うちの町内

 

 

 

去年の12月の下旬に、上野(ueno)を散歩して来た時の物です。この日の、流れは、以下の通りでした(投稿文は、便宜上、必ずしも、この日の流れに沿っている訳ではありません)。東京都美術館で、展覧会(exhibition)を見る(午前中)→国立科学博物館を訪れる(昼食は、国立科学博物館のレストランで食べました)→アメ横(ameyoko)を散歩→上野(ueno)駅に入っている店舗で、少し買い物→上野(ueno)駅に入っている、「Afternoon Tea」で、おやつを食べる→上野(ueno)駅に入っている、「Brasserie L’ecrin」で夕食を食べる→我が家に帰る。

 

上野(ueno)は、東京都心部の北東部に位置する、浅草(asakusa)と並ぶ、東京の下町(東京都心部東部。旧市街)最大級の繁華街です。

 

午前中、東京都美術館で、展覧会(exhibition)を見た(前回の投稿参照)後、国立科学博物館を訪れ、午後は、国立科学博物館で過ごしました(なお、この投稿の、国立科学博物館に関する写真は、前に、kjで、アップ(upload)した写真の、再利用も、含みます)。

 

国立科学博物館(1877年設立)は、日本の、国立の(厳密には微妙に違いますが、ここでは説明は、省略します)、科学博物館です。科学に関する、非常に多くの資料を収蔵する博物館で、規模が大きく、見応えのある博物館です。

 

私は、子供の頃、博物館が好きで、この国立科学博物館や、交通博物館、科学技術館に、よく行きました(幼い時は、親に連れて行ってもらいましたが、小学校4年生頃からは、同じ興味を持つ友達(達)と、小学生だけで、行く様になりました。中学生になってからは、ほとんど行かなくなりましたが。。。)。私は、幼い頃、恐竜に、とても興味があったので、取り分け、国立科学博物館の、恐竜に関する展示は、印象に残っています。

 

今回、国立科学博物館を訪れたのは、一昨年、とても久しぶりに(15年ぶり位)に訪れて以来で、国立科学博物館が、大規模な改装がなされてからは(現在の地球館の建物が建てられてからは)、2回目でした。

国立科学博物館の現在の建物は、1931年に建てられた、重厚な近代建築の日本館の建物(前回の投稿参照)と、(日本館に接する)現代建築の地球館の建物から成ります(現在の地球館の建物が建てられる前にも、国立科学博物館には、展示の為の建物として、本館(現在の日本館)に加えて、本館(現在の日本館)に隣接した現代建築の建物が有りましたが、現在の地球館の建物が建てられる際に、取り壊されました)。


以下、上野(ueno)散歩前編からの続き。。。


写真以下6枚。国立科学博物館の、theatre 360。日本では、大阪万国博覧会(Expo “70)(日本で最初に開催された万国博覧会(Universal Exposition)。大阪で開催された)、沖縄(okinawa)海洋国際博覧会(Expo “75)、筑波(tsukuba)国際科学技術博覧会(Expo “85)(東京area(東京圏)の北東部に位置する中都市、筑波(tsukuba)で開催された)、国際花と緑の博覧会(Expo “90)(大阪で開催された。大阪は、日本で唯一、万国博覧会(Universal Exposition)を、複数開催した都市)、愛知(aichi)万国博覧会(Expo 2005)(名古屋(nagoya)の郊外・近郊で開催された)と、今まで、合計5回、万国博覧会(Universal Exposition)が開催されていますが、日本で一番最近(2005年に)開催された、万国博覧会(Universal Exposition)、愛知(aichi)万国博覧会(Expo 2005)(私は、行きませんでした)の日本館にあった、「地球の部屋」と言う施設を、国立科学博物館に移設した物です。直径12.8m(実際の地球の100万分の1の大きさ)の球体の内側すべてがスクリーン(screen)になっていて、その中のブリッジ(bridge)に立ち、映像を見る事が出来ます。360度、全方位に映像が映し出され、独特の浮遊感などが味わえる、世界初の施設です。theatre 360は、今回、初めて見ましたが、大した事ありませんでした(全く、期待外れ、だった。。。)。

 

写真以下5枚。theatre 360のパンフレット(leaflet)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下2枚。theatre 360の映像内容。基本的に、国立科学博物館が、独自に制作した映像となっています(写真の物は、全て、国立科学博物館が、独自に制作した映像作品)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下36枚。国立科学博物館の地球館(国立科学博物館の、日本館に関しては、前回の投稿参照)。国立科学博物館の地球館は、地球の生物と、地球の生物の発展(恐竜を含む)、近代以降の、日本の技術の発展の歴史等が、展示の中心となっています。

 

 

 

 

 

 

国立科学博物館の屋外展示物の一つ。1970年、日本で初めての人工衛星、「おおすみ(osumi)」を打ち上げたロケットランチャー(rocketの発射台)です。以下、人口衛星に関する説明は、wikiを参考にしました。日本は、ソビエト(Soviet)連邦(現在のロシア(Russia))(1957年)、アメリカ(1958年)、フランス(1965年)に次いで、世界で、4番目に、自国の技術により、人口衛星の打ち上げに成功した国です。日本の後は、中国(1970年)、イギリス(1971年)、欧州宇宙機関(European Space Agency)(フランス、ドイツ、イタリア、イギリス等が加盟)(1979年)、インド(1980年)、イスラエル(1988年)と続きました。ちなみに、1970年に、日本で初めての人工衛星、「おおすみ(osumi)」を打ち上げた、日本製のロケット(rocket)、Lambda 4Sロケット(rocket)は、誘導制御装置が付いていない、世界初の無誘導衛星打ち上げロケット(rocket)です。これは、日本に、決して、誘導制御装置の開発能力が無かったわけではなく、誘導装置は、ミサイル(missile)開発に繋がる軍事技術への転用が可能であるという指摘が、当時の、日本の野党の日本社会党等から上がり、開発の着手時期が大幅に遅れたためです(wikiより。。)。Lambda 4Sロケット(rocket)には、誘導制御装置の代わりに、非常に手の込んだ、独自の打ち上げ方式の「無誘導重力ターン方式」が採用されました。

 

 

写真以下13枚。国立科学博物館の地球館の展示例。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この日の昼食は、国立科学博物館のレストランで食べました。国立科学博物館のレストランは、ムーセイオン(Mouseion)と言う名前で、精養軒(seiyoken)が経営しています。精養軒(seiyouken)は、上野(ueno)公園内に有る、1872年まで歴史を遡る事が出来る(元々は、違う場所で、西洋式のホテルとして営業を開始した)、歴史の古い、フランス料理・洋食(日本人好みに、(日本人の視点からすれば)改良された西洋料理)レストランです(現在の、上野(ueno)公園内に有る、精養軒(seiyouken)の本店は、要人も利用する高級フランス料理レストランと、カジュアル(casual)な、洋食(日本人好みに、(日本人の視点からすれば)改良された西洋料理)レストランから成ります)。 ムーセイオン(Mouseion)の食事は、精養軒(seiyouken)が経営していると言っても、まあ、所詮、遊園地、博物館、動物園の、レストランの食事の味(遊園地、博物館、動物園の、レストランの食事の標準よりかは、ほんの少し上)と言った感じです(まあ、こう言う所で食べるのも、好きなのですが。。。)。ちなみに、国立科学博物館のレストランは、記憶が、かなり曖昧ですが、かつては、上野(ueno)風月堂(fugetsudo)(上野(ueno)に本店を有する、1747年創業の、西洋菓子・和(日本)菓子会社)が、経営していた様な気がします(こちらも、あまり美味しくない印象でしたが。。。)。

 

 

写真以下2枚。国立科学博物館のレストランで食べた、この日の昼食。これと、あと、私は、ご飯(rice)を、彼女は、パンを食べました。

 

 

私が食べた、恐竜の足型の、ハンバーグ(hamburger steak)。

 

 

 

 

 

彼女が食べた、チキン(chicken)、ディアブル(diable)風。

 

 

 

 

写真以下19枚。再び、国立科学博物館の地球館の展示例。

 

 

 

 

 

 

 

 

高足蟹(Japanese spider crab)。日本近海の深海に住む、世界最大の蟹です。

 

 

 

 

 

ヨナグニサン。世界最大級の蛾の内の一つで、日本の南端部(沖縄(okinawa)県南部)の、八重山(yaeyama)諸島(与那国(yonaguni)島等)に生息しています。

 

 

 

 

ホワンホワン(1980年から、1997年に亡くなるまで、上野(ueno)動物園で飼育されていたパンダ)の剥製。上野(ueno)動物園(1882年に開園した、日本で最も長い歴史を持つ西洋近代式動物園。国立科学博物館同様、上野(ueno)公園にある)では、1972年以来、パンダ(giant panda)を飼育・展示しており、日本で最も、パンダ(giant panda)の飼育・展示の歴史が長い動物園です。ちなみに、日本では、白浜(shirahama)(関西(kansai)大都市圏(大阪・京都・神戸(kobe)を中心とする都市圏。東京圏に次いで、日本で第二次の人口を有する都市圏)にある保養地)にある、動物園、水族館、遊園地が一体になったテーマパーク(theme park)、アドベンチャーワールド(ADVENTURE WORLD)(私は、訪れた事がありません)で、最も多く、パンダ(giant panda)が、飼育・展示されており、7頭のパンダ(giant panda)が飼育されています(中国本土以外の動物園で、7頭もパンダ(giant panda)が飼育されているのは、日本のアドベンチャーワールド(ADVENTURE WORLD)だけであり、中国本土を除けば、世界一の規模となっています。wikiより)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

オートモ号(1925年製)。オートモ号は、日本の自動車産業の最初期の頃の量産乗用車の一つで(日本車の量産乗用車の、先駆けとなった自動車の一つで)、1924年より、市販され、約300台製造されました。日本の自動車(日本車)の歴史は、蒸気自動車は、1904年から、ガソリン(gasoline engine)自動車は、1907年から、量産乗用車は、1919年からありますが、日本の自動車技術が、ようやく、徐々に、世界水準に達し始めるのは、1960年代後期から1970年代初め頃(1960年代後期から1970年代初め頃において、既に、日本は、特定分野の、自動車技術においては、世界最先端の物を持っていた)、総合的に世界水準に達するのは(日本が、西ドイツ、アメリカ、イギリス、フランス、イタリア、スウェーデンと並ぶ、総合的な自動車技術先進国となるのは)、1980年代を待たなければなりませんでした(ちなみに、日本は、おそらく、自動化を取り入れた、自動車の生産技術に関しては、既に、1970年代において、世界の先端を走っていたと思います)。

 

 

日本の飛行機の技術は、第一次世界大戦と、第二次世界大戦の、戦間期の後期(1930年代後半)には、世界水準に達しました。

 

写真以下2枚。三菱(mitsubishi)零(0)式艦上戦闘機。1939年に登場した、日本海軍の戦闘機です。第二次世界大戦中の、優れた戦闘機の一つとして、アメリカの、North American P-51 Mustang、イギリスの、Supermarine Spitfire 、ドイツの、Messerschmitt Bf 109、Focke-Wulf Fw 190等と共に、世界的に名が知られている戦闘機です。第二次世界大戦中の、日本海軍の主力戦闘機であり(日本海軍の、後継の、主力戦闘機の開発が、遅れた為、結局、第二次世界大戦を通じて、多く使用された)、第二次世界大戦における、日本の戦闘機の中で、最も多く生産されました。三菱(mitsubishi)零(0)式艦上戦闘機は、第二次世界大戦の初期においては、世界最高水準の性能を持つ戦闘機でした(世界で、最も強いclassの戦闘機の一つでした)。三菱(mitsubishi)零(0)式艦上戦闘機が、登場した当時(第二次世界大戦初期において)、おそらく、一対一(一機対一機)の格闘戦において、三菱(mitsubishi)零(0)式艦上戦闘機に、敵う戦闘機は、世界に存在しなかったと思います。三菱(mitsubishi)零(0)式艦上戦闘機は、徐々に、アメリカの、新しい、高性能な戦闘機に押される様になり、第二次世界大戦後半には、アメリカの、新しい、高性能な戦闘機に圧倒される様になってしまいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下4枚。記録に挑戦した、日本の飛行機(国立科学博物館の展示より。。。)。説明文は、展示の解説文やwikiを参考にしました。。。

 

 

三菱(mitsubishi)97式司令部偵察機、神風(kamikaze)号(1936年)。朝日(asahi)新聞社(日本の、大規模新聞会社の一つ)が、所有する、神風(kamikaze)号と名付けられた、三菱(mitsubishi)97式司令部偵察機は、1937年に、朝日新聞社の主催により、イギリス国王、George6世の、戴冠を祝う為に、東京とロンドンの間の、100時間飛行に挑戦し、東京とロンドンの間を、94時間17分56秒で飛行し、成功しました(経由地のパリ(Paris)や、ゴールのロンドンでは、大きな歓迎を受けました。ロンドンに着いた後は、ヨーロッパ各地を、親善訪問した後、George6世の、戴冠式の、記録映画を積んで、東京に戻って来ました)。当時、日本とヨーロッパを結ぶ定期航空路はなく、パリ(Paris)と東京の間の、100時間飛行への、フランスの挑戦も失敗を繰り返していた(東京からロンドンへの飛行は、さらに不利な、逆風であった)中での快挙でした。

 

 

 

 

航研機(koukenki)(1937年)。東京帝国大学(現在の東京大学)の、航空研究所が設計した飛行機です。1937年に、周回飛行コースを62時間22分49秒で29周し、周回航続距離10,651.011kmと、1万kmコース平均速度、時速186.192kmの2つの世界記録を樹立しました(それまでの周回長距離飛行の記録は、フランス、Bleriot 110が、1932年に樹立した10601kmでした)。

 

 

 

 

 

ニッポン(Nippon)号。毎日(mainichi)新聞社(日本の大規模新聞会社の一つ)の企画により、国際親善を目的として、1939年8月26日に、東京の羽田(haneda)空港を出発、北海道(hokkaido)の札幌(sapporo)、アラスカ、北米、南米と、東回りのコース(route)をとり、第二次世界大戦勃発直後の、ヨーロッパをかすめて、10月20日に帰国しました。これにより、日本の国産機で、初めて、世界一周飛行を果たした飛行機となると共に、4大陸と2大洋を連続周航した、世界初の飛行機となりました。

 

 

 

 

 

A26。1944年7月、満州(Manchuria)で、周回飛行を実施。周回飛行の飛行距離(長距離飛行)と、周回長距離飛行の平均速度の世界記録を、大きく更新したものの、戦争中であった為、公認されませんでした。

 

第二次世界大戦において、敗戦国となった(連合軍に対して、無条件降伏した)日本は、連合国軍(実質的には、アメリカ)の機関により、第二次世界大戦後、しばらくの間、飛行機の開発・生産が禁止されてしまいました(大学の授業から航空力学の科目を取り除かれもしました)。これにより、日本の飛行機の技術の、発展は、しばらくの間、空白となって(途絶えて)しまいました。しかしながら、行き場を失った、日本の飛行機の開発者・技師(engineer)達の多くは、自動車産業へと移り(自動車の開発者・技師(engineer)へと転職し)、(もちろん、飛行機の技術と、自動車の技術は、似ている部分もあるが、異なる部分も多いので、それにより、日本の自動車技術が、直ちに、世界水準に達した訳ではなく、日本の自動車技術が、世界水準に達するには、時間がかかりましたが)、第二次世界大戦後の、日本の自動車技術及び自動車産業の発展の基礎を築くのに、少なからぬ貢献をしました。

 

 

 

真空菅式計数型電子計算機FUJIC(1956年)。日本初の電子計算機です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真以下6枚。国立科学博物館の売店の、ガチャガチャ(下の補足説明参照)で買った、カプセル(capsule)入りの、模型。様々な種類の物があります。
ガチャガチャ:カプセル(capsule)入りの、おもちゃの自動販売機。小型の自動販売機の一種で、硬貨を入れレバー(lever)を回すとカプセル(capsule)入りの玩具が出てくる(どの、種類の物が出て来るかは、分からない)。説明は、wikiを参考にしました。

 

写真以下3枚は、前回、国立科学博物館を訪れた際、ガチャガチャ(下の補足説明参照)で出て来た物。


 

 

お金を入れると出てくる、カプセル(capsule)。この中に小さな模型が入っています。様々な模型がありますが、どの模型が入ったカプセル(capsule)が出てくるのかは、出てくるまで分かりません。

 

 

写真以下2枚は、トキ(Crested Ibis)の模型です。トキ(Crested Ibis)は、「Nipponia nippon」と言う、日本に因んだ、学名を持つ鳥です。以下、トキ(Crested Ibis)に関する説明は、wikiを参考にしました。トキ(Crested Ibis)は、19世紀までは、ロシア(Russia)極東、東アジアに広く分布しており、珍しくない鳥であったが、20世紀前半には激減した。2010年12月上旬の時点で、中国・日本・韓国を合わせた個体数は1,814羽。何れの国でも、乱獲や開発によって19世紀から20世紀にかけて激減し、朝鮮半島では1978年の板門店、ロシア(Russia)では1981年のウスリー川を最後に観察されておらず、日本でも、2003年に、最後の日本産トキ(Crested Ibis)が死亡したことにより、生き残っているのは中国産の子孫のみとなった。野生では中国に997羽(2010年12月現在) が生息しているほか、日本の新潟(niigata)県の佐渡(sadoga)島において、2008年秋から2012年春までに人工繁殖のトキ(Crested Ibis)、91羽が放鳥されている。飼育下では中国に620羽(2010年12月現在)、日本に182羽(2012年11月現在)、韓国に19羽(2012年5月現在)がおり、人工繁殖が進められている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今回、国立科学博物館を訪れた際にも、売店で、ガチャガチャをやったのですが、様々な種類があるのに、また、トキ(Crested Ibis)の模型が出て来てしまいましたw。トキ(Crested Ibis)の模型は、国立科学博物館の売店の、ガチャガチャで出て来る可能性のある模型の中で、個人的に、一番魅力がないのに.。。。w

 

 

写真以下2枚。今回、もう一度、ガチャガチャをしてみたら、国立科学博物館の売店の、ガチャガチャで出て来る可能性のある模型の中で、個人的に、トキ(Crested Ibis)の模型に次いで、魅力がない、ヤンバルテナガコガネ(yanbaru tenaga kogane)の模型が出て来ましたw。トキ(Crested Ibis)の模型と同様、模型を飾る為の台が入っていましたが、省略。あまり、欲しい物ではなかったので、いい加減に、袋から出したら、脚が折れてしまいましたw ヤンバルテナガコガネ(yanbaru tenaga kogane)は、世界で、沖縄(okinawa)本島(沖縄(okinawa)県の中心となっている、沖縄(okinawa)県、最大の島)の北部の森にのみに生息する昆虫です。体長は、5cmから6cm程になります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

国立科学博物館を訪れた後は、アメ横(ameyoko)を、ぶらぶらと散歩し(前回の投稿参照)、その後、上野(ueno)駅に入っている店舗で、少し買い物をしました。

 

 

写真以下2枚。前に、kjでアップ(upload)した写真の再利用ですが、上野(ueno)駅の駅舎(駅の建物)。


 

 

 

 

 

 

上野(ueno)駅の駅舎(駅の建物)の天井。

 

 

現在の上野(ueno)駅の建物は、1932年に完成したもので、80年以上の歴史を刻んだものですが、時代に合わせて改装が施され、古い建物が上手に活用されています。上野(ueno)駅の構内には、レストラン、食堂、cafe、bar、パン屋、服店、靴店、バッグ(bag)店、アクセサリー(jewelry)店等が入っています。

 

鉄道(中・長距離列車と通勤電車(韓国式に言えば地下鉄))の上野(ueno)駅(1883年開業)は、東京の下町(旧市街)(東京中心部(東京23区)の東部(特に東北部))最大級の駅で有り(おそらく)、私が勝手に東京の6大主要駅(東京駅、新宿駅、渋谷(shibuya)駅、池袋(ikebukuro)駅、上野(ueno)駅、品川(shinagawa)駅。この内、下町(旧市街)に位置するのは、上野(ueno)駅のみ)と呼ぶ駅の内の一つです。現在の上野(ueno)駅の建物は、1932年に完成したもので、80年以上の歴史を刻んだものです。6大主要駅の中では、1914年に完成した建物を持つ東京駅(東京を代表する鉄道駅。東京都心部の中でも中心的な地域に位置する)に次いで、2番目に古い建物を持つ駅です。上野(ueno)駅は、第二次世界大戦前から、日本の東北地方からの長距離列車の東京での終着駅として知られ、また、まだ飛行機の旅が一般的で無く、北海道(hokkaido)と本州(honsyu)を結ぶ海底トンネル(tunnel)も、まだ完成していなかった時代には、東京から北海道(hokkaido)へ行くには、まず、上野(ueno)から長距離列車で東北地方の最北端の青森(aomori)へ行き、そこからフェリー(ferry)で北海道(hokkaido)へ渡りました(東京と、北海道(hokkaido)の札幌(sapporo)を結ぶ、定期旅客航空路線は、1937年に開設されましたが、当時は、飛行機での旅は、一部の金持ちに限られていました)。したがって、今では、それ程言われないと思いますが、昔は、上野(ueno)駅は、東京の北の玄関口(gateway)と呼ばれていました。今は、東京と東北地方を結ぶ新幹線(東京と東北地方を結ぶ長距離列車の核となっている)の東京での終着駅が、東京駅となっている事から、上野(ueno)駅は、東京の北の玄関口(gateway)と言えるのかどうかは微妙だと思いますが、東北地方から来る大部分の新幹線(shinkansen)が、東京中心部に入って最初に停車する駅が上野(ueno)駅である事から、まあ、そう言う意味では、依然として、上野(ueno)駅は、東京の北の玄関口(gateway)と呼んでも良い様な気がします。ちなみに、東京と北海道(hokkaido)を結ぶ寝台列車(night train)の、東京での終着駅は、上野(ueno)駅となっています。飛行機(での移動)の大衆化によって、東京と北海道(hokkaido)を結ぶ交通手段として、速くて所要時間が短い飛行機が圧倒的に優位な立場にある現在においては(例えば、東京の羽田(haneda)空港と札幌(sapporo。北海道(hokkaido)最大の人口を有する都市)の新千歳(shinchitose)空港を結ぶ航空路線は、世界最大級の巨大航空幹線となっています)、東京と北海道(hokkaido)を結ぶJRの寝台列車(北斗星(hokutosei)とカシオペア(cassiopeia))は、何れも、速さで勝負する訳ではなく、かと言って、値段(安さ)で勝負する訳でもなく、高級戦略を採り、列車での、ゆとりの有る旅を楽しむ人々の為の、高級な特急列車(express)となっています。

 

上野(ueno)駅に入っている店舗で、少し買い物をした後は、上野(ueno)駅に入っている、「Afternoon Tea」(のカフェ(cafe))で、おやつを食べました(飲み物を飲みながら、ケーキ(cake)を食べました)。「Afternoon Tea」は、女性好みの雑貨店(生活用品を中心とした様々な物を売る店)とカフェ(cafe)の複合店舗のチェーン(chain)です(雑貨店のみの店舗と、カフェ(cafe)のみの店舗もあり)。

 

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この時、「Afternoon Tea」(のカフェ(cafe))で食べた、おやつ。クリスマス時期限定の、ショートケーキ(日本式shortcake)。一人一個ずつ(二人共、同じ物を食べました。写真は、一人分)。

 

 

「Afternoon Tea」(のカフェ(cafe))で、おやつを食べ、飲み物を飲みながら、ちょっと、のんびりした後は、上野(ueno)駅に入っている、「Brasserie L’ecrin」で夕食を食べてから、我が家に帰りました。

「Brasserie L’ecrin」は、上野(ueno)駅に入っている、フランス料理レストランで、銀座(ginza)(下の、補足説明参照)に有る、高級フランス料理レストラン、「L’ecrin」(銀座(ginza)のフランス料理レストランの名店の一つ。私は、利用した事が有りません)が経営する、フランス料理レストランです。銀座(ginza)の「L’ecrin」は、私の様な者は、気軽に利用する事が出来ない様な高級フランス料理レストランと言った感じですが、「Brasserie L’ecrin」は、割りと手頃な値段で、気軽に利用出来る店となっています。
銀座(ginza):東京都心部の中でも中心的な地域に位置する。隣接する有楽町(yurakucho)と供に、新宿、渋谷(shibuya)等と並ぶ、東京最大級の繁華街を形成。東京を代表する高級繁華街で有ると供に、東京を代表する繁華街となっている。

 



写真以下2枚、「Brasserie L’ecrin」の内装は、こんな感じになっています。「Brasserie L’ecrin」は、割と気軽に利用出来るレストランですが、上野(ueno)駅の貴賓室(下の補足説明参照)として使われていた部屋を改装したレストランで、(おそらく)上野(ueno)駅に入っているレストラン中では、一番高級感の有るレストランとなっています。
貴賓室:主要な駅や、保養地に近い鉄道駅等に設けられている、天皇家や皇族(天皇の一族)、政府の要人と言った国家のV.I.P.が、鉄道を利用する際に、待合室等として利用する部屋。第2次世界大戦前に比べて、貴賓室の有る鉄道駅は、遥かに少なくなっています。例えば、上野(ueno)駅は、現在も、東京の主要駅の一つですが、貴賓室は、もう存在せず、かつての貴賓室は、改装されて、現在は、フランス料理店(「Brasserie L’ecrin」)となっています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この日の夕食は、「Brasserie L’ecrin」で、クリスマス時期の、特別料理を食べました(落ち着いて食べたかったので、写真は、撮りませんでした)。「Brasserie L’ecrin」で、クリスマス時期の、特別料理を食べたのは、今回が初めてでした。クリスマス時期の、特別料理と言う事で、絶対的には、まあまあの値段(ちょっと高い値段)でしたが、店の雰囲気からしたら、クリスマス時期の、特別料理としては、手頃な値段で、良かったです。以下が、この日、「Brasserie L’ecrin」で食べた、夕食の内容です(前述の通り、落ち着いて食べたかったので、写真は、撮らなかったので、済みません)。全て、一人一皿ずつで、これにパンが付きます。

 

小さな前菜。人参のムース(mousse)。

 

前菜。蝦夷(北海道(hokkaido))鮑、天然平目、自家製スモークサーモン(smoked salmon)の、ミルフィーユ(mille-feuille)仕立て。

 

シーフード(seafood)の、メイン(main)料理。厳冬の海より、帆立貝(帆立)と、カリフラワー(cauliflower)のグラチネ(gratine)、エピス(epice)風味。

 

肉の、メイン(main)料理。イベリコ(Iberico)ベジョータ(de Bellota)豚肉のグリエ(焼き物)、シェリー(Sherry)ビネガー(vinegar)ソース(sauce)。

 

デザート(dessert)。林檎(茜りんご)とピーカンナッツ(pecan)のキャラメルパイ(caramel pie)、アイスクリーム(ice cream)添え。


お茶菓子の、チョコレート(chocolate)。

 

 

上野(ueno)散歩、終わり。。。

 

 

 


우에노(ueno) 산책 후편.

 

 

 

작년의 12월의 하순에, 우에노(ueno)를 산책해 왔을 때의 물건입니다.이 날의, 흐름은, 이하와 같았습니다(투고문은, 편의상, 반드시, 이 날의 흐름에 따라서 있는 것이 아닙니다).도쿄도 미술관에서, 전람회(exhibition)를 보는(오전중)→국립 과학박물관을 방문하는(점심 식사는, 국립 과학박물관의 레스토랑에서 먹었습니다)→사탕옆(ameyoko)을 산책→우에노(ueno) 역에 들어가 있는 점포에서, 조금 쇼핑→우에노(ueno) 역에 들어가 있는, 「Afternoon Tea」로, 간식을 먹는→우에노(ueno) 역에 들어가 있는, 「Brasserie L’ ecrin」로 저녁 식사를 먹는→우리 집에 돌아간다.

 

우에노(ueno)는, 도쿄도심부의 북동부에 위치하는, 아사쿠사(asakusa)와 대등한, 도쿄의 변두리(도쿄도심부 동부.구시가) 최대급의 번화가입니다.

 

오전중, 도쿄도 미술관에서, 전람회(exhibition)를 본(전회의 투고 참조) 후, 국립 과학박물관을 방문해 오후는, 국립 과학박물관으로 보냈던(덧붙여 이 투고의, 국립 과학박물관에 관한 사진은, 전에, kj로, 업(upload) 한 사진의, 재이용도, 포함합니다).

 

국립 과학박물관(1877년 설립)은, 일본의, 국립의(엄밀하게는 미묘하게 다릅니다만, 여기에서는 설명은, 생략 합니다), 과학박물관입니다.과학에 관한, 매우 많은 자료를 수장 하는 박물관에서, 규모가 크고, 볼 만한 가치가 있는 박물관입니다.

 

나는, 어릴 적, 박물관을 좋아하고, 이 국립 과학박물관이나, 교통 박물관, 과학기술관에, 자주 갔던(어릴 때는, 부모에게 데려 가 주었습니다만, 초등학교 4 학년무렵부터는, 같은 흥미를 가지는 친구(들)와 초등 학생만으로, 가는 것처럼 되었습니다.중학생이 되고 나서는, 거의 가지 않게 되었습니다만...).나는, 어릴 적, 공룡에, 매우 흥미가 있었으므로, 몫, 국립 과학박물관의, 공룡에 관한 전시는, 인상에 남아 있습니다.

 

이번, 국립 과학박물관을 방문한 것은, 재작년, 매우 오랫만에(15년만의 정도)에 방문한 이래로, 국립 과학박물관이, 대규모 개장이 이루어지고 나서는(현재의 지구관의 건물이 지어지고 나서는), 2번째였습니다.

국립 과학박물관의 현재의 건물은, 1931년에 지어진, 중후한 근대 건축의 일본관의 건물(전회의 투고 참조)과(일본관에 접한다) 현대 건축의 지구관의 건물로부터 완성됩니다(현재의 지구관의 건물이 지어지기 전에도, 국립 과학박물관에는, 전시를 위한 건물로서 본관(현재의 일본관)에 가세하고, 본관(현재의 일본관)에 인접한 현대 건축의 건물이 있었습니다만, 현재의 지구관의 건물이 지어질 때에, 해체되었습니다).


이하, 우에노(ueno) 산책 전편으로부터의 계속...


사진 이하 6매.국립 과학박물관의, theatre 360.일본에서는, 오사카 만국 박람회(Expo "70)(일본에서 최초로 개최된 만국 박람회(Universal Exposition).오사카에서 개최된), 오키나와(okinawa) 해양 국제 박람회(Expo "75), 츠쿠바(tsukuba) 국제 과학기술 박람회(Expo "85)(도쿄 area(동경권)의 북동부에 위치하는 중 도시, 츠쿠바(tsukuba)에서 개최된), 국제꽃과 초록의 박람회(Expo "90)(오사카에서 개최되었다.오사카는, 일본에서 유일, 만국 박람회(Universal Exposition)를, 복수 개최한 도시), 아이치(aichi) 만국 박람회(Expo 2005)(나고야(nagoya)의 교외·근교에서 개최되었다)와 지금까지, 합계 5회, 만국 박람회(Universal Exposition)가 개최되고 있습니다만, 일본에서 제일 최근(2005년에) 개최된, 만국 박람회(Universal Exposition), 아이치(aichi) 만국 박람회(Expo 2005)( 나는, 가지 않았습니다)의 일본관에 있던, 「지구의 방」이라고 하는 시설을, 국립 과학박물관에 이전한 것입니다.직경 12.8m(실제의 지구의 100만 분의 1의 크기)의 구체의 안쪽 모든 것이 스크린(screen)이 되어 있고, 그 중의 브릿지(bridge)에 서, 영상을 볼 수가 있습니다.360도, 전방위에 영상이 비추어져 독특한 부유감등을 맛볼 수 있는, 세계 최초의 시설입니다.theatre 360은, 이번, 처음으로 보았습니다만, 대단한 일 없었습니다(완전히, 기대밖, 이었다...).

 

사진 이하 5매.theatre 360의 팜플렛(leaflet).

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 2매.theatre 360의 영상 내용.기본적으로, 국립 과학박물관이, 독자적으로 제작한 영상이 되고 있습니다(사진의 물건은, 모두, 국립 과학박물관이, 독자적으로 제작한 영상 작품).

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 36매.국립 과학박물관의 지구관(국립 과학박물관의, 일본관에 관해서는, 전회의 투고 참조).국립 과학박물관의 지구관은, 지구의 생물과 지구의 생물의 발전(공룡을 포함한다), 근대 이후의, 일본의 기술의 발전의 역사등이, 전시의 중심이 되고 있습니다.

 

 

 

 

 

 

국립 과학박물관의 옥외 전시물의 하나.1970년, 일본에서 첫 인공위성, 「누르는 봐(osumi)」를 쏘아 올린 로켓 발사기(rocket의 발사대)입니다.이하, 인구 위성에 관한 설명은, wiki를 참고로 했습니다.일본은, 소련(Soviet) 연방(현재의 러시아(Russia))(1957년), 미국(1958년), 프랑스(1965년)에 이어, 세계에서, 4번째에, 자국의 기술에 의해, 인구 위성의 발사에 성공한 나라입니다.일본의 뒤는, 중국(1970년), 영국(1971년), 유럽 우주 기관(European Space Agency)(프랑스, 독일, 이탈리아, 영국등이 가맹)(1979년), 인도(1980년), 이스라엘(1988년)과 계속 되었습니다.덧붙여서, 1970년에, 일본에서 첫 인공위성, 「누르는 봐(osumi)」를 쏘아 올린, 일본제의 로켓(rocket), Lambda4 S로켓(rocket)은, 유도 제어장치가 붙지 않은, 세계 최초의 무유도 위성 발사 로켓(rocket)입니다.이것은, 일본에, 결코, 유도 제어장치의 개발 능력이 없었던 것이 아니고, 유도 장치는, 미사일(missile) 개발에 연결되는 군사 기술에의 전용이 가능하다라고 말하는 지적이, 당시의, 일본의 야당의 일본 사회당등으로부터 올라, 개발의 착수 시기가 큰폭으로 늦었기 때문입니다(wiki보다..).Lambda 4 S로켓(rocket)에는, 유도 제어장치 대신에, 매우 공이 많이 든, 독자적인 발사 방식의 「무유도 중력 턴 방식」이 채용되었습니다.

 

 

사진 이하 13매.국립 과학박물관의 지구관의 전시예.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

이 날의 점심 식사는, 국립 과학박물관의 레스토랑에서 먹었습니다.국립 과학박물관의 레스토랑은, 무세이온(Mouseion)이라는 이름 전으로, 세이요켄(seiyoken)이 경영하고 있습니다.세이요켄(seiyouken)은, 우에노(ueno) 공원내에 있는, 1872년까지 역사를 거슬러 올라갈 수가 있는(원래는, 다른 장소에서, 서양식의 호텔로서 영업을 개시한), 역사의 낡은, 프랑스 요리·양식(일본인 기호에, (일본인의 시점으로부터 하면) 개량된 서양 요리) 레스토랑입니다(현재의, 우에노(ueno) 공원내에 있는, 세이요켄(seiyouken)의 본점은, 요인도 이용하는 고급 프랑스 요리 레스토랑과 캐쥬얼(casual)인, 양식(일본인 기호에, (일본인의 시점으로부터 하면) 개량된 서양 요리) 레스토랑으로부터 완성됩니다).무세이온(Mouseion)의 식사는, 세이요켄(seiyouken)이 경영하고 있다고 해도, 뭐, 결국, 유원지, 박물관, 동물원의, 레스토랑의 식사의 맛(유원지, 박물관, 동물원의, 레스토랑의 식사의 표준보다인가는, 아주 조금 위)이라고 한 느낌입니다(뭐, 이렇게 말하는 곳에서 먹는 것도, 좋아합니다만...).덧붙여서, 국립 과학박물관의 레스토랑은, 기억이, 꽤 애매합니다만, 이전에는, 우에노(ueno) 풍월당(fugetsudo)(우에노(ueno)에 본점을 가지는, 1747년 창업의, 서양 과자·화(일본) 과자 회사)가, 경영하고 있던 같은 생각이 듭니다(이쪽도, 별로 맛있지 않은 인상이었지만...).

 

 

사진 이하 2매.국립 과학박물관의 레스토랑에서 먹은, 이 날의 점심 식사.이것과 그리고, 나는, 밥(rice)을, 그녀는, 빵을 먹었습니다.

 

 

내가 먹은, 공룡의 발본의, 햄버거(hamburger steak).

 

 

 

 

 

그녀가 먹은, 치킨(chicken), 디아불(diable) 풍.

 

 

 

 

사진 이하 19매.다시, 국립 과학박물관의 지구관의 전시예.

 

 

 

 

 

 

 

 

거미게(Japanese spider crab).일본 근해의 심해에 사는, 세계 최대의 게입니다.

 

 

 

 

 

요나그니산.세계 최대급의 나방 중의 하나로, 일본의 남단부(오키나와(okinawa) 현 남부)의, 야에야마(yaeyama) 제도(요나구니(yonaguni) 섬등 )에 생식 하고 있습니다.

 

 

 

 

호 원호 원(1980년부터, 1997년에 돌아가실 때까지, 우에노(ueno) 동물원에서 사육되고 있던 팬더)의 박제.우에노(ueno) 동물원(1882년에 개원한, 일본에서 가장 긴 역사를 가지는 서양 근대식 동물원.국립 과학박물관 같이, 우에노(ueno) 공원에 있다)에서는, 1972년 이래, 팬더(giant panda)를 사육·전시하고 있어, 일본에서 가장, 팬더(giant panda)의 사육·전시의 역사가 긴 동물원입니다.덧붙여서, 일본에서는, 시라하마(shirahama)(칸사이(kansai) 대도시권(오사카·쿄토·코베(kobe)를 중심으로 하는 도시권.동경권에 이어, 일본에서 제2차의 인구를 가지는 도시권)에 있는 보양지)에 있는, 동물원, 수족관, 유원지가 일체가 된 테마파크(theme park), 어드벤쳐 월드(ADVENTURE WORLD)( 나는, 방문한 일이 없습니다)로, 가장 많아, 팬더(giant panda)가, 사육·전시되고 있어 7마리의 팬더(giant panda)가 사육되고 있습니다(중국 본토 이외의 동물원에서, 7마리나 팬더(giant panda)가 사육되고 있는 것은, 일본의 어드벤쳐 월드(ADVENTURE WORLD) 뿐이어서, 중국 본토를 제외하면, 세계 제일의 규모가 되고 있습니다.wiki보다).

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

오트모호(1925년제).오트모호는, 일본의 자동차 산업의 최초기의 무렵의 양산 승용차의 하나로(일본차의 양산 승용차의, 선구가 된 자동차의 하나로), 1924년부터, 시판되어 약 300대 제조되었습니다.일본의 자동차(일본차)의 역사는, 증기 자동차는, 1904년부터, 가솔린(gasoline engine) 자동차는, 1907년부터, 양산 승용차는, 1919년부터 있습니다만, 일본의 자동차 기술이, 간신히, 서서히, 세계 수준에 이르기 시작하는 것은, 1960년대 후기부터 1970년대 초 무렵(1960년대 후기부터 1970년대 초 무렵에 있고, 이미, 일본은, 특정 분야의, 자동차 기술에 대해서는, 세계 최첨단의 물건을 가지고 있던), 종합적으로 세계 수준에 이르는 것은(일본이, 서독, 미국, 영국, 프랑스, 이탈리아, 스웨덴과 대등한, 종합적인 자동차 기술 선진국이 되는 것은), 1980년대를 기다리지 않으면 안되었습니다(덧붙여서, 일본은, 아마, 자동화를 도입한, 자동차의 생산기술에 관해서는, 이미, 1970년대에 있고, 세계의 첨단을 달리고 있었다고 생각합니다).

 

 

일본의 비행기의 기술은, 제1차 세계 대전과 제이차 세계대전의, 전 간기의 후기(1930년대 후반)에는, 세계 수준에 이르렀습니다.

 

사진 이하 2매.미츠비시(mitsubishi) 영(0) 식 함상 전투기.1939년에 등장한, 일본해군의 전투기입니다.제이차 세계대전중의, 뛰어난 전투기의 하나로서, 미국의, North American P-51 Mustang, 영국의, Supermarine Spitfire , 독일의, Messerschmitt Bf 109, Focke-Wulf Fw190등과 함께, 세계적으로 이름이 알려져 있는 전투기입니다.제이차 세계대전중의, 일본해군의 주력 전투기이며(일본해군의, 후계의, 주력 전투기의 개발이, 늦은 때문, 결국, 제이차 세계대전을 통해서, 많이 사용된), 제이차 세계대전에 있어서의, 일본의 전투기 중(안)에서, 가장 많이 생산되었습니다.미츠비시(mitsubishi) 영(0) 식 함상 전투기는, 제이차 세계대전의 초기에 있어서는, 세계 최고 수준의 성능을 가지는 전투기였습니다(세계에서, 가장 강한 class의 전투기의 하나였습니다).미츠비시(mitsubishi) 영(0) 식 함상 전투기가, 등장한 당시 (제이차 세계대전 초기에 있고), 아마, 일대일(카즈키 대 카즈키)의 격투전에 있고, 미츠비시(mitsubishi) 영(0) 식 함상 전투기에, 당해 내는 전투기는, 세계에 존재하지 않았다고 생각합니다.미츠비시(mitsubishi) 영(0) 식 함상 전투기는, 서서히, 미국의, 새로운, 고성능인 전투기에 밀리는 것처럼 되어, 제이차 세계대전 후반에는, 미국의, 새로운, 고성능인 전투기에 압도 되는 것처럼 되어 버렸습니다.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 4매.기록에 도전한, 일본의 비행기(국립 과학박물관의 전시보다...).설명문은, 전시의 해설문이나 wiki를 참고로 했습니다...

 

 

미츠비시(mitsubishi) 97식 사령부 정찰기, 카미카제(kamikaze) 호(1936년).아침해(asahi) 신문사(일본의, 대규모 신문 회사의 하나)가, 소유하는, 카미카제(kamikaze) 호 라고 명명된, 미츠비시(mitsubishi) 97식 사령부 정찰기는, 1937년에, 아사히 신문사의 주최에 의해, 영국 국왕, George6세의, 대관을 축하하기 위해, 도쿄와 런던의 사이의, 100시간 비행에 도전해, 도쿄와 런던의 사이를, 94시간 17분 56초에 비행해, 성공했던(경유지의 파리(Paris)나, 골의 런던에서는, 큰 환영을 받았습니다.런던에 도착한 후는, 유럽 각지를, 친선 방문한 후, George6세의, 대관식의, 기록 영화를 쌓고, 도쿄에 돌아왔습니다).당시 , 일본과 유럽을 연결하는 정기항공로는 없고, 파리(Paris)와 도쿄의 사이의, 100시간 비행에의, 프랑스의 도전도 실패를 반복하고 있던(도쿄에서 런던에의 비행은, 한층 더 불리한, 역풍인) 안으로의 쾌거였습니다.

 

 

 

 

항연기(koukenki)(1937년).도쿄 제국대학(현재의 도쿄대학)의, 항공 연구소가 설계한 비행기입니다.1937년에, 주회 비행 코스를 62시간 22분 49초에 29바뀌 돌아, 주회 항속 거리 10,651.011 km로 1만 km코스 평균 속도, 시속 186.192 km의 2개의 세계 기록을 수립했습니다(지금까지의 주회 장거리 비행의 기록은, 프랑스, Bleriot 110이, 1932년에 수립한 10601 km였습니다).

 

 

 

 

 

일본(Nippon) 호.매일(mainichi) 신문사(일본의 대규모 신문 회사의 한 개)의 기획에 의해, 국제 친선을 목적으로 하고, 1939년 8월 26일에, 도쿄의 하네다(haneda) 공항을 출발, 홋카이도(hokkaido)의 삿포로(sapporo), 알래스카, 북미, 남미와 동쪽 회전의 코스(route)를 잡아, 제이차 세계대전 발발 직후의, 유럽을 퇴색할 수 있고, 10월 20일에 귀국했습니다.이것에 의해, 일본의 국산기로, 처음으로, 세계 일주 비행을 완수한 비행기가 됨과 동시에, 4 대륙과 2 대양을 연속 주항한, 세계 최초의 비행기가 되었습니다.

 

 

 

 

 

A26.1944년 7월, 만주(Manchuria)에서, 주회 비행을 실시.주회 비행의 비행 거리(장거리 비행)와 주회 장거리 비행의 평균 속도의 세계 기록을, 크게 갱신했지만, 전쟁중에서 만난 때문, 공인되지 않았습니다.

 

제이차 세계대전에 대하고, 패전국이 된(연합군에 대해서, 무조건 항복 한) 일본은, 연합국군(실질적으로는, 미국)의 기관에 의해, 제이차 세계대전 후, 당분간의 사이, 비행기의 개발·생산이 금지되어 버렸습니다(대학의 수업으로부터 항공 역학의 과목을 제거되어도 했습니다).이것에 의해, 일본의 비행기의 기술의, 발전은, 당분간의 사이, 공백이 되어(끊어져) 버렸습니다.그렇지만, 갈 곳을 잃은, 일본의 비행기의 개발자·기사(engineer) 들의 상당수는, 자동차 산업으로 옮겨(자동차의 개발자·기사(engineer)로 전직해), (물론, 비행기의 기술과 자동차의 기술은, 비슷한 부분도 있지만, 다른 부분도 많기 때문에, 그것에 의해, 일본의 자동차 기술이, 즉시, 세계 수준에 이른 것은 아니고, 일본의 자동차 기술이, 세계 수준에 이르려면 , 시간이 걸렸습니다만), 제이차 세계대전 후의, 일본의 자동차 기술 및 자동차 산업의 발전의 기초를 쌓아 올리는데, 적지않은 공헌을 했습니다.

 

 

 

진공관식 계수형 전자계산기 FUJIC(1956년).일본 최초의 전자계산기입니다.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

사진 이하 6매.국립 과학박물관의 매점의, 가체가체(아래의 보충 설명 참조)에서 산, 캅셀(capsule)들이의, 모형.여러가지 종류의 물건이 있습니다.
가체가체:캅셀(capsule)들이의, 장난감의 자동 판매기.소형의 자동 판매기의 일종으로, 동전을 입금시켜 레버(lever)를 돌리면 캅셀(capsule)들이의 완구가 나온다(어느, 종류의 물건이 나올까는, 모른다).설명은, wiki를 참고로 했습니다.

 

사진 이하 3매는, 전회, 국립 과학박물관을 방문했을 때, 가체가체(아래의 보충 설명 참조)로 나온 것.


 

 

돈을 입금시키면 나오는, 캅셀(capsule).이 안에 작은 모형이 들어가 있습니다.여러가지 모형이 있습니다만, 어느 모형이 들어간 캅셀(capsule)이 나오는지는, 나올 때까지 모릅니다.

 

 

사진 이하 2매는, 따오기(Crested Ibis)의 모형입니다.따오기(Crested Ibis)는, 「Nipponia nippon」라고 하는, 일본에 연관된, 학명을 가지는 새입니다.이하, 따오기(Crested Ibis)에 관한 설명은, wiki를 참고로 했습니다.따오기(Crested Ibis)는, 19 세기까지는, 러시아(Russia) 극동, 동아시아에 넓게 분포하고 있어, 드물지 않은 새였지만, 20 세기 전반에는 격감했다.2010년 12월 초순의 시점에서, 중국·일본·한국을 맞춘 개체수는 1,814마리.어느 쪽의 나라에서도, 난획이나 개발에 의해서 19 세기부터 20 세기에 걸쳐 격감해, 한반도에서는 1978년의 판문점, 러시아(Russia)에서는 1981년의 우스리-강을 마지막으로 관찰되지 않고, 일본에서도, 2003년에, 마지막 일본산 따오기(Crested Ibis)가 사망한 것에 의해, 살아 남고 있는 것은 중국산의 자손만되었다.야생에서는 중국에 997마리(2010년 12월 현재)가 생식 하고 있는 것 외에 일본의 니가타(niigata) 현의 사도(sadoga) 섬에 있고, 2008년 가을부터 2012년 봄까지 인공 번식의 따오기(CrestedIbis), 91 마리가 방조 되고 있다.사육하에서는 중국에 620마리(2010년 12월 현재), 일본에 182마리(2012년 11월 현재), 한국에 19 마리(2012년 5월 현재)가 내려 인공 번식이 진행되고 있다.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

이번, 국립 과학박물관을 방문했을 때에도, 매점에서, 가체가체를 했습니다만, 여러가지 종류가 있는데, 또, 따오기(Crested Ibis)의 모형이 나와 버렸던 w.따오기(Crested Ibis)의 모형은, 국립 과학박물관의 매점의, 가체가체로 나올 가능성이 있는 모형 중(안)에서, 개인적으로, 제일 매력이 없는데....w

 

 

사진 이하 2매.이번, 한번 더, 가체가체를 해 보면, 국립 과학박물관의 매점의, 가체가체로 나올 가능성이 있는 모형 중(안)에서, 개인적으로, 따오기(Crested Ibis)의 모형에 이어, 매력이 없는, 얀바르테나가코가네(yanbaru tenaga kogane)의 모형이 나왔던 w.따오기(Crested Ibis)의 모형과 같이, 모형을 장식하기 때문에(위해)의 받침대가 들어가 있었습니다만, 생략.너무, 갖고 싶은 것은 아니었기 때문에, 적당히, 봉투로부터 보내면, 다리가 접혀 버렸던 w 얀바르테나가코가네(yanbaru tenaga kogane)는, 세계에서, 오키나와(okinawa) 모토지마(오키나와(okinawa) 현의 중심이 되고 있는, 오키나와(okinawa) 현, 최대의 섬)의 북부의 숲에게만에 생식 하는 곤충입니다.체장은, 5 cm에서 6 cm 정도가 됩니다.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

국립 과학박물관을 방문한 후는, 사탕옆(ameyoko)을, 어슬렁어슬렁산책해(전회의 투고 참조), 그 후, 우에노(ueno) 역에 들어가 있는 점포에서, 조금 쇼핑을 했습니다.

 

 

사진 이하 2매.전에, kj로 업(upload) 한 사진의 재이용입니다만, 우에노(ueno) 역의 역사(역의 건물).


 

 

 

 

 

 

우에노(ueno) 역의 역사(역의 건물)의 천정.

 

 

현재의 우에노(ueno) 역의 건물은, 1932년에 완성한 것으로, 80년 이상의 역사를 새긴 것입니다만, 시대에 맞추고 개장이 베풀어져 낡은 건물이 능숙하게 활용되고 있습니다.우에노(ueno) 역의 구내에는, 레스토랑, 식당, cafe, bar, 빵가게, 복점, 화점, 가방(bag) 점, 액세서리(jewelry) 점 등이 들어가 있습니다.

 

철도(안·장거리 열차와 통근 전철(한국식에 말하면 지하철))의 우에노(ueno) 역(1883년 개업)은, 도쿄의 게노마치(구시가)(도쿄 중심부(도쿄 23구)의 동부(특히 토호쿠부)) 최대급의 역에서 있어(아마), 내가 마음대로 도쿄의 6대주요역(도쿄역, 신쥬쿠역, 시부야(shibuya) 역, 이케부쿠로(ikebukuro) 역, 우에노(ueno) 역, 시나가와(shinagawa) 역.이 안, 변두리(구시가)에 위치하는 것은, 우에노(ueno) 역만)라고 부르는 역 중의 하나입니다.현재의 우에노(ueno) 역의 건물은, 1932년에 완성한 것으로, 80년 이상의 역사를 새긴 것입니다.6대주요역안에서는, 1914년에 완성한 건물을 가지는 도쿄역(도쿄를 대표하는 철도역.도쿄도심부안에서도 중심적인 지역에 위치한다)에 이어, 2번째로 낡은 건물을 가지는 역입니다.우에노(ueno) 역은, 제이차 세계대전 전부터, 일본의 동북지방으로부터의 장거리 열차의 도쿄에서의 종착역으로서 알려져 또, 아직 비행기의 여행이 일반적이지 않고, 홋카이도(hokkaido)와 혼슈(honsyu)를 연결하는 해저 터널(tunnel)도, 아직 완성하지 않았던 시대에는, 도쿄에서 홋카이도(hokkaido)에 가려면 , 우선, 우에노(ueno)로부터 장거리 열차로 동북지방의 최북단의 아오모리(aomori)에 가,?`사 옛 노래등 페리(ferry)로 홋카이도(hokkaido)에 건넜던(도쿄와 홋카이도(hokkaido)의 삿포로(sapporo)를 연결하는, 정기 여객 항공 노선은, 1937년에 개설되었습니다만, 당시는, 비행기로의 여행은, 일부의 부자에게 한정되어 있었습니다).따라서, 지금은, 그렇게 말해지지 않는다고 생각합니다만, 옛날은, 우에노(ueno) 역은, 도쿄의 북쪽의 현관문(gateway)으로 불리고 있었습니다.지금은, 도쿄와 동북지방을 연결하는 신간선(도쿄와 동북지방을 연결하는 장거리 열차의 핵이 되고 있다)의 도쿄에서의 종착역이, 도쿄역이 되고 있는 일로부터, 우에노(ueno) 역은, 도쿄의 북쪽의 현관문(gateway)이라고 말할 수 있는지 어떤지는 미묘하다고 생각합니다만, 동북지방으로부터 오는 대부분의 신간선(shinkansen)이, 도쿄 중심부에 들어가 최초로 정차하는 역이 우에노(ueno) 역인 일로부터, 뭐, 그렇게 말하는 의미에서는, 여전히, 우에노(ueno) 역은, 도쿄의 북쪽의 현관문(gateway)이라고 불러도 좋은 같은 생각이 듭니다.덧붙여서, 도쿄와 홋카이도(hokkaido)를 연결하는 침대 열차(nighttrain)의, 도쿄에서의 종착역은, 우에노(ueno) 역이 되고 있습니다.비행기(로의 이동)의 대중화에 의해서, 도쿄와 홋카이도(hokkaido)를 연결하는 교통 수단으로서 빨라서 소요 시간이 짧은 비행기가 압도적으로 우위인 입장에 있는 현재에 있어(예를 들면, 도쿄의 하네다(haneda) 공항과 삿포로(sapporo.홋카이도(hokkaido) 최대의 인구를 가지는 도시)의 신치토세(shinchitose) 공항을 묶는 항공 노선은, 세계 최대급의 거대 항공 간선이 되고 있습니다), 도쿄와 홋카이도(hokkaido)를 연결하는 JR의 침대 열차(북두성(hokutosei)과 카시오페아(cassiopeia))는, 어느 쪽도, 속도로 승부하는 것이 아니고, 일까하고 말하고, 가격(쌈)으로 승부하는 것도 아니고, 고급 전략을 뽑아, 열차로의, 여유가 있는 여행을 즐기는 사람들을 위한, 고급 특급 열차(express)가 되고 있습니다.

 

우에노(ueno) 역에 들어가 있는 점포에서, 조금 쇼핑을 한 후는, 우에노(ueno) 역에 들어가 있는, 「Afternoon Tea」(의 카페(cafe))에서, 간식을 먹었던(음료를 마시면서, 케이크(cake)를 먹었습니다).「Afternoon Tea」는, 여성 취향의 잡화점(생활 용품을 중심으로 한 여러가지 물건을 파는 가게)과 카페(cafe)의 복합 점포의 체인(chain)입니다(잡화점만의 점포와 카페(cafe)만의 점포도 있어).

 

 」

이 때, 「Afternoon Tea」(의 카페(cafe))에서 먹은, 간식.크리스마스 시기 한정의, 쇼트케이크(일본식 shortcake).한 명 한 개씩(두 명모두, 같은 물건을 먹었습니다.사진은, 일인분).

 

 

「Afternoon Tea」(의 카페(cafe))에서, 간식을 먹고 음료를 마시면서, 조금, 한가한 후는, 우에노(ueno) 역에 들어가 있는, 「Brasserie L’ ecrin」로 저녁 식사를 먹고 나서, 우리 집에 돌아갔습니다.

「Brasserie L’ ecrin」는, 우에노(ueno) 역에 들어가 있는, 프랑스 요리 레스토랑에서, 긴자(ginza)(아래의, 보충 설명 참조)에 있는, 고급 프랑스 요리 레스토랑, 「L’ ecrin」(긴자(ginza)의 프랑스 요리 레스토랑의 유명한 상점의 하나.나는, 이용한 일이 없습니다)가 경영하는, 프랑스 요리 레스토랑입니다.긴자(ginza)의 「L’ ecrin」는, 나의 같은 사람은, 부담없이 이용할 수가 없는 같은 고급 프랑스 요리 레스토랑이라고 한 느낌입니다만, 「Brasserie L’ ecrin」는, 나누기와 적당한 가격으로, 부담없이 이용 할 수 있는 가게가 되고 있습니다.
긴자(ginza):도쿄도심부안에서도 중심적인 지역에 위치한다.인접하는 유라쿠쵸(yurakucho)와 보조자에, 신쥬쿠, 시부야(shibuya) 등으로 대등한, 도쿄 최대급의 번화가를 형성.도쿄를 대표하는 고급 번화가에서 있으면 보조자에, 도쿄를 대표하는 번화가가 되고 있다.

 



사진 이하 2매, 「Brasserie L’ ecrin」의 내장은, 이런 기분이 들고 있습니다.「Brasserie L’ ecrin」는, 생각보다는 부담없이 이용 할 수 있는 레스토랑입니다만, 우에노(ueno) 역의 귀빈실(아래의 보충 설명 참조)로서 사용되고 있던 방을 개장한 레스토랑에서, (아마) 우에노(ueno) 역에 들어가 있는 레스토랑안에서는, 제일 고급감이 있는 레스토랑이 되고 있습니다.
귀빈실:주요한 역이나, 보양지에 가까운 철도역등에 설치되고 있는, 천황가나 황족(천황의 일족), 정부의 요인이라고 한 국가의 V.I.P.하지만, 철도를 이용할 때에, 대합실등으로서 이용하는 방.제2차 세계대전전에 비해, 귀빈실이 있는 철도역은, 훨씬 더 적게 되고 있습니다.예를 들면, 우에노(ueno) 역은, 현재도, 도쿄의 주요역의 하나입니다만, 귀빈실은, 더이상 존재하지 않고, 한 때의 귀빈실은, 개장되고, 현재는, 프랑스 요리점( 「Brasserie L’ ecrin」)이 되고 있습니다.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

이 날의 저녁 식사는, 「Brasserie L’ ecrin」로, 크리스마스 시기의, 특별 요리를 먹었습니다(침착해 먹고 싶었기 때문에, 사진은, 찍지 않았습니다).「Brasserie L’ ecrin」로, 크리스마스 시기의, 특별 요리를 먹은 것은, 이번이 처음이었습니다.크리스마스 시기의, 특별 요리라고 하는 것으로, 절대적으로는, 그저 그런 가격(조금 비싼 가격)이었지만, 가게의 분위기로부터 하면, 크리스마스 시기의, 특별 요리로서는, 적당한 가격으로, 좋았습니다.이하가, 이 날, 「Brasserie L’ ecrin」로 먹은, 저녁 식사의 내용입니다(상술한 대로, 침착해 먹고 싶었기 때문에, 사진은, 찍지 않았기 때문에, 끝나지 않습니다).모두, 일인일명씩으로, 이것에 팬이 뒤따릅니다.

 

작은 전채.인삼의 무스(mousse).

 

전채.에조(홋카이도(hokkaido)) 전복, 천연 넙치, 자가제 훈제 연어(smoked salmon)의, 미르피유(mille-feuille) 완성.

 

씨푸드(seafood)의, 메인(main) 요리.엄동의 바다에서(보다), 가리비(범립)와 콜리 플라워(cauliflower)의 그라치네(gratine), 에피스(epice) 풍미.

 

고기의, 메인(main) 요리.이베리코(Iberico) 베죠타(de Bellota) 돼지고기의 그리에(구이), sherry(Sherry) 비니거(vinegar) 소스(sauce).

 

디저트(dessert).사과(천사과)와 피칸낫트(pecan)의 카라멜 파이(caramel pie), 아이스크림(ice cream) 더해져라.


차과자의, 초콜릿(chocolate).

 

 

우에노(ueno) 산책, 마지막...

 

 

 

 



TOTAL: 4281

番号 タイトル ライター 参照 推薦
1061
No Image
ソウル 1966 gookiburi 2013-03-02 2999 0
1060
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風景4 vkqkfak 2013-03-01 1677 0
1059
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風景3 vkqkfak 2013-03-01 1659 0
1058
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風景2 vkqkfak 2013-03-01 2917 0
1057
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風景 vkqkfak 2013-03-01 3001 0
1056
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3月,4月分譲予定であるビル 프리스탈 2013-03-01 1710 0
1055
No Image
ソウル MESENA POLICE 프리스탈 2013-03-01 1820 0
1054
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蚕室駅 4通り 프리스탈 2013-03-01 1631 0
1053
No Image
漢江と汝矣島 프리스탈 2013-03-01 1457 0
1052
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三成洞夜景 프리스탈 2013-03-01 1638 0
1051
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ソウル駅風景 私は伝説だ 2013-03-01 2910 0
1050
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大田ドンサン洞 私は伝説だ 2013-03-01 1682 0
1049
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東京送信塔 私は伝説だ 2013-03-01 1715 0
1048
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汐留のビルと新幹線 carbon 2013-02-26 3043 0
1047
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お台場の海岸から見た品川方面 carbon 2013-02-26 3037 0
1046
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品川駅 carbon 2013-02-26 2001 0
1045
No Image
車両移動販売 vkqkfak 2013-02-24 2649 0
1044
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ソウル駅(旧京城駅、旧南大門駅) vkqkfak 2013-02-24 3581 0
1043
No Image
正面から見た東京駅 carbon 2013-02-26 1611 0
1042
No Image
裏側から見た東京駅 carbon 2013-02-24 2999 0