伝統文化

戦前から日本に密航しまくり捕まりまくる韓国人


戦前日本在住朝韓国人関係新聞記事検索
1868−1945

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戦前日本在住朝韓国人関係新聞記事検索
1868−1945
該当件数は、573 件です。

『韓国人内地密航/発見されて説諭』 大阪朝日 1921/7/15 鮮満 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】

『又も帆船で密航した不逞韓国人四名逮捕さる』 大阪朝日 1922/5/20 〔7/4〕 下関・兵庫 【社会】

『北鮮から密航の怪韓国人/新羅丸の石炭庫に潜伏/労働者には不似合の所持品が不審』 福岡日日 1922/5/21 〔1/2〕 下関・山口 【渡航】

『韓国人十¥名密航』 大阪朝日 1922/7/2 夕 〔2/1〕 下関・山口 【社会】

『韓国人十¥名の密航者/京畿丸に潜伏』 京城日報 1922/7/4 〔4/8〕 下関・山口 【渡航】

『ブロ−カ−の手で密航する韓国人が多い/大部分は山口福岡両県に上陸/北九州一帯では特に警戒を厳にして居る』 九州日報 1923/4/17 〔1/5〕 ・福岡・山口 【渡航】

『密航韓国人発見(遠賀郡芦屋町)』 門司新報 1923/11/7 〔1/5〕 遠賀郡・福岡 【渡航】

『韓国人の内地密航に警戒の眼が光る/釜山水上署の取締』 京城日報 1923/12/20 〔2/5〕 釜山・朝鮮 【渡航】

『内地密航と取締』 大阪朝日 1923/12/6 鮮満 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】

『発動船で密航/韓国人九名発見』 福岡日日 1924/2/21 〔1/2〕 下関・山口 【渡航】

『潜入を企つ/立神丸に忍んで(舞鶴〜元山定期航路・立神丸で自称島根県人が密航企図。「不逞韓国人」と連絡ある者と見込み取調中)』 大阪朝日 1924/4/20 京附 〔1/9〕 舞鶴・京都 【警備】

『丗名の韓国人欺¥されて密航/山口特牛港に』 福岡日日 1924/5/2 〔1/3〕 ・山口 【渡航】

『五十¥余名の密航団/難船して露見に及ぶ』 京城日報 1924/5/9 夕 〔2/4〕 釜山・朝鮮 【渡航】

『韓国人渡来制限撤廃/密航は取締る』 福岡日日 1924/6/7 〔1/7〕 下関・福岡 【渡航】

『密航の韓国人』 門司新報 1924/7/11 〔1/5〕 下関・山口 【渡航】

『極左傾の不逞韓国人が日本へ密行した/手配が廻つて警視庁活動(青山爆弾事件。在ウラジオストクの活動家が日本に密航した形跡があるという朝鮮総督府の打電により活動開始)』 京都日出 1924/8/15 〔〕 東京・東京 【警備】

『巧妙な韓国人の密航/当局も取締りに悩まさる』 京城日報 1925/5/15 〔3/7〕 釜山・朝鮮 【渡航】

『韓国人労働者を内地へ密航させる/大仕掛な企て暴¥露』 京城日報 1925/5/21 〔3/6〕 ・朝鮮 【渡航】

『四十¥二名の密航者検挙/第一回の小手調べ/募集人は厳重処分』 京城日報 1925/10/11 夕 〔5/1〕 慶南・朝鮮 【渡航】

『労働者釣りの悪玉縮み上る/密航者は次第に減少の傾向がある』 京城日報 1925/10/16 〔6/1〕 慶南・朝鮮 【渡航】

『韓国人丗三名の上陸で騒ぐ/密航と誤認して(戸畑市)』 福岡日日 1926/1/4 〔1/3〕 北九州・福岡 【社会】

『韓国人丗五六名を乗せた奇怪な密航船来る/白木署に上陸して行衛不明/其筋では頗る重大視(門司市)』 福岡日日 1926/3/12 〔1/3〕 北九州・福岡 【渡航】

『小発動機船で韓国人の密航団/三十¥名釜山から門司に上陸し行方を晦す』 大阪毎日 1926/3/14 夕 〔2/5〕 門司・福岡 【渡航】

『長さ四間の発動機船で/韓国人三十¥余名密航す/氏名も目的も行先も判らぬ/時節柄厳戒を加ふ』 中国 1926/3/14 〔〕 門司・福岡 【渡航】

『密航韓国人一部発見さる/小倉駅頭にて(小倉市)』 福岡日日 1926/3/14 〔1/3〕 北九州・福岡 【渡航】

『韓国人密航団を発見/同勢三十¥六名の内/十¥六名を捕へて送還』 中国 1926/3/23 〔〕 下関・山口 【渡航】

『大胆な韓国人団帆船で密航/玄海を横切って鐘崎へ/福岡署に知れて取調らる(宗像郡岬村)』 福岡日日 1926/4/11 夕 〔1/2〕 宗像郡・福岡 【渡航】

『怪しき汽船に/六十¥名が潜伏/大規模な密航団が/釜山署の手で逮捕』 大阪朝日 1926/4/13 朝鮮朝日 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】

『密航団韓国人取押へらる』 大阪毎日 1926/4/16 〔11/7〕 門司・福岡 【渡航】

『七十¥余名の密航船/下関で発見』 京城日報 1926/4/17 〔3/3〕 下関・山口 【渡航】

『密航韓国人の/乗込船が沈没/海上を漂流中救はれ/四国宇和島に上陸』 大阪朝日 1926/4/17 朝鮮朝日 〔〕 宇和島・愛媛 【渡航】

『密航者七十¥余名が/釜山に送還さる/警察で保護を加へ/渡航或は帰郷さす』 大阪朝日 1926/4/20 朝鮮朝日 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】

『韓国人の密航団/又また津屋崎へ上陸す(宗像郡津屋崎町)』 九州日報 1926/4/21 〔1/5〕 宗像郡・福岡 【渡航】

『韓国人の密航に/頭を悩ます山口県/悪周旋業者に過られた/哀れな彼らの心情』 大阪朝日 1926/4/24 広島 〔〕 ・山口 【渡航】

『韓国人の密航続出/行啓を控へた山口県へ/既に三百名に達した』 大阪朝日 1926/4/29 〔5/9〕 下関・山口 【渡航】

『又も韓国人の密航団/山口へ六十¥名』 福岡日日 1926/4/29 〔1/2〕 山口・山口 【渡航】

『六十¥名の密航団/山口県の北海岸で発見』 京城日報 1926/4/30 夕 〔2/4〕 ・山口 【渡航】

『韓国人の密航続出/行啓を控へた山口県三百名(東宮行啓を控え県警察部は漫然渡航者を乗船地で阻止しているが、密航を企てる者も増加。近頃も大津郡深川村に60名上陸)』 京都日出 1926/4/30 〔〕 長門・山口 【渡航】

『朝鮮から内地へ/内地から朝鮮へ/虻蜂とらずに終った/密航韓国人団三十¥余名』 大阪朝日 1926/4/7 朝鮮朝日 〔〕 下関・山口 【渡航】

『大密航バレる』 大阪朝日 1926/5/1 朝鮮朝日 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】

『生き残った/密航者送還/厳原警察から/釜山に向けて』 大阪朝日 1926/5/20 朝鮮朝日 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】

『二十¥余名の密航者団逮捕/下関水陸両署活動/時節柄とて重大視す』 中国 1926/5/26 〔〕 下関・山口 【渡航】

『依然と困る密航者/釜山署の大弱』 大阪朝日 1926/5/28 朝鮮朝日 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】

『怪しい韓国人密航者/夜陰に乗じ門司海岸に上陸/大部分を取押へ取調中』 神戸新聞 1926/5/29 〔8/4〕 門司・福岡 【社会】

『大里に又密航団/十¥九名の韓国人(門司市)』 福岡日日 1926/5/29 〔1/2〕 北九州・福岡 【渡航】

『韓国人が帆船で渡っても密航でない、つまらぬ取締りをされては思想上面白くないと朝鮮総督府から横槍』 神戸新聞 1926/5/3 〔6/3〕 釜山・朝鮮 【社会】

『又も糸島に密航団/朝鮮から渡航六十¥余名(糸島郡芥屋村)』 福岡日日 1926/5/4 〔1/2〕 糸島郡・福岡 【渡航】

『密航朝韓国人は/既に二百に上る/行啓後に対策を/赤木特高課長の沿岸視察』 大阪朝日 1926/5/5 広島 〔〕 ・山口 【渡航】

『密航者体裸で泳ぐ/韓国人が陸岸目蒐けて/泳ぎ上つた処を引捕ふ(遠賀郡岡垣村)』 福岡日日 1926/6/12 〔1/2〕 遠賀郡・福岡 【渡航】

『韓国人青年が密航企つ/上海から乗船』 神戸新聞 1926/6/20 〔8/10〕 神戸・兵庫 【社会】

『密航韓国人団逮捕/募集した韓国人男女を/売り飛ばすつもり』 中国 1926/6/6 〔〕 徳山・山口 【渡航】

『戦慄を感じる/あぶない密航/産業の過渡期に立ち/生活に悩む下層韓国人』 大阪朝日 1926/8/14 朝鮮朝日 〔〕 ・朝鮮 【渡航】

『韓国人密航の/首魁を逮捕/釜山警察署で』 大阪朝日 1926/8/25 朝鮮朝日 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】

『さても現金な/密航者が絶える/渡航阻止者に対しては/釜山で就職口を周旋(水電工事にも)』 大阪朝日 1926/10/6 朝鮮朝日 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】

『渡航韓国人の/素質が向上/密航者の群もだんだんと減少』 大阪朝日 1926/11/17 朝鮮朝日 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】

『朝鮮から五六十¥名/御大喪に参列さしたい/不逞団の取締は厳重にする/湯浅総監下関で語る(浦塩或は上海方面から密航、十¥分警戒)』 大阪毎日 1927/1/15 朝鮮 〔9/2〕 下関・山口 【警備】

『警備船で密航者取締』 京城日報 1927/2/24 〔6/3〕 釜山・朝鮮 【渡航】

『密航発覚頻々(吉見村)』 大阪毎日 1927/3/11 朝鮮 〔9/8〕 ・山口 【渡航】

『三名の韓国人怪漢繋留中の発動船を盗み出す/機関長を脅迫して運転を初め舵を操り沖合に逃げ去る(内地密航韓国人の所為と睨み厳重捜査中)』 大阪毎日 1927/3/2 朝鮮 〔9/3〕 釜山・朝鮮 【窃盗】

『密航韓国人/八十¥名/北浦海岸に上陸(豊浦郡川棚村)』 大阪朝日 1927/3/3 朝鮮朝日 〔〕 豊浦・山口 【渡航】

『六十¥名の密航韓国人/下関吉見海岸に上陸(山口県吉見村)』 九州日報 1927/3/7 〔1/5〕 下関・山口 【渡航】

『韓国人丗四名内地へ密航途中暴¥風にあひ対馬に漂着す』 大阪毎日 1927/3/8 朝鮮 〔9/7〕 釜山・朝鮮 【渡航】

『怪帆船の中から百名の密航者現はる/下関市外吉見海岸で発見され釜山へ送還さる』 京城日報 1927/3/9 〔7/5〕 下関・山口 【渡航】

『密航ブロ−カ−韓国人/取押へらる(糸島郡前原町)』 九州日報 1927/4/15 〔1/5〕 前原・福岡 【犯罪】

『船底に潜む怪韓国人/密航者と判る』 神戸新聞 1927/4/16 夕 〔2/8〕 敦賀・福井 【社会】

『密航韓国人/十¥余名捕る(田の浦海岸)』 大阪朝日 1927/4/20 朝鮮朝日 〔〕 門司・福岡 【渡航】

『七十¥名を内地へ密航させんとした四人捕はる』 大阪毎日 1927/4/27 朝鮮 〔10/1〕 釜山・朝鮮 【渡航】

『密航団また捕はる』 京城日報 1927/4/8 夕 〔6/8〕 釜山・朝鮮 【渡航】

『夜陰に乗じ/密航を企つ/韓国人を発見(五十¥余名)』 大阪朝日 1927/4/9 朝鮮朝日 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】

『<慶尚南道>密航幇助で取調べ』 京城日報 1927/5/10 〔4/9〕 釜山・朝鮮 【渡航】

『密航韓国人/蘆屋に上陸/目下取調中』 大阪朝日 1927/5/15 朝鮮朝日 〔〕 芦屋・福岡 【渡航】

『怪機船/密航韓国人の輸送を企つ』 大阪朝日 1927/5/18 朝鮮朝日 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】

『検挙された富士丸/三回に亘つて密航/犯行を自白す』 京城日報 1927/5/19 〔4/1〕 北九州・福岡 【渡航】

『密航団を利用し一儲け志願オヂヤン』 京城日報 1927/5/19 〔7/8〕 釜山・朝鮮 【渡航】

『密航韓国人が/積み帰さる』 大阪朝日 1927/5/20 朝鮮朝日 〔〕 芦屋・福岡 【渡航】

『三人組の密航詐欺¥/横浜水上署で検挙す』 京城日報 1927/7/20 夕 〔2/8〕 横浜・神奈川 【渡航】

『米国の母を尋ねて密航した十¥四歳の鮮童/新聞売子をして苦学した果/アリゾナ号にて送還さる』 福岡日日 1927/7/30 夕 〔1/2〕 横浜・神奈川 【社会】

『密航者送還(支那労働者)』 京城日報 1927/8/2 〔5/4〕 釜山・朝鮮 【渡航】

『慶尚南道/女房に化けて内地へ密航/際どい処で発見さる』 京城日報 1928/1/19 〔4/3〕 釜山・朝鮮 【渡航】

『三韓国人密航/石炭庫にひそんで』 福岡日日 1928/1/25 夕 〔1/2〕 下関・山口 【渡航】

『密航韓国人難破し西戸崎で救はる(糟屋郡志賀島村)』 福岡日日 1928/2/19 〔1/3〕 福岡・福岡 【渡航】

『十¥一名の密航者送還せらる』 大阪毎日 1928/2/21 朝鮮 〔9/5〕 釜山・朝鮮 【渡航】

『北日本汽船の「以智丸」が多数の密航韓国人を乗せて神戸に帰る/水上署、厳重取調べの歩を進む』 神戸新聞 1928/3/6 夕 〔2/4〕 神戸・兵庫 【渡航】

『船長が首謀で韓国人を密航させる/一人から十¥一円とった/南鮮航路の以智丸』 大阪毎日 1928/3/6 〔7/9〕 神戸・兵庫 【社会】

『背任罪その他の罪名で三名を司法係りに/以智丸韓国人密航事件』 神戸新聞 1928/3/7 夕 〔2/8〕 神戸・兵庫 【渡航】

『密航の韓国人(門司市)』 福岡日日 1928/6/29 夕 〔1/2〕 北九州・福岡 【渡航】

『帆船で内地密航/三十¥余名の一団で』 京城日報 1928/9/12 〔4/4〕 釜山・朝鮮 【渡航】

『怪しまれた密航の韓国人/手続不備と判る』 神戸又新日報 1928/9/29 〔5/8〕 神戸・兵庫 【渡航】

『韓国人の密航/対州からが多い』 福岡日日 1928/10/12 〔1/2〕 福岡・福岡 【渡航】

『支那人の密航を企つ/発動汽船で準備中を/釜山水上署で検挙』 京城日報 1928/10/25 夕 〔2/1〕 釜山・朝鮮 【渡航】

『密航を種に/詐欺¥を働く』 大阪朝日 1928/11/28 西北 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】

『密航料三百円/支那人から捲上げる』 京城日報 1928/11/29 〔5/3〕 釜山・朝鮮 【渡航】

『長崎県(対馬)対州にて密航韓国人/五名発見さる』 福岡日日 1929/1/25 夕 〔1/2〕 ・長崎 【渡航】

『石炭庫内に密航韓国人/横浜から大阪へ』 大阪毎日 1929/1/29 夕 〔2/4〕 大阪・大阪 【社会】

『密航支那人失敗して送還/草梁からぬけ出し福岡で上陸禁止』 京城日報 1929/1/30 〔7/6〕 釜山・朝鮮 【渡航】

『怪朝鮮少年/密航成功を申¥立つ(門司)』 門司新報 1929/3/20 〔1/5〕 北九州・福岡 【渡航】

『密航して内地見物』 京城日報 1929/3/27 〔4/3〕 釜山・朝鮮 【渡航】

『二十¥余名の密航韓国人/西唐津で発見』 福岡日日 1929/4/10 夕 〔1/2〕 唐津・佐賀 【渡航】

『内地に密航し/送り還さる』 大阪朝日 1929/4/11 南鮮 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】

『内地密航を企つ』 大阪朝日 1929/4/11 南鮮 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】


『<全羅南道>命懸けの内地密航/無人島に集り帆船で』 京城日報 1929/5/10 〔4/13〕 木浦・朝鮮 【渡航】

『五十¥余名内地へ密航/仮泊中捕る』 京城日報 1929/5/13 〔3/4〕 釜山・朝鮮 【渡航】

『韓国人二十¥六名内地密航/西戸崎を徘徊(粕屋郡志賀島村)』 門司新報 1929/5/14 〔1/5〕 福岡・福岡 【渡航】

『内地密航者/卅名送還さる』 大阪朝日 1929/5/17 南鮮 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】

『旱害農民の/生血を吸ふ/内地密航の悪周旋業者』 大阪朝日 1929/5/2 南鮮 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】

『朝韓国人四十¥名山口県へ密航/上陸し捕はる』 大阪朝日 1929/5/2 夕 〔2/9〕 豊浦郡・山口 【密航】

『釜山から密航した挙動不審の二韓国人、きのふ長城丸で水上署員に発見/同署で引続き取調中』 神戸新聞 1929/5/28 〔5/8〕 神戸・兵庫 【社会】

『密航者と/誤られて/福岡県から釜山へ送還さる』 大阪朝日 1929/5/28 南鮮 〔〕 前原・福岡 【渡航】

『内地へ密航/張本人捕る』 京城日報 1929/5/3 〔4/4〕 釜山・朝鮮 【渡航】

『韓国人密航者/十¥五名上陸/糸島海岸に(糸島郡北崎村)』 九州日報 1929/6/25 〔1/7〕 糸島郡・福岡 【渡航】

『姪浜海岸に密航韓国人/十¥八名上る』 福岡日日 1929/6/29 夕 〔1/2〕 福岡・福岡 【渡航】

『内地官憲と/協力し/朝韓国人の密航を極力ふせぐ』 大阪朝日 1929/6/4 朝鮮朝日 〔〕 ・日本 【渡航】

『石炭庫の中の密航者二名/新舞鶴で検挙(島谷汽船大成丸で木浦から敦賀へ密航企図)』 大阪朝日 1929/7/11 京版 〔9/7〕 舞鶴・京都 【渡航】

『密航専門の怪発動汽船/船長等遂に捕はる』 京城日報 1929/7/8 〔3/4〕 釜山・朝鮮 【渡航】

『密航韓国人十¥四五名捕はる/姪浜海岸で』 九州日報 1929/8/12 〔1/7〕 福岡・福岡 【渡航】

『韓国人十¥三名密航して捕はる』 福岡日日 1929/8/12 〔1/3〕 福岡・福岡 【渡航】

『密航者一杯喰ふ』 京城日報 1929/8/31 〔5/1〕 釜山・朝鮮 【渡航】

『密航を/企てた一味/十¥余名検挙』 大阪朝日 1929/8/31 西北 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】

『内地に密航韓国人検挙』 大阪毎日 1929/8/31 朝鮮 〔9/8〕 釜山・朝鮮 【渡航】

『密航韓国人廿五名山林に潜伏中を取押へらる(遠賀郡島郷村)』 福岡日日 1929/8/4 夕 〔1/2〕 北九州・福岡 【渡航】

『韓国人廿五名の密航団押へらる/妙齢の婦人や社会主義青年/遠賀郡下の海岸で(遠賀郡島郷村)』 九州日報 1929/8/5 〔1/7〕 北九州・福岡 【渡航】

『内地密航の/帆船が/時化に遭ひ/全部救はる』 大阪朝日 1929/9/12 西北 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】

『韓国人多数溺死か/内地への密航中遭難す(対馬比田勝沖)』 大阪毎日 1929/9/13 〔7/9〕 上県郡・長崎 【渡航】

『遭難の/密航者/送り還さる』 大阪朝日 1929/9/14 西北 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】

『密航韓国人(神戸へ送還)』 大阪毎日 1929/9/28 神毎 〔9/7〕 神戸・兵庫 【社会】

『内地密航に/飛行機/利用せんとして取押へらる』 大阪朝日 1929/10/24 西北 〔〕 慶州・朝鮮 【渡航】

『密航常習者/出発間際に逮捕』 京城日報 1929/10/5 〔4/2〕 南海郡・朝鮮 【渡航】

『強ひて罪人にして韓国人少年を保護さす/複雑な家庭の事情から死出の旅の密航哀話』 大阪朝日 1929/11/21 神版 〔9/6〕 神戸・兵庫 【社会】

『密航韓国人少年/船で使ってくれと哀願す』 大阪毎日 1929/11/21 神毎 〔9/7〕 神戸・兵庫 【社会】

『密航韓国人十¥数名取押へらる(門司市)』 福岡日日 1929/12/25 夕 〔1/2〕 北九州・福岡 【渡航】

『密航上陸の十¥三韓国人/それゞゝに斡旋(門司)』 門司新報 1929/12/26 〔1/2〕 北九州・福岡 【渡航】

『密航韓国人十¥九名西戸崎に上陸し寒さにふるふ(糟屋郡志賀島村)』 福岡日日 1929/12/27 夕 〔1/2〕 福岡・福岡 【渡航】

『関釜連絡船で怪しい韓国人/密航を企て逮捕さる』 大阪毎日 1929/12/29 朝鮮 〔9/8〕 釜山・朝鮮 【渡航】

『密航船の行方捜査』 京城日報 1930/1/10 〔4/2〕 釜山・朝鮮 【渡航】

『卅二名の密航団送還』 京城日報 1930/1/11 〔4/8〕 釜山・朝鮮 【渡航】

『二韓国人の密航』 門司新報 1930/1/12 〔1/5〕 下関・山口 【渡航】

『寒風にふるえて韓国人の密航団/叉もブローカーに騙される/発動船で玄海横断(糟屋郡志賀島村)』 福岡日日 1930/1/7 〔1/3〕 福岡・福岡 【渡航】

『内地渡航を望む韓国人を食物にする不正船員/叉も密航団十¥二名下関に現る/怪発動船の行方を厳重捜索』 福岡日日 1930/1/8 〔1/2〕 下関・山口 【渡航】

『密航卅八名逆戻り』 京城日報 1930/1/9 〔4/4〕 釜山・朝鮮 【渡航】

『西戸崎に密航韓国人/子供を混つて十¥数名』 九州日報 1930/2/13 夕 〔1/2〕 福岡・福岡 【渡航】

『密航韓国人団十¥三名を発見(糟屋郡志賀島村)』 福岡日日 1930/2/13 夕 〔1/2〕 福岡・福岡 【渡航】

『又も韓国人密航/けさ、西公園へ三名』 九州日報 1930/3/19 夕 〔1/2〕 福岡・福岡 【渡航】

『多数の密航韓国人/西公園付近から上陸し三十¥名は検挙さる』 福岡日日 1930/3/19 夕 〔1/4〕 福岡・福岡 【渡航】

『又も西戸崎韓国人密航(糟屋郡志賀島村)』 福岡日日 1930/3/24 〔1/3〕 福岡・福岡 【渡航】

『姪浜にも密航韓国人(早良郡姪浜町)』 福岡日日 1930/3/24 〔1/3〕 福岡・福岡 【渡航】

『密航韓国人八十¥八名を逮捕/遠賀郡岡垣村に上陸/炭坑方面に潜入(遠賀郡水巻村)』 福岡日日 1930/3/5 〔1/2〕 遠賀郡・福岡 【渡航】

『韓国人九名密航/発動機船に便乗』 門司新報 1930/5/14 〔1/5〕 下関・山口 【渡航】

『密航超特作/マストの先端に隠る』 京城日報 1930/5/2 〔4/4〕 釜山・朝鮮 【渡航】

『命がけの密航/関釜連絡船の数十¥尺の/マストによぢ登り』 大阪朝日 1930/5/2 南鮮 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】

『密航支那人送還(朝鮮の草梁海岸から門司に上陸)』 京城日報 1930/5/20 〔4/4〕 北九州市門司区・福岡 【渡航】

『密航朝韓国人を/船中で脅迫/所持金を全部巻上ぐ/海賊動揺の密航ブローカー』 大阪朝日 1930/5/21 南鮮 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】

『潜航、密航斡旋の首犯原田捕はる/一味の蛭子丸船員も悉く検挙さる』 大阪毎日 1930/5/22 朝鮮 〔9/7〕 釜山・朝鮮 【渡航】

『<慶尚南道>生血を吸ふ悪ブローカー/内地密航を種にして近く大々的検挙する』 京城日報 1930/5/3 〔4/9〕 釜山・朝鮮 【渡航】

『二十¥八名を密航させて/手数料を取った/三名遂に捕る』 大阪朝日 1930/5/3 南鮮 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】

『雑魚寝の密航韓国人/六名門司老松公園に』 九州日報 1930/5/4 〔1/7〕 北九州・福岡 【渡航】

『密航を企て/大時化に逢ふ』 大阪朝日 1930/6/17 西北 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】

『密航韓国人発見』 門司新報 1930/6/5 〔1/5〕 下関・山口 【渡航】

『密航韓国人泣く/飲まず食はずに』 福岡日日 1930/8/25 〔1/7〕 ・佐賀 【渡航】

『密航労働者を/脅迫の船長らに/それぞれ懲役を求刑』 大阪朝日 1930/10/16 西北 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】

『朝韓国人四十¥三名/内地密航を企つ/漁業会社の船員と詐称/下関入港発見さる』 大阪朝日 1931/2/27 広島 〔〕 下関・山口 【渡航】

『四十¥二名の韓国人密航団/鮮魚運搬船へ潜伏/下関署に発見さる(川尻町で漁業従業のため雇入れて来たものと訂正あり、三月一日付け記事)』 中国 1931/2/27 〔〕 下関・山口 【渡航】

『四十¥三名の韓国人密航/下関入港の機帆船にて』 門司新報 1931/2/27 〔1/5〕 下関・山口 【渡航】

『男女三十¥九名が/密航詐欺¥にかかる/犯人は姿を晦ます』 大阪朝日 1931/3/12 南鮮 〔〕 対馬・長崎 【渡航】

『欺¥かれた韓国人密航団/四日間玄界灘を漂流し厳原で置き去らる』 大阪朝日 1931/3/19 夕 〔2/7〕 長崎・長崎 【密入国】

『石炭庫にかくれていた/密航者発見さる/怪しいトランクを所持』 中国 1931/3/25 〔〕 呉・広島 【渡航】

『丗名の密航者又朝鮮から/花見酒宴中の騒ぎ(糸島郡北崎村)』 福岡日日 1931/3/31 〔1/3〕 糸島郡・福岡 【渡航】

『四十¥二名の韓国人密航/中には甘い道行きもある』 門司新報 1931/4/1 〔1/5〕 ・山口 【渡航】

『密航の朝鮮女に韓国人土工連が暴¥行/説得する親方等を負傷さす/女房にすると頑張て』 福岡日日 1931/4/10 〔1/3〕 ・佐賀 【社会】

『朝韓国人の密航団/一人あたり十¥五円の料金で/三十¥二人山口県へ』 中国 1931/4/30 〔〕 下関・山口 【渡航】

『密航韓国人四十¥名の上陸』 門司新報 1931/5/10 〔1/5〕 下関・山口 【渡航】

『丗六名の密航韓国人糸島の北崎海岸に上陸/前原署で取調の上送還(糸島郡北崎村)』 福岡日日 1931/5/17 夕 〔1/2〕 糸島郡・福岡 【渡航】

『密航の二韓国人』 大阪朝日 1931/5/27 神版 〔9/7〕 神戸・兵庫 【密入国】

『密航発見さる』 大阪毎日 1931/5/27 神毎 〔9/5〕 神戸・兵庫 【社会】

『下関署で/密航韓国人/厳重取締る』 大阪朝日 1931/6/13 南鮮 〔〕 下関・山口 【渡航】

『朝鮮を本拠に密航の周旋/不正の戸籍謄本を所持した男の口から暴¥露す』 神戸新聞 1931/6/22 〔7/5〕 神戸・兵庫 【社会】

『全鮮に網を張る密航の大周旋団/内地居住朝韓国人の謄本を盗用/本拠を仁川に置く』 大阪朝日 1931/6/22 神版 〔9/6〕 神戸・兵庫 【密入国】

『西戸崎に密航韓国人(糟屋郡志賀島村)』 福岡日日 1931/6/24 〔1/3〕 福岡・福岡 【渡航】

『密航朝韓国人領事館へ自首(在神戸)』 大阪朝日 1931/7/4 神版 〔9/7〕 神戸・兵庫 【密入国】

『密航韓国人二十¥三名発見さる(早良郡藤島村)』 福岡日日 1931/7/7 夕 〔1/2〕 福岡・福岡 【渡航】

『廿八名の韓国人若松に密航(若松市)』 福岡日日 1931/8/17 〔1/3〕 北九州・福岡 【渡航】

『夫恋ひしさに韓国人密航(糸島郡北崎村)』 九州日報 1931/8/18 〔1/7〕 ・福岡 【渡航】

『韓国人の密航』 福岡日日 1931/8/20 〔1/3〕 福岡・福岡 【渡航】

『三日不飲不食の密航二人韓国人(門司)』 門司新報 1931/11/22 〔1/5〕 北九州・福岡 【渡航】

『朝韓国人二十¥三名密航/糸島へ上陸(糸島郡芥屋村)』 九州日報 1931/12/4 〔1/7〕 糸島郡・福岡 【渡航】

『内地密航団/釜山で検挙』 大阪朝日 1932/3/13 南鮮 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】

『五十¥余名の密航韓国人/北崎と志賀島に』 福岡日日 1932/3/29 夕 〔1/2〕 糸島郡、福岡・福岡 【渡航】

『韓国人内地密航団/釜山に送還さる』 大阪朝日 1932/3/3 南鮮 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】

『朝鮮から十¥四名発動船で密航/小倉海岸に上陸す(門司)』 門司新報 1932/3/30 〔1/5〕 北九州・福岡 【渡航】

『発動船による/内地への密航/最近またも増加す』 大阪朝日 1932/4/12 南鮮 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】

『頓に劇増した韓国人の内地密航/一月以降千名に上らん』 門司新報 1932/4/14 〔1/5〕 ・佐賀 【渡航】

『神天丸に密航者(大阪摂津汽船)』 大阪朝日 1932/4/2 広島 〔〕 広島・広島 【渡航】

『朝韓国人の/内地密航/絶滅計画』 大阪朝日 1932/4/26 南鮮 〔〕 ・朝鮮 【渡航】

『又も戸畑に韓国人の密航/内三名を門司水上署で逮捕(門司)』 門司新報 1932/4/26 〔1/5〕 北九州・福岡 【渡航】

『密航韓国人二十¥五名小戸海岸に上陸/九名は行方不明』 福岡日日 1932/4/3 夕 〔1/2〕 福岡・福岡 【渡航】

『又も廿二名の韓国人密航団(門司市)』 福岡日日 1932/4/8 夕 〔1/2〕 北九州・福岡 【渡航】

『韓国人密航者十¥五名/門司駅で捕はる(門司)』 門司新報 1932/4/9 〔1/5〕 北九州・福岡 【渡航】

『最近非常に多い韓国人の内地密航/発見護送された者の外潜入した者もかなり多数(門司市)』 福岡日日 1932/5/13 夕 〔1/2〕 北九州・福岡 【渡航】

『発動船で密航の韓国人十¥九名/門司市大久保に上陸(門司)』 門司新報 1932/5/13 〔1/5〕 北九州・福岡 【渡航】

『取締上厄介千万な朝韓国人の内地密航/内鮮協力して研究/池田総督府警務局長語る』 福岡日日 1932/5/14 〔1/4〕 下関・山口 【渡航】

『密航韓国人四十¥名/豊浦郡へ上陸』 門司新報 1932/5/15 〔1/5〕 下関・山口 【渡航】

『四十¥名の密航韓国人』 福岡日日 1932/5/16 〔1/3〕 ・山口 【渡航】

『またも密航韓国人/不逞の徒の潜入を警戒し福岡県警察部大緊張(糸島郡福吉村)』 福岡日日 1932/5/25 〔1/3〕 ・福岡 【渡航】

『八十¥五名の密航韓国人/門司水陸両署大活動開始(門司)』 門司新報 1932/5/25 〔1/5〕 北九州・福岡 【渡航】

『大仕掛の/密航ブローカー/釜山で検挙される』 大阪朝日 1932/5/28 南鮮 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】

『また下関へ韓国人密航/一部は逃走す』 門司新報 1932/6/11 〔1/5〕 下関・山口 【渡航】

『不穏文書を持った密航韓国人/新韓会幹部からの重要指令/下関署色めく(山口県川中村)』 九州日報 1932/6/12 〔1/7〕 下関・山口 【共産主義】

『密航の検挙から韓国人の陰謀暴¥露/朝鮮独立運動の不穏文書現れ/下関署異常な緊張』 門司新報 1932/6/12 〔1/5〕 下関・山口 【民族運動】

『又々九名の密航韓国人(糸島郡野北村)』 福岡日日 1932/6/14 夕 〔1/2〕 糸島郡・福岡 【渡航】

『密航韓国人大検挙/昨朝下関両署が』 門司新報 1932/6/3 〔1/5〕 下関・山口 【渡航】

『又も密航韓国人十¥一名神ノ湊海岸に上陸 東郷署に連行取調べ 首謀者二名も逮捕(宗像郡神湊町)』 福岡日日 1932/6/4 夕 〔1/2〕 宗像・福岡 【渡航】

『五人連の韓国人/丗余名の密航一味と判る(門司市)』 福岡日日 1932/6/5 夕 〔1/2〕 北九州・福岡 【渡航】

『韓国人密航団又も姿を現はす/昨日門司日野海岸に(門司)』 九州日報 1932/8/30 〔1/4〕 北九州・福岡 【渡航】

『韓国人の密航者/時節柄門水署大活動(門司)』 門司新報 1932/8/30 〔1/5〕 北九州・福岡 【渡航】

『密航団三十¥余名/釜山で検挙/ブローカー二名も取押へ』 大阪朝日 1932/8/7 南鮮 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】

『「赤手」防御の陣/但馬海岸を警戒/朝鮮方面の密航者に備ふ/警官十¥名を増派し』 大阪朝日 1932/10/16 神版 〔1/13〕 城崎郡・兵庫 【警戒】

『下関方面に続々韓国人密航す/陸軍大演習を前に/愈よ警戒を固む』 福岡日日 1932/11/1 〔1/3〕 下関・山口 【警備】

『密航韓国人取押表¥彰(宗像郡津屋崎町)』 福岡日日 1932/11/13 〔1/7〕 宗像郡・福岡 【渡航】

『大演習を機に韓国人不穏計画/発動機船で密航下関署に挙らる』 九州日報 1932/11/5 〔1/7〕 下関・山口 【警備】

『労働者の/内地密航/を企て一味検挙さる』 大阪朝日 1933/1/20 南鮮 〔〕 馬山・朝鮮 【渡航】

『密航韓国人三名発見送還さる/他の一味を捜査中』 福岡日日 1933/2/10 夕 〔1/2〕 下関・福岡 【渡航】

『密航韓国人の方割れ捕はる/門司水上署員に(門司)』 門司新報 1933/2/10 〔1/5〕 北九州・福岡 【渡航】

『十¥六名の密航韓国人/五名発見送還される(糸島郡加布里村)』 福岡日日 1933/2/21 夕 〔1/2〕 前原・福岡 【渡航】

『証明書を偽造/韓国人の密航』 門司新報 1933/2/3 〔1/5〕 下関・福岡 【渡航】

『大規模な内地密航/釜山で捕はる』 大阪毎日 1933/2/5 朝鮮 〔5/7〕 釜山・朝鮮 【渡航】

『神ノ湊に密航韓国人/十¥九名上陸(宗像郡神湊町)』 福岡日日 1933/3/16 〔1/3〕 宗像郡・福岡 【渡航】

『夜雨を衝いて密航韓国人/大捕物の幕』 福岡日日 1933/3/28 〔1/3〕 福岡・福岡 【渡航】

『密航韓国人三十¥名/又も糸島へ上陸(糸島郡加布里村)』 福岡日日 1933/3/29 夕 〔1/2〕 前原・福岡 【渡航】

『密航韓国人送還(糸島郡前原町)』 九州日報 1933/3/30 〔1/7〕 前原・福岡 【犯罪】

『警戒網を潜る密航韓国人/門司水上署手配(門司市)』 福岡日日 1933/4/10 〔1/7〕 北九州・福岡 【渡航】

『密航韓国人逮捕』 福岡日日 1933/4/12 〔1/3〕 下関・山口 【渡航】

『子供も交つて十¥三名が密航/下関署に一網打尽』 門司新報 1933/4/13 〔1/5〕 下関・山口 【渡航】

『朝韓国人の密航周旋/二人共謀して手数料をとる』 大阪毎日 1933/4/17 西部 〔7/13〕 宇部・山口 【渡航】

『二韓国人密航』 大阪毎日 1933/4/17 西部 〔7/13〕 唐津・佐賀 【渡航】

『下関にも密航韓国人現はる(山口県川中村)』 九州日報 1933/4/22 夕 〔1/2〕 下関・山口 【渡航】

『またも韓国人の密航/糸島海岸に上陸(糸島郡芥屋村)』 九州日報 1933/4/22 夕 〔1/2〕 糸島郡・福岡 【渡航】

『密航韓国人(糸島郡芥屋村)』 福岡日日 1933/4/22 〔1/3〕 糸島郡・福岡 【渡航】

『八名の密航/釜山で逮捕』 大阪毎日 1933/4/30 朝鮮 〔5/10〕 釜山・朝鮮 【渡航】

『密航韓国人十¥二名』 福岡日日 1933/4/30 〔1/3〕 下関・山口 【渡航】

『密航者満載の/怪船捕はる/僅か十¥五トンの小舟に/密航者六十¥六名潜伏(福岡へ)』 大阪朝日 1933/4/5 南鮮 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】

『密航を企て難破す』 大阪毎日 1933/4/9 朝鮮 〔5/5〕 浦項・朝鮮 【渡航】

『密航韓国人/十¥一名中一名逮捕』 福岡日日 1933/5/10 〔1/3〕 福岡・福岡 【渡航】

『廿三名の密航韓国人逮捕』 福岡日日 1933/5/13 〔1/3〕 下関・山口 【渡航】

『またも密航韓国人/けさ西戸崎にて十¥五名取押へらる(糟屋郡志賀島村)』 福岡日日 1933/5/24 夕 〔1/2〕 福岡・福岡 【渡航】

『又復密航韓国人』 福岡日日 1933/5/31 〔1/3〕 下関・山口 【渡航】

『四十¥余名の大密航/釜山で検挙』 大阪毎日 1933/6/10 朝鮮 〔5/5〕 釜山・朝鮮 【渡航】

『密航韓国人四名/吉隈坑で逮捕』 大阪毎日 1933/6/11 西部 〔6/6〕 嘉穂郡桂川町・ 【渡航】

『またも密航韓国人(若松市)』 福岡日日 1933/6/7 〔1/3〕 北九州・福岡 【渡航】

『韓国人十¥七名またも密航』 福岡日日 1933/7/11 夕 〔1/2〕 下関・山口 【渡航】

『韓国人の密航』 門司新報 1933/7/12 〔1/5〕 下関・山口 【渡航】

『六百円を盗んで靴の下にかくして密航』 福岡日日 1933/7/16 夕 〔1/2〕 下関・山口 【渡航】

『密航ブローカー二名検挙さる』 大阪毎日 1933/8/27 朝鮮 〔5/10〕 釜山・朝鮮 【渡航】

『赤の密航、新潟港で監視』 社会運動通信 1933/9/16 〔2/5〕 新潟・新潟 【治安】

『十¥数名の韓国人密航』 福岡日日 1933/10/4 〔1/3〕 下関・山口 【渡航】

『下関に密航韓国人』 門司新報 1933/11/2 〔1/5〕 下関・山口 【渡航】

『釜山から釜山へ/喜劇“内地密航”/一人十¥五円宛絞られ/馬鹿を見た十¥一名』 大阪毎日 1933/11/24 朝鮮 〔?/7〕 釜山・朝鮮 【渡航】

『密航団三十¥一名/ブローカー四名も検挙』 大阪朝日 1933/11/28 南鮮 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】

『炭坑景気を慕ひ/韓国人密航最近相つぐ(糟屋郡志賀島村)』 福岡日日 1933/12/22 〔1/3〕 福岡・福岡 【渡航】

『又も密航韓国人』 福岡日日 1933/12/30 〔1/5〕 福岡・福岡 【渡航】

『密航韓国人をつんだ怪発動機船(糟屋郡志賀島村)』 福岡日日 1933/12/7 〔1/3〕 福岡・福岡 【渡航】

『 「景気」に釣られた韓国人五十¥名/密航して捕はれすぐさま送還(宗像郡岬村)』 福岡日日 1934/1/16 〔1/3〕 宗像郡・福岡 【渡航】

『密航韓国人の上陸を厳重監視/前原署の取締(糸島郡芥屋村)』 福岡日日 1934/1/19 〔1/3〕 糸島郡・福岡 【警備】

『三十¥名中の密航韓国人六名/門司で検挙』 福岡日日 1934/1/26 〔1/3〕 北九州・福岡 【渡航】

『十¥円廿円で韓国人に密航周旋/主魁下関署に捕はる』 門司新報 1934/3/20 〔1/5〕 下関・山口 【渡航】

『糸島今津海岸に密航韓国人八名(糸島郡今津村)』 福岡日日 1934/3/21 〔1/5〕 福岡・福岡 【渡航】

『警官も舌を巻いた/新手の密航法/ナンセンス偽狂人』 大阪毎日 1934/3/22 朝鮮 〔5/9〕 釜山・朝鮮 【渡航】

『韓国人の密航/二十¥二名補る』 九州日報 1934/3/3 〔1/7〕 ・佐賀 【渡航】

『密航の青年、朝鮮から二名』 大阪朝日 1934/3/31 神版 〔4/19〕 神戸・兵庫 【密入国】

『朝韓国人の密航者/各方面へ潜入/済州島で手数料をとり斡旋/中の四名は検挙さる(岩白石粉工場)』 芸備日日 1934/3/4 〔〕 木江・広島 【渡航】

『密航珍風景/門司に辿りついた七勇士?』 大阪毎日 1934/3/4 朝鮮 〔5/9〕 北九州市門司区・福岡 【渡航】

『密航韓国人三名/木ノ江町で発見された(岩白石粉工場)』 中国 1934/3/4 〔〕 木江・広島 【渡航】

『六十¥名の密航団/渡航料一人四円づゝ徴収して出帆の間際検挙さる』 大阪毎日 1934/4/1 朝鮮 〔5/6〕 釜山・朝鮮 【渡航】

『丗余名の韓国人が密航/下関で検挙』 門司新報 1934/4/10 〔1/5〕 下関・山口 【渡航】

『宇部に密航韓国人』 九州日報 1934/4/18 〔1/7〕 宇部・山口 【渡航】

『間一髪/取押へた密航者百名/赤崎半島から内地へ』 大阪朝日 1934/4/18 南鮮 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】

『またも下関へ韓国人が密航す』 門司新報 1934/4/18 〔1/5〕 下関・山口 【渡航】

『密航首謀者/海中に姿を晦す/寸前警官隊に追はれ/密航料を握ったまま』 大阪朝日 1934/4/20 南鮮 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】

『密航ブローカー/検挙が端緒に/釜山署警官不正事件』 大阪朝日 1934/5/10 南鮮 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】

『一人十¥円で朝韓国人の密航/下関に上陸して発見』 門司新報 1934/5/13 〔1/5〕 下関・山口 【渡航】

『密航韓国人か/阿品海岸へ発動船/十¥数名夜陰に上陸』 中国 1934/5/16 〔〕 廿日市・広島 【渡航】

『朝鮮の大密航団/広島県特高課と加計署が/検挙に大活動を開始(下山発電所の間組飯場)』 中国 1934/5/18 〔〕 ・広島 【渡航】

『五十¥名の密航者/発見され逃走』 大阪毎日 1934/5/24 朝鮮 〔5/8〕 釜山・朝鮮 【渡航】

『またも韓国人が下関に密航』 門司新報 1934/5/24 〔1/5〕 下関・福岡 【渡航】

『下関市外に韓国人の密航頻々/六十¥余名を検挙』 福岡日日 1934/6/2 夕 〔1/2〕 下関・山口 【渡航】

『着流しの朝韓国人/何と堂々と密航/気狂ひを装ふ手もある/“釜山ケ関”の富樫も顔負け』 大阪毎日 1934/6/21 朝鮮 〔5/6〕 釜山・朝鮮 【渡航】

『五十¥名の密航団/部落民の応援で遂に逮捕』 大阪朝日 1934/6/26 南鮮 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】

『密航者を世話し航海中に巻上ぐ/恐ろしいブローカー逮捕さる』 大阪毎日 1934/6/27 朝鮮 〔5/6〕 釜山・朝鮮 【渡航】

『六十¥余名の/密航団捕る/漕ぎ寄せた密航船長/ブローカーら四名も』 大阪朝日 1934/6/30 南鮮 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】

『一人十¥円で密航の斡旋/門司で主魁御用(門司)』 門司新報 1934/6/7 〔1/5〕 北九州・福岡 【渡航】

『内地人に化け韓国人が密航』 門司新報 1934/7/10 〔1/5〕 下関・山口 【渡航】

『密航韓国人六名検挙さる(門司市)』 福岡日日 1934/7/30 夕 〔1/2〕 北九州・福岡 【渡航】

『密航の韓国人四十¥名上陸/広島方面に潜入の形跡/門司では二人を逮捕(門司)』 門司新報 1934/7/30 〔1/3〕 北九州・福岡 【渡航】

『密航ブローカー/またも検挙』 大阪朝日 1934/7/5 南鮮 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】

『密航韓国人上陸』 門司新報 1934/8/2 〔1/5〕 下関・山口 【渡航】

『密航韓国人三十¥名上陸』 門司新報 1934/8/21 〔1/5〕 下関・山口 【渡航】

『密航韓国人発見』 門司新報 1934/8/26 〔1/5〕 下関・山口 【渡航】

『臭ひ密航(門司)』 門司新報 1934/8/26 〔1/5〕 北九州・福岡 【渡航】

『密航者泣かせのブローカの一団/一味十¥名逮捕さる』 大阪毎日 1934/8/3 朝鮮 〔5/7〕 釜山・朝鮮 【渡航】

『八幡へ密航韓国人(八幡)』 門司新報 1934/8/30 〔1/5〕 北九州・福岡 【渡航】

『門司和布刈へ韓国人が密航/門司署憲兵隊で十¥九名逮捕/逃亡者目下捜査中(門司)』 門司新報 1934/9/2 〔1/5〕 北九州・福岡 【渡航】

『密航者送還(下関の彦島より)』 大阪朝日 1934/9/28 南鮮 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】

『慰問金を割き密航料を払ふ/下関で発見された三十¥二名連絡船で送還さる』 大阪毎日 1934/9/28 朝鮮 〔5/7〕 下関・朝鮮 【渡航】

『密航ブローカー/大征伐に着手/跋扈いよいよ甚だし』 大阪朝日 1934/10/20 南鮮 〔〕 ・朝鮮 【渡航】

『卅余名密航談/またも捕る』 大阪朝日 1934/10/24 南鮮 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】

『月明の海上で密航船捕り物陣/三十¥余名を逮捕』 大阪毎日 1934/10/25 朝鮮 〔5/8〕 釜山・朝鮮 【渡航】

『密航の阻止にブローカー掃蕩/水害罹災者を口車に乗せて絞り取る奸策』 大阪毎日 1934/10/7 朝鮮 〔5/7〕 釜山・朝鮮 【渡航】

『韓国人の密航/志賀島に二十¥九名上陸(粕屋郡志賀島村)』 九州日報 1934/11/2 〔1/7〕 福岡・福岡 【渡航】

『密航船転覆し三十¥余名溺死/三トンの帆船に六十¥余名/玄界灘闇夜の風浪で』 大阪朝日 1934/11/21 夕 〔2/5〕 釜山・朝鮮 【密航】

『密航の朝韓国人三十¥余名溺死/遭難曳船中に沈没』 大阪毎日 1934/11/21 夕 〔2/1〕 釜山・朝鮮 【社会】

『憧れの内地へ、が生む密航の悲劇/玄海を越える月百名の潜航者/頭を悩ます取締当局』 大阪毎日 1934/11/22 朝鮮 〔5/6〕 釜山・朝鮮 【渡航】

『広島市を中心に韓国人大量の密航/県特高課、俄然動き/昨夜首魁ら一斉検挙』 芸備日日 1934/11/29 〔〕 広島・広島 【渡航】

『無知を利用し/種々な奸策/阻止する当局の眼を逃れて/韓国人密航事件余聞』 芸備日日 1934/11/29 〔〕 広島・広島 【渡航】

『朝鮮からの密航者/首魁等百八十¥名検挙/県特高東西両署特高課/昨夜から今暁への大捕物』 呉日日 1934/11/29 〔〕 広島・広島 【渡航】

『首魁遂に捕る/多数を内地に密航させた大掛り韓国人密航団』 神戸又新日報 1934/11/29 〔7/7〕 広島・広島 【渡航】

『県下に上陸した/多数の密航朝韓国人/下関で借りた発動機船に/百五十¥名乗せて玖波港へ(大竹海岸埋立工事や可部鉄道工事場)』 大阪朝日 1934/11/29 広島 〔〕 広島・広島 【渡航】

『韓国人密航団へ/一斉に大手入れ/広島県警察部が/県下各警察署を督励(大竹海岸埋立工事や可部鉄道工事場)』 中国 1934/11/29 〔〕 広島・広島 【渡航】

『汽船を傭ひ切って/韓国人の大密航/金を巻きあげ素裸かにし/トラックで工事場へ売る』 中国日報 1934/11/29 〔〕 広島・広島 【渡航】

『韓国人を密航させ濡手に粟の儲け/六名が共謀して広島に多数潜入さす』 福岡日日 1934/11/29 〔1/3〕 ・広島 【渡航】

『二百名の大量密航/広島県へ韓国人が潜入』 門司新報 1934/11/29 〔1/5〕 ・広島 【渡航】

『広島県下密航韓国人/引続き検挙/今後徹底的取締り』 芸備日日 1934/11/30 〔〕 広島・広島 【渡航】

『密航者の取調/各飯場を捜査(可部線)』 大阪朝日 1934/11/30 広島 〔〕 広島・広島 【渡航】

『本県にも張る/密航警戒網/先づ漁業組合と連絡』 大阪朝日 1934/11/30 広島 〔〕 広島・広島 【渡航】

『海上にも怖い目/内地密航者を徹底的に取締る/警察網も大に拡充』 大阪毎日 1934/11/30 朝鮮 〔5/3〕 ソ¥ウル(京城)・朝鮮 【渡航】

『全面的検挙は困難/県の密航韓国人狩り/今後は取締りを厳重に』 中国 1934/11/30 〔〕 広島・広島 【渡航】

『見張が厳重で/密航者広島へ転向/福岡山口両県へ見切りをつけて/県当局密航防止に大童は』 呉日日 1934/12/1 〔〕 広島・広島 【渡航】

『内地密航送還さる/高興の五十¥七名』 大阪毎日 1934/12/11 朝鮮 〔5/10〕 高興・朝鮮 【渡航】

『韓国人四十¥名密航/若松に上陸』 九州日報 1934/12/12 〔1/7〕 北九州・福岡 【渡航】

『若松築港へ密航韓国人(若松)』 門司新報 1934/12/12 〔1/5〕 北九州・福岡 【渡航】

『下関市外へ密航韓国人』 門司新報 1934/12/13 〔1/5〕 下関・山口 【渡航】

『二度目の密航/香川県の発動船』 大阪朝日 1934/12/16 広島 〔〕 広島・広島 【渡航】

『密航韓国人下関市外へ上陸』 門司新報 1934/12/19 〔1/5〕 下関・山口 【渡航】

『密航韓国人の第二次検挙/更に十¥三名を発見/可部署は満員すし詰(可部線)』 芸備日日 1934/12/2 〔〕 広島・広島 【渡航】

『またまた密航韓国人/十¥四名を検挙/安佐郡飯室付近で/なほ数十¥名もゐる(可部線)』 中国 1934/12/2 〔〕 広島・広島 【渡航】

『四十¥四名の韓国人密航(小倉市)』 福岡日日 1934/12/27 夕 〔1/2〕 北九州・福岡 【渡航】

『密航韓国人五十¥数名を/第一次に送還/警官十¥数名を乗り込ませ/七日に広島港出帆』 中国 1934/12/4 〔〕 広島・広島 【渡航】

『密航韓国人の/第二次検挙/更に十¥三名を発見(可部線工事場)』 中国日報 1934/12/4 〔〕 広島・広島 【渡航】

『モダーン留置場/いよいよ店開き/最初のお客さんは密航韓国人(可部線)』 芸備日日 1934/12/5 〔〕 広島・広島 【渡航】

『慌てちゃいけない/便器で洗面/モダン留置場に入れられ/大喜びの密航朝韓国人(可部線)』 大阪朝日 1934/12/5 広島 〔〕 広島・広島 【渡航】

『県庁留置場へ/いと賑々しく初のお客様/例の韓国人密航団』 中国 1934/12/5 〔〕 広島・広島 【渡航】

『密航韓国人五十¥名/先づ故国へ送還/更に全面的に検挙』 中国日報 1934/12/5 〔〕 広島・広島 【渡航】

『門司雨ヶ窪へ密航韓国人上陸/何れも悪船頭に欺¥されて(門司)』 門司新報 1934/12/5 〔1/5〕 北九州・福岡 【渡航】

『密航者送還』 大阪朝日 1934/12/7 広島 〔〕 広島・広島 【渡航】

『とてもものものしい/密航韓国人の送還/警護の警察官へは/拳銃も携帯さして』 中国 1934/12/7 〔〕 広島・広島 【渡航】

『帰りは大っぴらに/ピストル警官隊に護られて/密航韓国人団の送還』 中国 1934/12/8 〔〕 広島・広島 【渡航】

『物々しく警戒/密航韓国人送還/拳銃も携帯さして/船内の暴¥動化をも』 中国日報 1934/12/8 〔〕 広島・広島 【渡航】

『貨物船に隠れて/朝鮮青年の密航/吉浦に入港検閲中に発見/身柄を大阪税関に』 中国日報 1935/1/19 〔〕 呉・広島 【渡航】

『今津海岸に密航韓国人(糸島郡今津村)』 福岡日日 1935/2/14 〔1/3〕 福岡・福岡 【渡航】

『密航韓国人捕る/頻りに暗躍』 神戸新聞 1935/2/16 〔6/8〕 神戸・兵庫 【社会】

『又も密航/ブローカー捕る』 大阪毎日 1935/2/28 朝鮮 〔7/9〕 釜山・朝鮮 【渡航】

『韓国人又も密航』 福岡日日 1935/3/1 夕 〔1/2〕 福岡・福岡 【渡航】

『密航韓国人/三田尻署へ』 中国 1935/3/10 〔〕 三田尻・山口 【渡航】

『密航韓国人に/光る鋭い眼/思想的黒幕あるか』 中国日報 1935/3/11 〔〕 広島・広島 【警備】

『発動機船満載の/密航団捕はる/釜山水陸両署の活動』 大阪朝日 1935/3/20 南鮮 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】

『またまた大懸りな/密航韓国人募集計画/検挙に大活動開始』 中国 1935/3/24 〔〕 広島・広島 【渡航】

『又も密航韓国人』 福岡日日 1935/3/24 〔1/3〕 福岡・福岡 【渡航】

『密航の土方(帝国人絹三原工場建設)』 中国 1935/3/25 〔〕 三原・広島 【渡航】

『大規模な鮮民の/団体密航計画暴¥露/危機一髪宇品署に検挙さる』 芸備日日 1935/3/27 〔〕 広島・広島 【渡航】

『大規模な鮮民の/団体密航計画暴¥露/危機一髪宇品署に検挙さる/驚くべきその全貌』 中国日報 1935/3/28 〔〕 広島・広島 【渡航】

『性懲りなき密航韓国人』 福岡日日 1935/3/28 夕 〔1/2〕 ・福岡、佐賀、長崎 【渡航】

『三日間一食もせず/密航韓国人丗名芦屋で捕はる(遠賀郡芦屋町)』 福岡日日 1935/3/29 夕 〔1/2〕 遠賀郡・福岡 【渡航】

『密航韓国人西公園下に上陸』 福岡日日 1935/3/6 〔1/3〕 福岡・福岡 【渡航】

『悪ブローカーを厳重に監視/当局の密航者取締』 大阪毎日 1935/4/14 朝鮮 〔5/6〕 ソ¥ウル(京城)・朝鮮 【渡航】

『姪浜小戸海岸に密航韓国人上陸』 福岡日日 1935/4/21 〔1/3〕 福岡・福岡 【渡航】

『密航韓国人』 中国 1935/4/22 〔〕 広島・広島 【渡航】

『海のギャング/十¥四名を密航させる途中短刀を揮ひ裸にす』 大阪朝日 1935/5/1 〔11/8〕 対馬・長崎 【密航】

『警察の名で偽電/韓国人が密航企つ(林田)』 大阪毎日 1935/6/13 神版 〔8/13〕 神戸・兵庫 【密入国】

『韓国人の密航/門司を徘徊(門司)』 九州日報 1935/6/17 〔1/7〕 北九州・福岡 【渡航】

『出帆後気づく密航者の取締り/警備船新造を申¥請』 大阪毎日 1935/6/7 朝鮮 〔5/4〕 釜山・朝鮮 【渡航】

『映画もどきで密航者を逮捕/豪勢な主謀者』 大阪毎日 1935/7/11 朝鮮 〔5/7〕 釜山・朝鮮 【渡航】

『六銭で密航』 大阪毎日 1935/7/21 朝鮮 〔5/9〕 釜山・朝鮮 【渡航】

『またゝゝ密航韓国人/ 釜山署から門水署へ手配(門司市)』 福岡日日 1935/8/15 夕 〔1/2〕 北九州・福岡 【渡航】

『他人の戸籍謄本を用ゐて密航/韓国人渡来の裏面に怪しい事情の者が多い』 福岡日日 1935/8/24 〔1/7〕 福岡・福岡 【渡航】

『糸島海岸に密航韓国人(糸島郡北崎村)』 福岡日日 1935/8/6 〔1/7〕 ・福岡 【渡航】

『廿名の密航韓国人/釜山の密航団本部から九州へ 時節柄重大視さる(門司)』 九州日報 1935/9/7 〔1/7〕 北九州・福岡 【渡航】

『密航韓国人四十¥数名/下水署に捕はる』 門司新報 1935/10/20 〔1/3〕 下関・山口 【渡航】

『密航韓国人四十¥三名/一斉に逮捕(山口県川中村)』 九州日報 1935/10/21 〔1/7〕 下関・山口 【渡航】

『密航韓国人五十¥名』 福岡日日 1935/10/22 夕 〔1/2〕 下関・山口 【渡航】

『韓国人の密航』 九州日報 1935/11/5 〔1/7〕 福岡・福岡 【渡航】

『「妻が見たい」/哀号・哀号/密航男還さる』 大阪朝日 1935/12/7 広島 〔〕 尾道・広島 【渡航】

『女房恋しさに密航/貨物船に潜伏中発見』 中国 1935/12/7 広島 〔〕 尾道・広島 【渡航】

『密航朝韓国人/宇品署の取調べで/大胆な組織判明』 大阪朝日 1936/1/23 広島 〔〕 広島・広島 【渡航】

『韓国人密航団発覚/ブローカーが全鮮に散在/宇品署が手配活動』 中国 1936/1/23 〔〕 広島・広島 【渡航】

『韓国人の内地密航/又増加の傾向/ブローカーの手で至極巧妙/一名宇品署員に捕る』 呉日日 1936/1/24 〔〕 広島・広島 【渡航】

『両県下に潜在する/韓国人の大密航団/陰に踊るブローカーの魔手/宇品署活動を開始』 中国日報 1936/1/24 〔〕 広島・広島 【渡航】

『大掛りの密航韓国人/広島県下で発覚』 福岡日日 1936/1/24 夕 〔1/2〕 ・広島 【渡航】

『大掛りの韓国人密航/約八十¥名が上陸四十¥八名を門司署で補ふ(門司)』 九州日報 1936/3/15 夕 〔1/2〕 北九州・福岡 【渡航】

『四十¥七名の密航韓国人門司で捕はる』 福岡日日 1936/3/15 〔1/7〕 北九州・福岡 【渡航】

『厳戒を潜り大挙密航韓国人/和布刈に七十¥名上陸(門司)』 門司新報 1936/3/15 〔1/3〕 北九州・福岡 【渡航】

『密航韓国人と判る』 福岡日日 1936/3/20 〔1/7〕 ・大分 【渡航】

『密航朝鮮少年/水上署に保護』 神戸新聞 1936/3/26 〔6/8〕 神戸・兵庫 【社会】

『小倉に密航韓国人』 九州日報 1936/3/4 〔1/7〕 北九州・福岡 【渡航】

『密航韓国人/門司で五名逮捕(門司)』 九州日報 1936/3/9 〔1/7〕 北九州・福岡 【渡航】

『密航韓国人捕る/大里松原海岸で/七名逮捕十¥三名逃亡(門司)』 門司新報 1936/3/9 〔1/3〕 北九州・福岡 【渡航】

『大久保海岸に密航韓国人/一名だけ捕る(門司)』 門司新報 1936/4/19 〔1/3〕 北九州・福岡 【渡航】

『又も密航韓国人』 福岡日日 1936/4/20 〔1/7〕 下関・山口 【渡航】

『密航者の水先案内/韓国人二名を京で取押ふ(東九条上殿田町、玄海灘の密航船に関与)』 京都日出 1936/4/22 〔〕 京都南区・京都 【渡航】

『百余名の密航を企つ/発動船を借つて』 大阪毎日 1936/4/25 朝鮮 〔5/9〕 釜山・朝鮮 【渡航】

『密航韓国人二十¥七名』 福岡日日 1936/4/25 〔1/7〕 福岡・福岡 【渡航】

『密航韓国人丗名の内四名だけ捕はる/下関署で厳探開始』 門司新報 1936/4/28 〔1/3〕 下関・山口 【渡航】

『密航韓国人丗名香椎に上陸/二名は門司で取押へらる(粕屋郡香椎村)』 福岡日日 1936/5/31 夕 〔1/2〕 福岡・福岡 【渡航】

『密航韓国人(門司市)』 福岡日日 1936/5/5 〔1/7〕 北九州・福岡 【渡航】

『救命ボートに/潜んで密航/はるびん丸の怪青年』 大阪朝日 1936/6/14 広島 〔〕 広島・広島 【渡航】

『釜山へ巧みに連絡/密航韓国人の媒介/発動機船の両船長が結託/一人十¥円乃至十¥五円で』 中国 1936/6/6 〔〕 下関・山口 【渡航】

『韓国人密航船/海上で拿¥捕(門司)』 九州日報 1936/6/7 〔1/7〕 北九州・福岡 【渡航】

『無燈火発動船/果して密航韓国人積載/門司港内で拿¥捕さる(門司)』 門司新報 1936/6/7 〔1/5〕 北九州・福岡 【渡航】

『密航韓国人取締/関門両水署対策協議』 門司新報 1936/6/9 〔1/5〕 下関・山口 【渡航】

『密航ブローカーは船員の留守宅荒し』 大阪毎日 1936/7/21 朝鮮 〔5/10〕 釜山・朝鮮 【渡航】

『密航者検挙』 大阪毎日 1936/7/30 朝鮮 〔5/1〕 釜山(東莱)・朝鮮 【渡航】

『半島の密航少年/広島駅前で検挙/他にも数名県下へ潜入』 中国 1936/8/14 〔〕 広島・広島 【渡航】

『数年間捜し廻つた密航ブローカー/隠れ家で逮捕さる』 大阪毎日 1936/9/13 朝鮮 〔5/5〕 釜山・朝鮮 【渡航】

『密航韓国人の一味数名/宇品署へ検挙/思想的背景も追及(錦華人絹工事場)』 中国 1936/9/18 〔〕 広島・広島 【渡航】

『数年間に二千人世話し一万数千円を捲あぐ/十¥人の妾をもち住所を転々/密航ブローカーの巨頭、犯行自白』 大阪毎日 1936/9/26 朝鮮 〔5/5〕 釜山・朝鮮 【渡航】

『密航韓国人又も志賀島へ(糟屋郡志賀島村)』 福岡日日 1936/9/30 夕 〔1/2〕 福岡・福岡 【渡航】

『密航ブローカーで二万数千円捲あぐ/釜山水上署が検挙』 大阪毎日 1936/10/23 朝鮮 〔5/5〕 釜山・朝鮮 【渡航】

『韓国人密航ブローカーの一味を捕ふ/思想犯人として手配中の者/宇品署警官に即賞』 芸備日日 1936/10/31 〔〕 広島・広島 【渡航】

『朝韓国人密航の/首魁逮捕/宇品署の手柄』 中国 1936/10/31 〔〕 広島・広島 【渡航】

『朝鮮から密航』 中国日報 1936/11/1 〔〕 広島・広島 【渡航】

『韓国人の密航周旋発覚』 九州日報 1936/12/18 〔1/7〕 直方・福岡 【渡航】

『冷雨を衝いて韓国人六十¥名密航/彦島田ノ首海岸へ上陸』 門司新報 1936/12/23 〔1/5〕 下関・山口 【渡航】

『半島人密航団/宇部に上陸か/下関港では二十¥名位いが上陸/目下厳重行方捜査中』 芸備日日 1936/12/24 〔〕 下関・山口 【渡航】

『密航韓国人逮捕(若松)』 九州日報 1936/12/26 〔1/7〕 北九州・福岡 【渡航】

『密航韓国人十¥三名を検挙(若松市)』 福岡日日 1936/12/26 〔1/7〕 北九州・福岡 【渡航】

『密航韓国人(遠賀郡遠賀村)』 九州日報 1936/12/27 〔1/7〕 遠賀郡・福岡 【渡航】

『徘徊中の密航韓国人』 門司新報 1936/12/5 〔1/5〕 下関・山口 【渡航】

『密航韓国人の一名/広島で逮捕/盛り場徘徊中宇品署員に』 中国 1937/1/14 〔〕 広島・広島 【渡航】

『密航ブローカー一味を検挙/前科数犯の強者のみ』 大阪毎日 1937/1/17 朝鮮 〔5/7〕 釜山・朝鮮 【渡航】

『門司に密航韓国人(門司)』 九州日報 1937/1/23 夕 〔1/2〕 北九州・福岡 【渡航】

『大量の密航韓国人/和布刈天ヶ窪に上陸(門司)』 門司新報 1937/1/23 〔1/5〕 北九州・福岡 【渡航】

『下関市外海岸へ/多数の密航韓国人!/正月の手薄に乗じて混れ込み/十¥二名を逮捕、残る一味厳探』 中国 1937/1/5 〔〕 下関・山口 【渡航】

『内地密航団八十¥名検挙/長崎県下で』 大阪毎日 1937/1/7 朝鮮 〔5/10〕 松浦・長崎 【渡航】

『七十¥余名の韓国人が密航』 福岡日日 1937/1/9 〔1/7〕 下関・山口 【渡航】

『四十¥五名の密航韓国人(宗像郡津屋崎村)』 福岡日日 1937/2/24 夕 〔1/2〕 宗像郡・福岡 【渡航】

『数十¥名の韓国人を堂々と密航さす/宇部署に十¥数名引致して極秘裡に取調ぶ』 福岡日日 1937/2/24 〔1/7〕 ・佐賀 【渡航】

『佐渡航許可証を偽造/密航韓国人に売る/森永巡査懲戒処分に付さる/佐賀県警察界の不祥事』 福岡日日 1937/2/28 夕 〔1/2〕 ・佐賀 【渡航】

『密航を企つ/資産家の息子』 大


한반도로부터의 밀입국자에게 고민한다­_-;;

전쟁 전부터 일본에 마구 밀항해 마구 잡히는 한국인


전쟁 전 일본 거주아침 한국인 관계 신문 기사 검색
1868-1945

http://www.zinbun.kyoto-u.ac.jp/~mizna/cgi-bin/shinbun/shinbuns.cgi?midashi=%CC%A9%B9%D2&shinbun=&local1=&local2=&bunrui=&_ymd=no&year1=&month1=&beforeyear=&beforemonth=&afteryear=&aftermonth=&karayear=&karamonth=&madeyear=&mademonth=&perpage=100&page=1

전쟁 전 일본 거주아침 한국인 관계 신문 기사 검색
1868-1945
해당 건수는, 573 건입니다.

「한국인 내지 밀항/발견되어 훈계」오사카 아침해 1921/7/15 선만 〔〕 부산·조선 【도항】

「또도 범선으로 밀항한 불령 한국인4명 체포 지난」오사카 아침해 1922/5/20 〔7/4〕 시모노세키·효고 【사회】

「북조선으로부터 밀항의 괴한국인/신라환의 석탄고에 잠복/노동자에게는 불 닮아 합의 소지품이 의심」후쿠오카 나날 1922/5/21 〔1/2〕 시모노세키·야마구치 【도항】

「한국인10명 밀항」오사카 아침해 1922/7/2 저녁 〔2/1〕 시모노세키·야마구치 【사회】

「한국인10명의 밀항자/경기환에 잠복」경성 일보 1922/7/4 〔4/8〕 시모노세키·야마구치 【도항】

「브로커의 손으로 밀항하는 한국인이 많은/대부분은 야마구치 후쿠오카 양현에 상륙/키타큐슈 일대에서는 특히 경계를 엄하게 해 있다」큐슈 일보 1923/4/17 〔1/5〕 ·후쿠오카·야마구치 【도항】

「밀항 한국인 발견(옹가군 아시야마치)」모지 신보 1923/11/7 〔1/5〕 옹가군·후쿠오카 【도항】

「한국인의 내지 밀항에 경계의 눈이 빛나는/부산 수상서의 단속」경성 일보 1923/12/20 〔2/5〕 부산·조선 【도항】

「내지 밀항과 단속」오사카 아침해 1923/12/6 선만 〔〕 부산·조선 【도항】

「발동선으로 밀항/한국인9명 발견」후쿠오카 나날 1924/2/21 〔1/2〕 시모노세키·야마구치 【도항】

「잠입을 기개/타테가미환에 참아(마이즈루~원산정기 항로·타테가미 마치 자칭 시마네현인이 밀항 기도.「불령 한국인」이라고 연락 어떤 사람이라고 믿어 취조중)」오사카 아침해 1924/4/20 경부 〔1/9〕 마이즈루·쿄토 【경비】

「세명의 한국인기되어 밀항/야마구치 곳토이항에」후쿠오카 나날 1924/5/2 〔1/3〕 ·야마구치 【도항】

「50여명의 밀항단/난파선 해 비밀이나 나쁜일이 드러남에 이른다」경성 일보 1924/5/9 저녁 〔2/4〕 부산·조선 【도항】

「한국인 도래 제한 철폐/밀항은 단속한다」후쿠오카 나날 1924/6/7 〔1/7〕 시모노세키·후쿠오카 【도항】

「밀항의 한국인」모지 신보 1924/7/11 〔1/5〕 시모노세키·야마구치 【도항】

「극좌경의 불령 한국인이 일본에 밀행한/준비가 회연줄 경시청 활동(아오야마 폭탄 사건.재블라디보스토그의 활동가가 일본에 밀항한 형적이 있다고 하는 조선 총독부의 전보에 의해 활동 개시)」쿄토 일출 1924/8/15 〔〕 도쿄·도쿄 【경비】

「교묘한 한국인의 밀항/당국도 단속에 뇌 뛰어나다」경성 일보 1925/5/15 〔3/7〕 부산·조선 【도항】

「한국인 노동자를 내지에 밀항시키는/대속임수인 기획폭로」경성 일보 1925/5/21 〔3/6〕 ·조선 【도항】

「402명의 밀항자 검거/제1회의 사전 연습/모집인은 엄중 처분」경성 일보 1925/10/11 저녁 〔5/1〕 경남·조선 【도항】

「노동자 낚시의 악인 줄어들어 오르는/밀항자는 점차 감소의 경향이 있다」경성 일보 1925/10/16 〔6/1〕 경남·조선 【도항】

「한국인세3명의 상륙으로 떠드는/밀항이라고 오인해(토바타시)」후쿠오카 나날 1926/1/4 〔1/3〕 키타큐슈·후쿠오카 【사회】

「한국인세5육명을 실은 기괴한 밀항선 오는/동나무서에 상륙해 교에 불명/기근에서는 파중대시(모지시)」후쿠오카 나날 1926/3/12 〔1/3〕 키타큐슈·후쿠오카 【도항】

「소발동기선으로 한국인의 밀항단/30명 부산으로부터 모지로 상륙해 행방을 회」오사카 매일 1926/3/14 저녁 〔2/5〕 모지·후쿠오카 【도항】

「길이 4간의 발동기선으로/한국인 30여명 밀항/이름도 목적도 행선지도 알지 않는/때가 때인 만큼 경계를 가」중국 1926/3/14 〔〕 모지·후쿠오카 【도항】

「밀항 한국인 일부 발견 지난/오구라 역 앞에서(코구라시)」후쿠오카 나날 1926/3/14 〔1/3〕 키타큐슈·후쿠오카 【도항】

「한국인 밀항단을 발견/일행 30무츠나중/10무츠나를 포 거쳐 송환」중국 1926/3/23 〔〕 시모노세키·야마구치 【도항】

「대담한 한국인단 범선으로 밀항/겐카이를 횡단해 카네자키에/후쿠오카경찰서에 알려져 취조(무나카타군갑촌)」후쿠오카 나날 1926/4/11 저녁 〔1/2〕 무나카타군·후쿠오카 【도항】

「괴사계 기선에/60명이 잠복/대규모 밀항단이/부산경찰서의 손으로 체포」오사카 아침해 1926/4/13 조선 아침해 〔〕 부산·조선 【도항】

「밀항단 한국인취압」오사카 매일 1926/4/16 〔11/7〕 모지·후쿠오카 【도항】

「70여명의 밀항선/시모노세키에서 발견」경성 일보 1926/4/17 〔3/3〕 시모노세키·야마구치 【도항】

「밀항 한국인의/승입선이 침몰/해상을 표류중구 개여/시코쿠 우와지마에 상륙」오사카 아침해 1926/4/17 조선 아침해 〔〕 우와지마·에히메 【도항】

「밀항자 70여명이/부산에 송환 지난/경찰로 보호를 가에/도항혹은 귀향 찌른다」오사카 아침해 1926/4/20 조선 아침해 〔〕 부산·조선 【도항】

「한국인의 밀항단/또 또 츠야자키에 상륙(무나카타군 츠야자키마치)」큐슈 일보 1926/4/21 〔1/5〕 무나카타군·후쿠오카 【도항】

「한국인의 밀항에/골머리를 썩히는 야마구치현/악중개업자에게 과/불쌍한 그들의 심정」오사카 아침해 1926/4/24 히로시마 〔〕 ·야마구치 【도항】

「한국인의 밀항 속출/행 계를 공 거친 야마구치현에/이미 3백명에 이르렀다」오사카 아침해 1926/4/29 〔5/9〕 시모노세키·야마구치 【도항】

「또도 한국인의 밀항단/야마구치에 60명」후쿠오카 나날 1926/4/29 〔1/2〕 야마구치·야마구치 【도항】

「60명의 밀항단/야마구치현의 북해기슭에서 발견」경성 일보 1926/4/30 저녁 〔2/4〕 ·야마구치 【도항】

「한국인의 밀항 속출/행 계를 공 거친 야마구치현3백명(동궁행계를 앞에 두고 현경찰부는 산만한 모양 도항자를 승선지에서 저지하고 있지만, 밀항을 기획하는 사람도 증가.최근도 오츠군 후카가와 마을에 60명 상륙)」쿄토 일출 1926/4/30 〔〕 나가토·야마구치 【도항】

「조선으로부터 내지에/내지로부터 조선에/말파리와 벌과들 하지 않고서 끝난/밀항 한국인단 30여명」오사카 아침해 1926/4/7 조선 아침해 〔〕 시모노세키·야마구치 【도항】

「대밀항 들킨다」오사카 아침해 1926/5/1 조선 아침해 〔〕 부산·조선 【도항】

「살아 남은/밀항자 송환/이즈하라 경찰로부터/부산으로 향해서」오사카 아침해 1926/5/20 조선 아침해 〔〕 부산·조선 【도항】

「20여명의 밀항자단 체포/시모노세키 수륙 양서 활동/때가 때인 만큼라고 중대시」중국 1926/5/26 〔〕 시모노세키·야마구치 【도항】

「여전히곤란한 밀항자/부산경찰서의 대미만」오사카 아침해 1926/5/28 조선 아침해 〔〕 부산·조선 【도항】

「이상한 한국인 밀항자/야음을 타 모지 해안에 상륙/대부분을 취압에 취조중」코베 신문 1926/5/29 〔8/4〕 모지·후쿠오카 【사회】

「오사토에 또 밀항단/109명의 한국인(모지시)」후쿠오카 나날 1926/5/29 〔1/2〕 키타큐슈·후쿠오카 【도항】

「한국인이 범선으로 건너도 밀항이 아닌, 꽉 차지 않는 단속을 하시고는 사상 표면 희지 않으면 조선 총독부로부터 말참견」코베 신문 1926/5/3 〔6/3〕 부산·조선 【사회】

「또도 이토시마에 밀항단/조선으로부터 도항 60여명(이토시마군 케야마을)」후쿠오카 나날 1926/5/4 〔1/2〕 이토시마군·후쿠오카 【도항】

「밀항아침 한국인은/이미 2백에 오르는/행계 후에 대책을/아카기 특별 고등경찰 과장의 연안 시찰」오사카 아침해 1926/5/5 히로시마 〔〕 ·야마구치 【도항】

「밀항자체라로 헤엄치는/한국인이 륙안목수라고/헤엄쳐 상곳을 인포(옹가군 오카가키마을)」후쿠오카 나날 1926/6/12 〔1/2〕 옹가군·후쿠오카 【도항】

「한국인 청년이 밀항기개/샹하이로부터 승선」코베 신문 1926/6/20 〔8/10〕 코베·효고 【사회】

「밀항 한국인단 체포/모집한 한국인 남녀를/팔아 치울 생각」중국 1926/6/6 〔〕 토쿠야마·야마구치 【도항】

「전율을 느끼는/위험한 밀항/산업의 과도기에 서/생활에 고민하는 하층 한국인」오사카 아침해 1926/8/14 조선 아침해 〔〕 ·조선 【도항】

「한국인 밀항의/수괴를 체포/부산 경찰서에서」오사카 아침해 1926/8/25 조선 아침해 〔〕 부산·조선 【도항】

「그런데도 현금인/밀항자가 끊어지는/도항 저지자에 대해서는/부산에서 일자리를 주선(물전공일에도)」오사카 아침해 1926/10/6 조선 아침해 〔〕 부산·조선 【도항】

「도항 한국인의/소질이 향상/밀항자의 군도 점점 감소」오사카 아침해 1926/11/17 조선 아침해 〔〕 부산·조선 【도항】

「조선으로부터 5육10명/두령상에 참례 찌르고 싶은/불령단의 단속은 엄중하게 하는/유아사 총감 시모노세키에서 말한다(포염혹은 샹하이 방면에서 밀항, 10분 경계)」오사카 매일 1927/1/15 조선 〔9/2〕 시모노세키·야마구치 【경비】

「경비선으로 밀항자 단속」경성 일보 1927/2/24 〔6/3〕 부산·조선 【도항】

「밀항 발각빈들(요시미 마을)」오사카 매일 1927/3/11 조선 〔9/8〕 ·야마구치 【도항】

「3명의 한국인 괴한계류중의 발동선을 훔치는/기관장을 협박해 운전을 처음키를 조종해 앞바다에 멀리 도망친다(내지 밀항 한국인의 소위와 예 봐 엄중 수사중)」오사카 매일 1927/3/2 조선 〔9/3〕 부산·조선 【절도】

「밀항 한국인/80명/기타우라 해안에 상륙(토요우라군 카와다나마을)」오사카 아침해 1927/3/3 조선 아침해 〔〕 토요우라·야마구치 【도항】

「60명의 밀항 한국인/시모노세키 요시미 해안에 상륙(야마구치현 요시미 마을)」큐슈 일보 1927/3/7 〔1/5〕 시모노세키·야마구치 【도항】

「한국인세4 나우치지에 밀항 도중 폭풍으로 히대마도에 표착」오사카 매일 1927/3/8 조선 〔9/7〕 부산·조선 【도항】

「괴범선중에서 햐쿠나의 밀항자현 붙이는/시모노세키시외 요시미 해안에서 발견되어 부산에 송환 지난」경성 일보 1927/3/9 〔7/5〕 시모노세키·야마구치 【도항】

「밀항 브로커 한국인/취압(이토시마군 마에하라쵸)」큐슈 일보 1927/4/15 〔1/5〕 마에하라·후쿠오카 【범죄】

「배 밑바닥에 잠복하는 괴한국인/밀항자와 안다」코베 신문 1927/4/16 저녁 〔2/8〕 츠루가·후쿠이 【사회】

「밀항 한국인/10여명 잡는다(타노우라 카이간)」오사카 아침해 1927/4/20 조선 아침해 〔〕 모지·후쿠오카 【도항】

「70명을 내지에 밀항 좌천으로 한 네 명포 붙인다」오사카 매일 1927/4/27 조선 〔10/1〕 부산·조선 【도항】

「밀항단 또 포 붙인다」경성 일보 1927/4/8 저녁 〔6/8〕 부산·조선 【도항】

「야음을 타/밀항을 기개/한국인을 발견(50여명)」오사카 아침해 1927/4/9 조선 아침해 〔〕 부산·조선 【도항】

「<경상남도>밀항방조로 조사해」경성 일보 1927/5/10 〔4/9〕 부산·조선 【도항】

「밀항 한국인/노 가게에 상륙/목하 취조중」오사카 아침해 1927/5/15 조선 아침해 〔〕 아시야·후쿠오카 【도항】

「괴기선/밀항 한국인의 수송을 기개」오사카 아침해 1927/5/18 조선 아침해 〔〕 부산·조선 【도항】

「검거된 후지환/3회에 긍연줄 밀항/범행을 자백」경성 일보 1927/5/19 〔4/1〕 키타큐슈·후쿠오카 【도항】

「밀항단을 이용해 한밑천 지원 오지얀」경성 일보 1927/5/19 〔7/8〕 부산·조선 【도항】

「밀항 한국인이/쌓아 귀 지난」오사카 아침해 1927/5/20 조선 아침해 〔〕 아시야·후쿠오카 【도항】

「세 명조의 밀항 사기/요코하마 수상서로 검거」경성 일보 1927/7/20 저녁 〔2/8〕 요코하마·카나가와 【도항】

「미국의 어머니를 찾아 밀항한 104세의 선동/신문 판매원을 해 고학한 과/애리조나호에서 송환 지난」후쿠오카 나날 1927/7/30 저녁 〔1/2〕 요코하마·카나가와 【사회】

「밀항자 송환(시나 노동자)」경성 일보 1927/8/2 〔5/4〕 부산·조선 【도항】

「경상남도/부인으로 변해 내지에 밀항/아슬아슬한 곳에서 발견 지난」경성 일보 1928/1/19 〔4/3〕 부산·조선 【도항】

「삼한 국민 밀항/석탄고에 히 들어」후쿠오카 나날 1928/1/25 저녁 〔1/2〕 시모노세키·야마구치 【도항】

「밀항 한국인 난파해 사이토자키로 구 붙인다(카스야군 시카노시마마을)」후쿠오카 나날 1928/2/19 〔1/3〕 후쿠오카·후쿠오카 【도항】

「10한명의 밀항자 송환」오사카 매일 1928/2/21 조선 〔9/5〕 부산·조선 【도항】

「기타니혼 기선의 「이지환」이 다수의 밀항 한국인을 태우고 코베에 돌아가는/수상서, 엄중 조사의 보를 진행한다」코베 신문 1928/3/6 저녁 〔2/4〕 코베·효고 【도항】

「선장이 수모로 한국인을 밀항시키는/한 명으로부터 101엔잡은/남선항로의 이지환」오사카 매일 1928/3/6 〔7/9〕 코베·효고 【사회】

「배임죄 그 외의 죄명으로 3명을 사법 담당에/이지환한국인 밀항 사건」코베 신문 1928/3/7 저녁 〔2/8〕 코베·효고 【도항】

「밀항의 한국인(모지시)」후쿠오카 나날 1928/6/29 저녁 〔1/2〕 키타큐슈·후쿠오카 【도항】

「범선으로 내지 밀항/30여명의 일단에서」경성 일보 1928/9/12 〔4/4〕 부산·조선 【도항】

「의심받은 밀항의 한국인/수속 미비와 안다」코베 또 신일보 1928/9/29 〔5/8〕 코베·효고 【도항】

「한국인의 밀항/다이슈우로부터가 많다」후쿠오카 나날 1928/10/12 〔1/2〕 후쿠오카·후쿠오카 【도항】

「시나인의 밀항을 기개/발동 기선으로 준비중을/부산 수상서로 검거」경성 일보 1928/10/25 저녁 〔2/1〕 부산·조선 【도항】

「밀항을 종에/사기를 일한다」오사카 아침해 1928/11/28 서북 〔〕 부산·조선 【도항】

「밀항료3백엔/시나인으로부터 권 올린다」경성 일보 1928/11/29 〔5/3〕 부산·조선 【도항】

「나가사키현(대마도) 다이슈우에서 밀항 한국인/다섯 명 발견 지난」후쿠오카 나날 1929/1/25 저녁 〔1/2〕 ·나가사키 【도항】

「석탄고내에 밀항 한국인/요코하마에서 오사카에」오사카 매일 1929/1/29 저녁 〔2/4〕 오사카·오사카 【사회】

「밀항 시나인 실패해 송환/초량으로부터 빠져 내밀기 후쿠오카에서 상륙 금지」경성 일보 1929/1/30 〔7/6〕 부산·조선 【도항】

「괴조선 소년/밀항 성공을 신선다(모지)」모지 신보 1929/3/20 〔1/5〕 키타큐슈·후쿠오카 【도항】

「밀항해 내지 구경」경성 일보 1929/3/27 〔4/3〕 부산·조선 【도항】

「20여명의 밀항 한국인/니시카라츠에서 발견」후쿠오카 나날 1929/4/10 저녁 〔1/2〕 카라츠·사가 【도항】

「내지에 밀항해/보내 환 지난」오사카 아침해 1929/4/11 남선 〔〕 부산·조선 【도항】

「내지 밀항을 기개」오사카 아침해 1929/4/11 남선 〔〕 부산·조선 【도항】


「<전라남도>결사적의 내지 밀항/무인도에 모여 범선으로」경성 일보 1929/5/10 〔4/13〕 목포·조선 【도항】

「50여나우치지에 밀항/임시 정박중 잡는다」경성 일보 1929/5/13 〔3/4〕 부산·조선 【도항】

「한국인 20무츠나 내지 밀항/사이토자키를 배회(카스야군 시카노시마마을)」모지 신보 1929/5/14 〔1/5〕 후쿠오카·후쿠오카 【도항】

「내지 밀항자/삽명 송환 지난」오사카 아침해 1929/5/17 남선 〔〕 부산·조선 【도항】

「한해농민의/생혈을 흡/내지 밀항의 악중개업자」오사카 아침해 1929/5/2 남선 〔〕 부산·조선 【도항】

「아침 한국인 40명산구현에 밀항/상륙해 포 붙인다」오사카 아침해 1929/5/2 저녁 〔2/9〕 토요우라군·야마구치 【밀항】

「부산으로부터 밀항한 거동 수상한 2 한국인, 장 시로마루로 수상 서원에 발견/동 경찰서로 계속해 취조중」코베 신문 1929/5/28 〔5/8〕 코베·효고 【사회】

「밀항자와/잘못해져/후쿠오카현에서 부산에 송환 지난」오사카 아침해 1929/5/28 남선 〔〕 마에하라·후쿠오카 【도항】

「내지에 밀항/장본인 잡는다」경성 일보 1929/5/3 〔4/4〕 부산·조선 【도항】

「한국인 밀항자/10다섯 명 상륙/이토시마 해안에(이토시마군북 사키무라)」큐슈 일보 1929/6/25 〔1/7〕 이토시마군·후쿠오카 【도항】

「메이노하마 해안에 밀항 한국인/108명 오른다」후쿠오카 나날 1929/6/29 저녁 〔1/2〕 후쿠오카·후쿠오카 【도항】

「내지 관헌과/협력해/아침 한국인의 밀항을 극력 방지한다」오사카 아침해 1929/6/4 조선 아사히 〔〕 ·일본 【도항】

「석탄고안의 밀항자 2명/신마이즈루에서 검거(시마타니 기선 대성 마치 목포로부터 츠루가에 밀항 기도)」오사카 아침해 1929/7/11 경판 〔9/7〕 마이즈루·쿄토 【도항】

「밀항 전문의 괴발동 기선/선장등 결국 포 붙인다」경성 일보 1929/7/8 〔3/4〕 부산·조선 【도항】

「밀항 한국인104오명포 붙이는/메이노하마 해안에서」큐슈 일보 1929/8/12 〔1/7〕 후쿠오카·후쿠오카 【도항】

「한국인103명 밀항해 포 붙인다」후쿠오카 나날 1929/8/12 〔1/3〕 후쿠오카·후쿠오카 【도항】

「밀항자 한 잔식」경성 일보 1929/8/31 〔5/1〕 부산·조선 【도항】

「밀항을/기획한 한가닥/10여명 검거」오사카 아침해 1929/8/31 서북 〔〕 부산·조선 【도항】

「내지에 밀항 한국인 검거」오사카 매일 1929/8/31 조선 〔9/8〕 부산·조선 【도항】

「밀항 한국인입다섯 명 산림에 잠복중을 취압(옹가군도향촌)」후쿠오카 나날 1929/8/4 저녁 〔1/2〕 키타큐슈·후쿠오카 【도항】

「한국인입다섯 명의 밀항단압/묘령의 부인이나 사회주의 청년/옹가군하의 해안에서(옹가군도향촌)」큐슈 일보 1929/8/5 〔1/7〕 키타큐슈·후쿠오카 【도항】

「내지 밀항의/범선이/해상이 거칠어짐에 조히/전부구 붙인다」오사카 아침해 1929/9/12 서북 〔〕 부산·조선 【도항】

「한국인 다수 익사나/내지에의 밀항중 조난(대마도 히타카쓰바다)」오사카 매일 1929/9/13 〔7/9〕 카미아가타군·나가사키 【도항】

「조난의/밀항자/보내 환 지난」오사카 아침해 1929/9/14 서북 〔〕 부산·조선 【도항】

「밀항 한국인(코베에 송환)」오사카 매일 1929/9/28 신 마다 〔9/7〕 코베·효고 【사회】

「내지 밀항에/비행기/이용 천도해 취압」오사카 아침해 1929/10/24 서북 〔〕 경주·조선 【도항】

「밀항 상습자/출발 직전에 체포」경성 일보 1929/10/5 〔4/2〕 남해군·조선 【도항】

「강히라고 죄인으로 해 한국인 소년을 보호 찌르는/복잡한 가정의 사정으로부터 사출의 여행의 밀항 슬픈 이야기」오사카 아침해 1929/11/21 신판 〔9/6〕 코베·효고 【사회】

「밀항 한국인 소년/선으로 사용해 줘와 애원」오사카 매일 1929/11/21 신 마다 〔9/7〕 코베·효고 【사회】

「밀항 한국인10수 나토리압(모지시)」후쿠오카 나날 1929/12/25 저녁 〔1/2〕 키타큐슈·후쿠오카 【도항】

「밀항 상륙의 10삼한 국민/그것□□에 알선(모지)」모지 신보 1929/12/26 〔1/2〕 키타큐슈·후쿠오카 【도항】

「밀항 한국인109 메이세이 도자키에 상륙해 추위(카스야군 시카노시마마을)」후쿠오카 나날 1929/12/27 저녁 〔1/2〕 후쿠오카·후쿠오카 【도항】

「관부연락선으로 이상한 한국인/밀항을 기획 체포 지난」오사카 매일 1929/12/29 조선 〔9/8〕 부산·조선 【도항】

「밀항선의 행방 수사」경성 일보 1930/1/10 〔4/2〕 부산·조선 【도항】

「삽2명의 밀항단 송환」경성 일보 1930/1/11 〔4/8〕 부산·조선 【도항】

「2 한국인의 밀항」모지 신보 1930/1/12 〔1/5〕 시모노세키·야마구치 【도항】

「찬바람에 떨려 한국인의 밀항단/다음도 브로커에 속는/발동선으로 겐카이 횡단(카스야군 시카노시마마을)」후쿠오카 나날 1930/1/7 〔1/3〕 후쿠오카·후쿠오카 【도항】

「내지 도항을 바라는 한국인을 음식으로 하는 부정 선원/다음도 밀항단102명 시모노세키에 현/괴발동선의 행방을 엄중 수색」후쿠오카 나날 1930/1/8 〔1/2〕 시모노세키·야마구치 【도항】

「밀항삽8명 퇴보」경성 일보 1930/1/9 〔4/4〕 부산·조선 【도항】

「사이토자키에 밀항 한국인/아이를 혼연줄10수명」큐슈 일보 1930/2/13 저녁 〔1/2〕 후쿠오카·후쿠오카 【도항】

「밀항 한국인단103명을 발견(카스야군 시카노시마마을)」후쿠오카 나날 1930/2/13 저녁 〔1/2〕 후쿠오카·후쿠오카 【도항】

「또도 한국인 밀항/오늘 아침, 니시코우엔에 삼묘」큐슈 일보 1930/3/19 저녁 〔1/2〕 후쿠오카·후쿠오카 【도항】

「다수의 밀항 한국인/니시코우엔 부근으로부터 상륙해 30명은 검거 지난」후쿠오카 나날 1930/3/19 저녁 〔1/4〕 후쿠오카·후쿠오카 【도항】

「또도 사이토자키 한국인 밀항(카스야군 시카노시마마을)」후쿠오카 나날 1930/3/24 〔1/3〕 후쿠오카·후쿠오카 【도항】

「메이노하마에도 밀항 한국인(사가라군 메이노하마마치)」후쿠오카 나날 1930/3/24 〔1/3〕 후쿠오카·후쿠오카 【도항】

「밀항 한국인 808명을 체포/옹가군 오카가키마을에 상륙/탄갱 방면으로 잠입(옹가군 미즈마키 마을)」후쿠오카 나날 1930/3/5 〔1/2〕 옹가군·후쿠오카 【도항】

「한국인9명 밀항/발동기선에 편승」모지 신보 1930/5/14 〔1/5〕 시모노세키·야마구치 【도항】

「밀항초특작/마스트의 첨단에 은」경성 일보 1930/5/2 〔4/4〕 부산·조선 【도항】

「결사적의 밀항/관부연락선의 수십자의/마스트오름」오사카 아침해 1930/5/2 남선 〔〕 부산·조선 【도항】

「밀항 시나인 송환(조선의 초량 해안으로부터 모지로 상륙)」경성 일보 1930/5/20 〔4/4〕 키타큐우슈우시 모지구·후쿠오카 【도항】

「밀항아침 한국인을/선중에서 협박/소지금을 전부권상/해적 동요의 밀항 브로커」오사카 아침해 1930/5/21 남선 〔〕 부산·조선 【도항】

「잠항, 밀항 알선의 수범하라다포 붙이는/한가닥의 에비스환선원도 실구검거 지난」오사카 매일 1930/5/22 조선 〔9/7〕 부산·조선 【도항】

「<경상남도>생혈을 흡악브로커/내지 밀항을 종으로 해 근처 대들적 검거한다」경성 일보 1930/5/3 〔4/9〕 부산·조선 【도항】

「208명을 밀항시키고/수수료를 받은/3명결국 잡는다」오사카 아침해 1930/5/3 남선 〔〕 부산·조선 【도항】

「막잠의 밀항 한국인/무츠나 모지 노송 공원에」큐슈 일보 1930/5/4 〔1/7〕 키타큐슈·후쿠오카 【도항】

「밀항을 기획/오토키화에 봉」오사카 아침해 1930/6/17 서북 〔〕 부산·조선 【도항】

「밀항 한국인 발견」모지 신보 1930/6/5 〔1/5〕 시모노세키·야마구치 【도항】

「밀항 한국인 우는/마시지 않고 음식은 하지 않고서」후쿠오카 나날 1930/8/25 〔1/7〕 ·사가 【도항】

「밀항 노동자를/협박의 선장들에게/각각 징역을 구형」오사카 아침해 1930/10/16 서북 〔〕 부산·조선 【도항】

「아침 한국인 403명/내지 밀항을 기개/어업 회사의 선원과 사칭/시모노세키 입항 발견 지난」오사카 아침해 1931/2/27 히로시마 〔〕 시모노세키·야마구치 【도항】

「402명의 한국인 밀항단/선어 운반선에 잠복/시모노세키경찰서에 발견 지난(카와시리쵸에서 어업 종업이기 때문에 고용해 온 것과 정정 있어, 3월 1일부 기사)」중국 1931/2/27 〔〕 시모노세키·야마구치 【도항】

「403명의 한국인 밀항/시모노세키 입항의 기범선으로」모지 신보 1931/2/27 〔1/5〕 시모노세키·야마구치 【도항】

「남녀 309명이/밀항 사기에 걸리는/범인은 모습을 회」오사카 아침해 1931/3/12 남선 〔〕 대마도·나가사키 【도항】

「기쉰 한국인 밀항단/4일간 겐카이나다를 표류해 이즈하라로 두어 거」오사카 아침해 1931/3/19 저녁 〔2/7〕 나가사키·나가사키 【밀입국】

「석탄고에 숨고 있던/밀항자 발견 지난/이상한 트렁크를 소지」중국 1931/3/25 〔〕 오·히로시마 【도항】

「세명의 밀항자 또 조선으로부터/꽃구경을 하면서 마시는 술연중의 소란(이토시마군북 사키무라)」후쿠오카 나날 1931/3/31 〔1/3〕 이토시마군·후쿠오카 【도항】

「402명의 한국인 밀항/중에는 단 경위도 있다」모지 신보 1931/4/1 〔1/5〕 ·야마구치 【도항】

「밀항의 조선녀에 한국인 토공련이 폭행/설득하는 감독등을 부상 찌르는/부인으로 하면 완장이라고」후쿠오카 나날 1931/4/10 〔1/3〕 ·사가 【사회】

「아침 한국인의 밀항단/한 명 당105엔의 요금으로/30두 명 야마구치현에」중국 1931/4/30 〔〕 시모노세키·야마구치 【도항】

「밀항 한국인 40명의 상륙」모지 신보 1931/5/10 〔1/5〕 시모노세키·야마구치 【도항】

「세무츠나의 밀항 한국인 이토시마의 북 기해안에 상륙/마에바라서로 취조 후 송환(이토시마군북 사키무라)」후쿠오카 나날 1931/5/17 저녁 〔1/2〕 이토시마군·후쿠오카 【도항】

「밀항의 2 한국인」오사카 아침해 1931/5/27 신판 〔9/7〕 코베·효고 【밀입국】

「밀항 발견 지난」오사카 매일 1931/5/27 신 마다 〔9/5〕 코베·효고 【사회】

「시모노세키경찰서로/밀항 한국인/엄중 단속한다」오사카 아침해 1931/6/13 남선 〔〕 시모노세키·야마구치 【도항】

「조선을 본거지에 밀항의 주선/부정의 호적 등본을 소지한 남자의 입으로부터 폭로」코베 신문 1931/6/22 〔7/5〕 코베·효고 【사회】

「전선에 그물을 치는 밀항의 대주선단/내지 거주아침 한국인의 등본을 도용/본거지를 인천에 둔다」오사카 아침해 1931/6/22 신판 〔9/6〕 코베·효고 【밀입국】

「사이토자키에 밀항 한국인(카스야군 시카노시마마을)」후쿠오카 나날 1931/6/24 〔1/3〕 후쿠오카·후쿠오카 【도항】

「밀항아침 한국인 영사관에 자수( 재코베)」오사카 아침해 1931/7/4 신판 〔9/7〕 코베·효고 【밀입국】

「밀항 한국인 203명 발견 지난(사가라군 후지시마 마을)」후쿠오카 나날 1931/7/7 저녁 〔1/2〕 후쿠오카·후쿠오카 【도항】

「입8명의 한국인 와카마츠에 밀항(와카마츠시)」후쿠오카 나날 1931/8/17 〔1/3〕 키타큐슈·후쿠오카 【도항】

「부연히 해 에 한국인 밀항(이토시마군북 사키무라)」큐슈 일보 1931/8/18 〔1/7〕 ·후쿠오카 【도항】

「한국인의 밀항」후쿠오카 나날 1931/8/20 〔1/3〕 후쿠오카·후쿠오카 【도항】

「3일불음불식의 밀항 두 명 한국인(모지)」모지 신보 1931/11/22 〔1/5〕 키타큐슈·후쿠오카 【도항】

「아침 한국인 203명 밀항/이토시마에 상륙(이토시마군 케야마을)」큐슈 일보 1931/12/4 〔1/7〕 이토시마군·후쿠오카 【도항】

「내지 밀항단/부산에서 검거」오사카 아침해 1932/3/13 남선 〔〕 부산·조선 【도항】

「50여명의 밀항 한국인/북 기와 시카노시마에」후쿠오카 나날 1932/3/29 저녁 〔1/2〕 이토시마군, 후쿠오카·후쿠오카 【도항】

「한국인 내지 밀항단/부산에 송환 지난」오사카 아침해 1932/3/3 남선 〔〕 부산·조선 【도항】

「조선으로부터 104명 발동선으로 밀항/오구라 해안에 상륙(모지)」모지 신보 1932/3/30 〔1/5〕 키타큐슈·후쿠오카 【도항】

「발동선에 의한/내지에의 밀항/최근 다시 또 증가」오사카 아침해 1932/4/12 남선 〔〕 부산·조선 【도항】

「돈에 극 늘어난 한국인의 내지 밀항/1월이후 천명에 달하지 않아」모지 신보 1932/4/14 〔1/5〕 ·사가 【도항】

「신천환에 밀항자(오사카 셋츠 기선)」오사카 아침해 1932/4/2 히로시마 〔〕 히로시마·히로시마 【도항】

「아침 한국인의/내지 밀항/멸종 계획」오사카 아침해 1932/4/26 남선 〔〕 ·조선 【도항】

「또도 토바타에 한국인의 밀항/내 3명을 모지 수상서로 체포(모지)」모지 신보 1932/4/26 〔1/5〕 키타큐슈·후쿠오카 【도항】

「밀항 한국인 20다섯 명 오베 해안에 상륙/9명은 행방 불명」후쿠오카 나날 1932/4/3 저녁 〔1/2〕 후쿠오카·후쿠오카 【도항】

「또도 입2명의 한국인 밀항단(모지시)」후쿠오카 나날 1932/4/8 저녁 〔1/2〕 키타큐슈·후쿠오카 【도항】

「한국인 밀항자10다섯 명/모지역에서 포 붙인다(모지)」모지 신보 1932/4/9 〔1/5〕 키타큐슈·후쿠오카 【도항】

「최근 매우 많은 한국인의 내지 밀항/발견 호송된 사람의 밖잠입한 사람도 꽤 다수(모지시)」후쿠오카 나날 1932/5/13 저녁 〔1/2〕 키타큐슈·후쿠오카 【도항】

「발동선으로 밀항의 한국인109명/모지 시립대학 쿠보에 상륙(모지)」모지 신보 1932/5/13 〔1/5〕 키타큐슈·후쿠오카 【도항】

「단속상 귀찮음 천만인 아침 한국인의 내지 밀항/내 선협력해 연구/이케다 총독부 헌병 국장 말한다」후쿠오카 나날 1932/5/14 〔1/4〕 시모노세키·야마구치 【도항】

「밀항 한국인 40명/토요우라군에 상륙」모지 신보 1932/5/15 〔1/5〕 시모노세키·야마구치 【도항】

「40명의 밀항 한국인」후쿠오카 나날 1932/5/16 〔1/3〕 ·야마구치 【도항】

「다시 또 밀항 한국인/불령의 도의 잠입을 경계해 후쿠오카현 경찰부대긴장(이토시마군 후쿠요시마을)」후쿠오카 나날 1932/5/25 〔1/3〕 ·후쿠오카 【도항】

「80다섯 명의 밀항 한국인/모지 수륙 양서대활동 개시(모지)」모지 신보 1932/5/25 〔1/5〕 키타큐슈·후쿠오카 【도항】

「대속임수의/밀항 브로커/부산에서 검거된다」오사카 아침해 1932/5/28 남선 〔〕 부산·조선 【도항】

「또 시모노세키에 한국인 밀항/일부는 도주」모지 신보 1932/6/11 〔1/5〕 시모노세키·야마구치 【도항】

「불온 문서를 가진 밀항 한국인/신한회 간부로부터의 중요 지령/시모노세키경찰서 아름답게 물든다(야마구치현 강의 중앙마을)」큐슈 일보 1932/6/12 〔1/7〕 시모노세키·야마구치 【공산주의】

「밀항의 검거로부터 한국인의 음모폭로/조선 독립 운동의 불온 문서 현상/시모노세키경찰서 비정상인 긴장」모지 신보 1932/6/12 〔1/5〕 시모노세키·야마구치 【민족 운동】

「또 들9명의 밀항 한국인(이토시마군 노기타마을)」후쿠오카 나날 1932/6/14 저녁 〔1/2〕 이토시마군·후쿠오카 【도항】

「밀항 한국인 대검거/어제 아침 시모노세키 양서가」모지 신보 1932/6/3 〔1/5〕 시모노세키·야마구치 【도항】

「또도 밀항 한국인10한명신노 미나토 해안에 상륙 토고경찰서에 연행 조사 주모자 2명도 체포(무나카타군 가미나토 마치)」후쿠오카 나날 1932/6/4 저녁 〔1/2〕 무나카타·후쿠오카 【도항】

「다섯 명련의 한국인/세여명의 밀항 한가닥과 안다(모지시)」후쿠오카 나날 1932/6/5 저녁 〔1/2〕 키타큐슈·후쿠오카 【도항】

「한국인 밀항단 또도 모습을 현/어제 몬지 히노 해안에(모지)」큐슈 일보 1932/8/30 〔1/4〕 키타큐슈·후쿠오카 【도항】

「한국인의 밀항자/때가 때인 만큼 문수서대활동(모지)」모지 신보 1932/8/30 〔1/5〕 키타큐슈·후쿠오카 【도항】

「밀항단 30여명/부산에서 검거/브로커 2명도 취압에」오사카 아침해 1932/8/7 남선 〔〕 부산·조선 【도항】

「 「빈손」방어의 진/타지마 해안을 경계/조선 방면의 밀항자에게 비/경관10명을 증파 해」오사카 아침해 1932/10/16 신판 〔1/13〕 키노사키군·효고 【경계】

「시모노세키 방면으로 잇달아 한국인 밀항/육군대연습을 앞두고/유야 경계를 고」후쿠오카 나날 1932/11/1 〔1/3〕 시모노세키·야마구치 【경비】

「밀항 한국인취압표창(무나카타군 츠야자키마치)」후쿠오카 나날 1932/11/13 〔1/7〕 무나카타군·후쿠오카 【도항】

「대연습을 기회로 한국인 불온 계획/발동기선으로 밀항 시모노세키경찰서에 거」큐슈 일보 1932/11/5 〔1/7〕 시모노세키·야마구치 【경비】

「노동자의/내지 밀항/을 기획 한가닥 검거 지난」오사카 아침해 1933/1/20 남선 〔〕 마산·조선 【도항】

「밀항 한국인 3명 발견 송환 지난/다른 한가닥을 수사중」후쿠오카 나날 1933/2/10 저녁 〔1/2〕 시모노세키·후쿠오카 【도항】

「밀항 한국인의 분분열포 붙이는/모지 수상 서원에(모지)」모지 신보 1933/2/10 〔1/5〕 키타큐슈·후쿠오카 【도항】

「10무츠나의 밀항 한국인/다섯 명 발견 송환된다(이토시마군 가후리마을)」후쿠오카 나날 1933/2/21 저녁 〔1/2〕 마에하라·후쿠오카 【도항】

「증명서를 위조/한국인의 밀항」모지 신보 1933/2/3 〔1/5〕 시모노세키·후쿠오카 【도항】

「대규모 내지 밀항/부산에서 포 붙인다」오사카 매일 1933/2/5 조선 〔5/7〕 부산·조선 【도항】

「신노 미나토에 밀항 한국인/109명 상륙(무나카타군 가미나토 마치)」후쿠오카 나날 1933/3/16 〔1/3〕 무나카타군·후쿠오카 【도항】

「밤비를 찔러 밀항 한국인/대포물의 막」후쿠오카 나날 1933/3/28 〔1/3〕 후쿠오카·후쿠오카 【도항】

「밀항 한국인 30명/또도 이토시마에 상륙(이토시마군 가후리마을)」후쿠오카 나날 1933/3/29 저녁 〔1/2〕 마에하라·후쿠오카 【도항】

「밀항 한국인 송환(이토시마군 마에하라쵸)」큐슈 일보 1933/3/30 〔1/7〕 마에하라·후쿠오카 【범죄】

「경계망을 기어드는 밀항 한국인/모지 수상서 준비(모지시)」후쿠오카 나날 1933/4/10 〔1/7〕 키타큐슈·후쿠오카 【도항】

「밀항 한국인 체포」후쿠오카 나날 1933/4/12 〔1/3〕 시모노세키·야마구치 【도항】

「아이도 교연줄103명이 밀항/시모노세키경찰서에 일망타진」모지 신보 1933/4/13 〔1/5〕 시모노세키·야마구치 【도항】

「아침 한국인의 밀항 주선/두 명 공모하고 수수료를 받는다」오사카 매일 1933/4/17 서부 〔7/13〕 우베·야마구치 【도항】

「2 한국인 밀항」오사카 매일 1933/4/17 서부 〔7/13〕 카라츠·사가 【도항】

「시모노세키에도 밀항 한국인현 붙인다(야마구치현 강의 중앙마을)」큐슈 일보 1933/4/22 저녁 〔1/2〕 시모노세키·야마구치 【도항】

「다시 또 한국인의 밀항/이토시마 해안에 상륙(이토시마군 케야마을)」큐슈 일보 1933/4/22 저녁 〔1/2〕 이토시마군·후쿠오카 【도항】

「밀항 한국인(이토시마군 케야마을)」후쿠오카 나날 1933/4/22 〔1/3〕 이토시마군·후쿠오카 【도항】

「8명의 밀항/부산에서 체포」오사카 매일 1933/4/30 조선 〔5/10〕 부산·조선 【도항】

「밀항 한국인10니묘」후쿠오카 나날 1933/4/30 〔1/3〕 시모노세키·야마구치 【도항】

「밀항자 가득의/괴선포 붙이는/불과 105톤의 작은 배에/밀항자 60무츠나 잠복(후쿠오카에)」오사카 아침해 1933/4/5 남선 〔〕 부산·조선 【도항】

「밀항을 기획해 난파」오사카 매일 1933/4/9 조선 〔5/5〕 포항·조선 【도항】

「밀항 한국인/10한명중 한명 체포」후쿠오카 나날 1933/5/10 〔1/3〕 후쿠오카·후쿠오카 【도항】

「입3명의 밀항 한국인 체포」후쿠오카 나날 1933/5/13 〔1/3〕 시모노세키·야마구치 【도항】

「다시 또 밀항 한국인/오늘 아침 사이토자키에서 10다섯 명취압(카스야군 시카노시마마을)」후쿠오카 나날 1933/5/24 저녁 〔1/2〕 후쿠오카·후쿠오카 【도항】

「또 복밀항 한국인」후쿠오카 나날 1933/5/31 〔1/3〕 시모노세키·야마구치 【도항】

「40여명의 대밀항/부산에서 검거」오사카 매일 1933/6/10 조선 〔5/5〕 부산·조선 【도항】

「밀항 한국인4명/요시쿠마갱으로 체포」오사카 매일 1933/6/11 서부 〔6/6〕 카호군 케이셈마치· 【도항】

「다시 또 밀항 한국인(와카마츠시)」후쿠오카 나날 1933/6/7 〔1/3〕 키타큐슈·후쿠오카 【도항】

「한국인107명다시 또 밀항」후쿠오카 나날 1933/7/11 저녁 〔1/2〕 시모노세키·야마구치 【도항】

「한국인의 밀항」모지 신보 1933/7/12 〔1/5〕 시모노세키·야마구치 【도항】

「6백엔을 훔쳐 구두아래에 숨겨 밀항」후쿠오카 나날 1933/7/16 저녁 〔1/2〕 시모노세키·야마구치 【도항】

「밀항 브로커 2명 검거 지난」오사카 매일 1933/8/27 조선 〔5/10〕 부산·조선 【도항】

「빨강의 밀항, 니가타항에서 감시」사회운동 통신 1933/9/16 〔2/5〕 니가타·니가타 【치안】

「10수명의 한국인 밀항」후쿠오카 나날 1933/10/4 〔1/3〕 시모노세키·야마구치 【도항】

「시모노세키에 밀항 한국인」모지 신보 1933/11/2 〔1/5〕 시모노세키·야마구치 【도항】

「부산에서 부산에/희극“내지 밀항”/한 명105엔앞 좁혀져/손해를 본 10한명」오사카 매일 1933/11/24 조선 〔?/7〕 부산·조선 【도항】

「밀항단 30한명/브로커4명이나 검거」오사카 아침해 1933/11/28 남선 〔〕 부산·조선 【도항】

「탄갱 경기를 모히/한국인 밀항 최근상 따른다(카스야군 시카노시마마을)」후쿠오카 나날 1933/12/22 〔1/3〕 후쿠오카·후쿠오카 【도항】

「또도 밀항 한국인」후쿠오카 나날 1933/12/30 〔1/5〕 후쿠오카·후쿠오카 【도항】

「밀항 한국인을 뜯은 괴발동기선(카스야군 시카노시마마을)」후쿠오카 나날 1933/12/7 〔1/3〕 후쿠오카·후쿠오카 【도항】

「 「경기」에 이끌린 한국인 50명/밀항해 포 개여 곧 바로 송환(무나카타군갑촌)」후쿠오카 나날 1934/1/16 〔1/3〕 무나카타군·후쿠오카 【도항】

「밀항 한국인의 상륙을 엄중 감시/마에바라서의 단속(이토시마군 케야마을)」후쿠오카 나날 1934/1/19 〔1/3〕 이토시마군·후쿠오카 【경비】

「30명중의 밀항 한국인 무츠나/모지에서 검거」후쿠오카 나날 1934/1/26 〔1/3〕 키타큐슈·후쿠오카 【도항】

「10엔입원으로 한국인에 밀항 주선/주선구 시모노세키경찰서에 포 붙인다」모지 신보 1934/3/20 〔1/5〕 시모노세키·야마구치 【도항】

「이토시마 이마즈 해안에 밀항 한국인8명(이토시마군 이마즈 마을)」후쿠오카 나날 1934/3/21 〔1/5〕 후쿠오카·후쿠오카 【도항】

「경관도 혀를 내두른/새로운 방법의 밀항법/넌센스가짜 광인」오사카 매일 1934/3/22 조선 〔5/9〕 부산·조선 【도항】

「한국인의 밀항/202명보」큐슈 일보 1934/3/3 〔1/7〕 ·사가 【도항】

「밀항의 청년, 조선으로부터 니묘」오사카 아침해 1934/3/31 신판 〔4/19〕 코베·효고 【밀입국】

「아침 한국인의 밀항자/각방면에 잠입/제주도에서 수수료를 받아 알선/중의 4명은 검거 지난(바위 시라이시 가루 공장)」예비나날 1934/3/4 〔〕 키노에·히로시마 【도항】

「밀항진풍경/모지에 더듬어 붙은 7 용사?」오사카 매일 1934/3/4 조선 〔5/9〕 키타큐우슈우시 모지구·후쿠오카 【도항】

「밀항 한국인 3명/목 노강정에서 발견되었다(바위 시라이시 가루 공장)」중국 1934/3/4 〔〕 키노에·히로시마 【도항】

「60명의 밀항단/도항료 한 명4엔□징수해 출범의 직전 검거 지난」오사카 매일 1934/4/1 조선 〔5/6〕 부산·조선 【도항】

「세여명의 한국인이 밀항/시모노세키에서 검거」모지 신보 1934/4/10 〔1/5〕 시모노세키·야마구치 【도항】

「우베에 밀항 한국인」큐슈 일보 1934/4/18 〔1/7〕 우베·야마구치 【도항】

「절박함/취압 거친 밀항자 햐쿠나/아카사키 반도에서 내지에」오사카 아침해 1934/4/18 남선 〔〕 부산·조선 【도항】

「다시 또 시모노세키에 한국인이 밀항」모지 신보 1934/4/18 〔1/5〕 시모노세키·야마구치 【도항】

「밀항 주모자/해중에 모습을 회/직전 경관대에게 추 개여/밀항료를 잡은 채로」오사카 아침해 1934/4/20 남선 〔〕 부산·조선 【도항】

「밀항 브로커/검거가 단서에/부산경찰서 경관 부정 사건」오사카 아침해 1934/5/10 남선 〔〕 부산·조선 【도항】

「 한 명10엔으로 아침 한국인의 밀항/시모노세키에 상륙해 발견」모지 신보 1934/5/13 〔1/5〕 시모노세키·야마구치 【도항】

「밀항 한국인이나/아지나 해안에 발동선/10수명 야음에 상륙」중국 1934/5/16 〔〕 하츠카이치·히로시마 【도항】

「조선의 대밀항단/히로시마현 특별 고등경찰과와 가계서가/검거에 대활동을 개시(하산 발전소의 하자마쿠미 이바)」중국 1934/5/18 〔〕 ·히로시마 【도항】

「50명의 밀항자/발견되어 도주」오사카 매일 1934/5/24 조선 〔5/8〕 부산·조선 【도항】

「다시 또 한국인이 시모노세키에 밀항」모지 신보 1934/5/24 〔1/5〕 시모노세키·후쿠오카 【도항】

「시모노세키시외에 한국인의 밀항빈들/60여명을 검거」후쿠오카 나날 1934/6/2 저녁 〔1/2〕 시모노세키·야마구치 【도항】

「평상복 차림의 아침 한국인/뭐라고 당당히 밀항/기광히를 장 방법도 있는/“부산케관”의 토가시도 무색함」오사카 매일 1934/6/21 조선 〔5/6〕 부산·조선 【도항】

「50명의 밀항단/부락민의 응원으로 결국 체포」오사카 아침해 1934/6/26 남선 〔〕 부산·조선 【도항】

「밀항자를 돌봐 항해중에 권상/무서운 브로커 체포 지난」오사카 매일 1934/6/27 조선 〔5/6〕 부산·조선 【도항】

「60여명의/밀항단 잡는/저어 댄 밀항 선장/브로커외4명이나」오사카 아침해 1934/6/30 남선 〔〕 부산·조선 【도항】

「 한 명10엔으로 밀항의 알선/모지에서 주선구 용무(모지)」모지 신보 1934/6/7 〔1/5〕 키타큐슈·후쿠오카 【도항】

「내지인으로 변해 한국인이 밀항」모지 신보 1934/7/10 〔1/5〕 시모노세키·야마구치 【도항】

「밀항 한국인 무츠나 검거 지난(모지시)」후쿠오카 나날 1934/7/30 저녁 〔1/2〕 키타큐슈·후쿠오카 【도항】

「밀항의 한국인 40명 상륙/히로시마 방면으로 잠입의 형적/모지에서는 두 명을 체포(모지)」모지 신보 1934/7/30 〔1/3〕 키타큐슈·후쿠오카 【도항】

「밀항 브로커/다시 또 검거」오사카 아침해 1934/7/5 남선 〔〕 부산·조선 【도항】

「밀항 한국인 상륙」모지 신보 1934/8/2 〔1/5〕 시모노세키·야마구치 【도항】

「밀항 한국인 30명 상륙」모지 신보 1934/8/21 〔1/5〕 시모노세키·야마구치 【도항】

「밀항 한국인 발견」모지 신보 1934/8/26 〔1/5〕 시모노세키·야마구치 【도항】

「취히밀항(모지)」모지 신보 1934/8/26 〔1/5〕 키타큐슈·후쿠오카 【도항】

「밀항자 울려의 브로커의 일단/한가닥10명 체포 지난」오사카 매일 1934/8/3 조선 〔5/7〕 부산·조선 【도항】

「야와타에 밀항 한국인(야와타)」모지 신보 1934/8/30 〔1/5〕 키타큐슈·후쿠오카 【도항】

「모지 매카리에 한국인이 밀항/모지경찰서 헌병대로 109명 체포/도망자 목하 수사중(모지)」모지 신보 1934/9/2 〔1/5〕 키타큐슈·후쿠오카 【도항】

「밀항자 송환(시모노세키의 히코도에서(보다))」오사카 아침해 1934/9/28 남선 〔〕 부산·조선 【도항】

「위문금을 할애해 밀항료를 불/시모노세키에서 발견된 302명 연락선으로 송환 지난」오사카 매일 1934/9/28 조선 〔5/7〕 시모노세키·조선 【도항】

「밀항 브로커/대정벌에 착수/발호 드디어 매우 해」오사카 아침해 1934/10/20 남선 〔〕 ·조선 【도항】

「삽여명 밀항담/다시 또 잡는다」오사카 아침해 1934/10/24 남선 〔〕 부산·조선 【도항】

「밝은 달빛의 해상에서 밀항선 죄인을 잡는 일진/30여명을 체포」오사카 매일 1934/10/25 조선 〔5/8〕 부산·조선 【도항】

「밀항의 저지에 브로커 소탕/수해 이재자를 감언이설로 남을 속여 짜내는 간책」오사카 매일 1934/10/7 조선 〔5/7〕 부산·조선 【도항】

「한국인의 밀항/시카노시마에 209명 상륙(카스야군 시카노시마마을)」큐슈 일보 1934/11/2 〔1/7〕 후쿠오카·후쿠오카 【도항】

「밀항선 전복해 30여명 익사/3톤의 범선에 60여명/겐카이나다암야의 풍랑으로」오사카 아침해 1934/11/21 저녁 〔2/5〕 부산·조선 【밀항】

「밀항의 아침 한국인 30여명 익사/조난 예인선중에 침몰」오사카 매일 1934/11/21 저녁 〔2/1〕 부산·조선 【사회】

「동경의 내지에, 가 낳는 밀항의 비극/겐카이를 넘는 달햐쿠나의 잠항자/골머리를 썩히는 단속기관」오사카 매일 1934/11/22 조선 〔5/6〕 부산·조선 【도항】

「히로시마시를 중심으로 한국인 대량의 밀항/현 특별 고등경찰과, 갑자기 움직여/어젯밤 수괴등 일제 검거」예비나날 1934/11/29 〔〕 히로시마·히로시마 【도항】

「무지를 이용해/다양한 간책/저지하는 당국의 눈을 피해/한국인 밀항 사건 여담」예비나날 1934/11/29 〔〕 히로시마·히로시마 【도항】

「조선으로부터의 밀항자/수괴등 백팔10명 검거/현 특별 고등경찰 동서 양서 특별 고등경찰과/어젯밤부터 오늘 새벽에의 대포물」오나날 1934/11/29 〔〕 히로시마·히로시마 【도항】

「수괴 결국 잡는/다수를 내지에 밀항시킨 대규모 한국인 밀항단」코베 또 신일보 1934/11/29 〔7/7〕 히로시마·히로시마 【도항】

「현내에 상륙한/다수의 밀항아침 한국인/시모노세키에서 빌린 발동기선에/백오10명 실어 쿠바항에(오오타케 해안 매립 공사나 가배 철도 공사장)」오사카 아침해 1934/11/29 히로시마 〔〕 히로시마·히로시마 【도항】

「한국인 밀항단에/일제히 대기업 들어갈 수 있어/히로시마현 경찰부가/현내 각 경찰서를 독려(오오타케 해안 매립 공사나 가배 철도 공사장)」중국 1934/11/29 〔〕 히로시마·히로시마 【도항】

「기선을 용히 잘라/한국인의 대밀항/금을 감아올려 알몸인가로 해/트럭으로 공사장에 판다」중국 일보 1934/11/29 〔〕 히로시마·히로시마 【도항】

「한국인을 밀항시켜 유수에 조의 벌이/무츠나가 공모해 히로시마에 다수 잠입 찌른다」후쿠오카 나날 1934/11/29 〔1/3〕 ·히로시마 【도항】

「2백명의 대량 밀항/히로시마현에 한국인이 잠입」모지 신보 1934/11/29 〔1/5〕 ·히로시마 【도항】

「히로시마현하 밀항 한국인/계속해 검거/향후 철저 단속」예비나날 1934/11/30 〔〕 히로시마·히로시마 【도항】

「밀항자의 취조/각 합숙소를 수사(가배선)」오사카 아침해 1934/11/30 히로시마 〔〕 히로시마·히로시마 【도항】

「본현에도 치는/밀항 경계망/처 어업 조합과 연락」오사카 아침해 1934/11/30 히로시마 〔〕 히로시마·히로시마 【도항】

「해상에도 무서운 눈/내지 밀항자를 철저하게 단속하는/경찰망도 대에 확충」오사카 매일 1934/11/30 조선 〔5/3〕 소울(경성)·조선 【도항】

「전면적 검거는 곤란/현의 밀항 한국인 사냥해/향후는 단속을 엄중하게」중국 1934/11/30 〔〕 히로시마·히로시마 【도항】

「봐 장이 엄중하고/밀항자 히로시마에 전향/후쿠오카 야마구치 양현에 단념해/현 당국 밀항 방지에 오와라는」오나날 1934/12/1 〔〕 히로시마·히로시마 【도항】

「내지 밀항 송환 지난/고흥의 507명」오사카 매일 1934/12/11 조선 〔5/10〕 고흥·조선 【도항】

「한국인 40명 밀항/와카마츠에 상륙」큐슈 일보 1934/12/12 〔1/7〕 키타큐슈·후쿠오카 【도항】

「와카마츠 축항에 밀항 한국인(와카마츠)」몬지 신보 1934/12/12 〔1/5〕 키타큐슈·후쿠오카 【도항】

「시모노세키시외에 밀항 한국인」모지 신보 1934/12/13 〔1/5〕 시모노세키·야마구치 【도항】

「두번째의 밀항/카가와현의 발동선」오사카 아침해 1934/12/16 히로시마 〔〕 히로시마·히로시마 【도항】

「밀항 한국인 시모노세키시외에 상륙」모지 신보 1934/12/19 〔1/5〕 시모노세키·야마구치 【도항】

「밀항 한국인의 제2차 검거/더욱 103명을 발견/가배서는 만원 초밥힐(가배선)」예비나날 1934/12/2 〔〕 히로시마·히로시마 【도항】

「또 다시 밀항 한국인/104명을 검거/아사군 이무로 부근에서/수십명 (가배선)」중국 1934/12/2 〔〕 히로시마·히로시마 【도항】

「404명의 한국인 밀항(코구라시)」후쿠오카 나날 1934/12/27 저녁 〔1/2〕 키타큐슈·후쿠오카 【도항】

「밀항 한국인 50수명을/제1차에 송환/경관10수명을 타게 한/7일에 히로시마항 출범」중국 1934/12/4 〔〕 히로시마·히로시마 【도항】

「밀항 한국인의/제2차 검거/더욱 103명을 발견(가배선공사장)」중국 일보 1934/12/4 〔〕 히로시마·히로시마 【도항】

「모던 유치장/드디어 개점/최초의 손님은 밀항 한국인(가배선)」예비나날 1934/12/5 〔〕 히로시마·히로시마 【도항】

「당황하면 안 되는/변기로 세면/모던 유치장에 넣어져/큰 기쁨의 밀항아침 한국인(가배선)」오사카 아침해 1934/12/5 히로시마 〔〕 히로시마·히로시마 【도항】

「현청 유치장에/실진들 까는 첫 고객/예의 한국인 밀항단」중국 1934/12/5 〔〕 히로시마·히로시마 【도항】

「밀항 한국인 50명/처 고국에 송환/더욱 전면적으로 검거」중국 일보 1934/12/5 〔〕 히로시마·히로시마 【도항】

「모지비움푹 팬 곳에 밀항 한국인 상륙/어느 쪽도 악사공에 기되어(모지)」모지 신보 1934/12/5 〔1/5〕 키타큐슈·후쿠오카 【도항】

「밀항자 송환」오사카 아침해 1934/12/7 히로시마 〔〕 히로시마·히로시마 【도항】

「매우 삼엄한/밀항 한국인의 송환/경호의 경찰관에는/권총도 휴대 별로」중국 1934/12/7 〔〕 히로시마·히로시마 【도항】

「귀가는 공공연하게/피스톨 경관대에게 지켜져/밀항 한국인단의 송환」중국 1934/12/8 〔〕 히로시마·히로시마 【도항】

「삼엄하게 경계/밀항 한국인 송환/권총도 휴대 별로/선내의 폭동화도」중국 일보 1934/12/8 〔〕 히로시마·히로시마 【도항】

「화물선에 숨어/조선 청년의 밀항/요시우라에 입항 검열중에 발견/신병을 오사카 세관에」중국 일보 1935/1/19 〔〕 오·히로시마 【도항】

「이마즈 해안에 밀항 한국인(이토시마군 이마즈 마을)」후쿠오카 나날 1935/2/14 〔1/3〕 후쿠오카·후쿠오카 【도항】

「밀항 한국인 잡는/줄곧 암약」코베 신문 1935/2/16 〔6/8〕 코베·효고 【사회】

「또도 밀항/브로커 잡는다」오사카 매일 1935/2/28 조선 〔7/9〕 부산·조선 【도항】

「한국인 또도 밀항」후쿠오카 나날 1935/3/1 저녁 〔1/2〕 후쿠오카·후쿠오카 【도항】

「밀항 한국인/미타지리서에」중국 1935/3/10 〔〕 미타지리·야마구치 【도항】

「밀항 한국인에/빛나는 날카로운 눈/사상적 흑막 있을까」중국 일보 1935/3/11 〔〕 히로시마·히로시마 【경비】

「발동기선 가득의/밀항단포 붙이는/부산 수륙 양서의 활동」오사카 아침해 1935/3/20 남선 〔〕 부산·조선 【도항】

「또 다시 대현리나/밀항 한국인 모집 계획/검거에 대활동 개시」중국 1935/3/24 〔〕 히로시마·히로시마 【도항】

「또도 밀항 한국인」후쿠오카 나날 1935/3/24 〔1/3〕 후쿠오카·후쿠오카 【도항】

「밀항의 막노동자(제국 인견 미하라 공장 건설)」중국 1935/3/25 〔〕 미하라·히로시마 【도항】

「대규모 선민의/단체 밀항 계획폭로/위기일발 우지나서에 검거 지난」예비나날 1935/3/27 〔〕 히로시마·히로시마 【도항】

「대규모 선민의/단체 밀항 계획폭로/위기일발 우지나서에 검거 지난/놀랄 만한 그 전모」중국 일보 1935/3/28 〔〕 히로시마·히로시마 【도항】

「질림없는 밀항 한국인」후쿠오카 나날 1935/3/28 저녁 〔1/2〕 ·후쿠오카, 사가, 나가사키 【도항】

「3일간 한끼도 하지 않고/밀항 한국인세명 아시야에서 포 붙인다(옹가군 아시야마치)」후쿠오카 나날 1935/3/29 저녁 〔1/2〕 옹가군·후쿠오카 【도항】

「밀항 한국인 니시코우엔하에 상륙」후쿠오카 나날 1935/3/6 〔1/3〕 후쿠오카·후쿠오카 【도항】

「악브로커를 엄중하게 감시/당국의 밀항자 단속」오사카 매일 1935/4/14 조선 〔5/6〕 소울(경성)·조선 【도항】

「메이노하마 오베 해안에 밀항 한국인 상륙」후쿠오카 나날 1935/4/21 〔1/3〕 후쿠오카·후쿠오카 【도항】

「밀항 한국인」중국 1935/4/22 〔〕 히로시마·히로시마 【도항】

「바다의 갱/104명을 밀항시키는 도중 단도를 휘히 알몸」오사카 아침해 1935/5/1 〔11/8〕 대마도·나가사키 【밀항】

「경찰의 이름으로 허위 전보/한국인이 밀항기개(하야시다)」오사카 매일 1935/6/13 신판 〔8/13〕 코베·효고 【밀입국】

「한국인의 밀항/모지를 배회(모지)」큐슈 일보 1935/6/17 〔1/7〕 키타큐슈·후쿠오카 【도항】

「출범 후 눈치채는 밀항자의 단속/경비선 신조를 신청」오사카 매일 1935/6/7 조선 〔5/4〕 부산·조선 【도항】

「영화나무로 밀항자를 체포/매우 호화로운 주모자」오사카 매일 1935/7/11 조선 〔5/7〕 부산·조선 【도항】

「6전으로 밀항」오사카 매일 1935/7/21 조선 〔5/9〕 부산·조선 【도항】

「또 □□밀항 한국인/ 부산경찰서로부터 문수서에 준비(모지시)」후쿠오카 나날 1935/8/15 저녁 〔1/2〕 키타큐슈·후쿠오카 【도항】

「타인의 호적 등본을 용라고 밀항/한국인 도래의 이면에 이상한 사정의 사람이 많다」후쿠오카 나날 1935/8/24 〔1/7〕 후쿠오카·후쿠오카 【도항】

「이토시마 해안에 밀항 한국인(이토시마군북 사키무라)」후쿠오카 나날 1935/8/6 〔1/7〕 ·후쿠오카 【도항】

「입명의 밀항 한국인/부산의 밀항단 본부로부터 큐슈에 때가 때인 만큼 중대시 지난(모지)」큐슈 일보 1935/9/7 〔1/7〕 키타큐슈·후쿠오카 【도항】

「밀항 한국인 40수명/하수서에 포 붙인다」모지 신보 1935/10/20 〔1/3〕 시모노세키·야마구치 【도항】

「밀항 한국인 403명/일제히 체포(야마구치현 강의 중앙마을)」큐슈 일보 1935/10/21 〔1/7〕 시모노세키·야마구치 【도항】

「밀항 한국인 50명」후쿠오카 나날 1935/10/22 저녁 〔1/2〕 시모노세키·야마구치 【도항】

「한국인의 밀항」큐슈 일보 1935/11/5 〔1/7〕 후쿠오카·후쿠오카 【도항】

「 「아내가 보고 싶다」/애곡·애곡/밀항남환 지난」오사카 아침해 1935/12/7 히로시마 〔〕 오노미치·히로시마 【도항】

「부인 그리움에 밀항/화물선에 잠복중 발견」중국 1935/12/7 히로시마 〔〕 오노미치·히로시마 【도항】

「밀항아침 한국인/우지나서의 조사로/대담한 조직 판명」오사카 아침해 1936/1/23 히로시마 〔〕 히로시마·히로시마 【도항】

「한국인 밀항단 발각/브로커가 전선에 산재/우지나서가 준비 활동」중국 1936/1/23 〔〕 히로시마·히로시마 【도항】

「한국인의 내지 밀항/또 증가의 경향/브로커의 손으로 아주 교묘/한명 우지나 서원에 잡는다」오나날 1936/1/24 〔〕 히로시마·히로시마 【도항】

「양현하에 잠재하는/한국인의 대밀항단/그늘에 춤추는 브로커의 마수/우지나서 활동을 개시」중국 일보 1936/1/24 〔〕 히로시마·히로시마 【도항】

「대규모의 밀항 한국인/히로시마현하에서 발각」후쿠오카 나날 1936/1/24 저녁 〔1/2〕 ·히로시마 【도항】

「대규모의 한국인 밀항/약 80명이 상륙 408명을 모지경찰서로 보(모지)」큐슈 일보 1936/3/15 저녁 〔1/2〕 키타큐슈·후쿠오카 【도항】

「407명의 밀항 한국인 모지에서 포 붙인다」후쿠오카 나날 1936/3/15 〔1/7〕 키타큐슈·후쿠오카 【도항】

「경계를 기어들어 대거 밀항 한국인/매카리에 70명 상륙(모지)」모지 신보 1936/3/15 〔1/3〕 키타큐슈·후쿠오카 【도항】

「밀항 한국인과 안다」후쿠오카 나날 1936/3/20 〔1/7〕 ·상당히 【도항】

「밀항 조선 소년/수상서에 보호」코베 신문 1936/3/26 〔6/8〕 코베·효고 【사회】

「오구라에 밀항 한국인」큐슈 일보 1936/3/4 〔1/7〕 키타큐슈·후쿠오카 【도항】

「밀항 한국인/모지에서 다섯 명 체포(모지)」큐슈 일보 1936/3/9 〔1/7〕 키타큐슈·후쿠오카 【도항】

「밀항 한국인 잡는/오사토 마츠바라 해안에서/7명



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