伝統文化

日本文明の出発 - 神話で
ツルウンジバング中心の神話を調べました.
今日は神話が生きて呼吸する 神社と地名に対して調べます.
日本文明の出


일본 문명의 출발 - 신사와 지명의 흔적(한글판)

일본 문명의 출발 - 신화에서
출운지방 중심의 신화를 알아 보았습니다.
오늘은 신화가 살아 숨쉬는 神社와 지명에 대해서 알아 보겠습니다.
日本文明の出発 - 神話で出雲地方中心の神話を調べました.
今日は神話が生きて呼吸する 神社と地名に対して調べます.

韓神新羅神社は、石見風土記によると延長3年(925年)に創立されました。

日本でこの神社だけが「韓神」と称し続けていることと、神社の背後にある山は「韓郷山」と、大浦の港は「韓海」(カラウラ)とも言われ、湾の反対側の突端を「韓崎」 と言っていたことから韓神新羅神社が日韓関係の深い神社として注目されています。
新羅神社の主祭神は、須佐之男命(スサノオノミコト)です。
天照大御神(アマテラスオオミカミの弟)であり、出雲の国で八岐大蛇(やまたのおろち)を退治した後、御子、三兄妹(五十猛命(イタケルノミコト、大屋津姫(オオヤヒメノミコト)、抓津姫(ツマツヒメ))を連れて五十猛町の神島(カミシマ)に渡来されたという神話が日本書紀に残っています。

한신신라 신사는, 이와미 풍토기에 의하면 延長 3년(925년)에 창립 되었습니다.
일본에서 이 신사만이「韓神」이라고 계속 칭하고 있는 것으로, 신사의 배후에 있는 산은「韓郷山」이라고, 오우라의 항구는「韓海」이라고도 말해지고  만의 반대측의 쑥 내민 끝을「韓崎」라고 한 것으로부터 韓神新羅神社가 일한 관계의 깊은 신사로서 주목받고 있습니다.신라 신사의 주제신은, 須佐之男命(스사노오노미코트)입니다.
天照大御神(아마테라스오오미카미의 남동생)이며, 이즈모의 나라에서八岐大蛇를 퇴치한 후, 자, 3 남매(五十猛命(이타케르노미코트, 大屋津姫(오오야히메노미코트), 抓津姫(트마트히메))를 데려 五十猛町의 神島(카미시마)에 도래되었다고 하는 신화가 일본 서기에 남아 있습니다.

白城神社と地名白木の由来

 

昔、朝鮮半島に栄えた新羅の国の人たちがはるばる日本海を渡ってこの白木の浜に上陸して住んだとの説や、あるいは敦賀に来た新羅人達が越前若狭湾近江路へと分かれていった時代にこの白木にも来て住んだのではないかといわれ、白木(シラキ)の地名はこれに起因するといいます。しかしながら新羅人の上陸したという時代よりもはるかに古く、縄文時代後期の土器破片などの発見によって既に古代人が住んでいたことが確認されています。古い時代の敦賀や若狭は、大陸(朝鮮半島)から日本へ渡るには最も適していたと云われ、大陸文化が敦賀や若狭を通じて都に伝わったとも云われています。こうしたことから、敦賀や若狭そしてこの敦賀半島は、昔より大陸との関係が深く、シラキの白城神社をはじめ、敦賀市周辺や南越地方には、新羅国に関係した神社がまつられています。

옛날, 한반도에 번창한 신라의 나라의 사람들이 멀리 일본해를 건너 이 白木의 바닷가에 상륙해 살았다는 설이나, 혹은 敦賀에 온 신라인들이 越前若狭湾近江路로 나뉘어 갔던 시대에 이 白木에도 와 산 것은 아닐까 해 白木(시라키)의 지명은 이것에 기인한다고 합니다.그렇지만 신라인의 상륙했다고 하는 시대보다 훨씬 낡고, 죠몽 시대 후기의 토기 파편등의 발견에 의해서 이미 고대인이 살고 있었던 것이 확인되고 있습니다.낡은 시대의 敦賀나 若狭는, 대륙(한반도)에서 일본에 건너려면  가장 적합했다고 말해져 대륙 문화가 敦賀나 若狭를 통해서 都에 전해졌다고도 말해지고 있습니다.
 이러한 일로부터, 敦賀나 若狭 그리고 이 敦賀 반도는, 옛날보다 대륙과의 관계가 깊고, 白木의 白城神社를 시작해 敦賀시 주변이나 南越 지방에는, 신라국에 관계한 신사가 모셔져 있습니다.


白子

伊勢の白子は、シロコと読むが、河芸郡史では、「白貝・白魚」の転訛としている。全国にある白子は、「シラコ」と読み、「白い土地」の意とされる。この場合の「コ」は土地・場所を意味する。また、「白」の原意に注目する渡来地名説もある。全国に散在する「シロ・シラ」地名などは、日本では新羅(シラギ)というが、正式な国号の読み「シロまたはシラ」に由来しているという。白子は新羅来(シロキ、シラキ=白木)が原意とし、新羅人の拓いた土地と解する。8世紀以後、畿内の王権は、意図的に恩恵を受けた渡来文化の影響を、次第に消して行くが、地名そのものは、消し去ることが出来なかったので、百済木(クダラギ)、高麗来(コマキ)など、古代朝鮮の国郡名を冠した地名や表記を変えた地名は今日数多存在している。

시라코
이세의 시라코는, 시로코라고 읽지만, 河芸郡史에서는, 「백패・뱅어」로  転訛 하고 있다. 전국에 있는 시라코는, 「시라코」라고 읽어, 「흰 토지」의 뜻으로 여겨진다.이 경우의「코」은 토지・장소를 의미한다.또, 「흰색」 原意에 주목하는 도래 지명설도 있다.전국에 산재 하는「시로・시라」지명 등은, 일본에서는 신라(시라기)라고 하지만, 정식적 국호의 읽기「시로 또는 시라」에 유래하고 있다고 한다.시라코는 新羅来(시로키, 시라키=白木)가 原意로 해, 신라인이 개척한 토지라고 해석한다.8 세기 이후, 기나이의 왕권은, 의도적으로 혜택을 받은 도래 문화의 영향을, 점차 지워 가지만, 지명 그 자체는, 지워 없앨 수 없었기 때문에, 百済木(쿠다라기), 高麗来(코마키) 등, 고대 조선의 国郡名을 씌운 지명이나 표기를 바꾼 지명은 오늘 다수 존재하고 있다.


渡来人ゆかりの地名       
埼玉県日高市から飯能市南高麗あたりが「武蔵国高麗郡」であった。日高市には「高麗山聖天院」と「高麗神社」、JR[高麗川駅」、西武線「高麗駅」がある。東京都狛江(こまえ)市には、高句麗系とみられる「亀塚古墳」がある。神奈川県大磯町高麗は花水川の右岸にあり、付近には「高来神社」がある。また、相模一ノ宮のある「高座(こうざ・たかくら)郡」は高句麗系渡来人によって開拓された地である。山梨県巨摩(こま)郡や東京都狛江(こまえ)市も高句麗系にゆかりの地名だ。狛江市には多摩川左岸に駒井(こまい)町があり、「こまえ」から派生した地名だろう。                                  
 埼玉県新座市・和光市・朝霞市・志木市周辺がこの「新羅郡」とされている。「新羅郡」は後に「新座(しらぎ)郡」と表記され、新座の字面からやがて「にいざぐん」と言うようになった。                
                                                                                                                                                                               《コマ・コウライ》                                                  
狛犬 高麗人参 独楽 駒(馬は中国から)                  
三重県伊勢市高麗広(こまひろ)は伊勢内宮から五十鈴川を遡った山間の里で、紅葉の名所でもある。京都府の南部、木津川を挟んで、精華町「下狛」と木津川市山城に「上狛」があり、JRや近鉄線の駅名にもなっている。大阪府柏原市一帯は旧若江郡「巨麻郷」、渋川郡許麻(こま)、大県郡「巨麻郷」の地である。奈良県桜井市狛は三輪山の南東にあり、名刹長谷寺にも近い初瀬川流域の集落だ。付近には竜谷・出雲・初瀬・白河等の地名がありそれぞれ歴史的な由緒を感じる。鳥取県大山町高麗はもとは高麗村であり、高麗小学校、公民館の高麗分館がある。鹿児島市高麗町は市街地の中に位置している。蛇足だが「新宿コマ劇場」はその舞台が独楽(コマ)のように回るから名づけられたという。   

                                         

《カラ》                                               
日本人は古くから、はるか遠く中国・朝鮮半島やインドを「唐(から)」「天竺(てんじく)」と言い慣わしている。佐賀県の唐津や福岡県の唐泊、鹿児島市の唐湊は海外への出港地を示す地名だろう。奈良県田原本町唐古(からこ)は韓(から)からの渡来人の住んだ地と言われている。島根県大田市仁摩には「韓島」という小さな島があり、大田市大浦のことをかつては「韓浦」と呼んでいたこともあり、「韓神新羅神社」の存在からしても朝鮮半島からの渡来人を思わせる。「カラ」が訛った地名になって残っているのが、群馬県甘楽(かんら)郡甘楽町とそこを流れる鏑(かむろ)川がある。また、群馬県多野郡万場町と中里町が合併して出来た神流(かんな)町は清流神流川からとった名前で、やはり「から」から発音が転訛したものだ。多野郡吉井町には国指定特別史跡の「多胡(たご)碑」がある。この碑文は謎が多いが、711年にこの地に「多胡郡」を設置したことが見える。果たして、多胡とは多くの渡来人を意味するといわれているのだが。                             
일본인은 옛부터, 아득한 멀고 중국・한반도나 인도를「당(카라)」「천축(텐지쿠)」라고 가르치고 있다.사가현의 카라츠나 후쿠오카현의 唐泊, 카고시마시의 唐湊는 해외에의 출항지를 나타내는 지명일 것이다.나라현 田原本町唐古(카라코)는 한국(카라)으로부터의  도래인이 산 땅이라고 말해진다. 시마네현 오오다시 니마에는「韓島 」라고 하는 작은 섬이 있어, 오오다시 大浦를  이전에는「韓浦」라고 부르고 있던 적도 있어, 「한신신라 신사」의 존재부터도 한반도로부터의  도래인을 생각하게 한다.「카라」가 와전된 지명으로 되어 남아 있는 것이, 군마현 甘楽(칸라) 군 郡甘楽町와 거기를 흐르는 鏑(카무루) 천이 있다.또, 군마현 多野郡万場町와 中里町가 합병해 할 수 있던 神流(칸나) 마을은 清流神流川으로부터 잡은 이름으로, 역시「카라」로부터 발음이 와전한 것이다.多野郡吉井町에는 나라 지정 특별 사적의「多胡(타고) 비」가 있다.이 비문은 수수께끼가 많지만, 711년에 이 땅에「多胡郡」을 설치했던 것이 보인다.과연, 多胡와는 많은  도래인을 의미한다고 하지만.                             

《シラキ シラギ》                                                
宮城県柴田郡川崎町支倉(はせくら)はかつての「陸奥国柴田郡新羅郷」だ。支倉には新羅人の供養塔があり、渡来人への熱い思いを感じる。福井県敦賀市白木は新羅人の名からきた地名で、そこに「白城(しらぎ)神社」がある。福島県猪苗代町白木城(しらぎじょう)、鹿児島県大口市白木も新羅人ゆかりの地で「新羅神社」がある。大阪市の住吉大社の神宮寺を「新羅寺」ということからすると、その付近に新羅人が居住地したことを思わせる。なお、全国各地にある「新羅神社」「新羅明神」は「御神体」が移動していったと考えられ、そこが必ずしも新羅人の渡来地とはいえない。(長野県阿智村「新羅明神社」 岐阜県多治見市「新羅神社」 新潟県上越市関山「新羅明神」 山形県高畠町「新羅神社」 青森県南部町「新羅神社」 山梨県南部町「新羅神社」 滋賀県大津市膳所「新羅明神」 京都府宇治市「新羅神社」 大阪府河南町「白木神社」 大阪市浪速区「白木神社」 兵庫県姫路市「新羅大明神」 岡山県瀬戸内市「牛窓「新羅明神」 島根県大田市「韓神新羅神社」等)    
《시라키,시라기》                                                
미 야기현 시바타군 川崎町支倉(하세쿠라)는 한 때의「陸奥国柴田郡新羅郷」이다.支倉에게는 신라인의 공양탑이 있어,  도래인에게의 뜨거운 마음을 느낀다.후쿠이현 츠루가시 白木는 신라인의 이름으로부터 온 지명으로, 거기에「백성(시라기) 신사」가 있다.후쿠시마현 猪苗代町白木城(시라기죠), 카고시마현 오쿠치시 白木도 신라인 연고의 땅에서「新羅神社」가 있다. 오사카시의 住吉大社의 神宮寺를「新羅寺 」이라고 하는 것부터 하면, 그 부근에 신라인이 거주지 한 것을 생각하게 한다. 덧붙여 전국 각지에 있는「新羅神社」「新羅明神」은「御神体」이 이동하며 갔다고 생각할 수 있어 거기가 반드시 신라인의 도래지라고는 할 수 없다。(長野県阿智村「新羅明神社」 岐阜県多治見市「新羅神社」 新潟県上越市関山「新羅明神」 山形県高畠町「新羅神社」 青森県南部町「新羅神社」 山梨県南部町「新羅神社」 滋賀県大津市膳所「新羅明神」 京都府宇治市「新羅神社」 大阪府河南町「白木神社」 大阪市浪速区「白木神社」 兵庫県姫路市「新羅大明神」 岡山県瀬戸内市「牛窓「新羅明神」 島根県大田市「韓神新羅神社」等)    
                      

《クダラ》                                                      奈良県広陵町百済には「百済寺」があり、集落は曽我川と葛城川に挟まれた条里制のしかれた水田地帯にある。大阪市平野区から生野区あたりは古くから渡来人が住み、平野区の平野川に架かる橋を「百済橋」といい、旧平野川を「百済川」といった。滋賀県東近江市には名刹の百済寺(ひゃくさいじ)がある。熊本県の八代市久多良木には百済来川が流れ、百済来地蔵堂がある。宮崎県美郷町の旧南郷村には「百済の里」がある。滅びた百済の王族が流れ着いた地であり、ゆかりの神社や古墳もあるということで、村おこしの一翼を担っている。  

 



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