伝統文化紹介 Relationship

英米法と大陸法


◆両者の基本的相違点――ローマ法の影響の大小
ローマ法継受の必要性が小さかったイギリス法←→法典・法律を基礎とする制定法主義の確立

(1) 歴史的連続性
◆英米法におけるゲルマン法の伝統の保持――e.g.,法の支配,陪審制


※ 「王国の一般的慣習」
1110-22 ヘンリー1 世による「四部法書」Liber Quadripartitus 編纂。ゲルマン部族法の継受。
1187 頃グランヴィル(Tractatus de legibus et consuetudinibus regni Angliae)
1250 頃ブラクトン(De legibus et consuetudinibus Angliae libri quinque)


◆他の例として,Halsbury"s Statutes of England and Wales の索引巻(4th ed. Consolidated Index) にある制定法の年代順一覧表冒頭に13世紀に制定された数個の法律が現行の効力を持つものとして挙げられており,その中にマグナ・カルタ(1297年)も見出すことができる。
Magna Carta ――封建的慣行の保持を定める保守的文書――自由を保障する英国憲法史上の最重要文書
Lord Denning describing it as “the greatest constitutional document of all times – the foundation of the freedom of the individual against the arbitrary authority of the despot”.


※ 歴史性と体系性欠如を物語る例…… 決闘裁判
 決闘裁判= 決闘による雪冤、中世ヨーロッパでは一般的(神判の一形式)
1166 クラレンドン法(ヘンリー2 世) 告発陪審の設置。雪冤方法は神判。
1215 第4 回ラテラーノ公会議(インノケンティウス3 世)、神判への聖職者関与を否定。
いかなる聖職者であれ、熱湯あるいは冷水あるいは熱鉄の雪冤のために祝福または聖化の儀式を行ってはならない。モノマキア(一騎討ち)または決闘に関して以前に告示された禁止もまた有効である。(第4 回ラテラーノ公会議、決議第18 条)
1219 イングランドにおける神判の禁止(ヘンリー3 世)、雪冤方法として判決陪審が考案される。
1300 頃デネウェント対カントロー(土地訴訟)
1456 ホワイトホーン対フィッシャー(実際に決闘の実施された最後の例)(cf. フランス最後の決闘裁判: 1549 ジャック・ドゥ・フォンテーヌ対クロード・デ・ゲール)
1571 ロー対パラマー(決闘は実施されず)
1818 アシフォード対ソーントン(強姦殺人に関する謀殺私訴)
 被告ソーントンが決闘による雪冤を要求。
 原告アシフォードは決闘を回避して私訴を取り下げ、免訴が確定。
1819 決闘裁判の法的廃止(謀殺私訴法)


◆アメリカ――古来の制度の残存。E.g.,詐欺防止法(1677),捺印証書の効力(12世紀~)。


(2) 判例法主義
(a) 判例法主義
判例法なしに成り立たない法制度
(b) 先例拘束性の原理(doctrine of stare decisis; doctrine of precedent)
“stare decisis”――“to stand by things decided”
◆同じ事実関係の事件には同じ判断――裁判結果の予測,法原則の認識,法的安定性
◆イギリスにおける先例の絶対的拘束力(19世紀中期~1966)(London Street Tramways Co. v. London County Council, [1898] A.C. 375)
◆The Practice Statement by the Lord Chancellor (Lord Gardiner) and the Lords of Appeal in Ordinary on July 26, 1966――必要な場合に貴族院の判例の変更を認める。
◆ratio decidendiについてのみ先例拘束性の原理は適用される。


(3) 陪審制度
(a) 概説
◆陪審の起源
9世紀初頭のフランク王国――チャールズ大帝(フランク王国国王在位768‐814;西ローマ帝国皇帝在位800‐814)の息子ルイ敬虔王(Emperor Louis the Pious; フランス・ドイツ国王,西ローマ帝国皇帝在位814‐840)が,向後,国王の権利は,(何が慣習上の国王の権利であるかについて),証人の提出によってではなく,その地域のもっとも優れた,もっとも信頼し得る人々の,宣誓による証言によって確認されるべきことを定める命令を下した(829)。


※ ノルマン人によるイングランド征服以前、サクソンの法律は、告訴人が明確に名乗りをあげて、公の場で被告人と対決することを義務づけていた。裁判の模様は公開され、地域の人々が立ち会うことによって公正さが保障された。


◆Domesday Book (1085‐86)
北部の一部を除いてイングランド全土にわたる土地調査の記録集・土地台帳。王権の確立と国の税源を明確に定める目的で作られた。地方に派遣された調査官が,地元住民(州長,百戸邑長,領主,聖職者,隷農・農奴villein)に宣誓のうえ証言させる方法で土地に関する情報(名称,保有者,面積,鋤,自由人の人数,隷農・農奴の人数,価値)を収集した。


※ ノルマン人のイングランド征服により、大陪審が導入された。これは、ノルマン人の「宣誓審問による承認」制度に由来する。この制度では、「承認者」として選ばれた12 人の騎士が、イングランドの新しい支配者の関心事について、公開調査を行った。これらの調査には、税率や臣下が領主に対して負う封建的義務などが含まれていた。

すでに12世紀の段階で、土地所有権に関する特定の事件で訴訟を起こす者は、国王裁判所に対して承認者による喚問を申請した。承認者たちは、自分たちの情報、あるいは第三者を審問して判明した情報に基づいて、事実を究明した。国王裁判所の判決は、全員一致の場合には、最終的なものとして承認された。やがて、国王裁判所で審理されるそのほかの係争事案も同じような方法で扱われるようになり、騎士で構成される承認者団は陪審となった。

当初、陪審員は、事実を判断するばかりでなく、土地の慣習、および住民についての知識を持つ証人としての役割も果たしていたかもしれない。しかし、15世紀初頭までに、コモンロー裁判所の裁判官は、陪審の機能を、訴訟で提出された証拠に基づき事実を認定することに限定した。


※ 13世紀ころから、陪審が刑事事件に用いられるようになった。当初の刑事陪審は証人のような役割を果たしていたが、17世紀ころまでに事実判定機能を持つにいたった。18世紀後半には、12名の市民で構成され、大陪審の起訴を受けて被告人の罪責を全員一致で決める制度として確立された。

イングランドにおける陪審制は、一般人にも分かりやすくするためのコモン・ローの重視、陪審員である一般人の拘束期間を短くするための迅速な裁判、一般人でも審理を理解しやすくするための当事者主義、直接主義、口頭主義、伝聞法則等の手続法上の諸原理を生み出していった。

今日のイギリスの民事訴訟では、詐欺、名誉毀損、悪意による訴訟、不法拘置という4つの事案において陪審制が行われるだけとなっている。


(b) 陪審制の影響
(イ) 法の難解化の防止――法に素人の陪審が理解できる法。
(ロ) 集中審理――陪審員が期間をあけて何回も出頭することは困難,また,記憶の低下や外部からの影響を防ぐ必要から,事実審理は集中して実施。
(ハ) 開示手続の発達――当事者に対する不意打ちを防止し,十分な準備を可能にするため,開示手続などが発達。
(ニ) 訴答・略式判決・指図評決・評決無視判決等の手続――陪審審理を不必要に開くことを避けるための手続や,陪審の認定が合理性の枠内にとどまるよう裁判所がコントロールするための手続が発達。
(ホ) 法廷技術の発達――証人に対する反対尋問の技術など法廷技術が発達。
(へ) 証拠法の発達――陪審による誤った証拠の評価を回避するため,伝聞証拠等,一般に信憑性が低いとされる一定種類の証拠の提出を禁じる証拠法則が発達。


(c) Jury nullification (陪審による法の無効化)
陪審が,裁判官の説示によって示された法自体を不正であると判断するか,あるいは被告人に対してそのような法を適用すれば著しく正義に反すると考える場合に,有罪とする事実があるにも拘らず,被告人を無罪釈放すること。
陪審制の意義は,社会一般の価値観や正義感を裁判制度に反映させること,とする見解によっては支持される。



※ 【Lord Chancellor(大法官)の職】
◆Keeper of the Great Seal(国璽尚書)
◆The Speaker of the House of Lords(~2006.7.4.)
◆Minister of the Crown でほぼ確実にCabinet の構成員(法律問題・憲法問題担当)
◆President of the Supreme Court (Senior Courts) (Court of Appeal + High Court)(~2006.4.3.)
◆President of the Chancery Division of High Court(~2006.4.3.)(→Chancellor of the High Court)
◆最高裁事務局長(裁判官職への任命に際して実質的に中心となる。~2006.4.3.)


※ House of Lords

◆背景――19世紀の半ばに,法曹資格がない貴族は裁判に関与しないという慣例ができた。
◆Supreme Court of Judicature Act of 1873(最高法院法)で一旦,貴族院の最高裁判所としての管轄権の廃止を定められていた(1874年の施行予定)が,1874年,政権が自由党(Gladstone首相)から保守党(Disraeli首相)に移ったため,1873年法の施行が延期され,翌1875年のSupreme Court of Judicature Act of 1875で貴族院の司法機能を廃止する規定が削除された。
◆Appellate Jurisdiction Act 1876――Lords of Appeal in Ordinary(常任上告貴族)=Law Lords(法律貴族)の職の新設,1968年~11名,1994年~12名を最大限とする(2009.10のJustices of the Supreme Courtへの移行時も12名),Lord Chancellor,高位の司法職にあった者とともに,最低3名,通例5名でappellate committeeを構成し,最高裁として機能する。

【Constitutional Reform Act, 2005(2005.3.24)】
◆Lord Chancellor 職は残されたが,貴族院議長職や司法部の地位は他の者に移された。最高裁判所設置;裁判官任命委員会設置。
◆Supreme Court of the United Kingdomの設置(2009.10)。


※ 訴訟開始令状(original writ)
【Royal Courts】
・人民訴訟裁判所(Court of Common Pleas)
・王座裁判所(Court of King"s Bench)
・財務府裁判所(Court of Exchequer)


【Original Writs】(以下,Common Pleasに焦点を当てた説明)
・Royal Courtsで訴訟を提起するためには,手数料を支払ってChanceryからoriginal writsの発給を得ることが必要← Royal Courtsでの手続は例外的に与えられる恩恵(既存の手続として,領主裁判所,地方共同体裁判所,商事裁判所,教会裁判所,巡回〔巡察〕裁判官による巡回裁判があった)。
12世紀末までに、定型的な事件に対しては申立てによって当然に発給される定型令状(writ of course)が揃った。その後も必要に応じて新たな令状が出されたが,13世紀中期にかけて先例がない令状の発給が控えられるようになり,Provisions of Oxford 1258では,Chancellorが先例のない令状を発給するには,king"s councilの同意が必要と定められた。


※ Common Law

① 12世紀以降,国王裁判所が下してきた判決が集積してできた判例法体系(ないしはそれに由来する判例法体系)という意味.エクイティ
に対比される.
② ①の意味のコモン・ローにエクイティなどを加えた判例法という意味.制定法に対比される.
③ 判例法のみでなく制定法も含めた,全体としてのイギリス法という意味.
④ 英米法系に属する国々の法という意味.大陸法に対比される.
⑤ 教会法に対して世俗の法という意味.


◆Royal courtsが確立する前から存在した領主裁判所,地方共同体裁判所,商事裁判所,教会裁判所は,地域によって,当事者の身分によって手続・法が異なった。
◆Royal courtsでは,laws and customs of England, the law and custom of the realm, general custom of the realm(イングランド/王国の法と慣
行)が行われるものと主張され,認識された。

◆general custom common to the whole land 王国共通の法

◆Common Law ――Royal courts が形成した法をコモン・ローと呼ぶようになった。


※ Equity


(i) 大法官(Lord Chancellor)の司法機能(14世紀)――大法官府裁判所(Court of Chancery)の成立(15世紀末)
・13世紀末,コモン・ローの硬直化
(例)捺印証書の効力の絶対視(詐欺・強迫によって作成されたものであったり,既に履行されたりしていても,証書中の債務の履行が
強制された;当事者尋問の否認。
・社会の混乱のためや,相手方が権力や金銭力を利用して陪審や裁判官に圧力をかけるために,適切な救済が得られない。
・令状の体系の固定化→コモン・ローにおいて適切な救済が与えられない。
⇒国王または国王評議会(King in Council)に宛てて,救済を求める請願・申立て(petition)がなされる
← コモン・ロー裁判所成立後も国王や国王評議会に裁判権は残存していると考えられた。
・その申立ての処理は大法官に付託される
← ① 国王評議会の代表者と考えられた
 ② コモン・ロー裁判所における訴訟の開始に必要なoriginal writを発給するChanceryの長で,コモン・ローの実務に通じていた。
 後に,申立ては大法官および国王評議会宛に,そして14世紀末までに申立ては直接大法官宛になされるようになった。
・大法官は,当初は,King in Councilの名で,後(1474)には,みずからの名前で救済を与える命令を出すようになる)。
・大法官は,当事者に対する尋問を通して,法律行為や書面の背後にある当事者の意図や状況を調べた
←大法官は,Thomas Wolsey(1515~1529)まで,一貫して聖職者の出身であり,懺悔聴聞の経験が豊かであった。ちなみに,Wolseyの次の大法官はThomas More(1529~1532)。
・大法官は,救済を与えるべきと判断すれば,被告のコモン・ロー上の権利を否定することなく,良心と公平との名において(in the name of
good conscience and equity),妥当な救済を与える命令(decree)を被告に対して出した
・恩恵的に,個別的に,裁量的に,対人的に。
・エクイティは対人的に働く〔Equity acts in personam.〕
・特定履行命令(specific performance)と差止命令(injunction)――命令に従わない場合には裁判所侮辱罪(contempt of court)で,被告が命
令に服従する心証が得られるまで拘禁したり,罰金を科したりした。
⇒このような大法官の処理が集積してできた判例法がエクイティ(equity)である。


※ Common law における訴訟方式(forms of action)
○事件の事実関係――原告が認識するところ

○訴訟開始令状←大法官府(Chancery)

○訴答(pleading:訴状(declaration),答弁書(plea),再答弁書,再々答弁書……)
①Debt(金銭債務訴訟)のdeclaration において主張されるべき事項
確定額の金銭債務と反対給付;被告が既に反対給付を現実に受領していること;債務不履行(The Breach);損害額(The Damages)
②Covenant(捺印契約訴訟)のdeclaration において主張されるべき事項
捺印証書の作成;約束の内容;(停止条件の成就);約束の不履行;損害額

○審理方法
◆土地の所有権(単純封土権fee simple ) をめぐる訴訟―― 原則として決闘(champion の利用可),被告の選択によってgrand assize
◆金銭債務訴訟,動産引渡請求訴訟(detinue)――雪寃宣誓(compurgation; wager of law――被告が自分に金銭ないし動産を支払う・引渡す債務がないことを宣誓し,11人の宣誓補助者が被告の宣誓の信憑性を肯定する証言をすれば被告が勝訴した。)
◆捺印契約訴訟―陪審など

○判決(の効力)
◆損害賠償を命じるか現実の履行を命じるかなど。
◆強制執行の対象となるものは何か(動産に限られるか,不動産も含まれるか,など)
◆訴訟開始令状の選択で規定される訴訟の類型のことを訴訟方式(forms of action)という。



今日のおりこうさん  序5

英米法と大陸法


◆両者の基本的相違点――ローマ法の影響の大小
ローマ法継受の必要性が小さかったイギリス法←→法典・法律を基礎とする制定法主義の確立

(1) 歴史的連続性
◆英米法におけるゲルマン法の伝統の保持――e.g.,法の支配,陪審制


※ 「王国の一般的慣習」
1110-22 ヘンリー1 世による「四部法書」Liber Quadripartitus 編纂。ゲルマン部族法の継受。
1187 頃グランヴィル(Tractatus de legibus et consuetudinibus regni Angliae)
1250 頃ブラクトン(De legibus et consuetudinibus Angliae libri quinque)


◆他の例として,Halsbury"s Statutes of England and Wales の索引巻(4th ed. Consolidated Index) にある制定法の年代順一覧表冒頭に13世紀に制定された数個の法律が現行の効力を持つものとして挙げられており,その中にマグナ・カルタ(1297年)も見出すことができる。
Magna Carta ――封建的慣行の保持を定める保守的文書――自由を保障する英国憲法史上の最重要文書
Lord Denning describing it as "the greatest constitutional document of all times – the foundation of the freedom of the individual against the arbitrary authority of the despot".


※ 歴史性と体系性欠如を物語る例…… 決闘裁判
 決闘裁判= 決闘による雪冤、中世ヨーロッパでは一般的(神判の一形式)
1166 クラレンドン法(ヘンリー2 世) 告発陪審の設置。雪冤方法は神判。
1215 第4 回ラテラーノ公会議(インノケンティウス3 世)、神判への聖職者関与を否定。
いかなる聖職者であれ、熱湯あるいは冷水あるいは熱鉄の雪冤のために祝福または聖化の儀式を行ってはならない。モノマキア(一騎討ち)または決闘に関して以前に告示された禁止もまた有効である。(第4 回ラテラーノ公会議、決議第18 条)
1219 イングランドにおける神判の禁止(ヘンリー3 世)、雪冤方法として判決陪審が考案される。
1300 頃デネウェント対カントロー(土地訴訟)
1456 ホワイトホーン対フィッシャー(実際に決闘の実施された最後の例)(cf. フランス最後の決闘裁判: 1549 ジャック・ドゥ・フォンテーヌ対クロード・デ・ゲール)
1571 ロー対パラマー(決闘は実施されず)
1818 アシフォード対ソーントン(強姦殺人に関する謀殺私訴)
 被告ソーントンが決闘による雪冤を要求。
 原告アシフォードは決闘を回避して私訴を取り下げ、免訴が確定。
1819 決闘裁判の法的廃止(謀殺私訴法)


◆アメリカ――古来の制度の残存。E.g.,詐欺防止法(1677),捺印証書の効力(12世紀~)。


(2) 判例法主義
(a) 判例法主義
判例法なしに成り立たない法制度
(b) 先例拘束性の原理(doctrine of stare decisis; doctrine of precedent)
"stare decisis"――“to stand by things decided”
◆同じ事実関係の事件には同じ判断――裁判結果の予測,法原則の認識,法的安定性
◆イギリスにおける先例の絶対的拘束力(19世紀中期~1966)(London Street Tramways Co. v. London County Council, [1898] A.C. 375)
◆The Practice Statement by the Lord Chancellor (Lord Gardiner) and the Lords of Appeal in Ordinary on July 26, 1966――必要な場合に貴族院の判例の変更を認める。
◆ratio decidendiについてのみ先例拘束性の原理は適用される。


(3) 陪審制度
(a) 概説
◆陪審の起源
9世紀初頭のフランク王国――チャールズ大帝(フランク王国国王在位768‐814;西ローマ帝国皇帝在位800‐814)の息子ルイ敬虔王(Emperor Louis the Pious; フランス・ドイツ国王,西ローマ帝国皇帝在位814‐840)が,向後,国王の権利は,(何が慣習上の国王の権利であるかについて),証人の提出によってではなく,その地域のもっとも優れた,もっとも信頼し得る人々の,宣誓による証言によって確認されるべきことを定める命令を下した(829)。


※ ノルマン人によるイングランド征服以前、サクソンの法律は、告訴人が明確に名乗りをあげて、公の場で被告人と対決することを義務づけていた。裁判の模様は公開され、地域の人々が立ち会うことによって公正さが保障された。


◆Domesday Book (1085‐86)
北部の一部を除いてイングランド全土にわたる土地調査の記録集・土地台帳。王権の確立と国の税源を明確に定める目的で作られた。地方に派遣された調査官が,地元住民(州長,百戸邑長,領主,聖職者,隷農・農奴villein)に宣誓のうえ証言させる方法で土地に関する情報(名称,保有者,面積,鋤,自由人の人数,隷農・農奴の人数,価値)を収集した。


※ ノルマン人のイングランド征服により、大陪審が導入された。これは、ノルマン人の「宣誓審問による承認」制度に由来する。この制度では、「承認者」として選ばれた12 人の騎士が、イングランドの新しい支配者の関心事について、公開調査を行った。これらの調査には、税率や臣下が領主に対して負う封建的義務などが含まれていた。

すでに12世紀の段階で、土地所有権に関する特定の事件で訴訟を起こす者は、国王裁判所に対して承認者による喚問を申請した。承認者たちは、自分たちの情報、あるいは第三者を審問して判明した情報に基づいて、事実を究明した。国王裁判所の判決は、全員一致の場合には、最終的なものとして承認された。やがて、国王裁判所で審理されるそのほかの係争事案も同じような方法で扱われるようになり、騎士で構成される承認者団は陪審となった。

当初、陪審員は、事実を判断するばかりでなく、土地の慣習、および住民についての知識を持つ証人としての役割も果たしていたかもしれない。しかし、15世紀初頭までに、コモンロー裁判所の裁判官は、陪審の機能を、訴訟で提出された証拠に基づき事実を認定することに限定した。


※ 13世紀ころから、陪審が刑事事件に用いられるようになった。当初の刑事陪審は証人のような役割を果たしていたが、17世紀ころまでに事実判定機能を持つにいたった。18世紀後半には、12名の市民で構成され、大陪審の起訴を受けて被告人の罪責を全員一致で決める制度として確立された。

イングランドにおける陪審制は、一般人にも分かりやすくするためのコモン・ローの重視、陪審員である一般人の拘束期間を短くするための迅速な裁判、一般人でも審理を理解しやすくするための当事者主義、直接主義、口頭主義、伝聞法則等の手続法上の諸原理を生み出していった。

今日のイギリスの民事訴訟では、詐欺、名誉毀損、悪意による訴訟、不法拘置という4つの事案において陪審制が行われるだけとなっている。


(b) 陪審制の影響
(イ) 法の難解化の防止――法に素人の陪審が理解できる法。
(ロ) 集中審理――陪審員が期間をあけて何回も出頭することは困難,また,記憶の低下や外部からの影響を防ぐ必要から,事実審理は集中して実施。
(ハ) 開示手続の発達――当事者に対する不意打ちを防止し,十分な準備を可能にするため,開示手続などが発達。
(ニ) 訴答・略式判決・指図評決・評決無視判決等の手続――陪審審理を不必要に開くことを避けるための手続や,陪審の認定が合理性の枠内にとどまるよう裁判所がコントロールするための手続が発達。
(ホ) 法廷技術の発達――証人に対する反対尋問の技術など法廷技術が発達。
(へ) 証拠法の発達――陪審による誤った証拠の評価を回避するため,伝聞証拠等,一般に信憑性が低いとされる一定種類の証拠の提出を禁じる証拠法則が発達。


(c) Jury nullification (陪審による法の無効化)
陪審が,裁判官の説示によって示された法自体を不正であると判断するか,あるいは被告人に対してそのような法を適用すれば著しく正義に反すると考える場合に,有罪とする事実があるにも拘らず,被告人を無罪釈放すること。
陪審制の意義は,社会一般の価値観や正義感を裁判制度に反映させること,とする見解によっては支持される。



※ 【Lord Chancellor(大法官)の職】
◆Keeper of the Great Seal(国璽尚書)
◆The Speaker of the House of Lords(~2006.7.4.)
◆Minister of the Crown でほぼ確実にCabinet の構成員(法律問題・憲法問題担当)
◆President of the Supreme Court (Senior Courts) (Court of Appeal + High Court)(~2006.4.3.)
◆President of the Chancery Division of High Court(~2006.4.3.)(→Chancellor of the High Court)
◆最高裁事務局長(裁判官職への任命に際して実質的に中心となる。~2006.4.3.)


※ House of Lords

◆背景――19世紀の半ばに,法曹資格がない貴族は裁判に関与しないという慣例ができた。
◆Supreme Court of Judicature Act of 1873(最高法院法)で一旦,貴族院の最高裁判所としての管轄権の廃止を定められていた(1874年の施行予定)が,1874年,政権が自由党(Gladstone首相)から保守党(Disraeli首相)に移ったため,1873年法の施行が延期され,翌1875年のSupreme Court of Judicature Act of 1875で貴族院の司法機能を廃止する規定が削除された。
◆Appellate Jurisdiction Act 1876――Lords of Appeal in Ordinary(常任上告貴族)=Law Lords(法律貴族)の職の新設,1968年~11名,1994年~12名を最大限とする(2009.10のJustices of the Supreme Courtへの移行時も12名),Lord Chancellor,高位の司法職にあった者とともに,最低3名,通例5名でappellate committeeを構成し,最高裁として機能する。

【Constitutional Reform Act, 2005(2005.3.24)】
◆Lord Chancellor 職は残されたが,貴族院議長職や司法部の地位は他の者に移された。最高裁判所設置;裁判官任命委員会設置。
◆Supreme Court of the United Kingdomの設置(2009.10)。


※ 訴訟開始令状(original writ)
【Royal Courts】
・人民訴訟裁判所(Court of Common Pleas)
・王座裁判所(Court of King"s Bench)
・財務府裁判所(Court of Exchequer)


【Original Writs】(以下,Common Pleasに焦点を当てた説明)
・Royal Courtsで訴訟を提起するためには,手数料を支払ってChanceryからoriginal writsの発給を得ることが必要← Royal Courtsでの手続は例外的に与えられる恩恵(既存の手続として,領主裁判所,地方共同体裁判所,商事裁判所,教会裁判所,巡回〔巡察〕裁判官による巡回裁判があった)。
12世紀末までに、定型的な事件に対しては申立てによって当然に発給される定型令状(writ of course)が揃った。その後も必要に応じて新たな令状が出されたが,13世紀中期にかけて先例がない令状の発給が控えられるようになり,Provisions of Oxford 1258では,Chancellorが先例のない令状を発給するには,king"s councilの同意が必要と定められた。


※ Common Law

① 12世紀以降,国王裁判所が下してきた判決が集積してできた判例法体系(ないしはそれに由来する判例法体系)という意味.エクイティ
に対比される.
② ①の意味のコモン・ローにエクイティなどを加えた判例法という意味.制定法に対比される.
③ 判例法のみでなく制定法も含めた,全体としてのイギリス法という意味.
④ 英米法系に属する国々の法という意味.大陸法に対比される.
⑤ 教会法に対して世俗の法という意味.


◆Royal courtsが確立する前から存在した領主裁判所,地方共同体裁判所,商事裁判所,教会裁判所は,地域によって,当事者の身分によって手続・法が異なった。
◆Royal courtsでは,laws and customs of England, the law and custom of the realm, general custom of the realm(イングランド/王国の法と慣
行)が行われるものと主張され,認識された。

◆general custom common to the whole land 王国共通の法

◆Common Law ――Royal courts が形成した法をコモン・ローと呼ぶようになった。


※ Equity


(i) 大法官(Lord Chancellor)の司法機能(14世紀)――大法官府裁判所(Court of Chancery)の成立(15世紀末)
・13世紀末,コモン・ローの硬直化
(例)捺印証書の効力の絶対視(詐欺・強迫によって作成されたものであったり,既に履行されたりしていても,証書中の債務の履行が
強制された;当事者尋問の否認。
・社会の混乱のためや,相手方が権力や金銭力を利用して陪審や裁判官に圧力をかけるために,適切な救済が得られない。
・令状の体系の固定化→コモン・ローにおいて適切な救済が与えられない。
⇒国王または国王評議会(King in Council)に宛てて,救済を求める請願・申立て(petition)がなされる
← コモン・ロー裁判所成立後も国王や国王評議会に裁判権は残存していると考えられた。
・その申立ての処理は大法官に付託される
← ① 国王評議会の代表者と考えられた
 ② コモン・ロー裁判所における訴訟の開始に必要なoriginal writを発給するChanceryの長で,コモン・ローの実務に通じていた。
 後に,申立ては大法官および国王評議会宛に,そして14世紀末までに申立ては直接大法官宛になされるようになった。
・大法官は,当初は,King in Councilの名で,後(1474)には,みずからの名前で救済を与える命令を出すようになる)。
・大法官は,当事者に対する尋問を通して,法律行為や書面の背後にある当事者の意図や状況を調べた
←大法官は,Thomas Wolsey(1515~1529)まで,一貫して聖職者の出身であり,懺悔聴聞の経験が豊かであった。ちなみに,Wolseyの次の大法官はThomas More(1529~1532)。
・大法官は,救済を与えるべきと判断すれば,被告のコモン・ロー上の権利を否定することなく,良心と公平との名において(in the name of
good conscience and equity),妥当な救済を与える命令(decree)を被告に対して出した
・恩恵的に,個別的に,裁量的に,対人的に。
・エクイティは対人的に働く〔Equity acts in personam.〕
・特定履行命令(specific performance)と差止命令(injunction)――命令に従わない場合には裁判所侮辱罪(contempt of court)で,被告が命
令に服従する心証が得られるまで拘禁したり,罰金を科したりした。
⇒このような大法官の処理が集積してできた判例法がエクイティ(equity)である。


※ Common law における訴訟方式(forms of action)
○事件の事実関係――原告が認識するところ

○訴訟開始令状←大法官府(Chancery)

○訴答(pleading:訴状(declaration),答弁書(plea),再答弁書,再々答弁書……)
①Debt(金銭債務訴訟)のdeclaration において主張されるべき事項
確定額の金銭債務と反対給付;被告が既に反対給付を現実に受領していること;債務不履行(The Breach);損害額(The Damages)
②Covenant(捺印契約訴訟)のdeclaration において主張されるべき事項
捺印証書の作成;約束の内容;(停止条件の成就);約束の不履行;損害額

○審理方法
◆土地の所有権(単純封土権fee simple ) をめぐる訴訟―― 原則として決闘(champion の利用可),被告の選択によってgrand assize
◆金銭債務訴訟,動産引渡請求訴訟(detinue)――雪寃宣誓(compurgation; wager of law――被告が自分に金銭ないし動産を支払う・引渡す債務がないことを宣誓し,11人の宣誓補助者が被告の宣誓の信憑性を肯定する証言をすれば被告が勝訴した。)
◆捺印契約訴訟―陪審など

○判決(の効力)
◆損害賠償を命じるか現実の履行を命じるかなど。
◆強制執行の対象となるものは何か(動産に限られるか,不動産も含まれるか,など)
◆訴訟開始令状の選択で規定される訴訟の類型のことを訴訟方式(forms of action)という。




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