パソコン/インターネット Relationship

ホワイトカラー真っ青

White Collars Turn Blue

ポール・クルーグマン
山形浩生

読者への註。この文は、ニューヨークタイムズ誌の100周年記念特別号のために書かれた。このとき与えられた指示というのは、これがいまからさらに100年後の記念号用の文だと思って、それまでの過去1世紀をふりかえって書いてくれ、というものだった。



 過去をふりかえるときには、いろんなことを大目に見るよう心がけないとね。20世紀末の観察者が、来る世紀についてすべてを予¥言できなかったといって責めるのは、不公平ってもんだ。長期的な社会予¥測は、今日でもまだ厳密な科学とはいいがたいし、1996年には現代の非線形ソ¥シオエコノミクス創始者たちは、まだ名もない大学院生にすぎなかった。それでもその当時ですら、経済的な変化を駆動する大きな力が一方ではデジタル技術の絶え間ない進歩で、一方ではそれまでの後進国へ経済発展の波及だ、ということがわかっていた人はたくさんいた。その意味では、派手なびっくり箱は何もなかった。わからないのは、なぜ当時のヒョーロンカたちがこうした変化のもたらす帰結を完全に読みちがえたのか、ということだ。

 世紀末未来学者たちの、まちがった見通しを説明するのにいちばんいい表¥現は、かれらは例外なく「無原罪」経済の到来を期待してた、ということだろう。つまり、人々が物理的な世界とのどろどろした関与からほとんど洗い清められているような経済だね。みんなが主張していたのは、未来にやってくるのは「情報経済」なのだ、ということだった。これはおもに実体のない製品をつくり、高給仕事はコンピュータのスクリーン上でアイコンをつついてまわる「シンボル分析家(symbolic analysts)」にいき、それまで重要だった石油や土地みたいな資源のかわりに知識が富と力の主要な源になるだろう、という話。

 でも 1996 年の時点ですら、こんなのがバカげているのは明らかだったはずだ。まず、情報経済がどうしたといくら騒いだところで、最終的には経済は、消費者にこたえなきゃならない―¥―¥そして消費者は、情報なんかではなく、手でさわれる財を求めているんだ。特に、20 世紀終わりになってやっと多少の購買力を持ち始めてきた、第三世界の何十¥億もの世帯は、インターネットでこぎれいな画像なんか見たくなかった―¥―¥すてきな家に住んで、車を運転して、肉を食べたいと思ったんだ。
 第二に 20 世紀末の情報革命は―¥―¥だれでもわかったはずなんだけれど―¥―¥めざましい成功ではあったんだけれど、部分的なものでしかなかった。単純な情報処理は、だれも想像すらできなかったほど高速で安くなった。でも、一時は自信たっぷりだった人工知能¥の動きは、敗北につぐ敗北を喫した。この動きの創始者の一人マーヴィン・ミンスキーが絶望をこめて語ったように「人々が漠然と、常識と読んでいるものは、実はわれわれが崇拝する高度技術のほとんどよりも複雑なのだ」。そして物理世界にとりくむには、常識が必要だ―¥―¥だからこそ 21 世紀末の現在でも、ロボット水道修理工はいないんだ。

 いちばんだいじないことは、「情報経済」の旗振り役たちは経済学の基礎を忘れてしまったらしいということ。なにかが豊富になったら、それは同時に安くなる。情報まみれの世界は、まさに情報そのものが非常にわずかな市場価値しかもたない世界なんだ。そして一般的にいって、ある経済がなにかを非常に上手に処理できるようになったら、その活動の重要性は上がるのではなく、下がる。20 世紀末のアメリカは、食料生産をものすごく高効率でこなせた。だからこそ、農民はほとんどいなかったんだ。21 世紀末のアメリカは、定型情報処理をものすごく高効率でこなせる。だからこそ、伝統的なホワイトカラー労働者はほとんど消滅してしまったんだ。

 ではこうした観察を念頭に、1996 年の観察者たちが予¥期すべきだったのに見逃した、5つの経済大トレンドを挙げてみよう。


資源価格の高騰

 1990 年前半は、原材料価格が異様に低い時期だった。でも、なぜみんなそんな状況が続くと思ったのかは、理解に苦しむところだ。地球は、少数の孤立した声が訴え続けたように、有限なんだ。アジア人 20 億人が西欧なみの消費水準を望みだしたら、それが金属や化石燃料、そして食料でも、限られた供給にみんながいっせいに群がることになるのは避けられないことだった。

 実際、1996 年の時点でさえ、警告信号はすこし出ていた。この年の春に、ガソ¥リン価格が一時的に高騰した。これは異例に寒い冬と、中東の石油供給の計算をまちがえたせいだった。価格はすぐに落ち着いたけれど、この一事をもってしても、1990 年代半ばにはすでに、世界の工業国は 1970 年代初期と同様に、石油供給の混乱に対して弱くなってきていることははっきりしてるはずだった。が、この警告は無視された。

 でもじきに、天然資源はどうでもよくなるどころか、これまでよりもっとだいじになってきたのは明らかだった。19 世紀の富は産業で築かれ、20世紀末にはテクノロジーで富が築かれた。でも今日のスーパーリッチは、一等地の地主や採掘権の持ち主であることのほうがずっと多い。


 

資産としての環境

 20 世紀の人たちは、なかなか奇妙な表¥現を使っていた―¥―¥「空気のように無料」「金を湯水のように使う [1]」―¥―¥まるで空気や水なんかの供給が無限だとでもいわんばかり。でも何十¥億人もの人が車を買えるだけのお金をもっていて、休暇もとれて、プラスチック包装の食料を買えるようなところでは、環境の限られた保持力こそが、おそらくは唯一最大の生活水準成約要因になってきたんだ。

 1996 年には、環境の制約に対処する方法の一つが市場メカニズムの導入だってことははっきりしつつあった―¥―¥つまりそうした制約を、一種の所有権に変換するわけだ。この方向の第一歩は、1990 年代初期にとられた。アメリカ政府が発電企業に対し、ある種の公害物質排出の権利を売買できるようにしたんだ。この考え方は 1995 年に拡張されて、政府は電磁スペクトル(訳注:周波数帯のことね)使用権を競売にかけるようになった。
 今日ではもちろん、環境を悪化させるあらゆる活動には、かなり結構¥なお値段がつくようになってる。1995 年の時点でさえ、ふつうの家族がステーションワゴンをガロンあたり 1 ドルのガソ¥リンで満タンにして、ヨセミテまで運転してたった5ドル払えば入園できたというのは、いまでは信じがたいことだ。いまならインフレ分をさしひいても、そんな活動は 15 倍はコストがかかるだろう。

 環境制約を資産に転換したことで、予¥想しなかったような経済的な副作用が出てきた。人々がつくりだす公害や混雑について、各人にちゃんと支払わせようと政府が本腰を入れはじめると、環境ライセンスのコストが事業コストの大きな部分を占めるようになった。いまではライセンス料が GDP の 30% にもなっている。そしてこういうライセンス料が、政府の主要な歳入源となった。国の所得税は、だんだん削減されていって、やがて 2043 年には廃止されてしまった。


大都市の再生

 20 世紀後半には、伝統的な高密高層都市は、どうしようもない衰退の一途をたどっているように見えた。最新のテレコミュニケーションは、定型作業のオフィス労働者たちが物理的に近接していなくてもよくしてくれたので、ますます多くの企業がバックオフィス業務をロウアーマンハッタンなどの CBD (中心業務地区)から郊外のオフィスパークに移すようになった。やがて、それまでの都市は消滅するかのように思えた。変わって登場するのは、果てしない低層ビルのスプロールで、たまに 10 階建てのオフィスタワーがちょっと固まっているだけ。

 でも、これは実は一時的な現象にすぎなかった。まず、ガソ¥リン価格があがって、環境ライセンスのコストも生まれたために、一人一台の通勤パターンが現実的でなくなったんだ。今日では、交通のほとんどは乗り合い式のミニバンで占められていて、それが相互に通信しあうコンピュータ網で経路誘導されている。でも、この準マストラシステムは、 20 世紀の通勤者が想像したよりはうまく機能¥するけれど―¥―¥そして 400 万人以上の運転手の雇用を生み出しているけれど―¥―¥ 郊外のドア・ツー・ドアの移動は、いまでもふつうの通勤者や買い物客が、自分で車を運転できた時代に比べればずっと長くかかるようになっている。
 さらに、郊外で一時的に栄えたような仕事―¥―¥おもに、比較的定型化されたオフィス作業―¥―¥はまさに、1990 年代半ば以来大量に削減されつつあったたぐいの仕事だったんだ。一部のホワイトカラー職業は、低賃金国に移転した。それ以外はコンピュータにとってかわられた。海外に輸出したり、機械で扱えなかったりする仕事は、ヒューマンタッチの必要な仕事だった―¥―¥これにはフェイス・トゥ・フェイスのやりとりが必要で、あるいは物理的な材料に直接作業をする人々が、物理的に近いところで作業しなくてはならないような仕事だ。つまりこれは、高密の都心でいちばんうまくできる仕事で、そこで使われているのは、いまだにいちばん効率のいいマストラ・システムだ。すなわち、エレベータ。

 ここでもまた、すでに兆候は見えていたね。1990 年代の頭には、華開くマルチメディア産業の中心になるのがどこかについて、いろいろな憶測がなされた。シリコンバレーだろうか? ロサンゼルスだろうか? 1996 年までに、答ははっきりしてた。勝ったのは……マンハッタンだった。都市の密度のおかげで、実は本質的で不可欠だった、近接したフェイス・トゥ・フェイスのやりとりがしやすかったからだ。今日ではもちろん、マンハッタンはペテルスブルグやバンガロールと同じくらいたくさんの 200 階建てビルを誇っている。


高等教育の価値低下

 1990 年代にはほとんどだれもが、個人にとっても国家にとっても教育こそ経済的成功の鍵だと信じていた。例の「シンボル分析家」という高給職業につきたければ、大卒の学位、あるいは大学院の修士号や博士号さえ不可欠だった。

 でも、シンボル分析は、コンピュータが非常に得意な分野だ。コンピュータが苦手なのはむしろ、現実世界のどろどろした部分だ。それに、シンボルはアスマラやラパスにすぐに送信できて、そこでボストンのほんの数分の一のコストで分析できちゃう。だから 21 世紀を下るにつれて、それまで学卒の学位が必要だった仕事はだんだん削減されて、残った仕事の多くは、世界文学を勉強していなくても、それなりに知的な人物であれば十¥分にこなせるものになった。

 このトレンドは、1996 年にすら明らかだったはずだ。だって当時ですら、アメリカでいちばんの金持ちはビル・ゲイツだった。かれは大学のオチこぼれだった。どうやら世界最強の情報技術企業をつくるのには、正式な教育なんかあまりいらないらしい。

 あるいは 1996 年にアメリカをおそった「ダウンサイジング」をめぐるパニックを見てみよう。経済学者たちがすぐに指摘したように、90 年代にアメリカ人たちが失業している率は、歴史的水準からみて特に高いわけじゃなかった。だったら、なぜダウンサイジングはいきなり取りざたされたんだろう。それは、大卒のホワイトカラー労働者が大量に首切りにあったのはそれが初めてだったからだ。それでも、熟練機械工などのブルーカラー労働者の需要は高かったんだよ。これは、高等教育保持者に対する給料プレミアムが上がり続ける時代は終わったというはっきりした信号だったはずだ。でも、なぜかだれもこれに気がつかなかった。

 やがてもちろん、高等教育の見返りがじり貧になっていったせいで、教育産業そのものにも危機がおとずれた。学位に経済的な価値がほとんどないのに、なにが悲しくて学生は4年も大学にいき、さらに大学院で数年すごしたりするもんか。いまでは、職業訓練6ヶ月から12ヶ月しか必要としない仕事―¥―¥準看護士、大工、家政業(かつては無給の扶養家族が行っていた家事のほとんどを置き換えた職業)など―¥―¥は、修士号取得者と同じくらい稼げるし、まして博士号取得者などよりずっと高給だ。だから大学への進学率は、世紀の変わり目をピークに、いまではもう 1/3 になってしまった。
 多くの高等教育機関は、この厳しい環境下では生き残れなかった。有名な大学のほとんどはなんとか生き延びたけれど、でもその性格は変わり、昔の役割に復帰することになった。いまではハーバード大学のようなところは、19 世紀と同じで、学術研究の場というよりは社交の場となっている―¥―¥裕福な家庭の子女が社会的な立ち居振る舞いを洗練させ、同じ階級の人々と親交を深める場だ。


有名人経済

 今世紀の大トレンドの最後のおのは、1996 年の鋭い観察者にはすでに認識されていたけれど、多くのひとはなぜかそれを十¥分に理解できなかった。ビジネス評論家たちは、機械的な生産に対する創造力と技術革新の優位を説いていたけれど、実は情報の送信・複製がますます簡単になったので、クリエーターたちは自分の創造物から利益を得るのがどんどん難しくなっていったんだ。
 今日では、見事なソ¥フトを開発すれば、明日にはみんなネット上から無料でそれをダウンロードしてるだろう [2] 。すばらしいコンサートをレコーディングすれば、来週には上海で海賊 CD が売られる。見事な映画をつくったら、来月にはメヒコシティで高画質ビデオが出回ることになる。

 だったら、創造力をどうやって稼ぎに結びつけようか。こたえはすでに 1 世紀前からはっきりしつつあった。創造物は間接的にお金を稼ぐことになる。別のものの売り上げを推進することで。ちょうど自動車会社がグランプリ・レーサーにお金を出して、自分たちの車のイメージを高めたように、今日のコンピュータ企業は、先端ソ¥フトデザイナーに金を出して、自分たちのハードウェアのブランド認知度を高めようとしている [3]
 同じことが個人についても言える。「4 人のソ¥プラノ」たちがレコーディングで稼ぐ印税収入は、びっくりするほど少ない。レコーディングはおもに、アリーナ・コンサートの広告としての役割を果たしているんだ。ファンたちがこういうコンサートにいくのは、彼女たちの音楽を楽しむためじゃない(それなら家のステレオで聴くほうがずっといい)。アイドルたちの実物を見る体験のためにいくんだ。技術予¥測家エスター・ダイソ¥ンは、1996 年にずばり言い当ててる。「人は無料のコンテンツで自分の名声を確立する。そのあとで、出かけていってそれの乳を絞りとる」。一言で、知識経済になるかわりに、ぼくたちは有名人経済となったんだ。

 幸運なことに、知識そのものから直接利益を得ることを不可能¥にしたその同じ技術が、名声の機会を増やしてくれることにもなった。500 チャンネルの世界には多数のサブカルチャーがあって、それぞれが自前の文化ヒーローを持ってる。歌姫相手だけでなく、ジャーナリストや詩人、数学者、果ては経済学者なんかと、直接対面する興奮のために金を払おうという人はいる。アンディ・ウォーホールは、だれもが 15 分だけ有名になれる世界を予¥言したけれど、かれはまちがってた。名声を体験した人が驚くほどたくさんいるのは、別に名声の価値が下がったからではなくて、こんなすさまじく多様化した社会では、有名になる方法もたくさんあるからなんだ。

 それでも、この有名人経済は一部の人にはつらいものだった―¥―¥特に、ぼくたちみたいに学者的な性向をもった人には。一世紀前には、純粋な学者として生計をたてるのは十¥分可能¥だった。ぼくみたいな人間は大学教授としてそこそこの給料を稼ぎ、それを教科書の印税で補うえたはずだ。でも今日では、教師の職はなかなかないし、あってもどうせ雀の涙ほどの払いでしかない。それに、本を売って儲ける人間なんかだれもいない。
 もし学者稼業に専念したいなら、いまではもう選択肢は 3 つしかない(機関化された学術研究の確立する以前の19世紀に存在したのと同じ選択肢だ)。チャールズ・ダーウィンのように、金持ちの家に生まれついて、遺産で喰っていくか、あるいは進化論の共同発見者でちょっと運の悪かったアルフレッド・ウォレスのように、別の仕事で糊口をしのぎ、純粋研究は趣味にするか。あるいは多くの 19 世紀科学者のように、講演巡業をすることで、学者としての名声をタネに稼ぐかだ。

 でも名声は、これまでのどの時代よりも手に入りやすいとはいえ、まだそうそう簡単には手にはいらない。だからこそ、この記事を書くのはぼくにとってすばらしい機会なんだ。ぼくは別に、獣医病院で昼間働くのはかまわないんだけれど、でもずっとフルタイムの経済学者になりたいと思ってきた。こんな記事を書くことが、まさにその夢を実現するきっかけになってくれるかもしれないんだ。



ポール・クルーグマンはマサチューセッツ工科大学の(フルタイムの)経済学教授です。

 

http://cruel.org/krugman/lookbackj.html


( ‘Θ‘)ψ오늘의 폴·크루 구먼

화이트 칼라진파랑

White Collars Turn Blue

폴·크루 구먼
야마가타 히로시생

독자에게의 주.이 문장은, 뉴욕 타임즈잡지의 100주년 기념 특별호를 위해서 쓰여졌다.이 때 주어진 지시라고 하는 것은, 이것이 지금부터 게다가 100년 후의 기념호용의 문장이라고 생각하고, 지금까지의 과거 1 세기를 대체해라고 써 주어라는 것이었다.



 과거를 대체할 때는, 여러가지 일을 너그럽게 봐주도록(듯이) 유의하지 않으면.20 세기말의 관찰자가, 오는 세기에 대해 모든 것을 예언 할 수 없었다고 해 꾸짖는 것은, 불공평하다는 것은 것이다.장기적인 사회예측은, 오늘이라도 아직 엄밀한 과학과는 말하기 어렵고, 1996년에는 현대의 비선형소시오에코노미크스 창시자들은, 아직 이름도 없는 대학원생에 지나지 않았다.그런데도 그 당시에조차, 경제적인 변화를 구동하는 큰 힘이 한편에서는 디지털 기술의 끊임없는 진보로, 한편에서는 지금까지의 후진국에 경제발전의 파급이다, 라고 하는 것을 알 수 있고 있던 사람은 많이 있었다.그 의미에서는, 화려한 깜짝 상자는 아무것도 없었다.모르는 것은, 왜 당시의 효론카들이 이러한 변화가 가져오는 귀결을 완전하게 읽어 틀리게 했는지, 라고 하는 것이다.

 세기말 미라이 학자들의, 잘못한 전망을 설명하는데 가장 좋은 표현은, 그들은 예외없이 「무원죄」경제의 도래를 기대하고 있었던, 이라고 할 것이다.즉, 사람들이 물리적인 세계와의 질척질척 한 관여로부터 거의 씻어 맑게 할 수 있고 있는 경제구나.모두가 주장하고 있던 것은, 미래에 오는 것은 「정보 경제」다, 라고 하는 것이었다.이것은 주로 실체가 없는 제품을 만들어, 고급 일은 컴퓨터의 스크린상에서 아이콘을 쿡쿡 찔러 도는 「심볼 분석가(symbolic analysts)」에 살아 그때까지 중요했던 석유나 토지같은 자원대신에 지식이 부와 힘의 주요한 근원이 될 것이다, 라고 하는 이야기.

 그렇지만 1996 년의 시점에서조차, 이런 건이 바보라고 있는 것은 분명했을 것이다.우선, 정보 경제가 어떻게 했다고 아무리 떠들어도, 최종적으로는 경제는, 소비자에게 대답하지 않으면 안 된다-―그리고 소비자는, 정보같은 걸로는 없고, 손으로 손댈 수 있는 재를 요구하고 있다.특히, 20 세기 끝나게 되어 겨우 다소의 구매력을 가지기 시작해 온, 제3세계의 몇십억의 세대는, 인터넷으로 깔끔한 화상은 보고 싶지 않았다-―멋진 집에 살고, 차를 운전하고, 고기를 먹고 싶었다.
 2번째로 20 세기말의 정보 혁명은-―누구라도 알았을 것이지만-―눈부신 성공이었다 하지만, 부분적인 물건에 지나지 않았다.단순한 정보처리는, 아무도 상상조차 할 수 없었다(정도)만큼 고속으로 싸졌다.그렇지만, 한때는 자신 가득했던 인공지능의 움직임은, 패배에 따르는 패배를 당했다.이 움직임의 창시자의 한 명 마빈·마빈 리 민스키가 절망을 담아 말한 것처럼 「사람들이 막연히, 상식이라고 읽고 있는 것은, 실은 우리가 숭배하는 고도 기술의 대부분보다 복잡하다」.그리고 물리 세계에 몰두하려면 , 상식이 필요하다-―그러니까 21세기말의 현재에도, 로봇 수도 수리공은 없다.

 가장 괜찮은 것은, 「정보 경제」의 신호 등의기를 흔들기역들은 경제학의 기초를 잊어 버린 것 같다고 하는 것.무엇인가가 풍부하게 되면, 그것은 동시에 싸진다.정보 투성이의 세계는, 확실히 정보 그 자체가 매우 몇 안 되는 시장가치 밖에 갖지 않는 세계야.그리고 일반적으로 말하고, 어느A 경제가 무엇인가를 매우 능숙하게 처리할 수 있게 되면, 그 활동의 중요성은 오르는 것이 아니라, 내린다.20 세기말의 미국은, 식료 생산도의 몹시 고효율로 해낼 수 있었다.그러니까, 농민은 거의 없었다.21 세기말의 미국은, 정형 정보처리도의 몹시 고효율로 해낼 수 있다.그러니까, 전통적인 화이트 칼라 노동자는 거의 소멸하게 되었다.

 그럼 이러한 관찰을 염두에, 1996 년의 관찰자들이 예기해야 했는데 놓친, 5개의 경제대트랜드를 들어 보자.


자원 가격의 상승

 1990 년전반은, 원재료 가격이 이상하게 낮은 시기였다.그렇지만, 왜 모두 그런 상황이 계속 된다고 생각했는지는, 이해하기 어려운 곳(중)이다.지구는, 소수의 고립한 소리가 계속 호소한 것처럼, 유한하다.아시아인 20 억명이 서구 수준의 소비 수준을 소망 내면, 그것이 금속이나 화석연료, 그리고 식료라도, 한정된 공급에 모두가 일제히 모이게 되는 것은 피할 수 없는 것이었다.

 실제, 1996 년의 시점조차, 경고 신호는 조금 나와 있었다.이 해의 봄에, 가소인 가격이 일시적으로 상승했다.이것은 이례에 추운 겨울과 중동의 석유 공급의 계산을 오인한 탓이었다.가격은 곧바로 안정되었지만, 이 한가지 일을 가지고 해도, 1990 년대 중반에는 벌써, 세계의 공업국은 1970 년대 초기와 같게, 석유 공급의 혼란에 대해서 약해지고 있는 것은 확실하고 있는은 두였다.하지만, 이 경고는 무시되었다.

 그렇지만 곧, 천연자원은 아무래도 좋아지기는 커녕, 지금까지 보다 더 중요하게 된 것은 분명했다.19 세기의 부는 산업으로 쌓아 올려져 20 세기말에는 테크놀로지로 부가 쌓아 올려졌다.그렇지만 오늘의 슈퍼 리치는, 일등지의 지주나 채굴권의 소유자인 것 쪽이 훨씬 많다.


 

자산으로서의 환경

 20 세기의 사람들은, 꽤 기묘한 표현을 사용하고 있던-―「공기와 같이 무료」 「돈을 탕수와 같이 사용하는 [1]」――마치 공기나 물무슨공급이 무한하다면에서도 말하지 않아(뿐)만.그렇지만 몇십억인의 사람이 차를 살 수 있을 만한 돈을 갖고 있고, 휴가도 취할 수 있고, 플라스틱 포장의 식료를 살 수 있는 곳에서는, 환경이 한정된 보관 유지력이, 어쩌면 유일 최대의 생활수준 성약 요인이 되어 왔다.

 1996 년에는, 환경의 제약에 대처하는 방법의 하나가 시장 메카니즘의 도입도 (일)것은 확실하고 있던-―즉 그러한 제약을, 일종의 소유권으로 변환하는 것이다.이 방향의 제일보는, 1990 년대 초기에 있어졌다.미국 정부가 발전 기업에 대해, 어떤 종류의 공해 물질 배출의 권리를 매매할 수 있도록 했다.이 생각은 1995 년에 확장되고, 정부는 전자 스펙트럼(역주:주파수대) 사용권을 경매에 붙이게 되었다.
 오늘로는 물론, 환경을 악화시키는 모든 활동에는, 꽤 상당히더 가격이 붙게 되어 있다.1995 년의 시점조차, 보통의 가족이 스테이션 웨건을 갤런 당 1 달러의 가소인으로 가득하게 하고, 요세미테까지 운전해 끊은 5 달러 지불하면 입원할 수 있었다는 것은, 지금에 와서는 믿기 어려운 것이다.지금이라면 인플레분을 공제해도, 그런 활동은 15 배는 코스트가 들 것이다.

 환경 제약을 자산으로 전환한 것으로, 예상 하지 않았던 것 같은 경제적인 부작용이 나왔다.사람들이 만들어 내는 공해나 혼잡에 대해서, 각자에 제대로 지불하게 하려고 정부가 정신을 쏟기 시작하면, 환경 라이센스의 코스트가 사업 코스트의 큰 부분을 차지하게 되었다.지금에 와서는 라이센스료가 GDP 의 30% 로도 되어 있다.그리고 이런 라이센스료가, 정부의 주요한 세입원이 되었다.나라의 소득세는, 점점 삭감되고 가고, 이윽고 2043 년에는 폐지되어 버렸다.


대도시의 재생

 20 세기 후반에는, 전통적인 고밀고층 도시는, 어쩔 수 없는 쇠퇴의 일로를 더듬고 있는 것처럼 보였다.최신의 텔레커뮤니케이션은, 정형 작업의 오피스 노동자들이 물리적으로 근접하고 있지 않아도 잘 해 주었으므로, 더욱 더 많은 기업이 백 오피스 업무를 로우아만핫탄등의 CBD (중심 업무 지구)로부터 교외의 오후스빠쿠로 옮기게 되었다.이윽고, 지금까지의 도시는 소멸하는 것 같이 생각되었다.바뀌어 등장하는 것은, 끝없는 저층 빌딩의 스프롤로, 이따금 10 층건물의 오피스 타워가 조금 굳어지고 있을 뿐.

 그렇지만, 이것은 실은 일시적인 현상에 지나지 않았다.우선, 가소인 가격이 오르고, 환경 라이센스의 코스트도 태어났기 때문에, 한 명 1대의 통근 패턴이 현실적이지 않게 되었다.오늘로는, 교통의 대부분은 합승식의 미니밴으로 차지할 수 있고 있고, 그것이 서로 서로 통신하는 컴퓨터망으로 경로 유도되고 있다.그렇지만, 이 준마스트라시스템은, 20 세기의 통근자가 상상했던 것보다는 잘 기능하지만-―그리고 400 만명 이상의 운전기사의 고용을 낳고 있지만-― 교외의 도어·투 도어의 이동은, 지금도 보통의 통근자나 쇼핑객이, 스스로 차를 운전할 수 있었던 시대에 비하면 훨씬 길게 걸리게 되어 있다.
 게다가 교외에서 일시적으로 번창한 것 같은 일-―주로, 비교적 정형화 된 오피스 작업-―는 확실히, 1990년대 중반 이래 대량으로 삭감되고 있던 종류의 일이었다.일부의 화이트 칼라직업은, 저임금국에 이전했다.그 이외는 컴퓨터에 있어서 변해졌다.해외에 수출하거나 기계로 취급할 수 없거나 하는 일은, 휴먼 터치의 필요한 일이었다-―이것에는 페이스·투·페이스의 교환이 필요하고, 혹은 물리적인 재료에 직접 작업을 하는 사람들이, 물리적으로 가까운 곳으로 작업하지 않으면 안 되는 듯한 일이다.즉 이것은, 고밀의 도심에서 가장 잘 할 수 있는 일로, 거기서 사용되고 있는 것은, 아직껏 가장 효율의 좋은 마스트라·시스템이다.즉, 엘리베이터.

 여기에서도 또, 벌써 징조는 보이고 있었군요.1990 년대의 머리에는, 화 여는 멀티미디어 산업의 중심이 되는 것이 어디엔가 붙고, 여러가지 억측이 이루어졌다.실리콘밸리일까? 로스앤젤레스일까? 1996 년까지, 답은 확실했다.이긴 것은……맨하탄이었다.도시의 밀도 덕분에, 실은 본질적으로 불가결했던, 근접한 페이스·투·페이스의 교환이 하기 쉬웠기 때문이다.오늘로는 물론, 맨하탄은 페테르스브르그나 방갈로르와 같은 정도 많은 200 층건물 빌딩을 자랑하고 있다.


고등교육의 가치 저하

 1990 년대에는 거의 누구나가, 개인에 있어서도 국가에 있어서도 교육이야말로 경제적 성공의 열쇠라고 믿고 있었다.예의 「심볼 분석가」라고 하는 고급 직업에 대해 싶으면, 대졸의 학위, 혹은 대학원의 석사호나 박사 학위마저 불가결했다.

 그렇지만, 심볼 분석은, 컴퓨터가 매우 자신있는 분야다.컴퓨터에 약한 것은 오히려, 현실 세계의 질척질척 한 부분이다.게다가, 심볼은 아스마라나 La Paz에 곧바로 송신할 수 있고, 거기서 보스턴의 그저 몇분의 1의 코스트로 분석할 수 있어버린다.그러니까 21 세기를 내리는 것에 따라, 그것까지 대학 졸업의 학위가 필요했던 일은 점점 삭감되고, 남은 일의 상당수는, 세계 문학을 공부하지 않아도, 그 나름대로 지적인 인물이면 10분에 해낼 수 있는 것이 되었다.

 이 트랜드는, 1996 년에조차 분명했을 것이다.왜냐하면 당시에조차, 미국에서 가장의 부자는빌 게이츠였다.그는 대학의 끝 넘쳐 흐름이었다.아무래도 세계 최강의 정보기술 기업을 만드는데는, 정식적 교육은 너무 필요 없는 것 같다.

 혹은 1996 년에 미국을 습격한 「다운사이징」을 둘러싼 패닉을 보자.경제학자들이 곧바로 지적한 것처럼, 90 년대에 미국인들이 실업하고 있는 비율은, 역사적 수준에서 보고 특히 높은 것이 아니었다.그렇다면, 왜 다운사이징은 갑자기 소문이 떠돌았을 것이다.그것은, 대졸의 화이트 칼라 노동자가 대량으로 처형해에 있던 것은 그것이 처음이었기 때문이다.그런데도, 숙련 기계공등의 블루 칼라 노동자의 수요는 높았다.이것은, 고등교육 보관 유지자에 대한 급료 프리미엄이 계속 오르는 시대 는 끝났다고 하고는 자른 신호였다는 두다.그렇지만, 왠지 아무도 이것에 깨닫지 못했다.

 이윽고 물론, 고등교육의 담보가 극빈이 되어 간 탓으로, 교육산업 그 자체에도 위기가 왔다.학위에 경제적인 가치가 거의 없는데, 뭐가 슬퍼서 학생은 4년이나 대학에 가 한층 더 대학원에서 수년 보내거나 하는 것일까.지금에 와서는, 직업 훈련 6개월부터 12개월 밖에 필요로 하지 않는 일-―준간호사, 목수, 가정업( 이전에는 무급의 부양 가족이 가고 있던 가사의 대부분을 옮겨놓은 직업) 등-―는, 석사호취득자와 같은 정도 벌 수 있고, 하물며 박사 학위 취득자등 보다 쭉 고급이다.그러니까 대학에의 진학율은, 세기의 변환기를 피크로, 지금에 와서는 벌써 1/3 가 되어 버렸다.
 많은 고등교육 기관은, 이 어려운 환경하에서는 살아 남을 수 없었다.유명한 대학의 대부분은 어떻게든 살아남았지만, 그렇지만 그 성격은 바뀌어, 옛 역할에 복귀하게 되었다.지금에 와서는 하버드 대학과 같은 곳은, 19 세기와 같고, 학술 연구의 장소라고 하는 것보다는 사교의 장소가 되고 있다-―유복한 가정의 자녀가 사회적인 행동거지를 세련시켜, 같은 계급의 사람들과 친교가 깊어지는 장소다.


유명인 경제

 금세기의 대트랜드의 마지막 도끼는, 1996 년의 날카로운 관찰자에게는 벌써 인식되고 있었지만, 많은 사람은 왠지 그것을 10분에 이해할 수 없었다.비즈니스 평론가들은, 기계적인 생산에 대한 창조력과 기술 혁신의 우위를 말하고 있었지만, 실은 정보의 송신·복제가 더욱 더 간단하게 되었으므로, 크리에이터들은 자신의 창조물로부터 이익을 얻는 것이 자꾸자꾸 어려워지고 갔다.
 오늘로는, 훌륭한 소후트를 개발하면, 내일에는 모두 넷상으로부터 무료로 그것을 다운로드하고 있을 것이다 [2] .훌륭한 콘서트를 레코딩 하면, 다음 주에는 샹하이에서 해적 CD 가 팔린다.훌륭한 영화를 만들면, 다음 달에는 메히코시티로 고화질 비디오가 나돌게 된다.

 그렇다면, 창조력을 어떻게 벌어에 묶을까.대답은 벌써 1 세기 전부터 확실하고 있었다.창조물은 간접적으로 돈을 벌게 된다.다른 것의 매상을 추진하는 것으로.정확히 자동차 회사가 그랑프리·레이서에 돈을 내고, 스스로의 차의 이미지를 높인 것처럼, 오늘의 컴퓨터 기업은, 첨단소후트데자이나에 돈을 내고, 스스로의 하드웨어의 브랜드 인지도를 높이려 하고 있다 [3] .
 같은 것을 개인에 대해서도 말할 수 있다.「4 명의 소프라노」들이 레코딩으로 버는 인세 수입은, 놀랄 만큼 적다.레코딩은 주로, 아레나·콘서트의 광고로서의 역할을 이루어 있다.팬들이 이런 콘서트에 가는 것은, 그녀들의 음악을 즐기기 위해가 아니다(그렇다면 집의 스테레오로 듣는 편이 훨씬 좋다).아이돌들의 실물을 보는 체험을 위해서 간다.기술예측가 에스타·다이소는, 1996 년에 정확히 알아 맞추고 있다.「사람은 무료의 컨텐츠로 자신의 명성을 확립한다.그 후로, 나가고 가 그것의 젖을 조임 취한다」.한마디로, 지식 경제가 되는 대신에, 우리들은 유명인 경제가 되었다.

 행운의 일로, 지식 그 자체로부터 직접 이익을 얻는 것을 불가능으로 한 그 같은 기술이, 명성의 기회를 늘려 주게도 되었다.500 채널의 세계에는 다수의 서브 컬쳐가 있고, 각각이 자기 부담의 문화 히어로를 가지고 있다.가희 상대 뿐만이 아니라, 져널리스트나 시인, 수학자, 끝은 경제학자 같은 것과 직접 대면하는 흥분을 위해서 돈을 지불하려는 사람은 있다.앤디·워호르는, 누구나가 15 분만 유명하게 될 수 있는 세계를 예언 했지만, 그는 잘못했다.명성을 체험한 사람이 놀라울 정도 많이 있는 것은, 별로 명성의 가치가 내렸기 때문에가 아니라, 이런 굉장하게 다양화한 사회에서는, 유명하게 되는 방법도 많이 있기 때문이야.

 그런데도, 이 유명인 경제는 일부의 사람에게는 괴로운 것이었다-―특히, 우리들같이 학자적인 성향을 가진 사람에게는.일세기전에는, 순수한 학자로서 생계를 세우는 것은 10분 가능이었다.나같은 인간은 대학교수로서 적당히의 급료를 벌어, 그것을 교과서의 인세로 보충하는 천민은 두다.그렇지만 오늘로는, 교사의 일자리는 좀처럼 없고, 있어도 어차피 새발의 피 정도의 지불에 지나지 않는다.게다가, 책을 팔아 돈을 버는 인간 같은 것 아무도 없다.
 만약 학자 생업에 전념하고 싶으면, 지금에 와서는 더이상 선택사항은 3 개 밖에 없다(기관화 된 학술 연구의 확립하기 이전의 19 세기에 존재한 것과 같은 선택사항이다).찰즈·다윈과 같이, 부자의 집에서 태어나 도착하고, 유산으로 식은 가든가, 혹은 진화론의 공동 발견자로 조금 운이 나뻤던 알프레드·워레스와 같이, 다른 일로 호구를 견뎌, 순수 연구는 취미로 할까.혹은 많은 19 세기 과학자와 같이, 강연 순회공연을 하는 것으로, 학자로서의 명성을 씨에 벌까다.

 그렇지만 명성은, 지금까지 목의 시대보다 손에 들어 오기 쉽다고는 해도, 아직 그래그래 간단하게는 손에 들어가지 않는다.그러니까, 이 기사를 쓰는 것은 나에게 있어서 훌륭할 기회야.나는 별로, 수의 병원에서 낮 일하는 것은 상관없지만, 그렇지만 쭉 풀 타임의 경제학자가 되고 싶어서 왔다.이런 기사를 쓰는 것이, 확실히 그 꿈을 실현하는 계기가 되어 줄지도 모른다.



폴·크루 구먼은 매사추세츠 공과대학의(풀 타임의) 경제학 교수입니다.

 

http://cruel.org/krugman/lookbackj.html

 



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