伝統文化





基本的に、2019年の4月の下旬に行った、「現代日本様式前編」と言う投稿の再掲です。




以下、前に行った投稿から抜粋して来た物です。




「現代日本様式」は、1920年代から1930年代に、日本において生まれた、日本の伝統的な要素と、現代的な要素を組み合わせた、豪華客船のインテリア(内装)の様式です。

 

以下、「現代日本様式」に関する説明の多くの部分は、横浜(東京areaの海の玄関口(gateway)となっている大きな港町)の、日本郵船(Nippon Yusen)歴史博物館(下の補足説明参照)で、2011年の8月から11月にかけて行われていた、日本の客船の、インテリア(内装)の歴史に関する展覧会(exhibition)(以下の、この展覧会(exhibition)と言います)の、パンフレット(booklet)の説明文を、要約又は抜粋・引用した物です。
日本郵船(Nippon Yusen)歴史博物館:日本郵船(Nippon Yusen)(下の補足説明参照)の歴史を紹介する資料館。
日本郵船(Nippon Yusen):日本の三大海運(shipping・marine transportation)会社の内の一つ。第2次世界大戦前、日本は、イギリス、アメリカに次ぐ、世界第3位の海運(shipping・marine transportation)国でした。日本郵船(Nippon Yusen)株式会社は、その世界第3位の海運(shipping・marine transportation)国、日本の三大海運(shipping・marine transportation)会社の内の一つでした(今でも、日本郵船(Nippon Yusen)株式会社は、日本の三大海運(shipping・marine transportation)会社の内の一つであると共に、世界有数の海運(shipping・marine transportation)会社となっています)。




写真以下。「現代日本様式」の例。。。この展覧会(exhibition)の、パンフレット(booklet)より。。。



「現代日本様式」は、1920年代から1930年代に、日本において生まれた、日本の伝統的な要素と、現代的な要素を組み合わせた、豪華客船のインテリア(内装)の様式です。ヨーロッパの、古典的な様式でもなく、また、西洋の先進工業国の、現代の(当時の)流行を、そのまま取り入れるのでもなく、日本独自の、且つ、現代に合った様式と言う事で、「現代日本様式」が、生まれました。東洋の先進国である日本として、ヨーロッパの歴史や文化に対峙する為には、もはや、西洋の先進工業国の物真似ではならないと、中村 順平(nakamura jyunpei)(下の、補足説明参照)を始めとする、日本の建築家達は、思ったのかもしれません。そして、日本(及び東洋の)、伝統的な文化や芸術で挑む事こそが、欧米に対峙出来る、唯一の手段であると考えた結果、行き着いたのが、「現代日本様式」だったのでしょう。現代風のインテリア(内装)でありながら、日本の伝統工芸が、随所に散りばめられた、日本独自の、また、客船独自の装飾様式である、「現代日本様式」は、日本のデザイン(design)の、近代・現代の歴史を語る上において、重要な装飾様式の一つであると言えるでしょう。
中村 順平(nakamura jyunpei):日本の建築家。1887年生まれ。1977年に亡くなる。日本の客船のインテリア(内装)の設計の第一人者で、日本の建築家達の中で、第二次世界大戦以前において、日本の大型客船のインテリア(内装)の設計を、最も多く手がけた。「現代日本様式」の生みの親。




写真右上。うすりい丸(Ussuri maru)。1932年完成。6,386トン(GT)。日本の客船。日本と大連(Dalian)を結ぶ航路で活躍)の1等(first class)喫煙室(smoking room)。中村 順平(nakamura jyunpei)設計。障子風に見せかけたガラス(glass)窓が、より日本的な雰囲気を演出している。天井の鳥が描かれた間接照明は、手間も、金もかかると言う事で、造船所からは反対されたが、中村 順平(nakamura jyunpei)は、諦めず、自ら、ガラス(glass)会社に発注し、完成させた。
写真左下。照国丸(terukunimaru)・靖国丸(yasukunimaru)の1等(first class)ベランダ(veranda)。中村 順平(nakamura jyunpei)設計。右手に見える、漆扉は、松田 権六(matsuda gonroku。日本の蒔絵(makie。日本の漆工芸の一つ)の、工芸家)との共同制作。日本とヨーロッパを結ぶ航路等、花形航路を多く運航する日本郵船(Nippon Yusen)株式会社は、客船のインテリア(内装)において、大阪商船(Osaka Shosen)(日本の三大海運(shipping・marine transportation)会社の内の一つ)に比べて保守的で、ヨーロッパの古典様式を採用する事が、常でした。その様な中、日本郵船(Nippon Yusen)株式会社が、「現代日本様式」を採用した最初の客船が、照国丸(terukunimaru。日本の客船。1930年完成。11,931トン(GT))と靖国丸(yasukunimaru。日本の客船。1930年完成。11,933トン(GT)。照国丸(terukunimaru)の姉妹船)です。
写真右下。長城丸(日本の客船。1927年完成。2,594トン(GT)。日本と、中国の天津(Tianjin)を結ぶ航路で活躍)の1等(first class)階段。中村 順平(nakamura jyunpei)設計。




りおでじゃねいろ丸(Rio de Janeiro maru。1930年完成。日本の客船)の1等(first class)喫煙室(smoking room)。中村 順平(nakamura jyunpei)設計。正面に、日本の古い鎧が見える。右手に見える漆の扉は、日本の大阪の漆工芸の工芸家、島野 三秋(shimano sansyu)による物。鎧を挟んだ、左奥の扉も、島野 三秋(shimano sansyu)の作品。






あるぜんちな丸(Argentina maru。日本の客船。1939年完成。12,755トン(GT)))の1等(first class)食堂(dining room・レストラン)。村野 藤吾(murano togo)設計。壁は、総桐柾張り、窓には欄間彫刻が施され、柱には、大理石が張られた。手前の照明シェードには、蒔絵(makie)が、施され、「現代日本様式」を代表する意匠(design・装飾)である。





あるぜんちな丸(Argentina maru。日本の客船。1939年完成。12,755トン(GT))の1等(first class)食堂(dining room・レストラン)の、漆扉(1938年から1939年頃制作。堂本 漆軒作)。村野 藤吾(murano togo)(下の補足説明参照)が設計した、あるぜんちな丸(Argentina maru)の1等(first class)食堂(dining room・レストラン)の、背面の造り付け、棚扉部分を、後に、日本の、文化勲章を受賞する、堂本 漆軒(日本の漆工芸の工芸家)が制作した。あるぜんちな丸(Argentina maru)は、1942年に、日本海軍に買い上げられ、長崎(nagasaki)造船所により、空母へと改造された。その際、家具や調度品は、陸に揚げられた為、幸運にも、漆扉だけは、第二次世界大戦による戦禍を免れた。第二次世界大戦以前の、日本の客船の家具が、ほとんど現存しない為、非常に貴重な資料である。
村野 藤吾(murano togo):村野 藤吾(murano togo。日本の建築家。1891年生まれ。1984年に亡くなる。多数の図面資料が現存している事から、日本の建築家の中で、第二次世界大戦以前において、客船のインテリア(内装)の設計を手がけていた事を、最も知られている建築家であると言える。




新田丸(nittamaru。1940年完成。17,150総トン(GT))。日本の豪華客船。三菱(mitsubishi)重工業、長崎(nagasaki)造船所製。新田丸(nittamaru)・八幡丸(yawatamaru)、春日丸(kasugamaru)(八幡丸(yawatamaru)・春日丸(kasugamaru)は、新田丸(nittamaru)の姉妹豪華客船)は、日本郵船(Nippon Yusen)株式会社が、(1936年にドイツのBerlinで開催された夏季オリンピックに引き続き)1940年に開催されるはずだった、東京オリンピック(Olympics)(夏季Olympics)(第2次世界大戦により中止)の前後に合わせる様に、日本とヨーロッパを結ぶ航路に、新たに投入する計画であった豪華客船です。何れも、内装のデザイン(design)・装飾は、「現代日本様式」で纏められ、当時、世界最先端の技術と設備が投入された豪華客船として建造されました(春日丸(kasugamaru)については、建造される予定でした)。新田丸(nittamaru。17,150総トン(GT))と八幡丸(yawatamaru)。17,150総トン(GT))は、1940年に完成しました。新田丸(nittamaru)と、その姉妹船(同型船)の八幡丸(yawatamaru)の、優れた設備の例として、新田丸(nittamaru)と八幡丸(yawatamaru)には、開閉式の天井を備えた、温水のプール(swimming pool)が設けられ、船内には、暖房設備の他、一等(first class)の、全ての客室、一等(first class)と二等(second class)の公室(食堂(dining room・レストラン)、社交室等、乗客の共用場所)、理容室(barber shop)、美容室等には、冷暖房装置(air conditioner)が装備されました(新田丸(nittamaru)と八幡丸(yawatamaru)は、世界で初めて、冷暖房設備(air conditioner)を備えた、長距離、国際航路の客船でした)。新田丸(nittamaru)、八幡丸(yawatamaru)共に、完成した時には、既に、ヨーロッパにおいて、第二次世界大戦が勃発していた事から、新田丸(nittamaru)、八幡丸(yawatamaru)共に、日本と北米を結ぶ航路の、豪華客船として就航しました。新田丸(nittamaru)は、1941年8月まで、約1年半、日本と北米を結ぶ航路の客船として就役しましたが、その後、時局の悪化により(ちなみに、日本は、1941年12月に、第二次世界大戦に参戦しました(アメリア・イギリス等との戦争に突入しました))、日本海軍に徴用され、1942年に空母に改造され、日本海軍に買収されました。八幡丸(yawatamaru)は、約1年間、日本と北米を結ぶ航路の客船として就役した後、時局の悪化により、1941年6月に、空母への改造工事に入り、1942年に、空母へと改装されると共に、日本海軍に買収されました。一方、春日丸(kasugamaru)(新田丸(nittamaru)と八幡丸(yawatamaru)の姉妹船(同型船)として、日本とヨーロッパを結ぶ航路の豪華客船として就航する予定であった船)は、時局の悪化により、完成前に、空母へと改造され、1941年に空母として完成しました。






新田丸(nittamaru。1940年完成)の、1等(first class)の社交室(中村 順平(nakamura jyunpei)設計)。日本を代表する客船の一つとして、船内は、とても豪華でした。







写真上、新田丸(nittamaru。1940年完成)の1等(first class)社交室。中村 順平(nakamura jyunpei)設計。正面右の、ガラス(glass)戸棚に、六歌仙(rokkasen。10世紀初めに編纂された、日本の和歌(waka。日本の詩の形態の一つ)集、古今和歌集(kokin wakashu)に、有名な歌人(poet)として名が挙げられた、9世紀の、日本の、6人の歌人(poet))をエッチング(etching)で描く等、随所に、日本的な意匠(design・装飾)が溢れています。
写真下、八幡丸(yawatamaru。1940年完成)の、1等(first class)読書室。中村 順平(nakamura jyunpei)設計。

 





写真右、八幡丸(yawatamaru。1940年完成)の1等(first class)階段。三菱(mitsubishi)重工業、長崎(nagasaki)造船所設計。








写真上。新田丸(nittamaru。1940年完成。日本の豪華客船。17,150総トン(GT))の1等(first class)の階段。三菱(mitsubishi)重工業、長崎(nagasaki)造船所設計。正面、松の絵柄とともに、天井照明のデザイン(design)も、日本的である。
写真下。秩父丸(chichibumaru。1930年完成。17,526トン(GT)。日本の豪華客船。浅間丸(asamamaru)と共に、「太平洋の女王」と称された)で使用されていたと推測される、丸型、煙草盆(1930年頃)。蝶々が螺鈿で表現されている。秩父丸(chichibumaru)は、アール・デコ(Art Deco)で設計された船内に、一部、この様な、日本的(東洋的)な意匠(design)の、調度品が用いられていた。






写真右上。八幡丸(yawatamaru。1940年完成。日本の豪華客船)の1等(first class)喫煙室(smoking room)。中村 順平(nakamura jyunpei)設計。






写真右上。八幡丸(yawatamaru。1940年完成)の1等(first class)社交室の、小壁薄肉彫彫刻模様。松田 軍平(matsuda gunpei)設計。







写真上。八幡丸(yawatamaru。1940年完成)の1等(first class)社交室。松田 軍平(matsuda gunpei。日本の建築家。1894年生まれ。1981年に亡くなる)設計。八幡丸(yawatamaru)の姉妹船である、新田丸(nittamaru)の、1等(first class)社交室の設計を、中村 順平(nakamura jyunpei)が設計を担当し、「現代日本様式」の真骨頂とも言える様な空間を設計していた事を強く意識したのでしょうか。。八幡丸(yawatamaru)の1等(first class)社交室は、松田 軍平(matsuda gunpei)の設計の中でも、とりわけ、日本的な要素が強く出ており、「現代日本様式」と呼ぶのに、ふさわしい物となっています。
写真下。新田丸(nittamaru。1940年完成)の1等(first class)読書室。松田 軍平(matsuda gunpei)設計。明るく軽快なイメージで設計されている。一つの豪華客船の内装を、「現代日本様式」で、総合的にデザイン(design)する一方で、あえて、部屋・空間毎に雰囲気を変え、退屈させない様な工夫もありました。





新田丸(nittamaru。1940年完成)の1等(first class)喫煙室(smoking room)。






写真左。新田丸(nittamaru。1940年完成)の1等(first class)社交室の乾漆パネル(1940年頃制作。中村 順平(nakamura jyunpei)・松田 権六(matsuda gonroku)作)。中村 順平(nakamura jyunpei)が設計した室内に、後に、日本の、人間国宝となる、松田 権六(matsuda gonroku)が、中村 順平(nakamura jyunpei)と共同で、乾漆パネルを制作した。金地に、しだれ柳と川浪の鮮やかな緑色が映える、乾漆パネルは、ゆるい曲線を描き、社交室の前後の四隅に、はめ込まれていた。
写真右下。八幡丸(yawatamaru。日本の客船。1940年完成)の1等社交室の絵画(1940年頃制作。山喜多 二郎太(yayakita jirota)作)。






八幡丸(yawatamaru。1940年完成。日本の豪華客船)の1等(first class)カフェ(cafe)ダンシングスペース(danceをする場所)。松田 軍平(matsuda gunpei)設計。正面の壁と、床の中央に、真っ赤な椿がデザイン(design)され、艶やかな空間が生まれています。








春日丸(kasugamaru)の1等(first class)喫煙室(smoking room)(高島屋(Takashimaya)(日本のデパートの、チェーン(chain)の一つ。大阪(日本の商業の中心都市)に、拠点(本店)を置く)の装飾部門が、1940年頃設計)。春日丸(kasugamaru)は、完成を待たずに空母へと改造された、幻の日本の豪華客船です。新田丸(nittamaru。日本の豪華客船。1940年完成)や春日丸(kasugamaru)の建造の頃には、日本の主要な客船の、主要な、1等(first class)の公室(乗客の共有場所)の空間の設計を、高島屋(Takashimaya)の装飾部門や、長崎(nagasaki)造船所の技師達が、手がける様になっています。彼等の設計した、客船の室内空間は、当時の、日本の有名な建築家の物と比較して、決して、見劣りする物ではありません。高い技術とデザイン(design)力を備えていたと言えます。







写真左上。新田丸(nittamaru。1940年完成)の1等(first class)食堂(dining room・レストラン)。三菱(mitsubishi)、長崎(nagasaki)造船所設計。
写真右上。新田丸(1940年完成)の一等(first class)特別客室(deluxe room)の椅子。三菱(mitsubishi)、長崎(nagasaki)船所設計。
写真左下。浅間丸(asamamaru。1929年完成。16,947トン(GT)。日本の豪華客船)の一等(first class)特別客室(deluxe room)の居室(living room)。川島(kawashima) 織物設計。
写真右下。浅間丸(asamamaru。1929年完成)の、一等(first class)特別客室(deluxe room)の居室(living room)の、綴織パネル原画「桃園天平美人」(1929年)。川島(kawashima)織物制作。






新田丸(nittamaru。1940年完成)の1等(first class)プール(swimming pool)。久米 権九郎(kume gonkuro)(下の、補足説明参照))設計。
久米 権九郎(kume gonkuro):日本の建築家。1895年生まれ。1965年に亡くなる。日光(nikko。東京近郊を代表する観光地・保養地の一つ)の、金谷(kanaya)ホテル(日光(nikko)を代表する、高級リゾート(resort)ホテル。1873年開業)や、軽井沢(karuizawa。東京圏周辺を代表する、避暑別荘地・避暑保養地)の万平(manpei)ホテル(軽井沢(karuizawa)を代表する高級リゾート(resort)ホテルの一つ。1894年開業)等、数々の、建築設計に加え、多くの住宅団地の設計を手がける等、事業にも、才能を発揮しました。来日した、ブルーノ・タウト(下の補足説明参照)とも、親交があった事でも知られています。
ブルーノ・タウト(Bruno Taut):ドイツの、有名な建築家・都市計画家。ナチス(Nazi Party)政権下のドイツにおいて、親ソ連(Soviet Union)派の烙印を押され、職と地位を失い、1933年から1936年にかけて、日本に亡命。1936年に、近代化を目指していたトルコの、イスタンブール(Istanbul)芸術アカデミー(Academy)からの招請により、教授としてイスタンブール(Istanbul)に移住。1938年に、長年患っていた気管支喘息の為に、同地で亡くなる。







写真上。橿原丸(kashiharamaru)(下で、説明します)の1等(first class)エントランス(玄関・入口)(吉武 東里(yoshi・take tori。日本の建築家。1886年生まれ。1945年に亡くなる)設計)のカラースキーム(1940年頃制作)。








橿原丸(kashiharamaru)の1等(first class)後部のエントランス(玄関・入口)の広間(吉武 東里(yoshi・take tori)設計)のカラースキーム(1940年頃制作)。







写真上。出雲丸(izumomaru)(下の補足説明参照)の1等(first class)食堂(dining room・レストラン)第1案(設計者不明。1941年制作)。
出雲丸(izumomaru):橿原丸(kashiharamaru)の姉妹船であり、橿原丸(kashiharamaru)と共に、日本最高の豪華客船となる計画であったが、橿原丸(kashiharamaru)と同じく、完成する事なく、空母へと改造された。







写真右。出雲丸(izumomaru)の1等(first class)食堂(dining room・レストラン)第2案(設計者不明。1941年制作)。出雲丸(izumomaru)の1等(first class)食堂は、第1案から第3案までのカラースキーム写真が残っている事、そして、船主(日本郵船(Nippon Yusen)株式会社)側の意向により、徐々に、第1案から遠ざかって、普通の案に成り下がってしまう事への無念が、綴られている事から、雪野 元吉(yukino motokichi。日本の建築家。1887年生まれ。1945年に亡くなる)が設計者であった可能性が高い。柱等は、朱塗りで仕上げる事を想定していた様です。神道の神社(shrine)の鳥居を連想させる、如何にも、「現代日本様式」の設計です。
写真左。出雲丸(izumomaru)の2等(second class)喫煙室(smoking room)(設計者不明。1941年制作)。








橿原丸(kashiharamaru。1939年建造開始、1942年完成予定。27,000トン(GT))の1等(first class)社交室(中村 順平(nakamura jyunpei)設計)のカラースキーム(1940年制作)。橿原丸(kashiharamaru)は、日本郵船(Nippon Yusen)株式会社が、(1936年にドイツのBerlinで開催された夏季オリンピックに引き続き)1940年に開催されるはずだった、東京オリンピック(Olympics)(夏季Olympics)(第2次世界大戦により中止)の前後に合わせる様に、次々と投入する予定であった、新しい豪華客船の一つで、日本の客船史上、最高の豪華客船となるはずが(橿原丸(kashiharamaru)の2等(second class)が、新田丸(nittamaru。日本の客船史上、最も豪華な客船の一つ)の1等(first class)と同じ水準になるように設定された)、就航する事なく、空母、隼鷹(jyunyou)へと改造されました。正面舞台は、古代の雅楽(gagaku。中国や韓国から伝わった音楽を基にした日本の伝統的音楽)が表現されており、電灯の、すぐ下には、舞楽の面、竪琴の右には、装束を着た楽人が見えます。その下、中央は、翁、千歳三番叟の一組で、中世の能楽(noh・kyogen。日本の伝統的な演劇の一つ)を表現しています。正面の扉部分には、桜と馬を引く、男の図。また、部屋の四隅には、日本の城(castle)を描いたレリーフ(relief)が見えます。これは、漆工芸の工芸家の、松田 権六(matsuda gonroku)とともに、乾漆に金箔、銀箔、そして岩絵具を用いて彩色する予定であったと言います。完成していれば、「現代日本様式」を代表する意匠(装飾)であったに違いありません。







橿原丸(kashiharamaru)の1等読書室(久米 権九郎(kume gonkuro)設計)のカラースキーム(1940年制作)。床の立ち上がり部分には、黒地茶模様の大理石を、柱には、ゼブラウッド(zebrawood)を採用する予定であった。床の絨毯や、正面奥の出入り口扉には、壁面漆パネルと合わせた、栗の実と葉の模様が描かれている。久米 権九郎(kume gonkuro)は、佐藤 武造(sato takezo。日本の画家・漆工芸の工芸家)と、工場にサンプル(sample)を見学に行く等、一年がかりで、色々と設計準備を行いました。久米 権九郎(kume gonkuro)にとって、橿原丸(kashiharamaru)が完成せずに、空母へと改造されてしまった事は、とても残念であったに違いありません。






橿原丸(kashiharamaru)の1等(first class)喫煙室(smoking room)の、松田 軍平(matsuda gunpei)案(1940年制作)。橿原丸(kashiharamaru)の1等(first class)喫煙室(smoking room)には、村野 藤吾(murano togo)案と、松田 軍平(matsuda gunpei)案の、二つの案が、存在している。







写真上。橿原丸(kashiharamaru)の1等(first class)喫煙室(smoking room)(村野 藤吾(murano togo)設計)のカラースキーム(1940年制作)。黒地のソファ(sofa)に赤色の座面と言う、斬新さが見られるデザイン(design)。大阪商船(Osaka Shosen)の客船のインテリア(内装)設計を多く手がけた村野 藤吾(murano togo)は、橿原丸(kashiharamaru)で、初めて、日本郵船(Nippon Yusen)株式会社の豪華客船の設計を手がけた。







写真上。橿原丸(kashiharamaru)の一等(first class)プール(swimming pool)(前川 國男(maekawa kunio。日本の建築家。1905年生まれ。1986年に亡くなる)建築務所設計。丹下 健三(tange kenzo。日本の建築家。1913年生まれ。2005年に亡くなる)担当)のカラースキーム(1940年制作)。
写真下。橿原丸(kashiharamaru)の一等(first class)プール(swimming pool)(前川 國男(maekawa kunio)建築務所設計。丹下 健三(tange kenzo)担当)の初期案(1940年制作)。








写真左上。ドミニオン・モナーク(Dominion Monarch。1939年完成。イギリスの豪華客船。27,155トン (GT)。南アフリカ連邦(現在の南アフリカ共和国)を経由し、イギリスとオーストラリアを結ぶ航路の豪華客船として建造された。イギリスとオーストラリアを結ぶ航路の客船で、史上、最大且つ、最も豪華な客船であった)のドローイングルーム(drawing room)の装飾(1939年制作。佐藤 武造(sato takezo。日本の画家・漆工芸の工芸家)作)。
写真右上。船名、船室不明(佐藤 武造(sato takezo)作。1940年頃と推測される)。右下に、久米(kume)建築事務所の印が押印されている。深い信頼関係の下、共同で設計していた事が、伺える。
写真下。橿原丸(kashiharamaru)1等(first class)読書室の漆パネル習作(1940年頃制作。佐藤 武造(sato takezo)作)。佐藤 武造(sato takezo)が、久米 権九郎(kume gonkuro)とともに設計した一室。









ミス・ニッポン(Miss Nippon。1964年完成予定)の、1等(first class)社交室(設計者不詳)。実現する事なく、幻となった、1950年代末から1960年代初めの、日本の豪華客船建造計画。畳を敷き詰めたかのような床面、つつみ太鼓のような椅子等、そのインテリア(内装)は、豪華客船時代の、「現代日本様式」を引き継いでいる事が分かる。仮に、ミス・ニッポン(Miss Nippon)が、完成していたら、おそらく、当時、日本で、戦後の復興の完成を象徴する物として、ほぼ、新幹線(1964年運行開始。当時、世界最高の営業速度の鉄道)に匹敵する話題となっていた事でしょう。







現代日本様式(建築・インテリア史)後編(すぐ下でリンクを付けた投稿)へ続く。。。


現代日本様式(建築・インテリア史)後編→

https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_14/view/id/3873344?&sfl=membername&stx=nnemon2





日本の豪華客船の、現代日本様式について、より詳しくは、以下の投稿を参照して下さい。


現代日本伝統様式(戦前日本の客船の内装)他1→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3758717/page/21?&sfl=membername&stx=nnemon2
現代日本伝統様式(戦前日本の客船の内装)他2→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3758716/page/21?&sfl=membername&stx=nnemon2
現代日本伝統様式(戦前日本の客船の内装)他3→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3758715/page/21?&sfl=membername&stx=nnemon2
現代日本伝統様式(戦前日本の客船の内装)他4→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3758713/page/21?&sfl=membername&stx=nnemon2


以下、関連投稿・参考の投稿。


横浜散歩 氷川丸他前編→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/3873347?&sfl=membername&stx=nnemon2
横浜散歩 氷川丸他後編→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/3873346?&sfl=membername&stx=nnemon2

 


현대 일본 님 식(건축·인테리어사) 전편





기본적으로, 2019년의 4월의 하순에 간, 「현대 일본 님 식 전편」이라고 하는 투고의 재게입니다.




이하, 앞에 간 투고로부터 발췌해 온 것입니다.




「현대 일본 님 식」은, 1920년대부터 1930년대에, 일본에 있어 태어난, 일본의 전통적인 요소와 현대적인 요소를 조합한, 호화 여객선의 인테리어(내장)의 님 식입니다.



이하, 「현대 일본 님 식」에 관한 설명이 많은 부분은, 요코하마(도쿄 area의 바다의 현관문(gateway)이 되고 있는 큰 항구도시)의, 일본우선(Nippon Yusen) 역사 박물관(아래의 보충 설명 참조)에서, 2011년의 8월부터 11월에 걸쳐 행해지고 있던, 일본의 여객선의, 인테리어(내장)의 역사에 관한 전람회(exhibition)(이하의, 이 전람회(exhibition)라고 말합니다)의, 팜플렛(booklet)의 설명문을, 요약 또는 발췌·인용한 것입니다.
일본우선(Nippon Yusen) 역사 박물관:일본우선(Nippon Yusen)(아래의 보충 설명 참조)의 역사를 소개하는 자료관.
일본우선(NipponYusen):일본의 3 대해운(shipping·marine transportation) 회사 중의 하나.제2차 세계대전전, 일본은, 영국, 미국에 뒤잇는, 세계 제 3위의 해운(shipping·marine transportation) 국이었습니다.일본우선(Nippon Yusen) 주식회사는, 그 세계 제 3위의 해운(shipping·marine transportation) 국, 일본의 3 대해운(shipping·marine transportation) 회사 중의 하나였습니다(지금도, 일본우선(Nippon Yusen) 주식회사는, 일본의 3 대해운(shipping·marine transportation) 회사 중의 하나임과 동시에, 세계 유수한 해운(shipping·marinetransportation) 회사가 되고 있습니다).




사진 이하.「현대 일본 님 식」의 예...이 전람회(exhibition)의, 팜플렛(booklet)보다...



「현대 일본 님 식」은, 1920년대부터 1930년대에, 일본에 있어 태어난, 일본의 전통적인 요소와 현대적인 요소를 조합한, 호화 여객선의 인테리어(내장)의 님 식입니다.유럽의, 고전적인 님 식도 아니고, 또, 서양의 선진 공업국의, 현대의(당시의) 유행을, 그대로 도입하므로도 없고, 일본 독자적인, 한편, 현대에 맞은 님 식이라고 하는 것으로, 「현대 일본 님 식」이, 태어났습니다.동양의 선진국인 일본으로서 유럽의 역사나 문화에 대치하기 위해는, 이미, 서양의 선진 공업국의 흉내에서는 안 되면 나카무라순평(nakamurajyunpei)(아래의, 보충 설명 참조)를 시작으로 하는, 일본의 건축가들은, 생각했을지도 모릅니다.그리고, 일본(및 동양의), 전통적인 문화나 예술로 도전하는 일이, 구미에 대치 할 수 있는, 유일한 수단이다고 생각한 결과, 도착한 것이, 「현대 일본 님 식」이었을까.현대풍의 인테리어(내장)면서, 일본의 전통 공예가, 여기저기에 아로새겨진, 일본 독자적인, 또, 여객선 독자적인 장식 님 식인, 「현대 일본 님 식」은, 일본의 디자인(design)의, 근대·현대의 역사를 말할 뿐만 아니라 두고, 중요한 장식 님 식의 하나이다고 말할 수 있겠지요.
나카무라순평(nakamura jyunpei):일본의 건축가.1887 년생.1977년에 죽는다.일본의 여객선의 인테리어(내장)의 설계의 제일인자로, 일본의 건축가들중에서, 제이차 세계대전 이전에 있고, 일본의 대형 여객선의 인테리어(내장)의 설계를, 가장 많이 다루었다.「현대 일본 님 식」의 친부모.




사진 우상.소매치기 있어 환(Ussuri maru).1932년 완성.6,386톤(GT).일본의 여객선.일본과 대련(Dalian)을 연결하는 항로에서 활약)의 1등 (first class) 흡연실(smoking room).나카무라순평(nakamura jyunpei) 설계.미닫이풍 으로 가장한 유리(glass) 창이, 보다 일본적인 분위기를 연출하고 있다.천정의 새가 그려진 간접조명은, 수고도, 금도 든다고 하는 일로, 조선소에서는 반대되었지만, 나카무라 순평(nakamura jyunpei)은, 단념하지 않고, 스스로, 유리(glass) 회사에 발주해, 완성시켰다.
사진 좌하.테루쿠니환(terukunimaru)·야스쿠니환(yasukunimaru)의 1등 (first class) 베란다(veranda).나카무라순평(nakamura jyunpei) 설계.오른손으로 보이는, 옻나무문은, 마쓰다 곤로쿠(matsuda gonroku.일본의 금칠한 그림(makie.일본의 옻나무 공예의 하나)의, 공예가)와의 공동 제작.일본과 유럽을 연결하는 항로등 , 인기 항로를 많이 운항하는 일본우선(Nippon Yusen) 주식회사는, 여객선의 인테리어(내장)에 대하고, 오사카 상선(Osaka Shosen)(일본의 3 대해운(shipping·marine transportation) 회사 중의 하나)에 비해 보수적이고, 유럽의 고전 님 식을 채용하는 것이, 상이었습니다.그 님안, 일본우선(Nippon Yusen) 주식회사가, 「현대 일본 님 식」을 채용한 최초의 여객선이, 테루쿠니환(terukunimaru.일본의 여객선.1930년 완성.11,931톤(GT))과 야스쿠니환(yasukunimaru.일본의 여객선.1930년 완성.11,933톤(GT).테루쿠니환(terukunimaru)의 자매선)입니다.
사진 우하.장 시로마루(일본의 여객선.1927년 완성.2,594톤(GT).일본과 중국의 청진(Tianjin)을 연결하는 항로에서 활약)의 1등 (first class) 계단.나카무라순평(nakamura jyunpei) 설계.




로그럼 있어라 환(Rio de Janeiro maru.1930년 완성.일본의 여객선)의 1등 (first class) 흡연실(smoking room).나카무라 순평(nakamura jyunpei) 설계.정면으로, 일본의 낡은 요로이가 보인다.오른손으로 보이는 옻나무의 문은, 일본의 오사카의 옻나무 공예의 공예가, 시마노 삼추(shimano sansyu)에 의한 것.요로이를 끼운, 좌옥의 문도, 시마노 삼추(shimano sansyu)의 작품.






있다 완치인 환(Argentina maru.일본의 여객선.1939년 완성.12,755톤(GT)))의 1등 (first class) 식당(dining room·레스토랑).무라노 도고(murano togo) 설계.벽은, 오동나무만으로 만들어짐정 쳐, 창에는 통풍공간 조각이 베풀어져 기둥에는, 대리석이 쳐졌다.앞의 조명 쉐이드에는, 금칠한 그림(makie)이, 베풀어져 「현대 일본 님 식」을 대표하는 생각(design·장식)이다.





있다 완치인 환(Argentina maru.일본의 여객선.1939년 완성.12,755톤(GT))의 1등 (first class) 식당(dining room·레스토랑)의, 옻나무문(1938년부터 1939년경 제작.도오모토 옻나무헌작).무라노 도고(murano togo)(아래의 보충 설명 참조)가 설계한, 있다 완치인 환(Argentina maru)의 1등 (first class) 식당(dining room·레스토랑)의, 배면의 만들어 붙여 붕비부분을, 후에, 일본의, 문화 훈장을 수상하는, 도오모토 옻나무채(일본의 옻나무 공예의 공예가)가 제작했다.있다 완치인 환(Argentina maru)는, 1942년에, 일본해군에 매입할 수 있어 나가사키(nagasaki) 조선소에 의해, 항공 모함으로 개조되었다.그 때, 가구나 일상 생활 용품은, 육지에 올릴 수 있었던 때문, 행운에도, 옻나무문만은, 제이차 세계대전에 의한 전화를 면했다.제이차 세계대전 이전의, 일본의 여객선의 가구가, 거의 현존 하지 않기 때문에, 매우 귀중한 자료이다.
촌야 토우고(murano togo):무라노 도고(murano togo.일본의 건축가.1891 년생.1984년에 죽는다.다수의 도면 자료가 현존 하고 있는 일로부터, 일본의 건축가중에서, 제이차 세계대전 이전에 있고, 여객선의 인테리어(내장)의 설계를 다루고 있던 일을, 가장 알려져 있는 건축가이다고 말할 수 있다.




닛타환(nittamaru.1940년 완성.17,150 총 톤수(GT)).일본의 호화 여객선.미츠비시(mitsubishi) 중공업, 나가사키(nagasaki) 조선소제.닛타환(nittamaru)·야와타환(yawatamaru), 봄날환(kasugamaru)(야와타환(yawatamaru)·봄날환(kasugamaru)은, 닛타환(nittamaru)의 자매 호화 여객선)은, 일본우선(Nippon Yusen) 주식회사가, (1936년에 독일의 Berlin로 개최된 하계 올림픽에 계속해) 1940년에 개최될 것이었다, 도쿄 올림픽(Olympics)(하계 Olympics)( 제2차 세계대전에 의해 중지)의 전후에 맞추는 것처럼, 일본과 유럽을 연결하는 항로로, 새롭게 투입할 계획인 호화 여객선입니다.어느 쪽도, 내장의 디자인(design)·장식은, 「현대 일본 님 식」에서 모을 수 있어 당시 , 세계 최첨단의 기술과 설비가 투입된 호화 여객선으로서 건조되었던(봄날환(kasugamaru)에 대해서는, 건조될 예정이었습니다).닛타환(nittamaru.17,150 총 톤수(GT))와 야와타환(yawatamaru).17,150 총 톤수(GT))는, 1940년에 완성했습니다.닛타환(nittamaru)과 그 자매선(동형선)의 야와타환(yawatamaru)의, 뛰어난 설비의 예로서 닛타환(nittamaru)과 야와타환(yawatamaru)에는, 개폐식의 천정을 갖춘, 온수의 풀(swimming pool)가 설치되어 선내에는, 난방 설비의 외, 일등(first class)의, 모든 객실, 일등(first class)과 2등 (second class)의 공실(식당(dining room·레스토랑), 사교실등 , 승객의 공용 장소), 이용실(barber shop), 미용실등에는, 냉난방 장치(air conditioner)가 장비되었던(닛타환(nittamaru)과 야와타환(yawatamaru)은, 세계에서 처음으로, 냉난방 설비(air conditioner)를 갖춘, 장거리, 국제 항로의 여객선이었습니다).닛타환(nittamaru), 야와타환(yawatamaru) 모두, 완성했을 때에는, 이미, 유럽에 있고, 제이차 세계대전이 발발하고 있던 일로부터, 닛타환(nittamaru), 야와타환(yawatamaru) 모두, 일본과 북미를 연결하는 항로의, 호화 여객선으로서 취항했습니다.닛타환(nittamaru)은, 1941년 8월까지, 약 1년반, 일본과 북미를 연결하는 항로의 여객선으로서 취역했습니다만, 그 후, 시국의 악화에 의해(덧붙여서, 일본은, 1941년 12월에, 제이차 세계대전에 참전했습니다(사탕 리어·영국등과의 전쟁에 돌입했습니다)), 일본해군에 징용 되어 1942년에 항공 모함에 개조되어 일본해군에 매수되었습니다.야와타환(yawatamaru)은, 약 1년간, 일본과 북미를 연결하는 항로의 여객선으로서 취역한 후, 시국의 악화에 의해, 1941년 6월에, 항공 모함에의 개조 공사에 들어가, 1942년에, 항공 모함으로 개장됨과 동시에, 일본해군에 매수되었습니다.한편, 봄날환(kasugamaru)(닛타환(nittamaru)과 야와타환(yawatamaru)의 자매선(동형선)으로서 일본과 유럽을 연결하는 항로의 호화 여객선으로서 취항할 예정인 배)은, 시국의 악화에 의해, 완성전에, 항공 모함에 (와)과 개조되어 1941년에 항공 모함으로서 완성했습니다.






닛타환(nittamaru.1940년 완성)의, 1등 (first class)의 사교실(나카무라순평(nakamura jyunpei) 설계).일본을 대표하는 여객선의 하나로서, 선내는, 매우 호화로웠습니다.







사진상, 닛타환(nittamaru.1940년 완성)의 1등 (first class) 사교실.나카무라순평(nakamura jyunpei) 설계.정면 오른쪽의, 유리(glass) 찬장에, 육가선(rokkasen.10 세기 처음에 편찬 된, 일본의 단가(waka.일본의 시의 형태의 하나) 집, 고금 단가집(kokin wakashu)에, 유명한 와까(和歌) 작가(poet)로서 이름을 들 수 있던, 9 세기의, 일본의, 6명의 와까(和歌) 작가(poet))를 에칭(etching)으로 그리는 등 , 여기저기에, 일본적인 생각(design·장식)이 흘러넘치고 있습니다.
사진하, 야와타환(yawatamaru.1940년 완성)의, 1등 (first class) 독서실.나카무라순평(nakamura jyunpei) 설계.





사진 오른쪽, 야와타환(yawatamaru.1940년 완성)의 1등 (first class) 계단.미츠비시(mitsubishi) 중공업, 나가사키(nagasaki) 조선소 설계.








사진상.닛타환(nittamaru.1940년 완성.일본의 호화 여객선.17,150 총 톤수(GT))의 1등 (first class)의 계단.미츠비시(mitsubishi) 중공업, 나가사키(nagasaki) 조선소 설계.정면, 송의 도안과 함께, 천정 조명의 디자인(design)도, 일본적이다.
사진하.치치부환(chichibumaru.1930년 완성.17,526톤(GT).일본의 호화 여객선.아사마환(asamamaru)과 함께, 「태평양의 여왕」이라고 칭해졌다)으로 사용되고 있었다고 추측되는, 환형, 담배갑(1930년경).나비들이 나전으로 표현되고 있다.치치부환(chichibumaru)은, 아르·데코(Art Deco)로 설계된 선내에, 일부, 이와 같은, 일본식(동양적)인 생각(design)의, 일상 생활 용품이 이용되고 있었다.






사진 우상.야와타환(yawatamaru.1940년 완성.일본의 호화 여객선)의 1등 (first class) 흡연실(smoking room).나카무라순평(nakamura jyunpei) 설계.






사진 우상.야와타환(yawatamaru.1940년 완성)의 1등 (first class) 사교실의, 소벽엷은 살색조조각 모양.마츠다 군페이(matsuda gunpei) 설계.







사진상.야와타환(yawatamaru.1940년 완성)의 1등 (first class) 사교실.마츠다 군페이(matsuda gunpei.일본의 건축가.1894 년생.1981년에 죽는다) 설계.야와타환(yawatamaru)의 자매선인, 닛타환(nittamaru)의, 1등 (first class) 사교실의 설계를, 나카무라순평(nakamura jyunpei)가 설계를 담당해, 「현대 일본 님 식」의 진면목이라고도 말할 수 있는 님공간을 설계하고 있던 일을 강하게 의식했는지요..야와타환(yawatamaru)의 1등 (first class) 사교실은, 마츠다 군페이(matsuda gunpei)의 설계 중(안)에서도, 특히, 일본적인 요소가 강하게 나오고 있어 「현대 일본 님 식」이라고 부르는데, 적격인 것이 되고 있습니다.
사진하.닛타환(nittamaru.1940년 완성)의 1등 (first class) 독서실.마츠다 군페이(matsuda gunpei) 설계.밝고 경쾌한 이미지로 설계되고 있다.하나의 호화 여객선의 내장을, 「현대 일본 님 식」에서, 종합적으로 디자인(design)하는 한편으로, 굳이, 방·공간마다 분위기를 바꾸어 싫증 시키지 않는 님궁리도 있었습니다.





닛타환(nittamaru.1940년 완성)의 1등 (first class) 흡연실(smoking room).






사진왼쪽.닛타환(nittamaru.1940년 완성)의 1등 (first class) 사교실의 서북옻나무 패널(1940년경 제작.나카무라순 히로시(nakamura jyunpei)·마쓰다 곤로쿠(matsuda gonroku) 작).나카무라순평(nakamura jyunpei)이 설계한 실내에, 후에, 일본의, 인간 문화재가 되는, 마쓰다 곤로쿠(matsuda gonroku)가, 나카무라순평(nakamura jyunpei)와 공동으로, 서북옻나무 패널을 제작했다.금지에, 수양버들과 천랑의 선명한 녹색이 빛나는, 서북옻나무 패널은, 느슨한 곡선을 그려, 사교실의 전후의 네 귀퉁이에, 끼워 넣어지고 있었다.
사진 우하.야와타환(yawatamaru.일본의 여객선.1940년 완성)의 1등 사교실의 회화(1940년경 제작.야마키타 지로우타(yayakita jirota) 작).






야와타환(yawatamaru.1940년 완성.일본의 호화 여객선)의 1등 (first class) 카페(cafe) 댄싱 스페이스(dance를 하는 장소).마츠다 군페이(matsuda gunpei) 설계.정면의 벽과 마루의 중앙에, 새빨간 츠바키가 디자인(design)되어 요염한 공간이 태어나고 있습니다.








봄날환(kasugamaru)의 1등 (first class) 흡연실(smoking room)(다카시마야(Takashimaya)(일본의 백화점의, 체인(chain)의 하나.오사카(일본의 상업의 중심 도시)에, 거점(본점)을 둔다)의 장식 부문이, 1940년경 설계).봄날환(kasugamaru)은, 완성을 기다리지 않고 항공 모함으로 개조된, 환상의 일본의 호화 여객선입니다.닛타환(nittamaru.일본의 호화 여객선.1940년 완성)이나 봄날환(kasugamaru)의 건조의 무렵에는, 일본의 주요한 여객선의, 주요한, 1등 (first class)의 공실(승객의 공유 장소)의 공간의 설계를, 다카시마야(Takashimaya)의 장식 부문이나, 나가사키(nagasaki) 조선소의 기사들이, 다루는 것처럼 되어 있습니다.그들의 설계한, 여객선의 실내 공간은, 당시의, 일본의 유명한 건축가의 물건과 비교하고, 결코, 열등하는 것이 아닙니다.높은 기술과 디자인(design) 력을 갖추고 있었다고 말할 수 있습니다.







사진 좌상.닛타환(nittamaru.1940년 완성)의 1등 (first class) 식당(dining room·레스토랑).미츠비시(mitsubishi), 나가사키(nagasaki) 조선소 설계.
사진 우상.닛타환(1940년 완성)의 일등(first class) 특별 객실(deluxe room)의 의자.미츠비시(mitsubishi), 나가사키(nagasaki) 후나도코로 설계.
사진 좌하.아사마환(asamamaru.1929년 완성.16,947톤(GT).일본의 호화 여객선)의 일등(first class) 특별 객실(deluxe room)의 거실(living room).카와시마(kawashima) 직물 설계.
사진 우하.아사마환(asamamaru.1929년 완성)의, 일등(first class) 특별 객실(deluxe room)의 거실(living room)의, 철직패널 원화 「모모조노 나라시대의 연호 미인」(1929년).카와시마(kawashima) 직물 제작.






닛타환(nittamaru.1940년 완성)의 1등 (first class) 풀(swimming pool).쿠메권 쿠로우(kume gonkuro)(아래의, 보충 설명 참조)) 설계.
쿠메 권 쿠로우(kume gonkuro):일본의 건축가.1895 년생.1965년에 죽는다.닛코(nikko.도쿄 근교를 대표하는 관광지·보양지의 하나)의, 카나야(kanaya) 호텔(닛코(nikko)를 대표하는, 고급 리조트(resort) 호텔.1873년 개업)이나, 카루이자와(karuizawa.동경권 주변을 대표하는, 피서 별장지·피서 보양지)의 만평(manpei) 호텔(카루이자와(karuizawa)를 대표하는 고급 리조트(resort) 호텔의 하나.1894년 개업) 등 , 수많은, 건축 설계에 가세해 많은 주택 단지의 설계를 다루는 등 , 사업에도, 재능을 발휘했습니다.일본 방문한, 블르노·타우트(아래의 보충 설명 참조) 모두, 친교가 있던 일로도 알려져 있습니다.
블르노·타우트(Bruno Taut):독일의, 유명한 건축가·도시계획가.나치스(Nazi Party) 정권하의 독일에 있고, 친소련(Soviet Union) 파의 낙인이 찍혀 일자리와 지위를 잃어, 1933년부터 1936년에 걸치고, 일본에 망명.1936년에, 근대화를 목표로 하고 있던 터키의, 이스탄불(Istanbul) 예술 아카데미(Academy)로부터의 초청에 의해, 교수로서 이스탄불(Istanbul)에 이주.1938년에, 오랜 세월 병을 앓고 있던 기관지 천식을 위해, 동지로 죽는다.







사진상.카시하라환(kashiharamaru)(아래에서, 설명합니다)의 1등 (first class) 엔트런스(현관·입구)(요시타케 토우사토(yoshi·take tori.일본의 건축가.1886 년생.1945년에 죽는다) 설계)의 칼라 스킴(1940년경 제작).








카시하라환(kashiharamaru)의 1등 (first class) 후부의 엔트런스(현관·입구)의 객실(요시타케 토우사토(yoshi·take tori) 설계)의 칼라 스킴(1940년경 제작).







사진상.이즈모환(izumomaru)(아래의 보충 설명 참조)의 1등 (first class) 식당(dining room·레스토랑) 제1안(설계자 불명.1941년제작).
이즈모환(izumomaru):카시하라환(kashiharamaru)의 자매선이며, 카시하라환(kashiharamaru)과 함께, 일본 최고의 호화 여객선이 될 계획이었지만, 카시하라환(kashiharamaru)과 같이, 완성하는 무사히, 항공 모함으로 개조되었다.







사진 오른쪽.이즈모환(izumomaru)의 1등 (first class) 식당(dining room·레스토랑) 제2안(설계자 불명.1941년제작).이즈모환(izumomaru)의 1등 (first class) 식당은, 제1안으로부터 제3안까지의 칼라 스킴 사진이 남아 있는 일, 그리고, 선주(일본우선(Nippon Yusen) 주식회사) 옆의 의향에 의해, 서서히, 제1안으로부터 멀어지고, 보통 안에 되어 내려 버리는 일에의 무념이, 써지고 있는 일로부터, 유키노 모토요시(yukino motokichi.일본의 건축가.1887 년생.1945년에 죽는다)가 설계자인 가능성이 높다.기둥등은, 주홍색칠로 완성하는 일을 상정하고 있던 님입니다.신도의 신사(shrine)의 신사앞 기둥문을 연상시킨다, 과연, 「현대 일본 님 식」의 설계입니다.
사진왼쪽.이즈모환(izumomaru)의 2등 (second class) 흡연실(smoking room)(설계자 불명.1941년제작).








카시하라환(kashiharamaru.1939년 건조 개시, 1942년 완성 예정.27,000톤(GT))의 1등 (first class) 사교실(나카무라순평(nakamura jyunpei) 설계)의 칼라 스킴(1940년제작).카시하라환(kashiharamaru)은, 일본우선(Nippon Yusen) 주식회사가, (1936년에 독일의 Berlin로 개최된 하계 올림픽에 계속해) 1940년에 개최될 것이었다, 도쿄 올림픽(Olympics)(하계 Olympics)( 제2차 세계대전에 의해 중지)의 전후에 맞추는 것처럼, 차례차례로 투입할 예정인, 새로운 호화 여객선의 하나로, 일본의 여객선 사상, 최고의 호화 여객선이 될 리가(카시하라환(kashiharamaru)의 2등 (second class)가, 닛타환(nittamaru.일본의 여객선 사상, 가장 호화로운 여객선의 한 개)의 1등 (first class)와 같은 수준이 되도록(듯이) 설정된), 취항하는 무사히, 항공 모함, 하야부사매(jyunyou)로 개조되었습니다.정면 무대는, 고대의 아악(gagaku.중국이나 한국에서 전해진 음악을 기본으로 한 일본의 전통적 음악)이 표현되고 있어 전등의, 바로 아래에는, 무악의 면, 하프의 오른쪽에는, 의복을 입은 악사가 보입니다.그 아래, 중앙은, 오키나, 치토세 3번수의 1조로, 중세의 노가쿠(noh·kyogen.일본의 전통적인 연극의 하나)를 표현하고 있습니다.정면의 문부분에는, 벚꽃과 말을 끄는, 남자의 그림.또, 방의 네 귀퉁이에는, 일본의 성(castle)을 그린 릴리프(relief)가 보입니다.이것은, 옻나무 공예의 공예가의, 마츠다 권 6(matsuda gonroku)와 함께, 서북옻나무에 금박, 은박, 그리고 바위그림도구를 이용해 채색 할 예정이었다고 합니다.완성하고 있으면, 「현대 일본 님 식」을 대표하는 생각(장식)인 것이 틀림없습니다.







카시하라환(kashiharamaru)의 1등 독서실(쿠메 권 쿠로우(kume gonkuro) 설계)의 칼라 스킴(1940년제작).마루의 첫 시작 부분에는, 검은 천차모양의 대리석을, 기둥에는, zebra 우드(zebrawood)를 채용할 예정이었다.마루의 융단이나, 정면안쪽의 출입구문에는, 벽면옻나무 패널과 합한, 알밤과 잎의 모양이 그려져 있다.쿠메 권 쿠로우(kume gonkuro)는, 사토 타케시조(sato takezo.일본의 화가·옻나무 공예의 공예가)와 공장에 샘플(sample)을 견학하러 가는 등 , 일년에 걸려, 다양하게 설계 준비를 실시했습니다.쿠메 권 쿠로우(kume gonkuro)에 있어서, 카시하라환(kashiharamaru) 이 완성되지 않고 , 항공 모함으로 개조되어 버린 일은, 매우 유감임 것이 틀림없습니다.






카시하라환(kashiharamaru)의 1등 (first class) 흡연실(smoking room)의, 마츠다 군페이(matsuda gunpei) 안(1940년제작).카시하라환(kashiharamaru)의 1등 (first class) 흡연실(smoking room)에는, 무라노 도고(murano togo) 안과 마츠다 군페이(matsuda gunpei) 안의, 두 개의 안이, 존재하고 있다.







사진상.카시하라환(kashiharamaru)의 1등 (first class) 흡연실(smoking room)(무라노 도고(murano togo) 설계)의 칼라 스킴(1940년제작).검은 천의 소파(sofa)에 적색의 좌 면이라고 말하는, 참신함을 볼 수 있는 디자인(design).오사카 상선(Osaka Shosen)의 여객선의 인테리어(내장) 설계를 많이 다룬 무라노 도고(murano togo)는, 카시하라환(kashiharamaru)으로, 처음으로, 일본우선(Nippon Yusen) 주식회사의 호화 여객선의 설계를 다루었다.







사진상.카시하라환(kashiharamaru)의 일등(first class) 풀(swimming pool)(마에카와국남(maekawa kunio.일본의 건축가.1905 년생.1986년에 죽는다) 건축무소 설계.단게 겐조(tange kenzo.일본의 건축가.1913 년생.2005년에 죽는다) 담당)의 칼라 스킴(1940년제작).
사진하.카시하라환(kashiharamaru)의 일등(first class) 풀(swimming pool)(마에카와국남(maekawa kunio) 건축무소 설계.단게 겐조(tange kenzo) 담당)의 초기안(1940년제작).








사진 좌상.도미니온·모나크(Dominion Monarch.1939년 완성.영국의 호화 여객선.27,155톤 (GT).남아프리카 연방(현재의 남아프리카공화국)을 경유해, 영국과 오스트레일리아를 연결하는 항로의 호화 여객선으로서 건조되었다.영국과 오스트레일리아를 연결하는 항로의 여객선으로, 사상, 최대 한편, 가장 호화로운 여객선이었다)의 드로잉 룸(drawing room)의 장식(1939년제작.사토 타케시조(sato takezo.일본의 화가·옻나무 공예의 공예가) 작).
사진 우상.선명, 선실 불명(사토 타케시조(sato takezo) 작.1940년경으로 추측된다).우하에, 쿠메(kume) 건축 사무소의 표가 날인 되고 있다.깊은 신뢰 관계아래, 공동으로 설계하고 있던 일이, 방문한다.
사진하.카시하라환(kashiharamaru) 1등 (first class) 독서실의 옻나무 패널 습작(1940년경 제작.사토 타케시조(sato takezo) 작).사토 타케시조(sato takezo)가, 쿠메 권 쿠로우(kume gonkuro)와 함께 설계한 일실.









미스·일본(Miss Nippon.1964년 완성 예정)의, 1등 (first class) 사교실(설계자 미상).실현되는 무사히, 환상이 된, 1950년대말부터 1960년대 초의, 일본의 호화 여객선 건조 계획.다다미를 전면에 깐 것 같은 마루의 면, 꾸러미 북과 같은 의자등 , 그 인테리어(내장)는, 호화 여객선 시대의, 「현대 일본 님 식」을 계승하고 있는 것이 안다.만일, 미스·일본(Miss Nippon)가, 완성하고 있으면, 아마, 당시 , 일본에서, 전후의 부흥의 완성을 상징하는 것으로서 거의, 신간선(1964년 운행 개시.당시 , 세계 최고의 영업 속도의 철도)에 필적하는 화제가 되고 있던 일이지요.







현대 일본 님 식(건축·인테리어사) 후편(바로 아래에서 링크를 붙인 투고)에 계속 된다...


현대 일본 님 식(건축·인테리어사) 후편→

https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_14/view/id/3873344?&sfl=membername&stx=nnemon2





일본의 호화 여객선의, 현대 일본 님 식에 대해서, 보다 자세한 것은, 이하의 투고를 참조해 주세요.


현대 일본 전통 님 식(전쟁 전 일본의 여객선의 내장) 외 1→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3758717/page/21?&sfl=membername&stx=nnemon2
현대 일본 전통 님 식(전쟁 전 일본의 여객선의 내장) 외 2→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3758716/page/21?&sfl=membername&stx=nnemon2
현대 일본 전통 님 식(전쟁 전 일본의 여객선의 내장) 외 3→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3758715/page/21?&sfl=membername&stx=nnemon2
현대 일본 전통 님 식(전쟁 전 일본의 여객선의 내장) 외 4→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3758713/page/21?&sfl=membername&stx=nnemon2


이하, 관련 투고·참고의 투고.


요코하마 산책 히카와환외 전편→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/3873347?&sfl=membername&stx=nnemon2
요코하마 산책 히카와환외 후편→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/3873346?&sfl=membername&stx=nnemon2



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