伝統文化

numlk01です。
ちょっと気になったレスがあったので、簡単に確認した事項の覚え書きです

本当に有ったのか文禄、慶長の朝鮮火砲!?
http://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&nid=102542
http://enjoyjapan.naver.com/tbbs/read.php?board_id=phistory&nid=102542



bong221c 03-21 13:54 prozokukoku さん. 歪曲と捏造は良くない態度です. 韓半島南部(三韓地方と江原道)では 移秧栽培がもう 13世紀から一般的に普及されていました. 戦 争初期に現地食糧普及が難しかったことは現在の日付で 4月 13日に戦争が始まったからですね. 農業が本格的に始まる前に農民たちが農土を捨てて逃げだしたから, 食糧がないことが当たり前ではないですか? 備蓄された軍糧は大部分朝鮮正規軍が搖り返し族と争っていた北国境線に行かせたし, 交戦遵守規則の基本が敵に奪われる前軍糧を焼却して無くすのです. その位基本的知識もなしに戦争を論じないでください. 無茶な捏造でもして... 

朝鮮半島において、移秧法が13世紀から一般的に普及していたって?Really?

とりあえず検索してみて(私が調べた範囲で)最も古い記録として挙げられていたのが、このページでした。
移秧法

苗代で育てた分からない本畑に移して植えることとして田植え, 田植えともする。 韓国の米作で田植えに  よった米作がいつから始まったのかは確かに明らかにならなかったが最初の記録を<高麗史>で探してみられるし,考慮語 恭愍王  18年(1292)に種代りに分からない育てて植える田植え栽培法が使われたといったことから見てすでに高麗時代から伝来したことが分かる。

そして田植えによる農作業法が広く普及されたことは朝鮮中期以後からで,その以前には畑に水を当てて畑を選んだ後種子をばらまいたり,畑状態の畑を選んで種子をばらまく直播栽培法によって,大部分の稲作が成り立った。 これは 朝鮮前期には一歩に備えるという側面で国家によって,徹底的に禁止されて,コンダプ直播の方法の陸稲が奨励された。 世宗年間に発刊された <<農事直説>>の種稲條によれば,田植え法は水が充分でないところでは非常に危険な栽培法であることを警告している。 しかし16世紀以後各種提言修理施設が確保されながら,労働力と収穫量での利益のために農民層によって,広範囲に採択されていった。 粛宗 ·英祖 年間には <<増補文献備考>> 巻147全部で7に”各地方でこれを実施しない所がなくて,すでに風俗で形成されている”ラで記録される程田植え法が全国的に発達することになったし,国 家でも無条件禁止させないで田植えに適当でないところだけで禁止を命じた。

今日では韓国を含んだ東南アジアの大部分の米作地帯で田植えを通した稲栽培が一般化されているが,アジア ·アフリカの日敷地駅と米国の米作地帯では今でも直播栽培が実施されている。

(以下、省略)

http://mtcha.com.ne.kr/korea-term/sosun/term286-iangbub.htm
* まず、確認ですが、恭愍王18年は、1292年ではなく、1369年です。ちなみに、1292年ですと、忠烈王18年になります。当該年についての記録は、高麗史十七 世家卷第三十 忠烈王三  http://147.46.181.118/IMAGE/SNUG0641.PDF pp.61-73にあ ります。
** 次に、、恭愍王18年についての記録ですが、高麗史二十三 世家卷第四十一 恭愍王四  http://147.46.181.118/IMAGE/SNUG0652.PDF
 pp.46-60になります。

記述としては、素直に読めば、一般的な普及は朝鮮時代のようですね。
なお、高麗史については、何度も見ているのですが、目下、該当記述が分かりません。調査続行中です。

もう一つの代表的な検索結果ですが、こちらです。

米作で苗代の分からない本来の畑に移して,栽培する方法.

稲は簡単に移植できる特徴があって,田植え法を利用すれば直播法に比べて水稲以外作物栽培の耕地利用期間を長くすることができるし,潅漑期間を短縮するこ とによって灌漑数量を痛感して,栽培管理が気楽で,集約栽培に適当で,収穫も高めることができる。移秧期はその地方の気候,知力,病虫害の発生関係,品種 などを考慮して決めることになりながら,水利および輪作関係などによっても左右される。

韓国では1429年鄭招が編纂した《農事直説》の<種稲條>に田植え法として有挿種が叙述されていたことから見て,すでにかなり以前から行われたと推定されるが,水利条件が良くなくて,普及が振るわないが,20世紀に達して,水利条件が改善されて,広く実行されている。

http://kr.dic.yahoo.com/search/enc/result.html?p=%C0%CC%BE%D3%B9%FD&pk=17140000&subtype=&type=enc&field=id

そこで、『農事直說』の種稻條に該当記述を見てみましょう。これはネットで原文を確認することができます。
種稻(附旱稻)
○稻種有旱有晩 耕種法 有水耕(鄕名 水沙彌) 有乾耕(鄕名 乾沙彌) 又有揷種(鄕名 苗種) 除草之法則 大抵皆同
http://ko.wikisource.org/wiki/%EB%86%8D%EC%82%AC%EC%A7%81%EC%84%A4

とりあえず確認できた初出文献は、以上になります。15世紀ですね。

では、実際に一般的に普及したとされているのは、いつ頃なのか?
まず、韓国の公的機関のページを中心に、いくつか記載を抜粋してみました。

わが国の稲栽培は4000〜5000年の長い歴史を持っているがその時代の要求にしたがって栽培する方法が多様に変化されてきた。このような長い歴史中でも記録に残っている最近ことを見れば朝鮮初期期には直播栽培と移秧栽培が同時に成し遂げるようになった報告されており,朝鮮中期に行くほど移秧栽培面積が順次増加したし,後期に行くほど田植え栽培が大きく拡大普及した。また1906年勧業模範長が設立されながら, 苗代方法,移秧方法,ボン答管理方法など本格的な稲栽培技術開発研究が推進された。
http://www.yari.go.kr/study/rice/03/R_js/1page/doc1.html


畑作中心の生活から潅漑施設の発達で稲作が広がり、朝鮮時代の中期(15世紀)に至って移秧(田植え)法が実施された以 降、韓半島の南部地域を中心に稲と麦の二毛作が行われて主穀の生産が増大された。15世紀末は農事月令が定立されて気象・節侯の変化に合わせて農事できる ようになり、土質に合う品種を選抜・普及して稲の品種だけ27種もあった。伝統的に農業を国家の経済の根本にしたばかりの朝鮮時代の後期に入ると農学・農 業技術などが一層発展された。
http://www.koreanfolk.co.kr/folk/japanese/03/b11.htm


3)  農民の生活
土地の耕作は農民の役目だった。彼らはより発展した技術や肥料を利用し毎年土地を耕作する連作法を使っている。田では稲の移秧法(苗を移して植えること)が行われた。日照りに備えて貯水池も作り気候に見合う品種を改良したりした。全体的に高麗時代に比べ農業の生産力が大きく発展した。農民の地位も向上された。
http://jpn.korean.net/wcms/list.jsp?bID=22291&pageID=03025238&byid=7


歷史時代の農耕コ一ナ一には牛と鐵製農機具を利用した三國時代の農事, 休閑法から連作法へ移行する高麗時代, 移秧法が普及する朝鮮時代の農事, 日帝初期から解放に至る近代の農事等を時代別に區分し展示しました.
http://www.jam.go.kr/global/ja_exhibition.html

次に、日本の大学のレジュメです。

農業の状況
新田の開発、土地利用・農業技術の集約化
水田:移秧(いおう)法(田植え)の全国的拡大(17~18世紀)、稲・麦の一年二毛作、灌漑施設の整備
畑作:牛耕、豆類で地力を維持した二年二毛作
農業の多様化・専門化:商品作物の栽培(タバコ・人蔘・トウガラシ・木綿など)

最後に、研究論文があるようなのですが、目次のみ提示しておきます。

ヨム・ジョンソプ『朝鮮時代農法発達研究』
目次
第2部16〜18世紀農法の変化と発達= 153
 第1章水田移秧法の普及様相= 155
   1.16世紀移秧法の普及拡散= 158
   2.17世紀移秧法採択の一般化= 167
   3.18世紀末移秧法普及の実状= 175
  第2章水田移秧法普及の背景= 179
   1.除草労働力の痛感と移秧法普及= 180
   2.移秧法技術体系の発達= 185
   3.水田の増大と移秧法拡散= 193

http://lib.ansantc.ac.kr/volcanoi/global/docs/s_detail.html?mastid=31362&p_hanja_display=0
* この書籍については、目次のみ参照したにすぎず。内容は確認していない。

さて、以上の記述を見ても、まだ朝鮮半島において、移秧法が13世紀から一般的に普及していたと言いますか?

 

おしまい。

numlk01@調査中 ver.2008.03.23


조선에 있어서의”이앙법”(모심기)에 대한 한 고찰

numlk01입니다.
조금 신경이 쓰인 레스가 있었으므로, 간단하게 확인한 사항의 메모입니다

정말로 있었는지 문녹, 게이쵸의 조선 대포!?
http://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&nid=102542
http://enjoyjapan.naver.com/tbbs/read.php?board_id=phistory&nid=102542

bong221c 03-21 13:54 prozokukoku 씨. 왜곡과 날조는 좋지 않는 태도입니다. 한반도 남부(삼한 지방과 강원도)에서는 이앙재배가 이제(벌써) 13 세기부터 일반적으로 보급되고 있었습니다. 전쟁 초기에 현지 식량 보급이 어려웠던 (일)것은 현재의 일자로 4월 13일에 전쟁이 시작되었기 때문에군요. 농업이 본격적으로 시작되기 전에 농민들이 농토를 버려 도망갔기 때문에, 식량이 없는 것이 당연하지 않습니까? 비축된 군량은 대부분 조선 정규군이 여진족과 싸우고 있던 북국경선에 가게 했고, 교전 준수 규칙의 기본이 적에게 빼앗기기 전군량을 소각해 잃습니다. 그 정도 기본적 지식도 없이 전쟁을 논하지 말아 주세요. 터무니 없는 날조라도 해... 

한반도에 있고, 이앙법이13 세기부터 일반적으로 보급하고 있어도?Really?

우선 검색해 봐(내가 조사한 범위에서) 가장 낡은 기록으로서 들고 있고 있었던 것이, 이 페이지였습니다.
이앙법

못자리에서 기른 만큼 매운 있어 본전으로 옮겨 심는 것으로 해 모심기, 모심기라고도 한다. 한국의 미작으로 모심기에   따른 미작이 언제부터 시작되었는지는 확실히 밝혀지지 않았지만최초의 기록을<고려사>로 찾아 볼 수 있고, 고려어공민왕  18년(1292)에 종 대신에 모르는 길러 심는 모심기 재배법이 사용되었다라고 한 것으로부터 봐 벌써 고려시대부터 전래한 것을 안다.

그리고모심기에 의한 농사일법이 넓게 보급된 것은 조선 중기 이후부터로,그 이전에는밭에 물을 맞히고 밭을 선택한 후 종자를 뿌리거나 밭상태의 밭을 선택하고 종자를 뿌리는직파 재배법에 의해서, 대부분의 벼농사가 성립되었다. 이것은 조선 전기에는 한 걸음에 대비한다고 하는 측면에서국가에 의해서, 철저하게 금지되어,콘다프 직파의 방법의 밭벼가 장려되었다. 세종 연간에 발간된 <<농사직설>>의 종도조에 의하면,모심기법은 물이 충분하지 않은 곳에서는 매우 위험한 재배법인것을 경고하고 있다. 그러나16 세기 이후 각종 제언 수리 시설이 확보되면서 노동력과 수확량으로의 이익을 위해서 농민층에 의해서, 광범위하게 채택되어 갔다. 숙종 ·영조연간에는 <<증보 문헌 비고 >> 권 147전부 7에"각지방에서 이것을 실시하지 않는 곳이 없어서, 벌써 풍속으로 형성되고 있는"라로 기록되는만큼 모심기법이 전국적으로 발달하게 되었고, 국가에서도 무조건 금지시키지 않고 모심기에 적당하지 않은 곳만으로 금지를 명했다.

오늘로는 한국을 포함한 동남아시아의 대부분의 미작 지대에서 모심기를 통한 벼재배가 일반화되고 있지만, 아시아 ·아프리카일 시키지역과 미국의 미작 지대에서는 지금도 직파 재배가 실시되고 있다.

(이하, 생략)

http://mtcha.com.ne.kr/korea-term/sosun/term286-iangbub.htm
*우선, 확인입니다만,공민왕 18년은, 1292년이 아니고,1369년입니다.덧붙여서, 1292년이라면, 충렬왕 18년이 됩니다.해당년에 대한 기록은, 고려사 17세가권제310 충렬왕3  http://147.46.181.118/IMAGE/SNUG0641.PDF pp.61-73에 있습니다.
**차에, , 공민왕 18년에 대한 기록입니다만, 고려사 23세가권 제 41공민왕4  http://147.46.181.118/IMAGE/SNUG0652.PDF
 pp.46-60(이)가 됩니다.

기술로서는, 솔직하게 읽으면, 일반적인 보급은조선시대같네요.
덧붙여 고려사에 대해서는, 몇번이나 보고 있습니다만, 목하, 해당 기술을 모릅니다.조사 속행중입니다.

또 하나의 대표적인 검색 결과입니다만, 이쪽입니다.

미작으로 못자리를 모르는 본래의 밭으로 옮기고, 재배하는 방법.

벼는 간단하게 이식할 수 있는 특징이 있고, 모심기법을 이용하면 직파법에 비해 수도 이외 작물 재배의 경지 이용기간을 길게 할 수 있고, 관개 기간을 단축하는 것에 의해서 관개 수량을 통감하고, 재배 관리가 마음 편하고, 집약 재배에 적당하고, 수확도 높일 수 있다.이앙기는 그 지방의 기후, 지력, 병충해의 발생 관계, 품종등을 고려해 결정하게 되면서, 수리 및 윤작 관계등에 의해도 좌우된다.

한국에서는1429년정초가 편찬 한《농사직설》의<종도조>에 모심기법으로서 유삽종이 서술되고 있던일로부터 보고, 벌써 꽤 이전부터 행해졌다고 추정되지만,수리 조건이 좋지 않아서, 보급이 털지 않는이, 20 세기에 이르고, 수리 조건이 개선되고, 넓게 실행되고 있다.

http://kr.dic.yahoo.com/search/enc/result.html?p=%C0%CC%BE%D3%B9%FD&pk=17140000&subtype=&type=enc&field=id

거기서,「농사직


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