伝統文化

と言えば衣替えの季節ですが、日本はそろそろ梅雨入りして天気の悪い日が続きます。自転車とバイクを乗り回す私としては何かと気が滅入る季節ではありますが、週末には街角から祭り囃しが聞こえだし、あちこちの神社で例祭が開催される季節でもあります。
そこで今回は、祭りの主役とも言える「神輿」について投稿します。特に、江戸時代に製作された神輿に絞ってご紹介することとしました。
スレタイを見て、いわゆる江戸前の神輿を期待された方は残念でした。w





◆長野県松本市:城主寄進の御輿
まず最初にご紹介するのは、長野県松本市の深志神社にある御輿です。この御輿は、水野氏松本藩第三代・水野隼人正忠直が1698(元禄¥11)年に寄進したものです。

深志神社拝殿



深志神社の御祭神は「建御名方富命(宮村大明神)」「天満宮(菅原道真公)」であり、御輿もそれぞれに奉納されたため同型のものが2基ある。
例大祭は「天神祭り」と呼ばれており、7月24・25日に行われる。御輿は境内の拝殿前に展示されたのち、1基は担いで、もう1基は車に乗せられて町内を巡行するようである。




屋根と台輪の四面には、宮村大明神のものには「梶の葉紋」が、深志天満宮のものには「梅鉢紋」が刻されている。
こちらは深志天満宮の御輿の最近の写真であるが、金属の簾のような瓔珞(ようらく)が取り付けられている。この瓔珞は市のHPの説明に拠れば本来は無かったものらしく、後補であろう。



御輿は重厚な四注造りで、胴が太いために屋根を支える「斗組(ますくみ)」は控え目である。胴壁の「方立」と呼ばれる部分や「唐戸」は牡丹の彫刻が施されており、「木鼻」と呼ばれる部分の彫刻や「斗組」も華麗な彩色で彩られ、何か「東照宮」を思わせるような装飾である。




こちらは「日吉東照宮」の社殿の軒下部分であるが、どこか共通点があるように思える。韓国の丹青にも似ているかも知れませんね。



同じく松本市内にある岡宮神社にも、水野忠直寄進のほぼ同型の御輿があるが、こちらは本歌の瓔珞が取り付けられている。




こちらの御輿の紋は、水野家の家紋「花沢潟紋」であり、雲形打ち出しの銅葺き屋根である。
鳳凰の台座には、大工・岡本曾¥兵衞森勝増沢佐次兵衞宣政の墨書があり、深志神社の御輿も両名の作と見られる。



ちなみに、深志神社の例大祭は、18台もの舞台が境内に曳き込まれる賑やかな祭りだそうです。



◆滋賀県長浜市:金銅七宝装神輿
次ぎに紹介する神輿は、むかしむかし虎が煙草を吸っていた頃…じゃなくて、EnjoyがNAVERと呼ばれて100レス制限だった頃、「0sakana」というIDの方が紹介してくれたものです。
あまりの見事さに、思わず唸り声を上げてしまった記憶があります。


その神輿は、長浜市の郊外にある常喜町は熊岡神社のものである。
熊岡神社はその昔八幡宮と呼ばれ、1220(承久2)年に後鳥羽上皇がこの地においでになったときに「熊岡神社」という名前をいただいたという。この神社に伝わる書物「八幡宮紀」には、772(宝亀3)年、名越童子が初めてこの神社を建て、応神天皇神功皇后飯豊天皇の3座を祭神としてまつったことが始まりと記されている。
またある伝承では、昔この地に大きな熊がいて、その熊が臥死して岡を形成したと言われており、熊岡神社のある岡がそれであると言われている。




屋根には唐破風が用いられ、瓦の1枚1枚までが細かく表¥現されており、朱漆塗りの鳥居と井垣には瑞雲が巡らされている。
珍しいのは、胴と台輪(基盤)の接合部にも「斗組」が組まれていることであり、この神輿を造った木地師(神輿の骨格を造る職人)の執念が感じられる。実はこの斗組がクッションの役割を果たしており、少々荒っぽい担ぎ方をしても神輿が壊れないのである。この神輿の場合は、胴の四隅に配した柱に余分な負荷がかからないようにする為に、あえて胴の上下に斗組を組んだのであろう。



胴の廻りの柱は、花鳥風月の図案で彩られている。それを銅鋳造、象眼七宝、彫金、鍍金、鍍銀などあらゆる技術を駆使して飾り立てており、彫金師入魂の作となっている。この柱が唐破風の屋根と相まって、細身の胴ながら重厚な印象を与える。また、欄間などにも繊細な透かし彫りが施され、彫り師も負けじとその技倆を示している。その一方で、胴壁部や扉には彫刻を施さず、錦綺のような物を貼¥ってあるが、こうすることで廻りの彫刻・金物を引き立て、かえって五月蠅くならずに調和がとれている。




神輿が奉製されたのは1781(安永10)年である。製作者の名前は長田長左衛門。付属の馬(神輿の台)を含めた総高は2.46m、担ぎ棒を含めた全長は5.28mである。
本体は木造漆塗で、ほとんど全面を飾り金具で覆った荘厳の神輿である。






そう言えば、先に引用した日吉東照宮熊岡神社とは琵琶湖を挟んだ反対の位置にあり、船を使えば意外に近い位置関係にあります。長田長左衛門を始めとしたこの神輿の職人達も、東照宮になんらかの関わりがあったのではないかと想像してしまいます。



なお、熊岡神社の例祭は5月3日ということですから、残念ながら今からではこの神輿にお目にかかることはできません。
神輿渡御においては、4つのおこない組の子役(0歳から12歳)・前髪(13歳から16歳)・若衆(17歳から35歳)がそれぞれ供奉し、新築した家や新婚の家には茶宿が当たり、行列の休憩所となる。なお茶宿は4軒設けられる。神輿の川渡りや神輿落しには歓声があがり、たいへん賑やかな祭りとなるとのことである。



◆栃木県小山市:朱神輿
さて最後にご紹介するのは、我が故郷にある神輿です。栃木県は小山市にある「須賀神社」の社宝の「朱神輿」です。

須賀神社を神門より望む

朱神輿は日光東照宮造営に関わった宮大工が造った事が明かとなっており、金箔と漆で飾られた豪華な神輿です。
奉製年代は1658(万治元年)年であることが判明しており、寛永年間の日光東照宮造営後まもなく奉製にとりかかったことになります。

なぜそのような神輿がこの須賀神社にあるかというと、実はこの須賀神社、徳川家康公と浅からぬ関係があるからです。




時は1600(慶長5)年7月、関ヶ原の合戦前夜、徳川家康率いる大軍勢は、会津の上杉景勝討伐のため北上の途にあった。7月24日に小山に到着した家康の元に、石田三成挙兵の報が届く。翌25日に、徳川四天王をはじめ、山内一豊福島正則黒田長政浅野幸長細川忠興加藤嘉明蜂須賀至鎮などの諸将と世に言う「小山評定」を行い、反転して西軍との決戦に向かうことを決定する。評定の後、家康は須賀神社に参詣し戦勝を祈念しており、のち、関ヶ原にて祈願成就したことにより社領寄進を行い朱印状を与えております。おそらく、徳川家康公崇拝の神社なる故をもって、日光東照宮造営に携わった宮大工達の手により、神輿が奉納される事となったのであろう。
そもそもこの神社は、藤原秀郷公平将門の乱を鎮圧したことを記念し、940年に京都の祇園社(八坂神社)から御分霊を勧進して創建したもので、戦勝に縁のある、武家にとって縁起の良い神社と思われたのかもしれません。



神輿は屋内の専用展示スペースに安置されており、ガラス越しに見ることができる。



神輿の前には、玄武、白虎、朱雀、青龍の四神像がありました。おそらく、天辺の擬宝珠と付け替えることができるのでしょう。屋根の飾りは真鍮で打ち出された「鳳凰」が多いが、この神輿の四神像は日光東照宮の飾り彫刻に似ている。



この神輿も製作から300年以上が経過し、傷みも酷い状態となっていた。そこで昭和60年5月から日光にお遷しし、大規模な補修が行われる事となったのである。しかも予¥算や期限を設けず、職人達が納得できるまで徹底的に手を尽くしてもらうこととし、4年余の歳月を経て平成元年9月に修復完成となったのである。
修復に4年余の歳月がかかった事を考えると、一から神輿を造ったときは5−6年、もしかしたら10年近くの時間が必要だったかも知れません。

さて、修復に際して判明した朱神輿の特徴についてご説明しておきましょう。
1.木割計算の結果によると、日光東照宮本殿の縮尺と同じであることが判明した。



2.最初の漆塗り(江戸末期に二度目の上塗りが認められる)は全て国産の漆を用いており、その技術は東照宮造営当初のものと全く同じである。特に“朱みこし” と言われる所以は、斗栱、囲垣などに朱漆を用いているからであり、これは日光においても東照宮の社殿にのみ見られるものである。二荒山神社や輪王寺などの建造物には、黒漆が使われている。



3.胴壁部3面の彫刻は、東照宮陽明門の唐子像と類似のものである。しかもこの唐子像に用いられている絵の具は、天然の岩絵の具(貴半石)で、これは東照宮のほか、法隆寺などの国宝級の寺社に用いられている貴重品である(らしい)。



4.神輿には純金箔が使われているが、これは当時大変に貴重なもので、一般に使用できなかった。これが使われているということは、徳川家康公との縁や須賀神社の格式を物語っているといえる。



江戸期の神輿は一般に、初期の物ほど胴が太く、屋根の張り出しが少ないために重厚な感じがするのですが、今回紹介した神輿の中では一番古い「朱神輿」が最も胴が引き締まった印象であり、屋根の張り出しが大きく、そのため斗組も緻密に組まれています。その点も興味深い神輿と言えるでしょう。



須賀神社の例大祭は「祇園祭」と言われ、毎年7月14日から21日にかけて行われる。第3日曜日には神輿渡御が行われるが、このとき用いられる神輿は、総欅造の大神輿であり、朱神輿はお出ましにならない。大神輿は、朱神輿とは対照的に、屋根まで素木の質素な神輿であるが、その重量は2tとのことであるから全国でも有数の大神輿である。地元では「日本一」と言っていた記憶がある。ちなみに朱神輿は1.5tである。



神輿を担ぐときのかけ声は「アンゴステンノー」というものであり、これまた全国的に見て珍奇な物である。これは須賀神社の御祭神が「素戔嗚尊」であり、素戔嗚尊は神仏習合により「牛頭天王」とも称されることから、「南無牛頭天王」が訛って「アンゴステンノー」とのかけ声が生まれたらしい。子供の頃は、このかけ声が神輿を担ぐときの全国ルールと思っていました。w




さて、多少脱線しながら江戸時代に造られた神輿を3種ご紹介しましたが、それぞれ彫刻、彩色、金物、塗り物、金箔など三者三様の見事さを誇っていると思います。私の個人的な視点で、東照宮に関係がある(ありそうな)神輿を選定してみましたがいかがだったでしょうか?
日本各地には数え切れないほど沢山の神輿があるのですから、素晴らしい神輿が広く知られずに埋もれているのかも知れません。地方にある、知られざる名品をご存じの方は、是非紹介して下さい。


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