伝統文化紹介 Relationship

 

 

 

 



後述する、富士屋(fujiya)ホテルは、2018年の4月から、2020年の7月まで、建物の耐震補強工事を伴う改装の為、基本的に閉館となっていました。コロナ禍の2020年7月15日に、富士屋(fujiya)ホテルは、改装を終え、営業を再開しました。(もちろん、改装工事は、その前から計画されていましたが)改装工事期間がコロナ禍と重なったのは、富士屋(fujiya)ホテルの経営にとっては、良かったのかもしれません。改装により、富士屋(fujiya)ホテルは、男女別の共同温泉風呂が、新たに設置される等しました。改装後の、富士屋(fujiya)ホテルは、1度、彼女と、アフタヌーンティー(afternoon tea)を利用していますが、宿泊はしていません。以下の投稿文の、富士屋(fujiya)ホテルの説明は、改装前の、富士屋(fujiya)ホテルを前提としています。



以下、基本的に(参考の投稿を入れ替える等しています)、2020年の4月の下旬に行った投稿の再掲です。



以下、参考の投稿。

小津 安二郎映画「晩春」他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_2/view/id/3580708/page/3?&sfl=membername&stx=nnemon2



以下、基本的には(参考の投稿を加える等しています)、2016年の12月に行った投稿の再掲で、2016年の2月の終わりに、両親を連れて、箱根(hakone)の、富士屋(fujiya)ホテルに宿泊して来た時の物です。投稿文は、2016年12月の投稿を前提としています。ちなみに、その時の、両親の、富士屋(fujiya)ホテルの印象が良かったらしく、両親は、その時から今まで、2回、夫婦で、富士屋(fujiya)ホテルに宿泊している様です。


ある程度、前の事ですが、2月の終わりに、両親を連れて、箱根(hakone)の、富士屋(fujiya)ホテルに宿泊して来た時の物です。

私の2歳年下の弟(東京の西部郊外に暮らしています)は、既に、結婚して、子供がいて、今は、子育てに忙しいので、今の所、こう言う役割は、私と言う事で。。。


実は、去年の12月の初めに、両親を連れて、箱根(hakone)の、萬翠楼福住(bansuiro fukuzumi)と言う、温泉旅館に宿泊して来た時に(その時、両親と旅行したのは、とても久しぶりでした。その時の事は、kjで、アップ(uplaod)しています)、勢いで、両親に、今度、富士屋(fujiya)ホテルに連れて行くと言ってしまった事が、この時の、両親を連れた、富士屋(fujiya)ホテルの宿泊に、繋がりましたw(これから、やや、しばらくの間は、両親を連れて旅行に行くかどうかは、ちょっと分かりませんw)。


ちなみに、去年の12月の初めの、私の、両親を連れた、萬翠楼 福住(bansuiro fukuzumi)に宿泊した旅行、及び、この時の、富士屋(fujiya)ホテルに宿泊した旅行の、宿泊費、食事代等は、両親の分を含めて、全て、私が支払っています。


去年の12月の初めに、萬翠楼 福住(bansuiro fukuzumi)に宿泊して来た時の事は、以下の投稿を、参照して下さい。

400年近い歴史を有する温泉旅館他1→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_14/view/id/3746972/page/4?&sfl=membername&stx=nnemon2
400年近い歴史を有する温泉旅館他2→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_14/view/id/3746971/page/4?&sfl=membername&stx=nnemon2
400年近い歴史を有する温泉旅館他3→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_14/view/id/3746970/page/4?&sfl=membername&stx=nnemon2
400年近い歴史を有する温泉旅館他4→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_14/view/id/3746969/page/4?&sfl=membername&stx=nnemon2
400年近い歴史を有する温泉旅館他5→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_14/view/id/3746967/page/4?&sfl=membername&stx=nnemon2


両親は、我が家(東京都心部の西部の静かで落ち着いた住宅地に位置しています)の近所の実家(元々、母方の祖父母の家。現在は、両親が引き継いで暮らしている)に暮らしているのですが、18年程前に、湘南(syonan)area に、父が仕事を引退したら暮らす為の別荘(別荘とは言っても、典型的な別荘ではなく、普通の一戸建て住宅です)を、新築で、購入しました。父が、半分、定年退職状態になってからは(父は、会社員で、母は、父と結婚してから、ずっと主婦をしています)、両親は、基本的に、一週間の内の、半分を、東京都心部の我が家の近所の実家(元々、母方の祖父母の家。私の母にとっては、元々両親の家。ちなみに、母は、一人っ子です)、もう半分を、保養と気分転換に、湘南(syonan)areaの別荘で過ごしています。今の所、都会での生活が捨て難く(まあ、湘南(syonan)areaも、自動車生活圏で見れば、十分都会だと思いますが)、東京都心部の家(我が家の近所の私の実家)及び近所(私の街)に愛着がある(特に、母にとっては、生まれ育った家と街なので。。。)事等から、両親は、父が完全に定年退職しても、基本的に、一週間の内の半分を、東京都心部の家(我が家の近所の私の実家)、もう半分を、気分転換に、湘南(syonan)areaの別荘で過ごすと言う生活は、続けるつもりだそうです。

東京近郊の、茅ヶ崎(chigasaki)、江ノ島(enoshima)(藤沢(fujisawa))、(以下は、三浦(miura)(半島)areaとして、湘南(syonan)には、含めない考え方もあるが、私は、湘南(syonan)に含めて考えている。このへんは、地元の人も、結構大雑把だと思う)、鎌倉(kamakura)、逗子(zushi)、葉山(hayama)、横須賀(yokosuka)(西海岸の一部)等から成る、湘南(syonan)(東京圏の南部を占める神奈川(kanagawa)県の南部に位置する)は、東京都心部方面から見て、横浜(東京areaの海の玄関口(gateway)である、大きな港町)の向こう側(反対側)に隣接するareaであり、東京areaに暮らす人々にとって、最も身近な、東京近郊のビーチリゾート(beach resort)地となっています。湘南(syonan)は、海岸線で見ると30km位ある様な気がしますが、大磯(ooiso)、二宮(ninomiya)辺りまで含めると、(海岸線で見ると)50km近くある様な気がします。



以下、この時の、初日(以下、この日と書きます)についてです。


この時は、旅行と言うよりかは、富士屋(fujiya)ホテルに宿泊する事を目的として、箱根(hakone)を訪れたと言った感じでした。


この日は、私は、自分の自動車で、両親の湘南(syonan)areaの別荘に行き(ちなみに、この翌日、湘南(syonan)areaの電車駅で、(自分の自動車で)彼女を拾って、彼女と、湘南(syonan)をdriveする予定でした)、両親の湘南(syonan)areaの別荘で、両親と一緒に、昼食を食べた後(この時は、両親は、湘南(syonan)の別荘の方に、滞在中でした)、両親の湘南(syonan)areaの別荘に、自分の自動車を置き、両親の自動車で(両親の自動車に、両親を乗せて)、箱根(hakone)の、富士屋(fujiya)ホテルへ向かいました。

私の自動車に関しては、以下の投稿を参照して下さい。

葉山(hayama)のビーチ(beach)沿いのレストラン他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_1/view/id/3319926/page/2?&sfl=membername&stx=nnemon2




                                   

 

写真は、借り物(写真の作者:160SX)。「Cosmo AP」。「Cosmo AP」は、MAZDA(日本の、大規模、自動車会社の一つ。ただし、大規模会社としては、規模が小さい)が、1975年に販売を開始した、ミドルクラス(中級class)の乗用車です。「Cosmo AP」は、私が、幼い頃から子供の頃、実家(両親)の、自動車でした。

私が幼い頃から現在に至るまでの、(我が家の近所の)私の実家の(私の両親の)、自動車の変遷は、MAZDA「Cosmo AP」→Nissan  Volkswagen Santana(日産(nissan)自動車が、日本国内市場向けに、日本国内で生産していた、2代目、Volkswagen Passat(Volkswagen Passat (B2))の姉妹自動車。1984年に販売開始)→Mercedes-Benz C-Class →Mercedes-Benz E-Class (W211)(現在)(Mercedes-Benz E-Class の中では安い物です)となっていますが、両親は、まだ、W211 E-Classに乗り続けていて、今のところ、一向に(全く)、買い替える気配を見せません。私の、家系(家族の性質)は、一度、自動車を買ったら、とても長く乗る(乗り潰す位の、つもりで乗る)、家系(家族の性質)ですw(私も、私の弟も、そうです)。

私の実家(両親)の自動車の選択は、母が主導権を握っているので、私の母は、ミーハーでチャラチャラしたところがあるのでw(現代に若者時代を過ごしていたら、ギャルになったような気もしますw)、Nissan Volkswagen Santanaは、ドイツ車(当時、日本では、おそらく、まだドイツ車のブランド力が高かった)が、国産の同クラスの車と同程度の価格で買える、「ラッキー!」と言った程度の乗りで買ったような気がしますw その後、両親は、Mercedes-Benz C-Class、Mercedes-Benz E-Classと乗り継いでいるのですが、ベンツと言う選択は、母の見栄の部分もある事は、否定出来ないと思いますw  まあ、(私もそうなのですが)、両親は、休日に高速道路を使う機会が多いので、その点において、ドイツ車と言う選択は、良いのだと思いますが。

幼い頃、親に連れられて、実家のコスモで国内旅行をした際に、現地の私よりも年上の(おそらく自動車に興味がある・自動車好きの)見知らぬ男の子が、うちの(実家の)コスモを見て、「品川ナンバーのコスモ、かっけー!」みたいな内容の事を言い、その言葉が耳に残り、子供心になんとなくですが、品川ナンバーってブランド力があるんだなと言う事を初めて認識しましたw


私の両親の自動車に関しては、以下の投稿を参照して下さい。

アニメのテーマ曲他1→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3589006/page/32?&sfl=membername&stx=nnemon2



(この時、私達が宿泊した)富士屋(fujiya)ホテルがある、箱根(hakone)(東京圏(東京圏の南部を占める県である、神奈川
(kanagawa)県)の、南西端部に位置します)は、日光(nikko)(栃木(tochigi)県(東京圏の北端に位置する県)に位置する)と並ぶ、東京近郊を代表するリゾート(resort)地・保養地・観光地・避暑地です。ちなみに、箱根(hakone)は、東京近郊を代表するリゾート(resort)地・保養地・観光地・避暑地であり、私の両親は、よく、箱根(hakone)に訪れていますし、私も、今まで、たくさん、箱根(hakone)に訪れています。


ちなみに、東京圏、及び、その周辺で、第二次世界大戦前に建てられた、古い建物のままで、現在も、営業を行っている、歴史のある、高級リゾート(resort)ホテルは、富士屋(fujiya)ホテル(後で、詳しく説明します)の他に、日光(nikko。箱根(hakone)と共に、東京近郊を代表する観光地・保養地・避暑地)の、金谷(kanaya)ホテル(日光(nikko)を代表する、歴史のある高級リゾート(resort)ホテル。1873年開業)、軽井沢(karuizawa。東京圏周辺を代表する、避暑別荘地・避暑保養地)の、万平(manpei)ホテル(軽井沢(karuizawa)を代表する高級リゾート(resort)ホテルの一つ。1894年開業)、伊豆(izu)半島(東京に近い、温暖で、風光明媚な(景色の美しい)リゾート(resort)地)の、川奈(kawana)ホテル(1936年開業)があります。


金谷(kanaya)ホテル(日光(nikko)を代表する、歴史のある高級リゾート(resort)ホテル。1873年開業)は、私は、子供の頃、私の母方の祖父に連れられて、(私の母方の祖父母、両親、弟と共に)、3回、大人になってから1回(女性と2人での、coupleでの宿泊)の
、合計4回、宿泊した事があります。私の両親は、金谷(kanaya)ホテルは、私が、子供の頃に、私の母方の祖父(私の母方の祖父母)に連れられて、子供と共に(私と、私の弟と共に)、3回、宿泊した事があります。


私の母方の祖父は、田舎に生まれ、東京の、大学(まあ、当時は、その前身の高等教育機関でしたが)を卒業した後、第二次世界大戦までは、技師(技術者)、第二次世界大戦後は、会社員をしていました。私の母方の祖父の実家は、裕福であったと言う話は聞かず、また、かと言って、貧しかったとか、苦学したとか(金銭面で、苦労して、東京の、大学を卒業した)と言う話も聞かなかったので、まあ、中流の農家(中流の農民の家)、若しくは、会社員・公務員等の、家庭であったのではないでしょうか。。。


私の母方の祖父は、保守的で、堅実、真面目で、生活は、つましく、派手な生活をする事は、好みませんでしたが、無趣味と言った訳ではなく、墨絵(ink wash painting)、俳句(haiku)(日本の、伝統的な詩)、短歌(tanka)(日本の、伝統的な詩)、漢詩(中国の、伝統的な詩)、魚釣りを趣味として、風流人的な、一面も持っていました。現在は、昔と違って、我が家の近所の、私の実家(元々、私の母方の祖父母の家。現在は、両親が、引き継いで暮らしている)の、庭の池には、錦鯉(nishikigoi)(下の補足説明参照)しか泳いでいませんが、かつて、私の実家の庭の池には、鯉、金魚の他に、私に母方の祖父が釣って来た、鮒や草魚(grass carp)等がいました。私の母は、子供の頃は、休日に、私の母方の祖父に連れられて、電車に乗って、よく、東京郊外の、多摩(tama)川に釣りに行ったそうです(私の母は、全く、退屈で、つまらなかったそうですw)。ちなみに、私の実家は、(元々、私の母方の祖母の実家が、田舎の裕福な地主の家(第二次世界大戦後は、没落した)であったのですが)、私の母方の祖母が、見合いで、私の母方の祖父と結婚した際に(ちなみに、私の母方の祖母は、大学(まあ、当時は、その前身の高等教育機関でしたが)から東京に出て来ていました。私の母方の祖母は、私の母方の祖父と結婚してから、ずっと主婦をしていました)、私の母方の祖母の父(私の母方の曽祖父)が、当時、東京に保有していた不動産の一つ(敷地面積100坪程(約330平方m)の、庭がある、一戸建て住宅。当時の中流階級の、一戸建て住宅として、小さな方であったと思います)を、私の、母方の祖父母に与えた物です(現在の家の建物は、1960年代初め頃に(私の母が高校生の頃に)、建替えられた物です。現在は、時代に合わせて内装等が改装されて来ており、耐震補強もなされています)。
錦鯉(nishikigoi):観賞用に、養殖・品種改良された、日本の鯉の、総称。日本では、色鮮やかな、錦鯉(nishikigoi)は、庭園の池等で、多く見られる。錦鯉(nishikigoi)は、日本、及び、日本の美意識を象徴する魚として、日本の、国魚(国の魚)となっている。


私の母方の祖父は、東洋的な(日本的な)、風流人である一方で、西洋文化が好きな一面もあり、私の母方の祖父の好みに合わせて、私の実家の朝食は、西洋式でしたし、私の、母方の祖父は、食事は、どちらかと言えば、和食(日本料理)よりも、洋食(yoshoku)(日本で、近代以降、日本人の口に合う様に、(日本人の視点からすれば)改良された、西洋料理)・西洋料理の方が、好きな位でした。また、私の母方の祖父は、ウイスキー(whisky)が、好きで、毎晩、寝る前に、必ず、ウイスキー(whisky)を飲んでいました(前述の通り、私の母方の祖父は、つましかったので、いつも飲んでいたのは、Suntory(nikkaと共に、日本の、2大、ウイスキー(whisky)会社)の、「SUNTORY OLD」と言う、安い、大衆的な、ウイスキー(whisky)でしたが。。。)。


私が、子供の頃、私の母方の祖父は、家族(私の母方の祖母、私の両親、私、私の2歳年下の弟)を連れて、日光(nikko)(栃木(tochigi)県(東京圏の北端に位置する県)に位置する。箱根(hakone)(東京圏(東京圏の南部を占める県である、神奈川(kanagawa)県)の、南西端部に位置する)と並ぶ、東京近郊を代表するリゾート(resort)地・保養地・観光地・避暑地)の、金谷(kanaya)ホテル(日光(nikko)を代表する、歴史のある高級リゾート(resort)ホテル。1873年開業)に宿泊しに行く事もあったのですが、その際には、私の母は、私と私の弟に、フォーマルな服を着せました。

ちなみに、今は、時代の流れとして、昔程、服の使い分けがなされていない事と、リゾート(resort)と言う事もあり、高級リゾート(resort)ホテルに宿泊、又は、高級リゾート(resort)ホテルを利用する際にも、カジュアルな服で(普段着で)と言う場合も、少なくありません。


前述の通り、私の母方の祖父は、普段の生活は、つましかったですが、何故か、家族を(私の母方の祖父にとっては、妻、娘夫婦、孫)を、金谷(kanaya)ホテルに連れて行く事に関しては、気前が良かったです。ちなみに、日光(nikko)は、私の母方の祖父の、お気に入りの場所でした。


私の母方の祖父に関しては、以下の2つの投稿を参照して下さい。

芸者(geisha)・祖父の話他(私の父方の祖父の話も含みます)→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3658686/page/19?&sfl=membername&stx=nnemon2
旧朝香宮(asakanomiya)邸他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3658681/page/19?&sfl=membername&stx=nnemon2
小津 安二郎映画「晩春」他(参考の投稿・関連投稿)→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_2/view/id/3580708/page/3?&sfl=membername&stx=nnemon2

私の母方の祖母に関しては、以下の投稿を参照して下さい。

母方の祖母の話→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3658687/page/19?&sfl=membername&stx=nnemon2



軽井沢(karuizawa)の万平(manpei)ホテルは、私の両親は、軽井沢(karuizawa)で、ゴルフ(golf)をするついでに、何度か宿泊した事がありますが(ちなみに、私の両親は、ゴルフ(golf)を趣味としていますが、私は、ゴルフ(golf)はしません)、私は、宿泊した事がありません(万平(manpei)ホテルは、別に、今でなくても良いけど(老人になってからでも良いので)、いつか、宿泊したいと思っています)。


伊豆(izu)半島(東京に近い、温暖で、風光明媚な(景色の美しい)リゾート(resort)地)の川奈(kawana)ホテルは、私の父は、一度、宿泊して、ゴルフ(golf)をした事がありますが、私は、宿泊した事がありません(川奈(kawana)ホテルも、いつか、宿泊したいと思っています)。



(この時、私達が宿泊した)富士屋(fujiya)ホテルは、私は、この時を、含めて6回、宿泊しています(この時、(我が家の近所の私の実家の)両親を連れて、箱根(hakone)の、富士屋(fujiya)ホテルに宿泊して来た時の、1回を除き、(残りの5回は)、全て、couple(女性と2人)で宿泊しています)。富士屋(fujiya)ホテルは、花御殿(hanagoten)、西洋館、本館に宿泊した事があります。また、菊華荘(kikkaso)(宿泊も可能)は、宿泊はした事がありませんが、食事はした事があります(その時は、富士屋(fujiya)ホテルに宿泊しないで、食事だけした)。


(亡くなった)私の母方の祖父母は、富士屋(fujiya)ホテルに宿泊した事がありましたが(母方の祖父母は夫婦で宿泊した事があり、母方の祖母に関しては、結婚前(子供の頃を含む)、母方の祖母の家族でも宿泊した事あり)、私の母は、その時まで、富士屋(fujiya)ホテルに宿泊した事がありませんでした。また、私の父は、その時まで、富士屋(fujiya)ホテルは、会社の研修で、一度、宿泊した事がありましたが、個人的な旅行で宿泊した訳ではないので、富士屋(fujiya)ホテルの雰囲気を、ゆっくりと味わう事は、全く、出来なかったそうです。その様な事から、去年の12月の初めに、両親を連れて、箱根(hakone)の、萬翠楼 福住(bansuiro fukuzumi)と言う、温泉旅館に宿泊して来た時に(その時、両親と旅行したのは、とても久しぶりでした)、弾みで(勢いで)、両親に、今度、富士屋(fujiya)ホテルに連れて行くと言ってしまった事が、この時の、両親を連れた、富士屋(fujiya)ホテルの宿泊に繋がりましたw 


ちなみに、前述の通り、上記の、私の、両親を連れた、萬翠楼 福住(bansuiro fukuzumi)に宿泊した旅行、及び、この時の、富士屋(fujiya)ホテルに宿泊した旅行の、宿泊費、食事代等は、両親の分を含めて、全て、私が支払っています。




以下、この時、私達が宿泊した、富士屋(fujiya)ホテル。


富士屋(fujiya)ホテルは、箱根(hakone)を代表する、高級resortホテルの一つです。富士屋(fujiya)ホテルは、前身の温泉旅館時代も含めると(16世紀後半には、韓国では悪名が高い(悪い意味で有名な)、豊臣 秀吉(toyotomi hideyoshi)も宿泊しました)、14世紀末からの(600年以上もの)歴史を有する(近代的なリゾート(resort)ホテルに変わってからの歴史は、1878年から)、箱根(hakone)を代表する高級リゾート(resort)ホテルです(富士屋(fujiya)ホテルは、箱根(hakone)の仙石原(sengokuhara)地区に、箱根(hakone)で、最も古い歴史を有する(詳しくないのですが、少なくとも、現在営業されている箱根(hakone)のゴルフ場(golf course)の中では、最も古い)、ゴルフ場(golf course)(1917年開業)も有しています)。富士屋(fujiya)ホテルは、第2次世界大戦前には、日本国内のみならず、(日本以外の)東・東南アジア在住の欧米人富裕層の間でも、東洋有数のリゾート(resort)ホテルとして知られていました。富士屋(fujiya)ホテルには、今まで、孫文(Sun Yat-sen)(日本に2度、亡命し、亡命中は、日本の、実業家等から支援を受けて、裕福な暮らしをしていた)、チャーリー・チャップリン(Charlie Chaplin)、フランク・ロイド・ライト(Frank Lloyd Wright)、ヘレン・ケラー(Helen
Keller)、ジョン・レノン(John Lennon)・小野 洋子(ono yoko)夫妻等、世界的な著名人も訪れています。




写真は、借り物。昔の富士屋(fujiya)ホテルの写真。花御殿(1936年完成)の建物が、まだ存在せず、主食堂(main dining room)の建物(1930年完成)が、存在している事から、1930年から1935年頃に撮影された物と思われます。前述の通り、富士屋(fujiya)ホテルは、第2次世界大戦前には、日本国内のみならず、(日本以外の)東・東南アジア在住の欧米人富裕層の間でも、東洋有数のリゾート(resort)ホテルとして知られていました。



写真以下3枚。富士屋(fujiya)ホテルの中にある、富士屋(fujiya)ホテルの歴史に関する展示室より。。。




近代的なリゾート(resort)ホテルに変わってからの富士屋(fujiya)ホテル(1878年創業)の、創業者である、山口
仙之助(yamaguchisennosuke)(1851年生まれ。1915年に亡くなる。日本の、ホテル経営者)。個性が強く、活動的で、敏腕な、ホテル経営者であった様です。


山口 仙之助(yamaguchi sennosuke)は、息子がいましたが、息子は、ホテル経営には、向いていないと判断し、長女の、夫である、山口 正造(yamaguchishozo)(日光(nikko)の、金谷(kanaya)ホテルの創業者の次男)を、養子(婿養子)とし、富士屋(fujiya)ホテルの、実質的な2代目の経営者としました。




富士屋(fujiya)ホテルの、実質的な2代目の経営者である、山口 正造(yamaguchi shozo)(日本の、ホテル経営者)。髭が特徴的な人物で、個性が強い、カリスマ的な(charismaticな)、経営者であった様です。

 




山口 正造(yamaguchishozo)が、富士屋(fujiya)ホテルの宣伝を兼ねて、主催した、日本国内、及び、日本国外の、髭が自慢の、金持ち・富裕層・著名人によって構成される、万国(世界)髭club(1931年に創立)の、メンバー(member)の例。



写真以下2枚。富士屋(fujiya)ホテルに飾ってある、山口 堅吉(yamagichi kenkichi)(下の補足説明参照))の、娘の、肖像画。

山口 堅吉(yamagichi kenkichi):日本の、ホテル経営者。山口 仙之助(yamaguchisennosuke)(富士屋(fujiya)ホテルの創業者)の、養子(婿養子)で、山口 仙之助(yamaguchisennosuke)の次女の、夫。1944年に、山口 正造(yamaguchishozo)が、病気により、亡くなった後、富士屋(fujiya)ホテルの経営を引き継いだ。山口 正造(yamaguchishozo)が、個性が強い、カリスマ的な(charismaticな)、経営者であったのに対し、山口 堅吉(yamagichikenkichi)は、地味で、堅実で、真面目な人物であった様です。










富士屋(fujiya)ホテルに飾ってある、おそらく、20世紀初頭(1900年代から1930年代頃)に、制作された、外国人観光客(外国人宿泊客)に、日本の文化を紹介する物の一つ。これは、雛(hina)祭りを紹介する物です。雛(hina)祭りは、女の子の、健康な成長と、幸福を願う、日本の、伝統的な祭りで、日本全国的な、祭りです。日本では、毎年、3月3日は、雛(hina)祭りと言われる、女の子の日(ちなみに、男の子の日は、5月5日)で、伝統的に、雛(hina)祭りの時期(3月3日及び、その前後)には、女の子のいる家庭では、一般的に、雛(hina)人形と言う、華やかな人形を飾ります。





参考に。。。写真は、借り物。正田 貞一郎(syouda teiichirou)。1870年、群馬(gunma)県(東京圏の、北西端に位置する県)の、裕福な、米問屋(米の、卸売りを行う商人)の家に生まれる。日本の、実業家で、日清(Nisshin)製粉(Seifun)(下の補足説明参照)の創業者。下で紹介する、皇后美智子(Empress Michiko)の、祖父。

日清(Nisshin)製粉(Seifun):加工食品の、原料を供給する、日本の、大規模食品会社。1900年設立。ラーメン(インスタントラーメン)の会社である、日清(Nisshin)食品(1948年創業)とは、全く、関係がない会社です。





富士屋(fujiya)ホテルに飾ってある、富士屋(fujiya)ホテルで撮影された、独身時代の、皇后美智子(Empress Michiko)(下の補足説明参照)と、皇后美智子(Empress Michiko)の、ご両親(両親)。

皇后美智子(Empress Michiko):1934年生まれ。現在の、日本の、皇后(天皇の妻)。日清(Nisshin)製粉(Seifun)の創業者の一族(家族)の、家に生まれる。皇后美智子(Empress Michiko)は、独身時代、子供の頃から、家族で(両親と共に)、富士屋(fujiya)ホテルに、保養の為、よく宿泊しており、独身時代は、富士屋(fujiya)ホテルに、40回以上も、宿泊されていた様です。ちなみに、上流階級の人達は、単純に、宿泊と言っても、私達の様な、庶民・中流層の、この様な、高級リゾート(resort)ホテルに、一泊して、ああ良かったと言うのではなく、おそらく、夏の避暑の為等に滞在する時は、一般的に、この様な、高級リゾート(resort)ホテルに、長期に渡って、滞在すると思います。



写真以下。富士屋(fujiya)ホテルの中にある、富士屋(fujiya)ホテルの歴史に関する展示室より。。。




富士屋(fujiya)ホテルの、現在の、(西洋料理部門の)厨房(食事を作る調理場)の、古い写真(おそらく、1920年代から1930年代頃の写真)。富士屋(fujiya)ホテルの、現在の、(西洋料理部門の)厨房(食事を作る調理場)は、1920年に建てられた物で、総ガラス(glass)張りの天井からは、自然光が取り入られ、90年以上経った、現在でも、現役で使われています(ホテルのsiteを参考にしました)。同厨房(富士屋(fujiya)ホテルの、現在の、(西洋料理部門の)厨房(食事を作る調理場))は、完成当時、最新だった、電気式の設備を用いていた為、関東大震災(1923年に東京圏を襲った巨大地震)でも、火事を出す事はなく、当時、「東洋一(アジア一)の厨房(食事を作る調理場)」と呼ばれたそうです。




富士屋(fujiya)ホテルの室内温水プール(indoor swimming pool)の古い写真(おそらく、1930年代頃の写真)。花御殿(hanagoten)(1936年完成)の地下にある、富士屋(fujiya)ホテルの、(源泉かけ流しの温泉が使われている)モダン(modern)な室内温水プール(indoor swimming pool)は、日本で、第2次世界大戦前に作られ、現存し、実際に、まだ使われている、リゾート(resort)ホテルの、室内温水プール(indoor swimming pool)として、貴重な物となっています。




富士屋(fujiya)ホテルの、舞踏場(ballroom)の、古い写真(おそらく、1920年代から1930年代頃の写真)。富士屋(fujiya)ホテルは、あくまで、リゾート(resort)ホテルであるので、舞踏場(ballroom)とは言っても、豪華絢爛な物ではありません。



写真以下2枚。ジョン・レノン(John Lennon)の家族(John Lennon、小野 洋子(ono yoko)、Sean Lennon)、三島 由紀夫(mishima yukio)(1925年生まれ。1970年に亡くなる。日本の、有名な、作家)夫妻等が宿泊した、富士屋(fujiya)ホテルの、花御殿(hanagoten)(1936年完成)の客室の、古い写真(おそらく、1930年代頃の写真)。










1944年頃の、富士屋(fujiya)ホテルの、パンフレット(leaflet)。





日本の敗戦により、第二次世界大戦が終わる約1年前の、1944年の11月2日の、富士屋(fujiya)ホテルの、フランス料理・西洋料理の、夕食のメニュー(menu)例。内容は、写真を撮ったは良いが、写真の字が、小さくw、不明瞭なので、一部、推測が入りますが、前菜の盛り合わせ、トマト(tomato)のスープ(soup)、魚のメイン(main)料理(魚の、バター(butter)焼き物)、肉のメイン(main)料理(牛肉の焼き物(又は、ローストビーフ(roast beef)。野菜添え)、デザート(dessert)(富士山の形のアイスクリーム(ice cream))、お茶菓子、コーヒー(coffee)と言った感じ。。。(これに、おそらく、パンが付くと思います)。1944年11月2日に、大東亜(アジア)、電気通信、第2回、懇談会で、富士屋(fujiya)ホテルに宿泊した方が、提供した資料。第二次世界大戦中は、物資の不足、増税、宿泊客の減少等により、ホテル経営の深刻な悪化に悩まされていた、富士屋(fujiya)ホテルですが、この頃(1944年頃)は、富士屋(fujiya)ホテルでは、まだ、ある程度、しっかりとした、食事が提供されていた様です(ちなみに、さすがに、おそらく、第二次世界大戦の末期(1945年頃)は、富士屋(fujiya)ホテルも、かなり、物資の不足に悩まされたと思います)。





第二次世界大戦の、日本の敗戦により、日本に進駐して来た、連合軍(実質的には、アメリカ軍)によって、富士屋(fujiya)ホテルは、1945年、10月20日に、接収され、以後、1954年の6月に接収が解除されるまで、富士屋(fujiya)ホテルは、連合軍(実質的には、アメリカ軍)の、将校、及び、その家族等の、保養、宿泊施設として使用されていました。これは、接収が解除され、富士屋(fujiya)ホテルが、1954年7月から、通常の、営業を、再開する事を知らせる、ポスター(poster)です。ちなみに、富士屋(fujiya)ホテルが、連合軍(実質的には、アメリカ軍)に、接収されていた(連合軍(実質的には、アメリカ軍)の管理下に置かれていた)時代(自由営業が、制限されていた、この時代は、第2次世界大戦中(物資の欠乏、税金の増額等により、ホテル経営が困難な状況下にあった)と共に、富士屋(fujiya)ホテルにとっては、苦難の時代)には、マッカーサー(Douglas MacArthur)、アイゼンハワー(Dwight D.Eisenhower)等が、富士屋(fujiya)ホテルに滞在しています。





1878年からの歴史を有するリゾートホテル2へ続く。。。

1878年からの歴史を有するリゾートホテル2は、以下です。

1878年からの歴史を有するリゾートホテル2→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3758969?&sfl=membername&stx=nnemon2

 


1878年からの歴史を有するリゾートホテル1



後述する、富士屋(fujiya)ホテルは、2018年の4月から、2020年の7月まで、建物の耐震補強工事を伴う改装の為、基本的に閉館となっていました。コロナ禍の2020年7月15日に、富士屋(fujiya)ホテルは、改装を終え、営業を再開しました。(もちろん、改装工事は、その前から計画されていましたが)改装工事期間がコロナ禍と重なったのは、富士屋(fujiya)ホテルの経営にとっては、良かったのかもしれません。改装により、富士屋(fujiya)ホテルは、男女別の共同温泉風呂が、新たに設置される等しました。改装後の、富士屋(fujiya)ホテルは、1度、彼女と、アフタヌーンティー(afternoon tea)を利用していますが、宿泊はしていません。以下の投稿文の、富士屋(fujiya)ホテルの説明は、改装前の、富士屋(fujiya)ホテルを前提としています。



以下、基本的に(参考の投稿を入れ替える等しています)、2020年の4月の下旬に行った投稿の再掲です。



以下、参考の投稿。

小津 安二郎映画「晩春」他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_2/view/id/3580708/page/3?&sfl=membername&stx=nnemon2



以下、基本的には(参考の投稿を加える等しています)、2016年の12月に行った投稿の再掲で、2016年の2月の終わりに、両親を連れて、箱根(hakone)の、富士屋(fujiya)ホテルに宿泊して来た時の物です。投稿文は、2016年12月の投稿を前提としています。ちなみに、その時の、両親の、富士屋(fujiya)ホテルの印象が良かったらしく、両親は、その時から今まで、2回、夫婦で、富士屋(fujiya)ホテルに宿泊している様です。


ある程度、前の事ですが、2月の終わりに、両親を連れて、箱根(hakone)の、富士屋(fujiya)ホテルに宿泊して来た時の物です。

私の2歳年下の弟(東京の西部郊外に暮らしています)は、既に、結婚して、子供がいて、今は、子育てに忙しいので、今の所、こう言う役割は、私と言う事で。。。


実は、去年の12月の初めに、両親を連れて、箱根(hakone)の、萬翠楼福住(bansuiro fukuzumi)と言う、温泉旅館に宿泊して来た時に(その時、両親と旅行したのは、とても久しぶりでした。その時の事は、kjで、アップ(uplaod)しています)、勢いで、両親に、今度、富士屋(fujiya)ホテルに連れて行くと言ってしまった事が、この時の、両親を連れた、富士屋(fujiya)ホテルの宿泊に、繋がりましたw(これから、やや、しばらくの間は、両親を連れて旅行に行くかどうかは、ちょっと分かりませんw)。


ちなみに、去年の12月の初めの、私の、両親を連れた、萬翠楼 福住(bansuiro fukuzumi)に宿泊した旅行、及び、この時の、富士屋(fujiya)ホテルに宿泊した旅行の、宿泊費、食事代等は、両親の分を含めて、全て、私が支払っています。


去年の12月の初めに、萬翠楼 福住(bansuiro fukuzumi)に宿泊して来た時の事は、以下の投稿を、参照して下さい。

400年近い歴史を有する温泉旅館他1→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_14/view/id/3746972/page/4?&sfl=membername&stx=nnemon2
400年近い歴史を有する温泉旅館他2→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_14/view/id/3746971/page/4?&sfl=membername&stx=nnemon2
400年近い歴史を有する温泉旅館他3→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_14/view/id/3746970/page/4?&sfl=membername&stx=nnemon2
400年近い歴史を有する温泉旅館他4→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_14/view/id/3746969/page/4?&sfl=membername&stx=nnemon2
400年近い歴史を有する温泉旅館他5→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_14/view/id/3746967/page/4?&sfl=membername&stx=nnemon2


両親は、我が家(東京都心部の西部の静かで落ち着いた住宅地に位置しています)の近所の実家(元々、母方の祖父母の家。現在は、両親が引き継いで暮らしている)に暮らしているのですが、18年程前に、湘南(syonan)area に、父が仕事を引退したら暮らす為の別荘(別荘とは言っても、典型的な別荘ではなく、普通の一戸建て住宅です)を、新築で、購入しました。父が、半分、定年退職状態になってからは(父は、会社員で、母は、父と結婚してから、ずっと主婦をしています)、両親は、基本的に、一週間の内の、半分を、東京都心部の我が家の近所の実家(元々、母方の祖父母の家。私の母にとっては、元々両親の家。ちなみに、母は、一人っ子です)、もう半分を、保養と気分転換に、湘南(syonan)areaの別荘で過ごしています。今の所、都会での生活が捨て難く(まあ、湘南(syonan)areaも、自動車生活圏で見れば、十分都会だと思いますが)、東京都心部の家(我が家の近所の私の実家)及び近所(私の街)に愛着がある(特に、母にとっては、生まれ育った家と街なので。。。)事等から、両親は、父が完全に定年退職しても、基本的に、一週間の内の半分を、東京都心部の家(我が家の近所の私の実家)、もう半分を、気分転換に、湘南(syonan)areaの別荘で過ごすと言う生活は、続けるつもりだそうです。

東京近郊の、茅ヶ崎(chigasaki)、江ノ島(enoshima)(藤沢(fujisawa))、(以下は、三浦(miura)(半島)areaとして、湘南(syonan)には、含めない考え方もあるが、私は、湘南(syonan)に含めて考えている。このへんは、地元の人も、結構大雑把だと思う)、鎌倉(kamakura)、逗子(zushi)、葉山(hayama)、横須賀(yokosuka)(西海岸の一部)等から成る、湘南(syonan)(東京圏の南部を占める神奈川(kanagawa)県の南部に位置する)は、東京都心部方面から見て、横浜(東京areaの海の玄関口(gateway)である、大きな港町)の向こう側(反対側)に隣接するareaであり、東京areaに暮らす人々にとって、最も身近な、東京近郊のビーチリゾート(beach resort)地となっています。湘南(syonan)は、海岸線で見ると30km位ある様な気がしますが、大磯(ooiso)、二宮(ninomiya)辺りまで含めると、(海岸線で見ると)50km近くある様な気がします。



以下、この時の、初日(以下、この日と書きます)についてです。


この時は、旅行と言うよりかは、富士屋(fujiya)ホテルに宿泊する事を目的として、箱根(hakone)を訪れたと言った感じでした。


この日は、私は、自分の自動車で、両親の湘南(syonan)areaの別荘に行き(ちなみに、この翌日、湘南(syonan)areaの電車駅で、(自分の自動車で)彼女を拾って、彼女と、湘南(syonan)をdriveする予定でした)、両親の湘南(syonan)areaの別荘で、両親と一緒に、昼食を食べた後(この時は、両親は、湘南(syonan)の別荘の方に、滞在中でした)、両親の湘南(syonan)areaの別荘に、自分の自動車を置き、両親の自動車で(両親の自動車に、両親を乗せて)、箱根(hakone)の、富士屋(fujiya)ホテルへ向かいました。

私の自動車に関しては、以下の投稿を参照して下さい。

葉山(hayama)のビーチ(beach)沿いのレストラン他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_1/view/id/3319926/page/2?&sfl=membername&stx=nnemon2




                                   

写真は、借り物(写真の作者:160SX)。「Cosmo AP」。「Cosmo AP」は、MAZDA(日本の、大規模、自動車会社の一つ。ただし、大規模会社としては、規模が小さい)が、1975年に販売を開始した、ミドルクラス(中級class)の乗用車です。「Cosmo AP」は、私が、幼い頃から子供の頃、実家(両親)の、自動車でした。

私が幼い頃から現在に至るまでの、(我が家の近所の)私の実家の(私の両親の)、自動車の変遷は、MAZDA「Cosmo AP」→Nissan  Volkswagen Santana(日産(nissan)自動車が、日本国内市場向けに、日本国内で生産していた、2代目、Volkswagen Passat(Volkswagen Passat (B2))の姉妹自動車。1984年に販売開始)→Mercedes-Benz C-Class →Mercedes-Benz E-Class (W211)(現在)(Mercedes-Benz E-Class の中では安い物です)となっていますが、両親は、まだ、W211 E-Classに乗り続けていて、今のところ、一向に(全く)、買い替える気配を見せません。私の、家系(家族の性質)は、一度、自動車を買ったら、とても長く乗る(乗り潰す位の、つもりで乗る)、家系(家族の性質)ですw(私も、私の弟も、そうです)。

私の実家(両親)の自動車の選択は、母が主導権を握っているので、私の母は、ミーハーでチャラチャラしたところがあるのでw(現代に若者時代を過ごしていたら、ギャルになったような気もしますw)、Nissan Volkswagen Santanaは、ドイツ車(当時、日本では、おそらく、まだドイツ車のブランド力が高かった)が、国産の同クラスの車と同程度の価格で買える、「ラッキー!」と言った程度の乗りで買ったような気がしますw その後、両親は、Mercedes-Benz C-Class、Mercedes-Benz E-Classと乗り継いでいるのですが、ベンツと言う選択は、母の見栄の部分もある事は、否定出来ないと思いますw  まあ、(私もそうなのですが)、両親は、休日に高速道路を使う機会が多いので、その点において、ドイツ車と言う選択は、良いのだと思いますが。

幼い頃、親に連れられて、実家のコスモで国内旅行をした際に、現地の私よりも年上の(おそらく自動車に興味がある・自動車好きの)見知らぬ男の子が、うちの(実家の)コスモを見て、「品川ナンバーのコスモ、かっけー!」みたいな内容の事を言い、その言葉が耳に残り、子供心になんとなくですが、品川ナンバーってブランド力があるんだなと言う事を初めて認識しましたw


私の両親の自動車に関しては、以下の投稿を参照して下さい。

アニメのテーマ曲他1→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3589006/page/32?&sfl=membername&stx=nnemon2



(この時、私達が宿泊した)富士屋(fujiya)ホテルがある、箱根(hakone)(東京圏(東京圏の南部を占める県である、神奈川
(kanagawa)県)の、南西端部に位置します)は、日光(nikko)(栃木(tochigi)県(東京圏の北端に位置する県)に位置する)と並ぶ、東京近郊を代表するリゾート(resort)地・保養地・観光地・避暑地です。ちなみに、箱根(hakone)は、東京近郊を代表するリゾート(resort)地・保養地・観光地・避暑地であり、私の両親は、よく、箱根(hakone)に訪れていますし、私も、今まで、たくさん、箱根(hakone)に訪れています。


ちなみに、東京圏、及び、その周辺で、第二次世界大戦前に建てられた、古い建物のままで、現在も、営業を行っている、歴史のある、高級リゾート(resort)ホテルは、富士屋(fujiya)ホテル(後で、詳しく説明します)の他に、日光(nikko。箱根(hakone)と共に、東京近郊を代表する観光地・保養地・避暑地)の、金谷(kanaya)ホテル(日光(nikko)を代表する、歴史のある高級リゾート(resort)ホテル。1873年開業)、軽井沢(karuizawa。東京圏周辺を代表する、避暑別荘地・避暑保養地)の、万平(manpei)ホテル(軽井沢(karuizawa)を代表する高級リゾート(resort)ホテルの一つ。1894年開業)、伊豆(izu)半島(東京に近い、温暖で、風光明媚な(景色の美しい)リゾート(resort)地)の、川奈(kawana)ホテル(1936年開業)があります。


金谷(kanaya)ホテル(日光(nikko)を代表する、歴史のある高級リゾート(resort)ホテル。1873年開業)は、私は、子供の頃、私の母方の祖父に連れられて、(私の母方の祖父母、両親、弟と共に)、3回、大人になってから1回(女性と2人での、coupleでの宿泊)の
、合計4回、宿泊した事があります。私の両親は、金谷(kanaya)ホテルは、私が、子供の頃に、私の母方の祖父(私の母方の祖父母)に連れられて、子供と共に(私と、私の弟と共に)、3回、宿泊した事があります。


私の母方の祖父は、田舎に生まれ、東京の、大学(まあ、当時は、その前身の高等教育機関でしたが)を卒業した後、第二次世界大戦までは、技師(技術者)、第二次世界大戦後は、会社員をしていました。私の母方の祖父の実家は、裕福であったと言う話は聞かず、また、かと言って、貧しかったとか、苦学したとか(金銭面で、苦労して、東京の、大学を卒業した)と言う話も聞かなかったので、まあ、中流の農家(中流の農民の家)、若しくは、会社員・公務員等の、家庭であったのではないでしょうか。。。


私の母方の祖父は、保守的で、堅実、真面目で、生活は、つましく、派手な生活をする事は、好みませんでしたが、無趣味と言った訳ではなく、墨絵(ink wash painting)、俳句(haiku)(日本の、伝統的な詩)、短歌(tanka)(日本の、伝統的な詩)、漢詩(中国の、伝統的な詩)、魚釣りを趣味として、風流人的な、一面も持っていました。現在は、昔と違って、我が家の近所の、私の実家(元々、私の母方の祖父母の家。現在は、両親が、引き継いで暮らしている)の、庭の池には、錦鯉(nishikigoi)(下の補足説明参照)しか泳いでいませんが、かつて、私の実家の庭の池には、鯉、金魚の他に、私に母方の祖父が釣って来た、鮒や草魚(grass carp)等がいました。私の母は、子供の頃は、休日に、私の母方の祖父に連れられて、電車に乗って、よく、東京郊外の、多摩(tama)川に釣りに行ったそうです(私の母は、全く、退屈で、つまらなかったそうですw)。ちなみに、私の実家は、(元々、私の母方の祖母の実家が、田舎の裕福な地主の家(第二次世界大戦後は、没落した)であったのですが)、私の母方の祖母が、見合いで、私の母方の祖父と結婚した際に(ちなみに、私の母方の祖母は、大学(まあ、当時は、その前身の高等教育機関でしたが)から東京に出て来ていました。私の母方の祖母は、私の母方の祖父と結婚してから、ずっと主婦をしていました)、私の母方の祖母の父(私の母方の曽祖父)が、当時、東京に保有していた不動産の一つ(敷地面積100坪程(約330平方m)の、庭がある、一戸建て住宅。当時の中流階級の、一戸建て住宅として、小さな方であったと思います)を、私の、母方の祖父母に与えた物です(現在の家の建物は、1960年代初め頃に(私の母が高校生の頃に)、建替えられた物です。現在は、時代に合わせて内装等が改装されて来ており、耐震補強もなされています)。
錦鯉(nishikigoi):観賞用に、養殖・品種改良された、日本の鯉の、総称。日本では、色鮮やかな、錦鯉(nishikigoi)は、庭園の池等で、多く見られる。錦鯉(nishikigoi)は、日本、及び、日本の美意識を象徴する魚として、日本の、国魚(国の魚)となっている。


私の母方の祖父は、東洋的な(日本的な)、風流人である一方で、西洋文化が好きな一面もあり、私の母方の祖父の好みに合わせて、私の実家の朝食は、西洋式でしたし、私の、母方の祖父は、食事は、どちらかと言えば、和食(日本料理)よりも、洋食(yoshoku)(日本で、近代以降、日本人の口に合う様に、(日本人の視点からすれば)改良された、西洋料理)・西洋料理の方が、好きな位でした。また、私の母方の祖父は、ウイスキー(whisky)が、好きで、毎晩、寝る前に、必ず、ウイスキー(whisky)を飲んでいました(前述の通り、私の母方の祖父は、つましかったので、いつも飲んでいたのは、Suntory(nikkaと共に、日本の、2大、ウイスキー(whisky)会社)の、「SUNTORY OLD」と言う、安い、大衆的な、ウイスキー(whisky)でしたが。。。)。


私が、子供の頃、私の母方の祖父は、家族(私の母方の祖母、私の両親、私、私の2歳年下の弟)を連れて、日光(nikko)(栃木(tochigi)県(東京圏の北端に位置する県)に位置する。箱根(hakone)(東京圏(東京圏の南部を占める県である、神奈川(kanagawa)県)の、南西端部に位置する)と並ぶ、東京近郊を代表するリゾート(resort)地・保養地・観光地・避暑地)の、金谷(kanaya)ホテル(日光(nikko)を代表する、歴史のある高級リゾート(resort)ホテル。1873年開業)に宿泊しに行く事もあったのですが、その際には、私の母は、私と私の弟に、フォーマルな服を着せました。

ちなみに、今は、時代の流れとして、昔程、服の使い分けがなされていない事と、リゾート(resort)と言う事もあり、高級リゾート(resort)ホテルに宿泊、又は、高級リゾート(resort)ホテルを利用する際にも、カジュアルな服で(普段着で)と言う場合も、少なくありません。


前述の通り、私の母方の祖父は、普段の生活は、つましかったですが、何故か、家族を(私の母方の祖父にとっては、妻、娘夫婦、孫)を、金谷(kanaya)ホテルに連れて行く事に関しては、気前が良かったです。ちなみに、日光(nikko)は、私の母方の祖父の、お気に入りの場所でした。


私の母方の祖父に関しては、以下の2つの投稿を参照して下さい。

芸者(geisha)・祖父の話他(私の父方の祖父の話も含みます)→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3658686/page/19?&sfl=membername&stx=nnemon2
旧朝香宮(asakanomiya)邸他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3658681/page/19?&sfl=membername&stx=nnemon2
小津 安二郎映画「晩春」他(参考の投稿・関連投稿)→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_2/view/id/3580708/page/3?&sfl=membername&stx=nnemon2

私の母方の祖母に関しては、以下の投稿を参照して下さい。

母方の祖母の話→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3658687/page/19?&sfl=membername&stx=nnemon2



軽井沢(karuizawa)の万平(manpei)ホテルは、私の両親は、軽井沢(karuizawa)で、ゴルフ(golf)をするついでに、何度か宿泊した事がありますが(ちなみに、私の両親は、ゴルフ(golf)を趣味としていますが、私は、ゴルフ(golf)はしません)、私は、宿泊した事がありません(万平(manpei)ホテルは、別に、今でなくても良いけど(老人になってからでも良いので)、いつか、宿泊したいと思っています)。


伊豆(izu)半島(東京に近い、温暖で、風光明媚な(景色の美しい)リゾート(resort)地)の川奈(kawana)ホテルは、私の父は、一度、宿泊して、ゴルフ(golf)をした事がありますが、私は、宿泊した事がありません(川奈(kawana)ホテルも、いつか、宿泊したいと思っています)。



(この時、私達が宿泊した)富士屋(fujiya)ホテルは、私は、この時を、含めて6回、宿泊しています(この時、(我が家の近所の私の実家の)両親を連れて、箱根(hakone)の、富士屋(fujiya)ホテルに宿泊して来た時の、1回を除き、(残りの5回は)、全て、couple(女性と2人)で宿泊しています)。富士屋(fujiya)ホテルは、花御殿(hanagoten)、西洋館、本館に宿泊した事があります。また、菊華荘(kikkaso)(宿泊も可能)は、宿泊はした事がありませんが、食事はした事があります(その時は、富士屋(fujiya)ホテルに宿泊しないで、食事だけした)。


(亡くなった)私の母方の祖父母は、富士屋(fujiya)ホテルに宿泊した事がありましたが(母方の祖父母は夫婦で宿泊した事があり、母方の祖母に関しては、結婚前(子供の頃を含む)、母方の祖母の家族でも宿泊した事あり)、私の母は、その時まで、富士屋(fujiya)ホテルに宿泊した事がありませんでした。また、私の父は、その時まで、富士屋(fujiya)ホテルは、会社の研修で、一度、宿泊した事がありましたが、個人的な旅行で宿泊した訳ではないので、富士屋(fujiya)ホテルの雰囲気を、ゆっくりと味わう事は、全く、出来なかったそうです。その様な事から、去年の12月の初めに、両親を連れて、箱根(hakone)の、萬翠楼 福住(bansuiro fukuzumi)と言う、温泉旅館に宿泊して来た時に(その時、両親と旅行したのは、とても久しぶりでした)、弾みで(勢いで)、両親に、今度、富士屋(fujiya)ホテルに連れて行くと言ってしまった事が、この時の、両親を連れた、富士屋(fujiya)ホテルの宿泊に繋がりましたw 


ちなみに、前述の通り、上記の、私の、両親を連れた、萬翠楼 福住(bansuiro fukuzumi)に宿泊した旅行、及び、この時の、富士屋(fujiya)ホテルに宿泊した旅行の、宿泊費、食事代等は、両親の分を含めて、全て、私が支払っています。




以下、この時、私達が宿泊した、富士屋(fujiya)ホテル。


富士屋(fujiya)ホテルは、箱根(hakone)を代表する、高級resortホテルの一つです。富士屋(fujiya)ホテルは、前身の温泉旅館時代も含めると(16世紀後半には、韓国では悪名が高い(悪い意味で有名な)、豊臣 秀吉(toyotomi hideyoshi)も宿泊しました)、14世紀末からの(600年以上もの)歴史を有する(近代的なリゾート(resort)ホテルに変わってからの歴史は、1878年から)、箱根(hakone)を代表する高級リゾート(resort)ホテルです(富士屋(fujiya)ホテルは、箱根(hakone)の仙石原(sengokuhara)地区に、箱根(hakone)で、最も古い歴史を有する(詳しくないのですが、少なくとも、現在営業されている箱根(hakone)のゴルフ場(golf course)の中では、最も古い)、ゴルフ場(golf course)(1917年開業)も有しています)。富士屋(fujiya)ホテルは、第2次世界大戦前には、日本国内のみならず、(日本以外の)東・東南アジア在住の欧米人富裕層の間でも、東洋有数のリゾート(resort)ホテルとして知られていました。富士屋(fujiya)ホテルには、今まで、孫文(Sun Yat-sen)(日本に2度、亡命し、亡命中は、日本の、実業家等から支援を受けて、裕福な暮らしをしていた)、チャーリー・チャップリン(Charlie Chaplin)、フランク・ロイド・ライト(Frank Lloyd Wright)、ヘレン・ケラー(Helen
Keller)、ジョン・レノン(John Lennon)・小野 洋子(ono yoko)夫妻等、世界的な著名人も訪れています。




写真は、借り物。昔の富士屋(fujiya)ホテルの写真。花御殿(1936年完成)の建物が、まだ存在せず、主食堂(main dining room)の建物(1930年完成)が、存在している事から、1930年から1935年頃に撮影された物と思われます。前述の通り、富士屋(fujiya)ホテルは、第2次世界大戦前には、日本国内のみならず、(日本以外の)東・東南アジア在住の欧米人富裕層の間でも、東洋有数のリゾート(resort)ホテルとして知られていました。



写真以下3枚。富士屋(fujiya)ホテルの中にある、富士屋(fujiya)ホテルの歴史に関する展示室より。。。




近代的なリゾート(resort)ホテルに変わってからの富士屋(fujiya)ホテル(1878年創業)の、創業者である、山口 仙之助(yamaguchisennosuke)(1851年生まれ。1915年に亡くなる。日本の、ホテル経営者)。個性が強く、活動的で、敏腕な、ホテル経営者であった様です。


山口 仙之助(yamaguchi sennosuke)は、息子がいましたが、息子は、ホテル経営には、向いていないと判断し、長女の、夫である、山口 正造(yamaguchishozo)(日光(nikko)の、金谷(kanaya)ホテルの創業者の次男)を、養子(婿養子)とし、富士屋(fujiya)ホテルの、実質的な2代目の経営者としました。




富士屋(fujiya)ホテルの、実質的な2代目の経営者である、山口 正造(yamaguchi shozo)(日本の、ホテル経営者)。髭が特徴的な人物で、個性が強い、カリスマ的な(charismaticな)、経営者であった様です。




山口 正造(yamaguchishozo)が、富士屋(fujiya)ホテルの宣伝を兼ねて、主催した、日本国内、及び、日本国外の、髭が自慢の、金持ち・富裕層・著名人によって構成される、万国(世界)髭club(1931年に創立)の、メンバー(member)の例。



写真以下2枚。富士屋(fujiya)ホテルに飾ってある、山口 堅吉(yamagichi kenkichi)(下の補足説明参照))の、娘の、肖像画。

山口 堅吉(yamagichi kenkichi):日本の、ホテル経営者。山口 仙之助(yamaguchisennosuke)(富士屋(fujiya)ホテルの創業者)の、養子(婿養子)で、山口 仙之助(yamaguchisennosuke)の次女の、夫。1944年に、山口 正造(yamaguchishozo)が、病気により、亡くなった後、富士屋(fujiya)ホテルの経営を引き継いだ。山口 正造(yamaguchishozo)が、個性が強い、カリスマ的な(charismaticな)、経営者であったのに対し、山口 堅吉(yamagichikenkichi)は、地味で、堅実で、真面目な人物であった様です。










富士屋(fujiya)ホテルに飾ってある、おそらく、20世紀初頭(1900年代から1930年代頃)に、制作された、外国人観光客(外国人宿泊客)に、日本の文化を紹介する物の一つ。これは、雛(hina)祭りを紹介する物です。雛(hina)祭りは、女の子の、健康な成長と、幸福を願う、日本の、伝統的な祭りで、日本全国的な、祭りです。日本では、毎年、3月3日は、雛(hina)祭りと言われる、女の子の日(ちなみに、男の子の日は、5月5日)で、伝統的に、雛(hina)祭りの時期(3月3日及び、その前後)には、女の子のいる家庭では、一般的に、雛(hina)人形と言う、華やかな人形を飾ります。





参考に。。。写真は、借り物。正田 貞一郎(syouda teiichirou)。1870年、群馬(gunma)県(東京圏の、北西端に位置する県)の、裕福な、米問屋(米の、卸売りを行う商人)の家に生まれる。日本の、実業家で、日清(Nisshin)製粉(Seifun)(下の補足説明参照)の創業者。下で紹介する、皇后美智子(Empress Michiko)の、祖父。

日清(Nisshin)製粉(Seifun):加工食品の、原料を供給する、日本の、大規模食品会社。1900年設立。ラーメン(インスタントラーメン)の会社である、日清(Nisshin)食品(1948年創業)とは、全く、関係がない会社です。





富士屋(fujiya)ホテルに飾ってある、富士屋(fujiya)ホテルで撮影された、独身時代の、皇后美智子(Empress Michiko)(下の補足説明参照)と、皇后美智子(Empress Michiko)の、ご両親(両親)。

皇后美智子(Empress Michiko):1934年生まれ。現在の、日本の、皇后(天皇の妻)。日清(Nisshin)製粉(Seifun)の創業者の一族(家族)の、家に生まれる。皇后美智子(Empress Michiko)は、独身時代、子供の頃から、家族で(両親と共に)、富士屋(fujiya)ホテルに、保養の為、よく宿泊しており、独身時代は、富士屋(fujiya)ホテルに、40回以上も、宿泊されていた様です。ちなみに、上流階級の人達は、単純に、宿泊と言っても、私達の様な、庶民・中流層の、この様な、高級リゾート(resort)ホテルに、一泊して、ああ良かったと言うのではなく、おそらく、夏の避暑の為等に滞在する時は、一般的に、この様な、高級リゾート(resort)ホテルに、長期に渡って、滞在すると思います。



写真以下。富士屋(fujiya)ホテルの中にある、富士屋(fujiya)ホテルの歴史に関する展示室より。。。




富士屋(fujiya)ホテルの、現在の、(西洋料理部門の)厨房(食事を作る調理場)の、古い写真(おそらく、1920年代から1930年代頃の写真)。富士屋(fujiya)ホテルの、現在の、(西洋料理部門の)厨房(食事を作る調理場)は、1920年に建てられた物で、総ガラス(glass)張りの天井からは、自然光が取り入られ、90年以上経った、現在でも、現役で使われています(ホテルのsiteを参考にしました)。同厨房(富士屋(fujiya)ホテルの、現在の、(西洋料理部門の)厨房(食事を作る調理場))は、完成当時、最新だった、電気式の設備を用いていた為、関東大震災(1923年に東京圏を襲った巨大地震)でも、火事を出す事はなく、当時、「東洋一(アジア一)の厨房(食事を作る調理場)」と呼ばれたそうです。




富士屋(fujiya)ホテルの室内温水プール(indoor swimming pool)の古い写真(おそらく、1930年代頃の写真)。花御殿(hanagoten)(1936年完成)の地下にある、富士屋(fujiya)ホテルの、(源泉かけ流しの温泉が使われている)モダン(modern)な室内温水プール(indoor swimming pool)は、日本で、第2次世界大戦前に作られ、現存し、実際に、まだ使われている、リゾート(resort)ホテルの、室内温水プール(indoor swimming pool)として、貴重な物となっています。




富士屋(fujiya)ホテルの、舞踏場(ballroom)の、古い写真(おそらく、1920年代から1930年代頃の写真)。富士屋(fujiya)ホテルは、あくまで、リゾート(resort)ホテルであるので、舞踏場(ballroom)とは言っても、豪華絢爛な物ではありません。



写真以下2枚。ジョン・レノン(John Lennon)の家族(John Lennon、小野 洋子(ono yoko)、Sean Lennon)、三島 由紀夫(mishima yukio)(1925年生まれ。1970年に亡くなる。日本の、有名な、作家)夫妻等が宿泊した、富士屋(fujiya)ホテルの、花御殿(hanagoten)(1936年完成)の客室の、古い写真(おそらく、1930年代頃の写真)。










1944年頃の、富士屋(fujiya)ホテルの、パンフレット(leaflet)。





日本の敗戦により、第二次世界大戦が終わる約1年前の、1944年の11月2日の、富士屋(fujiya)ホテルの、フランス料理・西洋料理の、夕食のメニュー(menu)例。内容は、写真を撮ったは良いが、写真の字が、小さくw、不明瞭なので、一部、推測が入りますが、前菜の盛り合わせ、トマト(tomato)のスープ(soup)、魚のメイン(main)料理(魚の、バター(butter)焼き物)、肉のメイン(main)料理(牛肉の焼き物(又は、ローストビーフ(roast beef)。野菜添え)、デザート(dessert)(富士山の形のアイスクリーム(ice cream))、お茶菓子、コーヒー(coffee)と言った感じ。。。(これに、おそらく、パンが付くと思います)。1944年11月2日に、大東亜(アジア)、電気通信、第2回、懇談会で、富士屋(fujiya)ホテルに宿泊した方が、提供した資料。第二次世界大戦中は、物資の不足、増税、宿泊客の減少等により、ホテル経営の深刻な悪化に悩まされていた、富士屋(fujiya)ホテルですが、この頃(1944年頃)は、富士屋(fujiya)ホテルでは、まだ、ある程度、しっかりとした、食事が提供されていた様です(ちなみに、さすがに、おそらく、第二次世界大戦の末期(1945年頃)は、富士屋(fujiya)ホテルも、かなり、物資の不足に悩まされたと思います)。





第二次世界大戦の、日本の敗戦により、日本に進駐して来た、連合軍(実質的には、アメリカ軍)によって、富士屋(fujiya)ホテルは、1945年、10月20日に、接収され、以後、1954年の6月に接収が解除されるまで、富士屋(fujiya)ホテルは、連合軍(実質的には、アメリカ軍)の、将校、及び、その家族等の、保養、宿泊施設として使用されていました。これは、接収が解除され、富士屋(fujiya)ホテルが、1954年7月から、通常の、営業を、再開する事を知らせる、ポスター(poster)です。ちなみに、富士屋(fujiya)ホテルが、連合軍(実質的には、アメリカ軍)に、接収されていた(連合軍(実質的には、アメリカ軍)の管理下に置かれていた)時代(自由営業が、制限されていた、この時代は、第2次世界大戦中(物資の欠乏、税金の増額等により、ホテル経営が困難な状況下にあった)と共に、富士屋(fujiya)ホテルにとっては、苦難の時代)には、マッカーサー(Douglas MacArthur)、アイゼンハワー(Dwight D.Eisenhower)等が、富士屋(fujiya)ホテルに滞在しています。





1878年からの歴史を有するリゾートホテル2へ続く。。。

1878年からの歴史を有するリゾートホテル2は、以下です。

1878年からの歴史を有するリゾートホテル2→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3758969?&sfl=membername&stx=nnemon2



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