己婁王(百済第3代の王 在位77-128年)89年7月?ソウルの辺りでM6.5(7.0)の地震
治世の前半は新羅への侵攻を行ったが後半は和睦に政治方針を転換させる。
恵恭王(新羅第36代の王 在位765-780年)779年4月?慶州でM6.5の地震
780年に伊飡の志貞が反乱を起こし宮中を包囲、同年上大等の金良相(後の宣徳王)が伊飡の金敬信(後の元聖王)とともに挙兵し、志貞を滅ぼす。この戦乱の中で恵恭王も殺害された。
禑王(高麗第32代の王 在位1374-1388年)1385年8/1、開城でM6.0の地震
威化島回軍が1388年に起き禑王は廃され、翌年に殺される。この事件は高麗王朝滅亡のきっかけとなる。
端宗(朝鮮第6代の王 在位1452-1455年)1455年1/24、南原でM6.5(6.8)の地震
1455年に、叔父である首陽大君(次代国王・世祖)によって王位を追われた。後に降格後、薬殺刑に処される。
中宗(第11代 即位1506-1544年)1518年7/2 ソウルでM6.5(6.8)の地震
1519年に己卯士禍が起きる。
明宗(第13代 即位1545-1567年)1546年6/29 平壌でM6.5の地震
宣祖(第14代 即位1567-1608年)1594年7/20 洪城でM6.0、1597年10/7 三水でM6.0(5.0)の地震
1592年に朝鮮の役が勃発、明と日本の戦争が始まり朝鮮が戦場になる。
仁祖(第16代 即位1623-1649年)1643年7/24 尉山でM7.0(6.3)の地震
1643年、徳川家綱誕生祝賀の通信士を送った。
昭顕世子は1645年帰国後2ヶ月で急死(毒殺されたと言われる)
粛宗(第19代 即位1674-1720年)1681年 襄陽でM7.5(7.3)の地震
明宗、粛宗はこれと言った重大事件が無かったみたいだけど地震が起きた年の近い時期に政変、反乱等の大きな事件が起きている気がする。
기루왕((쿠다라)백제 제 3대의 왕재위77-128연) 89년 7월?서울의 근처에서 M6.5(7.0)의 지진
치세의 전반은 신라에의 침공을 실시했지만 후반은 화목에 정치 방침을 전환시킨다.
혜공왕(신라 제 36대의 왕재위765-780연) 779년 4월?경주에서 M6.5의 지진
780년에 이탈리아