伝統文化

かつて偉いマルクスは人類歴史が原始共同体社会で奴隷社会と封建社会を経って資本主義社会に発展して来たし, その後には過渡期の社会主義社会を経ってすべての人間が労動から解放される共産主義社会が渡来すると見越した事がある. このすべての歴史発展を秋冬する原動力は生産力の発展であり, これは社会の土台(下部経済構造)と上部構造(政治と文化)が相互変化適応する方式で成り立つと思った.

そして実際に封建社会の伝統を持ったヨーロッパと日本は順調に資本主義で移行, 産業革命と急速な生産力の発展を経験した. この過程で新しい生産構造に迎える政治社会構造が導入して近代市民社会が誕生するようになった. しかし奴隷社会で封建社会への発展さえ成すことができなかったあげく大部分の世界では自生的な資本主義発展が成り立つことができなかったしこれによりこれら地域は資本主義帝国の植民地に編入されてさまざまな形態に歪曲された社会発展を経験するようになったのだ. マルクスはこのような第3世界地域のアイデンティティに対してアジア的生産様式という概念を用意して説明して見ようと試みたがその原因を明らかに明かすことはできなかったことと見える. 実はマルクスの時代には第3世界のアイデンティティという概念さえ存在しなかったから問題意識もできなかったはずだ.

封建社会の伝統を経験することができなかった台湾と朝鮮もその他世界に属していたが人々地域は日本の統治でよって市民革命を成して近代資本主義社会に発展することができた. 日本の知識人たちはかつて 20世紀初盤朝鮮と日本社会の発展水準において大きな格差が存在することを認識して自ら朝鮮の文明開化を善導する産婆役目を自任して出た.

日本で韓国社会のアイデンティティを初めて主張したことはFukuda(福田徳三)で知られている. 彼はヨーロッパの経済学を日本に紹介した先駆け的なエコノミストとして, 19世紀末ヨーロッパに渡ってドイツのライプツィヒ大学とミュンヘン大学で留学こんにちはだった. 彼は帰国して 1904年 [大韓帝国の経済組職と経済単位] という論文を発表, 最初で朝鮮社会のアイデンティティ理論を主張した. この論文は近代的な経済史学の方法論で朝鮮の経済史を研究した最初の学術論文だ.

Fukudaは財貨の交換流通に即して経済が発展して行く段階を自足経済, 到付経済, 国民経済の 3 段階で区分した. 彼は自足経済を封建制度が出現する以前の酸っぱいことに, 到付経済は封建制度に対応する酸っぱいことに, そして国民経済は近代国家に対応する時期に見た. 彼の研究は 20世紀初朝鮮の社会経済状態が何らの到付経済の兆しが見えない自足経済の段階に属しているし, 封建制度が形成される以前の変態的な様態の水準にとどまっているというのだった.

が段階は日本の 9世紀末で 12世紀初にあたってヨーロッパと比べても 9世紀初で 12世紀初にあたるのだった. これは 20世紀初朝鮮の社会経済状態が日本とヨーロッパに比べて千年以上おくれているという結論であり, 近代国家の国民経済が形成されることができる不可欠の先行必須條件がすぐ封建制度なので朝鮮は資本主義どころか封建制度の段階にもなることができなかったというのだ.

が同じFukudaの理論をアイデンティティ理論, あるいは封建制欠如論と言う. すぐ隣合って交流した両国の経済が千年以上差があるという主張はたやすく納得しにくいことではあるが日本が長年の歳月の間外部世界とほとんど交流なしに発展して来たという事実を勘案して見れば不可能な事でもないようだ. とにかくFukudaの研究は当時の学問水準ではよほど独創的でフレッシュなのだった.

彼はこんなに停滞された朝鮮の経済家近代化を成すことは自らの力では不可能で外部の力が必要だと思った. 当時清はほとんどマングヘがであったので朝鮮に隣合っている外部の存在はすなわちロシアと日本なのに, ロシアの場合朝鮮と同じく経済が低級でその協力で発展の電気を得るということは期待しにくいから結局朝鮮の発展は日本の力によってだけ可能になる. すなわち, 自力に近代化することができない朝鮮が酔うことができる唯一な選択は日本に童話されるしかないというのだ.

そうだったら, 一社会が資本主義段階で発展するために必ず必要だと思われる封建制度と言う(のは)何か. 封建制度と言う(のは)一種の政治的社会的現象だ. それは人間の社会的地位と機能が土地の所有関係を中心に決まる制度として, このような秩序では個人の財産だけではなく社会的な地位や権力が個人の能力と関係なく世襲される. また封建社会の政治権力は封土という名前の領地を部下に分けてやることでできる忠誠と君臣関係によって維持される.

このような社会, 政治制度は中世ヨーロッパで盛んだったが, たとえばフランスでは 12世紀頃にその頂点に達した. ヨーロッパ以外にこれと類似の社会政治的制度が早く存在した他の地域は全世界で日本だけだ. 室町時代後期, すなわちオニンの私はで織田信長が出現した時期まで日本の封建制度は全盛期ヨーロッパ封建制度ととても似ていることと知られている.

以後江戸幕府時代に入って来るようになりながら日本の封建制度は大きい変化を経験した. 江戸時代の日本で見られる安定して高度に組職化された中央集権的な封建制度は地形上孤立した日本の独特の産物だ. ヨーロッパには地域によってこのような中央集権的封建制度が出現しなかったとか出現しても非常に短い期間中だけ尊属することができたが, これはお互いに国境を接していたヨーロッパは日本の場合よりもっと激しい競争をするしかなかったからだ. このような理由でヨーロッパの後期封建制度は素早く日本式統一封建制度の段階を経ってもっと中央集権的な民族国家で成長しなければならなかった. このように封建制度は人類歴史上全世界の二つの地域でばかり現われた非常に珍しい現象だ.

それならどうして日本とヨーロッパにだけ封建制度が生じたのか. 日本の学説によれば, 封建制度は異質的な社会政治的要素が特殊な形態にお互いに融合したことだと言う. すなわち封建制度が成り立つためには各地域ごとに土地と租税に関する力強くて発達された法令体系とこれを執行することができる政治組職が存在しなければならないし, これをより大きい範囲で統合することができる中央集権政府がなければならないというのだ.

が三種類要素の中一二種類でも不足とかとても強くなればその社会は原始的な不足社会段階を脱することができないとか王がすべての権力を持つ前提王朝の形態になってしまうのだ. 封建制度が稀だったことはこれ ¥”均衡状態¥”というのが易しくないからだ. 小さな地域を包括する発展した法と政治組職は中世ヨーロッパの場合ドイツの部族国家戦死団で始まったし日本は古代氏族制度でその祈願を尋ねることができる.

六朝時代の中国でも似ている形態の社会が発達して封建制度へのきっかけになったが結局成熟されることができずに消えてしまった. こんな場合はこれら地方権力と中央権力という二つの要素の間に適当な均衡が維持されなかったからだが, 中国は中央政府の力がとても強かった場合でまた他の国では部族国家の傾向が圧倒的に強くて中央政府が発展することができなかった事例も捜してみることができる. その結果ヨーロッパと日本を除いた地域では高麗大学氏族社会や不足社会の中一つ二つが剛性されるとか連合して周辺地域を征腹することで封建社会の段階なしに直ちに大規模の前提王朝で発展した.

それなら封建制度はどうして近代化に有利な条件を作ったのか. 世界の大部分の地域で現われた前提制度に比べれば封建制度の下では各経済主体たちの法律的な義務と権利が重視されていたし, これにより近代の法治主義という概念に適応することができる社会の発達が進行されたからだ. また封建領主は征服や領土の拡張よりは土地の所有と土地税の取り立てに専念したから, 領主の統治を受ける商人と業者は専制国家に属したよりもっと幅広い活動範囲を持つことができた.

このように自由な経済活動と先立って記述した法律関係の発達がお互いに相乗作用をして生産力を進めたしその結果近代的な形態の商業社会が胎動するようになったのだ. 封建社会で経済主導者に与えられた活動の自由は実用的な倫理観を育ててくれたし分権と自治という政治制度はリーダーに強い義務感と責任感を要求した. これにより活発で進取的な挑戦精神と企業家精神ができたが, これは近代ヨーロッパと日本の大きい特徴を成すのだ.

韓国(大韓帝国)において経済単位の発展は自発的なことであることはできなくて, 伝来的なことにならざるを得ない. 伝来的と言う(のは)どんな発展した経済組職を持つ他の文化に童話されるのだ. これは韓国の土地を開拓耕作して徐徐にこれを資本化することができるようにその価値を高める方法が分かる者ではなければならない. それなら韓国において多くの経済的設備を施して数千年の間交通をして来た結果得た了解と同情として韓人を使役するに慣れて, また韓人の土地を事実上事由にして徐徐に農業経営を試みたし, その上にその生産品である米と豆(台頭)に対して最大の顧客であるうちの日本人はこの使命をつくすことができる一番適当な者ではないか!

ましてその封建的教育は世界歴史で一番完全なこと中の一つに属して, 土地に対しては一番集中的な農業者です, 人間に対しては韓人に一番欠乏された勇ましい無事的精神の代表者である私たち日本民族は, 何らの封建的教育とこれを土台にする経済単位の発展を成すことができなかった韓国と韓国人に対して, その腐敗衰亡の極致に達した民族的特性を根底で消滅させて自分に同化させる自然的命運と義務を持つ有力優秀した文化の重大な使命に臨む者ではないか!

フクにこの論文を発表した当時はもうロシアと日本の戦争が既定事実で固まっていた時期だったから, どの位日本を美化して朝鮮に対する侵略を正当化しようとする目的性と意図があったことと見える. しかし彼が主張した基本的な事実は否認しにくい内容を記している.
以後Fukudaのアイデンティティ理論はフックゾングアム, 三谷, 四方泊主に日本の他の経済史学者たちに継勝発展して今日に至るようになった. これらはFukudaの思想を受け継いで朝鮮は発展しにくい停滞された社会だったと規定して, 朝鮮が近代化されたことは日本資本の栄養と血脈に義解書だったと喝破した. 四方泊は世界歴史を見れば資本主義の成り立つ方法はその第一が自分の社会の陣痛を通じて成すことで, 他の一つは偶然に外来資本主義の刺激に強要されてやむを得なく資本主義段階に進入することだが, 電子は西欧と日本の場合で韓国は後者の場合に属すると言った.

四方泊(四方博)の主張によれば韓国の資本主義化は日本の資本と日本人の技術能力によって他律的に成り立った. 開港当時朝鮮には何らの自生的な資本の蓄積もなかったし企業精神もなかったし, 資本主義の形成を希望する事情とそれを必至するようにする条件が皆欠けていたというのだ. 実は日本が開港以後活発な朝鮮進出を通じて資本主義秩序を伝えてくれたし合併以後にも近代的な産業と社会間接資本, 学校と各種施設を建設して朝鮮社会の近代化, 文明化を主導したことは否認することができない事実だ.

これに対して終戦後北朝鮮を中心にアイデンティティ理論を否定しようとする試みが始まった. 引き継いで南韓の学界でも同じ研究が成り立って徐徐に南北韓の主類理論で席を取るようになるのに, これがいわゆる ¥”自生的近代化理論¥”, あるいは ¥”資本主義萌芽では¥”と呼ばれる理論だ. このような理論は気室 ¥”理論¥”と呼びにくい低劣したごりおし主張たちとして, 世界の学者たちから ¥”オレンジ畑で謝りを捜す無理な試み¥”と評価されながらあざ笑うことの対象になって来た.

資本主義萌芽論の先駆けは歴史学界だった. 北朝鮮では 1950年代末から催兵務, 金錫亨, 洪稀有などが朝鮮朝後期韓国で資本主義的関係や要素が自生的に現われていたことを強調し始めた. これはマックスのいわゆる歴史発展法則によって韓半島の歴史も原始共同体社会で奴隷祭祀回で, そして封建祭祀回で資本主義, 社会主義で各段階を通しながら発展して来たことを立証しようとする努力だった. しかし 1960年代後半から北朝鮮史学係では萌芽では研究が急速に消滅するようになるのに, これは北朝鮮で金日成による独裁体制が完備されて主体思想に即した歴史観がもたげながらマックス-レーニン主義自体を廃棄したからだ.

以後北朝鮮で中断した研究を南韓の学者たちがずっと引き継いで行きながら自生的近代化理論を発展させた. 南韓の資本主義萌芽論によれば, 17世紀から 18世紀に至って朝鮮社会でも農業手工業商業身分制の側面で大きい変化が現われるのに, これが自生的な近代化の芽(萌芽)であり日本の侵略は順調に成り立っていた近代化の芽を切ってしまって産業教育社会全般にわたって歪曲された社会構造を移植したというのだ.

これらは日本がなしも朝鮮で自ら資本主義の芽が伸びるが産業革命が発生したことを確信した. そしてこれらは私たちが自ら近代化を始めた基点がどこなのかを捜すために 18世紀後半, 19世紀中葉, 開港期, 甲午改革期で分けて捜索作業を始めたが何の成果をおさめることができなかった. そうして 1990年代になるとこの四種類の中 18世紀後半基点論は廃棄した後 1860年代お正月, 開港説, 甲午改革期説で区分して捜索作業を続いた.

1860年は高宗が即位して大院君の統治が始まった日だ. したがって 1860年代基点説はこの時に至って帝国主義侵略が本格化されて, これに対立して反侵略, 反帝国主義運動が始まって朝鮮の民族主体形成が始まったという点を重視する. 1876年開港説は開港をきっかけで私たちの社会が世界金元の市場体制に属することで不可避に資本主義で履行するようになったことを強調する視覚だ. この理論は韓国中世社会の内在的発展の成果として近代の基点を設定するのではなく外勢の侵略という他律的きっかけを近代の基点にしているという弱点を抱いている. すなわちこれが事実だと言っても民族の精気を立てて反日策動の根拠を用意するために作られた萌芽論の目的には当たらなくなるのだ. 甲午改革既設は 1894年甲午改革以後に初めて近代的な制度と思想が本格的に導入し始めたし, 中世的国家が近代的な国家体制で切り替えることができる土台が用意されたという点を重視している.

まだまでも続いているこの金元の萌芽理論と基点捜索作業は韓国歴史学者たちの水準を端的に現わしてくれる実に情けない事件に違いない. 実際にこんな萌芽というのがあったら確かに民族的自負心を持つに値する良いことだが, これらは ¥”あらなければならないし必ずあるでしょう¥”は信念の下結果を先に設定しておいてそこに歴史を通して合わせようと努力しているのだ. こんな人々を果して学者だと呼ぶことができるゴッインジさえ疑わしい.

このように情けなくて虚無孟浪した理論が韓国ではいつのまにか正論で席を取ってまだ一線学校で教育されているし日本の侵略性を責める根拠に利用されている. それでもこれらとしては捨てることができない理論であることが, もしこれが失敗するようになれば 3.1運動と上海臨時政府, 抗日独立運動の伝統を受け継ぐ ¥”民族の精気¥”が致命的な傷つくからなことだ. 答もないことのように見えるが, とにかく 4ジソンダヒョングで今は 3ジソンダヒョングで減った萌芽捜索作業に成果があるのを願ってやまない.

最近シン・ヨンハガングマンギルなど現代韓国の官辺学者たちは自生的近代化理論の延長線上で, 日帝殖民支配政策の基本が民族資本家の成長を阻んで民族資本の蓄積を沮止するのにあったと主張している. ガングマンギルによればたとえば土地政策の場合, 日製の土地調査事業は門戸開放以後成長して来ていた自作農上層部をとり除いて農民の大部分を零細小作人で作る一方親日地主圏を強化させるための目的に実施されたことで, その結果 20世紀前半期韓国では農業史蹟に資本主義的営農が発達しなければならない時期だったが日本の殖民統治でそれが阻止されてむしろ地主制が強化されたというのだ.

ここで ¥”資本主義的営農が発達しなければならない時期¥”というところで私たちは言うことを失うようになる. そんな式なら 1910年代は (自ら発展した場合) 重化学工業が発達するべきな時期とか, 先端宇宙産業が発達しなければならない時期だったが日本によって阻止されたと言ってはいけない理由がないだろう. 彼は果して土地台帳みたいなこと一つ整備されていなかったし登記制度とか裁判という概念さえ疎かった当時朝鮮社会が, 日本によって成った体制整備と土地調査事業みたいな成果なしもどこかで自生的な農業資本家が出現して小農たちの土地を買い入れて大規模の資本主義的営農ができたはずだと信じるというのか.

とにかくこのような ¥”内在的近代化論¥”は日本の韓国史研究者たちにはもう影響力を失っているだけではなく海外でもアメリカのパルレとコミンスは勿論でエカートとメックナマだとなど大部分の権威ある韓国学者たちにあざ笑うことを買っている. 国内でも最近になって眼病職, イ・ヨンフン, 戦傷人いくつかの良心ある学者たちがこのような通して合わせる式研究に対して問題を申し立てているが, 相変らず韓国の教壇と学界では主類理論で男児愛されているのだ.
 


일본에 의한 조선의 근대화

일찍이 위대한 마르크스는 인류역사가 원시공동체사회에서 노예사회와 봉건사회를 거쳐 자본주의 사회로 발전해 왔으며, 그 이후에는 과도기인 사회주의 사회를 거쳐 모든 인간이 노동으로부터 해방되는 공산주의 사회가 도래할 것이라고 예견한 바 있다. 이 모든 역사 발전을 추동하는 원동력은 생산력의 발전이며, 이는 사회의 토대(하부경제구조)와 상부구조(정치와 문화)가 상호 변화 적응하는 방식으로 이루어진다고 보았다.

그리고 실제로 봉건사회의 전통을 지닌 유럽과 일본은 순조롭게 자본주의로 이행, 산업혁명과 급속한 생산력의 발전을 경험했다. 이 과정에서 새로운 생산구조에 맞는 정치 사회구조가 도입되어 근대시민사회가 탄생하게 되었다. 그러나 노예사회에서 봉건사회로의 발전조차 이룩하지 못한 나머지 대부분의 세계에서는 자생적인 자본주의 발전이 이루어지지 못했으며 이로 인해 이들 지역은 자본주의 제국의 식민지로 편입되어 여러 가지 형태로 왜곡된 사회발전을 경험하게 되었던 것이다. 마르크스는 이 같은 제3세계 지역의 정체성에 대해 아시아적 생산양식이라는 개념을 마련해 설명해보고자 시도했으나 그 원인을 뚜렷하게 밝혀내지는 못한 것으로 보인다. 사실 마르크스의 시대에는 제3세계의 정체성이라는 개념조차 존재하지 않았으니 문제의식도 생겨나지 않았을 것이다.

봉건사회의 전통을 경험하지 못했던 대만과 조선도 기타세계에 속해 있었으나 이들 지역은 일본의 통치로 말미암아 시민혁명을 이룩하고 근대 자본주의 사회로 발전할 수 있었다. 일본의 지식인들은 일찍이 20세기 초반 조선과 일본 사회의 발전 수준에 있어서 커다란 격차가 존재함을 인식하고 스스로 조선의 문명개화를 선도하는 산파 역할을 자임하고 나섰다.

일본에서 한국사회의 정체성을 처음 주장한 것은 후쿠다(福田德三)로 알려져 있다. 그는 유럽의 경제학을 일본에 소개한 선구적인 경제학자로서, 19세기 말 유럽으로 건너가 독일의 라이프찌히 대학과 뮌헨 대학에서 유학하였다. 그는 귀국하여 1904년 [대한제국의 경제조직과 경제단위] 라는 논문을 발표, 최초로 조선 사회의 정체성 이론을 주장하였다. 이 논문은 근대적인 경제사학의 방법론으로 조선의 경제사를 연구한 최초의 학술논문이다.

후쿠다는 재화의 교환 유통에 입각하여 경제가 발전해 가는 단계를 자족경제, 도부경제, 국민경제의 3 단계로 구분하였다. 그는 자족경제를 봉건제도가 출현하기 이전의 시기로, 도부경제는 봉건제도에 대응하는 시기로, 그리고 국민경제는 근대국가에 대응하는 시기로 보았다. 그의 연구는 20세기 초 조선의 사회경제 상태가 아무런 도부경제의 징후가 보이지 않는 자족경제의 단계에 속해 있으며, 봉건제도가 형성되기 이전의 변태적인 양태의 수준에 머물러 있다는 것이었다.

이 단계는 일본의 9세기말에서 12세기 초에 해당하고 유럽과 비교해도 9세기 초에서 12세기 초에 해당하는 것이었다. 이는 20세기 초 조선의 사회경제 상태가 일본과 유럽에 비해 천년 이상 뒤떨어져 있다는 결론이며, 근대국가의 국민경제가 형성될 수 있는 불가결의 선행 필수조건이 바로 봉건제도이므로 조선은 자본주의는커녕 봉건제도의 단계에도 이르지 못했다는 것이다.

이 같은 후쿠다의 이론을 정체성이론, 혹은 봉건제 결여론이라 한다. 바로 이웃해 교류하던 두 나라의 경제발전이 천년 이상 차이가 난다는 주장은 쉽사리 납득하기 힘든 것이긴 하나 일본이 오랜 세월동안 외부세계와 거의 교류 없이 발전해왔다는 사실을 감안해보면 불가능한 일도 아닌 듯하다. 어쨌건 후쿠다의 연구는 당시의 학문 수준으로는 상당히 독창적이고 참신한 것이었다.

그는 이렇게 정체된 조선의 경제가 근대화를 이루는 것은 스스로의 힘으로는 불가능하고 외부의 힘이 필요하다고 생각했다. 당시 청나라는 거의 망해가고 있었으므로 조선에 이웃하고 있는 외부의 존재는 곧 러시아와 일본인데, 러시아의 경우 조선과 마찬가지로 경제가 저급하여 그 협력으로 발전의 전기를 얻는다는 것은 기대하기 힘들기 때문에 결국 조선의 발전은 일본의 힘에 의해서만 가능해진다. 즉, 자력으로 근대화할 수 없는 조선이 취할 수 있는 유일한 선택은 일본에 동화되는 길밖에 없다는 것이다.

그렇다면, 한 사회가 자본주의 단계로 발전하기 위해 꼭 필요하다고 여겨지는 봉건제도란 무엇인가. 봉건제도란 일종의 정치적 사회적 현상이다. 그것은 인간의 사회적 지위와 기능이 토지의 소유관계를 중심으로 결정되는 제도로서, 이 같은 질서에서는 개인의 재산뿐 아니라 사회적인 지위나 권력이 개인의 능력과 관계없이 세습된다. 또한 봉건사회의 정치권력은 봉토라는 이름의 영지를 부하에게 나누어줌으로서 생겨나는 충성과 군신관계에 의해 유지된다.

이러한 사회, 정치제도는 중세유럽에서 번영하였는데, 가령 프랑스에서는 12세기 무렵에 그 정점에 달했다. 유럽 이외에 이와 유사한 사회 정치적 제도가 일찌기 존재했던 다른 지역은 전 세계에서 일본뿐이다. 무로마치 시대 후기, 즉 오닌의 난에서 오다 노부나가가 출현한 시기까지 일본의 봉건제도는 전성기 유럽 봉건제도와 아주 비슷한 것으로 알려져 있다.

이후 에도 막부시대에 들어오게 되면서 일본의 봉건제도는 큰 변화를 겪었다. 에도 시대의 일본에서 볼 수 있는 안정되고 고도로 조직화된 중앙집권적인 봉건제도는 지형상 고립된 일본의 독특한 산물이다. 유럽에는 지역에 따라 이 같은 중앙집권적 봉건제도가 출현하지 않았거나 출현했더라도 매우 짧은 기간동안만 존속할 수 있었는데, 이는 서로 국경을 접하고 있던 유럽은 일본의 경우보다 더 격렬한 경쟁을 할 수밖에 없었기 때문이다. 이 같은 이유로 유럽의 후기 봉건제도는 재빨리 일본식 통일봉건제도의 단계를 거쳐 더욱 중앙집권적인 민족국가로 성장하지 않을 수 없었다. 이처럼 봉건제도는 인류 역사상 전 세계의 두 지역에서만 나타났던 매우 드문 현상이다.

그렇다면 왜 일본과 유럽에만 봉건제도가 생겼는가. 일본의 학설에 의하면, 봉건제도는 이질적인 사회 정치적 요소가 특수한 형태로 서로 융합한 것이라고 한다. 즉 봉건제도가 성립하기 위해서는 각 지역마다 토지와 조세에 관한 강력하고 발달된 법령 체계와 이를 집행할 수 있는 정치조직이 존재해야 하고, 이를 보다 큰 범위에서 통합할 수 있는 중앙집권 정부가 있어야 한다는 것이다.

이 세 가지 요소 가운데 한두 가지라도 부족하거나 너무 강하게 되면 그 사회는 원시적인 부족사회 단계를 벗어나지 못하거나 왕이 모든 권력을 가지는 전제왕조의 형태가 되어 버리는 것이다. 봉건제도가 희귀했던 것은 이 "균형상태"라는 것이 쉽지 않기 때문이다. 작은 지역을 포괄하는 발전된 법과 정치조직은 중세유럽의 경우 독일의 부족국가 전사단에서 시작되었고 일본은 고대 씨족제도에서 그 기원을 찾을 수 있다.

육조시대의 중국에서도 비슷한 형태의 사회가 발달하여 봉건제도에의 계기가 되었으나 끝내 성숙되지 못하고 사라져버렸다. 이런 경우는 이들 지방권력과 중앙권력이라는 두 요소 사이에 적당한 균형이 유지되지 않았기 때문인데, 중국은 중앙 정부의 힘이 너무 강했던 경우이고 또 다른 나라에서는 부족국가의 경향이 압도적으로 강해 중앙정부가 발전하지 못한 사례도 찾아볼 수 있다. 그 결과 유럽과 일본을 제외한 지역에서는 고대 씨족사회나 부족사회 가운데 한두 개가 강성해지거나 연합하여 주변 지역을 정복함으로써 봉건사회의 단계 없이 곧바로 대규모의 전제왕조로 발전하였다.

그렇다면 봉건제도는 왜 근대화에 유리한 조건을 만들었는가. 세계의 대부분의 지역에서 나타났던 전제제도에 비하면 봉건제도 아래에서는 각 경제주체들의 법률적인 의무와 권리가 중시되고 있었으며, 이로 인해 근대의 법치주의라는 개념에 적응할 수 있는 사회의 발달이 진행되었기 때문이다. 또한 봉건영주는 정복이나 영토의 확장보다는 토지의 소유와 토지세의 징수에 전념하였기 때문에, 영주의 통치를 받는 상인과 제조업자는 전제 국가에 속한 것보다 더 폭넓은 활동범위를 가질 수 있었다.

이처럼 자유로운 경제활동과 앞서 기술한 법률관계의 발달이 서로 상승작용을 하여 생산력을 향상시켰고 그 결과 근대적인 형태의 상업사회가 태동하게 된 것이다. 봉건 사회에서 경제 주체들에 주어진 활동의 자유는 실용적인 윤리관을 길러주었고 분권과 자치라는 정치제도는 지도자에게 강한 의무감과 책임감을 요구했다. 이로 인해 활발하고 진취적인 도전정신과 기업가 정신이 생겨났는데, 이는 근대유럽과 일본의 큰 특징을 이루는 것이다.

한국(대한제국)에 있어서 경제단위의 발전은 자발적인 것일 수는 없고, 전래적인 것이 되지 않을 수 없다. 전래적이란 어떤 발전된 경제조직을 갖는 다른 문화에 동화되는 것이다. 이는 한국의 토지를 개척 경작하여 서서히 이를 자본화할 수 있게끔 그 가치를 높이는 방법을 아는 자가 아니면 안 된다. 그렇다면 한국에 있어서 많은 경제적 설비를 베풀고 수천 년 간 교통을 해온 결과 얻어낸 양해와 동정으로써 한인을 사역함에 익숙하고, 또 한인의 토지를 사실상 사유로 삼아 서서히 농사경영을 시도하였으며, 더구나 그 생산품인 쌀과 콩(대두)에 대하여 최대의 고객인 우리 일본인은 이 사명을 다 할 수 있는 가장 적당한 자가 아닌가!

하물며 그 봉건적 교육은 세계 역사에서 가장 완전한 것 중의 하나에 속하며, 토지에 대해서는 가장 집중적인 농업자요, 인간에 대해서는 한인에게 가장 결핍된 용감한 무사적 정신의 대표자인 우리들 일본 민족은, 아무런 봉건적 교육과 이를 바탕으로 하는 경제단위의 발전을 이룩하지 못한 한국과 한국인에 대하여, 그 부패쇠망의 극치에 달한 민족적 특성을 근저에서 소멸시켜 자기에 동화시킬 자연적 명운과 의무를 갖는 유력우수한 문화의 중대한 사명에 임하는 자가 아닐까!

후쿠다가 이 논문을 발표한 당시는 이미 러시아와 일본의 전쟁이 기정사실로 굳어지고 있던 시기였으므로, 어느 정도 일본을 미화하고 조선에 대한 침략을 정당화하려는 목적성과 의도가 있었던 것으로 보인다. 하지만 그가 주장한 기본적인 사실은 부인하기 힘든 내용을 담고 있다.
이후 후쿠다의 정체성 이론은 흑정암, 삼곡, 사방박등 주로 일본의 다른 경제사학자들에게 계승 발전되어 오늘에 이르게 되었다. 이들은 후쿠다의 사상을 이어받아 조선은 발전하기 힘든 정체된 사회였다고 규정하고, 조선이 근대화된 것은 일본 자본의 영양과 혈맥에 의해서였다고 갈파하였다. 사방박은 세계 역사를 보면 자본주의가 성립하는 방법은 그 첫째가 자기 사회의 진통을 통해서 이룩하는 것이고, 다른 하나는 우연히 외래 자본주의의 자극에 강요되어 부득이하게 자본주의 단계로 진입하는 것인데, 전자는 서구와 일본의 경우이고 한국은 후자의 경우에 속한다고 하였다.

사방박(四方博)의 주장에 따르면 한국의 자본주의화는 일본의 자본과 일본인의 기술능력에 의하여 타율적으로 이루어졌다. 개항 당시 조선에는 아무런 자생적인 자본의 축적도 없었고 기업 정신도 없었으며, 자본주의의 형성을 희망하는 사정과 그것을 필연케 하는 조건이 모두 결여되어 있었다는 것이다. 사실 일본이 개항 이후 활발한 조선 진출을 통해 자본주의 질서를 전파해 주었으며 합병 이후에도 근대적인 산업과 사회간접자본, 학교와 각종 시설을 건설하여 조선사회의 근대화, 문명화를 주도한 것은 부인할 수 없는 사실이다.

이에 대하여 종전 후 북한을 중심으로 정체성 이론을 부정하려는 시도가 시작되었다. 뒤이어 남한의 학계에서도 같은 연구가 이루어져 점차 남북한의 주류 이론으로 자리 잡게 되는데, 이것이 소위 "자생적 근대화 이론", 혹은 "자본주의 맹아론"이라고 불리는 이론이다. 이 같은 이론은 기실 "이론"이라고 부르기도 힘든 저열한 억지주장들로서, 세계의 학자들로부터 "오렌지 밭에서 사과를 찾는 무리한 시도"라고 평가되며 비웃음의 대상이 되어 왔다.

자본주의 맹아론의 선구는 역사학계였다. 북한에서는 1950년대 말부터 최병무, 김석형, 홍희유 등이 조선조 후기 한국에서 자본주의적 관계나 요소가 자생적으로 나타나고 있었음을 강조하기 시작했다. 이는 맑스의 이른바 역사발전 법칙에 따라 한반도의 역사도 원시공동체사회에서 노예제사회로, 그리고 봉건제사회에서 자본주의, 사회주의로 각 단계를 거치며 발전해왔음을 입증하려는 노력이었다. 그러나 1960년대 후반부터 북한 사학계에서는 맹아론 연구가 급속히 소멸하게 되는데, 이는 북한에서 김일성에 의한 독재체제가 완비되고 주체사상에 입각한 역사관이 대두하면서 맑스-레닌주의 자체를 폐기했기 때문이다.

이후 북한에서 중단한 연구를 남한의 학자들이 계속 이어나가면서 자생적 근대화이론을 발전시켰다. 남한의 자본주의 맹아론에 따르면, 17세기부터 18세기에 이르러 조선 사회에서도 농업 수공업 상업 신분제의 측면에서 큰 변화가 나타나는데, 이것이 자생적인 근대화의 싹(맹아)이었으며 일본의 침략은 순조로이 이루어지고 있던 근대화의 싹을 잘라버리고 산업 교육 사회 전반에 걸쳐 왜곡된 사회구조를 이식했다는 것이다.

이들은 일본이 없이도 조선에서 스스로 자본주의의 싹이 자라나 산업혁명이 발생했을 것을 확신했다. 그리고 이들은 우리가 스스로 근대화를 시작한 기점이 어디인가를 찾기 위해 18세기 후반, 19세기 중엽, 개항기, 갑오개혁기로 나누어 수색작업을 시작했으나 별다른 성과를 거두지 못하였다. 그러다 1990년대가 되자 이 네 가지 가운데 18세기 후반 기점론은 폐기한 뒤 1860년대 설, 개항설, 갑오개혁기 설로 구분해 수색작업을 계속하였다.

1860년은 고종이 즉위해 대원군의 통치가 시작된 해이다. 따라서 1860년대 기점설은 이 때에 이르러 제국주의 침략이 본격화되고, 이에 맞서 반침략, 반제국주의 운동이 시작되어 조선의 민족주체 형성이 시작되었다는 점을 중시한다. 1876년 개항설은 개항을 계기로 우리 사회가 세계자본주의 시장체제에 종속됨으로써 불가피하게 자본주의로 이행하게 되었음을 강조하는 시각이다. 이 이론은 한국 중세사회의 내재적 발전의 성과로서 근대의 기점을 설정하는 것이 아니라 외세의 침략이라는 타율적 계기를 근대의 기점으로 삼고 있다는 약점을 안고 있다. 즉 이것이 사실이라고 해도 민족정기를 세우고 반일책동의 근거를 마련하기 위해 만들어진 맹아론의 목적에는 맞지 않게 되는 것이다. 갑오개혁기설은 1894년 갑오개혁 이후에 비로소 근대적인 제도와 사상이 본격적으로 도입되기 시작하였으며, 중세적 국가가 근대적인 국가체제로 전환할 수 있는 바탕이 마련되었다는 점을 중시하고 있다.

아직까지도 계속되고 있는 이 자본주의 맹아 이론과 기점 수색작업은 한국 역사학자들의 수준을 단적으로 나타내주는 실로 한심한 사건이 아닐 수 없다. 실제로 이런 맹아라는 것이 있었다면 분명 민족적 자부심을 가질 만한 좋은 일이겠지만, 이들은 "있어야만 하며 반드시 있을 것이다"는 신념 아래 결과를 먼저 설정해놓고 거기에 역사를 꿰맞추고자 노력하고 있는 것이다. 이런 사람들을 과연 학자라고 부를 수 있는 것인지조차 의심스럽다.

이처럼 한심하고도 허무맹랑한 이론이 한국에서는 어느새 정론으로 자리잡아 아직도 일선학교에서 교육되고 있으며 일본의 침략성을 비난하는 근거로 이용되고 있다. 그래도 이들로서는 버릴 수 없는 이론인 것이, 만약에 이것이 실패하게 되면 3.1운동과 상해임시정부, 항일독립운동의 전통을 이어받는 "민족정기"가 치명적인 상처를 입기 때문인 것이다. 답도 없는 것처럼 보이지만, 어쨌든 4지선다형에서 지금은 3지선다형으로 줄어든 맹아 수색작업에 성과가 있기를 바라마지 않는다.

최근 신용하 강만길 등 현대 한국의 관변학자들은 자생적 근대화 이론의 연장선상에서, 일제 식민지배 정책의 기본이 민족 자본가의 성장을 막고 민족자본의 축적을 저지하는 데 있었다고 주장하고 있다. 강만길에 따르면 가령 토지정책의 경우, 일제의 토지조사사업은 문호개방 이후 성장해 오고 있던 자작농 상층부를 제거하고 농민의 대부분을 영세소작인으로 만드는 한편 친일 지주권을 강화시키기 위한 목적으로 실시된 것이고, 그 결과 20세기 전반기 한국에서는 농업사적으로 자본주의적 영농이 발달해야 할 시기였지만 일본의 식민통치로 그것이 저지되고 오히려 지주제가 강화되었다는 것이다.

여기에서 "자본주의적 영농이 발달해야 할 시기"라는 대목에서 우리는 할말을 잃게 된다. 그런 식이라면 1910년대는 (스스로 발전했을 경우) 중화학공업이 발달해야 마땅한 시기라든가, 첨단 우주산업이 발달해야 할 시기였는데 일본에 의해 저지되었다고 말해서는 안 될 이유가 없을 것이다. 그는 과연 토지대장 같은 것 하나 정비되어 있지도 않았고 등기제도라든지 재판이라는 개념조차 생소했던 당시 조선사회가, 일본에 의해 이룩된 체제정비와 토지조사사업 같은 성과 없이도 어디선가 자생적인 농업 자본가가 출현하여 소농들의 토지를 매입하여 대규모의 자본주의적 영농을 할 수 있었을 것이라고 믿는다는 것인가.

어쨌든 이 같은 "내재적 근대화론"은 일본의 한국사 연구자들에게는 이미 영향력을 잃고 있을 뿐 아니라 해외에서도 미국의 팔레와 커밍스는 물론이고 에커트와 맥나마라 등 대부분의 권위 있는 한국학자들에게 비웃음을 사고 있다. 국내에서도 최근 들어 안병직, 이영훈, 전상인등 몇몇 양심 있는 학자들이 이 같은 꿰맞추기 식 연구에 대해 문제를 제기하고 있지만, 여전히 한국의 교단과 학계에서는 주류 이론으로 남아 사랑 받고 있는 것이다.
 



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