伝統文化



この投稿は、前に作成済みでしたが、投稿する機会を失っていた物です。



年末年始の休日は、基本的に、彼女と我が家で、まったりと過ごしていました。


年末・年始の食事に関しては、その前に、我が家の去年のクリスマスの食事に関する投稿(クリスマス時期に彼女と訪れた、美術館の展覧会(exhibition)に関する投稿を含む)をしようと思っている事から、だいぶ遅くなるかもしれませんが(当初、「まあ、1月中に出来れば、いいかなと言った感じ」と書いていましたが、去年のクリスマスの食事に関する投稿を含めて、2月になると思います)、後日投稿する予定です。ちなみに、1月1日の夕食は、我が家の近所の実家の私の両親を我が家に招いて、我が家で、私と彼女、私の両親の4人で食べました。

以下、参考に、一昨年のクリスマスの食事に関する投稿。

ブッシュドノエル(フランスの伝統的なケーキ)他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_14/view/id/3619795/page/18?&sfl=membername&stx=nnemon2

以下、参考に、(一昨年の)年末・(去年の)年始の食事に関する投稿。

日本の正月の伝統料理(お節料理)2023年他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_14/view/id/3625933/page/16?&sfl=membername&stx=nnemon2


1月3日は、前日、我が家に泊まった彼女と、夜更かしをし、朝寝坊をし、軽く、野菜サラダ(salad)と果物だけ食べて、彼女と、車で、我が家を出て、私の街の周辺のマート等で、食料品等の買い物(彼女に、(彼女が選んだ)我が家の隣の区の彼女の一人暮らしのマンション用等の食料品等を買ってあげる事を含む)をし(今年、初買い物でした)、私の街の周辺の飲食店で、彼女と、遅い朝食兼昼食を食べた後、そのまま、車で、彼女を、我が家の隣の区の彼女の一人暮らしのマンションに送りました。


参考に、以下、「」内。私の前の投稿文より。。。

「ちなみに、私は、実家は、我が家(東京都心部の西部の静かで落ち着いた住宅地にあります)の近所にある、一戸建て住宅(私の実家は、元々、私の母方の祖父母の家で(私の母の実家で)、母方の祖父母共既に亡くなり、現在は、両親が引き継いで暮らしています。ちなみに、母は、一人っ子です)、彼女の実家は、横浜市(彼女の実家は、普通に、毎日、通勤電車で、東京都心に通勤している人々が暮らす、横浜市の、静かで、落ち着いた住宅地にある、一戸建て住宅)なので、私も彼女も、帰省するという感覚がありません。私は、実家に訪れるのは、近所のマート(スーパー)に歩いて買い物に行くのと同じ感覚(距離感)、彼女も、実家は、前述の通り、普通に、毎日、通勤電車で、東京都心に通勤している人々が暮らす、横浜市の住宅地にあるので、行くなら、日帰りで、チャチャっと行って来れます。」

ちなみに、1月1日には、我が家から、彼女と、彼女のiPadで、FaceTime通話で、彼女の実家の、彼女の両親と、年始の挨拶を交わすと共に、少し話しました。


彼女は、1月3日の夕食は、彼女のマンションから、電車で、彼女の実家に訪れ、彼女の家族と食べました。

私は、1月3日の夕食は、我が家の近所の、私の実家で、私の両親、私、私の弟の家族(弟・弟の妻。弟夫妻の2人の子供)を中心とした、親戚同士の、宴会でした(宴会、楽しかったです)。


個人的に、1月4日(今月(1月)の第一木曜日)が、仕事始めでした。


1月の第一土曜日(1月6日。以下、この日と書きます)は、個人的に仕事で、自宅(我が家)に持ち込んだ仕事と、職場(事務所)に顔を出しての仕事の併用と言った感じでした。

ちなみに、我が家(東京都心部の西部の静かで落ち着いた住宅地に位置します)の最寄りの、通勤電車・地下鉄駅と、(東京都心部の)私の職場(事務所)の最寄り駅は、地下鉄で4駅(運賃は、初乗り運賃(178円))、我が家の玄関から職場(事務所)の玄関まで(通勤時間は)、30分位です。

以下、参考の投稿。

100年の歴史を有する銀杏並木他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_14/view/id/3755457/page/5?&sfl=membername&stx=nnemon2


1月の第一土曜日の夕食は、彼女と我が家で食べ、彼女は、我が家に泊まりました。

彼女と我が家で食べた、1月の第一土曜日の夕食に関しては、以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)を参照して下さい。

タルト(松山の伝統菓子)他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_14/view/id/3766950?&sfl=membername&stx=nnemon2


前述の通り、1月の第一土曜日は、彼女は、我が家に泊まり、2人共、夜更かしをし、翌日(1月の第一日曜日。以下、1月の第一日曜日と書きます)は、朝寝坊をし、軽く、野菜サラダ(salad)と果物だけ食べて、我が家を出て、1月の第一日曜日の昼食(私達(私と彼女)にとっては、実質的に、遅い朝食兼昼食と言った感じ)は、私の街の飲食店で、私と彼女、私と彼女、共通の親しい友人夫妻4人での、のんびりと、2時間程かけて、お酒と会話を楽しみながらの、新年会と言った感じの食事会でした。

ちなみに、1月の第一日曜日の昼食(私達(私と彼女)にとっては、実質的に、遅い朝食兼昼食と言った感じ)の食事会の時もそうでしたが、私と彼女が参加する食事会の飲食代は、彼女の分も、私が出しています。


1月の第一日曜日の夕食は、彼女と我が家で食べ、彼女は、我が家に泊まりました。

彼女と我が家で食べた、1月の第一日曜日の夕食に関しては、上でもリンクを付けましたが、以下の投稿を参照して下さい。

タルト(松山の伝統菓子)他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_14/view/id/3766950?&sfl=membername&stx=nnemon2

彼女と我が家で食べた、1月の第一日曜日の夕食の、メイン(main)の、おかずは、私と彼女、共同で手作りした、鰤大根(鰤と大根の煮物料理)にしました(すぐ上でリンクを付けた投稿を参照)。また、1月の第一日曜日の夕食では、私と彼女、共同で手作りした、舞茸(茸)の、炊き込み、ご飯(rice)も食べました(すぐ上でリンクを付けた投稿を参照)。


前述の通り、1月の第一日曜日は、彼女は、我が家に泊まり、2人共夜更かしをし、翌日(1月の第二月曜日。以下、この日と書きます。この日は、日本は、祝日(国民の休日でした)は、朝寝坊をし、遅い朝食兼昼食を食べた後、彼女と、遅れ馳せながら、近場の、明治神宮(meijijingu)に、初詣 (hatsumoude)に出掛けて来ました。


我が家の、普段の、朝食(又は(休みの日の)遅い朝食兼昼食)は、パン、シリアル(cereal)、野菜サラダ(salad)、3種類程の果物、牛乳、ジュース(juice)、ヨーグルト(yoghurt)と言った内容となっていますが、この日の、遅い朝食兼昼食は、和食(日本料理)の遅い朝食兼昼食にしました。

この日の、遅い朝食兼昼食の、メイン(main)の、おかずは、国産(日本産)の、秋刀魚の干物(開き)を、焼いて、1枚ずつ食べました。この日の、遅い朝食兼昼食では、前日の夕食の、舞茸(茸)の、炊き込み、ご飯(rice)の余りも食べました。


前述の通り、この日は、遅い朝食兼昼食を食べた後、彼女と、遅れ馳せながら、近場の、明治神宮(meijijingu)に、初詣 (hatsumoude)に出掛けて来ました。ちなみに、私も彼女も、初詣 (hatsumoude)は、1月中にすればいいと言った感じの、のんびり派ですw

初詣 (hatsumoude)とは、新年に、神社(shrine)や寺に、お参りして、その年の願い事などをする、日本の風習です。

ちなみに、私も彼女も、慣習として、初詣(hatsumoude)をしたりしますが、無宗教者(信仰する宗教も持たない者)です。

アメリカや西ヨーロッパの国々では、どの街でも、少なくとも一つの、キリスト教の教会があると思いますが、それと同様に、日本では、どの街にも、一般的には、少なくとも、1つの、神道(Shinto)の神社(shrine)又は、仏教の寺、もしくは両方が存在します。こうした、神道(Shinto)の神社(shrine)と仏教の寺(特に、神道(Shinto)の神社(shrine))は、宗教と言うよりも、生活文化として、街の人々の生活の中に自然と溶け込んでいます。もちろん、私の街にも、神道(Shinto)の神社(shrine)があります。

神道(Shinto)は、多神教の宗教であり、八百万の神がいると言われています(八百万は、実際に、神道(Shinto)に、八百万の神がいると言う意味ではなく、非常に数が多い事の、例え。。。)。神道(Shinto)は、少し極端に言えば、キリスト(Jesus Christ)や釈迦(Buddha)でさえも、神道(Shinto)の神の一つとして受け入れる程の包容力を有する宗教です(キリスト教の人達からすれば、信じられない事かもしれませんが。。。)。

例えば、日本全国にある、天満宮(tenmangu)(天神(tenjin)とも言われる)は、実在した人物である、菅原 道真(sugawara no michizane)(下の補足説明を参照)を、学問の神様として祀っている、神道(Shinto)の神社(shrine)です。

菅原 道真(sugawara no michizane):菅原 道真(sugawara no michizane)(845年生まれ。903年に亡くなる)は、日本の、貴族、学者、詩人、政治家です。菅原 道真(sugawara no michizane)は、輝かしい伝統を持つ学者の家系に生まれ、幼少期の頃から、文才に優れ、学者として、(昔から現代に至るまで)有名です。以上、菅原 道真(sugawara no michizane)の説明は、このsiteを参考にしました→
https://kotobank.jp/word/菅原道真-83478

また、例えば、東照宮(toshogu)は、徳川 家康(tokugawa ieyasu)(下の補足説明参照)を祀る、神道(Shinto)の、神社(shrine)です。

徳川家康(tokugawa ieyasu):1543年生まれ。1616年に亡くなる。地方の、小さな豪族の家に生まれるが、後に、非常に有力な地方領主となる。17世紀初めに、日本全国の地方領主達の長(leader)となり、以後、19世紀半ばまで、江戸(edo)(現在の東京)を拠点に、日本全国の地方領主達の長(leader)として、日本を実質的に統治する事となる、徳川(tokugawa)家(徳川(tokugawa)将軍(shogun)家)の、基礎を作った。

以下2つ。東照宮(toshogu)に関する参考の投稿。

日光東照宮と温泉旅館2→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_14/view/id/3724101/page/12?&sfl=membername&stx=nnemon2
日光東照宮と温泉旅館3→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_14/view/id/3724100/page/12?&sfl=membername&stx=nnemon2


明治神宮(meijijingu)は、東京都心部の西部に位置する、広大な敷地を持つ神社(shrine)で、東京都心で、最大の神社(shrine)です。

明治神宮(meijijingu)は、明治(meiji)天皇(1852年生まれ。1912年に亡くなる。日本の第122代の天皇)及び、その妻、昭憲(syouken)皇太后(1849年生まれ。1914年に亡くなる)を祀る為に、1920年に創建された、神道(Shinto)の神社(shrine)です。

明治(meiji)天皇は、生前から、生まれ故郷である(天皇家は、元々、京都(kyoto)に暮らしていたが、1868年に、東京に移り住んだ)、京都(kyoto)に埋葬される事を希望されており、明治(meiji)天皇の墓は、京都(kyoto)(下の補足説明を参照)に造られました。その代わりに、東京に、明治(meiji)天皇と明治(meiji)時代(1868年から1912年)と言う時代を記念する施設をと言う事で、1920年に創建された神社(shrine)が、明治神宮(meijijingu)です。
京都(kyoto):日本の西部に位置する大都市。794年から19世紀半ばまで、長らく日本の首都であった都市であり、日本の、伝統文化の中心都市。

明治神宮(meijijingu)は、原宿(harajyuku)・表参道(omotesando)area(東京の主要な繁華街の一つ)に隣接しています。

ちなみに、原宿(harajyuku)・表参道(omotesando)areaは、東京の大規模繁華街の中で、我が家に、最も近い繁華街の一つで、我が家の最寄り駅から、地下鉄で5分程(運賃178円)の場所にあります。

この日は、地下鉄で、明治神宮(meijijingu)に出掛けました。


写真以下43枚。写真の一部は、逆光の(写真を撮る方向から太陽の光が来た)関係で、白んでしまって(白っぽくなってしまって)いますが、明治神宮(meijijingu)の風景例。東京は、都心でも、木が大きく、育ちます。明治神宮(meijijingu)は、広大な敷地に、背の高い木々が生い茂り、都心にある森と言う感じです。

明治神宮(meijijingu)は、東京圏で、とても人気が高い、初詣 (hatsumoude)場所の一つですが(特に1月1日から1月3日の間は、初詣 (hatsumoude)に来た人々で、非常に混雑する)、この日は、既に、あまり混んでおらず、少し並んだ(少し待った)だけで、初詣 (hatsumoude)出来ました。






































写真以下9枚。日本各地の、日本酒の会社から、明治神宮(meijijingu)に、奉納された(捧げられた)、日本酒。





































フランスの、ブルゴーニュ地方(Burgundy)の、各ワイナリー(winery)(各ワイン(wine)会社)から、明治神宮(meijijingu)に、奉納された(捧げられた)、ワイン(wine)。

































































































この日の夕食は、彼女と我が家で食べました。

彼女と我が家で食べた、この日の夕食のメイン(main)料理は、私と彼女、共同で手作りした、鶏の手羽元と栗の煮込みにしました。

ちなみに、この日の夕食時は、私は、飲み物は、お酒は、白ワイン(wine)を飲みました。

参考に、以下、「」内。私の前の投稿文より。。。

「私は、両親とも、酒に強くて酒飲みでw、遺伝により、酒は強いです(私は、酒が強く、酒をいくら飲んでも、顔色が、全く、変わらないタイプです)。酒は、基本、どんなに飲んでも酒に飲まれる事はありませんw  それは、ウイスキーをストレートでボトル1本を超えて、比較的短時間で飲めば、時間差で後から腰は抜けますが(学生の頃の話w)、どんなに飲んでも、性格は、普段よりも陽気で上機嫌になる位で、大きくは変わりません。

日本酒、ワイン、ウイスキー、ビール、焼酎なんでも行けますが、私は、お酒の飲み方は、本来的には、ウイスキーの様な、濃いお酒を、ロックで、チビリチビリと飲むのが好きです。

ちなみに、彼女は、お酒が弱いです。」



この日の夕食の、鶏の手羽元と栗の煮込みの食材の鶏肉の手羽元で、国産(日本産)の、高品質な鶏肉の手羽元。





これ全部使った訳ではありませんが(中の小袋4袋使った)、この日の夕食の、鶏の手羽元と栗の煮込みで使った、成城石井(seijoishii)(東京圏に拠点を置くマートのchain)の、中国産の、有機(organic)、むき甘栗(皮がむいてあり、そのまま、食べられる、甘栗(栗))。小さい袋、12袋入りの、かなり大きな袋で、縦横の長さは、小さめのバックパック(daypack)位の大きさがあります。



この日の夕食の、メイン(main)料理の、鶏の手羽元と栗の煮込みは、三國 清三(mikuni kiyomi)さん(日本の、有名な、フランス料理のchef)の、以下の動画(すぐ下でリンクを付けた動画)のレシピ(調理法)を参考にして作りました。

『鶏手羽と栗の煮込み』きのこ、栗もたっぷり入れて!→
https://youtu.be/zaepd1mcLxs?si=e35qB1MFF6UphmYY


以下、この日の夕食の、鶏の手羽元と栗の煮込みの、レシピ(調理法)です。

(手羽元を食べる際に食べ易いように)鶏の手羽元の骨に沿って切れ込みを入れる。

鶏の手羽元に、軽く、塩・胡椒(白胡椒)する。

多めの、オリーブオイル(olive oil)で、鶏の手羽元の表面を、皮面から焼く(皮をカリッと焼く)。

鶏の手羽元を、一度取り出し、バター(butter)を入れ、玉葱を炒める。茸(舞茸・椎茸・マッシュルーム(common mushroom)。何れも、国産(日本産)の物を使いました)を加えて、さらに炒める。

鶏の手羽元を戻して、軽く炒めた後、ブランデー(brandy)を入れ(ブランデー(brandy)は、100mlと、たっぷり使いました)、アルコール(alcohol)を飛ばす。水と栗を加えて、一度、沸騰させた後、蓋をして、弱火で煮込み、味見をしながら、塩・胡椒(白胡椒)で、味を調えて完成。


写真以下2枚。作りながら、彼女と、味見で、少し食べてしまった後の物ですが、この日の夕食の、メイン(main)料理で、鶏の手羽元と栗の煮込み。私と彼女、共同の手作り。彼女と、ワイワイ、2人、共同作業で料理を作るのも、楽しいものです。とても、美味しく出来ました(とても美味しかったです)。彼女も、とても、美味しいと言って食べていました。










以下、参考に、三國 清三(mikuni kiyomi)さんのレシピ(調理法)を参考にして、私と彼女、共同で手作りした、鶏の手羽元の、赤ワイン(wine)煮込みを含む投稿。

縄文(Jomon)土器と岡本 太郎 顕神の夢 幻視の表現者展他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_14/view/id/3691086/page/13?&sfl=membername&stx=nnemon2


この日の夕食時は、この前日の夕食と、この日の遅い朝食兼昼食で食べた、私と彼女、共同で手作りした、舞茸(茸)の、炊き込み、ご飯(rice)の余りも食べた為、私も彼女も、パンは、少量食べました(パンは、バゲット(baguette)を食べました)。


参考に、以下、「」内。私の前の投稿文より。。。ちなみに、この日の夕食でも、野菜サラダ(salad)(手作り)を食べました。

「我が家の、普段の、朝食又は(休みの日の)遅い朝食兼昼食は、パン、シリアル(cereal)、野菜サラダ(salad)、3種類程の果物、牛乳、ジュース(juice)、ヨーグルト(yogurt)と言った内容であり、又、我が家で、夕食を食べる時は、野菜サラダ(salad)を食べる事が、多い事から、我が家の、ドレッシング(dressing)の、需要は、大きいです。

我が家には、常時、概ね、3、4種類の(少なくとも3種類の)、ドレッシング(dressing)を買って使えるように用意しています(特に、どのドレッシング(dressing)とか決まっている訳ではありません)。」


写真以下6枚。この日の夕食の、デザート(dessert)で、この日、明治神宮(meijijingu)で、初詣 (hatsumoude)をしたついでに、コロンバン(Colombin)(下の補足説明を参照)の、原宿(harajyuku)の本店で買って来た、日本式の苺のショートケーキ(shortcake)。彼女と選んだ物。The ショートケーキ(shortcake)(王道の、日本式の苺のショートケーキ(shortcake))と言った感じで、美味しいです。

コロンバン(Colombin):天皇及び皇族(天皇の一族)に、西洋菓子を作る事を職業をしていた西洋菓子職人であった創業者が、1924年に創業した、日本の西洋菓子店・会社。かつては、銀座(ginza)(東京を代表する繁華街。東京都心部でも中心的な地域に位置する)に本店を有していたが、後に、原宿(harajyuku)に本店を移す。第二次世界大戦前から現在に至るまで、天皇及び皇族(天皇の一族)に、西洋菓子を納入している会社。

スポンジケーキ(sponge cake)と生クリーム(whipped cream)の組み合わせが、日本式のショートケーキ(shortcake)の特徴となっています。

コロンバン(Colombin)は、不二家(fujiya)(1910年に創業した、日本の西洋菓子店・会社)と共に、日本式の苺のショートケーキ(shortcake)の発祥(先駆者)とされる、西洋菓子店・会社で、1924年の創業時から、苺のショートケーキ(shortcake)を販売していました。不二家(fujiya)は、1922年に、日本式のショートケーキ(shortcake)の販売を開始しましたが、当初は、果物は、苺に限らず、様々な果物を使っていた様です。

以下、参考の投稿。

日本のクリスマスケーキの歴史他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_14/view/id/3623592/page/18?&sfl=membername&stx=nnemon2
























この日も、彼女は、我が家に泊まりました。




おまけ。我が家の新聞の折り込みチラシ広告(定期購読している新聞に挟まれて来る広告)より、東京midtownの2024年1月の広告。東京midtown(東京都心部の中でも中心的な地域の西南部に位置する)は、東京都心部の主要な住商複合地区の一つです。ちなみに東京midtownは、我が家の最寄り駅から地下鉄で10分弱(8分)位です(運賃178円)。

以下、参考の投稿。

Suntory美術館 19世紀中期から後期の画家作品展他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_14/view/id/3752817/page/6?&sfl=membername&stx=nnemon2
テート美術館(イギリスの125年以上の歴史を有する美術館)他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_14/view/id/3740916/page/9?&sfl=membername&stx=nnemon2

 


메이지 신궁(첫 참배 2024) 외



이 투고는, 전에 작성이 끝난 상태였지만, 투고할 기회를 잃고 있던 것입니다.



연말 연시의 휴일은, 기본적으로, 그녀와 우리 집에서, 기다리거나와 보내고 있었습니다.


연말·연시의 식사에 관해서는, 그 전에, 우리 집의 작년의 크리스마스의 식사에 관한 투고(크리스마스 시기에 그녀와 방문한, 미술관의 전람회(exhibition)에 관한 투고를 포함한다)를 하려고 생각하는 일로부터, 많이 늦어질지도 모릅니다만(당초, 「뭐, 1월중에 할 수 있으면, 좋을까라고 한 느낌」이라고 쓰고 있었습니다만, 작년의 크리스마스의 식사에 관한 투고를 포함하고, 2월이 된다고 생각합니다), 후일 투고할 예정입니다.덧붙여서, 1월 1일의 저녁 식사는, 우리 집의 부근의 친가의 나의 부모님을 우리 집에 부르고, 우리 집에서, 나와 그녀, 나의 부모님의 4명이서 먹었습니다.

이하, 참고에, 재작년의 크리스마스의 식사에 관한 투고.

붓슈드노엘(프랑스의 전통적인 케이크) 외→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_14/view/id/3619795/page/18?&sfl=membername&stx=nnemon2

이하, 참고에, (재작년의) 연말·(작년의) 연시의 식사에 관한 투고.

일본의 정월의 전통 요리(정월요리) 2023년외→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_14/view/id/3625933/page/16?&sfl=membername&stx=nnemon2


1월 3일은, 전날, 우리 집에 묵은 그녀와 밤샘을 해, 늦잠을 자, 가볍고, 야채 사라다(salad)와 과일만 먹고, 그녀와 차로, 우리 집을 나오고, 나의 거리의 주변의 마트등에서, 식료품등의 쇼핑(그녀에게, (그녀가 선택한) 우리 집의 근처의 구의 그녀의 혼자 생활의 맨션용등의 식료품등을 사 주는 일을 포함한다)를 해(금년, 신년 처음 물건 사기물이었습니다), 나의 거리의 주변의 음식점에서, 그녀와 늦은 아침 식사겸점심 식사를 먹은 후, 그대로, 차로, 그녀를, 우리 집의 근처의 구의 그녀의 혼자 생활의 맨션에 보냈습니다.


참고에, 이하, 「」 안.나의 앞의 투고문보다...

「덧붙여서, 나는, 친가는, 우리 집(도쿄도심부의 서부의 조용하고 침착한 주택지에 있습니다)의 부근에 있는, 독립주택( 나의 친가는, 원래, 나의 외가의 조부모의 집에서( 나의 어머니의 친가에서), 외가의 조부모모두 이미 죽어, 현재는, 부모님이 계승하며 살고 있습니다.덧붙여서, 어머니는, 독자입니다), 그녀의 친가는, 요코하마시(그녀의 친가는, 보통으로, 매일, 통근 전철로, 도쿄도심에 통근하고 있는 사람들이 사는, 요코하마시의, 정이나 그리고, 침착한 주택지에 있는, 독립주택)이므로, 나나 그녀도, 귀성한다고 하는 감각이 없습니다.나는, 친가에 방문하는 것은, 근처의 마트(슈퍼)에 걷고 쇼핑하러 가는 것과 같은 감각(거리감), 그녀도, 친가는, 상술한 대로, 보통으로, 매일, 통근 전철로, 도쿄도심에 통근하고 있는 사람들이 사는, 요코하마시의 주택지에 있으므로, 간다면, 당일치기로, 차 차와 가고 올 수 있습니다.」

덧붙여서, 1월 1일에는, 우리 집으로부터, 그녀와 그녀의 iPad로, FaceTime 통화로, 그녀의 친가의, 그녀의 부모님과 연시의 인사를 주고 받음과 동시에, 조금 이야기했습니다.


그녀는, 1월 3일의 저녁 식사는, 그녀의 맨션으로부터, 전철로, 그녀의 친가에 방문해 그녀의 가족과 먹었습니다.

나는, 1월 3일의 저녁 식사는, 우리 집의 부근의, 나의 친가에서, 나의 부모님, 나, 나의 남동생의 가족(제·제의 아내.남동생 부부의 2명의 아이)를 중심으로 한, 친척끼리의, 연회였습니다(연회, 즐거웠습니다).


개인적으로, 1월 4일(이번 달(1월)의 제일 목요일)이, 일 개시의 행사였습니다.


1월의 제일 토요일(1월 6일.이하, 이 날이라고 씁니다)는, 개인적으로 일로, 자택(우리 집)에 반입한 일과 직장(일무소)에 얼굴을 내민 일의 병용이라고 한 느낌이었습니다.

덧붙여서, 우리 집(도쿄도심부의 서부의 조용하고 침착한 주택지에 위치합니다)의 근처의, 통근 전철·지하철역과(도쿄도심부의) 나의 직장(사무소)의 근처역은, 지하철로 4역(운임은, 최초구간 운임(178엔)), 우리 집의 현관에서 직장(사무소)의 현관까지(통근 시간은), 30분 정도입니다.

이하, 참고의 투고.

100년의 역사를 가지는 은행 가로수외→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_14/view/id/3755457/page/5?&sfl=membername&stx=nnemon2


1월의 제일 토요일의 저녁 식사는, 그녀와 우리 집에서 먹어 그녀는, 우리 집에 묵었습니다.

그녀와 우리 집에서 먹은, 1월의 제일 토요일의 저녁 식사에 관해서는, 이하의 투고(바로 아래에서 링크를 붙인 투고)를 참조해 주세요.

과일 파이(마츠야마의 전통 과자) 외→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_14/view/id/3766950?&sfl=membername&stx=nnemon2


상술한 대로, 1월의 제일 토요일은, 그녀는, 우리 집에 묵어, 2명 모두, 밤샘을 해, 다음날(1월의 제일 일요일.이하, 1월의 제일 일요일이라고 씁니다)는, 늦잠을 자, 가볍고, 야채 사라다(salad)와 과일만 먹고, 우리 집을 나오고, 1월의 제일 일요일의 점심 식사(저희들( 나와 그녀)에게 있어서는, 실질적으로, 늦은 아침 식사겸점심 식사라고 한 느낌)은, 나의 거리의 음식점에서, 나와 그녀, 나와 그녀, 공통이 친한 친구 부부 4명으로의, 한가롭게, 2시간정도 걸치고, 술과 회화를 즐기면서의, 신년회라고 한 느낌의 식사회였습니다.

덧붙여서, 1월의 제일 일요일의 점심 식사(저희들( 나와 그녀)에게 있어서는, 실질적으로, 늦은 아침 식사겸점심 식사라고 한 느낌)의 식사회때도 그랬습니다만, 나와 그녀가 참가하는 식사회의 음식비는, 그녀의 몫도, 내가 내고 있습니다.


1월의 제일 일요일의 저녁 식사는, 그녀와 우리 집에서 먹어 그녀는, 우리 집에 묵었습니다.

그녀와 우리 집에서 먹은, 1월의 제일 일요일의 저녁 식사에 관해서는, 위에서도 링크를 붙였습니다만, 이하의 투고를 참조해 주세요.

과일 파이(마츠야마의 전통 과자) 외→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_14/view/id/3766950?&sfl=membername&stx=nnemon2

그녀와 우리 집에서 먹은, 1월의 제일 일요일의 저녁 식사의, 메인(main)의, 반찬은, 나와 그녀, 공동으로 직접 만든, 사무(사와 무의 조림 요리)로 했습니다(바로 위에서 링크를 붙인 투고를 참조).또, 1월의 제일 일요일의 저녁 식사에서는, 나와 그녀, 공동으로 직접 만든, 버섯(버섯)의, 밥을 지어, 밥(rice)도 먹었습니다(바로 위에서 링크를 붙인 투고를 참조).


상술한 대로, 1월의 제일 일요일은, 그녀는, 우리 집에 묵어, 2명 모두 밤샘을 해, 다음날(1월의 제2 월요일.이하, 이 날이라고 씁니다.이 날은, 일본은, 축일(국민의 휴일이었습니다)은, 늦잠을 자, 늦은 아침 식사겸점심 식사를 먹은 후, 그녀와 늦어 달리면서, 근처의, 메이지 신궁(meijijingu)에, 첫 참배 (hatsumoude)에 나가 왔습니다.


우리 집의, 평상시의, 아침 식사(또는(휴일이) 늦은 아침 식사겸점심 식사)은, 빵, 시리얼(cereal), 야채 사라다(salad), 3 종류정도의 과일, 우유, 쥬스(juice), 요구르트(yoghurt)라고 한 내용이 되고 있습니다만, 이 날의, 늦은 아침 식사겸점심 식사는, 일식(일본 요리)이 늦은 아침 식사겸점심 식사로 했습니다.

이 날의, 늦은 아침 식사겸점심 식사의, 메인(main)의, 반찬은, 국산(일본산)의, 꽁치의 건어물(열림)을, 굽고, 1매씩 먹었습니다.이 날의, 늦은 아침 식사겸점심 식사로는, 전날의 저녁 식사의, 버섯(버섯)의, 밥을 지어, 밥(rice)의 나머지도 먹었습니다.


상술한 대로, 이 날은, 늦은 아침 식사겸점심 식사를 먹은 후, 그녀와 늦어 달리면서, 근처의, 메이지 신궁(meijijingu)에, 첫 참배 (hatsumoude)에 나가 왔습니다.덧붙여서, 나나 그녀도, 첫 참배 (hatsumoude)(은)는, 1월중으로 하면 좋다고 한 느낌의, 한가로이 파입니다 w

첫 참배 (hatsumoude)(이)란, 신년에, 신사(shrine)나 절에, 참배 하고, 그 해의 소원등을 하는, 일본의 풍습입니다.

덧붙여서, 나나 그녀도, 관습으로서 첫 참배(hatsumoude)를 하거나 합니다만, 무종교자(신앙하는 종교도 가지지 않는 사람)입니다.

미국이나 서유럽의 나라들에서는, 어느 거리에서도, 적어도 하나의, 크리스트교의 교회가 있다라고 생각합니다만, 그것과 같게, 일본에서는, 어느 거리에도, 일반적으로는, 적어도, 1개의, 신도(Shinto)의 신사(shrine) 또는, 불교의 절, 혹은 양쪽 모두가 존재합니다.이러한, 신도(Shinto)의 신사(shrine)와 불교의 절(특히, 신도(Shinto)의 신사(shrine))는, 종교라고 말하는 것보다도, 생활 문화로서 거리의 사람들의 생활속에 자연과 융합 되어 있습니다.물론, 나의 거리에도, 신도(Shinto)의 신사(shrine)가 있어요.

신도(Shinto)는, 다신교의 종교이며, 수 많은 신이 있다고 말해지고 있습니다(수가 아주 많음은, 실제로, 신도(Shinto)에, 수 많은 신이 있다고 하는 의미가 아니고, 매우 수가 많은 일의, 비유...).신도(Shinto)는, 조금 극단적으로 말하면, 그리스도(Jesus Christ)나 석가(Buddha)조차도, 신도(Shinto)의 신의 하나로서 받아 들일 정도의 포용력을 가지는 종교입니다(크리스트교의 사람들로부터 하면, 믿을 수 없는 것일지도 모릅니다만...).

예를 들면, 일본 전국에 있는, 텐만궁(tenmangu)(천신(tenjin)이라고도 말한다)은, 실재한 인물인, 스가와라 도 진(sugawara no michizane)(아래의 보충 설명을 참조)를, 학문의 신으로서 모시고 있는, 신도(Shinto)의 신사(shrine)입니다.

스가와라 도 진(sugawara no michizane):스가와라도진(sugawara no michizane)(845 년생.903년에 죽는다)는, 일본의, 귀족, 학자, 시인, 정치가입니다.스가와라도진(sugawara no michizane)는, 훌륭한 전통을 가지는 학자의 가계로 태어나 유소기의 무렵부터, 문재가 뛰어나 학자로서(옛부터 현대에 이르기까지) 유명합니다.이상, 스가와라 도 진(sugawara no michizane)의 설명은, 이 site를 참고로 했습니다→
https://kotobank.jp/word/스가와라도진-83478

또, 예를 들면, 토쇼궁(toshogu)은, 도쿠가와 이에야스(tokugawa ieyasu)(아래의 보충 설명 참조)를 모시는, 신도(Shinto)의, 신사(shrine)입니다.

도쿠가와 이에야스(tokugawa ieyasu):1543 년생.1616년에 죽는다.지방의, 작은 호족의 집에서 태어나지만, 후에, 매우 유력한 지방 영주가 된다.17 세기 처음에, 일본 전국의 지방 영주들 장(leader)이 되어, 이후, 19 세기 중반까지, 에도(edo)(현재의 도쿄)를 거점으로, 일본 전국의 지방 영주들 장(leader)으로서 일본을 실질적으로 통치하는 일이 되는, 토쿠가와(tokugawa) 가(토쿠가와(tokugawa) 장군(shogun) 가)의, 기초를 만들었다.

이하 2.토쇼궁(toshogu)에 관한 참고의 투고.

닛코 토쇼궁과 온천 여관 2→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_14/view/id/3724101/page/12?&sfl=membername&stx=nnemon2
닛코 토쇼궁과 온천 여관 3→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_14/view/id/3724100/page/12?&sfl=membername&stx=nnemon2


메이지 신궁(meijijingu)은, 도쿄도심부의 서부에 위치하는, 광대한 부지를 가지는 신사(shrine)에서, 도쿄도심으로, 최대의 신사(shrine)입니다.

메이지 신궁(meijijingu)은, 아키하루(meiji) 천황(1852 년생.1912년에 죽는다.일본의 제122대의 천황) 및, 그 아내, 아키노리(syouken) 황태후(1849 년생.1914년에 죽는다)를 모시기 위해, 1920년에 창건 된, 신도(Shinto)의 신사(shrine)입니다.

아키하루(meiji) 천황은, 생전부터, 태어난 고향인(천황가는, 원래, 쿄토(kyoto)에 살고 있었지만, 1868년에, 도쿄로 옮겨 산), 쿄토(kyoto)에 매장되는 일이 희망되고 있어 아키하루(meiji) 천황의 무덤은, 쿄토(kyoto)(아래의 보충 설명을 참조)에 만들어졌습니다.그 대신에, 도쿄에, 아키하루(meiji) 천황과 메이지(meiji) 시대(1868년부터 1912년)라고 말하는 시대를 기념하는 시설을 이라고 하는 일로, 1920년에 창건 된 신사(shrine)가, 메이지 신궁(meijijingu)입니다.
쿄토(kyoto):일본의 서부에 위치하는 대도시.794년부터 19 세기반까지, 오랫동안 일본의 수도에서 만난 도시이며, 일본의, 전통 문화의 중심 도시.

메이지 신궁(meijijingu)은, 하라쥬쿠(harajyuku)·오모테산도(omotesando) area(도쿄의 주요한 번화가의 하나)에 인접하고 있습니다.

덧붙여서, 하라쥬쿠(harajyuku)·오모테산도(omotesando) area는, 도쿄의 대규모 번화가안에서, 우리 집에, 가장 가까운 번화가의 하나로, 우리 집의 근처역으로부터, 지하철로 5분 정도(운임 178엔)의 장소에 있습니다.

이 날은, 지하철로, 메이지 신궁(meijijingu)에 나갔습니다.


사진 이하 43매.사진의 일부는, 역광의(사진을 찍을 방향에서 태양의 빛이 온) 관계로, 흰색 그리고 끝내고(희어져 버리고) 있습니다만, 메이지 신궁(meijijingu)의 풍경예.도쿄는, 도심에서도, 나무가 크고, 자랍니다.메이지 신궁(meijijingu)은, 광대한 부지에, 키가 큰 나무들이 무성해, 도심에 있는 숲이라고 하는 느낌입니다.

메이지 신궁(meijijingu)은, 동경권으로, 매우 인기가 높은, 첫 참배 (hatsumoude) 장소의 하나입니다만(특히 1월 1일부터 1월 3일간은, 첫 참배 (hatsumoude)에 온 사람들로, 매우 혼잡한다), 이 날은, 이미, 너무 혼잡하지 않고, 조금 줄섰다(조금 기다렸다)만으로, 첫 참배 (hatsumoude) 할 수 있었습니다.






































사진 이하 9매.일본 각지의, 일본술의 회사로부터, 메이지 신궁(meijijingu)에, 봉납된(바칠 수 있던), 일본술.





































프랑스의, 브루고니 지방(Burgundy)의, 각 와이나리(winery)( 각 와인(wine) 회사)으로부터, 메이지 신궁(meijijingu)에, 봉납된(바칠 수 있던), 와인(wine).

































































































이 날의 저녁 식사는, 그녀와 우리 집에서 먹었습니다.

그녀와 우리 집에서 먹은, 이 날의 저녁 식사의 메인(main) 요리는, 나와 그녀, 공동으로 직접 만든, 닭의 닭의 가슴에서 날개까지의 고기원으로 률의 삶어로 했습니다.

덧붙여서, 이 날의 저녁 식사시는, 나는, 음료는, 술은, 흰색 와인(wine)을 마셨습니다.

참고에, 이하, 「」 안.나의 앞의 투고문보다...

「 나는, 부모님 모두, 술에 강해서 술꾼으로 w, 유전에 의해, 술은 강합니다( 나는, 술이 강하고, 술을 아무리 마셔도, 안색이, 완전히, 변하지 않는 타입입니다).술은, 기본, 아무리 마셔도 술에 먹히는 일은 없습니다 w 그것은, 위스키를 스트레이트로 보틀 1개를 넘고, 비교적 단시간에 마시면, 시간차이로 나중에 허리는 빠집니다만(학생의 무렵의 이야기 w), 아무리 마셔도, 성격은, 평상시보다 밝고 매우 기분이 좋아 지는 정도로, 크지는 바뀌지 않습니다.

일본술, 와인, 위스키, 맥주, 소주 뭐든지 갈 수 있습니다만, 나는, 술의 마시는 방법은, 본래적으로는, 위스키와 같은, 진한 술을, 락으로, 치비리치비리와 마시는 것을 좋아합니다.

덧붙여서, 그녀는, 술이 약합니다.」



이 날의 저녁 식사의, 닭의 닭의 가슴에서 날개까지의 고기원으로 률이 익혀 포함의 식재의 닭고기의 닭의 가슴에서 날개까지의 고기원으로, 국산(일본산)의, 고품질인 닭고기의 닭의 가슴에서 날개까지의 고기원.





이것 전부 사용한 것은 아닙니다만(안의 작은 주머니 4봉 사용한), 이 날의 저녁 식사의, 닭의 닭의 가슴에서 날개까지의 고기원으로 률이 익혀 포함으로 사용한, 세이죠 이시이(seijoishii)(동경권에 거점을 두는 마트의 chain)의, 중국산의, 유기(organic), 사람들 꿀밤(가죽이 벗겨 있어, 그대로, 먹을 수 있는, 꿀밤(률)).작은 봉투, 12봉들이의, 꽤 큰 봉투로, 종횡의 길이는, 작은 백 팩(daypack) 위의 크기가 있어요.



이 날의 저녁 식사의, 메인(main) 요리의, 닭의 닭의 가슴에서 날개까지의 고기원으로 률이 익혀 포함은, 삼국 세이조(mikuni kiyomi)씨(일본의, 유명한, 프랑스 요리의 chef)의, 이하의 동영상(바로 아래에서 링크를 붙인 동영상)의 레시피(조리법)를 참고로 해 만들었습니다.

「닭닭의 가슴에서 날개까지의 고기와 률의 삶어」버섯, 률도 충분히 들어갈 수 있어!→
https://youtu.be/zaepd1mcLxs?si=e35qB1MFF6UphmYY


이하, 이 날의 저녁 식사의, 닭의 닭의 가슴에서 날개까지의 고기원으로 률이 익혀 포함의, 레시피(조리법)입니다.

(닭의 가슴에서 날개까지의 고기원을 먹을 때에 먹어 쉽게) 닭의 닭의 가슴에서 날개까지의 고기원의 뼈에 따라서 베인 자국을 넣는다.

닭의 닭의 가슴에서 날개까지의 고기 바탕으로, 가볍고, 소금·후추(흰 후추) 한다.

좀 많은, 올리브 오일(olive oil)로, 닭의 닭의 가슴에서 날개까지의 고기원의 표면을, 피면으로부터 굽는다(가죽을 카릭과 굽는다).

닭의 닭의 가슴에서 날개까지의 고기원을, 한 번 꺼내, 버터(butter)를 넣고 양파를 볶는다.버섯(버섯·(*표고)버섯·머시룸(commonmushroom).어느 쪽도, 국산(일본산)의 물건을 사용했습니다)을 더하고, 한층 더 볶는다.

닭의 닭의 가슴에서 날개까지의 고기원을 되돌리고, 가볍게 볶은 후, 브랜디(brandy)를 넣어(브랜디(brandy)는, 100 ml로 충분히 사용했습니다), 알코올(alcohol)을 날린다.물과 률을 더하고, 한 번, 비등시킨 후, 뚜껑을 하고, 약한 불로 삶어, 맛보기를 하면서, 소금·후추(흰 후추)로, 맛을 준비해 완성.


사진 이하 2매.만들면서, 그녀와 맛보기로, 조금 먹어 버린 후의 물건입니다만, 이 날의 저녁 식사의, 메인(main) 요리로, 닭의 닭의 가슴에서 날개까지의 고기원으로 률의 삶어.나와 그녀, 공동의 손수 만들기.그녀와 와글와글, 2명, 공동 작업으로 요리를 만드는 것도, 즐거운 것입니다.매우, 맛있게 할 수 있었습니다(매우 맛있었습니다).그녀도, 매우, 맛있다고 해 먹고 있었습니다.










이하, 참고에, 삼국 세이조(mikuni kiyomi)씨의 레시피(조리법)를 참고로 하고, 나와 그녀, 공동으로 직접 만든, 닭의 닭의 가슴에서 날개까지의 고기원의, 붉은 와인(wine) 익혀 포함을 포함한 투고.

죠몽(Jomon) 토기와 오카모토 다로현신의 몽환시의 표현자전외→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_14/view/id/3691086/page/13?&sfl=membername&stx=nnemon2


이 날의 저녁 식사시는, 일전에일의 저녁 식사와 이 날이 늦은 아침 식사겸점심 식사에 먹은, 나와 그녀, 공동으로 직접 만든, 버섯(버섯)의, 밥을 지어, 밥(rice)의 나머지도 먹은 때문, 나나 그녀도, 빵은, 소량 먹었던(빵은, 빵(baguette)을 먹었습니다).


참고에, 이하, 「」 안.나의 앞의 투고문보다...덧붙여서, 이 날의 저녁 식사라도, 야채 사라다(salad)(손수 만들기)를 먹었습니다.

「우리 집의, 평상시의, 아침 식사 또는(휴일이) 늦은 아침 식사겸점심 식사는, 빵, 시리얼(cereal), 야채 사라다(salad), 3 종류정도의 과일, 우유, 쥬스(juice), 요구르트(yogurt)라고 한 내용이며, 또, 우리 집에서, 저녁 식사를 먹을 때는, 야채 사라다(salad)를 먹는 것이, 많은 일로부터, 우리 집의, 드레싱(dressing)의, 수요는, 큽니다.

우리 집에는, 상시, 대체로, 3, 4 종류의(적어도 3 종류의), 드레싱(dressing)을 사서 쓸 수 있도록(듯이) 준비해 있습니다(특히, 어느 드레싱(dressing)이라든지 정해져 있는 것이 아닙니다).」


사진 이하 6매.이 날의 저녁 식사의, 디저트(dessert)로, 이 날, 메이지 신궁(meijijingu)에서, 첫 참배 (hatsumoude)(을)를 한 김에, 콜롬반(Colombin)(아래의 보충 설명을 참조)의, 하라쥬쿠(harajyuku)의 본점에서 사 온, 일본식의 딸기의 쇼트케이크(shortcake).그녀와 선택한 것.The 쇼트케이크(shortcake)(왕도의, 일본식의 딸기의 쇼트케이크(shortcake))라고 한 느낌으로, 맛있습니다.

콜롬반(Colombin):천황 및 황족(천황의 일족)에게, 서양 과자를 만드는 일을 직업을 하고 있던 서양 과자 직공인 창업자가, 1924년에 창업한, 일본의 서양 과자점·회사. 이전에는, 긴자(ginza)(도쿄를 대표하는 번화가.도쿄도심부에서도 중심적인 지역에 위치한다)에 본점을 가지고 있었지만, 후에, 하라쥬쿠(harajyuku)에 본점을 옮긴다.제이차 세계대전 전부터 현재에 이르기까지, 천황 및 황족(천황의 일족)에게, 서양 과자를 납입하고 있는 회사.

스폰지 케이크(sponge cake)와 생크림(whippedcream) 의 편성이, 일본식의 쇼트케이크(shortcake)의 특징이 되고 있습니다.

콜롬반(Colombin)은, 후지야(fujiya)(1910년에 창업한, 일본의 서양 과자점·회사)와 함께, 일본식의 딸기의 쇼트케이크(shortcake)의 발상(선구자)으로 여겨지는, 서양 과자점·회사에서, 1924년의 창업시부터, 딸기의 쇼트케이크(shortcake)를 판매하고 있었습니다.후지야(fujiya)는, 1922년에, 일본식의 쇼트케이크(shortcake)의 판매를 개시했습니다만, 당초는, 과일은, 딸기에 한정하지 않고, 님 들인 과일을 사용하고 있던 님입니다.

이하, 참고의 투고.

일본의 크리스마스 케이크의 역사외→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_14/view/id/3623592/page/18?&sfl=membername&stx=nnemon2
























이 날도, 그녀는, 우리 집에 묵었습니다.




덤.우리 집의 신문의 끼워넣음 광고지 광고(정기 구독하고 있는 신문에 끼워져 오는 광고)보다, 도쿄 midtown의 2024년 1월의 광고.도쿄 midtown(도쿄도심부안에서도 중심적인 지역의 서남부에 위치한다)는, 도쿄도심부의 주요한 주상복합 지구의 하나입니다.덧붙여서 도쿄 midtown는, 우리 집의 근처역으로부터 지하철로 10분 약(8분 ) 위입니다(운임 178엔).

이하, 참고의 투고.

Suntory 미술관 19 세기 중기부터 후기의 화가 작품전외→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_14/view/id/3752817/page/6?&sfl=membername&stx=nnemon2
테이트 미술관(영국의 125년 이상의 역사를 가지는 미술관) 외→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_14/view/id/3740916/page/9?&sfl=membername&stx=nnemon2



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