측의, 독립주택과 같이), 좁은 토지에 3층건물로 해, 1층 부분을 주차장으로 하고, 거주 바닥 면적을 버는 님주택이 많습니다.우리 집도, 이와 같은, 전형적인, 비교적, 새로운, 도쿄 중심부(도쿄 23구)의, 서민 전용, 독립주택이라고 한 느낌으로, 뜰은 없고, 3층건물에서, 1층 부분은 주차장, 거주 바닥 면적 30평( 약 100평방 m) 정도의, 주택입니다.





사진은, 2013년의 12월의 초순에, 산책했을 때에 촬영.나의 거리의, 비교적, 새로운 중류층(부자와 서민의 사이의 층)의 주택의 일례.지가가 비싼, 도쿄 중심부(도쿄 23구)( 나의 거리도, 포함된다)냄새나서는, 옛부터의 중류층은, 비교적, 여유가 있는 토지에 살고 있습니다만, 비교적, 새로운 중류층의 주택은, 토지에, 비교적, 여유가 없기 때문에, 이와 같게, 거의, 부지 힘껏에 지어지고 있는 경우도 많습니다


덧붙여서, 우리 집의 부근의, 나의 친가는, 부지면적 100평 정도( 약 330평방 m)의, 뜰이 있다, 독립주택입니다.나의 친가는, 원래, 나의 외가의 조부모의 집에서, 현재는, 부모님이, 그 집을 계승하고 있습니다(덧붙여서, 나의 어머니는, 외동딸입니다).원래는, 나의 외가의 조모의 부(야마나시(yamanashi) 현(동경권의 서부에 인접하는 현)의, 유복한 지주였다)이, 도쿄에 보유하고 있던 부동산의 하나인 것으로( 나의 외가의 조모의 아버지가, 나의 외가의 조모가 결혼했을 때에, 나의 외가의 조부모에게 준 것.당시의 중류 계급의 독립주택으로서 작은 분이었다고 생각합니다), 원래의 집의 건물은, 1920년대무렵?에 지어진, 일본 전통식의 주택의 건물이었다 님입니다만, 현재의 집의 건물은, 1960년대 초 무렵에, 개축물입니다(현재는, 내진 보강도 이루어지고 있습니다).도쿄 중심부(도쿄 23 구내)의 경우, 1920년대부터 1930년대무렵에, 중류 계급 전용의 신흥 주택지로서 개발되어 처음, 1960년대 중반 이전에는, 이미 상당히 많은 사람들이 살고 있던 님, 조용하고 침착한 주택지는, 부모의 집을 계승하며 살고 있는 사람들도, 상당히 많이(대부분은, 토지만 계승하고, 시대에 맞추어?`트, 집의 건물은 개축이라고 있다), 이러한 경우는, 토지를 구입하는 부담이 없는 일로부터, 서민이나 보통 중산층( 나의 아버지는, 보통 회사원.나의 어머니는, 나의 아버지와 결혼하고 나서, 쭉 주부입니다)에서도, 도쿄 중심부(도쿄 23 구내)에서, 있다 정도의 넓이의 독립주택에 사는 것이 가능합니다(단지, 부지가, 도쿄 중심부(도쿄 23 구내)의 주택의 부지로서는, 꽤 넓은 경우에는, 상속세의 관계로 무리이겠지요).



나의 외가의 조부도, 나의 외가의 조모도, 이미, 죽습니다.




나의 외가의 조모는, 현지의, 야마나시(yamanashi) 현의, 여학교(제이차 세계대전 이전의 일본에 있어서의, 여자(여성) 보내의 중등 교육 기관.거의, 현재의 초등학교와 대학의 사이, 즉, 중학교와 고등학교에 해당된다.제이차 세계대전 이전의 계급 사회의 일본에 있고, 주로, 비교적 유복한, 중류 계급 이상의 가정의 딸(아가씨)(중류 계급·나카가미류계급(upper-middle class)·상류계급의, 가정의 딸(아가씨))가 다녔다)를, 졸업한 후, 도쿄의 사립의 대학(뭐, 당시는, 그 전신의 고등교육 기관이었지만)에 입학해, 대학에서 도쿄로 나와 있었습니다.나의 외가의 조모는, 맞선( 나의 외가의 조모의 아버지( 나의 외가의 증조부)의 아는 사람의 소개)에 의해, 나의 외가의 조부와 알게 되어, 결혼했습니다.나의 외가의 조모는, 나의 외가의 조부와 결혼하고 나서, 쭉 주부를 하고 있었습니다.무엇보다, 나의 외가의 조모는, 제이차 세계대전이 끝날 때까지는, 도쿄에서의, 학생시절·독신 시대를 포함하고, 쭉, 메이드(maid)가 있는(메이드(maid)에게 신변을 돌봐 받는다) 생활이었으므로, 주부라고는 해도, 나의 외가의 조모가, 태어나고 처음으로, 본격적으로 가사를 하는 것처럼 된 것은, 제이차 세계대전 후부터에서 만난 님입니다.나의 외가의 조모는, 도쿄에서의, 학생시절과 독신 시대는, 나의 외가의 조모의 아버지가, 아자부(azabu)(도쿄도심부의 고급 주택지의 하나)에 보유하고 있던, 독립주택( 나의 외가의 조모의 친가의, 도쿄의 별택.우리 집의 부근의, 나의 친가보다, 훨씬 더(쭉), 크고, 훌륭했다고 합니다만, 제이차 세계대전 후, 나의 외가의 조모의 친가(야마나시(yamanashi) 현(동경권의 서부에 인접하는 현)의, 유복한 지주의 집에서 만났다)의 몰락과 함께, 타인의 손에 건너 버렸다고 합니다)에, 살고 있었습니다.또, 나의 외가의 조부모는, 결혼해 머지 않아, 나의 외가의 조부의 일의 관계로, 중국의, 샹하이(Shanghai )에 건넌 때문, 나의 외가의 조부모가, 우리 집의 부근의 나의 친가( 나의 외가의 조모의 아버지가, 나의 외가의 조모가 결혼했을 때에, 나의 외가의 조부모에게 준, 독립주택)에, 본격적으로 살기 시작한 것은, 제이차 세계대전 후의 일입니다.덧붙여서, 나의 외가의 조부모의, 샹하이(Shanghai )의, 일본 조계(일본인용의 외국인 거류지)에서의, 생활은, 훌륭한 집에 살아, 부부 두 명만의 생활에, 두 명의, 중국인의, 메이드(maid)가 있는 생활이었다고 합니다( 나의 외가의 조부는, 당시 , 일본군의 장교나, 일본 정부의 외교관등의 상급 관료등 , 일본군이나, 일본 정부의, 비교적, 상층부의 사람들이 타는, 비행기등의, 무선, 기사(기술자)로서 일하고 있던 때문, 수입이나 생활면등 , 비교적, 우대 되고 있던 님입니다.또, 제이차 세계대전 말기가 되면, 일본 본토에서는, 사람들은, 식량난(식료 부족)에 괴로워했습니다만, 샹하이(Shanghai )의, 일본 조계(일본인용의 외국인 거류지)에서는, 그 님일도 없었다고 합니다).덧붙여서, 나의 어머니는, 외동딸( 나의 외가의 조부모의, 한 명만의 아이)입니다만, 나의 외가의 조부모가, 샹하이(Shanghai )로부터 도쿄로 돌아온 후에(제이차 세계대전 후에), 태어났습니다( 나의 외가의 조모는, 당시로서는, 고령 출산의 분이었다고 생각합니다).


참고에, 나의, 외가의 조모가, 소녀의 무렵부터(아마...), 매우, 기꺼이 있던, 일러스트레이터(illustrator), 후키곡홍아(fukiyakoji)에 대해서, 이하의 투고를, 참조해 주세요.나의, 외가의 조모는, 소녀의 시대, 여학교(제이차 세계대전 이전의 일본에 있어서의, 여자(여성) 보내의 중등 교육 기관.거의, 현재의 초등학교와 대학의 사이, 즉, 중학교와 고등학교에 해당된다.제이차 세계대전 이전의 계급 사회의 일본에 있고, 주로, 비교적 유복한, 중류 계급 이상의 가정의 딸(아가씨)(중류 계급·나카가미류계급(upper-middle class)·상류계급의, 가정의 딸(아가씨))가 다녔다)의 시대, 대학생의 시대, 젊은 독신 시대와 아마, 당시 , 나의 외가의 조모가 구독하고 있던, 소녀·젊은 여성취향의 잡지등을 통해서, 쭉, 후키곡홍아(fukiya koji) 팬(fan)이었다고 생각하고, 그 후도, 돌아가실 때까지, 쭉, 후키곡홍아(fukiya koji)의 그림과 일러스트(illustration)를, 매우 기꺼이 있던 님입니다.나의 외가의 조모는, 그림을 그리는 것을 좋아했습니다만, 만년이 되어도, 후키골짜기 홍아(fukiya koji)와 같은 그림을, 많이 그리고 있었던(그림이라고 말해도, 스케치(sketch)같은 것입니다만...).


후키곡홍아(fukiya koji) 1→

/kr/board/exc_board_14/view/id/2396738/page/1?&sfl=membername&stx=jlemon



덧붙여서, 나의, 외가의 조모는, 얌전하고, 품위있는 성격이었습니다만, 나의 어머니는, 활발한 성격으로, 젊은 무렵, 나의 아버지에게, 한 눈 반해(외모를, 한번 본 것만으로(본 순간에), 좋아하게 되어), 나의 어머니로부터, 나의 아버지를 유혹해, 교제를 해, 결혼하는 일이 된 님입니다 w ( 나의 어머니의 활발한 성격은, 나의 외가의 조모의 언니(누나)(이미 죽는다.근처에( 나의 외가의 조모와 같이, 결혼했을 때에, 나의 외가의 조모의 아버지에게 줄 수 있고 있던 집)에 살고 있었다.나의 어머니는, 어릴 적부터, 자주(잘), 나의 외가의 조모의 언니(누나)의 집에, 놀러 가고 있던)를 닮은 님입니다).



나의 외가의 조부는, 시즈오카(shizuoka) 현(일본의 중부 지방에 위치하는 현의 하나)에서 태어나 도쿄의, 대학(뭐, 당시는, 그 전신의 고등교육 기관이었지만)을 졸업한 후, 제이차 세계대전까지는, 기사(기술자), 제이차 세계대전 후는, 회사원을 하고 있었습니다.나의 외가의 조부의 친가는, 유복했다고 하는 이야기는 듣지 않고, 또, 일까하고 말하고, 궁핍했다고, 고학했다든가(금전면에서, 고생하고, 도쿄의, 대학을 졸업했다)라고 하는 이야기도 듣지 않았기 때문에, 뭐, 중류의 농가(중류의 농민의 집), 혹은, 회사원·공무원등의, 가정에서 만난 것은 아닐까요...



나의 외가의 조부는, 보수적이고, 견실, 성실하고, 생활은, 검소하고, 화려한 생활을 하는 일은, 좋아하지 않았습니다만, 무취미라고 말한 것은 아니고, 묵화(ink
wash painting), 하이쿠(haiku)(일본의, 전통적인 시), 단가(tanka)(일본의, 전통적인 시), 한시(중국의, 전통적인 시), 낚시질을 취미로서 풍류인적인, 일면도 가지고 있었습니다.현재는, 옛날과 달리, 우리 집의 부근의, 나의 친가(원래, 나의 외가의 조부모의 집.현재는, 부모님이, 계승하며 살고 있다)의, 뜰의 연못에는, 비단잉어(nishikigoi)(아래의 보충 설명 참조) 밖에 헤엄치고 있지 않습니다만, 일찌기, 나의 친가의 뜰의 연못에는, 잉어, 금붕어 외에, 나에게 외가의 조부가 낚시해 온, 부나 초어(grass carp) 등이 있었습니다.나의 어머니는, 어릴 적은, 휴일에, 나의 외가의 조부 에 이끌리고, 전철을 타고, 자주(잘), 도쿄의 서부 교외의, 타마(tama) 강에 낚시하러 갔다고 합니다( 나의 어머니는, 완전히, 지루하고, 시시했다고 합니다 w).덧붙여서, 상술한 대로, 나의 친가는, (원래, 나의 외가의 조모의 친가가, 야마나시(yamanashi) 현(동경권의 서부에 인접하는 현)의 유복한 지주의 집(제이차 세계대전 후는, 몰락한)에서 만났습니다만), 나의 외가의 조모가, 나의 외가의 조부와 결혼했을 때에, 나의 외가의 조모의 아버지( 나의 외가의 증조부)가, 당시 , 도쿄에 보유하고 있던 부동산의 하나(부지면적 100평 정도( 약 330평방 m)의, 뜰이 있다, 독립주택.당시의 중류 계급의, 독립주택으로서 작은 분이었다고 생각합니다)를, 나의, 외가의 조부모에게 준 것입니다(현재의 집의 건물은, 1960년대 초 무렵에( 나의 어머니가 고교생의 무렵에), 개축물입니다.현재는, 내진 보강도 이루어지고 있습니다).
비단잉어(nishikigoi):관상용으로, 양식·품종 개량 된, 일본의 잉어의, 총칭.일본에서는, 선명한, 비단잉어(nishikigoi)는, 정원의 연못등에서, 많이 볼 수 있다.비단잉어(nishikigoi)는, 일본, 및, 일본의 미의식을 상징어로서 일본의, 국어(나라의 물고기)가 되고 있다.



나의 외가의 조부는, 동양적인(일본적인), 풍류인인 한편으로, 서양 문화를 좋아하는 일면도 있어, 나의 외가의 조부의 취향에 맞추고, 나의 친가의 아침 식사는, 서양식였고, 나의, 외가의 조부는, 식사는, 어느 쪽일까하고 말하면, 일식(일본 요리)보다, 양식(yoshoku)(일본에서, 근대 이후, 일본인이 입맛에 맞는 것처럼, (일본인의 시점으로부터 하면) 개량된, 서양 요리)·서양 요리가, 좋아하는 정도였습니다.또, 나의 외가의 조부는, 위스키(whisky)가, 좋아하고, 매일 저녁, 자기 전에, 반드시, 위스키(whisky)를 마시고 있었던(상술한 대로, 나의 외가의 조부는, 검소했기 때문에, 언제나 마시고 있던 것은, Suntory(nikka와 함께, 일본의, 2대, 위스키(whisky) 회사)의, 「SUNTORY OLD」라고 하는, 싼, 대중적인, 위스키(whisky)였지만...).


이하, 참고에, 우리 집의 부근의 친가(원래, 나의 외가의 조부모의 집.현재는, 부모님이, 계승하며 살고 있다)로 찾아낸, 「일본 스키(skiing) 발달사」라고 하는 책을 기본으로 한 투고입니다.

일본 스키(skiing) 발전 역사 1→

/kr/board/exc_board_14/view/id/2445614?&sfl=membername&stx=jlemon



나는, 형제 자매는, 2세, 연하의, 회사원의 남동생이, 한 명 있습니다.남동생은, 현재는, 결혼해, 아내, 아이와 함께, 도쿄의, 서부 교외의, 조용하고, 침착한 주택지(쿠니타치(kunitachi) 시라고 하는 장소입니다)에 산, 독립주택에 살고 있습니다.남동생의, 부인(아내)은, 결혼하기 전은, 옷관계의, 회사에서, 회사원으로서 일하고 있었습니다만, 결혼하고 나서는, 주부가 되었습니다.나의 조카(남동생의 아이(아들))는, 아직, 어립니다만, 매우 귀엽습니다.또, 작년, 질녀(남동생의 딸(아가씨))가, 태어났습니다.

아직, 상당히, 앞의 이야기가 된다고 생각합니다만( 부모님은, 장수해 주었으면 합니다), 만약 부모님이, 죽으면, 우리 집의 부근의 친가는, 내가, 이대로 가정을 가지지 않는 이상(방탕 아들인 나와 달리 w) 성실하고 안정된, 남동생에게 양보하려고 생각합니다.( 아직, 상당히, 앞의 이야기이므로, 어떻게 될까 모릅니다만), 만약, 남동생이, 친가를 잇는 일이 되면, 세금등은, 가능한 한 보조할 생각으로 있습니다(남동생이, 나에게 보조되는 필요성을 느끼지 않으면, 혹은, 나에게 보조되는 필요성이, 전혀 없으면, 하지 않습니다만..).




사진 이하 12매.나의 거리의, 1920년대부터 1930년대무렵에 지어졌다고 생각되는, 낡은, 독립주택의 예...나의 거리에 있어도, 이와 같은 낡은 주택의 건물은, 해마다, 계속 없어지고 있습니다.나는, (낡은 독립주택의 건물을 포함한다) 낡은 건물을 바라보는 것을 좋아합니다만, 일본에서는, (일본의 건물은, 역사상, 오랫동안, 석조는 아니고, 목조가 기본으로 있었다고 하는 것이 관계하고 있다고 생각합니다만), 낡은 건물을 계속 길게 사용한다고 말하는 발상이, 부족하고, 문화재라도 지정되어 있지 않은 한, 절이나 신사(shrine)의 건물조차, 노후화 했다고 말하고, 상당히, 시원스럽게 개축해 버리는(가장, 현존 하고 있는, 에도(edo) 시대(19 세기 중반) 이전에 지어진, 절이나 신사(shrine)의 건물에 관해서는, 보통은, 문화재로 지정되어 있다고 생각합니다만).따라서, 낡은 주택의 건물이 되면, 더욱 더, 안이하게 다시 세워져 버리는 경향이 있습니다(우리 집의 부근의 친가의 건물도, 상술한 대로, (원래는, 제2차 세계대전전에 지어진 건물이었다고 합니다만), 내가, 태어나기 전에, 현재의 건물에 다시 세워져 버리고 있습니다).문화재로 지정되어 있는 님, 낡은 건물은 우선 안마음이므로, 개인적으로, 박두하고, 사진을 촬영할 필요는 없습니다만, 나는, 이윽고 사라져 가는 운명에 있는(그것은, 혹시, 바로 내일에라도, 방문할지도 모른다), 무명의 낡은 주택의 건물을, 적어도, 나의 거리의 분에만(할 수 있으면, 나의 거리 이외의 물건도), 아직 존재하고 있는 동안에, 가능한 한 많아, 사진나카에 거두려고 생각합니다.하지만, 그러나, 귀찮음이 이기고, 꽤 작업이, 진행되고 있지 않습니다...

사진 이하 4매(사진 이하 4매는, 같을, 독립주택입니다).1920년대부터 1930년대무렵 지어졌다고 생각되는, 서양식의, 독립주택.2013년의 12월의 초순에, 산책했을 때에 촬영.1920년대부터 1930년대무렵의 전형적인 중류 계급 전용, 서양식의 전원 주택이라고 한 느낌입니다( 나의 거리는, 1920년대부터 1930년대무렵은, 아직, 한가로운 풍경이 퍼지는, 당시의 중류 계급이나 신흥 부자 전용의 신흥 주택지였습니다).



















사진 이하 2매.1920년대부터 1930년대무렵 지어졌다고 생각되는, 서양식과 일본 전통식, 양쪽 모두의 요소를 가지는, 독립주택.


2013년의 3월의 중순에 산책했을 때에 촬영.



2008년의 9월의 하순에 산책했을 때에 촬영.



사진 이하 6매.1920년대부터 1930년대무렵 지어졌다고 생각되는, 일본 전통식의, 독립주택.


사진 이하 2매는, 같을, 독립주택.2008년의 9월의 하순에 산책했을 때에 촬영.







사진 이하 2매는, 같을, 독립주택.2013년의 3월의 중순에 산책했을 때에 촬영.







사진 이하 2매는, 같을, 독립주택.2013년의 12월의 초순에, 산책했을 때에 촬영.




사진 이하 4매.2013년의 3월의 중순에 산책했을 때에 촬영.이 토지에는, 제이차 세계대전전(1920년대부터 1930년대무렵)에 지어졌을 정도, 낡은, 주택의 건물이 아닙니다만, 있다 정도, 낡은, 꽤 훌륭한, 일본 전통식의, 독립주택의 건물이 세우고 있었습니다만, 재건축이기 때문에, 해체되어 버렸습니다.현재는, 이미, 새로운 건물이 세우고 있습니다.






나의 거리와 주변 3에 계속 된다...


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