伝統文化

東大寺大仏殿(3代目)

 

 

3代目では、唐破風が付けられた。

唐破風は、正面のアピールの他、屋内の採光(大仏への採光)や、正面入り口の雨処理のために

設けられた、などと言われている。

 

 

因みに、2代目の大仏殿と、現在の3代目の大仏殿の間に、豊臣秀吉が築いた大仏殿がある。

京都の「方広寺・大仏殿」である。

東大寺大仏殿より少し大きく、幅88m・奥行き54m・高さ49mあったという。

上層屋根が下層屋根より後退する裳階が回る構造で、正面に「唐破風」が付けられ、まさに2代目と

3代目の中間のような存在だ。

1798年に落雷によって焼失した。

 

大仏殿の正面入り口

 

 

大仏殿に入るや否や、大仏とご対面。

大仏の正式名称は盧舎那仏坐像

高さは14.7mで、世界最大級の鋳造仏像である。

台座や袖、大腿部に創建時代のものが残り、体の多くは鎌倉時代、頭部は江戸時代のものである。

 

単に大きいだけでなく、鋳造ならではの重量感はさすがだ。

 

この角度から見ると、特に大きさを感じる。

観光客がこの角度からも写真を撮りまくっていた。

 

 

         大仏殿の平面図

 

中央の無柱空間に大仏が収まる。

23m四方、高さ28mという、日本の木造古建築における最大の無柱空間だ。

この空間のために、長さ23.6m・直径1mのアカマツの巨大な梁が使われている。

 

大仏殿内部では、個々の柱が貫によって強固に繋がれる。大仏様建築の特徴を受け継いでいる。

 

 

大仏殿の再建が試みられた17世紀後半は、木材が不足し、大仏殿にふさわしい巨木も

枯渇していた。

そこで、柱は独特の技術が採用されている。

即ち、複数の芯柱を数本継ぎ、16枚の板材を打ち回して金属のベルトで締めている。

その結果、写真に見えるように、柱は非常に人工的な外観を呈する。

 

芯柱は一番外側の柱(側柱)が2本、その次(入側柱)が3本、一番内側の内陣柱が4本継がれている。

芯柱の直径は1m前後と、2代目大仏殿の柱(1.5m)よりかなり細い。

その周りに板材を回して直径1~1.2mの柱となっている。

 

このように、3代目の大仏殿は、2代目より木材に恵まれない中での出発となった。

 

 

明治時代の修理後の大仏殿の断面図

 

 

3代目の大仏殿は、明治時代に大規模な修理を受ける。

軒は下降し、大梁は傷み、柱は腐敗し始めていた。

そして1891年に起きた濃尾地震が、大規模な修理を行うきっかけを強く与えた。

 

様々な案が提出されたが、西洋建築を専門とする人物の意見によって、鉄骨が入れられるように

なった。

大梁の下に鉄骨トラスを入れて補強したり、柱(特に内陣柱と入側柱)にも鉄骨が入れられたりした。

(側柱の大部分や、柱の下部には入っておらず、主に柱の座屈防止を目的としている)

その結果、直径1.6mに達した柱もある。

 

安易な鉄骨補強は今では批判を受けそうだが、当時は鉄は夢の素材と考えられていたのだろう。

また、この修理で屋根にmortarが使われ、それが逆に傷みを早めるなどの失敗も犯している。

 

ところで、今の日本でオール木造に戻そうとしても、それにふさわしい木材が充分に育っているとは

言い難いかもしれない。

国をあげた木材資源の育成・管理が求められていると言えよう。

 

 

A_3501

木造「虚空蔵菩薩像」

1752年の作、大仏の左側に鎮座する。

 

A_3520

左奥に立つ「広目天像」

 

大仏殿の奥には、創建時代の東大寺伽藍の模型や、2代目、3代目大仏殿の模型が

置かれている。

 

 

A_3533

大仏の裏側

 

名物、くぐり穴。

大仏の鼻の穴と同じ大きさで、通り抜けると幸運が訪れると言われる。

 

A_3558

多くの人が列を作っていた。

 

ファイル:Todaiji kondo tamonten.jpg

堂内右側に立つ「多聞天像」

 

 

20

堂内右手前には、売店がある。

 

 

東大寺~大仏

大仏の右側に鎮座する、木造「如意輪観音菩薩像」

1738年の作

 

 

A_3582

ここで、堂内を一周した。

柵の向こう側は入り口。

勿論、何度でも周れる。

 

 

07

賓頭盧尊者像

大仏殿を出て左に鎮座する。

 

 

 

東大寺は、まさに宗派を超えた「日本国の寺」といえる。

その中心である大仏殿は、日本古建築の顔と言っても過言ではない。

初代から3代目まで、常に技術的限界に挑戦してきた。

だが、現在の日本の古建築の世界は、単に修理し、その状態を維持することしか頭にないように

感じられる。

もっと新しい試みがなされてもいいのではないか・・・・・と思いつつ、大仏殿を後にした。


도다이사, 그 3

도다이사 대불전(3대째)

 

 

3대째에서는, 곡선형으로 된 박공을 붙일 수 있었다.

곡선형으로 된 박공은, 정면의 어필의 외, 옥내의 채광(대불에의 채광)이나, 정면 입구의 비처리를 위해서

설치된, 등이라고 말해진다.

 

 

덧붙여서, 2대째의 대불전과 현재의 3대째의 대불전의 사이에, 도요토미 히데요시가 쌓아 올린 대불전이 있다.

쿄토의 「방광사·대불전」이다.

도다이사 대불전보다 조금 크고, 폭 88 m·깊이 54 m·높이 49 m 있었다고 한다.

상층 지붕이 하층 지붕에서(보다) 후퇴하는 덧댄 차양 모양의 지붕이 도는 구조로, 정면으로 「곡선형으로 된 박공」을 붙일 수 있어 확실히 2대째와

3대째의 중간과 같은 존재다.

1798년에 낙뢰에 의해서 소실했다.

 

대불전의 정면 입구

 

 

대불전에 들어가자 마자, 대불과 대면.

대불의 정식명칭은비로자나불좌상

높이는 14.7 m로, 세계 최대급의 주조 불상이다.

대좌나 소매, 대퇴부에 창건 시대의 것이 남아, 몸의 상당수는 가마쿠라 시대, 머리 부분은 에도시대의 것이다.

 

단지 클 뿐만 아니라, 주조만이 가능한 중량감은 과연이다.

 

이 각도로부터 보면, 특히 크기를 느낀다.

관광객이 이 각도로부터도 사진을 마구 찍고 있었다.

 

 

         대불전의 평면도

 

중앙의 무 기둥 공간에 대불이 들어간다.

23 m사방, 높이 28 m라고 하는, 일본의 목조고건축에 있어서의 최대의 무 기둥 공간이다.

이 공간을 위해서, 길이 23.6 m·직경 1 m의 적송의 거대한 대들보가 사용되고 있다.

 

대불전 내부에서는, 개개의 기둥이 관에 의해서 강고하게 연결될 수 있다.대불양식 건축의 특징을 계승하고 있다.

 

 

대불전의 재건이 시도된 17 세기 후반은, 목재가 부족해, 대불전에 어울리는 거목도

고갈하고 있었다.

거기서, 기둥은 독특한 기술이 채용되고 있다.

즉, 복수의 심주를 몇 개 이어, 16매의 판재를 쳐 돌려 금속의 벨트로 매고 있다.

그 결과, 사진으로 보이도록(듯이), 기둥은 매우 인공적인 외관을 나타낸다.

 

심주는 제일 외측의 기둥(측주)이 2개, 그 다음(입측 기둥)이 3개, 제일 안쪽의 본존을 안치한 곳기둥이 4개 이어지고 있다.

심주의 직경은 1 m전후와 2대째 대불전의 기둥(1.5 m)보다 꽤 가늘다.

그 주위에 판재를 돌려 직경 1~1.2 m의 기둥이 되고 있다.

 

이와 같이, 3대째의 대불전은, 2대째부터 목재를 타고 나지 않는 가운데로의 출발이 되었다.

 

 

메이지 시대의 수리 후의 대불전의 단면도

 

 

3대째의 대불전은, 메이지 시대에 대규모 수리를 받는다.

채는 하강해, 대들보는 손상되어, 기둥은 부패하기 시작하고 있었다.

그리고 1891년에 일어난 노우비 지진이, 대규모 수리를 실시하는 계기를 강하게 주었다.

 

여러가지 안이 제출되었지만, 서양 건축을 전문으로 하는 인물의 의견에 의해서, 철골을 넣을 수 있도록(듯이)

되었다.

대들보아래에 철골 truss를 넣어 보강하거나 기둥(특히 본존을 안치한 곳기둥과 입측 기둥)에도 철골을 넣을 수 있거나 했다.

(측주의 대부분이나, 기둥의 하부에는 들어가지 않고, 주로 기둥의 봉이나 추가 힘에 의해 구부러



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