伝統文化

朝鮮の士はどうして白色にとらわれすぎただろうか?

 

 


経国大典世代, 勳旧派で堕落
燕山君と一緒に尋ねて来た 16世紀, 暗い影が朝鮮を覆い被せました. 世紀の終りは戦争だったからもしかしたらそのすべてのものは不可欠なことだったでしょうか?

儒教は慣習法的な特性があります. よく私たちが ¥”例(礼)¥”と呼ぶことは儒教の法律体系です. この法律体系が慣習法的な面が強いから, 臣下と王室間の見えない対立が生じたし, これが王権を弱化させると思った太宗は < 経済 > を作りました. この法律は包括的ではなくて, 施行令がずっと作られてまた王権を強化するために臣下たちの ¥”解釈¥”の余地を減らす目的に世祖は経国大典編纂に取り掛かります.

成宗賃金の時完成された < 経国大典 > は我が国の最初に完成された成文法だと呼ぶことができます. < 経国大典 > の完成に寄与した人物たちはそんな意味で評価を受けなければならない価値があるでしょう.

すべての法がそのように, 経国大典も ¥”法律¥”なので, 法が持った暴力性もあったし, 力が強い者に有利するしかなかったです. 権力を手に握った経国大典世代には権勢を思いきり享受することができる安定的な装置になってくれたわけでもありました. 良心, 社会正義, 道徳律... こんな慣習法的な側面たちはきれいに無視しながらですね. そんな彼らに 16cが燕山君と共に明るかったということは祝福でしょうか災いでしょうか?

白磁, 朝鮮の心を捕らえる

新しく浮び上がった士林派の精神は ¥”士精神¥”と表現することができるでしょう. 四度にかけた士禍の中でも結局は歴史の勝利者になった彼らの精神を一番よく見せてくれる陶磁器は多分これであるのです.





▲ 白磁青化松竹人物門戸 傾国大田世代たちを捕らえた青華白瓷の力強い力と自信感は見えないです. 空の空間を現わして真理を探求する心と自然に対して思索する彼らの生活を表現しました. 人物たちは欲心を捨てて自然につけて真理を探求する士を見るようです. 時無し青い松は学問の高い境地を象徴します. 冬になってすべての葉が落ちてから後こそ松が青い竝びが分かるようになるから. 竹は志操と切開と表現される士精神を象徴します. 折れようともしなわない竹はあちらこちらに覗いて妥協することは士の道ではないということを現わします.

c。 梨花女子大学博物館


成宗賃金も徐徐に勳旧派が恐ろしくなり始めました. 法を作っておいて, そのボブウィに君臨する彼らに対する当て馬で新しい勢力を少しずつ育て行っていたが彼らが ¥”士林派¥”です.

士林派という名前は森につけて文勉強をする人々と言う(のは)意味です. 名前で見えるように彼らは官職をしないで勉強をした人々です. 彼らは勳旧派が持った弱点を食い下がるためにチョンモンズとギルゼを宝くじさせて自分たちの信念を政党化させるための名分で使いました.

勳旧派を弾劾させる名分にしたことが ¥”義理では¥”, だから端宗と世宗間で ¥”不事二君の原則¥”を破った功臣勢力たちは義理を忘れた人, 士大夫としての資格を忘れてしまった人になります. このイデオロギーのために英雄を誕生させますが, 彼がまさにチョンモンズです. 彼を含めて死六臣まで ¥”義理を守った士¥”たちは全部復権されて, 反対の場合は侮辱にあいます. 結局 ¥”チョンモンズ-ギルゼ-キムチョンジック-士林派¥”につながる新しい勢力が正義として正当性を確保することができるようになったのです.

士林派は政治的でも経済的でも勳旧派と違いました. 限定された国土で優良な土地を力で奪うことで蓄財を事として, 売官売職を通じて地方役人たちまで牛耳る高度に集中化されてしまった権力に対立する方式で士林派は小さな政府, すなわち世論によって政治がイクルオジョがで, 地方自治(郷約など)を通じて中央政府の伝横を阻む行政組職を志向します.

こんな脂肪分権適政治は農地の改良と持続的で全国的な規模での寸法産業の発展を持って来るようになりますが, こんな経済的に進歩された士林派の政策は退渓李滉と栗谷李イを経りながらもっと粹になります.

が時代の陶磁器にはこのような士林派の性理学的以上が盛られています. 士精神を盛り込んだこの時代の陶磁器は清くて透明な白磁でした. 不透明な粉青沙器が消えたことはすぐこの時です. 士林派が現われた以後で粉青沙器はこれ以上作られないです.

どうして白色にとらわれすぎただろうか?

朝鮮時代を導いた士たちは清廉で潔白なことを最高の価値で思いました. 白磁はそんな士精神を盛り込んでいると信じたから一点の塵も許さなかったです. 白磁を白くするのが陶工たちに一番重要な事でした.

それは生産力が低かった時代に選ぶことができる最善の方法でもありました. 競争を通じて勝者だけが生き残るようにして残りは淘汰させる商業的資本主義的文明以前に ¥”分けて施す共同体文化¥”を選択したのだからです.

退渓李滉と栗谷李イの性理学思想は難しくて難解なことに恥部されてしまいますが, 16世紀士たちを捕らえたし, 朝鮮の精神を生んだ二人の巨匠の価値は簡単に言えば当時の ¥”正義¥”に対するのでした.

農場の持ち主でもあった士は農村社会で救恤して, 寸法に力をつくして, 医療を含めたサービスを提供する義務を持った人で規定することで朝鮮性理学を世界的水準で乗せることができるようにします.

まだ田植法が普及されるには寸法もまともにできることができなかった落後した時代だった 16世紀は天水踏を除き生産量が極めて低かったです. それでこんな肥えた土地を独占してしまおうとする中央権セガたちに対立した士林派が解決しなければならない至上課題は農村社会で正義を実現する事でした. これができなかったら勳旧派との違うのがなかったです. そして正しくそれが性理学的以上を基盤とした朝鮮という国が世界歴史上一番長い間集権することができた力でもあります.

極めて単純に退渓の思想を表現すれば ¥”生産量が低い貧しい社会でもろともに飢えるのが士精神¥”と言えます. 急に生産力が高くならない限りあることを分ける方法が一番賢明だというのですね. それで退渓の精神は農村共同体を基盤とする以上社会を夢見たんです, 以後柳馨遠,利益,丁・ヤクヨンにつながるナムイン実学者たちに積極的に継勝されます.

一方に栗谷の思想はやっぱり単純に言えば, ¥”少しでももっと生産力を高める工夫¥”をしようとする積極的な意志を持っていました. それで栗谷の精神を受け継いだ西人たちは現実政治に関心が高かったし, 仁祖反正を通じて権力を取った後で大同法を実施して貨幤を作るまで自分の歴史的使命が終わってしまったし, その後では尻込みを打ちました. 以後栗谷思想を受け継いだ北学派実学者たちが商工業に目を向けたんですが世の中を変えるには力がとても弱かったです.

どうしたといっても皆が貧しい時代の産物でした. 消費は罪悪で清廉潔白が美徳であるしかなかった性理学の士精神はそんな時代を生きて行こうとする支配者両班士大夫たちの自分の犠牲精神の表現でもありました. それが彼らをもっと ¥”目のように冷えるように白い白磁¥”にとらわれすぎるようにしました.

ところで中国や日本のように質のよい白土が出てしまったら良いが我が国から出る白土は完全な白色を出すことができなかったです. それでも白色をあきらめることはできないことだったです. もしかしたらむしろそのように少し足りない土で最高の白磁を作り上げたのが朝鮮白磁のウィデハムだと言えないでしょうか?

 





▲ 白磁飯ごう 沙翁院分院が設置された以後グァンヨで厳格なグァンリハに王室の儀礼用で作られたことと見える白磁組します. 朝鮮時代最高の純白者で数えられるこの飯ごうを見るため, ひたすらこの一つを見るためにふらりと飛行機に乗って飛んで来る日本人もいると言います. 言葉とおり真白な白磁としかできない透明な美しさが朝鮮の士精神をそのまま見せてくれています.

c。 ホリムバックムルグァン


 

白磁, 苦労なことの結果

白土は不純物が多いです. それで純粋な白色を出すために特別に作り上げたのがまさにこの窪みです.





こんな窪みをタングドモングだと呼びます.


c。 ゴジンスック


土は岩石が細くこわれて作われたのです. 岩石にどんな成分が入っているのかによって土の性質が決まります. 鉄分が入っていれば重くてそうではなければ軽いです.

白磁はこの鉄分とのけんかでもあります. 鉄分は色彩の魔法師なので 1%さえ越せば自分が入っているということを決して隠さないからです. もちろん科学が充分に発達することができなかったからその成分が鉄分というのが分かることはできなかったが重い粒子をかけて出してまたかけて出すほど白磁はもっと白くなるということが分かりました.

鉄分が入った粒子を抜き取るために水に沈む速度が重さによって違うという性質を利用したのが ¥”守備¥”過程です. 守備は ¥”水中で私は土¥”を捜し出すという意味を持っています. 鉄分が入っていない土は水中で ¥”飛び回す¥”と信じたのですね.

それで井のように深い淀みをほったがこれを ¥”タングドモング¥”と言います. もちろん高級青磁を作る時や三国時代陶器を作る時もこんな窪みを使います. 粒子が選べば選ぶほど青磁瓦陶器の品質が好きになるからです.

が技術を受け継いだ白磁陶工はこの窪みを大きくすれば作るほど良い白磁を作り出すということが分かって ¥”守備¥”過程をもっと開発しました. 窪みに水をいっぱい満たして土を解いて泥水を作るために長たらしい棒で掻きまぜてくれます. この時下に沈むことは泥で上の泥水は ¥”トッムル¥”と呼びます. このトッムルが ¥”土が飛び回す水¥”です.

がトッムルを食あたりで差し出すのを数もなく繰り返せば粒子が均等で鉄分が入っていない ¥”白磁を作る土¥”が誕生します. 自然は私たちに質のよいカオリンを与えなかったが代わりにすぐれた頭と手まめさを与えたのですね. 純白色の白磁はこんなに誕生しました. トッムルをいちいち受け出す手数の対価でね.

湯飲み代りにさかずきを

士林派が民たちの中に掘り下げながら多くのものなどが変わりました. 彼らは徹する走者学者でした. 朱子学の原理によって我が民族の口当たりさえ変化させました. 仏教とともに流行った借文化が消えました.

車の代わりをしてその席を占めたことはお酒です. 祭祀にもチァデシンお酒が使われたし外出に行ってもお茶をいれて飲んで詩を作る風流客代りにお酒をナヌォマシなのなります. 朝鮮時代風俗画にはお酒を飲む姿だけ登場します.

ご飯を食べた後お茶を飲む事を数百年近くして来た我が民族があっという間に車を切ったことは驚くに値します. 満ちる中毒性が強い方なのにね. 士林派の威力を感じらせます.

それでもご飯を食べた寂しさを耐えることができずにスンニュンを飲み始めました. しかし車と一緒に刺激的なまずいスンニュンでは満足しにくかったです. どぶろくが民たちの中に掘り下げて席を取ります. 湯飲みで使われた陶磁器も影をひそめました. 代りに酒ビンとさかずきが作られました.





 

▲ 大快刀 1847年に画家留宿が描いた朝鮮後期風俗画です. 漢陽の事大門中東にあった光戯文(一名水口門とも言いますが, 朝鮮時代に異聞で死骸をネガッダで言います.)の南側で開かれた遊戯場面だと言います. 二組で分けられて土俵とテッキョン版が起ってこれを取り囲んだ見手がざわめいた姿ですが,すぐ火なら下端に見ればお酒を売る姿が見えます. こんなに朝鮮時代には夕焼けだと言えばお酒が抜けなくなります.

c。 ソウル大学校博物館


が絵を見れば酒ビンは陶器でさかずきは柏子仁のが分かります.酒ビンの色が灰色であることで見て上薬を塗らない土焼きのように見えます.

山や川や人々が集まれば高麗時代にはお茶をいれて飲んだが朝鮮時代には酒宴をしました. 士林派によって仏教は徹底的に弾圧受けたんですがお茶を飲むことさえつぶしてしまったのが度が外れたように見えます. 酒宴をするよりはお茶を飲んだ方が良くないでしょうか?

 
陶磁器戦争


長い間眠ったヨーロッパ世界を覚ましたことはジングギス間だったが彼らが東洋に関心を持つようになったことはマルコフォールへの紀行文である < 東方見聞録 > を見て出ました. 元国は他の民族に対して友好的だったし開かれた心を持っていました. そんな好意に負ってマルコフォールでは元国にとどまって帰って紀行文を書きました.

ヨーロッパ人々は東洋から出る香料, 仮にそして陶磁器を求めるために砂漠を渡って来るアラビア商人やイタリア商人を待つのが不満でした. 運がよければ大金を儲けることができるこの貿易のために海岸道路を利用することに心に決めました.

1519年にマゼランは最初で世界一周をしました. 貿易道を捜すために始まった大航海時代にピリオドを付けたのですね. 船を利用して東洋に行くことができるようになったのです.

こんなに海にはいちめん冒険家ら路いっぱいになる頃偶然な機会にポルトガル難破船は日本に落ちました. それは日本には西欧文物を受け入れる機会を与えました. 火薬を作る方法, 大砲を作る方法, 弔銃を作る方法を慣らすようになりました.

農業作り難しい地に住む日本に二日は欲心を使うに十分な機会を与えました. 海を通じて貿易ができたら金持ちになることができると思いました.

日本は力強い王が税金をおさめて軍隊を治める中央集権国家ではなく地方の領主が力を持った国です. 領主たちに貿易は財物を集めて力を期が良い手段で思われました. 先を争って西洋で貿易道を出ました.

日本が西洋に売るに値する品物が何だったでしょうか? 西洋商人たちは絹や胡椒があるのか問いました. そうなことが日本にあるはずがなかったです. 西洋で人気ある商品の中に日本が持ったことはあまり多くなかったです. 西洋人たちが陶磁器を持っていると問った時彼らは何の考えをしたんでしょうか?

この時日本を統一した豊臣秀吉は朝鮮との戦争を発表します. 長い間朝鮮と貿易ができなくてつけなく私は領主たちは歓迎しました. その中には弔銃を作ったし侵略戦争の最前線に立った薩摩領主もあったし有田地方の領主もありました.

遂に 1592年, 日本は大韓海峡を越えて釜山に上陸しました. 壬辰の乱が起きたのです. そして我が国はもちろん日本陶磁器産業に振り返えることができない変化を持って来ました.

日本の関心は金銀宝華より陶工でした. 彼らは陶磁器お御輿がある所で差しこんで陶工と陶磁器を焼く白土を次から次へ盗みました. そして領主たちは陶工たちに陶磁器を焼くようにしました. それで日本人たちは壬辰の乱を陶磁器戦争だと呼びます.

日本に引かれて行った陶工たちは薩摩と有田地方に朝鮮人村を成しました. 檀君を仕えておいて故郷をしのんだが帰ることができなかったです. 彼らはその所で陶磁器を焼き始めたし遂に日本も陶磁器を焼くことができる国になりました.

朝鮮陶工たちの努力と涙, そして日本領主たちが陶磁器に対する惜しみない支援は世界陶磁器地図を変えました. 日本陶磁器はすぐヨーロピアンたちを捕らえたしオランダで行く貿易船をいっぱい埋めました. 以後日本は今日まで世界陶磁器強国になりました.

朝鮮陶工イサムピョングが陶磁器を作った有田地方は陶磁器の故郷で思われて有田自分は日本自分の象徴になりました. シルクロードが絹を売買する商人たちが渡った砂漠長さラーメン日本からヨーロッパに行く波路は陶磁器の道だと呼ぶことができるほどに有田自分は世界を支配しました.





 

▲ 動植物柄合 我が国の陶工によって作られ始めた陶磁器製作技術は急激に発展したし, 万斤先の額里港で船に積まれてオランダ銅人図会社を通じてヨーロッパで売れて行きました. それで特別にヨーロッパ輸出向けに製作された陶磁器を額里自分と呼びます. コバルトを使った青華白瓷(ソメスに)だけでなくこんなにさまざまな色彩が派手に飾られた ¥”これにに(さまざまな色で絵が描かれた陶磁器と言う意味です)¥” 陶磁器は日本刀自分のもう一つの魅力でヨーロピアンたちの心を捕らえました

c。 国立中央博物観


荒どんぶり, 庶民たちの陶磁器

いくら与件が良くなかったしても我が民族は陶磁器を焼きました. 土があったらですね. 最高の白土や高いコバルトや十分な焚き物がないということは問題にならなかったでしょう.

沙翁院が分院を作って王室自分を作りながら地方にあったお御輿たちは一つ二つ門を閉めなければならなかったです. 田舍にいる人々にどんぶりや売っては暮らしにくかったです.

それでも民たちには彼らばかりの器が必要です. 村の陶工たちは彼ら都合に迎える器を作らなければならなかったです. 質のよくない白土でお御輿で焼けば下に敷いておいた砂が付いてフックソックにある不純物が胡麻粒みたいな柄を作ります. 高級陶磁器ではないからガブバルも着せなかったです. 大きなお御輿を作る都合ではないから火は湧き上がりながら器に触れてその部分だけ土の色を変わるようにします. このようにして作われたのが荒どんぶりです.

荒どんぶりはちょうど使う器と言って付いた名前です. 青磁を作るには良くない土が粉青沙器を作ったように白磁を作るには良くない土は荒どんぶりを作り出しました. 粉青沙器が白土という絵の具で描かれた絵なら荒どんぶりは陶磁器を作る基本材料である水,火,土が自分勝手に一団となってお御輿の中でひとしきり踊り場をした後吐き出す自然の言語そのものです.

荒どんぶりが壬辰の乱の時の日本に向こうの仕事をした国宝になったし激讃を受けたことはすべてのものが定木にはかったように正しくなければならない日本人たちにこの自由さがあまりにも貴いことで感じられたからです. 戦争が終わった後貿易謝絶たちが荒どんぶりを求めてくれと言ってわめきを打ったこともこんな自由さを日本では作り上げることができなかったからです. だからそれは自然を愛して自然と合せて暮した我が民族だけの作り上げることができる陶磁器で我が民族固有の精神的価値がその中に盛られています.

荒どんぶりは青華白瓷のように権力や財物を現わすために作られた陶磁器ではないです. ご飯を食べてお吸物を食べてスンニュンを盛って食べました. 少しはくちばしが割れても捨てられなかったし本当に使えなくなれば子犬食器ででも使いました. まるで呼吸する空気のように人と一緒にしたのです. 最初土器を作った人々に土器はそうではなかったんでしょうか? 石のように木のように自然の一部としてね.

 





▲ セチォンゾングホダとは 16世紀に作られて庶民たちが使った荒どんぶりは我が国に展示された場合はオブダシピします. 荒どんぶりは日本に渡ってダワンウロスイヌンデです, 日本は粉のお茶を溶いて食べるからこんな形態の湯飲みが使われました. 私たち食器が日本では最高の湯飲みになったわけです. そりゃ我が国へ来た日本人たちはゲバブグルッにも沸き返えたと言ったら,笑わなければならないか泣かなければならないか分からない事ですが. 日本で朝鮮に特別に要請して輸入した荒どんぶりは真珠荒どんぶりだったと言います.

c。 悚酸記念館


선비는 왜 백색에 집착했을까?

조선의 선비는 왜 백색에 집착했을까?

 


경국대전 세대, 훈구파로 타락
연산군과 함께 찾아온 16세기, 어두운 그림자가 조선을 뒤덮었습니다. 세기의 끝은 전쟁이었으니 어쩌면 그 모든 것은 필연적인 것이었을까요?

유교는 관습법적인 특성이 있습니다. 흔히 우리가 "예(禮)"라고 부르는 것은 유교의 법률체계입니다. 이 법률체계가 관습법적인 면이 강하다보니, 신하와 왕실간의 보이지 않는 대립이 생겼고, 이것이 왕권을 약화시킨다고 본 태종은 < 경제육전 > 을 만들었습니다. 이 법률은 포괄적이지 못해, 시행령이 계속 만들어지며 다시 왕권을 강화하기 위해 신하들의 "해석"의 여지를 줄일 목적으로 세조는 경국대전 편찬에 착수합니다.

성종임금 때 완성된 < 경국대전 > 은 우리나라 최초로 완성된 성문법이라고 부를 수 있습니다. < 경국대전 > 의 완성에 기여한 인물들은 그런 의미에서 평가받아야 할 가치가 있을 것입니다.

모든 법이 그렇듯, 경국대전도 "법률"이므로, 법이 가진 폭력성도 있었고, 힘 있는 자에게 유리할 수밖에 없었습니다. 권력을 손에 쥔 경국대전 세대에겐 권세를 마음껏 누릴 수 있는 안정적인 장치가 되어준 셈이기도 했습니다. 양심, 사회정의, 도덕률... 이런 관습법적인 측면들은 깨끗이 무시하면서 말이죠. 그런 그들에게 16c가 연산군과 함께 밝았다는 것은 축복일까요 재앙일까요?

백자, 조선의 마음을 사로잡다

새롭게 부상한 사림파의 정신은 "선비정신"이라고 표현할 수 있을 것입니다. 네번에 걸친 사화 속에서도 결국은 역사의 승리자가 된 그들의 정신을 가장 잘 보여주는 도자기는 아마 이것일 것입니다.





▲ 백자 청화송죽인물문호 경국대전세대들을 사로잡았던 청화백자의 강력한 힘과 자신감은 보이지 않습니다. 빈 공간을 드러내어 진리를 탐구하는 마음과 자연에 대해 사색하는 그들의 생활을 표현하였습니다. 인물들은 욕심을 버리고 자연에 묻혀 진리를 탐구하는 선비를 보는 듯합니다. 사철 푸른 소나무는 학문의 높은 경지를 상징합니다. 겨울이 되어 모든 잎이 떨어지고 난 뒤에야 소나무가 푸른 줄을 알게 되니까요. 대나무는 지조와 절개라고 표현되는 선비정신을 상징합니다. 부러질지언정 휘어지지 않는 대나무는 이리저리 기웃거리며 타협하는 것은 선비의 길이 아니라는 것을 나타냅니다.

ⓒ 이화여자대학교 박물관


성종임금도 서서히 훈구파가 두려워지기 시작했습니다. 법을 만들어놓고, 그 법위에 군림하는 그들에 대한 대항마로 새로운 세력을 조금씩 키워가고 있었는데 그들이 "사림파"입니다.

사림파라는 이름은 숲에 묻혀 글공부를 하는 사람들이란 뜻입니다. 이름에서 보이듯이 그들은 벼슬을 하지 않고 공부를 한 사람들입니다. 그들은 훈구파가 가진 약점을 물고 늘어지기 위해서 정몽주와 길재를 복권시켜 자신들의 신념을 정당화시키기 위한 명분으로 사용했습니다.

훈구파를 탄핵시킬 명분으로 삼은 것이 "의리론", 그러니까 단종과 세종사이에서 "불사이군의 원칙"을 어긴 공신세력들은 의리를 저버린 사람, 사대부로서의 자격을 잃어버린 사람이 됩니다. 이 이데올로기를 위해 영웅을 탄생시키는데요, 그가 바로 정몽주입니다. 그를 비롯해 사육신까지 "의리를 지킨 선비"들은 전부 복권되고, 반대의 경우는 모욕을 당합니다. 결국 "정몽주-길재-김종직-사림파"로 이어지는 새로운 세력이 정의로서 정당성을 확보할 수 있게 된 것입니다.

사림파는 정치적으로도 경제적으로도 훈구파와 달랐습니다. 한정된 국토에서 우량한 토지를 힘으로 빼앗아감으로써 축재를 일삼고, 매관매직을 통해 지방관리들까지 좌지우지하는 고도로 집중화되어버린 권력에 맞서는 방식으로 사림파는 작은 정부, 즉 여론에 의해 정치가 이끌어져가고, 지방자치(향약 등)를 통해 중앙정부의 전횡을 막는 행정조직을 지향합니다.

이런 지방분권적 정치는 농지의 개량과 지속적이고 전국적인 규모에서의 치수산업의 발전을 가져오게 되는데요, 이런 경제적으로 진보된 사림파의 정책은 퇴계 이황과 율곡 이이를 거치면서 더욱 세련되어집니다.

이 시대의 도자기에는 이러한 사림파의 성리학적 이상이 담겨 있습니다. 선비정신을 담은 이시대의 도자기는 맑고 투명한 백자였습니다. 불투명한 분청사기가 사라진 것은 바로 이때입니다. 사림파가 나타난 이후로 분청사기는 더 이상 만들어지지 않습니다.

왜 백색에 집착했을까?

조선시대를 이끌었던 선비들은 청렴하고 결백한 것을 최고의 가치로 여겼습니다. 백자는 그런 선비정신을 담고 있다고 믿었기 때문에 한 점의 티끌도 용서하지 않았습니다. 백자를 하얗게 만드는 것이 도공들에게 제일 중요한 일이었습니다.

그것은 생산력이 낮았던 시대에 택할 수 있는 최선의 방법이기도 했습니다. 경쟁을 통해 승자만이 살아남게 하고 나머지는 도태시키는 상업적 자본주의적 문명이전에 "나누고 베푸는 공동체 문화"를 선택한 것이니까요.

퇴계이황과 율곡이이의 성리학 사상은 어렵고 난해한 것으로 치부되어버리는데요, 16세기 선비들을 사로잡았고, 조선의 정신을 낳았던 두 거장의 가치는 간단하게 말하면 당시의 "정의"에 대한 것이었습니다.

농장의 소유자이기도 한 선비는 농촌사회에서 구휼하고, 치수에 힘쓰고, 의료를 비롯한 서비스를 제공할 의무를 가진 사람으로 규정함으로써 조선 성리학을 세계적 수준으로 올려놓을 수 있게 합니다.

아직 모내기법이 보급되기엔 치수도 제대로 되지 못한 낙후한 시대였던 16세기는 천수답을 제외하고는 생산량이 지극히 낮았습니다. 그래서 이런 비옥한 토지를 독점해버리려는 중앙 권세가들에 맞선 사림파가 해결해야할 지상과제는 농촌사회에서 정의를 실현하는 일이었습니다. 이것을 못한다면 훈구파와의 다를 게 없었습니다. 그리고 바로 그것이 성리학적 이상을 기반으로 한 조선이라는 나라가 세계 역사상 가장 오랫동안 집권할 수 있었던 힘이기도 합니다.

지극히 단순하게 퇴계의 사상을 표현하면 "생산량이 낮은 가난한 사회에서 다함께 배곯기가 선비정신"이라고 할 수 있습니다. 갑자기 생산력이 높아지지 않는 한 있는 것을 나누는 방법이 가장 현명하다는 것이지요. 그래서 퇴계의 정신은 농촌공동체를 기반으로 하는 이상사회를 꿈꿨는데요, 이후 유형원,이익,정약용으로 이어지는 남인 실학자들에게 적극적으로 계승됩니다.

반면에 율곡의 사상은 역시 단순하게 말하면, "조금이라도 더 생산력을 높일 궁리"를 하려는 적극적인 의지를 가지고 있었습니다. 그래서 율곡의 정신을 이어받은 서인들은 현실정치에 관심이 많았고, 인조반정을 통해 권력을 잡은 뒤로 대동법을 실시하고 화폐를 만들때까지 자신의 역사적 사명이 끝나버렸고, 그 이후로는 뒷걸음질을 쳤습니다. 이후 율곡사상을 계승한 북학파 실학자들이 상공업에 눈을 돌렸습니다만 세상을 바꾸기엔 힘이 너무 약했습니다.

어찌되었든 모두가 가난한 시대의 산물이었습니다. 소비는 죄악이고 청렴결백이 미덕일 수밖에 없었던 성리학의 선비정신은 그런 시대를 살아가려는 지배자 양반사대부들의 자기 희생정신의 표현이기도 했습니다. 그것이 그들을 더욱 "눈처럼 시리도록 하얀 백자"에 집착하도록 했습니다.

그런데 중국이나 일본처럼 질 좋은 백토가 나와 버린다면 좋겠지만 우리나라에서 나오는 백토는 완전한 하얀색을 내지 못했습니다. 그렇다고 하얀색을 포기할 수는 없는 노릇이었지요. 어쩌면 오히려 그렇게 조금 모자라는 흙으로 최고의 백자를 만들어낸 것이 조선백자의 위대함이라고 말할 수 있지 않을까요?





▲ 백자반합 사옹원 분원이 설치된 이후 관요에서 엄격한 관리하에 왕실의 의례용으로 만들어졌을 것으로 보이는 백자반합니다. 조선시대 최고의 순백자로 꼽히는 이 반합을 보기 위해, 오로지 이 하나를 보기위해 훌쩍 비행기를 타고 날아오는 일본인도 있다고 합니다. 말 그대로 새하얀 백자라고 밖에 할수 없는 투명한 아름다움이 조선의 선비정신을 그대로 보여주고 있습니다.

ⓒ 호림박물관


백자, 수고로움의 결과

백토는 불순물이 많습니다. 그래서 순수한 하얀색을 내기 위해 특별히 만들어낸 것이 바로 이 구덩이입니다.





이런 구덩이를 땅두멍이라고 부릅니다.


ⓒ 고진숙


흙은 암석이 잘게 부서져 만들어진 것입니다. 암석에 어떤 성분이 들어 있느냐에 따라 흙의 성질이 정해집니다. 철분이 들어 있으면 무겁고 그렇지 않으면 가볍습니다.

백자는 이 철분과의 싸움이기도 합니다. 철분은 색채의 마법사여서 1%만 넘기면 자기가 들어있다는 것을 결코 감추지 않기 때문입니다. 물론 과학이 충분히 발달하지 못했기 때문에 그 성분이 철분이라는 것을 알지는 못했지만 무거운 알갱이를 걸러내고 또 걸러낼 수록 백자는 더 하얗게 된다는 것을 알았습니다.

철분이 든 알갱이를 빼내기 위해 물에 가라앉는 속도가 무게에 따라 다르다는 성질을 이용한 것이 "수비"과정입니다. 수비는 "물속에서 나는 흙"을 찾아낸다는 뜻을 가지고 있습니다. 철분이 들어있지 않은 흙은 물속에서 "날아다닌다"고 믿은 것이지요.

그래서 우물처럼 깊은 웅덩이를 팠는데 이것을 "땅두멍"이라고 합니다. 물론 고급 청자를 만들 때나 삼국시대 도기를 만들 때도 이런 구덩이를 씁니다. 입자가 고르면 고를수록 청자와 도기의 품질이 좋아지기 때문입니다.

이 기술을 물려받은 백자도공은 이 구덩이를 크게 만들면 만들수록 좋은 백자를 만들어낸다는 것을 알고 "수비"과정을 더욱 개발했습니다. 구덩이에 물을 가득 채우고 흙을 풀어 흙탕물을 만들기 위해 기다란 막대기로 저어줍니다. 이때 아래로 가라앉는 것은 진흙이고 위의 흙탕물은 "톳물"이라고 부릅니다. 이 톳물이 "흙이 날아다니는 물"입니다.

이 톳물을 체로 받쳐내길 수도 없이 반복하면 알갱이가 고르고 철분이 들어있지 않은 "백자를 만드는 흙"이 탄생합니다. 자연은 우리에게 질 좋은 고령토를 주지 않았지만 대신 뛰어난 머리와 부지런함을 주었던 것이지요. 순백색의 백자는 이렇게 탄생했습니다. 톳물을 일일이 받아내는 수고의 대가로 말이지요.

찻잔 대신에 술잔을

사림파가 백성들 속으로 파고들면서 많은 것들이 변했습니다. 그들은 철두철미한 주자학자였습니다. 주자학의 원리에 따라 우리 민족의 입맛마저도 변화시켰습니다. 불교와 함께 유행했던 차문화가 사라졌습니다.

차를 대신하여 그 자리를 차지한 것은 술입니다. 제사에도 차대신 술이 쓰였고 나들이를 가더라도 차를 끓여 마시며 시를 짓는 풍류객 대신에 술을 나눠마시게 됩니다. 조선시대 풍속화에는 술을 마시는 모습만 등장합니다.

밥을 먹고 난 뒤 차를 마시는 일을 수백년 가까이 해왔던 우리 민족이 순식간에 차를 끊었던 것은 놀랄만합니다. 차는 중독성이 강한 편인데 말입니다. 사림파의 위력을 느끼게 합니다.

그래도 밥을 먹고 난 허전함을 견디지 못하고 숭늉을 마시기 시작했습니다. 그러나 차와 같이 자극적인 맛이 없는 숭늉으로는 만족하기 어려웠습니다. 막걸리가 백성들 속으로 파고들어 자리 잡습니다. 찻잔으로 쓰이던 도자기도 자취를 감추었습니다. 대신에 술병과 술잔이 만들어졌습니다.





▲ 대쾌도 1847년에 화가 유숙이 그린 조선 후기 풍속화입니다. 한양의 사대문중 동쪽에 있던 광희문(일명 수구문이라고도 하는데요, 조선시대에 이문으로 시체를 내갔다고 합니다.)의 남쪽에서 벌어진 유희장면이라고 합니다. 두패로 나눠져 씨름판과 태껸판이 벌어지고 이를 둘러싼 구경꾼이 왁자지껄한 모습인데요,바로 화면 하단에 보면 술을 파는 모습이 보입니다. 이렇게 조선시대에는 놀이라고 하면 술이 빠지지 않게 됩니다.

ⓒ 서울대학교 박물관


이 그림을 보면 술병은 도기이고 술잔은 백자인 것을 알 수 있습니다.술병의 색이 회색인 것으로 보아 유약을 바르지 않은 질그릇처럼 보입니다.

산이나 강이나 사람들이 모이면 고려시대에는 차를 끓여 마셨지만 조선시대에는 술판을 벌였습니다. 사림파에 의해 불교는 철저하게 탄압받았습니다만 차를 마시는 것마저 없애버린 것이 지나쳐 보입니다. 술판을 벌이는 것보다는 차를 마시는 것이 낫지 않을까요?

 
도자기 전쟁


오랫동안 잠자던 유럽세계를 깨운 것은 징기스 칸이었지만 그들이 동양에 관심을 가지게 된 것은 마르코 폴로의 기행문인 < 동방견문록 > 을 보고 나서였습니다. 원나라는 다른 민족에 대해 우호적이었고 열린 마음을 가지고 있었습니다. 그런 호의에 힘입어 마르코 폴로는 원나라에서 머물다 돌아가 기행문을 썼습니다.

유럽 사람들은 동양에서 나오는 향료, 비단 그리고 도자기를 구하기 위해 사막을 건너오는 아라비아 상인이나 이탈리아 상인을 기다리는 것이 못마땅했습니다. 잘 만하면 큰돈을 벌 수 있는 이 무역을 위해 바닷길을 이용하기로 마음먹었습니다.

1519년에 마젤란은 최초로 세계 일주를 했습니다. 무역 길을 찾기 위해 시작된 대항해시대에 마침표를 찍은 것이지요. 배를 이용하여 동양으로 갈 수 있게 된 것입니다.

이렇게 바다엔 온통 모험가들로 가득 차 있을 무렵 우연한 기회에 포르투칼 난파선은 일본으로 떨어졌습니다. 그것은 일본에겐 서구문물을 받아들일 기회를 주었습니다. 화약을 만드는 방법, 대포를 만드는 방법, 조총을 만드는 방법을 익히게 되었습니다.

농사짓기 어려운 땅에 사는 일본에게 이일은 욕심을 부리기에 충분한 기회를 주었습니다. 바다를 통해 무역을 할 수 있다면 부자가 될 수 있다고 여겼습니다.

일본은 강력한 왕이 세금을 거두고 군대를 다스리는 중앙집권국가가 아니라 지방의 영주가 힘을 가진 나라입니다. 영주들에게 무역은 재물을 모아 힘을 기를 좋은 수단으로 여겨졌습니다. 앞 다투어 서양으로 무역 길을 텄습니다.

일본이 서양에 팔 만한 물건이 무엇이었을까요? 서양 상인들은 비단이나 후추가 있는지 물었습니다. 그런 게 일본에 있을 리 없었습니다. 서양에서 인기 있는 상품 중에 일본이 가진 것은 그리 많지 않았습니다. 서양인들이 도자기를 가지고 있느냐고 물었을 때 그들은 무슨 생각을 했을까요?

이때 일본을 통일한 토요토미 히데요시는 조선과의 전쟁을 발표합니다. 오랫동안 조선과 무역을 하지 못해 안달이 난 영주들은 환영했습니다. 그 중에는 조총을 만들었고 침략전쟁의 최전선에 섰던 사쓰마 영주도 있었고 아리타 지방의 영주도 있었습니다.

마침내 1592년, 일본은 대한해협을 넘어 부산에 상륙했습니다. 임진왜란이 일어난 것입니다. 그리고 우리나라는 물론 일본 도자기산업에 돌이킬 수 없는 변화를 가져왔습니다.

일본의 관심은 금은보화보다 도공이었습니다. 그들은 도자기 가마가 있는 곳으로 들이닥쳐 도공과 도자기를 굽는 백토를 닥치는 대로 훔쳐갔습니다. 그리고 영주들은 도공들에게 도자기를 굽도록 했습니다. 그래서 일본인들은 임진왜란을 도자기 전쟁이라고 부릅니다.

일본으로 끌려간 도공들은 사쓰마와 아리타지방에 한국인 마을을 이루었습니다. 단군을 모셔놓고 고향을 그리워했지만 돌아갈 수 없었습니다. 그들은 그곳에서 도자기를 굽기 시작했고 마침내 일본도 도자기를 구울 수 있는 나라가 되었습니다.

조선 도공들의 노력과 눈물, 그리고 일본영주들이 도자기에 대한 아낌없는 지원은 세계 도자기 지도를 바꾸었습니다. 일본 도자기는 곧 유럽인들을 사로잡았으며 네덜란드로 가는 무역선을 가득 메웠습니다. 이후 일본은 오늘날까지 세계 도자기 강국이 되었습니다.

조선 도공 이삼평이 도자기를 만든 아리타 지방은 도자기의 고향으로 여겨지며 아리타자기는 일본자기의 상징이 되었습니다. 실크로드가 비단을 사고파는 상인들이 건너던 사막길이라면 일본에서 유럽으로 가는 뱃길은 도자기의 길이라고 부를 수 있을 정도로 아리타자기는 세계를 지배했습니다.





▲ 동식물무늬 합 우리나라 도공에 의해서 만들어지기 시작한 도자기 제작기술은 급격하게 발전하였고, 만근처의 이마리 항구에서 배에 실려 네덜란드 동인도 회사를 통해 유럽으로 팔려나갔습니다. 그래서 특별히 유럽수출용으로 제작된 도자기를 이마리자기라고 부릅니다. 코발트를 사용한 청화백자(소메쓰께)뿐만 아니라 이렇게 여러 가지 색채가 화려하게 장식된 "이로에(여러가지 색으로 그림이 그려진 도자기란 뜻입니다)" 도자기는 일본도자기의 또다른 매력으로 유럽인들의 마음을 사로잡았습니다

ⓒ 국립중앙박물관


막사발, 서민들의 도자기

아무리 여건이 좋지 않았다 해도 우리 민족은 도자기를 구웠습니다. 흙이 있다면 말이죠. 최고의 백토나 비싼 코발트나 충분한 땔감이 없다는 것은 문제가 못되었지요.

사옹원이 분원을 만들어 왕실자기를 만들면서 지방에 있던 가마들은 하나둘씩 문을 닫아야했습니다. 시골에 있는 사람들에게 사발이나 팔아서는 먹고살기 어려웠습니다.

그래도 백성들에겐 그들만의 그릇이 필요합니다. 마을의 도공들은 그들 형편에 맞는 그릇을 만들어야 했습니다. 질이 좋지 않은 백토로 가마에서 구우면 밑에 깔아둔 모래가 붙고 흙속에 있는 불순물이 깨알 같은 무늬를 만듭니다. 고급도자기가 아니다보니 갑발도 씌우지 않았습니다. 커다란 가마를 만들 형편이 아니다 보니 불은 용솟음치면서 그릇에 닿아 그 부분만 흙의 색을 변하게 합니다. 이렇게 해서 만들어진 것이 막사발입니다.

막사발은 막 쓰는 그릇이라 해서 붙은 이름입니다. 청자를 만들기엔 좋지 않은 흙이 분청사기를 만들었듯이 백자를 만들기엔 좋지 않은 흙은 막사발을 만들어내었습니다. 분청사기가 백토라는 물감으로 그려진 그림이라면 막사발은 도자기를 만드는 기본 재료인 물,불,흙이 제멋대로 어우러져 가마 속에서 한바탕 춤판을 벌인 후 토해내는 자연의 언어 그자체입니다.

막사발이 임진왜란 때 일본으로 건너가 일본 국보가 되었고 격찬을 받은 것은 모든 것이 자로 잰 듯이 반듯해야 하는 일본인들에게 이 자유로움이 너무도 고귀한 것으로 느껴졌기 때문입니다. 전쟁이 끝난 뒤 무역사절들이 막사발을 구해달라고 아우성을 쳤던 것도 이런 자유로움을 일본에선 만들어낼 수 없었기 때문입니다. 그러니 그것은 자연을 사랑하고 자연과 더불어 살던 우리 민족만의 만들어낼 수 있는 도자기이고 우리 민족 고유의 정신적 가치가 그 속에 담겨있습니다.

막사발은 청화백자처럼 권력이나 재물을 드러내기 위해서 만들어진 도자기가 아닙니다. 밥을 먹고 국을 먹고 숭늉을 담아 먹었습니다. 조금은 주둥이가 깨져도 버려지지 않았고 정 못쓰게 되면 강아지 밥그릇으로라도 썼습니다. 마치 숨 쉬는 공기처럼 사람과 함께 했던 것입니다. 맨 처음 토기를 만들었던 사람들에게 토기는 그런 것이 아니었을까요? 돌처럼 나무처럼 자연의 일부로서 말입니다.





▲ 세천정호다완 16세기에 만들어져서 서민들이 쓰던 막사발은 우리나라에 전시된 경우는 없다시피 합니다. 막사발은 일본으로 건너가 다완으로쓰이는데요, 일본은 가루차를 풀어서 먹기 때문에 이런 형태의 찻잔이 쓰였습니다. 우리 밥그릇이 일본에서는 최고의 찻잔이 되었던 셈입니다. 하기야 우리나라에 온 일본인들은 개밥그릇에도 열광했다고 하니,웃어야 할지 울어야 할지 모르는 일입니다만. 일본에서 조선에 특별히 요청해 수입한 막사발은 진주막사발이었다고 합니다.

ⓒ 비산기념관


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